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2021年2月23日改訂
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♪埴生の宿メドレー 尺八:日當鶴山
旅と写真は元気の泉

感動の裸祭CD完成!

 

初春やはだかで埋まる國府宮   北舟

 
拡パノラマ写真(1950x900)446KB

Early spring,
Kouno-miya shrine overflowing with naked men.

2000年7月16日開設

日没の参道・・・神男を待つはだかたち

日没の参道・・・神男を待つはだかたち/國府宮愛知県稲沢市)

2021年の日記 〈2月〉
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「徒然日記」目次


2021年2月23日(月)晴

★彡 二月の裸褌祭★彡

黒石寺蘇民祭
http://wadaphoto.jp/maturi/somin1.htm 
黒石寺
岩手県奥州市
平成19年(2007)2月24日(土)-2月25日(日)
撮影:和田義男&H.I. 制作:和田義男

 平成19年(2007)2月24日(土)、東京駅で目黒区にお住いの山本啓一さん(69歳)と合流、新幹線を利用し、水沢江刺(みずさわえさし)駅まで2時間、タクシーで15分で岩手県奥州市にある天台宗(てんだいしゅう)妙見山(みょうけんざん)黒石寺(こくせきじ)に行き途中で全裸の男性が現れる奇祭として知られる蘇民祭(そみんさい)を徹夜で激写し同年3月黒石寺蘇民祭 として発表した。この作品は、平成22年(2010)7月現在アクセス18万件を越え現在も蘇民祭の定番作品として根強い人気を誇っている。

 旧正月7日夜半から8日早暁にかけて行われるため新暦では毎年開催日が変動する黒石寺蘇民祭は裸の男と炎の奇祭として千年余りの歴史を誇る夜祭りで、東奥の奇祭ともいわれる。岡山の「西大寺会陽」と大阪の「四天王寺どやどや」と共に日本三大奇祭の一つに数えられており、古代の祭りの姿を今に伝える貴重な裸祭りとして国より「記録保存すべき無形民俗文化財」の指定を受けている。
 
 
 蘇民祭は冬季積雪の中で行われる裸の夜祭りで、修験道(しゅげんどう)の性格をもった寺のなごりを残している。平成19年(2007)は、2月24日(土)〜25日(日)に開催され、午後10時から翌朝午前7時頃まで、裸参り、柴燈木登(ひたきのぼり)、別当登(べっとうのぼり)、鬼子登(おにごのぼり)、蘇民袋争奪戦の五つの行事が夜を徹して行われた。
  煙たつ柴燈木の上の七日かな  北舟 

けむりたつ ひたきのうえの なのかかな

The seventh day of the year, Standing on the smoking piles of Hitaki lumber of holy fire.

柴燈木登ひたきのぼり 山内節やまうちぶし を唄う最後の全裸男となった長谷川昇司さん / 2007.2.24

柴燈木登で山内節を熱唱する最後の全裸男となった長谷川昇司さん

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  ▲▼ 平成20年(2008)1月8日(火)の夕方、「岩手県奥州市作成の黒石寺蘇民祭のポスターが女性に対するセクハラに当たるとの理由でJR東日本が駅構内に掲示することを拒否した」旨のテレビ報道から始まったセクハラ・ポスター事件は、新聞や週刊誌などが次々に話題に取り上げて全国報道したことから、蘇民祭は、一躍全国に知られることになった。
 この騒ぎで、「日本三大奇祭・黒石寺蘇民祭」 と「黒石寺蘇民祭」 が「2ちゃんねる」にリンクされたために全国からアクセスが集中し、3日間ほどWa☆Daフォトギャラリーが麻痺する被害を受けた。
 岩手県警は、蘇民祭の全裸シーンがアダルト・サイトなどに出回り風紀が紊乱する恐れがあることから数年前から全裸による祭礼を止めさせようとしており平成19年(2007)蘇民祭の最高責任者である黒石寺・藤波洋香(ふじなみ・ようこう)住職が一般参加者の全裸を禁止することを受け入れるという苦渋の決断をし写真上の昇ちゃんが一般参加者最後の全裸男となったが、蘇民袋に刀を入れる親方の全裸は古来からの伝統が守られた(写真下)。

蘇民袋の切り口を開けるために短刀をくわえて飛び込む全裸の親方 2007.2.25

蘇民袋の切り口を開けるために短刀をくわえて飛び込む全裸の親方 2007.2.25

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  素裸で飛び込む渦や裸押し  北舟 

すはだかで とびこむうずや はだかおし

Jostling together, A man dives naked into the eddy.

 
 
長谷川昇司さん(左)が載った平成18年のポスター
 
 ところが、ポスター騒動の後、岩手県警が一般参加者のみならず、神聖な祭事を担う親方衆の全裸まで刑法のわいせつ罪に当たると発表したことを受けてテレビ朝日が平成20年2月11日夕刻「蘇民袋を切り裂く親方が全裸なのは問題で、開催が危ぶまれている」旨報道したことから、再び私のサイトはパンク状態に陥った。

平成20年のセクハラ?ポスター

平成20年のセクハラ?ポスター
 私は、警察の見解は蘇民祭を冒涜するもので、とても許されるものではないと思っていたところ
  長谷川昇司さん(左)が載った平成18年のポスター
 

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渡海文部科学大臣が警察の行きすぎた行動に不快感を示し、警察権力の介入を批判する談話が発表された。

 これに対し、警察当局は、これまでのいきさつを十分踏まえたものだと弁解したが、江戸時代末期から行われている愛知県稲沢市の國府宮(こうのみや)はだか祭では、全裸の神男(しんおとこ)が登場するが、愛知県警は境内の参道における神事として認めている事実を知らないはずもなく、屋外の國府宮と違って黒石寺では本堂の中で行われるものであり、誰が考えても介入することはありえないと判断すべきで、警察の不明を渡海大臣によって糾弾された格好となり、大臣のコメントで、伝統の裸文化を維持したいという熱い思いを抱く多くの良識派が溜飲を下げた。そして、平成20年(2008)の蘇民祭は、従来通り、多くのマスコミ陣がカメラを向けるなか、本堂の照明が落とされた中で全裸の親方が蘇民袋に刀を入れた。暗闇とはいえ、報道陣のライティングやフラッシュで明るく照らされ、その様子が報道された。

審判が取主から蘇民袋を受け取る決定的瞬間!

