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 旅紀行日本の裸祭り

2015年3月26日改訂

 

 

 

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♪大太鼓〜千年女王〜海のアラベスク〜海に帰る〜氷湖〜水の都〜精霊
旅と写真は元気の泉

感動の裸祭CD完成!

七日はや鬼神をわす玉垂宮   北舟
 

The seventh day of the New Year, a fierce god at Tamatare-gu.

2015年3月19日制作

玉垂宮本殿の夜叉の鬼瓦/大善寺玉垂宮(福岡県久留米市)

拡大写真(2150x2400)521KB

玉垂宮本殿の夜叉の鬼瓦/大善寺玉垂宮( 福岡県久留米市)

国指定重要無形民俗文化財

玉垂宮神紋「左三つ巴」   大善寺玉垂宮   鬼面尊神神紋「水巴」

鬼夜

玉垂宮

 

はじめに

 
 平成27年(2015)1月7日(水)、福岡県久留米市(くるめし)に鎮座する大善寺玉垂宮(だいぜんじ・たまたれぐう)(隅正實宮司)において、1600年余の伝統を有する鬼夜(おによ)(国指定重要無形民俗文化財)が開催されたので、鬼夜保存会(金栗忠義会長)などの支援を受け、感動写真集同人吉田好幸さんと共に密着取材した。
【凡例】
 
▲:上の画像の説明文 ▼:下の画像の説明文 ●:筆者の私見 〈画像の左クリック〉:別窓に拡大写真を表示
福岡県

久留米市くるめし

衛星画像

福岡県久留米市の衛星画像

画像:Google Earth
 

久留米市くるめし

 
▲▼ 人口30万人を擁する久留米市は、福岡県の南部・筑後平野に位置する中核都市で、福岡市、北九州市に次いで県内第3位、九州全体では第8位の人口規模を誇る。
 
 中心街である西鉄久留米駅からJR久留米駅にかけての一帯は福岡市から約40kmに位置し平成13年(2005)周辺自治体の編入により、市域は東西約32km、南北約16kmとなり、東西に長くなった。
 
 かつては、律令制下で制定された筑後国の国府が置かれ、筑後国の中心として栄え、江戸時代には、久留米絣(くるめがすり)など、商業都市として発展。近年は、中心市街地の商業的吸引力が低下する一方で、福岡市のベッドタウンとしての機能が強まっている。
 

玉垂宮たまたれぐう

鬼夜会場

玉垂宮鬼夜会場

画像:Google Earth
 

玉垂宮たまたれぐう

 
  ▲▼ 久留米市大善寺町宮本に鎮座する玉垂宮の祭神は玉垂命(たまたれのみこと)(藤大臣とうだいじん・高良玉垂大菩薩こうらたまたれだいぼさつ)・八幡大神(はちまんおおかみ)・住吉大神(すみよしおおかみ)の三柱(みはしら)で、創建は古く、凡そ1,900年前の創祀と伝えられている。  
   神功皇后(じんぐうこうごう)の遠征に大功のあった藤大臣(とうのおとど)(高良大明神こうらだいみょうじん・玉垂命)がこの地に下り、ここで没したため塚崎に墓を建て祀られた。奈良朝の白鳳元年(672)、法相宗(ほっそうしゅう)の僧・安泰(あんたい)が高良社(こうらしゃ)阿弥陀堂の傍らに祭神を祀り、側に一宇の精舎を開基し、これを御廟院高法寺(ごびょういん・こうほうじ)と号したのに始まる。   
   後に天台宗となり平安朝の弘仁5年(814)嵯峨天皇の勅令を受けた三池郡司(みいけぐんじ)師直(もろなお)が修築し高良大菩薩(こうらだいぼさつ)の号を受け大善寺(だいぜんじ)と改めた。最盛期には衆徒四十五坊、社領三千町を有していたと伝わる。  
   明治政府の神仏分離政策により、明治2年(1869)廃仏毀釈(きしゃく)が行われ、久留米藩は玉垂宮のみを残して大善寺を廃し、現在に至っている往時の大善寺の遺構である鐘楼をはじめ阿弥陀堂(鬼堂)や庫裡(くり)が現存し、現在も神仏習合時代の面影を色濃く残している。  
   かつての大善寺は玉垂宮に奉仕する坊中一山の惣名(そうみょう)で、座主を東林坊といい、本坊は南向きで玉垂宮社殿の背後にあった。玉垂宮の鬼夜は、もとは大善寺の修正会(しゅしょうえ)の行事である。  
    現在の玉垂宮の境内は、約1万5000u。本殿、幣殿、拝殿、楼門、惣門、回廊、神輿殿、石鳥居社務所のほか、鐘楼、鬼堂(阿弥陀堂)がある。社宝に『絹本著色玉垂宮縁起』二幅(重要文化財)がある。  
 

