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2021年1月28日改訂
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♪埴生の宿メドレー 尺八:日當鶴山
旅と写真は元気の泉

感動の裸祭CD完成!

 

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白褌の放水天に出初式  北舟

2000年7月16日開設

纏舞で景気付けるはだか放水

纏舞で景気付けるはだか放水(金沢城公園/石川県金沢市)

2021年の日記 〈1月〉
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  2019年1-7月 8-12月 2020年1-12月 2021年1月 2月

「徒然日記」目次


2021年1月28日(木)晴

■■■ 五大尊蘇民祭 ■■■

雪渓を下る 11:00
五大尊蘇民祭
http://wadaphoto.jp/maturi/godaison01.htm 
貴峰山(きほうざん)光勝寺(こうしょうじ)
岩手県花巻市石鳥谷町(いしどりやちょう)
平成24年(2012)1月28日(土)〜29日(日)
撮影・制作:和田義男
噛符をくわえる裸たち 19:43

 平成24年(2012)1月28日(土)・29日(日)の両日、岩手県花巻市(はなまきし)石鳥谷町(いしどりやちょう)の貴峰山(きほうざん)光勝寺(こうしょうじ)(佐藤宥弘さとう ゆうこう住職 TEL0198-47-2230)で五大尊蘇民祭(ごだいそん そみんさい)が開催された。
 光勝寺の五大尊蘇民祭は、800年以上の歴史を誇る伝統の裸祭で、1年間の無病息災を祈って護摩を焚き、コマと呼ばれる365枚の木札が入った麻製の蘇民袋を奪い合い、御守札とする勇壮な冬祭である。
 花巻市無形民俗文化財の指定を受けたこの蘇民祭は、旧正月6日(2012年1月28日)午後7時から前夜祭があり、「裸参り」と星祭(ほしまつり)(護摩法要)が行われる。翌日の旧正月7日(2012年1月29日)は、午前9時半から12時半頃まで、御神火祭(ごじんかさい)(護摩法要)と蘇民袋争奪戦を中心とした蘇民祭が行われる。
   寒詣噛符行燈白褌  北舟

かんもうで かみふあんどん しろふどし

Midwinter pilgrims, mouthpieces of paper, square lanterns and white loincloths.

無言の「裸参り」の開始 19:43

無言の「裸参り」の開始 19:43

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   冬晴や褌登山の五人衆  北舟 

ふゆばれや ふんどしとざんの ごにんしゅう

The winter sun shining, the mountain climbing by the five naked of a string loincloth.

松明を手に褌登山

松明を手に褌登山

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   雪渓を下るふんどし男たち  北舟 

せっけいを くだるふんどし おとこたち

Guys of fundoshi loincloth, going down a snowy valley.

雪渓せっけい

を下る蘇民袋争奪戦 11:00

雪渓を下る蘇民袋争奪戦 11:00

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2021年1月24日(日)雨

■■■ 玉前神社大寒禊 ■■■

玉前神社大寒禊
http://wadaphoto.jp/maturi/tama01.htm 
上総国一ノ宮・玉前神社
千葉県長生郡一宮町
平成22年(2010)1月24日(日)
撮影・制作:和田義男

 平成22年(2010)1月24日(日)、千葉県長生郡一宮町(ちばけん・ちょうせいぐん・いちのみやまち)に鎮座する上総国一ノ宮(かずさのくに・いちのみや)「玉前神社(たまさきじんじゃ)」の大寒禊(だいかんみそぎ)が九十九里浜(くじゅうくりはま)一宮海岸(いちのみやかいがん)で初めて行われた。
 参加者は18名と少なかったが、新任の栗原崇次(くりはらたかつぐ)宮司の熱意により、新しい祭禮がこの地で始まった意義は大きい。鳥船などの準備運動をみっちり行った後、一行は10時45分ころ道彦を先頭に荒波寄せ来る海に入り、大祓詞(おおはらえ・ことば)を斉唱(せいしょう)する大寒禊が始まった。この日は殆ど風もなく、穏やかな冬晴れとなり、絶好の水行日和だったが、太平洋の冬の荒波が押し寄せる厳しい海象だったため、何回かに1回現れる大きな磯波に戸惑う参加者もみられた。
 全ての行事が終わると、お湯を積んだ給水車でお湯を被り、身体を温めながら塩抜きをした。これも神社側の細やかな配慮で、参加者は大喜びだった。大寒禊が終わったあと、11時半までに神社に集合とのことだったので、再度タクシーに乗り、駅の西にある玉前神社に行った。しばらく休憩所で待機していたところ、鉄筋コンクリート製のモダンな参集殿(さんしゅうでん)に案内され、拝殿で参拝した。
 大寒禊一行は、斎館(さいかん)に移動し、昼食会となった。最初に甘酒が振る舞われたあと、寒鰤や海老などの魚類や野菜がタップリ入った海鮮鍋とおにぎりソーセージ鏡餅を砕いて炒ったと思われる霰(あられ)が出された。昼食会のホストは、栗原宮司が自ら担当され、食事を頂きながら最後まで歓談させて頂いた。

★☆★彡

 玉前神社では、2010年から冬(正月)の大寒禊と夏(6月)の夏越禊を続けている。Wa☆Daフォトギャラリーは、スタート時より途切れることなく取材を続けると共に、大寒禊・夏越禊ともに全国連和田グループを組織して参加している。2013年1月27日(日)の第七回大寒禊では、和田グループ第七期7人が参加した。これからもこの新しい伝統の裸祭の発展をフォローし、撮影を続けてゆくと共に、全国から参加者を募集し、模範的禊集団として参加することにしている。
     海原の大寒禊九十九里  北舟 

うなばらの だいかんみそぎ くじゅうくり

Kujyukuri, purification of the coldest season in the ocean.

