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▼ 午後7時前に仁王門から白装束の女性たちが入場してきたので、同行して撮影させてもらった。寺社で女性が垢離を取る際に用いる白衣の着物ではなく、晒布で胸を巻き、腰巻をつけたタンクトップのような格好をしており、初めて見る姿であるが、精一杯の裸スタイルということなのだろう。 |
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▲▼ 手には経文(きょうもん)を印刷した紙を持っており、読経(どきょう)をしながら地押(じおし)のコースを巡っているようである。宝木争奪戦は女人禁制だが、それ以外のステージで女性の進出がみられるのは、伝統の変質ではなく、伝統の創造であり、好ましいことだろう。 |
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西大寺高校生の垢離取り / 撮影:2005年2月19日
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撮影:ちばあきお |
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▼ 地元アマチュア写真家の中井さんから午後7時に林グループが仁王門から地押(じおし)に入るという情報を得ていたので、待機していたところ、時間通りに現れたので取材させていただいた。 |
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齋藤雅之さん↓ |
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↓中井三郎さん |
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▲▼ 中井さんは、例年、林グループと一緒に地押の裸参りに参加しており、このあと着替えて写真撮影に入った。 |
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▼ 林グループは、会陽冬花火が始まる午後7時に仁王門から入場した。子供たちが前に立ってスクラム行進し、後ろに少年はだか祭りで福男児となった重松龍大君が馬に乗って続く陣容で、威風堂々の繰り込みだった。本押に入ったときに正規の順路を廻るので、この地押では垢離取場には行かなかった。 |
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先導の子供たちの中に齋藤さんの長男・龍馬君や福男児・重松君の弟の顔が見える。龍馬君は父のお下がりの褌、重松君の弟は兄・龍大君のお下がりの褌を締めているようである。 |
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じじまごの はだかふんどし えようのひ |
The day of Festival Eyo, a grandfather and grandchildren naked with a loincloth. |
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KOBANに掲載された西大寺会陽の写真 |
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▲ このうち、「猛者たちの登場」「仁王門を凱旋する福男たち」が林グループを撮影した写真である。この年、林グループは、二年ぶりに樽井グループと共に宝木を獲得した。 |
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▼ 当時の解説文: 「午後11時17分、年期の入ったまわしを締め、険しい表情の集団が入ってきた。企業裸(きぎょうはだか)たちとは明らかに違うクールな雰囲気。全身から発する気迫に、見ているだけで圧倒される。宝木の獲得を目指す猛者たちの登場だ。」 |
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撮影:ちばあきお |
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▲▼ KOBANに林グループの写真が掲載されたことを齋藤さんにお伝えし、これを契機に本格的な交流が始まった。去年は齋藤さんから西大寺のホテルを斡旋していただいたが都合がつかず、今年、念願の取材が実現した。 |
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仁王門を凱旋する福男たち / 撮影:2005年2月19日
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福男(林グループ): 岡山市佐山 丹原 一二 玉野市長尾 林 大輔 岡山市関 柳本 浩行 (敬称略) |
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撮影:ちばあきお |
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▼ 当時の解説文: 「林グループは改めて本堂大床にあがり、御福窓を見上げ、ご本尊に向かい、宝木を賜ったことに何度も手を合わせて感謝の念を捧げた。最後に牛玉所権現に参拝してから解散。午前1時30分、全ての行事が終わった。」 |
このあと、祝主(いわいぬし)による御福頂戴(ごふくちょうだい)の福受式典(ふくうけしきてん)が行われるので、「全ての行事が終わった」というのは、無知による誤解であり、お詫びして訂正する。 |
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宝木を賜ったことを御本尊に感謝する林グループ / 撮影:2005年2月19日
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撮影:ちばあきお |
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▼ 当時の解説文: 「以前にお便りを頂いていた林グループの齋籐雅之さんにお祝いのmail をお送りしたところ、福男たち3人が宝木仮受所(西大寺商工会議所)の一升桝に宝木を立てた記念のショットをお送り頂いた。」 |
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柳本浩行さん(左) 林大輔さん(中) 丹原一二さん(右)
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写真提供:林グループ齋籐雅之 |
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天下の奇祭!西大寺会陽 は、平成17年(2005)2月19日(土)岡山市・西大寺観音院で行われたはだか祭りでちばあきおさんが宝木(しんぎ)争奪戦の一部始終を激写し、3月13日に「感動写真集第51集」として発表したもので全国の警察の防犯活動に一役買うことができ、思わぬ社会貢献となった。 |
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本堂 |
大床 |
に上がって観音様に祈願する林グループ 19:05 |
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林グループ会長の林昭二郎さん |
