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2021年4月26日改訂
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♪埴生の宿メドレー 尺八:日當鶴山
旅と写真は元気の泉

感動の裸祭CD完成!

 

春迎ふつつこ練なり白ふどし  北舟

 

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Getting more like spring,
Tsutsuko lifting wearing a white loincloth.

2000年7月16日開設

「つつこ」を落とす

保原つつこ引祭

「つつこ」を落とす/保原四丁目交差点(福島県伊達市)

2021年の日記 〈3-4月〉
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「徒然日記」目次


2021年4月26日(月)晴

■■■ 塩船観音の躑躅  ■■■ 

▼ 鐵砲洲寒中水浴に和田グループから参加されている浅草出身の江戸っ子・和久井哲男さんと着物姿で塩船観音寺(東京都青梅市)に出かけた。このお寺は、関東では躑躅で知られる古刹で、本堂は重要無形文化財に指定されている。

写真は、入口の山門での一枚。平日でも観光客が多く、人が一人も入っていない写真を撮ってもらったのは、和久井さんの腕前のお陰である。

この日は、初夏のような陽気で、大島紬の単衣の薄手。黄色の角帯を選び、貝の口に締めている。4mほどある角帯は、締込み褌や相撲の廻しと同じ要領で右から左に三回巻き締め、後は二重結びをするだけなので、意外と手軽に締められる。

撮影:2021.04.22 和久井哲男 OLYMPUS OM-D E-M1 MarkII
山門前の和田爺

山門前の和田爺

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▼ 和久井さんは、着物の会に入っておられるだけあって、身についた自然の着こなしが半端でない。この日は、初夏の直射日光の下で、羽織の盛装で、二人だけの着物撮影会に来て頂いた。カラフルな羽織紐は、ご友人から頂いたという天然石の一点もの。

和久井さんは、私よりもひとまわり高齢の江戸っ子だが、まだまだお元気で、来年、津屋崎祗園山笠が催行された暁には、和田グループに参加したいと、今から楽しみにしておられる。山笠の締込み褌を是非一度体験したいのだという。(^-^)
着物のよく似合う和久井さん(86歳)と

着物のよく似合う和久井さん(86歳)と

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▼ 本堂のそばの藁葺きの小さな鐘楼。古いものだが、彩色が美しい。

撮影:2021.04.22 和久井哲男 OLYMPUS OM-D E-M1 MarkII
鐘楼と和田爺

鐘楼と和田爺

拡大写真(1800X2400)1.22MB

▼ 晴天の光線がきつく、景色は最高だが、人物は陰影が強く、上手く撮れない。プロのロケならレフ板で顔の陰影を押さえるところだ。「ポートレートを撮るには曇り空が一番」ということがよく分かる。

撮影:2021.04.22 和久井哲男 OLYMPUS OM-D E-M1 MarkII
塩舟観音寺の躑躅

塩舟観音寺の躑躅

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2021年4月1日(木)晴

★彡 四月の裸褌祭★彡

 
靖國奉納大相撲
靖國神社
東京都千代田区九段
平成21年(2009)4月10日(金)
撮影・制作:和田義男

 平成21年(2009)4月10日(金)、東京都千代田区九段に鎮座する靖國神社(やすくにじんじゃ)で日本相撲協会による奉納大相撲が開催された。明治2年(1869)靖國神社の鎮座祭に際して大相撲が奉納されて以来春の例大祭には横綱をはじめ200名余の力士による奉納相撲(無料)が執り行われる。約8,000人を収容する相撲場は、大勢の見物客で賑わう。
 靖國神社は、皇居の北西、千鳥ヶ淵のそばにある神社で、幕末の嘉永6年(1853)以降、身分や勲功、男女の別なく国を守るために死亡した246万6千余柱を神霊(靖国の大神)として祀る神社である。明治2年(1869)、戊辰戦争の朝廷方戦死者を慰霊するため、大村益次郎の献策により東京招魂社(とうきょうしょうこんしゃ)として創建されたことに始まり、明治12年(1879)に靖国神社と改称されて今日に至っている。

 日本の国技たる相撲の頂点に位置する大相撲は、日本古来の奉納相撲を起源とし、江戸時代から続く職業的な力士たちによって行われる神事や武道、商業的な相撲興行を意味し、また、力士などの集団社会を指す言葉であった。現在では、日本相撲協会が主催する相撲興行のことである。
桜吹雪の相撲場

桜吹雪の相撲場

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  九段下桜吹雪の土俵かな  北舟 

くだんした さくらふぶきの どひょうかな

Cherry petals falling like snowflakes on the sumo ring at Kudan-shita.

