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ライン川 Rhein |
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ライン川は、スイスアルプスの山中に端を発し、フランスとドイツの国境を流れ、オランダのロッテルダムで北海に流れ込む全長1,320kmの国際河川である。西部・中部ヨーロッパではドナウ川に次ぐ流量を誇る。 |
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ドイツでは〈 母なるドナウ Mutter Donau 〉と対照的に〈 父なるライン Vater Rhein 〉と呼ばれ、古来より、スイスアルプスの雪解け水が大地を潤し育んできたばかりではなく、ヨーロッパの政治、経済、文化に多大な役割を果たしてきた。 |
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全長の半分以上にあたる698kmはドイツを流れているが、中でもラインラントやラインガウ地域を流れる中部ライン渓谷と呼ばれる一帯に点在する古城やぶどう畑が織りなす景観は、19世紀にロマン派の作家によって賞賛され、ハイネの詩にジルヒャーが曲をつけた有名な「ローレライ」で世界的に知られるようになり、この地域一帯は、2002年にユネスコ世界遺産に登録された。 |
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ドイツ政府による国賓級の接待などにもライン下りが組み込まれるなど、豊富な水量によるダイナミックな景観と風光明媚な沿岸風景は素晴らしく、ドイツを代表する観光名所として世界的に知られている。 |
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ローレライ Loreley / Lorelei |
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ローレライは、ライン川中流のザンクト・ゴアースハウゼンの上流(南方)右(東)岸にそびえ立つ高さ132mの巨岩の呼名である。このあたりは川幅が狭く湾曲し、かつては浅瀬が多かったことから航海の難所であったが、現在は岸辺まで浚渫(しゅんせつ)されて安全に航行できるようになり、ライン名勝のエピックとなっている。 |
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きゅうりゅうの らいんくだりや なつこだち |
Summer trees, Going down the
Rhine of strong current. |
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554の数字は上流の基点からの距離(km) |
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この岩山は古来より山彦を起こすことで知られ、古名〈ルーレライ〉は〈待ち岩〉を意味し、こだまを岩(ライ Lei )のそばで待ちうける(ルーレン lauern)という意味の〈ルーレンライ〉に由来する命名という。 |
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堤防にLOLEREY(ローレライ)の表示がある。 |
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また、ここに住み、歌声(エコー)で舟人を誘惑したという水の精ローレライの伝説は、詩人の空想が伝説化したもので、ロマン派の詩人 C. ブレンターノが1801年に発表した物語詩《ローレ・ライ》の中で、男たちを魅惑して破滅させる美しい乙女にこの名を与えて以来、詩人たちはしばしばこの題材を採り上げて発展させた。 |
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舟人を惑わすローレライの妖精 |
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資料 |
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とりわけ、1823年(1824年とも)に発表されたハインリッヒ・ハイネ Heinrich Heine (1797-1856)の詩 《ローレライ》は、ジルヒャー Friedrich Silcher (1789‐1860)の作曲によって民謡のように広く親しまれ、日本でも近藤朔風(こんどう・さくふう)の訳詞で愛唱されている。 |
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Die Loreley Heinrich Heine / Friedrich Silcher
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1. Ich weiß nicht was soll es bedeuten,
Daß ich so traurig bin;
Ein Märchen aus alten Zeiten,
Das kommt mir nicht aus dem Sinn. |
なぜだか良くは分からないけれど
私はとても悲しい気持ちだ
古い昔の物語が
心に深く響いてくる |
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2. Die Luft ist kühl und es dunkelt,
Und ruhig fließt der Rhein;
Der Gipfel des Berges funkelt
Im Abendsonnenschein. |
風は冷たく、あたりは暗くなった
そして静かに流れるライン川
山の頂きは輝いている
沈む夕日を浴びながら |
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3. Die schönste Jungfrau sitzet
Dort oben wunderbar;
Ihr goldnes Geschmeide blitzet,
Sie kämmt ihr goldenes Haar. |
美しい乙女が座っていた
あそこの岩の上に
