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櫓太鼓と警察消防詰所の東側の広場に、6本の大松明(おおたいまつ)が北を頭にして東西に並べられていた。社務所に近い西側(手前)が一番「西小路(にししょうじ)」の松明で、有料桟敷席に一番近い最奥が六番「奥小路(おくこうじ)」の松明である。松明の北側には、鐘楼と鬼堂が見える。 |
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西側から見た大松明6基
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鐘楼↓ |
鬼堂↓ |
6基の大松明(一番(手前)~六番) |
有料桟敷席↓ |
↓楠の大木(御神木) |
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▲▼
大松明は、1月3日に材料が準備され、4日に作成される。1本の大松明に必要な材料は、芯に使う直径約20cmの孟宗竹3本、笹竹20束、直径3~4cmの真竹を使った化粧竹19束、杉の枯葉3束、葛(かずら)3束、荒縄3~4束。氏子総出で長さ12m、最大直径1mの大松明に造り上げる。 |
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芯に孟宗竹を3本束ねて入れ、その周囲に笹竹を寄せて回し、その上を真竹で包み込んで化粧竹とする。一番松明には、前年の一番松明から火取りした2本の松明を芯に入れる。荒縄で松明がばらけないように胴を巻き締めるが、2本回しで1年の日数を表す365箇所、閏年の場合には366箇所を縛る。火をつける頭には枯れた杉葉を入れて切り口を揃え、この上に頭の方から七本・五本・三本と縄を掛けて結び、同様に根元側からも同じく七五三と縄を掛けて男結びにする。 |
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大松明の根元を葛の蔓で縛り、1月2日地区毎に餅米の藁で作成し拝殿に奉納していた長さ8mの尻引綱(しりひきづな)を根元に取り付ける。尻引綱は、大勢の氏子たちが引き回すことで、大松明を前進させ、進行方向を決める。松明の頭を合掌と呼ばれる支持台に載せ、北に向けて並べる。松明の腹部に竹筒をつっかい棒にして、たわみを防ぐ。
大松明作り |
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南側から見た6基の大松明
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社務所↓ |
櫓太鼓・拝殿・本殿↓ |
鐘楼↓ |
鬼堂↓ |
有料桟敷席↓ |
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警察消防詰所の東に蜷貝(にながい)が棲む樟樹(楠)の大木があり、玉垂宮最古の御神木として崇められている。蜷(にな)とは「渦巻形の小生物」のことで、蜷貝は巻貝のこと。小さいころから玉垂宮の境内で遊んでいたという清水辰也さんによると、現在もこの木に巻貝が棲んでいるという。 |
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蜷貝が棲む樟樹(楠)の大木(御神木)
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▼ この御神木のそばに「蜷貝の由来」を刻んだ石碑が立っていた。種々の文献を参考にして、完璧に解読できたので、以下に記す。
巻貝の由来 |
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蜷貝の由来
御此樟樹に附ける蜷貝は住昔神功皇后三韓を征して彼の國と海上に戦い干珠を海中に投げ給ひし時海面見る間に干潟となり敵の船忽ころび御船もまたころばんとしたるを不思議にも数多の蜷貝御船をかこひ護りかくて無事御帰朝の時龍頭鷁首の御船を此の地に乗納め給ヘリ其の時附き来れる蜷貝始となりて今に絶えず此樹に残るといふ
昭和三十二年一月八日 |
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この碑の出典は、福岡県下に数多く伝わる神功皇后伝説を集めた『飛簾起風』で、文意は次のとおり。 |
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神功皇后が三韓征伐のとき、海上戦で干珠を海中に投げたところ、海が見る間に干潟になり、敵の船がひっくり返り、皇后の船もひっくり返りそうになったとき、不思議なことにたくさんの巻貝が船を囲んで護ったお陰で無事に帰国でき、御船をこの地に納めた。そのとき、付いてきた巻貝がこの樹に残っているという。 |
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この地に神宮皇后の船をつないだという故事から、ここは「御舟山」と呼ばれるようになったが、大善寺が出来たときに地名が「大善寺」に変わったという。 |
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石碑「蜷貝の由来」
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現在地が下向坂と呼ばれる場所。坂と名が付いているが、筆者には平地としか思えない。勇壮な大松明廻しでは、一番松明は社殿を時計回りに一周した後、下向坂を通過し、惣門くぐりを行ったのち、霰川(あられがわ)の土手で消火する。二番松明以下は社殿を二周したあと、下向坂の東側で消火する。 |
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下向坂から見た6基の大松明
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有料桟敷席 |
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大松明の全体を見通せる絶好の場所にある桟敷席は、境内の東端にあり、一人2000円の入場料が必要だがそれだけの価値がある。電話予約し、当日、入場券を社務所で購入したが、かなり余裕があり、当日でも空きがあった。良い席は北西端で、そこは招待客用に押さえられていた。全て自由席なので早く入場すれば北西端に近い席を取ることができる。 |
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大松明東側の有料桟敷席 入口↓
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カリマタ |
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大松明に立て掛けてあるのが樫の木で作られたカリマタ(狩俣)と呼ばれる長さ3m余の二股の棒である。大松明を支えるのに使われる。消耗品なので、毎年補充される。枝をはらい皮を剥いで作られるが、枝は保存し、当日、火の粉をはらう団扇代わりに使われる。 |