 

化粧廻しけしょうまわし

 
   化粧廻しは大相撲の関取が土俵入りの際に締める儀式用の廻しである。長さ8m、幅68cmの長い博多織の布の先端に豪華な刺繍と馬簾*(ばれん)の付いたエプロンのような大きな前垂れを持つ高価な廻し(相撲褌)で、一体ものである。  
 力士たちは、化粧廻しを汚さないため、六尺褌紐を一重結びしてTバック状にした越中褌を締めた上に化粧廻しを締めている。(取組のときの廻しは、直接肌に締める。)
*馬簾:裾に付いている房糸。
第69代横綱・

白鵬翔はくほうしょう

不知火型しらぬいがた

土俵入 

第69代横綱・白鵬 翔の不知火型土俵入

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  春日和真白き綱の土俵入  北舟 

はるびより ましろきつなの どひょういり

Fine day in spring, the sumo wrestler's ring performance with a pure white rope on the ring.

第68代横綱・

朝青龍明徳あさしょうりゅうあきのり

雲竜型うんりゅうがた

土俵入 

第68代横綱・朝青龍明徳の雲竜型土俵入

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  靖國の御霊に捧ぐ春相撲  北舟 

やすくにの みたまにささぐ はるずもう

Spring sumo wrestling, dedicating to the soul of Yasukuni shrine.

中入後最初の土佐ノ海・豊桜戦

中入後最初の土佐ノ海・豊桜戦

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力士の

相撲褌まわし

 
   廻し(まわし)は相撲を取るときに身につける褌(ふんどし)の一種。まわし、回し、相撲褌とも表記され、外国人競技者の間では 相撲ベルト  sumo belt 相撲サッシュ sumo sash と呼ばれる。一部の裸祭りでも使用されている。  
   稽古廻しや幕下以下の力士、アマチュア競技者が締める廻しは、硬い木綿布(キャンバス)で出来ている。転倒時の怪我の防止と身体の保護や取組みで技を掛けることが主たる目的である。小学生以下の子供用は大人用よりは柔らかい布を使っている。  
 関取が取組のときに締める取り廻し(締め込み)は、カラフルな絹でできており、柔らかくて光沢がある。
  春風や相撲褌に託す相撲道  北舟 

はるかぜや まわしにたくす すもうどう

Spring wind, the code of the sumo wrestling on the loincloth.

千秋楽結びの一番・横綱対決! 2009.4.10 15:01
第68代横綱・朝青龍 立行司・第38代式守伊之助 第69代横綱・白鵬

千秋楽結びの一番・横綱対決!

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  春日照る土俵を沸かす大一番  北舟 

はるひてる どひょうをわかす おおいちばん

Spring sun shinning on the ring, the final match exciting sumo spectators.

朝青龍の強烈な吊り出し

朝青龍の強烈な吊り出し

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結びの大一番

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   これまで裸祭りシリーズの中でアマチュア力士たちによる奉納相撲を取材してきたが、その頂点に立つ大相撲を取材できないものかと思い続けてきた。大相撲の本場所でこれほど土俵近くの席を取るのは難しいので靖國神社のお陰で日本の裸褌文化の華といえる大相撲の全貌を明らかに出来たことを嬉しく思う。  
 さすがにプロ集団の相撲は、アマチュア相撲とは格段の差があり、そのパワーに圧倒され、江戸時代に始まった勧進相撲の伝統を全く変質させることなく現在に伝えている相撲の伝統美にすっかり魅了された。
勝者の舞・弓取式

熟練の技を披露する男女ノ里

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2021年3月28日(日)曇

★彡 三月の裸褌祭★彡

保原つつこ引祭
厳島神社
福島県伊達市
2011年3月6日(日)
撮影・制作:和田義男

  平成23年(2011) 3月6日(日)、福島県伊達市( だてし)保原町(ほばらまち)に鎮座する厳島(いつくしま)神社(大嶽洋一(おおたけ・よういち)宮司 69歳)で「つつこ引祭(つつこびきまつり)」が開催された。
 江戸時代中期の享保年間(1716〜1735)に大飢饉があり、当時の領主・松平出雲守(まつだいら・いずものかみ)通春(みちはる)公が厳島神社の境内(当時は現在の丸山観音)に領民を集め、種籾(たねもみ)を分け与えたところ、翌年は大豊作となったことから、農民たちは領主の善政に感謝し、神前に初穂を捧げて豊作を祝った。それ以来、五穀豊穣を祈る神事として、旧正月に裸の若衆が「つつこ」を引き合う勇壮な農民祭(のうみんさい)として盛んに行われるようになった。
 毎年行われる「つつこ引祭」は、厳島神社の弁天様の祭礼神事で、近郷近在から選ばれた42歳の厄年に当たる若衆が裸で「つつこ」を引き合う奇祭として知られる。昭和31年(1956)に福島県十大祭に選定されている。
   早春の半袖褌つつこ引  北舟 

そうしゅんの はんそでふんどし つつこひき

Early spring, short sleeves and loincloths of Tsutsuko pulling festival.