    ↓審判   

審判が取主から蘇民袋を受け取る決定的瞬間!

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和良比はだか祭り
http://wadaphoto.jp/maturi/wara1.htm 
皇産霊神社
千葉県四街道市和良比
平成16年(2004)2月25日(水)
撮影・制作:和田義男
落とさぬよう、転ばぬよう 焚 火

 平成16年(2004)2月25日(水)千葉県四街道(よつかいどう)市和良比(わらび)に鎮座する皇産霊(みむすび)神社で裸祭りが行われた。東京駅から四街道駅までJR総武線快速で40分。南口から徒歩15分で皇産霊神社に着く。 もとは大六天神社(第六天神社)であったが、明治の神仏分離により、この地区の吉祥院にあった皇産霊神社を合祀したもので、現在は皇産霊神社と呼ばれる。
 
 
 午前11時から社殿で「祭礼の儀」と呼ばれる式典が始まった。神主によるお祓いや祝詞奏上(のりとそうじょう)などの後、11時半から「直会の儀(なおらいのぎ)」に移り、氏子関係者が社務所で腹ごしらえをしたあと、午後1時から「和良比はだか祭り」の本番が始まった。

 和良比はだか祭りは、江戸末期から行われている伝統行事で、四街道のどろんこ祭りとも呼ばれる。ふんどし姿の男衆が五穀豊穣と子供たちの健やかな成長を祈って赤ん坊の顔に水田の泥を塗ったり、騎馬戦や泥の掛け合いを行う文字通りの泥だらけの祭りである。もともと旧暦の3月25日に行っていたものが、1ヶ月繰り上がって毎年2月25日に行われている。
  春田晴褌締めて騎馬合戦  北舟 

はるたばれ ふんどししめて きばがっせん

Fine day at spring rice field, playing at cavalry battles wearing loincloth.

神田の合戦!

神田の合戦!

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2004年3月8日(月) 四街道市 様  四街道警察署 様
素晴らしかった「和良比はだか祭り」 初めまして。趣味でWa☆Daフォトギャラリーを主催していますアマチュア写真家の和田と申します。先日、標記の裸祭りを取材し、このほどその作品を「和良比はだか祭り」というタイトルでinternetに発表しました。 和良比はだか祭り  http://wadaphoto.web.infoseek.co.jp/wara1.htm 
 私は四街道市と四街道警察署の記事を読み、この祭りを見に行くことにしました。高橋市長様はじめ地元の皆様の並々ならぬご努力のお陰で、この伝統文化が現代に継承されていることに深い感銘を覚えました。全国的にも珍しい素晴らしい祭りだと思います。
 これからも変質することなく、この歴史的伝統的文化が存続することを祈念しています。四街道市の職員の皆様、四街道警察署の皆様、地元の皆様、本当にご苦労さまでした。ありがとうございました。
 
   
 この度は遠方より「和良比はだか祭り」をご観覧していただきありがとうございました。私を含め秘書広報課の職員も、早速和田様のホームページを拝見いたしましたが、日本は言うに及ばず、諸外国の名所・旧跡などを多く撮影されていること驚き、そして「和良比はだか祭り」の写真だけでなくその他の写真についても言える事ですが、構図や撮影方法が素晴らしく臨場感に富み、カメラのスペックだけでは補いきれない和田様の写真に対する情熱をうかがうことができました。おそらく和田様のホームページを見られた方であれば、驚きと共に非常に感動されることと思います。

 私どもが撮影した和良比はだか祭りの写真と和田様の写真を見比べましたが、あまりの違いの大きさに何とも情けない気分になりましたが、めげていても解決しないので、和田様の撮影された写真を参考にし、市民の皆様に感動を与えられるような写真撮影を心がけていきたいと存じます。

  和田様におかれましては、人に感動を与える写真を撮影していただけることを期待しております。市といたしましても、和田様をはじめとして多くの皆様が来年も「和良比はだか祭り」にお越しいただけるよう、努めて参りたいと存じます。 お体には十分注意してお過ごし下さい。
 

四街道市総合政策部秘書広報課

四街道市秘書広報課 様
こんにちは。ご丁寧なご返事を賜り、恐縮です。嬉しく拝読させて頂きました。もし、私の撮影した和良比はだか祭りの写真が貴市のホームページやポスター、パンフレットなどでお役に立てることがありましたら、お知らせ下さい。「撮影:和田義男」というキャプションさえどこかに表示していただければ、ご自由にお使い頂いて結構です。
必要なら500万画素の原画をお送りしますので、半紙程度まで写真画質で印刷できます。以前神戸市に単身赴任していましたが、そのとき神戸祭りのポスターに写真を提供させて頂きました。社会貢献できればといつも思っておりますので、どうかご遠慮なくお申し付け下さい。有り難うございました。
     
 
 
   
メール拝見しました。「和良比はだか祭り」の感想と警察に対する激励のメールありがとうございます。早速関係部署に連絡致します。今後とも、警察活動に対するご理解とご協力をお願い致します。
 

千葉県警察本部広報県民課長
 

 

神田の合戦!

神田の合戦!