大波にたじろぐ 11:01

大波にたじろぐ 11:01

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大波注意!

大波注意!

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  大寒の大波浴びる褌衆 北舟 

だいかんの おおなみあびる ふどししゅう

Men of loincloth, bathing huge waves in the coldest season.

波にお手上げ!

波にお手上げ!

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  大寒の行者褌浜禊 北舟 

だいかんの ぎょうじゃふんどし はまみそぎ

Naked water purification at beach, the ascetics wearing fundoshi loincloth in the coldest season.

太平洋を背に記念撮影 11:31

太平洋を背に記念撮影 11:31

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2021年1月21日(木)晴

■■■ 江ノ島寒中神輿 ■■■

江ノ島寒中神輿
http://wadaphoto.jp/maturi/eno7.htm 
江ノ島寒中神輿錬成会
神奈川県藤沢市
平成19年(2007)1月21日(日)
撮影・制作:和田義男

 平成19年(2007)1月21日(日)午前11時から神奈川県藤沢市江ノ島片瀬海岸東浜で第26回江ノ島寒中神輿錬成会が開催された。江ノ島寒中神輿錬成会は、神社の祭礼ではなく、藤沢鎌倉神輿連合会(山口昌明会長)が主催する新成人を祝う祭典で、神輿愛好者約300人による年に一度の大会である。
 午前11時から式典が始まった。主役の新成人25人が中央に並び、藤沢鎌倉神輿連合会会長はじめ、議員などの来賓による祝辞のほか、江ノ島神社宮司らによる新年の安全祈願や神輿のお祓いが行われた。

出番を待つ4台の神輿

出番を待つ4台の神輿

パノラマ写真(2000x820)396KB

式典が執り行われている間会場西側の焚き火のそばに褌一丁の男たちが登場した。寒中神輿錬成会の神輿の担ぎ手は、夏の江ノ島天王祭の海中渡御の神事とは異なり、色物や柄物の水褌(すいこん)(前袋式六尺褌)を締めている。これほどカラフルな江戸っ子褌が揃うのはこの祭りだけで、他では見られない光景である。

焚火で暖を取る参加者たち

焚き火で暖を取る参加者たち

パノラマ写真(1800x970)397KB

式典の後、4基の神輿は砂浜を練り廻ったあと、多くの観客やアマチュアカメラマンが見守るなか、次々と湘南(しょうなん)の相模(さがみ)の海に入り、江ノ島をバックに初春の勇壮な海中渡御が行われた。

晴れやかな四基の海中渡御

晴れやかな四基の海中渡御

パノラマ写真(2000x1140)480KB

  初春の潮に練込む神輿かな  北舟 

はつはるの しおにねりこむ みこしかな

Early spring, Portable shrines rush to the tidal waves.

鳳龍神輿とサーフィン

鳳龍神輿とサーフィン

拡大写真(1750x1450)435KB

 

色柄物の江戸っ子褌がみられる裸祭

 江ノ島寒中神輿は新年の初神輿を担げるとあって部外参加者も多く、褌一丁の担ぎ手たちが4基の神輿を担いで海に入る姿は圧巻である。この祭の特徴は、主役があくまで両地区の新成人で、かつては神輿に乗ることが許されていたことと、担ぎ手たちが正月に海に入って神輿練りを行う点にある。
 色物や柄物のカラフルな江戸っ子褌(前袋式六尺褌)を締めた裸祭は他に例はなく、参加者たちは、毎年、新しい褌をあつらえてその鯔背ぶりを披露することを楽しみにしている。

 かつては、成人式を迎えた20歳の男女が神輿に乗って海上渡御を行い、晴れて成人の仲間入りを果たす儀式(通過儀礼)だったが、近年はどこの神社も神輿の上に乗ることを禁じるようになり、祭祀を司る江島神社(えのしまじんじゃ)もその例外ではなくなり、新成人が神輿の上に乗って海上渡御する姿はまったく見られなくなった。

 しかし幸いなことに、かつては評判だった振袖神輿(振袖姿の女性を乗せた神輿)を二度にわたって取材しているのでこの作品は貴重な歴史記録となった。
   湘南や海に練り込む初神輿  北舟 

しょうなんや うみにねりこむ はつみこし

Early spring, the first mikoshi of the year going into the sea.

海中の 神輿練みこしね

海中の神輿練り

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2021年1月20日(水)晴

■■■ 鹿島神宮大寒禊 ■■■

 
鹿島神宮大寒禊
http://wadaphoto.jp/maturi/kasima1.htm 
鹿島神宮
茨城県鹿嶋市
平成19年(2007)1月20日(土)
撮影・制作:和田義男

 平成19年(2007)1月20日(土)、茨城県鹿嶋市に鎮座する鹿島神宮(かしまじんぐう)第21回大寒禊が開催された。大寒禊は、午前9時に神宮に集合すれば、参加費2000円と申込書1枚を提出すれば誰でも参加できる。診断書は不要だが参加は自己責任。持参品は白タオル、草履(サンダル可)白褌、白鉢巻。白褌、白鉢巻は神宮でも用意されている。女性には、白衣、白襦袢、白鉢巻が貸与されるがタオル、帯紐、着替えは持参。説明資料には白褌となっていて、白色越中褌となっていないのは、神社の禊は越中褌に決まっているということなのだろう。事実六尺褌の人は誰一人いなかった。衣装統一はさすがである。
 禊の時間はきっちり15分。神拝詞(しんぱいし)を持つ手が震えている人が何人かいたがそれほど寒い顔をしていない。それもそのはず御手洗池は水温15℃の地下水が湧出しているので夏涼しく冬温かい池なのである。終了は午前10時50分。去年の参加者は110名だったが、今年は125人と増加、最高齢者は78歳の男性だった。
 行が終わると観客から良くやったという拍手が一斉に湧いた。初心者が沢山いるなかでの一糸乱れない行動は指導者の事前の説明や周到な用意が行き届いていることが伺われ、日本古来の伝統作法による清潔で美しい禊だった。
  寒垢離や御手洗池の行ふどし  北舟 

かんごりや みたらしいけの ぎょうふどし

Purification with water in the cold season, Training loincloth in the Mitarashi pond.