玉垂宮たまたれぐう

鳥瞰図

玉垂宮鳥瞰図

鬼夜おによ

▲▼ 毎年正月7日に行われる鬼夜はかつての大善寺による追儺(ついな)の火祭で、1600年余の歴史を有する。明治以後は、玉垂宮によって催行され締込みと呼ばれる褌をきりりと締め込んだ男たち400人余が日本一といわれる六本の大松明を燃やし、社殿を二周させる壮観な火祭で平成6年(1994)に「大善寺玉垂宮の鬼夜」として国の重要無形民俗文化財に指定され那智の火祭と鞍馬の火祭と共に日本三大火祭の一つに数えられている。         
 

鬼夜おによ

のチラシ(表)

鬼夜のチラシ(表)

拡大写真(1400x2000)571KB     玉垂宮資料
 

鬼夜行事予定表

 
 








13:00 神事 鬼面尊神渡御(拝殿→鬼堂)
16:00 神事 鬼面尊神還御、種蒔神事(拝殿)
19:30 惣裁判棒頭シャグマ集合(社務所前)
20:00 汐井汲 ・汐井かき開始
20:40 汐井かき終了
21:00 電灯全消灯
21:10 一番鐘、大松明廻し勢揃い
21:25 二番鐘、鬼火出御
21:30 大松明点火










 





21:35 鉾面神事 (仮設舞台)
21:45 鐘太鼓乱打大松明廻し始め
22:00 本殿西側、大松明6本止め揃え
22:05 神事・鬼の鬼堂めぐり 〈撮影禁止〉
22:20 一番大松明惣門くぐり汐井場へ
22:30 鬼の汐井かき 〈撮影禁止〉
22:35 五本の大松明 後1回神殿廻り
23:00 二番大松明より順次消火(下向坂付近)
23:30 厄鐘、行事終了
 
 

鬼夜おによ

のチラシ(裏)

鬼夜のチラシ(裏)

拡大写真(1400x2000)442KB     玉垂宮資料

 

