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海中禊 2010.1.15
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▼ 午前11時50分、白褌(びゃっこん)に白頭巾を被り吐錠(とじょう)の白布をくわえた行修者たちは、向かって左から「別当」「稲荷」「山の神」「弁財天」の順に御神体を抱いて「みそぎ浜」に整列した。別当は、主祭神である玉依姫命のひときわ大きな木像を抱えている。大勢の見物客が見守る中で、いよいよ祭のクライマックスである「海中みそぎ」が始まった。 |
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ご神体を抱いて整列した4人の |
行修者 |
2010.1.15 |
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▼ 四人の行修者は、「えい!」と一声(ひとこえ)気合いを入れ、ご神体を抱きながら身も凍りつくほどの厳冬の海へ一斉に飛び込んでいった。豊漁豊作を願う崇高な祈りは、クライマックスを迎え、マスコミの取材陣が浜辺と船上から彼らの泳ぎを追った。 |
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▼ 取材陣を乗せた第五昭宝丸の船首部にエジプト考古学者の吉村作治サイバー大学学長の姿があった。2月14日(日)午後4時からHBC北海道放送で1時間放映される「日本の祭り/寒中みそぎ祭り」の番組コメンテイターとして出演するための取材である。 |
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エジプト考古学者の吉村作治サイバー大学学長↓ |
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▲▼ 4人の行修者たちは、横一線になって波打際から約10mの沖合までご神体を抱いて泳いで行き、一端引き返したあと、再度、沖へ行ってまた引き返し、足のつくところまで戻ってきた。 |
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しごしんの うみのみそぎや かんのなか |
Midwinter season, the ablutions of four guardian deities at sea. |
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弁財天 |
山の神 |
稲荷 |
別当 |
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▼ 津軽海峡西部は、対馬暖流が流れ込んでいるため冬でも比較的暖かく、流氷が押し寄せるオホーツク海のように凍結することはない。氷点下の外気温に比べれば、むしろ海中にいた方が楽であることは確かで、彼らの余裕の表情がそれを証明している。しかし、寒いことには変わりが無く、長丁場になればなるほど寒さで体温が低下し、やがては低体温症の危険ゾーンに近づく。 |
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
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▲▼ 行修者たちは、二度沖まで泳いで往復した後、腰下くらいの深さのところで円陣を組み、その中央に御神体を浮かべると、一斉に勢いよく海水をかけて、御神体のみそぎを行った。 |
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
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
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▲▼ 別当は御神体のみそぎが終わると、竹竿に結んだ注連縄を受け取り、一人で沖へ泳いで行き、「これで今年のみそぎ祭を無事に納めさせていただきます。」と述べた後、沖に向かって注連縄を放ち、柏手(かしわで)を打った。 |
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御神体を稲荷に託して沖に向かう別当 |
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▼ 別当が浜に戻ってきたところで、沖に向かって横一列に並び、御神体を前にして、全員そろって祈りを捧げた。 |
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かんごりや よにんぎょうじゃの こんのしろ |
Winter ablution, white of the loincloths of four ascetics. |
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御神体を前に合掌する |
行修者 |
たち |
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