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北側(正面)から見た大松明
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大松明廻しの殿(しんがり)をつとめる六番大松明は、来賓や招待客らが坐る桟敷席の真ん前にあるため、一番目立つ存在である。最も栄誉ある役割を与えられている一番松明は、桟敷席から見ると一番遠くにあり、目立たないのが残念。 |
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六番大松明と桟敷席
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鬼堂は、江戸時代までは阿弥陀堂と呼ばれ、阿弥陀仏が安置されていたお堂である。鬼夜では、鬼面尊神(きめんそんしん)神事で鬼面尊神が渡御したのち、鬼役がここで待機し、子役のシャグマたちが板壁を棒で叩く合図で、蓑で全身を隠した鬼が飛び出して右廻り7回半の鬼堂めぐりの後、汐井かきを経て本殿に入る。鬼の行事は、撮影禁止なので、その実態を紹介することができないのが残念である。 |
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↓鉾面神事が行われる仮設舞台 大松明北側の鬼堂と仮設舞台
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神社に鐘楼があるのは、安芸の宮島に鎮座する厳島神社に五重塔があるのと同じで、神仏習合の結果である。鬼夜では、最も眺めが良い場所となるが、氏子役員しか上がることができない。 |
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神仏習合の鐘楼
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撮影:吉田好幸 |
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明治29年(1896)12月に鋳造された旧梵鐘は、太平洋戦争の悪化に伴う金属回収令で供出を求められた際にも鬼夜に必須との理由から難を逃れたが、劣化によるひび割れで音色が変わり、平成25年(2013)3月に事業費580万円を投じて現在の梵鐘に交換された。 |
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鬼夜の梵鐘は、一番鐘(鐘三つ 大松明廻し勢揃い)、二番鐘(鐘五つ 鬼火出御)、厄鐘(七・五・三 行事終了)という重要な役割を担っている。また、佳境に至ると鐘が際限なく乱打され、タイマワシたちを鼓舞する。 |
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搗棒4本の梵鐘
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▼ 拝殿の南側の表参道に立派な鯱(しゃちほこ)を飾る楼門がある。楼門の前には、6段の石段があり、この東側に警察消防詰所があり、その東側に下向坂があるので、このあたりは緩やかな斜面になっているのだろう。 |
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玉垂宮の楼門 2015.01.07
11:14
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楼門と惣門の間にある手水舎
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鬼火松明を持つ若者像(前)
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鬼夜像 |
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▲▼ 楼門に至る表参道の西側に銅像がある。平成15年(2003)に1900年御神期大祭を記念して立てられた鬼火松明を持つ締込み姿の凛々しい若者像で、長い前垂れが鬼夜のタイマワシの特徴である。 |
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鬼火松明を持つ若者像(後)
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鬼夜絵馬
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撮影:吉田好幸 |
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▼ 楼門の南に惣門がある。大松明廻しで、最初に発動する一番松明の惣門くぐりが見せ場を演出する。褌一丁のタイマワシたちが惣門の天井を焼かないよう慎重に歩を進めながら大松明がこの門をくぐる。栄えある一番松明だけの特権である。 |
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玉垂宮惣門 11:15
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表参道入口 |
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▼ 惣門の南に二つの石鳥居があり、それを抜けると表参道入口に至る。本来ならここから北進し、裏参道へと抜けるコースが正規なのだが、玉垂宮社殿北側の駐車場からスタートしたために、逆コースとなってしまった。 |
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表参道入口の石鳥居 11:16 |
鬼夜解説板↓ |
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▲▼
表参道入口の右側に案内板が設置され、玉垂宮と鬼夜について説明されていた。これまでインターネット上の多くの文献では、大松明の長さは13mとされていたが、ここでは12mとされている。九州国立博物館作成のDVDビデオ「大善寺玉垂宮の鬼夜」でも12mと紹介されており、大松明の長さは、正しくは12mであることが分かった。 |
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表参道入口の鬼夜解説板
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霰川(広川)の汐井口 1/2
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▲▼ 表参道入口の直ぐ南は、霰川(あられがわ)(広川)が流れており、石鳥居の直ぐ東側に川面(かわも)に下りていけるよう土手に石段を設けた汐井口がある。午後8時から始まるお宮の汐井汲(しおいくみ)は、汐井口から川中に設けられた汐井場(しおいば)に行き、汐井田子(しおいたご)と呼ばれる桶(おけ)に水を汲み、神前に供える神事である。 |
