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▲▼ 宝餅は、ビニール袋に入った紅白の餅で、子供たち全員が取れるように人数の倍近い量が用意されている。 |
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▲▼ 続いて3・4年生の五福筒争奪隊が青鉢巻を褌の中にしまってから競技場に入ると、役員から木製の五福筒(ごふくづつ)10本が投げられた。皮膚の摩擦で怪我をしないよう、寺の職員・清水方(せいすいかた)が柄杓(ひしゃく)で水をかけていた。 |
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▲▼ 五福筒を取った子は、争奪戦から離脱し、取主7人を確認することができた。一人1本にして、なるべく多くの子が手に出来るよう配慮しているようだった。福男児たちは、誇らしげに五福筒をかざして見せていた。 |
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少年はだか祭りのメインイベントは、2本の宝筒争奪戦である。五福筒争奪戦のあと、既に赤鉢巻を褌に収めた宝筒争奪隊の5・6年生が入場してきた。最初は、枝宝筒(えだたからづつ)争奪戦で、紅白幕の壇上から枝宝筒が7本ほど投げられた。 |
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▼ 午後4時半、坪井全広住職が紅白の壇上に姿を現した。両手で持つ白いものは、2本の宝筒(たからづつ)を牛玉紙(ごおうし)に包んだもので、御福窓(ごふくまど)から2本の宝木(しんぎ)を投下するのと全く同じやり方である。 |
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▼ 観衆が固唾を飲んで見守るなか、午後4時31分18秒に2本一束の宝筒が住職の手を離れて子供たちの頭上に投下され、フィナーレを迎えた。 |
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坪井全広住職による2本の |
宝筒 |
投下! 16:31:18 |
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たからづつ おしあいへしあい えようのこ |
Children of Festival Eyo, push and shove for Takarazutsu amulets. |
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▲▼ 投下後、連続撮影した画像を見ると、何と14秒で宝筒の取主(とりぬし)が役員に手にしたものを見せている。信じられないほどの早業で決着がつき、観衆や子供たちはあっけにとられていた。 |
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▼ 2本の宝筒とも重松龍大(しげまつりゅうだい)君(12歳 岡山市立太伯(たいはく)小学校6年生)が手にしていた。その5分後には、両手に宝筒を持ち、一升桝に山盛りになった米に突き立て、福男児(ふくだんじ)となった重松君の笑顔があった。 |
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2本の宝筒とも |
重松龍大 |
君(12歳 太伯小6年生)の手に! 16:36 |
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▼ 重松君は、梵字に「修観世音秘供」と墨書された大きな御札を持つ少年はだか祭り実行委員長の先導のもと、所属している林グループの先輩たちの馬に乗り、西大寺市民会館へ向かった。 |
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西大寺市民会館へ |
凱旋 |
する重松龍大君 16:39 |
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↓齋藤雅之さん |
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▲▼ 重松君の右隣りに、林グループのメンバーで西大寺会陽の若手リーダーを務める齋藤雅之さんの姿があった。以前からメールを交換している方で、彼の情報によると、重松君は既に松林寺、金山寺、安養寺の福男児になっており、西大寺会陽を支える立派な若手リーダーに育ってゆくことが期待されている。重松君が本まわしを締めているのは伊達ではなく、大人に混じって日々鍛錬している証(あかし)であることが分かった。 |
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1人で2本の宝筒を取って |
福男児 |
となった重松龍大君(12歳 太伯小6年生)/西大寺市民会館 16:56 |
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▲▼ 西大寺市民会館で、福男児の表彰式とお披露目が行われた。重松君は、福男児の幟に囲まれて、再度、一升桝の米に宝筒を突き立て、晴れ姿を大勢のマスコミに披露したあと、実行委員長から表彰状と記念品を受け取った。 |
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少年はだか祭り実行委員会のホームページには、歴代宝筒取主の氏名・学年・学校名が記載されている。一人で2本の宝筒を取ったのは、1991年、2001年、2007年の三回あり、今回で4度目である。宝木(しんぎ)同様、2本束ねて投下されるので、運が良ければ2本とも手にするケースが生まれるのだろう。 |
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西大寺副住職により |
牛玉寳印 |
の授与 |
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▲▼ 福男児は、西大寺副住職から額に入った牛玉(ごおう)を授かったあと、家族と記念写真を撮り、大勢のカメラマンの注文にポーズをとって応えていた。インタビューによると、祭りには5回目の参加で、普段から相撲などスポーツに取り組み、今回は友人と一緒に宝筒を取る練習をしたという。この日は彼にとって人生最良の日となった。 |
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