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道通宮子供会陽
http://wadaphoto.jp/maturi/doutu1.htm 
七沖田神社道通宮
岡山県岡山市沖元
平成17年(2005)2月27日(日)
撮影・原作:ちばあきお 監修:和田義男

 平成17年(2005)2月27日(日)岡山市沖元に鎮座する沖田神社(おきたじんじゃ)・道通宮(どうつうぐう)で子供会陽が開かれた。沖田神社の境内の一角にある道通宮では、2月の西大寺会陽の次の第四日曜日に会陽が行われる。江戸末期から120年の伝統を刻んできたこの会陽は、かつては成人男子によって行われていたが、昭和30年(1955)から少年の健全育成のため、男子小学生だけで行なわれるようになった。
 男児たちは低学年と高学年の二組に分かれ、低学年は赤褌(あかふんどし)、高学年は白褌(しろふんどし)を締める。褌は前垂れ式六尺褌で、一本の長尺布で褌と腹巻きを兼ねている。保温と緩み防止には最良の方法である。
 今年の会陽には小学生男子170人が参加。百間川(ひゃっけんがわ)の河原で柄杓による禊を行った後、学年ごとに3グループに分かれて神木(しんぎ)を奪い合った。神木は三種類あり、午前11時40分から景品神木(けいひん・しんぎ)130本と副神木(ふくしんぎ)20本が撒かれ、正午には本神木(ほんしんぎ)2本が投下された。
 激しい争奪戦の結果、投下から5分後に最初の取主となり、一人目の福男児となったのは、竜ノ口小学校6年生の前田晃君。2年連続の快挙だという。二人目の福男児となったのは西大寺小学校6年生の小林暁弘君。本神木をしっかりと握って沖田神社の拝殿に向かった。

本神木を取り合う裸の渦

本神木を取り合う裸の渦

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しおざわ雪譜まつり/山伏滝行
http://wadaphoto.jp/maturi/seppu1.htm 
巻機山萬学院
新潟県南魚沼市塩沢
2006年2月18日(土)
撮影・制作:和田義男

 2006年2月18日(土)新潟県南魚沼市塩沢で「第22回しおざわ雪譜(せっぷ)まつり」が開催された。午前10時から始まった「山伏水行之儀」が行われたのは機織り(はたおり)の神・巻機権現(まきはたごんげん)として崇められる山岳修験道の霊山・巻機山(まきはたやま)(1967m)の登山口にあるC水(しみず)と呼ばれる村落で、JR塩沢駅から車で15分ほどで着く。
 「山伏水行之儀」は、天台系の里山伏である本山修験宗(ほんざんしゅげんしゅう)の巻機山萬学院(まきはたやま・まんがくいん)住職・田村昌法(たむらしょうほう)さん59歳が主催する滝行(たきぎょう)である。里山伏(さとやまぶし)と呼ばれる山伏は、新潟県と高知県にしか見られないといわれる。
  山伏の飛び散る飛沫雪解水  北舟 

やまぶしの とびちるしぶき ゆきげみず

Melted snow flying about like a cloud of spray from a body of yamabushi.

萬学院昌法さんの滝行5

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萬学院昌法さんの滝行6 萬学院昌法さんの滝行7

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▲▼ 外気温-5℃の中で白衣を脱ぎ越中褌一丁の裸形(らぎょう)になって滝に向かった昌法さんは足から清水を浴びて徐々に身体を冷水に慣らし、肩、首、頭頂と冷水を浴びていった。昌法さんは、山伏の流儀で、頭巾(ときん)に脚絆(きゃはん)を付け、藁沓(わらぐつ)を履いている。裸足では雪中歩行ができず、滝の中で滑って危ないという。
 雪で覆われて洞窟のようになった火生(かしょう)の滝は、周囲に氷柱(つらら)が下がっている。その中央に行者一人が立つことのできる岩があり、そこに立つと、零度に近い雪解水(ゆきげみず)が容赦なく行者の身体を打つ。
  初春やマイナス五度の水の行  北舟 

はつはるや まいなすごどの みずのぎょう

Early spring, Cold-water ablutions
temperature minus five degrees Centigrade.

印を結んで滝に打たれる山伏・萬学院昌法さん

印を結んで滝に打たれる山伏・萬学院昌法さん

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▼ 午後、塩沢にある民家のような佇まいの萬学院を訪ねた。斎主の昌法さんは、私と同い年であることにビックリ。滝行とは違って非常ににこやかで、好感が持てた。奥様が出てこられたので名刺を渡して挨拶したところ茶菓子の接待を受け、大変お世話になった。

夜の大護摩の準備 / 萬学院(午後4時20分)

夜の大護摩の準備 / 萬学院

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百八燈大護摩の主役を務める山伏一行は市内の牧之通り(ぼくしどおり)で蝋燭神輿(ろうそくみこし)と合流し、午後5時10分に会場に到着。間もなく本日のメイン・イベントである百八燈大護摩が始まった。
  護摩壇の紅蓮の炎雪解風  北舟 

ごまだんの ぐれんのほのお ゆきげかぜ

Snow-melting wind, Bright red flames on a holy-fire platform for invocation.

神札を炊きあげる山伏たち(午後6時33分)

神札を炊きあげる山伏たち

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500周年!西大寺会陽
http://wadaphoto.jp/maturi/eyo01.htm 
西大寺
岡山県岡山市東区
平成22年(2010)2月20日(土)
撮影・制作:和田義男

 平成22年(2010)2月20日(土)、岡山市東区の金陵山西大寺(きんりょうざん・さいだいじ)で500周年の節目を迎えた「西大寺会陽はだかまつり」が開催され、33,000人の観客と9,500人の裸が参加した。裸祭りとして有名な西大寺会陽(さいだいじえよう)は、かつては旧暦正月元旦から27日(にしちにち)つまり14日間続いた修正会結願(しゅしょうえ・けちがん)の14日の夜半に行われていたが、昭和37年(1962)から毎年新暦2月の第3土曜日に行われるようになった。
 岡山市商工会議所西大寺支所に置かれた西大寺青年会議所少年はだか祭り実行委員会が主催する「少年はだか祭り」は、次代の会陽を担う少年たちの健全な育成を目的に、本番の会陽の前哨戦として昭和47年(1972)から実施されており、今年で39回目となる。当初は市中行進だけだったが、昭和54年(1979)から宝筒(たからづつ)争奪戦が加えられた。

