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平成19年(2007)2月24日(土)、東京駅で目黒区にお住いの山本啓一さん(69歳)と合流、新幹線を利用し、水沢江刺(みずさわえさし)駅まで2時間、タクシーで15分で岩手県奥州市にある天台宗(てんだいしゅう)妙見山(みょうけんざん)黒石寺(こくせきじ)に行き、途中で全裸の男性が現れる奇祭として知られる蘇民祭(そみんさい)を徹夜で激写し、同年3月黒石寺蘇民祭 として発表した。この作品は、平成22年(2010)7月現在、アクセス18万件を越え、現在も蘇民祭の定番作品として根強い人気を誇っている。 |
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旧正月7日夜半から8日早暁にかけて行われるため、新暦では毎年開催日が変動する黒石寺蘇民祭は、裸の男と炎の奇祭として千年余りの歴史を誇る夜祭りで、東奥の奇祭ともいわれる。岡山の「西大寺会陽」と大阪の「四天王寺どやどや」と共に日本三大奇祭の一つに数えられており、古代の祭りの姿を今に伝える貴重な裸祭りとして国より「記録保存すべき無形民俗文化財」の指定を受けている。
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蘇民祭は冬季積雪の中で行われる裸の夜祭りで、修験道(しゅげんどう)の性格をもった寺のなごりを残している。平成19年(2007)は、2月24日(土)〜25日(日)に開催され、午後10時から翌朝午前7時頃まで、裸参り、柴燈木登(ひたきのぼり)、別当登(べっとうのぼり)、鬼子登(おにごのぼり)、蘇民袋争奪戦の五つの行事が夜を徹して行われた。 |
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けむりたつ ひたきのうえの なのかかな |
The seventh day of the year,
Standing on the smoking piles
of Hitaki lumber
of holy fire. |
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柴燈木登 |
で |
山内節 |
を唄う最後の全裸男となった長谷川昇司さん / 2007.2.24 |
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▲▼ 平成20年(2008)1月8日(火)の夕方、「岩手県奥州市作成の黒石寺蘇民祭のポスターが女性に対するセクハラに当たるとの理由でJR東日本が駅構内に掲示することを拒否した」旨のテレビ報道から始まったセクハラ・ポスター事件は、新聞や週刊誌などが次々に話題に取り上げて全国報道したことから、蘇民祭は、一躍全国に知られることになった。 |
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この騒ぎで、「日本三大奇祭・黒石寺蘇民祭」 と「黒石寺蘇民祭」 が「2ちゃんねる」にリンクされたために全国からアクセスが集中し、3日間ほどWa☆Daフォトギャラリーが麻痺する被害を受けた。 |
岩手県警は、蘇民祭の全裸シーンがアダルト・サイトなどに出回り、風紀が紊乱する恐れがあることから、数年前から全裸による祭礼を止めさせようとしており、平成19年(2007)蘇民祭の最高責任者である黒石寺・藤波洋香(ふじなみ・ようこう)住職が一般参加者の全裸を禁止することを受け入れるという苦渋の決断をし、写真上の昇ちゃんが一般参加者最後の全裸男となったが、蘇民袋に刀を入れる親方の全裸は古来からの伝統が守られた(写真下)。 |
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蘇民袋の切り口を開けるために短刀をくわえて飛び込む全裸の親方 2007.2.25 |
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すはだかで とびこむうずや はだかおし |
Jostling together,
A man dives naked
into the eddy. |
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ところが、ポスター騒動の後、岩手県警が一般参加者のみならず、神聖な祭事を担う親方衆の全裸まで刑法のわいせつ罪に当たると発表したことを受けて、テレビ朝日が平成20年2月11日夕刻「蘇民袋を切り裂く親方が全裸なのは問題で、開催が危ぶまれている」旨報道したことから、再び私のサイトはパンク状態に陥った。 |
平成20年のセクハラ?ポスター |
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私は、警察の見解は蘇民祭を冒涜するもので、とても許されるものではないと思っていたところ、 |
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渡海文部科学大臣が警察の行きすぎた行動に不快感を示し、警察権力の介入を批判する談話が発表された。 |