「つつこ引き手」勢揃い (前姿) 12:00
新尺さん   俵さん 長谷川さん 遠藤さん 田中さん  

「つつこ引き手」勢揃い (前姿) 12:00

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▼ 「つつこ御輿」は、保原四丁目交差点に入った後、左折して白組の下方部(しもほうぶ)地区を北上した。担ぎ手に変身した引き手たちのかけ声は「ワッショイ!ワッショイ!」で、まさに神輿練(みこしねり)そのもの。ここにも「ワッショイ」が生き残っているのが嬉しい。先棒(さきぼう)中央の棒鼻(ぼうばな)に手を掛けている人が神輿長に当たる「つつこ長」で、指揮の旗を持つ指揮者の下で「つつこ御輿」を差配している。

 
   足並を揃えて春の御輿かな  北舟 

あしなみを そろえてはるの みこしかな

A portable ritual carrier of spring, keeping pace together.

保原四丁目交差点に入った「つつこ御輿」 13:11

保原四丁目交差点に入った「つつこ御輿」 13:11

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▼ 一番乗競争は「つつこ引」を景気づけるためのアトラクションで吉札争奪戦である。吉札の取主(とりぬし)には後刻、拝殿での表彰式で吉札に応じた賞金が与えられるとあって、競争に熱が入るのも頷ける。スタートダッシュで飛び出した若者二人がダントツに早く、一番乗・二番乗で吉札のポールを手に入れた。

 
   吉札の一番乗や春祭  北舟 

きちふだの いちばんのりや はるまつり

Spring festival, scrambling for lucky cards.

一番乗・二番乗が吉札を獲得 13:47:36

一番乗・二番乗が吉札を獲得 13:47:36

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つつこ ねり
 
  ▲▼ 一番乗競争が終わると引き手たちは「つつこ」を担いで下方部に移動し、つつこを取り囲んで一斉に持ち上げたあと地面に落とす作業が繰り返された。本番の「つつこ引」が始まる前の準備運動を兼ねた地ならしのようなもので、下方部内町、上方部の順に行われた。このイベントの呼名がついていないので、筆者は「つつこ練」と名付けた。  
   春迎ふ つつこ練なり白ふどし  北舟 

はるむかう つつこねりなり しろふどし

Getting more like spring, Tsutsuko lifting wearing a white loincloth.

「つつこ」を落とす

「つつこ」を落とす

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つつこ

びき

 
  ▼ 14:15頃から赤白黄の鉢巻を締めた引き手たちが保原四丁目交差点の中心に置かれた「つつこ」の大縄を三方に引いて、それぞれのゴール地点を目指す「つつこ引(びき)」が始まった。白組「下方部」は北へ、黄組「内町」は東へ、赤組「上方部」は南へ引く。約50mほど先にそれぞれ「決勝点」の横断幕が張られている。  
「つつこ引」の開始 / 保原四丁目交差点 2011.3.6 14:15
←白組「下方部」北 黄組「内町」東 赤組「上方部」南  

「つつこ引」の開始 / 保原四丁目交差点 2011.3.6 14:15

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   うららけし三方に引くつつこかな  北舟 

うららけし さんぽうにひく つつこかな

Mild spring day, Tsutsuko pulling for three ways.

組「

上方部かみほうぶ

が巻き返す

赤組「上方部」が巻き返す 14:17

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▲▼ 「つつこ練」が終わると、中から餅を取り出すため、大嶽宮司が包丁を持参し、「つつこ」を解体し始めた。稲藁(いなわら)を束ねていた大縄を切断したあと、稲藁の中に収められていた藁苞(わらづと)を切り開いた。  
   間もなく湯気が立ち始め、やがて円筒形の布袋が現れた。前日蒸したあと「つつこ」に収められていた二升の赤飯は、「つつこ引祭」を終えてペースト状の餅になっていた。  
二升の赤飯を包んだ

藁苞わらづと

を切り裂く 14:36

二升の赤飯を包んだ藁苞を切り裂く 14:36

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   赤飯のつつこに搗きし春祭  北舟 

せきはんの つつこにつきし はるまつり

Spring festival, steamed rice with red beans pounded by Tsutsuko.