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齋藤雅之さんは、林グループの会員であると同時に、会陽グループの連合会である会陽奉納会の代表を務めている若手リーダーである。齋藤さんから頂いたお便りを再掲して、地元会陽グループの活動の一端を紹介する。 |
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斉藤雅之さんからのお便り |
「会陽奉納会は、林グループ、寺坂グループ、樽井グループ、庄司グループ、吉井グループ、木原グループ、児島グループ、西粟倉グループ、鳥取樗谿グループ、BJ会等で、平成12年(2000)に結成し、廃止になっている会陽の復活や明るい会陽をアピールして、多くの方に知ってもらおうと、会陽のデモストレーション(模擬会陽)を行っています。
また、子供達に会陽を通して郷土愛を深めてもらおうと、各地の子供会陽で、警備、まわしをまくボランティアをしています。その他、今年は西大寺観音院の本堂の清掃奉仕活動を行いました。各グループが協力して、会陽を後世に残して行こうと協力しています。
また、会陽の渦の中でこけている人や、倒れた人がいれば協力して助け、会陽が未来永劫存続出来るように微力ながら力を合わせています。」 |
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「会陽奉納会と地元の有志が中心となって、西大寺神輿会も結成しています。今年の西大寺の福男と一緒に西大寺の町中を担ぎます。総勢120名程です。
精進については、各グループで様々なしきたり等がありますが、私自身は、正月7日目の七草粥(ななくさがゆ)から精進に入ります。肉、魚、酒等をたちます。期間等は人それぞれいろいろあると思います。
まわし(会陽褌)については、氏神様と西大寺観音院で、正月がすぎて特別祈祷してもらいます。基本的に、自分を含め数人しかさわりません。神棚、仏壇に塩をもって清めて、毎日拝みます。相撲のまわしと同じ考え方であると思います。
余談ですが、地押し(じおし)という呼び方は、本来であれば西大寺会陽の前日3日間ほど西大寺会陽当日忙しくて本押しに参加出来ない人のためや地元の盛り上がりのため、現在会陽太鼓が披露される場所から宝筒を投下していました。その行事を地押しと呼んでいました。
現在でも、安養寺等では、会陽前日の夜に子供会陽を地押しとして行っています。西大寺では、会陽当日に子供会陽と大人会陽があり、かつての地押しがなくなったため、地元の人たちや祝い主たちが、宝木投下前に観音様に裸でお参りに行くのを地押しと呼ぶようになりました。実際に押すわけではないのに地押しと言うのは正確には違うのかもしれません。」 |
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齋藤さんらの素晴らしい活動を詳しく報道した記事があるので、紹介する。
はだか列伝 西大寺会陽500年 |
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本堂北の |
庫裡 |
への渡り廊下を通過 19:09 |
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「現在の会陽の実態ですが、平成19年3月に岡山県の会陽の習俗について岡山県文化財保護協会が中心となって会陽の記録保存が行われました。その結果、岡山県で現行13箇所、中止・廃絶が90箇所、合計103箇所で会陽が確認され、総合調査報告書として出版されました。
また、今年の1月31日には、慈眼院で、福引き会陽として120年ぶりに会陽が復活し、私達会陽奉納会も、デモンストレーションを奉納させていただきました。
上記の他に、香川県や広島県でも数箇所確認されていますので、100箇所以上の会陽があったのは事実であると思います。岡山県庁の中の文化財課が調べています。私達も一緒に協力しています。」 |
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通過するだけとなった |
四本柱 |
で記念撮影 19:10 |
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▼ 林グループの取材と会陽冬花火とが重なったため、花火をじっくりと撮影する余裕がなくなった。写真下は、平成17年(2005)にちばさんが境内西側の観覧席から撮影したもの。 |
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境内から見た会陽冬花火 / 撮影:2005年2月19日
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撮影:ちばあきお |
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▼ 警備員に聞くと、境内からも見えるということだったが、ハワイのホテルのオーシャンビューと同じで、部分的に見えるということであって、美しい花火を鑑賞するには土手に上がる必要がある。 |
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吉井川 |
南岸から見た |
会陽冬花火 |
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撮影:大森保武 |
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▼ 会陽のパンフレットに本堂や三重塔の上に花火が写っている写真があるが、これは中井さんが西大寺商工会議所の2階から撮影したもので、一般客は撮影することができない。 |
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大輪 |
の見事な |
会陽冬花火 |
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撮影:大森保武 |
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たいりんの えようはなびや よしいがわ |
Yoshii River, Eyo fireworks of gigantic flowers. |
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▼ 午後7時に始まった会陽冬花火は、会陽冬花火実行委員会の主催によるもので、冬空に大輪の花が次々と咲き乱れ、特に吉井川に映る姿は素晴らしく、多くの観客を魅了した。花火を見上げる人々で土手は足の踏み場もなかったが、何とか人垣の前に出してもらって撮影に成功した午後7時半頃、花火は打ち止めになった。 |
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吉井川 |
に映える |
会陽冬花火 |
19:27 |
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▲▼ 西大寺観音院西方の門前町商店街には、大型のテントを展張した仮設食堂があり、大勢の来客で賑わっていた。観光客や会陽に参加しようとやってきた外来者にとっては、商店街の対応が万全で、飲食物やトイレなど何一つ不自由することはなかった。 |
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