これに対し、警察当局は、これまでのいきさつを十分踏まえたものだと弁解したが、江戸時代末期から行われている愛知県稲沢市の國府宮(こうのみや)はだか祭では、全裸の神男(しんおとこ)が登場するが、愛知県警は境内の参道における神事として認めている事実を知らないはずもなく、屋外の國府宮と違って黒石寺では本堂の中で行われるものであり、誰が考えても介入することはありえないと判断すべきで、警察の不明を渡海大臣によって糾弾された格好となり、大臣のコメントで、伝統の裸文化を維持したいという熱い思いを抱く多くの良識派が溜飲を下げた。そして、平成20年(2008)の蘇民祭は、従来通り、多くのマスコミ陣がカメラを向けるなか、本堂の照明が落とされた中で全裸の親方が蘇民袋に刀を入れた。暗闇とはいえ、報道陣のライティングやフラッシュで明るく照らされ、その様子が報道された。 |
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↓審判 |
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平成16年(2004)2月25日(水)千葉県四街道(よつかいどう)市和良比(わらび)に鎮座する皇産霊(みむすび)神社で裸祭りが行われた。東京駅から四街道駅までJR総武線快速で40分。南口から徒歩15分で皇産霊神社に着く。 もとは大六天神社(第六天神社)であったが、明治の神仏分離により、この地区の吉祥院にあった皇産霊神社を合祀したもので、現在は皇産霊神社と呼ばれる。
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午前11時から社殿で「祭礼の儀」と呼ばれる式典が始まった。神主によるお祓いや祝詞奏上(のりとそうじょう)などの後、11時半から「直会の儀(なおらいのぎ)」に移り、氏子関係者が社務所で腹ごしらえをしたあと、午後1時から「和良比はだか祭り」の本番が始まった。 |
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和良比はだか祭りは、江戸末期から行われている伝統行事で、四街道のどろんこ祭りとも呼ばれる。ふんどし姿の男衆が五穀豊穣と子供たちの健やかな成長を祈って赤ん坊の顔に水田の泥を塗ったり、騎馬戦や泥の掛け合いを行う文字通りの泥だらけの祭りである。もともと旧暦の3月25日に行っていたものが、1ヶ月繰り上がって、毎年2月25日に行われている。 |
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はるたばれ ふんどししめて きばがっせん |
Fine day at spring rice field, playing at cavalry battles wearing loincloth. |
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神田の合戦!
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2004年3月8日(月) 四街道市 様 四街道警察署 様 |
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素晴らしかった「和良比はだか祭り」 初めまして。趣味でWa☆Daフォトギャラリーを主催していますアマチュア写真家の和田と申します。先日、標記の裸祭りを取材し、このほどその作品を「和良比はだか祭り」というタイトルでinternetに発表しました。 和良比はだか祭り
http://wadaphoto.web.infoseek.co.jp/wara1.htm |
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私は四街道市と四街道警察署の記事を読み、この祭りを見に行くことにしました。高橋市長様はじめ地元の皆様の並々ならぬご努力のお陰で、この伝統文化が現代に継承されていることに深い感銘を覚えました。全国的にも珍しい素晴らしい祭りだと思います。 |
これからも変質することなく、この歴史的伝統的文化が存続することを祈念しています。四街道市の職員の皆様、四街道警察署の皆様、地元の皆様、本当にご苦労さまでした。ありがとうございました。 |
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この度は遠方より「和良比はだか祭り」をご観覧していただきありがとうございました。私を含め秘書広報課の職員も、早速和田様のホームページを拝見いたしましたが、日本は言うに及ばず、諸外国の名所・旧跡などを多く撮影されていること驚き、そして「和良比はだか祭り」の写真だけでなくその他の写真についても言える事ですが、構図や撮影方法が素晴らしく臨場感に富み、カメラのスペックだけでは補いきれない和田様の写真に対する情熱をうかがうことができました。おそらく和田様のホームページを見られた方であれば、驚きと共に非常に感動されることと思います。
私どもが撮影した和良比はだか祭りの写真と和田様の写真を見比べましたが、あまりの違いの大きさに何とも情けない気分になりましたが、めげていても解決しないので、和田様の撮影された写真を参考にし、市民の皆様に感動を与えられるような写真撮影を心がけていきたいと存じます。
和田様におかれましては、人に感動を与える写真を撮影していただけることを期待しております。市といたしましても、和田様をはじめとして多くの皆様が来年も「和良比はだか祭り」にお越しいただけるよう、努めて参りたいと存じます。 お体には十分注意してお過ごし下さい。 |
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四街道市総合政策部秘書広報課
