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▲▼ 今回のお目当ての会陽関連の資料は、会陽の解説とともに倉の奥の棚に整理されて、陳列されていた。有り難いことに、写真撮影のためにガラス戸を外して頂いた。 |
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会陽とは「太陽のように明るく恵み深い春の心にめぐり会う」という意味であるとするのが一般的であるが、なぜ宝木争奪戦を会陽というようになったのかは、良く分かっていない。会陽は、福奪(ふくばい)ともいい、一年の福を奪い合う真言宗の行事で、西大寺以外の寺でも行われている。しかし、西大寺観音院では、福は奪い合うものではなく、授かるものであるとしているので、福奪という言葉は、敬遠されている。 |
会陽は、俳句の季語(旧正月、現在は二月)になっており、俳句で会陽という場合は西大寺の会陽を意味する。 |
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▲▼ 何といっても第1級の資料は、現存する最古の宝木(しんぎ)で、今から150年前の安政6年(1859)に開催された350回目の会陽のもの。江戸幕府が神奈川、長崎などを開港した年で、祝主は柿屋平左衛門。現在は、地元にお住いの平松明さんが所有されている。 |
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▲▼ 江戸時代の宝木を最古として、明治から昭和にかけてつくられたものが木箱に収められて展示されていた。江戸時代の箱蓋には、「御牛玉真木」と墨書されており、当時は、宝木を真木と書いていたことが分かる。 |
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▲▼ 明治に入ると、「御福箱」や「御福寳木」「寳木」などと表示され、この頃には宝木と書くようになっている。昭和に入ると、宝木は現在と同じように円筒形の厨子に収められ、観音開きの扉の内側に青い体躯の不動明王と毘沙門天が描かれるようになった。 |
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その理由を西大寺の僧侶に聞いたところ、牛玉所殿には、会陽の守護神である牛玉所大権現と金比羅大権現が祀られているが、本地垂迹説(ほんじすいじゃくせつ)により、不動明王と毘沙門天が金比羅大権現という神様の姿を借りているので、厨子に納められている宝木は、それを包む牛玉紙の牛玉所大権現と扉の金比羅大権現に守られているということであった。 |
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間違った寺紋↓ |
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↓正しい寺紋 |
間違った寺紋↓ |
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↓正しい寺紋 |
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▲ 厨子の上部の青地に金色の寺紋が二つ表示されているが、厨子の注文の際に京都の仏師に細かく指示していなかったらしく、この輪の重なり具合がまちまちである。向かって右の輪が左の輪の上から下に鎖状に連結されているものが西大寺の正しい輪違紋(わちがいもん)である。 |
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西大寺の御本尊の千手観音は、奈良県桜井市の長谷寺(はせでら)で開眼供養を受け、長谷寺の光を受けていることから、寺紋も長谷寺の寺紋と同じ輪違紋にしているという。 |
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▼ 宝木の福を分け与えるため、宝木の投下前に串牛玉(くしご)100組が本堂御福窓から大床に投下される。写真下のように、串牛玉は、割木の束を牛玉紙で包んだものである。 |
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▼ もう一つの見所が明治10年(1877)に狩野永朝(かのうえいちょう)の描いた奉納絵馬「西大寺会陽図」(複写)である。実物は、今も西大寺本堂外陣(げじん)東側の天井下部に掲示されているが、アクリル板に覆われていてよく見えないので、資料館で展示されているものを撮影させて頂いた。若干剥離している部分があるが、明治期の会陽の様子が細かく鮮明に描かれた名作で、岡山市により重要文化財に指定されている。 |
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狩野永朝 |
絵馬 西大寺会陽図 明治10年(1877) 岡山市指定重要文化財 |
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えまかたる えようのねっき ごひゃくねん |
The votive picture expressing
the enthusiasm of Festival Eyo for five hundred years. |
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本堂外陣1番の位置にある本物はカバーがかかっていてよく見えない
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▼ 西大寺観音院の北東約300mの吉井川西岸に「少年はだかまつり」の会場となる岡山市西大寺市民会館がある。岡山市東部地域の文化拠点として、昭和46年(1981)に開館した。 |
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▼ 観音院の北側には、戦災を免れた古い民家が建ち並ぶ五福通りがある。一見洋館風の建物は、看板建築と呼ばれ、昭和初期に道路拡張のために軒切りをした際に、表面だけを囲って洋風にしているもので、中の建物は江戸や明治時代のものという。表面だけ洋風建築となっていることから看板建築と呼ばれている。 |
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▼ 五福通りの一角に五福座という看板の店があり、会陽のポスターなどが貼られていた。調べてみると、西大寺井戸端会議という地域グループがその活動拠点として、平成9年(1997)に内装をリニューアルして開店したもので、有料でコンサート、講演会、展示会などに利用されているという。 |