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▼ お清めが終わったあと、4人の行修者たちは、砂浜に上がり、それぞれのご神体を真新しい晒布に包み直し、みそぎ浜での神事を終えた。 |
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お清めが終わったご神体を真新しい晒布でお包みし直す
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▼ 晴れて長丁場の「海中みそぎ」を無事に終えた行修者は、手足が痺(しび)れているようで、自ら草履(ぞうり)を履くことができず、先輩に履かせてもらって陸(おか)に上がった。写真中央は、山の神を抱く行修者。手も麻痺しているようで、握りしめたまま、御神体を抱えている姿が痛ましい。 |
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「みそぎ」を終えた行修者を讃える参拝者の惜しみない拍手と歓声が鳴りやまず、行修者に対する深い尊敬と感謝の念が感じられた。 |
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▼ 海中みそぎが終わった後、行修者たちは、「みそぎ浜」の近くに設けられたみそぎ斎場にあがり、衆目の中で、真水で身体を清める「水ごり」を披露した。最初に、写真下のように別当以外の3名が肩を組み水を被ったあと、一人ずつ「水ごり」を取り、最後は、別当自らが何杯も冷水を浴びて「水ごり」を締めくくった。 |
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浜のみそぎの最後に、参拝者にもご利益(ごりやく)があるようにと、観衆の頭上に冷水がばらまかれた。かけられる側は冷たくても縁起がいいので怒り出す者はいなかった。 |
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▼ 「みそぎ浜」での一連の神事を無事に終えた行修者たちは、それぞれご神体を抱き、一旦控え所に立ち寄ったあと、佐女川神社に戻り、境内のみそぎ斎場で最後の「水ごり」を取った。その後、神社本殿で本祭が行われ、つつがなく祭祀を終えたことを報告。松前神楽を厳かに舞ったあと、3日間のすべての行事が終了した。 |
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「みそぎ」はご神体を清めるだけでなく、行修者である若者自身が極寒の自然の中に身を晒し、心身を鍛える試練であり、この修行を終えた若者たちは、人間的にも一段と大きく成長するという。 |
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▼ 木古内町は、咸臨丸が静かに眠る町でもある。オランダで建造された咸臨丸は、万延元年(1860)勝海舟が艦長として乗船し、日米修好通商条約の批准書を交換するため、遣米使節団一行を乗せたアメリカ軍艦ポーハタン号の随行船として、日本船として初めて太平洋を横断した。 |
明治4年(1871)、江戸幕府が保有していた軍艦・咸臨丸がこの沖合で沈没した。このため、「咸臨丸終焉の碑」や咸臨丸のモニュメントが建てられている。 |
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
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米国から帰還した咸臨丸は、江戸幕府の下で小笠原諸島の探索などを行ったが、明治維新の動乱期の慶應4年(1868)、榎本武揚の指揮で品川沖を出帆し、北海道を目指したが、暴風に遭い、千葉県銚子沖で遭難して下田港に漂着した。その後清水港で修理をしていたが、新政府軍艦隊に捕らえられ、その後は明治政府の北海道開拓移民の輸送船として活躍した。 |
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明治4年(1871)9月19日(旧暦)、仙台藩の白石にあった片倉小十郎一族401名を北海道へ移住させる目的で仙台の寒風沢(さぶさわ)を出港、一旦箱館に寄港したあと小樽に向かう途中の9月20日、木古内町サラキ岬沖で岩礁に乗り上げて座礁し、数日後に破船沈没した。幸い、地元の人々の懸命な救助により、乗船者は全員難を逃れたが、数日後に1名が死亡し、近隣の大泉寺に葬送された。 |
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案内板の示す先(右方)に咸臨丸が沈んだ海域がある。 |

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▼ 咸臨丸が眠っている木古内町サラキ岬には、咸臨丸の偉業を讃え、その功績を後世に伝えるため「咸臨丸終焉の碑」が立てられ、咸臨丸子孫の会による「咸臨丸に捧げる詩」が飾られている。この詩の裏面には、仙台白石片倉十郎家臣団401名の氏名が記され、栄光と悲劇の軌跡をたどった咸臨丸の歴史を訪れる人々に語り続けている。 |