 今年から飲酒などによる事故防止の観点から宝木(しんぎ)投下時間が2時間早まり、会陽褌をキリリと締め込んだ裸たちは、垢離取場(こりとりば)で垢離を取り、本尊にお参りした後午後10時に投下された一対二本の宝木を巡って激しい争奪戦が繰り広げ、宝木仮受所(しんぎかりうけしょ)(岡山商工会議所西大寺支所)での山主(やまぬし)(僧侶)の検分により二組の取主(とりぬし)が福男(ふくおとこ)に認定された。
 その後、福男たちは宝木を携えて西大寺バスターミナルに赴き、御福頂戴(ごふくちょうだい)の福受式典(ふくうけしきてん)に出席。宝木は、山主により、牛玉(ごおう)封じののち厨子(ずし)に納められ、創立100周年の節目を迎えた祝主(いわいぬし)の両備グループに引き継がれた。
  褌の駆け抜けてゆく寒の垢離  北舟 

ふんどしの かけぬけてゆく かんのこり

Midwinter ablutions, men of loincloths running through the pool.

盛り上がる 垢離取場こりとりば  21:19

盛り上がる垢離取場 21:19

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▲▼ 会陽(えよう)とは修正会結願(しゅしょうえ・けちがん)行事の地域的名称である。岡山県以外でも香川県善通寺市の善通寺会陽などがあるほか、岡山県には岡山市・金山寺会陽、美作町・安養寺会陽、西粟倉村・岩倉寺会陽など多くの会陽がある。しかし、何といっても全国に名を知られているのが岡山市・西大寺会陽であり、昭和34年(1959)岡山県により重要無形民俗文化財に指定されている。
次々と 地押じおし に繰り込む 企業裸きぎょうはだか たち 21:33

次々と地押に繰り込む企業裸たち 21:33

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▲▼ 深夜、西大寺観音院本堂大床(おおゆか 本堂外陣(げじん)の呼称)に参集した大勢の裸群の頭上に修正会のあいだ修せられた一対二本の宝木(しんぎ)が投下され、裸たちがすさましい争奪戦を繰り広げる会陽は、近年も死者を出したほどに荒っぽい。

宝木しんぎ

投下の瞬間/本堂御福窓
 

↓宝木

 

 

「西大寺会陽五00周年はだかまつり」のポスター

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写真:西大寺会陽奉賛会

▲▼ 以前は修正会結願の日の真夜中に御福窓から住職によって牛玉(ごおう)(右から西大寺、牛玉、宝印と書かれた紙の護符)が投下されていた。
 争奪戦が激化するにつれて、紙ではちぎれてしまうことから、室町時代の永正7年(1510)当時の住職であった忠阿上人(ちゅうあしょうにん)が牛玉を木に巻き付けた宝木(しんぎ)に代え、長さ20cmほどの木製の円筒となって今日に至っている。この時初めて会陽(春の意の「陽」に会う)と名付けられたという。

本堂大床ほんどうおおゆか

の攻防! 22:00:36

本堂大床の攻防! 22:00:36

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激しい

宝木しんぎ

争奪戦/本堂御福窓

現在は、梁から飛び降りるのは危険行為として禁止されている。

激しい宝木争奪戦/本堂御福窓

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写真:西大寺会陽奉賛会

  大床の福取に沸く會陽かな  北舟 

おおゆかの ふくとりにわく えようかな

Festival Eyo, enthusiasm for taking lucky charms at Ohyuka hall.

 宝木投下1時間後に福男に認定されたのは、寺坂グループの古屋野幹仁さん(38歳 倉敷市)、加島谷祐司さん(30歳 東区西大寺)、寺坂幸也さん(41歳 東区西大寺)の3人。宝木仮受所の一升桝に山盛りの米に宝木を突き立てた。今回、3年連続福男に輝くという快挙を成し遂げたので、ことさら注目を浴びた。 続いて、二組目の取主が仮受所に姿を現し、検分の結果、飯田組の田坂大地さん(34歳 東区瀬戸町)飯田耕太郎さん(40歳 姫路市)岡田勲さん(66歳 東区竹原)の3人が福男に認定された。
3年連続 福男ふくおとこ となった寺坂グループ 23:01
二組目の 福男ふくおとこ 飯田組の3人 23:07
3年連続福男となった寺坂グループ/西大寺商工会議所 23:01 二組目の福男 飯田組の3人 23:07

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  福男會陽で見せる初笑ひ  北舟 

ふくおとこ えようでみせる はつわらい

Lucky men, showing their first smiles for the year at Eyo Festival.

 両備グループの福受会場で、福男たちのグループ2組40人による「宝木祝い込み」と呼ばれるお披露目パレードが行われた後、二本の宝木は住職ら僧侶によって厨子に納められた。続いて、「祝主(いわいぬし)行燈(あんどん)の揮毫(きごう)」に移り、小嶋光信両備グループ代表が縦横120cm×40cmほどの行燈の一面に力強く「御福頂戴」と墨書(ぼくしょ)し、二本の宝木は双宝木(もろしんぎ)として両備グループのものとなった。その後、小嶋光信代表の挨拶の後、祝宴に入ったが、時刻は既に翌日に入っていた。
祝主のものとなった 双寳木もろしんぎ (左)
 
祝主のものとなった 双寳木もろしんぎ (右)

祝主のものとなった双寳木(左)

祝主のものとなった双寳木(右)

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  行燈の御福頂戴會陽の日  北舟 

あんどんの ごふくちょうだい えようのひ

The day of Eyo Festival, 'Give me good luck.' on a paper lantern.