四街道市秘書広報課 様 |
こんにちは。ご丁寧なご返事を賜り、恐縮です。嬉しく拝読させて頂きました。もし、私の撮影した和良比はだか祭りの写真が貴市のホームページやポスター、パンフレットなどでお役に立てることがありましたら、お知らせ下さい。「撮影:和田義男」というキャプションさえどこかに表示していただければ、ご自由にお使い頂いて結構です。 |
必要なら500万画素の原画をお送りしますので、半紙程度まで写真画質で印刷できます。以前神戸市に単身赴任していましたが、そのとき神戸祭りのポスターに写真を提供させて頂きました。社会貢献できればといつも思っておりますので、どうかご遠慮なくお申し付け下さい。有り難うございました。 |
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メール拝見しました。「和良比はだか祭り」の感想と警察に対する激励のメールありがとうございます。早速関係部署に連絡致します。今後とも、警察活動に対するご理解とご協力をお願い致します。 |
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千葉県警察本部広報県民課長
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神田の合戦! |
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平成17年(2005)2月27日(日)岡山市沖元に鎮座する沖田神社(おきたじんじゃ)・道通宮(どうつうぐう)で子供会陽が開かれた。沖田神社の境内の一角にある道通宮では、2月の西大寺会陽の次の第四日曜日に会陽が行われる。江戸末期から120年の伝統を刻んできたこの会陽は、かつては成人男子によって行われていたが、昭和30年(1955)から少年の健全育成のため、男子小学生だけで行なわれるようになった。 |
男児たちは低学年と高学年の二組に分かれ、低学年は赤褌(あかふんどし)、高学年は白褌(しろふんどし)を締める。褌は前垂れ式六尺褌で、一本の長尺布で褌と腹巻きを兼ねている。保温と緩み防止には最良の方法である。 |
今年の会陽には小学生男子170人が参加。百間川(ひゃっけんがわ)の河原で柄杓による禊を行った後、学年ごとに3グループに分かれて神木(しんぎ)を奪い合った。神木は三種類あり、午前11時40分から景品神木(けいひん・しんぎ)130本と副神木(ふくしんぎ)20本が撒かれ、正午には本神木(ほんしんぎ)2本が投下された。 |
激しい争奪戦の結果、投下から5分後に最初の取主となり、一人目の福男児となったのは、竜ノ口小学校6年生の前田晃君。2年連続の快挙だという。二人目の福男児となったのは西大寺小学校6年生の小林暁弘君。本神木をしっかりと握って沖田神社の拝殿に向かった。 |
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本神木を取り合う裸の渦 |
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2006年2月18日(土)、新潟県南魚沼市塩沢で「第22回しおざわ雪譜(せっぷ)まつり」が開催された。午前10時から始まった「山伏水行之儀」が行われたのは、機織り(はたおり)の神・巻機権現(まきはたごんげん)として崇められる山岳修験道の霊山・巻機山(まきはたやま)(1967m)の登山口にあるC水(しみず)と呼ばれる村落で、JR塩沢駅から車で15分ほどで着く。 |
「山伏水行之儀」は、天台系の里山伏である本山修験宗(ほんざんしゅげんしゅう)の巻機山萬学院(まきはたやま・まんがくいん)住職・田村昌法(たむらしょうほう)さん59歳が主催する滝行(たきぎょう)である。里山伏(さとやまぶし)と呼ばれる山伏は、新潟県と高知県にしか見られないといわれる。 |
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やまぶしの とびちるしぶき ゆきげみず |
Melted snow
flying about
like a cloud of spray
from a body of yamabushi. |
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▲▼ 外気温-5℃の中で白衣を脱ぎ、越中褌一丁の裸形(らぎょう)になって滝に向かった昌法さんは、足から清水を浴びて徐々に身体を冷水に慣らし、肩、首、頭頂と冷水を浴びていった。昌法さんは、山伏の流儀で、頭巾(ときん)に脚絆(きゃはん)を付け、藁沓(わらぐつ)を履いている。裸足では雪中歩行ができず、滝の中で滑って危ないという。 |
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雪で覆われて洞窟のようになった火生(かしょう)の滝は、周囲に氷柱(つらら)が下がっている。その中央に行者一人が立つことのできる岩があり、そこに立つと、零度に近い雪解水(ゆきげみず)が容赦なく行者の身体を打つ。 |
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はつはるや まいなすごどの みずのぎょう |
Early spring,
Cold-water ablutions
temperature
minus five degrees Centigrade. |