神拝詞しんぱいし

の斉唱

神拝詞の斉唱

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和田義男

 
撮影 2007年1月20日
 

 
OLYMPUS

E-330  11-22 mm
E-500  14-54 mm

 
800万画素 980枚 1,545MB

 

   新年を迎え、1月7日(日)の金沢・加賀鳶裸放水、14日(日)の東京・鐵砲洲稲荷神社寒中水浴大会、そして20日(土)の鹿島神社大寒禊と、三週連続で日本の裸褌文化を取材した。
   金沢では暴風雨の洗礼を受けたが、その後は晴天に恵まれ、正月の伝統行事をたっぷりと切り取ることができた。
   「はだかふんどし・ぶんか」という言葉は、私の造語である。internetで検索しても他に用例がないが、まさに日本人の心やアイデンティティ(日本人らしさ)を感じる清潔で美しい文化である。これからもinternetを通じて日本独自の文化を世界にアピールして行きたい。

みそぎ

ふんどし
  元旦やふどしたゝんで枕上   村上鬼城 

がんたんや ふどしたたんで まくらうえ

 この句は明治の俳人・村上鬼城(むらかみ・きじょう)が読んだ有名な褌の句で、「現代俳句歳時記」(昭和38年石田波郷・志摩芳次郎編/番町書房)、「最新俳句歳時記」(昭和47年山本健吉編著/文藝春秋)、「新撰俳句歳時記」(昭和51年秋元不死男編/明治書院)の「新年」に採録されている。この句のふどし(褌)は、当時殆どの日本人男性が下着に常用していた越中褌のことである。
 三つの歳時記ともにこの褌句を採ったのは、「百事一新の願いをこめて元旦を迎える気分を、さっぱりした清潔な褌をたたんで枕元においてある情景によってとらえたところが一つの趣向で、素材の面白さが歳時記編著者たちの目をとらえたからだろう。」(吟行版・季寄せ草木花/秋〈下〉 解説:本田正次 185〜186頁) と私も思う。
 当時、鬼城の俳句のように元旦には新しい褌を締める習慣があり、現在もそれを実践している人もいる。この慣行はいつ頃から始まったのか知らないが、戦前までは将校以上の軍人や幹部役人は年始めに斎戒沐浴(さいかい・もくよく)して新年を迎えた。神社などではその名残が今も続いている。

☆★☆彡

 この作品の前に「ガンジスの夜明け」を発表したが、1月23日の早朝ガンジス川で沐浴する光景を小池淳二さんが切り取ってこられたものである。インド人たちは、糞尿などの汚物や死骸などが流れる濁水に入って沐浴し、口を漱(すす)ぎ、排泄し、全てを洗い清め、死者の遺灰を水に流して、ガンジス川の神秘な力を授かろうとする。
 日本の神社(仏閣)は清潔で美しく、禊はその極致である。初禊には新しい白褌に身をつつみ、清水で汚れを払い、心身共に清浄となって新たな年を迎える。この伝統の風習が現代人の心を捉え、毎年参加者が増えていることを歓迎したい。  2007.2.13  〈 完 〉

2021年1月19日(火)晴

■■■ 的ばかい ■■■

的ばかい
四王子神社
熊本県玉名郡長洲町
平成15年(2003)1月19日(日)
撮影:ちばあきお 制作:和田義男

 毎年正月第三日曜日(2003年は1月19日)午後1時から熊本県玉名(たまな)郡長洲(ながす)町の四王子(しおうじ)神社で「的(まと)ばかい」が催され、130人ほどのふんどし姿の男たちが家内安全や無病息災などを祈って境内や路上有明海で「的」を奪い合う神事が行われた。「的ばかい」は四王子神社の破魔弓祭(はまゆみまつり)の別称で、800有余年の歴史を持つ勇壮な裸祭りである。
 1時間近く境内で「的」を奪い合った後、もみ合いながら近くの有明海へ移動し、地先の潟の浜辺で「的」を頭上に掲げて祭りは目出度く終了する。氏子の長老たちは、「的」の縄を切り取り、本体を16等分に裁断し、家内安全や無病息災などのお守りに、長洲町内や参拝者に配布する。

まと

を奪い合う褌衆

的を奪い合う褌衆

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2021年1月17日(日)晴

■■■ 伊手熊野神社蘇民祭 ■■■

 
伊手熊野神社蘇民祭
http://wadaphoto.jp/maturi/idesomin1.htm 
熊野神社
岩手県奥州市江刺区
平成22年(2010)1月16日(土)-17日(日)
撮影・原作:曽根由香

