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500
周年!西大寺会陽 |
岡山市東区 金陵山西大寺 2010年2月20日(土) 日本三大奇祭 |
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平成22年(2010)2月20日(土)、500周年の節目を迎えた「西大寺会陽はだかまつり」が開催され、33,000人の観客と9,500人の裸が参加しました。
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会陽(えよう)とは、修正会結願(しゅしょうえ・けちがん)行事の地域的名称です。岡山県以外でも香川県善通寺市の善通寺会陽などがあるほか、岡山県には岡山市・金山寺会陽、美作町・安養寺会陽など多くの会陽があります。しかし、何といっても全国に名を知られているのが岡山市・西大寺会陽で、昭和34年(1959)岡山県により無形民俗文化財に指定されてい
ます。 |
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▲▼ スライドショーCD「五百周年!西大寺会陽」のBGMには、「わっしょい!わっしょい!」「ただ今シンギが投下されました!」などの生々しい実況録音が収録されています。また、画像の合間にホームページに掲載している解説画像を挿入していますので、そこで停止し、祭の内容を把握しながら観賞できるようになっており、二本のシンギを奪い合う褌一丁の男たちの熱い戦いを激写した永久保存版感動巨編です。410枚、上映時間35分。(1枚2000円 リピーター価格:1枚1500円)
日本の祭りCD・DVD写真集
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YouTube 500周年!西大寺会陽(抜粋縮小版) |
↓画像をクリックするとスライドショー動画が始まります。 |
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はじめに |
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平成22年(2010)2月20日(土)、岡山市東区の金陵山西大寺(きんりょうざん・さいだいじ)で500周年の節目を迎えた「西大寺会陽はだかまつり」が開催され、33,000人の観客と9,500人の裸が参加した。
金陵山西大寺公式サイト |
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今年から飲酒による事故防止のため、全ての日程が2時間早められ、午後10時に投下された一対の宝木(しんぎ)を巡って激しい争奪戦が繰り広げられ、宝木仮受所(しんぎかりうけしょ)(岡山商工会議所西大寺支所)での山主(やまぬし)(僧侶)の検分により二組の取主(とりぬし)が福男(ふくおとこ)に認定された。 |
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その後、福男たちは宝木を携えて西大寺バスターミナルに赴き、御福頂戴(ごふくちょうだい)の福受式典(ふくうけしきてん)に出席。宝木は、山主により、牛玉(ごおう)封じののち厨子(ずし)に納められ、創立100周年の節目を迎えた祝主(いわいぬし)の両備グループに引き継がれた。 |
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【凡例】 ▲:上の画像の説明文 ▼:下の画像の説明文 〈画像の左クリック〉:別窓に拡大写真を表示 |
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このたび、Wa☆Daフォトギャラリー10周年記念として、満500歳の誕生日を迎える西大寺会陽を作品化しようと、祝主(いわいぬし)の両備グループにメールを送って取材を申し込んだところ、快くお受けいただき、「西大寺会陽奉賛会写真係」と表示された腕章をお借りして全面的な支援を受けることができた。 両備グループ公式サイト |
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資料 |
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そこで、前日から岡山に入り、JR岡山駅前のホテルを拠点として2泊3日の密着取材を敢行し、OLYMPUS E-30により1,230万画素 2,100枚 5.2GBの大量の画像を切り取ることができ、この感動巨編を完成することができた。 |
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JR |
播州赤穂線 |
西大寺駅ホームの案内板 |
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▲▼ 初日の2月19日(金)は、ホテルに荷物を預け、岡山駅からJR播州赤穂線で20分弱の西大寺駅に行き、そこから徒歩で実地踏査を行い、撮影計画を立てた。西大寺駅では、ホームの案内板に西大寺会陽の写真が使われていたが、この写真は、地元アマチュア写真家中井三郎さんの作品。 |
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現在、67,000人が暮らす西大寺の街は、かつては西大寺市として独立していたが、昭和44年(1969)に岡山市に編入合併され、平成21年(2009)に政令指定都市となったため、現在、岡山市東区西大寺という地名になり、岡山市の副都心になっている。岡山市を代表する企業である両備グループ50社や天満屋はこの地から生まれた。 |
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▼ 西大寺の街は、起伏の少ない平地にあり、北に備前富士と呼ばれる標高233mの芥子山(けしごやま)、南に児島湾(こじまわん)や瀬戸内海、東に吉井川(よしいがわ)、西に百間川(ひゃっけんがわ)がある。 |
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資料:岡山市・西大寺観光協会 |
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▲ 一級河川の吉井川は、「東の大川」とも呼ばれる岡山県の三大河川のひとつで、中国山地の標高1,252mの三国山(みくにやま)から端を発して岡山県東部を南流し、下流域では西大寺のほぼ中央部を流れて児島湾に注いでいる。西大寺は、吉井川の恵みを受けて早くから文化が開け、出雲と近畿を結ぶ交通の要路となり、高瀬舟*(たかせぶね)による水運を中心に古くから栄えた。 |
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*高瀬舟:川や浅海を帆走する船底の平らな木造和船で、岡山県下の水運として、鉄道が通じるまでは重要な交通路の役割を果たした。 |
高瀬舟といえば森鴎外の「高瀬舟」が有名だが、そちらの高瀬舟は、京都の高瀬川を上下する小舟である。江戸時代に京都の罪人が遠島(えんとう)を申し渡されると、親類が牢屋敷に呼び出されて、暇乞(いとまごい)を許されたあと、罪人は高瀬舟に乗せられて大坂へ送られた。 |