つつこ餅を受領した笑顔の清野委員長

つつこ餅を受領した笑顔の清野委員長

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▼ 引き手たちは、「つつこ餅」が取り出された後、「つつこ」を囲んで円陣を組み、祭典が無事に終わったことを祝うと共に、来年の再会を約し、「つつこ長」の発声で手〆を行い、お開きとなった。  
   長閑なる手〆で開くつつこ祭  北舟 

のどかなる てじめでひらく つつこさい

Peaceful spring, breaking up Tsutsuko festival with hand clapping.

手〆てじめ

でお開き 14:37

手〆でお開き 14:37

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中田裸祭り
中田大国霊神社
愛知県豊田市
平成17年(2005)3月6日(日)
撮影・原作:ちばあきお 監修:和田義男

 平成17年(2005)3月6日(日)、愛知県豊田市中田町(とよたし・なかだちょう)の中田大国霊神社で、裸祭りが行われた。古くから豊田市中田町に鎮座する中田八幡社には、愛知県稲沢市(いなざわし)の厄払いの裸祭り(儺追なおい神事)で知られる尾張國府宮(おわりこうのみや)正しくは尾張國府大国霊神社(おわりこくふおおくにみたまじんじゃ)の分社・中田大国霊神社が祀られている。毎年3月第1日曜日に大勢の裸男が厄払いの儀式(儺追神事)を行うこの祭りは、国府宮裸祭りと共に中田裸祭り(中田大国霊神社裸祭り)として知られる。

 昭和7年(1932)中田村の氏神・中田八幡社の改築の際、1670年頃(寛文年間)に尾張國府宮の御塞(おさい)が本殿に安置されていたことが判明。昭和9年(1934)、村民有志により八幡社西隣に神殿を新築し、中田大国霊神社と命名し、本社・尾張國府宮より分社の認産を受けた。
 爾来、尾張国府宮の分社として、毎年本社と同じ古例の神事を旧正月23日(現在は3月第1日曜日)に行っている。正規には儺追なおい祭り(儺追なおい神事)であるが一般には裸祭りと称している。途中戦争や昭和天皇の崩御などで中断したが、平成2年(1990)に再開。平成4年(1992)には60周年記念祭が開催され、以後100人を越える参加者があり、今年は県外者も含めて120人が参加する盛況となった。
  厄落神竹高く田に立てり  北舟 

やくおとし しんちくたかく たにたてり

Exorcism, God bamboo standing high on a rice field.

曲 芸

曲 芸

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▲ 公民館を出発した裸の集団は道中練りを行いながら神社に向かったが中間付近の休憩所に着くと、田圃(たんぼ)でアトラクションの神竹(しんちく)登りが行われた。平成4年(1992)の60周年記念祭のとき、誰かが遊び半分に神竹を田圃に立てて登ったのが始まりで、以来、白布を巻いた専用の竹を用意し、それが折れるまでよじ登るようになった。
赤鳥居に向かって突進!

赤鳥居に向かって突進!

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  神竹を担いで走る厄詣  北舟 

しんちくを かついではしる やくもうで

Exorcising worship, rushing to the shrine with a God bamboo on their shoulders.

気合いの宮入り

気合いの宮入り

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▲ 神竹(しんちく)を抱えた厄男たちは、赤鳥居に向かう100mほどの直線の参道を気勢をあげながら一気に駈け抜け、豪快に宮入りする。神竹奉納の最大の見せ場である。中田大国霊神社に奉納された神竹は、一年間保管され、大晦日に他のお守りとともに焚きあげられるという。

境内での揉み合い

境内での揉み合い

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▲▼ 厄男たちが境内に入ると、揉み合いが始まった。柄杓(ひしゃく)で力水(ちからみず)をかける人もいる。芯男(しんおとこ)に厄を渡すべく、小規模ながら渦ができ、男たちの熱気が最高潮に達する。ここでは、尾張國府宮の裸祭りのように死者が出るような激しい争いはなく和気藹々とした揉み合いでおしくらまんじゅうのようにスクラムを組み、体を寄せ合って回転しながら芯男に触れてゆく。

裸押し

裸押し

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▼ 境内での揉み合いが終わると、芯男は神社のすぐ横に掘られた穴をまたぎ、介添人が白衣の襟首から背中にお飾りの丸餅の様な厄餅を一つ入れた。芯男は白衣の帯を緩め、卵を産み落とすようにして厄餅を穴の中に落とした。餅が落とされると「厄が落ちたぞー!」という大きな声があがった。この厄餅はあらかじめ神社に奉納されている特別な餅で大鏡餅を砕いたものではない。厄餅を穴に落とすことで厄払い(厄落し)となり芯男に擦り付けられていた全員の厄が一度に祓われたのである。

厄餅による厄落し

厄餅による厄落し

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