 平成22年(2010)1月16日(土)、 岩手県奥州市(おうしゅうし)江刺区(えさしく)(旧江刺市)伊手(いで)に鎮座する熊野神社(くまのじんじゃ)で蘇民祭(そみんさい)が開かれた。
 熊野神社の蘇民祭の起源は、四百年以上も前にさかのぼる。当時凶作や疫病などに苦しんだ人々が近隣の黒石寺を手本に始めたといわれているが、正確な記録は残っていないという。
 戦後の経済成長に伴い、人口流出が進み、さらに信仰心の希薄化や資金不足も重なって、蘇民祭は昭和35年(1960)に一時中断したが、昭和45年(1960)に有志が保存会を結成して隔年で再会され、昭和50年(1975)からは地区全域の協力を得て毎年開催されるようになった。
 昭和60年(1985)から開催日を旧暦から新暦の正月14日に変更。平成7年(1995)に「記録作成等の措置を講ずべき国の無形文化財」に指定されたが、黒石寺と同様に徹夜の祭礼だったため、平成11年(1999)から行事時間を短くして翌日の午前1〜2時頃に終わるように変更。平成13年(2001)から正月第三土曜日に開催することとなり、現在に至っている。
 午後9時から「岩手の火まつり」である「火たき登り」が始まった。これも易しく表記しているが、「火を焚いて登る」ことから「柴燈木登(ひたきのぼり)」を「火たき登り」と表現したのだろうか。
 柴燈木登(ひたきのぼり)は、積み重ねた松木(まつき)の上にのぼり、火の粉を浴びて身を清める行事で、これは修験道の柴燈護摩(さいとうごま)と考えられる儀式であり、修験道と神道とが見事に習合している。
 男たちは歳戸木(さいとぎ)の燃えさしを引き出し、地面や拝殿に叩き付け、飛び散る火の粉で邪気を払った。
  小雪舞ふ柴燈木登や白ふどし 北舟 

こゆきまう ひたきのぼりや しろふどし

A light snowfall, white loincloth of climbers on the smoking piles of Hitaki lumber of holy fire.

火たき登り(

柴燈木登ひたきのぼり

)の晴れ姿! 21:33

火たき登り(柴燈木登)の晴れ姿! 21:33

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2021年1月14日(木)晴
毎年1月14日は、「四天王寺どやどや」「木古内寒中みそぎ祭」が行われている。こゝに紹介したい。

■■■ 四天王寺どやどや ■■■

四天王寺どやどや
四天王寺
大阪市天王寺区
平成21年(2009)1月14日(水)
撮影・制作:和田義男

 平成21年(2009)1月14日(水)午後2時半から大阪市天王寺区・四天王寺で恒例の裸祭り「どやどや」が開催されたので、7年ぶりに取材した。四天王寺では、元旦から14日間、六時禮讃堂(通称六時堂)で修正会(しゅしょうえ)が修せられ、14日の結願(けちがん)の日に「どやどや」が行われる。修正会は、毎年正月に天下泰平・五穀豊穣を祈願する行事で、天長4年(827)正月に京都のお寺で始まり、以後諸大寺に広まっていったという。 正月に修せられることから修正会と呼ばれる。
 「どやどや」はこの結願日に当たって行われるもので、法要中に祈祷された魔除けの護符である牛王宝印(ごおうほういん)を近在の村人たちが寒中素裸になって奪い合うのが古来の習俗となっていた。いつから始まったものかは分からないが、江戸時代には行われていたという。かつては酉の刻(午後6時)から法要がはじまって、牛王宝印を投ずるのは夜8時から9時頃であったという。
 現在は混乱を避けるため午後2時半より始まり参加者も四天王寺に関連する中高生男子に限られる。ふんどしを締めてどやどやに参加する人は、指導教官を含め、総勢1,000名ほど。赤白に分かれての護符争奪戦も同じ学校の生徒同士が行うため、喧嘩沙汰になることはない。岩手県黒石寺蘇民祭と岡山県西大寺会陽とともに日本三大奇祭に数えられているが、四天王寺関係者による閉鎖的な行事となり、護符争奪戦に地域住民が参加できなくなったのが惜しまれる。
冷水の洗礼!

冷水の洗礼!

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  どやどやの濡れ褌や札奪ひ  北舟 

どやどやの ぬれふんどしや ふだうばい

Doyadoya ritual, wet fundoshi loincloths for winning charms.

熱気を帯びる護符争奪戦

熱気を帯びる護符争奪戦

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白組の勝ち!

白組の勝ち!

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護符を取った3人

護符を取った3人

■■■ 木古内寒中みそぎ祭 ■■■

木古内寒中みそぎ祭
佐女川神社
北海道上磯郡木古内町
平成22年(2010)1月13日(水)〜15日(金)
撮影・原作:上平 明 監修:和田義男

 平成22年(2010)1月13日(水)〜15日(金)の3日間、北海道上磯郡(かみいそぐん)木古内町(きこないちょう)に鎮座する佐女川神社(さめがわじんじゃ)で「第180回寒中みそぎ祭り」が行われた。
 天保2年(1831)から続く「寒中みそぎ」は正に命をかけて行う神事で毎年行修者(ぎょうしゅうしゃ)と呼ばれる4人の若者が1月13日から3日間佐女川神社本殿にこもり、極寒の中、昼夜の別なく数時間おきに水垢離(みずごり)を取り、1月15日「みそぎ浜」にてご神体を清め、1年の豊漁豊作などを祈願した。