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印を結んで滝に打たれる山伏・萬学院昌法さん |
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▼ 午後、塩沢にある民家のような佇まいの萬学院を訪ねた。斎主の昌法さんは、私と同い年であることにビックリ。滝行とは違って非常ににこやかで、好感が持てた。奥様が出てこられたので、名刺を渡して挨拶したところ茶菓子の接待を受け、大変お世話になった。 |
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夜の大護摩の準備 / 萬学院(午後4時20分) |
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▼ 百八燈大護摩の主役を務める山伏一行は市内の牧之通り(ぼくしどおり)で蝋燭神輿(ろうそくみこし)と合流し、午後5時10分に会場に到着。間もなく本日のメイン・イベントである百八燈大護摩が始まった。 |
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ごまだんの ぐれんのほのお ゆきげかぜ |
Snow-melting wind,
Bright red flames
on a
holy-fire platform
for invocation. |
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神札を炊きあげる山伏たち(午後6時33分) |
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平成22年(2010)2月20日(土)、岡山市東区の金陵山西大寺(きんりょうざん・さいだいじ)で500周年の節目を迎えた「西大寺会陽はだかまつり」が開催され、33,000人の観客と9,500人の裸が参加した。裸祭りとして有名な西大寺会陽(さいだいじえよう)は、かつては、旧暦正月元旦から27日(にしちにち)つまり14日間続いた修正会結願(しゅしょうえ・けちがん)の14日の夜半に行われていたが、昭和37年(1962)から毎年新暦2月の第3土曜日に行われるようになった。 |
岡山市商工会議所西大寺支所に置かれた西大寺青年会議所少年はだか祭り実行委員会が主催する「少年はだか祭り」は、次代の会陽を担う少年たちの健全な育成を目的に、本番の会陽の前哨戦として昭和47年(1972)から実施されており、今年で39回目となる。当初は市中行進だけだったが、昭和54年(1979)から宝筒(たからづつ)争奪戦が加えられた。 |
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今年から飲酒などによる事故防止の観点から宝木(しんぎ)投下時間が2時間早まり、会陽褌をキリリと締め込んだ裸たちは、垢離取場(こりとりば)で垢離を取り、本尊にお参りした後、午後10時に投下された一対二本の宝木を巡って激しい争奪戦が繰り広げ、宝木仮受所(しんぎかりうけしょ)(岡山商工会議所西大寺支所)での山主(やまぬし)(僧侶)の検分により二組の取主(とりぬし)が福男(ふくおとこ)に認定された。 |
その後、福男たちは宝木を携えて西大寺バスターミナルに赴き、御福頂戴(ごふくちょうだい)の福受式典(ふくうけしきてん)に出席。宝木は、山主により、牛玉(ごおう)封じののち厨子(ずし)に納められ、創立100周年の節目を迎えた祝主(いわいぬし)の両備グループに引き継がれた。 |
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ふんどしの かけぬけてゆく かんのこり |
Midwinter ablutions, men of loincloths running through the pool. |
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▲▼ 会陽(えよう)とは、修正会結願(しゅしょうえ・けちがん)行事の地域的名称である。岡山県以外でも香川県善通寺市の善通寺会陽などがあるほか、岡山県には岡山市・金山寺会陽、美作町・安養寺会陽、西粟倉村・岩倉寺会陽など多くの会陽がある。しかし、何といっても全国に名を知られているのが岡山市・西大寺会陽であり、昭和34年(1959)岡山県により重要無形民俗文化財に指定されている。 |
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次々と |
地押 |
に繰り込む |
企業裸 |
たち 21:33 |
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▲▼ 深夜、西大寺観音院本堂大床(おおゆか 本堂外陣(げじん)の呼称)に参集した大勢の裸群の頭上に修正会のあいだ修せられた一対二本の宝木(しんぎ)が投下され、裸たちがすさましい争奪戦を繰り広げる会陽は、近年も死者を出したほどに荒っぽい。 |
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↓宝木 |
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写真:西大寺会陽奉賛会 |