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札幌市白石区は、咸臨丸最後の乗船者が過酷な歴史の中で幾多の苦難を乗り越えて礎を築いたところである。 |
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サラキ岬は、かつては石と砂しかないような場所であったが、咸臨丸の生まれ故郷であるオランダからチューリップが寄贈されたことをきっかけに、平成15年(2003)から住民が主体となって花壇の整備が進められ、毎年5月に「サラキ岬チューリップフェア」が開催され、チューリップ約80種5万球が咲き誇る憩いの場所となっている。 |
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
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住居:宮崎県日南市 |
趣味:パソコン(インターネット)、温泉巡り、スキー |
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感 想
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2009年4月に第2の人生を故郷函館でスタートし、改めて郷土の歴史的建造物と伝統芸能にスポットをあて、全国の和田フォトファンの皆様に紹介したいと意気込んでいましたが、なかなか写真を撮るまでの余裕が持てずにいたところでした。
そんな中、以前から興味のあった木古内町の「寒中みそぎ祭り」を取材することができました。この「寒中みそぎ祭り」は、厳寒期における北限の「みそぎ」として道内はもとより国内に広く知られているところですが、TVニュースで放映される映像は、行修者が勢いよく海に飛び込んでいく最終日のものがほとんどであり、その全容はあまり知られていませんでした。
最終日に行われる「海中みそぎ」は、もちろん迫力満点ではありますが、本番の前に行う一連の鍛錬こそ、本当に辛く厳しいものでありました。行修者は、3日間で数百回の冷水をかぶりますが、特に夜間の冷え込みが一段と厳しく、見ている方が震える中で行われる水ごりは圧巻で、まさに命をかけて行う神事です。
また、寒風の中、冷水をかぶった後の濡れた体のままで他者の水ごりを仁王立ちで見守ることや、行修者の水ごりが一巡した後、ゆっくりと階段を上り、神殿に入れてもらえず戻ってきてはまた水ごりを行う姿には感動を禁じ得ません。
参拝者は、このような若者たちの厳しい修行に対する真摯な姿から多くの感動を貰い、神社境内には彼らを称える惜しみない拍手が響き渡っていました。
取材にあたり寒さ対策は十分したつもりでしたが、手袋はカメラ操作のため指先の出るものを使用せざるをえず、指先が北海道弁でいう「なまらしばれる」感覚となりましたが、他の参拝者同様、私も彼らから寒さを吹き飛ばすような素晴らしい感動をもらい、新年早々本当に清々しい気持ちになりました。
「寒中みそぎ祭り」には、多くの年少者が様々な形で携わっていますので、これからも良き伝統を守り受け継がれていくことを確信した3日間でした。 |

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謝 辞 |
最後に、佐女川神社野村広章宮司様、木古内町観光協会伊藤光雄様、多田賢淳様はじめ、「寒中みそぎ祭り」を支えておられる皆様方のご協力を得て、この作品が完結したことを心から御礼申し上げます。有り難うございました。 |
【取材】木古内町観光協会 【参考資料文献】 図説函館・渡島・檜山の歴史(株式会社 郷土出版社)、まつりと民俗芸能(北の生活文庫企画編集会議編 北海道新聞社)、フリー百科事典ウキペディア |
★☆★彡 |
感動写真集〈 第134集 〉「木古内寒中みそぎ祭」 |
撮影・原作:上平 明
監修: 和田義男 |
平成22年(2010)2月10日 作品:第6作 画像:(大69+小13) 頁数:5 ファイル数:166 ファイル容量:36.9MB
平成12年(2000)〜平成22年(2010) 作品数:354 頁数:1,333 ファイル数:55,349 ファイル容量:7,889MB |
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さんろうの いろりをかこむ よんぎょうじゃ |
Four ascetics confining in a shrine, sitting around the fireplace. |
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【編集子が選ぶ名作】 |
囲炉裏の炭火で暖を取る4人の |
行修者 |
たち |
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
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感動写真集同人の上平明さんは、2007年9月に「日向の師走祭」を発表後、しばらく沈黙されていたが、2009年4月、函館に本拠を構えられて間もなくニコンD300を購入され、本日、2年半ぶり第6作となる感動大作「木古内寒中みそぎ祭」が完成した。 |