極寒北限の寒中禊

 このたび、以前から興味のあった木古内町の「寒中みそぎ祭り」を取材することができました。この「寒中みそぎ祭り」は、厳寒期における北限の「みそぎ」として道内はもとより国内に広く知られているところですが、TVニュースで放映される映像は、行修者が勢いよく海に飛び込んでいく最終日のものがほとんどであり、その全容はあまり知られていませんでした。
 最終日に行われる「海中みそぎ」は、もちろん迫力満点ではありますが、本番の前に行う一連の鍛錬こそ、本当に辛く厳しいものでありました。行修者は、3日間で数百回の冷水をかぶりますが、特に夜間の冷え込みが一段と厳しく、見ている方が震える中で行われる水ごりは圧巻で、まさに命をかけて行う神事です。
 また、寒風の中、冷水をかぶった後の濡れた体のままで他者の水ごりを仁王立ちで見守ることや、行修者の水ごりが一巡した後、ゆっくりと階段を上り、神殿に入れてもらえず戻ってきてはまた水ごりを行う姿には感動を禁じ得ません。
 参拝者は、このような若者たちの厳しい修行に対する真摯な姿から多くの感動を貰い、神社境内には彼らを称える惜しみない拍手が響き渡っていました。
 取材にあたり寒さ対策は十分したつもりでしたが、手袋はカメラ操作のため指先の出るものを使用せざるをえず指先が北海道弁でいう「なまらしばれる」感覚となりましたが、他の参拝者同様、私も彼らから寒さを吹き飛ばすような素晴らしい感動をもらい、新年早々本当に清々しい気持ちになりました。 2010.02.10 上平 明
ご神体を抱いて整列した4人の

行修者ぎょうしゅうしゃ

 

ご神体を抱いて整列した4人の行修者

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  寒垢離や四人行者の褌の白  北舟 

かんごりや よにんぎょうじゃの こんのしろ

Winter water ablutions, white of the loincloths of four ascetics.

御神体を前に合掌する

行修者ぎょうしゅうしゃ

たち

御神体を前に合掌する行修者たち

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2021年1月10日(日)晴
 
鐵砲洲寒中水浴
http://wadaphoto.jp/maturi/sui101.htm 
鐵砲洲稲荷神社
東京都中央区湊一丁目
平成22年(2010)1月10日(日)
撮影:星 宏幸・小林豊一 監修:和田義男

 冬晴れの絶好の水浴日となった平成22年(2010)1月10日(日)東京都中央区湊1丁目に鎮座する鐵砲洲稲荷神社で第55回寒中水浴大会が開かれ、かねてから準備していた水浴和田グループの代表として、氷を浮かべた円形水槽の冷水に身を沈めて三度目の寒中禊を行った。
 快晴の穏やかな天候に恵まれ、平成20年(2008)に交通新聞社から発行された大人の首都圏散策マガジン「散歩の達人ムック/祭り&イベントカレンダー2009」の「水の祭り」の部でトップに紹介されたこともあり、観客・参加者とも毎年増加し、今年は全国から集まった和田グループ20人を含む参加者は80人で、観客は400人と過去最高を記録した。
 現在、鐵砲洲稲荷神社で行われる寒中水浴は関東一の水の祭りとして知られ、東京の新春の風物詩となっている。午前10時50分、中川文隆・鐵砲洲稲荷神社宮司の挨拶と全員の参拝を皮切りに、寒中水浴大会が始まった。参加者たちは、越中褌と鉢巻をキリリと締め、準備運動の鳥船、神社一周の褌ランニング、鐵砲洲囃子が流れる中での三度の水行、整理運動の鳥船と、50分に及ぶ裸の水行を無事にこなし、湊湯で冷え切った身体を温めた後、社務所二階の直会(なおらい)に出席して和やかな初春のひとときを楽しみ、清々しい新年のスタートを切った。
  歳ひとつ重ねて白褌寒の垢離  北舟 
鐵砲洲囃子をバックに寒中水浴

鐵砲洲囃子をバックに寒中水浴

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寒中水浴【拾四】 〜 篠宮司と共に禊ぐ第一陣三度目の水浴〜 11:26

寒中水浴【拾四】 〜篠宮司と共に禊ぐ第一陣三度目の水浴〜 11:26

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撮影:伊藤秀行

寒中水浴【拾五】 〜風格と威厳が漂う篠宮司の禊〜

寒中水浴【拾五】 〜風格と威厳が漂う篠宮司の禊〜

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撮影:小林豊一

寒中水浴【拾六】 〜 最長老羽場左近さん(79歳)(国立市)の禊(通算3回目の参加)〜 11:27

寒中水浴【拾六】 〜最長老羽場左近さん(79歳)(国立市)の禊(通算3回目の参加)〜 11:27

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撮影:伊藤秀行

褌一丁の礼拝 11:37

褌一丁の礼拝 11:37

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撮影:小林豊一

  寒みそぎ娑婆の極楽湊の湯  北舟 
「湊湯」極楽!

「湊湯」極楽!

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撮影:小林豊一

弥生会やよいかい

直会なおらい

に和田グループ全員招待! 13:10

弥生会の直会に和田グループ全員招待! 13:10

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2021年1月8日(金)晴

■■■ 鬼 夜 ■■■

鬼 夜
http://wadaphoto.jp/maturi/oniyo01.htm 
玉垂宮
福岡県久留米市大善寺
平成14年(2002)1月7日(月)
制作:和田義男