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▲▼ 以前は修正会結願の日の真夜中に御福窓から住職によって牛玉(ごおう)(右から西大寺、牛玉、宝印と書かれた紙の護符)が投下されていた。 |
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争奪戦が激化するにつれて、紙ではちぎれてしまうことから、室町時代の永正7年(1510)当時の住職であった忠阿上人(ちゅうあしょうにん)が牛玉を木に巻き付けた宝木(しんぎ)に代え、長さ20cmほどの木製の円筒となって今日に至っている。この時初めて会陽(春の意の「陽」に会う)と名付けられたという。 |
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本堂大床 |
の攻防! 22:00:36 |
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現在は、梁から飛び降りるのは危険行為として禁止されている。 |
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写真:西大寺会陽奉賛会 |
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おおゆかの ふくとりにわく えようかな |
Festival Eyo, enthusiasm for taking lucky charms at Ohyuka hall. |
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宝木投下1時間後に福男に認定されたのは、寺坂グループの古屋野幹仁さん(38歳 倉敷市)、加島谷祐司さん(30歳 東区西大寺)、寺坂幸也さん(41歳 東区西大寺)の3人。宝木仮受所の一升桝に山盛りの米に宝木を突き立てた。今回、3年連続福男に輝くという快挙を成し遂げたので、ことさら注目を浴びた。 続いて、二組目の取主が仮受所に姿を現し、検分の結果、飯田組の田坂大地さん(34歳 東区瀬戸町)、飯田耕太郎さん(40歳 姫路市)、岡田勲さん(66歳 東区竹原)の3人が福男に認定された。 |
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3年連続 |
福男 |
となった寺坂グループ 23:01 |
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二組目の |
福男 |
飯田組の3人 23:07 |
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ふくおとこ えようでみせる はつわらい |
Lucky men, showing their first smiles for the year at Eyo Festival. |
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両備グループの福受会場で、福男たちのグループ2組40人による「宝木祝い込み」と呼ばれるお披露目パレードが行われた後、二本の宝木は住職ら僧侶によって厨子に納められた。続いて、「祝主(いわいぬし)行燈(あんどん)の揮毫(きごう)」に移り、小嶋光信両備グループ代表が縦横120cm×40cmほどの行燈の一面に力強く「御福頂戴」と墨書(ぼくしょ)し、二本の宝木は双宝木(もろしんぎ)として両備グループのものとなった。その後、小嶋光信代表の挨拶の後、祝宴に入ったが、時刻は既に翌日に入っていた。 |
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あんどんの ごふくちょうだい えようのひ |
The day of Eyo Festival, 'Give me good luck.' on a paper lantern. |
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小嶋光信 |
両備グループ代表の挨拶 2010.2.21 00:01 |
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平成20年(2008)2月23日(土)愛知県名古屋市中村区岩塚町(いわつかちょう)に鎮座する七所社(ひちしょしゃ)で「きねこさ祭り」が開かれた。きねこさ祭は、毎年旧暦1月17日に厄除け、子孫繁栄、天下太平、五穀豊穣などを祈念して行われる祭礼で、特に厄除けに霊験があると伝えられている。 「きねこさ祭」の名前は、午後3時から行われる神前での厄除神事で耕作の所作を演じる合間に役者が「キネ」(たて杵)と「コサ」(杵からこすり落とした餅)と呼ぶ採物*(とりもの)で暴れ回ることに由来する。キネコサで叩かれると厄除けになるという。 |
祭礼の中心は後厄(42歳)の男性10名と厄年の子供2名の12名である。神社の社務所で早朝の冷水での禊など3日間の潔斎(けっさい)を経て当日を迎える。参道の入口には、氏子の手による大注連縄(おおしめなわ)が飾られ当日は12時半から庄内川(しょうないがわ)での川祭り神事、午後2時から古式行列、午後3時から境内での厄除け神事などが行われる。(名古屋市無形民族文化財) |
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気合い! |
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