小嶋光信こじまみつのぶ 両備グループ代表の挨拶 2010.2.21 00:01

小嶋光信両備グループ代表の挨拶 2010.2.21 00:01

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七所社きねこさ祭
http://wadaphoto.jp/maturi/fuyu5.htm 
七所社
愛知県名古屋市
平成20年(2008)2月23日(土)
撮影・原作:市川 清 監修:和田義男

 平成20年(2008)2月23日(土)愛知県名古屋市中村区岩塚町(いわつかちょう)に鎮座する七所社(ひちしょしゃ)で「きねこさ祭り」が開かれた。きねこさ祭は、毎年旧暦1月17日に厄除け、子孫繁栄、天下太平、五穀豊穣などを祈念して行われる祭礼で、特に厄除けに霊験があると伝えられている。 「きねこさ祭」の名前は、午後3時から行われる神前での厄除神事で耕作の所作を演じる合間に役者が「キネ」(たて杵)と「コサ」(杵からこすり落とした餅)と呼ぶ採物*(とりもの)で暴れ回ることに由来する。キネコサで叩かれると厄除けになるという。
 祭礼の中心は後厄(42歳)の男性10名と厄年の子供2名の12名である。神社の社務所で早朝の冷水での禊など3日間の潔斎(けっさい)を経て当日を迎える。参道の入口には、氏子の手による大注連縄(おおしめなわ)が飾られ当日は12時半から庄内川(しょうないがわ)での川祭り神事、午後2時から古式行列、午後3時から境内での厄除け神事などが行われる。(名古屋市無形民族文化財)

気合い!

気合い!

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天念寺修正鬼会
http://wadaphoto.jp/maturi/onie7.htm 
天念寺
大分県豊後高田市
平成19年(2007)2月24日(土)
撮影・原作:清原 浩 監修:和田義男

  篝火に浮かぶ白褌初薬師  北舟 

 かがりびに うかぶびゃっこん はつやくし

First Yakushi ritual this year, white fundoshi loincloths standing out by bonfires.
 平成19年(2007)2月24日(土)大分県豊後高田市(ぶんごたかだし)大字(おおあざ)長岩屋(ながいわや)に建つ天台宗の長岩屋山(ながいわやさん)天念寺(てんねんじ)で、国東(くにさき)半島の六郷満山(ろくごうまんざん)に伝わる修正鬼会(しゅじょう・おにえ)が開かれた。
 修正鬼会は、毎年旧正月7日に天念寺講堂の本尊・薬師如来の前で行われる祭礼である。午後3時頃から六郷満山に所在する寺院の僧侶たちが講堂に集まり、夕刻まで昼の勤行(ごんぎょう)が行われる。午後7時頃から災祓い鬼(さいばらいおに)(赤鬼)と荒鬼(あらおに)(黒鬼)役の僧侶とテイレシ(介錯)を務める若者たちが天念寺前の長岩屋川(ながいわやがわ)で身を清めるコーリトリ(垢離取り)が行われる。
 午後8時頃、祭り装束に身を包んだ若者たちは、公民館前で長さ5mの大松明(たいまつ)三本に火を付け、岩にぶつけて火の粉を散らし、講堂・権現社・本堂の前面に高々と翳(かざ)してタイアゲと呼ばれる火の儀式を行う。 間もなく僧侶たちが講堂に集まり、読経(どきょう)が始まり、夜の勤行(ごんぎょう)が行われる。午後9時頃から立役(たちやく)と呼ばれる行事に移り、囃子方の演奏にあわせて僧侶たちによる舞華(まいげ)、開白(かいはく)、香水(こうずい)、鈴鬼(すずおに)の法舞(ほうぶ)(仏教儀式の舞踊)が午後10時頃まで続く。
 午後10時頃になると災祓い鬼(さいばらいおに)(赤鬼)があらわれ、松明(たいまつ)を持って講堂内をあばれる。続いて荒鬼(あらおに)(黒鬼)があらわれ、クライマックスを迎える。堂内は松明の火の粉が飛び散り、煙が立ち込める。鬼の目餅が撒(ま)かれると、その争奪戦で騒然となり、最後に赤鬼・黒鬼が信者らの肩や尻を松明で叩き、無病息災の加地を与えて閉幕する。(国指定重要無形民俗文化財)

大松明オーダイ

の火合わせ

大松明の火合わせ

拡大写真(1300X1600)229KB
  赤と黒鬼の押し合ふ初薬師  北舟 

あかとくろ おにのおしあう はつやくし

First Yakushi ritual this year, ogres of red and black pushing together.
赤鬼・黒鬼の法舞 2009.2.24 22:15

赤鬼・黒鬼の法舞

拡大写真(1800X1400)439KB

栃堀裸押合大祭
http://wadaphoto.jp/maturi/totibori1.htm 
巣守神社
新潟県長岡市(旧栃尾市)
平成20年(2008)2月9日(土)
撮影・制作:和田義男

 平成20年(2008)2月9日(土)、新潟県長岡市(旧栃尾市)栃堀(とちぼり)に鎮座する巣守神社(すもり・じんじゃ)で裸押合大祭が拓かれた。裸押合大祭が開かれる巣守神社は、栃堀ふるさと交流会館から歩いて数分のところにある。旧栃尾市一帯には、守門岳(すもんだけ)を祀る巣守神社や守門神社と呼ばれる神社が多い。同名の神社があるので、間違わないよう注意する必要がある。
 天正年間(1570年代)、上杉謙信が守門岳登山口の栃堀にある巣守神社に毘沙門天(びしゃもんてん)を祀り、戦勝祈願や五穀豊穣を願ったのが裸押合大祭の始まりといわれる。数年前までは1月15日に開催されていたが、事前の準備が大変なので、2月の第二土曜日になったという。新潟県南魚沼市(旧大和町)浦佐の裸押合大祭とあわせて、越後の二大押合大祭と呼ばれる。
 午後7時5分頃、太鼓の合図で裸押合大祭がはじまり、裸男たちは午後8時半頃まで「押(オ)ッセ、押(オ)ッセ」「サンヨ(撒与)、サンヨ」などと大声で掛け声を掛け合いながら、火照(ほて)った身体をぶつけ合い、揉み合いを繰り広げ、巣守神社本殿は熱気に包まれた。
 約1時間半の間に、270枚もの福札がばらまかれるので、50人で平均すると一人5枚は獲得できる数である。この福札は、終了後、ふるさと交流会館で一等賞の5万円をはじめ、家電製品など、豪華な景品と引き換えられるので、参加者の大きな楽しみとなっている。
  雪の里福札取りの白褌  北舟 

ゆきのさと ふくふだとりの しろふどし

A snow village, White loincloths for lucky plates.