 国の重要無形民族文化財で、日本三大火祭りの一つである鬼夜(おによ)が行われる玉垂宮(たまたれぐう)は、福岡県久留米市大善寺(だいぜんじ)に位置し、玉垂命(たまたれのみこと)、八幡大神(はちまんおおかみ)、住吉大神(すみよしおおかみ)の三柱(みはしら)を祀る。
 鬼夜は、1600年もの昔から行われている火祭であり、天下泰平、五穀豊穣、家内安全、災難消除を祈願する鬼会(おにえ)神事の満願の行事である。仁徳天皇の時代(368)に藤大臣(とうのおとど 玉垂命)が勅命で賊徒の肥前国水上の桜桃沈輪(ゆずらちんりん)を闇夜に松明(たいまつ)を照らして探し出して首を取り焼却したことに由来する。
 新年の邪気を払う追儺(ついな)の夜祭りとして知られる鬼夜は、大晦日の夜から1月7日までの鬼会神事の最終日の夜に行われる。冬の夜空を赤く染めながら繰り広げられる鬼夜は、約400名の氏子たちが褌一丁になり、巨大な松明に火を灯し、境内を引き回す勇壮な夜祭りである。 鬼夜の火にあたれば病にかからず難を逃れるといわれ、また魔祓い(まばらい)神事に用いられる鉾に付けられた鉾紙(ほこがみ)は安産、幸運のお札として珍重される。
「鬼夜」名作集(アニメーション)

久留米JCI理事長の冒険!

拡大写真 「久留米JCI理事長の冒険!」(2400x1800)873KB    

初春の大松明やふどし染む   北舟
炎上する大松明を取り囲む大観衆 /玉垂宮( 福岡県久留米市)

パノラマ写真(2600x1260)665KB    

炎上する大松明を取り囲む大観衆 /玉垂宮( 福岡県久留米市)

2021年1月7日(木)晴

■■■ 加賀鳶はだか放水 ■■■

加賀鳶はだか放水
http://wadaphoto.jp/maturi/kagatobi1.htm
金沢城公園
石川県金沢市
平成19年(2007)1月7日(日)
撮影・制作:和田義男

 平成19年(2007)1月7日(日)午前10時から石川県金沢市金沢城公園新丸(しんまる)広場で「平成19年金沢市消防出初式」が行われた。外気温は3℃だが、強風で体感温度は零下となっている。公式行事とあって酒は飲んでいないとのことで、寒さを我慢するのは大変なことと思うが、誰一人寒そうな表情を見せていないのはさすがだと感心する。
 寒いときに褌一丁の裸形(らぎょう)になるのが、日本古来の男の美学である。決してやせ我慢ではなく、日頃の鍛錬の賜であり、大和撫子(やまとなでしこ)たちは、それを見て感動するのではなかったか。
 平成13年(2001)に再建された金沢城の真新しい菱櫓(ひしやぐら)の前に一文字に並べられた筒先は、全部で49本。纏持と同じ褌一丁の加賀鳶たちが支持棒と筒先に付き、ホースをさばく人を加えると一つの放水口に3人が配置されている。
 午前10時42分、一斉放水が開始され、消防ホースの先端から水圧5kg/cm2の真水が垂直に噴き出した。大量放水のため菱櫓は姿を消し冷たい水が裸の男たちを容赦なく襲った。下を向いて堪え忍ぶ姿も見える。私も大量の水を浴びながら、夢中でシャッターを切り続けた。
  加賀鳶のはだか纏の出初かな  北舟 

かがとびの はだかまといの でぞめかな

New Year ceremony of fire brigades with naked matoi holders of Kagatobi firemen.

「加賀鳶木遣りくずし」

ハアーアーエーエー
加賀の鳶だよ百万石の
纏(まとい)振るにも火柱越えて
男伊達(おとこだて)なら命をかけて
エンヤラヤ サノヨイサヨイナ 
エンヤラヤレコノセー
アレワエンヤーヤラヤー

約20年にわたって全国104箇所の裸褌祭を取材して明らかになったことは、地方に行くほど江戸時代から続く裸褌文化が継承されているということだ。明治の文明開化に端を発した日本の西洋化・近代化により、大都市ほど伝統文化が損なわれているという現実は、とても残念なことである。

纏舞で景気付けるはだか放水

纏舞で景気付けるはだか放水

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2021年1月7日(木)晴

■■■ 七日堂裸詣り ■■■

 
七日堂裸詣り
http://wadaphoto.jp/maturi/yanaizu1.htm
圓蔵寺福満虚空蔵尊本堂(菊光堂/七日堂)
福島県河沼郡柳津町
平成20年(2008)1月7日(月)
撮影・制作:和田義男

 平成20年(2008)1月7日(月)午後八時半から福島県河沼郡柳津町(かぬまぐん・やないづまち)圓蔵寺(えんぞうじ)福満虚空蔵尊(ふくまん・こくぞうそん)の本堂・菊光堂(きくこうどう)に於いて、奇祭「七日堂裸詣り(なのかどう・はだかまいり)」が行われた。
 午後8時半丁度に一番鐘が打ち鳴らされると、下の道路で待機していた裸男たちが除雪されて滑り止めの籾殻(もみがら)が撒(ま)かれた113段の石段を裸足(はだし)で駆け上がってきた。七日堂にあがる前に手水舎(ちょうずしゃ)で冷水を浴び、身を浄める。手水鉢の柄杓(ひしゃく)などは取り外されている。寒禊をした男たちの身体からは、白い湯気がたちのぼった。
 
 
 七日堂に入った裸たちは真新しい麻綱(あさづな)を奪い合い、互いに押しあいながら威勢良く鰐口登りを始めた。鰐口は、仏堂正面の軒下につるされている扁円・中空の音響具で、参詣者は、打ち綱(うちづな)を振り動かして打ち鳴らし、堂内を浄めるためのもの。
 よじ登って行くときや滑り降りるときに、内股、すね、腹などが麻綱で擦れて、細かい擦り傷ができる。それでも元気な裸男たちは、鰐口の下の塞銭箱を踏台に果敢に綱に飛びつき、梁を目指してよじ登っていく。上まで上がるには、かなりの気力体力が要求される。あっという間に、堂内の熱気は最高潮に達した。
  鰐口に登る裸の七日かな  北舟 

わにぐちに のぼるはだかの なのかかな

Seventh day of the New Year, Naked men climbing to the wooden drum.