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▼ 仁王門の入口で西大寺会陽に使う褌や白足袋が売られていた。地元では褌といわず、まわしと呼んでいる。観音院で除災招福の加持祈祷を受け、朱印が捺された会陽褌は、1反10mの白晒木綿である。ロール状にしてあるので、直ぐに締め込むことができる。 |
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まわしとして売られているものは、普段は妊婦の腹帯として使われる晒木綿と同じものである。西大寺会陽では横褌(よこみつ)を何重にも重ねて前垂れ式に締める。会陽で締めた褌を妊婦の腹帯に使うと安産になるといわれ、今でも実践されているという。 |
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▲▼ 西大寺会陽の装束は、褌と座敷用の白足袋に統一されている。会陽では地下足袋は禁止されており、境内では鉢巻を外さなければならない。地下足袋は無防備な裸を怪我させる恐れがあり、鉢巻を外すのは、外れて散乱するのを避けるためだろう。 |
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▼ 観音院西側の門前町商店街で上級者用の本まわし(ほんまわし)が売られていた。キャンバス製のやや厚手のもので、相撲褌として使われるものである。使い込まないと股ずれを起こすので、初心者はまわしを選ぶ方が無難である。こちらの店は、まわしは反物のままで、加持祈祷を受けたものではなさそうだった。どうせ買うなら朱印のあるものを選びたい。 |
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▼ 同じ通りに外来者用の着物預り所があった。コネを持たない外来者でも褌と足袋を身につければ、「はだか」として会陽に参加できることから、このような臨時の施設が設けられている。まわしと足袋が各1000円、着物の預かり料1000円が相場なので、3000円出せば、誰でも西大寺会陽に参加できる。 |
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主催者の西大寺会陽奉賛会の説明:「衣服を脱いで、ふんどし姿になって境内に入れば参加できます。自分の身を守るために、事前に登録をして、ふんどし内に、氏名・緊急連絡先・血液型とうの記入したものを入れて参加ください。また、お酒を飲んでいる人、入れ墨をした人、座敷用の足袋以外の履物を履いている人は参加できません。宝木争奪中の怪我などには、主催者は責任を負いません。ふんどし・座敷用の足袋は西大寺観音院周辺の商店街で販売しており、着替えも有料の荷物預かり所で着替えることができます。ただし、少年はだか祭りは(社)西大寺青年会議所(岡山商工会議所西大寺支所内)へ申し込みが必要です。」 |
会陽奉賛会の説明では、「まわし」を「ふんどし」と表記している。「まわし」では相撲褌のまわしを連想するので、「ふんどし」と言った方が良く分かる。 |
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▼ 仁王門の南西数10mに岡山商工会議所西大寺支所がある。地元では西大寺商工会議所と呼んでいるが、会陽当日は、宝木仮受所(しんぎかりうけしょ)が置かれ、取主(とりぬし)はここに宝木を持込み、山主の検分ののち福男の認定を受ける。 |
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宝木仮受所 |
となる西大寺商工会議所(岡山商工会議所西大寺支所) |
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資料 |
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▲▼ 今年の福男たちは、宝木仮受所から上図の福男凱旋パレードのコースを歩いて今年の祝主である両備グループの福受会場(ふくうけかいじょう)に向かうことになる。あらかじめ中井さんに教えてもらっていたので、このコースをたどって西大寺バスセンターに行った。 |
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祝主・両備グループの |
御福頂戴 |
会場/西大寺バスセンター |
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▲▼ 西大寺バスセンターの南側に両備西大寺バスターミナルがあり、仁王門と同じ御福頂戴(ごふくちょうだい)と表示された垂幕がかかっていた。石段をあがって二階に行くと、御福頂戴の式典が行われる会場がある。 |
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御福は、普通「おふく」と読むが、西大寺ではあえて「ごふく」と読んで五福にかけ、福男から宝木(しんぎ)を頂戴して、五福(長寿・財運・無病・積徳・天命成就)を授かりたいという願いが込められている。 |
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▼ バスターミナルの二階には西鉄記念ホールという洒落た講堂があり、西大寺会陽福受会場と表示されていた。 |
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西大寺会陽福受会場になった西鉄記念ホール/両備西大寺バスターミナル2階
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▼ 中井さんに案内されて岡山駅北側の岡山市デジタルミュージアムに行った。中井さんの紹介で、飯島章仁さんから説明を受けた。西大寺会陽の展示入口には、西大寺文化資料館にあった狩野永朝(かのうえいちょう)の絵馬「西大寺会陽図」(複写)が掲げられていたが、別の特別展が催されていて、会陽の展示品は少なかった。 |
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目を引いたのが、床に描かれた実物大の「命をかけた足形」である。60cm四方の広さに12人の足形があった。計算すると、60×60÷12=300 となり、1人の立つ面積は300cm2になる。一升枡(いっしょうます)の広さは一尺五分(約31.82cm)四方なので、31.82×31.82÷300=3.375 となり、本堂大床では、一升桝に3人強が立っていることになる。信じられないほどの過密である。 |
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▼ ここにも厨子に入った宝木(しんぎ)が展示されていた。観音院や西大寺文化資料館で見たものと同じ昭和期以降のものだが、寺紋のデザインが気になった。向かって右側が正しく、左側は間違っている。 |
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