筆者は2009年7月の銀座講演会で「写真はカメラが写すもの」と云ったが、最新技術により完成した1220万画素のデジカメは、画面の隅々までシャープに描写しており、上平さんの感性とあいまって、internetの常識を破る巨大な写真を多用した「木古内寒中みそぎ祭」の決定版を創ることができた。上平さんの前作とはまるで印象が違う画期的な作品で、読者の皆様に心ゆくまで美しい画像を堪能して頂けると思う。今回、BGMの「みそぎ太鼓」を主催者の木古内町観光協会から提供して頂き、臨場感あふれる作品ができあがったことも特筆したい。 |
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 |
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木古内町の「寒中みそぎ祭」は、知る人ぞ知る有名な裸祭で、何とか取材できないものかと長い間温めていたテーマだったが、このたび、上平さんが佐女川神社と木古内町観光協会の全面的な支援のもとに3日間に及ぶ密着取材を敢行され、遂にその全貌を発表することが出来たことは、大変光栄に思う。九州支店長の清原浩さんに続き、上平さんには、北海道支店長をお願いし、これを嚆矢としてWa☆Daフォトギャラリーから北海道の醍醐味を全世界に発信して頂きたい。 |
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かんみそぎ しぶきにしむる しろふどし |
Midwinter ablutions, the
white
loincloth being frozen by the splash. |
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【編集子が選ぶ名作】 二回目のみそぎ |

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極寒北限の寒中禊 |
「木古内寒中みそぎ祭」は、僅か4人の若者が3日間寒中禊を行い、最終日に津軽海峡で海中禊をするというとても簡素で小さな神事が、180年という歴史の重みと、木古内町上げての取組みにより、見る者誰しもが感動を禁じ得ない素晴らしい冬祭であり、その完成度の高さは、驚くほどである。 |
七福神の中でただ一人女性の神である弁財天(べざいてん)を務めた行修者は、初心者で普通の高校生であることに驚く。筆者も東京都中央区の鉄砲洲稲荷神社で寒中水浴を経験しているが、水の冷たさには思わず顔をしかめてしまうものだが、新人とは思えないほど立派な態度だった。1月の極寒の北海道で4人の若者が平然と冷水を被り、終始仏のような穏やかな表情を浮かべ、まるでプロの修業僧のように粛々と寒中みそぎを完遂する姿は、未だに信じられないほど素晴らしく、見る人全てに元気と感動を分け与えてくれた。 |
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彼らの衣装も申し分ない。みそぎ褌は、白の前袋式六尺褌(水褌)であるが、何枚も重ね締めをして衣装の乱れを防いでおり、締め方も基本に忠実で美しい。読者は、神社境内での「みそぎ」では、鼻緒が紅白の草履を使用していたが、みそぎ浜での本番は、白い鼻緒の草履だったことにお気付きだろうか。このようなきめ細やかなこだわりは、180年の伝統の重みであると同時に、先祖から受け継いだ文化を変質させることなく受け継いでゆこうとする決意の表れであり、そのセンスの良さが光っている。長老たちの一文字笠、裃、雪下駄も素晴ら |
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しい文化で、江戸時代から抜け出して来たような光景が現出された。 |
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「木古内寒中みそぎ祭」は、木古内町の無形民俗文化財に指定されているが、道や国レベルの文化財としての価値が十分にあると思われる。是非、申請して認定を得て欲しいと思う。 |
最後に、「伝統の神事が町おこしのための観光資源として、見せ物になっている」との指摘があることについては、筆者は、有形・無形の文化財を変質させることなく後世に伝えてゆけるのであれば、町おこしや村おこしのために積極的に活用することは、地域住民の伝統文化への認識や連帯感を深め、商目的を超えた文化交流の輪が広がる効果が大きいので、大歓迎であることを付記したい。 |
平成22年(2010)2月10日 監修 和田義男 |
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ゆきげたや みそぎぎょうれつ いちもんじ |
Snow geta clogs, a procession for ablutions making a bee line together. |
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【編集子が選ぶ名作】 みそぎ行列を出迎えるかわいい町民たち |

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