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霰川(広川)の汐井口 2/2
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川中の汐井場 1/2
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撮影:吉田好幸 |
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▲▼
汐井汲や汐井かき(禊)が行われる汐井場は、1月6日に霰川の中央に設けられたもので、四本の笹竹を立て、注連縄(しめなわ)を張り巡らしたもの。 |
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川の東側に見える緑の鉄橋は、玉垂宮の東を南北に走る西鉄天神大牟田線で、この南600mに鬼夜の最寄り駅となる西鉄大善寺駅がある。西鉄福岡(天神)駅まで特急で40分、急行で50分という位置にある。 |
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玉垂宮の表参道の入口付近には飲食店が見つからず、やむなくコンビニでおにぎりなどを購入し、駐車場の吉田車に戻って昼食を取り、しばし仮眠した。この店には、鬼夜の締込みや足袋草鞋が売られていた。 |
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近くのコンビニで鬼夜の正装(晒・足袋・草鞋)を販売
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▼ 午後1時から鬼面尊神神事が始まった。前述のように祭の細部を公開したくないというムードが漂っているため社殿に入って神事を取材することは差し控えた。 |
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神事「鬼面尊神渡御」のため拝殿に入る神職たち 12:58
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撮影:吉田好幸 |
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▼ 拝殿の奥には、鉾面神事で使われる男鉾と女鉾が純白の鉾紙とともに飾られており、その左奥には、汐井汲で使われる汐井田子(桶)や鬼面などが並べられていた。 |
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鉾面神事 |
に使われる男鉾と女鉾 / 拝殿 |
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汐井田子↓ |
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拝殿に飾られていた鬼面は、赤鬼と青鬼の天狗面で、午後9時半に大松明を点火した後に鬼堂前の仮設舞台で奉納される鉾面神事(ほこめんしんじ)に使われる。鬼面尊神の鬼堂への渡御と本殿への還御は、
鬼面尊神のお面が漆塗りの箱に納められてうやうやしく運ばれる。 |
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だいぜんじ てんぐのきめん なのかとや |
The seventh day of the New Year, devil's masks of long-nosed goblins at Daizenji. |
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鉾面神事 |
に使わ鬼面(天狗面) / 拝殿 |
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鬼夜保存会資料 |
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鬼夜保存会の資料によると、拝殿左には、汐井田子(水桶)や鬼面、鬼の蓑、鬼火松明など神事に使われる備品が飾られている。午後1時から始まった鬼面尊神の渡御神事は、拝殿に参列した氏子長老たちや古来より鬼夜を受け継いできた家筋にあたる赤司家(あかしけ)や鬼堂を護ってきた川原家などの人々に隅正實宮司が御祓いし祝詞を奉じた後、隊列を組み、赤司家の当主が漆塗りの箱に納められた一対の鬼面(鬼面尊神)をうやうやしく捧げ持ち、本殿周りを時計回りに廻って鬼堂に運ぶ。 |
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鬼堂で鬼面尊神を神棚に安置して御祓いや祝詞奏上を行ったあと、赤司家と川原家の人々が鬼堂に籠もる。この間、御神酒を飲み、1月6日に搗いたつんきり餅を火鉢で焼いて食べる。 |
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神事「 |
鬼面尊神渡御 |
」 / 拝殿~鬼堂 |
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鬼夜保存会資料 |
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鬼面尊神の還御は、午後4時から始まる。渡御と同様に隊列をつくり、鐘楼の前を通って漆塗りの箱に収められた鬼面尊神を本殿に安置する。本殿で御祓いと祝詞奏上の後、赤司家の人々による種蒔神事(たねまきしんじ)が行われ、一人が鈴を振るなか、赤司家の当主が桶に入れた玄米を神前に撒く。 |
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これは神前に供えた玄米を用いて行われるが、この玄米は神官によって正月14日のドンドの日に粥に炊かれ、4月11日の御田祭(おんだまつり)の当日に粥の表面に発生したカビの具合によって五穀の豊凶や風災害の予測などが占われる。これをカビ占いという。 |
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神事「 |
鬼面尊神還御 |
」 / 鬼堂~拝殿 |
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玉垂宮資料 |
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鬼面尊神神事に平行して、大松明6本の移動先である本殿西側の塀の屋根に防火板を張る作業が行われた。
大松明廻しの途中で燃え盛る6本の大松明の頭が塀に向けられて並ぶので、火災防止対策である。 |
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