次々と登る裸衆

次々と登る裸衆

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2021年1月2日(土)晴

■■■ 胡四王蘇民祭 ■■■

胡四王蘇民祭
http://wadaphoto.jp/maturi/kosio1.htm
胡四王神社
岩手県花巻市
平成21年(2011)正月2日(日)
撮影・制作:和田義男

 平成23年(2011)1月2日(日)、岩手県花巻市(はなまきし)胡四王山(こしおうさん)(176m)山頂に鎮座する胡四王神社(こしおう・じんじゃ)(杉山昌之すぎやままさし宮司)で150年の伝統を有する蘇民祭(そみんさい)が開催された。
 神事が終わると裸参りとなるが、出発前の午前10時ころ社務所前の圧雪の上で、褌衆たちによる水垢離が行われた。桶の清水を頭から被る水垢離は一度だけなので、一瞬のうちに終わる。この日は8人が気合いもろとも冷水を浴びた。
冷水を頭から被る寒中禊!

冷水を頭から被る寒中禊!

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  雪上の注連縄褌初禊  北舟 

せつじょうの しめなわふんどし はつみそぎ

First ritual ablution for the year, sacred straw ropes and loincloths on the snow.

思わずガッツポーズが・・・

思わずガッツポーズが・・・

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▲▼ 裸参りの男たちが口にくわえている三角の紙は、御神籤(おみくじ)を半紙にくるんだもの。浄場に不浄な息を吹きかけないという意味があるが、寒さに耐えるべく歯を噛(か)み締める力紙(ちからがみ)の役割を持つ。  
8人の寒行者たち

8人の寒行者たち

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▲▼ この後、男たちは、胡四王山山頂まで登り、胡四王神社に参拝して裸参りが終わると、御神籤を開いて今年の運勢を占うというが、大抵は唾液にまみれて殆ど読めないという。  
8人の寒行者たち(後ろ姿)

8人の寒行者たち(後ろ姿)

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▲▼ 水垢離を終えた男たちは、新しい力紙をもらったあと濡れたまま裸参りに参加する。外気温-5℃という厳しい 環境の下では、水垢離が1回だけというのも頷ける。  
寒さに平然としている男性!

寒さに平然としている男性!

拡大写真(1800X1400)446KB 撮影:菊池寛一

編集子の選ぶ傑作

蘇民祭実行委員会佐藤昭男会長の後に続く裸衆

蘇民祭実行委員会佐藤昭男会長の後に続く裸衆

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急峻きゅうしゅん

な石段を登る 10:27

急峻な石段を登る 10:27

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2012年

胡四王こしおう

神社蘇民祭ポスター(B2版)

2012年胡四王神社蘇民祭ポスター(B2版)

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2021年1月1日(金)晴

■■■ 2021年元旦アクセス3083万件! ■■■

令和三年(2021)元旦零時零分零秒、Wa☆Daフォトギャラリー http://wadaphoto.jp のTotal アクセス数は、30,831,374件を記録しました。2000年7月16日(海の日)にサイトを開設して以来、20年6箇月の長期にわたり、多くのファンの皆様からよせられたご支援ご鞭撻のたまものであり、ここに衷心より御礼申し上げます。〈 拝 〉

アクセス3083万件


2021年1月1日(金)晴

■■■ 和田爺 養生十訓 ■■■

一  道楽第一
二  一日1万歩
三  毎日昼寝
四  快食快眠
五  メタボ回避
六  煙草禁止
七  深酒禁止
八  接して漏らさず
九  嘆かず気にせず拘らず
十  笑う門には福来たる

谷川の滝行を終えて笑顔の和田爺、木の実を拾う!
 
 
撮影:吉田好幸・和田フォト福岡支店長 2020年9月21日 群馬県・みなかみ温泉 谷川の禊ぎ場

谷川の滝行を終えて笑顔の和田爺

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2021年1月1日(金)晴

■■■ 長寿社会を楽しむ ■■■

60歳〜70歳は青二才
80歳になって花が咲き
90歳になって実を結び
100歳にになってその実を摘もう!

73歳、赤褌一丁の和田爺は、まだまだ青二才!
 
 
撮影:吉田好幸・和田フォト福岡支店長 2020年9月21日 群馬県・みなかみ温泉 谷川の禊ぎ場に向かう林道にて

禊ぎ場への林道

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2021年1月日(金)晴

■■■ 謹賀新年2021/Wa☆Daフォトギャラリー ■■■

 令和3年(2021)辛丑(かのとうし)の年頭に当たり、和田フォトファンの皆様あてにメール用の年賀状を作成した。(年賀葉書は2019年に廃止)

 この年賀状の写真は、私の気に入った数少ない写真のひとつで、日本の侍文化を世界に紹介するため、2016年10月に東京都渋谷区円山町の道玄坂にある渋谷鎧甲甲冑写真館(しぶや・よろいかぶと・かっちゅう・しゃしんかん)(サムライアーマー・フォトスタジオ / キングビル七階) http://samurai.bz/ で、戦国時代に活躍した武将・伊達政宗の黒い甲冑姿に変身した写真である。この日のために丸坊主になったが、手入れが楽なので、以後、坊主頭になった。