ジャンプして富札を追う

ジャンプして富札を追う

拡大写真(1800X1350)461KB
 
國府宮はだか祭
http://wadaphoto.jp/maturi/kouno1.htm 
國府宮
愛知県稲沢市
平成18年(2006)2月10日(金)
撮影:制作:和田義男

 平成18年(2006)2月10日(金)愛知県稲沢市(いなざわし)に鎮座する國府宮(こうのみや)で恒例の裸祭りが開かれた。國府宮の裸祭りは正しくは儺追神事(なおいしんじ)といい、毎年旧正月の13日に斎行される。儺追笹(なおいざさ)を奉納した裸男(はだかおとこ)たちが厄を落とすべく全裸の神男(しんおとこ)に触れようと揉み合う勇壮な祭りで、江戸時代の末頃から始まったという。今年は9千人のはだか男と14万人の観衆が國府宮に押し寄せ、大規模な裸のページェントが繰り広げられた。
 はだか連は、町内を練り歩いたあと、参道入口の石鳥居前の交差点にやってくると、ひとしきり練り上げた後、高々となおい笹を立て、気勢を上げる。その後、参道を練り歩き、楼門を通って國府宮になおい笹を奉納する。太陽が徐々に西に傾くころ、石鳥居前の参道入口は、三方から大勢のはだか連が先を争って乗り込み、なおい笹を携えて練り歩く光景が続き、はだかにもかかわらず、熱気溢れる祭りの佳境を迎えた。
 巨大な「なおい笹」が楼門を通過した後、参道は神男を待ち受けるはだか男たちで一杯になった。神男は参道のどこから入ってくるか分からないが、必ず楼門を通って儺追殿に向かうので、楼門付近が一番の混雑となる。
 手桶隊が参拝して参道に引き返したあと、間もなく神男が参道に現れ、はだか男たちが「ワッショイ!」「ワッショイ!」と声を掛けながら一斉に神男に殺到してはだかの渦が生まれた。今年の神男は神籤(みくじ)(御神籤 おみくじ)で選ばれた津田敏樹さん(31歳)。神男の警護役は水谷光晴さん(40歳)。
 午後5時13分、湯気を上げて徐々に楼門に向かってくるはだかの渦をレンズが捉えた。ぎりぎりの時刻である。午後5時18分、渦の中心が見物席の前にやってきた。はだか男たちが必死になって神男に触れようと群がっている様子を撮影することができた。
  初春やはだかで埋まる國府宮  北舟 

はつはるや  はだかでうまる  こうのみや

Early spring, Kouno-miya shrine overflowing with naked men.

日没の参道・・・神男を待つはだかたち(午後5時5分)

日没の参道・・・神男を待つはだかたち

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  国府宮全裸の神に厄落  北舟 

こうのみや ぜんらのかみに やくおとし

Kouno-miya shrine, Exorcism by touching the naked God.

楼門に達した渦(午後5時21分)

楼門に達した渦

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立源寺水行
http://wadaphoto.jp/maturi/ara11.htm
立源寺
東京都目黒区
平成21年(2009)2月10日(火)
撮影・制作:和田義男

 平成21年(2009)2月10日(火)午後1時半から東京都目黒区の日蓮宗・立源寺(りゅうげんじ)で水行式と大祈祷会(だいきとうえ)が開かれた。水行式に先立ち、「東京立源寺」「目黒同心会」と書かれた半纏を羽織った壇信徒たちが団扇太鼓(うちわだいこ)を手に境内に仮設された水行場に参集。団扇太鼓の演奏や江戸っ子の文化である纏舞(まといまい)を披露した。
 今年、全国の日蓮宗寺院から千葉県市川市中山にある正中山法華経寺(しょうちゅうざん・ほけきょうじ)に入行(にゅうぎょう)した荒行僧は175人。昨年11月1日から2月10日までの100日間、日蓮宗大荒行堂(だいあらぎょうどう)で、過酷な荒行を修めた。壇信徒や寺院関係者たちは、「行僧(ぎょうそう)さん」と親しげに呼んでいる荒行僧たちだが、全国に散らばる日蓮宗寺院の住職を務める上人(しょうにん)という高僧が多い。
 荒行僧たちは、千葉県中山の法華経寺で昨年の11月1日から100日間、俗界から総ての縁を断ち、1日に7回冷水をかぶり、3時間の睡眠と朝夕2回の粥と精進料理だけの「百日行(ひゃくにちぎょう)」という厳しい修業を積んできた。立源寺の水行式に姿を現した僧侶は、太田順道伝師(おおたじゅんどう・でんし)と10名の行僧たちの計11名。伝師を上座にして、5名づつ左右に位置し、水盤と呼ばれる仮設水槽に対峙(たいじ)した。荒行僧たちは、白衣を脱いで褌一丁の裸形になり、大荒行堂で100日間実施してきたものと全く同じ作法の水行を披露し、本堂で開催される大祈祷会(だいきとうえ)に参列の後、晴れて出身の寺院に帰ることができる。10人の荒行僧たちは、太田伝師の作法に合わせ、水行肝文(すいぎょうかんもん)を唱えながら注連縄(しめなわ)と薦(こも)を巡らした水盤(水槽)から水行桶(手桶)で水を汲み、反動をつけて頭上から背後の首筋に一気に水を浴びせた。