玉垂宮たまたれぐう

境内見取図

玉垂宮境内見取図

画像:Google Earth

鬼夜の詳細

 
▲ 鬼夜は、1600年もの昔から行われている火祭であり、天下泰平、国家安穏、五穀豊穣、家内安全、災難消除を祈願する鬼会(おにえ)神事の満願の行事である。  
 今から1600年余の昔仁徳天皇の時代に藤大臣(とう だいじん)(玉垂命)が勅命を受けて賊徒の肥前国水上の桜桃沈輪(ゆずらちんりん)を闇夜に大松明(おおたいまつ)を照らして探し出し首を討ち落し(ほこ)を集めて焼却したところ、その後、様々な災危が起ったため、桜桃沈輪の霊を慰める祭礼を執り行ったところ災危が鎮まったという故事による。  
 鬼夜の行事は、12月31日の鬼火採り(おにびとり)から始まる。大晦日の夜に燧石(ひうちいし)でとった御神火(鬼火)を神殿に灯し隅正實宮司が斎戒沐浴して七日七夜守り続けて、祈願を行い、その結願(けちがん)となる正月七日に鬼夜が行われる。鬼会の最後の夜の神事であることから、鬼夜と呼ばれる。  
 鬼夜の主な行事は、昼に行われる鬼面尊神(きめんそんしん)神事と種蒔(たねまき)神事、夜の汐井汲(しおいくみ)と汐井かき、鉾面神事(ほこめんしんじ)、大松明廻し(おおたいまつまわし)一番松明の火取り、鬼の鬼堂(おにどう)めぐりと汐井かきである。中でも鉾面神事は、祭神が妖族を退治した有様を演じるもので、興味深い。  
 夜の行事を飾る大松明廻しは、大善寺や大橋など七地区から奉納された直径1m、全長12m の六本の大松明が400人余の褌一丁の男衆に支えられ火の粉を撒き散らしながら社殿を時計回りに巡回する一番松明は社殿を一周し、惣門をくぐる。二番松明以下は、社殿を二周する。この間、鬼役は姿を隠したまま、シャグマ(赭熊)の子供たちに囲まれて鬼堂の周囲を右に七回半廻り、社前の霰川(あられがわ)で、人の災厄を洗い流す禊 「鬼の汐井かき」をして神殿に帰る。  
 鬼夜に火の粉を浴びると難を逃れて無病息災が叶うといわれ、魔祓い(まばらい)の鉾面神事に用いられる鉾に付けられた鉾紙(ほこがみ)は安産、幸運のお札として珍重されるほか、大松明の焼け残った縄や竹にも御利益があり、持ち帰る人が多い。  大善寺玉垂宮鬼夜  大善寺玉垂宮の鬼夜(文化財指定書)  鬼夜(三潴郡誌)  

 
● 鬼夜 はかつての天台修験の影響を受けた行事で我が国の鬼の民俗を考える上で極めて示唆に富む行事といわれているが、蓑を被った鬼の行動は撮影禁止なので、その実態を伝えられないのが残念である。
   江戸時代には鬼夜自体が他藩に知られないよう秘密裏に行われ婚姻などで余所から移住してきた者には親兄弟にさえも秘密を漏らさないよう誓約書を取ったという。今も鬼の姿や誰が鬼を演じているのかさえも秘匿されているのは、秘密主義の伝統を受け継ぐからであろう。  
玉垂宮駐車場入口 2015.01.07 11:00

玉垂宮駐車場入口 2015.01.07 11:00

拡大写真(2400x1600)769KB     撮影:吉田好幸
▲▼ 平成27年(2015)1月6日(火)空路羽田から福岡空港に飛び、到着ゲートで吉田好幸さんの出迎えを受け福岡県福津市の民宿海の家・吉田屋に一泊翌朝吉田車で九州自動車道を利用して玉垂宮に向かい、午前11時に神社北側の駐車場に着いた。(取材後は深夜の高速道を走り、翌早朝、吉田屋に戻った。)

相棒の吉田好幸さん 2015.01.07 11:07

相棒の吉田好幸さん 2015.01.07 11:07

拡大写真(2000X1400)715KB                          撮影:和田義男
玉垂宮北側の駐車場
↓大善寺校区公民館(コミュニティーセンター/JCI控所) 衆の参集場所↓  

玉垂宮北側の駐車場

パノラマ写真(3000x1400)980KB    

▲▼ 早速、吉田さんと二人で実地踏査を行った。玉垂宮の北側は、無舗装の広場があり、駐車場の入口は、西側の県道23号線に面する一箇所のみ。この広場(神苑)の南側は、藁が積まれていて、かつての村を単位とした7区6組の裸衆の参集場所となっていた。その北側が駐車場で、その北に大善寺校区公民館(コミュニティーセンター)があり後に取材許可を得て、久留米青年会議所(JCI)の密着取材を行った。
玉垂宮駐車場(左)と裸参集場所(右) ↓裸衆の参集場所  

玉垂宮駐車場(左)と裸参集場所(右)