 現在、体年齢58歳の和田爺は、2021年3月6日には74歳の誕生日を迎えるが、気力体力はまだまだ若い者には負けない。新型コロナウィルスが収束すれば、今年もロマンと感動を求めて愛機 OLYMPUS OM-D E-M1 MarkII とともに旅を続け、Wa☆Daフォトギャラリー http://wadaphoto.jp とフェイスブック https://www.facebook.com/yoshio.wada.12 に名作をアップし、世界に向けて日本の誇る裸褌祭を発信してゆく所存である。

 この活動は、私に与えられた天職であると考え、ライフワークとして続けてゆくこととしており、今年も例年同様、引き続きご支援ご鞭撻のほど、宜しくお願い申し上げたい。〈 拝 〉

《 長寿社会を楽しむ 》
 
 60・70は青二才、
 80になって花が咲き、
 90になって実を結び、
 100になってその実を摘もう!

年賀2021

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2021年1月1日(金)晴

■■■ 回想〈 谷川岳周辺の温泉を巡る初秋の旅 〉  ■■■ 

和田爺は2020年9月20日〜22日の日曜日・敬老の日・秋分の日の三連休を利用して、谷川岳周辺の温泉を巡った。

初日は、谷川岳(1,977m)北方に位置する越後湯沢温泉KKR旅館に宿泊。レンタカーで山林に乗り込み、魚沼スカイライン入口の渓流をみつけ、その付近で褌ロケを行った。
 
撮影:吉田好幸(和田フォト福岡支店長) OLYMPUS OM-D E-M1 MarkII (以下同じ。)
作務衣姿の和田爺

矢田別荘前の山道を散策する甚平姿の和田爺

拡大写真(1700X2400)860KB

▼ この小さな渓流は、一またぎできるほどの水量しかないが、これが合流してやがて豊かな清流となり、田畑を潤す。
 
和田フォトヤフー店:和田爺謹製越中褌「長寿」(Mサイズ)高級白晒木綿 二枚組
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和田爺謹製越中褌「長寿」を締めた和田爺

和田爺謹製越中褌「長寿」を締めた和田爺

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▼ 小さな滝壺に入り、僅かな水流の冷水を浴び、手で流れを受け止める。鬱蒼とした森の自然と戯れる幸せを体感!
 
Wa☆Daフォトギャラリー・ヤフー店>褌(ふんどし)
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一枚組 https://store.shopping.yahoo.co.jp/wada-photo/wadafundoshi03.html 
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小さな滝壺

小さな滝壺

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和田爺謹製越中褌「気合」を締めた和田爺

和田爺謹製越中褌「気合」を締めた和田爺

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▼ 豊かな森林を背景に頭を垂れる稲穂は、日本一の魚沼コシヒカリ。越後湯沢温泉に一泊したその夜の夕食には、この地の新米が出された。眩しいほどの太陽を浴びた褌爺。昔は、越中褌一丁で野良作業をする農夫が当たり前に目撃された。

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こがねの稲穂

こがねの稲穂

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一ノ倉沢などの谷川岳の沢水を集めた湯桧曽川(ゆびそがわ)は、急流のため、氾濫を押さえる砂防堰堤(さぼうえんてい)があちこちに設けられている。湯桧曽公園そばの砂防堰堤を見れば、その水量の豊かさがわかる。湯桧曽川は、やがて利根川に流入し、大河となる。
湯桧曽川砂防堰堤

湯桧曽川(ゆびそがわ)砂防堰堤

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▼ 二日目に宿泊した水上温泉のKKR旅館は、谷川岳(1,977m)南方に位置し、谷川岳の沢水を集めた湯桧曽川(ゆびそがわ)が合流した利根川の西岸に面しており、駐車場から簡単に川に入ることができた。駐車場の車の陰で水褌(すいこん)(前袋式六尺褌)を締め、無人の河原で褌ロケを行った。

Wa☆Daフォトギャラリー・ヤフー店>褌(ふんどし)
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〈祭褌/水褌〉
和田爺謹製前袋式六尺褌「天王祭」高級白晒木綿一枚組 
 https://store.shopping.yahoo.co.jp/wada-photo/wadafundoshi08.html 
利根川に入った水褌の和田爺

利根川に入った水褌の和田爺

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利根川の急流に遊ぶ

利根川の急流に遊ぶ

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水褌姿で岩陰に立つ和田爺

水褌姿で岩陰に立つ和田爺

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谷川岳から流れ来る谷川は、谷川温泉を通り、水上温泉で利根川に注ぐ渓流である。谷川温泉の鎮守である「みなかみ町冨士浅間神社」の禊ぎ場は、谷川に設けられており、3日目はそこで禊ぎを体験した。

谷川の冷水を背に浴びて滝行

谷川の冷水を背に浴びて滝行

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自然と一体となる

自然と一体となる

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無心の滝行

無心の滝行

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禊ぎ場への林道

禊ぎ場への林道

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自然を生かした庭にできた外湯に入る和田爺。日本のありのままの自然とのふれあいに感激!木々の奧は、谷川岳の清流を集めた利根川が流れている。
雑木林の中の外湯

雑木林の中の外湯

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▲▼ 越後湯沢と群馬のみなかみ町は、今冬の最初の寒波で豪雪に見舞われ、関越自動車道が雪に埋まって多くの車が閉じ込められた。その光景をテレビで見て、その落差が大きいことを思うにつけ、夏場の緑溢れる谷川岳山麓の大自然の息吹がとりわけ貴重で素晴らしいものだと思う今日この頃である。〈 拝 〉

雑木林を散策する甚平姿の和田爺

雑木林を散策する甚平姿の和田爺

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