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「 |
西大寺会陽 |
五00周年はだかまつり」のポスター |
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資料:西大寺会陽奉賛会 |
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▼ 「西大寺会陽はだかまつり」が開かれる金陵山西大寺(きんりょうざん・さいだいじ)は、吉井川の西(右)岸にある高野山真言宗別格本山の古刹で、中国観音霊場第一番札所として知られる。西大寺と云った場合は、街を指すのか寺を指すのかが分からないため、寺を指すときは観音院と呼称するが、愛称のようなもので正式名ではない。 |
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資料 |
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▲▼ かつては吉井川につながる石門(せきもん)(現在の垢離取場(こりとりば))から上陸して参拝できるようになっていた。現在も残る立派な石鳥居は、参道の入口を示していたもので、神仏習合の文化が色濃く反映されていて興味深い。 |
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写真:西大寺会陽協賛会 |
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▲▼ 西大寺観音院の境内には、仁王門、三重塔、本堂、牛玉所殿(ごおうしょでん)などが建ち並ぶ。庫裡(くり)の入口に立つ鐘楼門には、朝鮮伝来の銅鐘(国指定重要文化財)がある。本堂には本尊・千手観音(せんじゅかんのん)が安置されている。 |
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資料:西大寺会陽協賛会 |
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▼ 下の資料は、岡山市・西大寺観光協会が作成した「会陽」と題するパンフレットから抜粋したもの。祭り当日は、裸(はだか)たちは必ず仁王門から入場し、番号順に所定のコースを巡回する。これを地元では地押(じおし)と呼び、本堂大床(ほんどうおおゆか)での宝木(しんぎ)争奪戦を本押(ほんおし)と呼んで区別している。 |
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資料:岡山市・西大寺観光協会 |
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男性の会陽参加者は褌一丁の裸形になるため「裸」と呼ばれ、参拝順路が定められている。 |
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(1)仁王門(におうもん)から入る。 |
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(2)石門(せきもん)をくぐる。 |
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(3)垢離取場(こりとりば)で水ごりを取る。 |
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(4)本堂大床(おおゆか)に上がって祈願する。 |
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(5)牛玉所権現(ごおうしょごんげん)に参拝する。 |
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(6)四本柱(しほんばしら)をくぐる。 |
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(7)再び本堂に参る。 |
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裸たちは順路を数度巡回する。近年、裸が練り合う場とされた四本柱で揉み合うことはなくなり、通過するだけになった。 |
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裸たちの本押は、本堂大床で行われ、御福窓(ごふくまど)から清水方(せいすいかた)が柄杓で水をまくため、堂内は湯気が立ち込める。 |
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ちなみに、観音院や観光協会、主催者の会陽奉賛会のいずれのパンフレットにも「地押(し)」と「本押(し)」の解説がない。これらは裸たちの間で頻繁に使われる用語であり、外来者は何のことか分からないので、是非パンフレットに掲載してほしい。 |
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二本の |
御福頂戴 |
の垂幕がかかる西大寺仁王門 |
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さいだいじ ごひゃくねんめの えようかな |
Saidaiji temple, the 500th anniversary of Eyo. |
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▲▼ 西大寺駅前から南に向かう広い道路をゆっくり歩いても10分ほどで西大寺観音院の仁王門に着く。はだかまつり当日の裸たちの順路に添って境内を巡り、撮影ポイントを確かめた。 |
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仁王門は、元文(げんぶん)5年(1740)に建てられたもので、中には赤い体躯の仁王像が門番として鋭い眼光を放っている。宝木(しんぎ)投下の2時間前の午後8時になると、事故防止の観点から一般参観者は境内から排除され、裸だけがこの仁王門から入場することが許される。 |
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▼ 仁王門から境内に入って直ぐ右(南)に延宝(えんぽう)6年(1674)に建てられた三重塔(さんじゅうのとう)が立つ。岡山県の重要文化財に指定されている。中には、大日如来が鎮座しているという。 |
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境内から見た |
仁王門 |
と |
三重塔 |
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▼ 三重塔を右に見て進むと、竜宮城を思わせる立派な石門(せきもん)がある。文政(ぶんせい)2年(1819)に建立されたもので、軒下に掲げられた扁額の寄進銘は、頼山陽(らいさんよう)の筆によるもの。 |