 水行式が終わった後、立源寺本堂で大祈祷会が開かれた。荒行僧と呼ばれる彼らは、正確には加持祈祷を行う修法師(しゅほっし)である。日蓮宗の僧侶のうち、100日間の荒行を満行した者は、伝師(でんし)(加持祈祷の師範)から秘法を受け、宗務総長より修法師として任命される。加持祈祷のあと、行者たちは信者の前に並び、石井骰N住職による祝辞があったあと、太田順道伝師と10人の行僧たちの紹介と挨拶があり、多くの壇信徒たちが本堂を埋めた大祈祷会は盛況のうちにお開きとなった。
  梅が香や江戸っ子信徒の纏舞  北舟 

うめがかや えどっこしんとの まといまい

A scent of plum, believers of traditional Tokyoite dancing with Matoi.

スプラッシュ!

スプラッシュ!

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  白褌の僧成満の寒の垢離  北舟 

びゃっこんの そうじょうまんの かんのこり

Buddhist priests of white loincloth, Cold water purification for the achievement.

祈祷 2 祈祷 5
 
長勝寺・寒の荒行
http://wadaphoto.jp/maturi/ara1.htm 
長勝寺
神奈川県鎌倉市
平成16年(2004)2月11日(水)
撮影:制作:和田義男

 荒行僧(あらぎょうそう)の水行(すいぎょう)が見られるというので2004年2月11日(水)建国記念の日に鎌倉の長勝寺に行った。JR横須賀線・鎌倉駅東口3番線のバスに乗り5分ほどでバス停・長勝寺に着く。長勝寺の入口は直ぐそばにある。
 冬の鎌倉観光の一つ「長勝寺の荒行」は、「立正安国国祷会(りっしょうあんこく・こくとうえ)」に組み込まれた「大荒行僧成満祭(だいあらぎょうそう・じょうまんさい)」の中で行われる。国祷会は、法華経の流布と世界平和、檀信徒一般大衆の抜苦与楽(ばっくよらく)(苦しみを除き、真の安楽を与える)を祈念する行事である。成満祭は、極寒の100日間の荒行が満了し、荒行僧が出身の寺に帰る帰山式であり、日蓮ゆかりの地で最後の水行が行われる。長勝寺の好意により、この水行が公開されており、鎌倉の冬の風物詩となっている。

 毎年全国の日蓮宗の寺院から正中山法華経寺に派遣される荒行僧は100人を超えるという。今年は130人ほどが昨年11月1日から2月10日までの100日間荒行堂に入行し厳しい荒行を修めた。荒行僧になるには日蓮宗の僧侶のうち修法規程に沿ったものに限られ、厳しい修行に耐えうる体力と精神力が要求される。
 荒行僧の一日は、早朝2時半に起床し、朝3時の一番の水から3時間毎に午後11時まで1日7回寒水に身を清める「水行」をはじめ、「万巻の読経」、「木釼(ぼっけん)相承」、相伝書の「書写行」がある。食事は朝夕2回、梅干し1個と白粥だけという。冷たい水を浴び、お粥を食べ、死ぬほどの厳しい修行を通じて罪を悔い改め、心から反省するならば、生まれ変わったように尊い身となるという。
  寒の空水行僧の褌の白  北舟 

かんのそら すいぎょうそうの こんのしろ

Sky of the coldest seazon, White of the loincloth the buddist bathing.

気合い

気合い

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▲▼ 鎌倉の長勝寺では、正中山法華経寺で大荒行成満会が行われた翌日に成満祭が執り行われる。毎年30人ほどが参加するそうで、今年は23人だった。荒行僧は、大荒行堂で100日間実施してきた水行と全く同じ作法の水行を披露したあと、出身の寺院に帰って行く。今日は彼らにとって思い出深い晴れやかな日なのである。
 1回の水行は水行肝文という経文を唱えながら7〜8回首の後部に冷水をかぶる。水行肝文とは帝釈天などの諸天善神(しょてんぜんじん)の御加護と六根清浄を祈るものだという。グループ毎に導師役がいるので、その指示により整然とした水行がおこなわれる。1回の水行は10分ほど。次のグループの水行も8名の荒行僧により、同様の手順でおこなわれた。

背伸び

飛 沫

背伸び 飛 沫

拡大写真(900x1200)228KB

拡大写真(900x1200)265KB

妙法輪寺寒の荒行
http://wadaphoto.jp/maturi/ara5.htm 
妙法輪寺
石川県羽咋郡宝達志水町
平成19年(2007)2月16日(金)
撮影・原作:蓮野 渉 監修:和田義男
荒行僧の先頭を行く大森教生上人 手桶で水を汲む

 平成19年(2007)2月16日(金)、石川県羽咋郡(はくいぐん)宝達志水町(ほうだつしみずちょう)麦生(むんぎょ)の日蓮宗宝栄山(ほうえいざん)妙法輪寺(みょうほうりんじ)において12人の荒行僧による帰山奉告式大祈祷会が開かれた。
 今回、全国の日蓮宗寺院から千葉県市川市中山にある正中山法華経寺(しょうちゅうざん・ほけきょうじ)に入行(にゅうぎょう)した荒行僧は183人。昨年11月1日から2月10日までの100日間、日蓮宗大荒行堂(だいあらぎょうどう)で、過酷な荒行を修めた。今年妙法輪寺から住職の大森教裕上人の子息・大森教生上人が初めての荒行(初行)に参加して見事に成満(じょうまん)。この日同じ荒行を修めた11人の上人と共に帰還し、妙法輪寺で大祈祷会が催行されたもの。

 大森住職によると、今年入行した183名の修行僧のうち途中脱落者が7名もあり、うち1名は入院後死亡したという。まさに殉職者が出るほどの命賭けの行である。年々脱落者が増えているとのことで、知育偏重教育による体力不足や、少子化による忍耐力の低下などの要因が考えられるが、いずれにしても豊かな生活を享受する日本の世相を反映していることだけは確かなようである。
 白髪の修法師・堀田龍顕上人は今年も参籠し、遂に第十行(10回の荒行)を成満した。比叡山千日回峰の阿闍梨(あじゃり)のように千日水行を達成した修法師は極めて貴重な存在で、この日、信者らの尊敬と注目を浴びた。
   白褌の行者白髪寒禊    北舟 

びゃっこんの ぎょうじゃはくはつ かんみそぎ

Purification with water in the cold season,
The ascetic of a white loincloth,
has white hair on his head and a white beard.