パノラマ写真(3000x1400)980KB    

「大善寺」区の参集場所

「大善寺」区の参集場所

拡大写真(2400x1800)1.26MB
玉垂宮裏参道入口の

鬼面きめん

玉垂宮裏参道入口の鬼面

拡大写真(2400x1800)1.0MB
▲▼ 裏参道の入口に大きな鬼瓦(鬼面)の展示があり、その南に「玉垂宮」の扁額がかけられた石鳥居がある。
大善寺玉垂宮裏参道入口

大善寺玉垂宮裏参道入口

拡大写真(2400x1700)1.08MB
▲▼ 裏参道を南下すると、本殿、拝殿、楼門が一直線に並びその南に表参道がある。かつては大善寺というお寺だったので、宿坊だったと思われる建物もあった。
玉垂宮裏参道を南下する
本殿↓ 拝殿 楼門↓  

玉垂宮裏参道を南下する

                                    拡大写真(2400x1600)839KB                          撮影:吉田好幸

 
夜叉やしゃ

般若はんにゃ

 
▼ 玉垂宮本殿の大社造りの見事な屋根には、夜叉(やしゃ)と見られる鬼面の鬼瓦が東西両面に取り付けてあった。元来、インド神話のヤクシャ(男神)とヤクシー(女神)という鬼神の総称が夜叉と訳され日本仏教に包括されると、仏法を守護する八部衆の一つとして、また毘沙門天の眷属(けんぞく)として鬼神の羅刹(らせつ)と共に北方を守護する神となった。
   ちなみに、大乗仏典では薬師如来の十二神将や般若経典を守護する十六善神などが夜叉である。また、類語として、インドにおける鬼神の総称・アスラがあり、これが日本では阿修羅(あしゅら)という鬼神となった。いずれにしても神社とは縁遠い存在で、見事な神仏習合である。  
   夜叉のデザインは、能面の般若(はんにゃ)そのものである。般若は女の怨霊を表現する面で恨みや復習の敵愾心(てきがいしん)を芸術化したもので、鬼神ではない。面打ちの名人般若坊からその名がついた。なお、般若心経(はんにゃしんぎょう)で知られる般若は、修行の結果として得られた「さとり」の智慧をいう。  
玉垂宮本殿の大社造りの見事な屋根

玉垂宮本殿の大社造りの見事な屋根

拡大写真(2400x1700)586KB

七日はや鬼神をわす玉垂宮 北舟

なのかはや おにがみおわす たまたれぐう

The seventh day of the New Year, a fierce god at Tamatare-gu.

玉垂宮本殿の夜叉の鬼瓦

玉垂宮本殿の夜叉の鬼瓦

拡大写真(2150x2400)521KB
玉垂宮拝殿 11:12

玉垂宮拝殿 11:12

拡大写真(2400x1650)913KB
▲▼ 密着取材の無事を祈念して玉垂宮に参拝拝殿の奥には鉾面神事で使われる男鉾と女鉾が純白の鉾紙と共に飾られていた。午後1時から4時まで、拝殿と鬼堂で鬼面尊神(きめんそんしん)神事が行われる。
拝殿の内部

拝殿の内部

拡大写真(2400x1350)456KB
拝殿前の受付ディスク

拝殿前の受付ディスク

  ▲▼ 拝殿に至る表参道に面して受け付けデスクが置かれ玉串料を納める祝賀客の姿が見られたこの西側に社務所があり、予約していた一人2000円の有料桟敷席の切符2枚を入手後、保存会の方々と面会した。  
拝殿西側の社務所

拝殿西側の社務所

拡大写真(2400x1800)1.01MB
▼ 鬼夜は玉垂宮の神事であるが、その実際は、大善寺玉垂宮鬼夜保存会と宮総代会の共催という形で運営される。保存会の会長は、久留米市大善寺町宮本にお住まいの金栗忠義さん。鬼夜の最高責任者であり、夜はタイマワシと呼ばれる裸衆と同じ締込み姿で指揮を執っておられた。
大善寺玉垂宮鬼夜保存会・金栗忠義会長 / 社務所