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垢離取場 |
の入口に建つ竜宮城のような |
石門 |
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▼ 石門の奥は、石鳥居が立つ垢離取場(こりとりば)となっている。奥には噴水の出る観音像が立っている。標準コースは、この観音像を反時計に廻って垢離を取るが、寒いのでひるんでしまうのか、鳥居のすぐ奥でUターンする裸もかなりいる。殆どが走り過ぎるだけなので、腰から下しか浸からない。ゆっくりと胸まで浸かって禊をするには、人が多すぎるため、走り過ぎてゆくようになったのかも知れない。 |
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石門 |
の奥の鳥居の立つ |
垢離取場 |
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▲▼ 寺宝の西大寺縁起絵巻を見ると、裸たちは吉井川で垢離を取って境内に入っていた様子が描かれている。鉄道が開通し、水運が廃れて以降、川からのアクセスがなくなり、今は岸辺に建設された道路により吉井川から完全に隔絶されているため、独立した石造りの垢離取場となっている。 |
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▼ 三重塔とともに岡山県の重要文化財に指定されている西大寺本堂は、文久(ぶんきゅう)3年(1863)に建立されたもので、庫裏(くり)と空中廊下で結ばれており、北側の内陣(ないじん)と南側の外陣(げじん)とに分かれている。外陣は、大床(おおゆか)と呼ばれ、当日は、裸たちによる宝木争奪戦(本押)が繰り広げられる。 |
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パノラマ写真(2500X1200)447KB |
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▲▼ 本堂の南、石門(せきもん)の東側に会陽の観覧席が設けられている。青いプラスチックの椅子席が1席5000円の特別観覧指定席で、約800席ある。西大寺会陽奉賛会(Tel 086-942-0101)に電話すれば、事前に代引きで指定席入場券を入手することができる。かなり早い段階で売り切れてしまうので、早めに手配する必要がある。 |
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なお、前の方は金網で視界が制限されるので注意が必要。チケット購入時に席を選ぶことができないので、写真撮影をしたいと伝えれば、空いていれば後ろの方の席を割り振ってくれる。私は最後列の「ぬ75」を購入していたが、両備グループから奉賛会写真係の腕章をお借りできたので、最後まで境内で撮影した。写真下は、「ぬ75」から撮影したものだが、これでも金網が視界を妨げている。 |
このほか、境内西側の三重搭と石門の間にも観覧席が設けられているが、特別観覧指定席はここしかない。 |
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▼ 本堂大床(ほんどうおおゆか)(外陣)は、内陣の本尊・千手観音菩薩(せんじゅかんのんぼさつ)の参拝所である。上を見上げると、祭り当日に宝木(しんぎ)を投下する御福窓(ごふくまど)がある。大床の右(東)側には、狩野永朝(かのうえいちょう)の描いた巨大な会陽絵馬が飾られている。汚損を防ぐため、アクリル板で覆われている。 |
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御福窓の下に白地に黒くアラビア数字が表示されており、漢数字でないのが奇異に見えるが、本押の際、負傷者の位置を示す警察・消防用の表示であるという。 |
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宝木 |
争奪戦が繰り広げられる本堂 |
大床 |
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外陣 |
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救出場所を示す番号 |
宝木が投下される御福窓 |
狩野永朝の会陽絵馬 |
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拡大写真(2000X1500)542KB |
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▼ 庫裏(くり)の東側に牛玉所殿(ごおうしょでん)があり、地元では牛玉所権現(ごおうしょごんげん)と呼んでいる。裸たちは、大床で本尊に祈願したあと、牛玉所殿に参拝する。ここには、会陽の守護神である牛玉所大権現と金比羅(こんぴら)大権現が祀られている。権現*は神道の神であり、先の石鳥居といい、見事なまでの神仏習合が見られる。牛玉所殿は明治13年(1880)に建立されたもので、現在、大修復中である。 |
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*権現(ごんげん):仏・菩薩が衆生を救うために種々の姿をとって権(かり)(仮)に現れること。また、その現れた権の姿。権化(ごんげ)。本地垂迹説(ほんじすいじゃくせつせつ)によると、仏が化身して日本の神として現れるという。 |
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樹齢250年余の |
楠 |
と修復中の |
牛玉所殿 |
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牛玉所権現 |
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拡大写真(1800X1270)372KB |
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素顔の |
牛玉所殿 |
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/ 2005年2月19日撮影 |
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拡大写真(1200x800)285KB |
撮影:ちばあきお |
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▼ 裸たちは、牛玉所権現の参拝後、本堂北側の本堂と庫裏を結ぶ空中廊下の下を通り、本堂の西側にある四本柱(しほんばしら)を通過し、再び本堂大床にお参りする。これを数度繰り返して地押を終える。 |
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拡大写真(1800X1350)379KB |
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