一斉に冷水を浴びる

一斉に冷水を浴びる

拡大写真(1600x1070)525KB 


2021年2月日(木)晴

■■■ 岩戸寺修正鬼会 ■■■

岩戸寺修正鬼会
http://wadaphoto.jp/maturi/iwato1.htm 
岩戸寺
大分県国東市国東町
平成21年(2009)1月31日(土)-2月1日(日)
撮影・原作:清原 浩 監修:和田義男

  七日夜の川の阿迦汲褌の白  北舟 

なぬかよの かわのあかくみ こんのしろ

Taking a bucketful of river water at seventh night of the New Year, White is the loincloth.

 平成21年(2009)1月31日(土)から2月1日(日)にかけて大分県国東市国東町(くにさきし・くにさきまち)に建つ天台宗石立山(いしだてさん)岩戸寺(いわとじ)国東半島の六郷満山(ろくごうまんざん)に伝わる修正鬼会(しゅじょう・おにえ)が開かれた。
 昭和52年(1977)に国から重要無形民俗文化財に指定された鬼会は「鬼を追い払う」のではなく、「鬼に姿を変えた仏を出迎える。」「鬼に出会うことは鬼籍に入って成仏した祖先に出会うことで、祖先と楽しく過ごす。」という国東半島独自の宗教観を持つ。
 成佛寺の鬼会は、旧正月五日に開催されるが、岩戸寺の鬼会は、天念寺と同様、毎年旧正月七日(なぬか)に開催される。今年は2月1日に当たるが、7日正月(なぬかしょうがつ)と呼ばれ、元旦から始まった正月の終わりの日として、七草粥を食べたり、門松を外したりする。
 また、旧正月七日(なぬか)は、初薬師とも呼ばれ岩手県奥州市の黒石寺蘇民祭など、薬師如来を本尊とする寺院では、この日に年始めの盛大な祭礼を行う例が見受けられる。岩戸寺の鬼会は、前日の夜(今年は1月31日)から七日朝にかけて行われるのが特徴である。
輪になって廻る 災払鬼さいばらおに

輪になって廻る災払鬼

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   初春の鬼の松明災払  北舟 

はつはるの おにのたいまつ さいばらい

An exorcism by ogre's torches in early spring.
仏壇と神棚のある家

仏壇と神棚のある家

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2021年2月3日(水)晴

■■■ 宝光院はだか祭 ■■■

宝光院はだか祭
http://wadaphoto.jp/maturi/hidarime1.htm 
宝光院
岐阜県大垣市
平成20年(2008)2月3日(日)
撮影・制作:和田義男

 平成20年(2008)2月3日(日)節分の日、東京は大雪に見舞われたが、岐阜県大垣市(おおがきし)・宝光院(ほうこういん)(鈴木孝敬住職)において「節分会(せつぶんえ)はだか祭」が開催された。宝光院のはだか祭は古くから行われていたが、一時途切れていたところ、戦後になって先代の住職が復活させたという。その後、既に60年の歴史を積み重ねており、伝統の裸祭りとして全国的にも知られるようになった。昔の祭り装束を忠実に守っており、リーダーの指導力と相まって、統制の取れた美しい祭りに仕上がっている。
 裸男の一行約70名は、日の丸扇と笛を持ったリーダーを先頭に、午後1時20分ころ、宿の前で4人1組の一列縦隊となり、宝光院を目指してスクラム行進を始めた。午後1時23分、裸の一行は宝光院の境内に入り、大勢の観衆を前にスクラム行進を繰り返して気勢を挙げた。本堂外陣(げじん)でひとしきり錬り回った後、整列し、リーダーが不動真言(ふどうしんごん)などが書かれた祈祷文を声高らかに読み上げ、ひだりめ不動明王に参拝した。
 一行は境内で4回ほど裸練りを繰り返したあと、みそぎ川渡りのため土手の階段をのぼり、杭瀬川(くいせがわ)に入水して垢離を取った。杭瀬川は慶長5年(1600年)9月14日に行なわれた関ヶ原の戦いの前哨戦である「杭瀬川の戦い」で知られる。この戦いは局地戦だったが西軍が大勝し、東軍の総大将・徳川家康は辛酸を舐めたが、翌9月15日の関ヶ原本戦では東軍が勝利し、家康が天下を取った。以後、宝光院は徳川の御朱印地として歴代将軍の庇護を受けた。
 このあと、境内で心男・副心男の胴上げのあと、午後2時47分、鈴木孝敬住職により福俵が投下され、裸男たちによる激しい争奪戦が繰り広げられた。利剣木を手にした男が今年の福男となり、一年間の福を授かるとあって、大勢の裸男たちが福俵に殺到し、全身籾殻にまみれながら俵を引き裂いて手を差し入れ、利剣木を奪い合った。
  節分会白ふんどしの川渡  北舟 

せつぶんえ しろふんどしの かわわたり

A celebration for spring, River crossing with white loincloth.

  裸男たちによる

杭瀬川くいせがわ

のみそぎ 川渡がわわた

裸男たちによる杭瀬川のみそぎ川渡り

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