大善寺玉垂宮鬼夜保存会・金栗忠義会長 / 社務所

拡大写真(2400x2000)569KB 撮影:吉田好幸
▼ 社務所に大松明の出発順を示す木札が架けられていた。かつては村だったこの7地区総勢400人を超える氏子たちが6本の大松明を奉納し、松明廻しを行う。今年の順番は、「西小路にししょうじ」「大善寺」「大橋」「一本松」「開かい・山ノ町」「奥小路おくこうじ」で、毎年ずれてゆく。お察しのように、開と山ノ町は、2区で1本の大松明を奉納する。
大松明の順番(一番:西小路/社務所側〜六番:奥小路/桟敷席側)

大松明の順番(一番:西小路/社務所側〜六番:奥小路/桟敷席側)

各種弓張提灯/社務所

各種弓張提灯/社務所

拡大写真(2000x1200)341KB
招待者(福岡県知事・久留米市長・久留米市議会議長)用の法被と提灯/社務所

招待者(福岡県知事・久留米市長・久留米市議会議長)用の法被と提灯/社務所

拡大写真(2000x1800)615KB
鬼夜主催者のもう一方の代表が玉垂宮総代会の尾形英二会長であるこれまで全国各地の裸祭を取材してきたが、二頭立てで運営されているのは、鬼夜だけ。これまでのいきさつからこのような形になったのだろう。
玉垂宮総代会・尾形英二会長と記念写真/社務所

玉垂宮総代会・尾形英二会長と記念写真/社務所

拡大写真(2200x1700)668KB 撮影:吉田好幸
鬼夜の密着取材に当たっては、事前に封書をしたため、取材趣意書を隅正實宮司にお送りして、取材許可を求めたところ、自宅に電話してこられたのが横田利幸さんである。横田さんは、保存会の窓口として、快く密着取材に応じて下さり、社務所で落ち合うことになった。
   横田さんは「忙しいので付きっきりで案内できない」と言われたが行事予定表に従って見所や撮影場所などを懇切丁寧にご教授いただき最後は私たち二人に九州国立博物館作成のDVDビデオ「大善寺玉垂宮の鬼夜」をプレゼントして頂いた。このDVDのお陰で、正確な解説文を書くことができたので、とても有り難かった。  
   また「褌(締込み)を締めるシーンを撮りたい」とお願いすると、久留米青年会議所(JCI)の清水辰也さんに携帯電話をかけて了解を取り付けて頂いたこの作品のスライドショーCDが完成次第神社と保存会に永久保存版を奉納するべく、感謝を込めて横田さんにお送りすることにしている。  
懇切丁寧にご教授頂いた横田利幸さん/社務所

懇切丁寧にご教授頂いた横田利幸さん/社務所

拡大写真(2000x1570)369KB 撮影:吉田好幸
社務所の東側には、仮設の櫓太鼓(やぐらだいこ)が設置されている大太鼓は神社の文化で、出番の時を告げる鐘楼の鐘とともに太鼓が打ち鳴らされ、勇壮な裸祭の雰囲気を盛り上げる必需品である。
社務所東側に立つ仮設の櫓太鼓

社務所東側に立つ仮設の櫓太鼓

拡大写真(2400x1800)1.35MB
櫓太鼓の南側に警察消防詰所ある。主な施設の名称と位置は、玉垂宮境内見取図に書き込んでいるので参照されたい。詰所の東側に見える大木は、御神木の楠(樟樹しょうじゅ)である。
警察消防詰所

警察消防詰所

拡大写真(2400x1750)932KB
▲▼ 警察消防詰所のかたわらに大松明(おおたいまつ)の1/5模型が展示されており説明文には「大善寺玉垂宮の鬼夜 正月七日の鬼夜は災厄を祓い幸運を招くという伝統である追儺の火祭りです この大松明の火を浴びると無病息災と云われています」と書かれていた。
大松明(1/5サイズ)の展示

大松明(1/5サイズ)の展示

拡大写真(2400x1750)828KB
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