金色のアクセサリーが光っている
乙女は金色の髪を梳いている |
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4. Sie kämmt es mit goldenem Kamme
Und singt ein Lied dabei;
Das hat eine wundersame,
Gewaltige Melodei. |
彼女は髪を金色の櫛で梳かし
そして歌を歌っている
それは不思議で
強力なメロディだ |
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5. Den Schiffer im kleinen Schiffe
Ergreift es mit wildem Weh;
Er schaut nicht die Felsenriffe,
Er schaut nur hinauf in die Höh. |
小舟に乗った舟人は
激しい悲しみと共にそれを聴く
水底の岩には目もくれず
彼はただ上を見上げる |
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6. Ich glaube, die Wellen verschlingen
Am Ende Schiffer und Kahn;
Und das hat mit ihrem Singen
Die Lore-Ley getan. |
私は信じている、波が飲み込むのだと
こうしてついには舟人と舟を
それは彼女の歌の力で
あのローレライがしたことなのだ |
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★☆★彡 |
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BGMに流れているドイツ語のローレライは、ザンクト・ゴアースハウゼンの船着場の売店で買ったCDに入っていたもの。4番しか歌っておらず、行進曲風の演奏は、ハイネの詩情を殺すもので、日本語の歌が如何に優れているかが分かる。ドイツ語の名演奏があれば、差し替えたいので、ご教授いただきたい。 |
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約3年後の平成23年(2011)5月14日、遂にウィーン少年合唱団の天使の歌声によるローレライを見つけた。最初に演奏することにし、行進曲風のダサイローレライは、記録にとどめるため、2曲目に演奏する。3曲目が日本語の歌である。 |
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画像:フリー百科事典 Wikipedia |
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作曲:Friedrich P. Silcher 作詞:Heinrich Heine
日本語詞:近藤朔風 |
1 なじかは知らねど 心わびて
昔の伝説(つたえ)は そぞろ身にしむ
寥(さび)しく暮れゆく ラインの流(ながれ)
入日に山々 あかく映(は)ゆる
2 美(うるわ)し少女(おとめ)の 巖頭(いわお)に立ちて
黄金(こがね)の櫛とり 髪のみだれを
梳(す)きつつ口吟(くちずさ)む 歌の声の
神怪(くすし)き魔力(ちから)に 魂(たま)もまよう
3 漕ぎゆく舟びと 歌に憧れ
岩根(いわね)も見やらず 仰げばやがて
浪間に沈むる ひとも舟も
神怪(くすし)き魔歌(まがうた) 謡(うた)うローレライ |
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↓ローレライ像/モール ↓ローレライ |
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画像:フリー百科事典 Wikipedia |
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ザンクト・ゴアースハウゼン St. Goarshausen
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我々は1時間半の船旅を終え、ローレライを航過後、二つ目の寄港地ザンクト・ゴアースハウゼンで下船し、昼食を取った。1324年に都市権を取得したこの町は、市壁が一部残っており、また、ローレライの岩に登る出発点となっている。川の中に張り出したモールの先の方には、青銅の裸像「ローレライ像」がある。 |
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低水位のときには、ローレライの岩山の先端に危険な「七人の乙女 Sieben Jungfrauen 」と呼ばれる岩が見える。シェーンブルク城で説明したように、石のような心の持ち主だった七人娘が岩になり、舟人を惑わす七重のエコーが聞こえるという伝説がある。 |
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雨のカッツ(猫)城/ザンクト・ゴアースハウゼン(右岸)
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ザンクト・ゴアースハウゼンの背後の山上にあるカッツ(猫)城は、カッツェンエルンボーゲン(猫の肘)伯爵が14世紀に建設したもの。この城は1806年に破壊されたが、1898年に再建された。 |
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ラインフェルス城 Burg Rheinfels |
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対岸のザンクト・ゴアール St. Goar は6世紀に飲食業者と陶器職人の守護聖人だった聖ゴアールが創設。かつてはカッツェンエルンボーゲン伯爵領の中心地であり、ライン川沿いで最も強固な守りを備えていた都市だった。 |
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ライン川関税を徴収するため、ディーター・フォン・カッツェンエルンボーゲン伯爵V世が1245年に標高115mの地に築いた城がラインフェルス城。1796年と1797年にフランス軍によって破壊された。城内にケルト人を記念する石碑が残されている。 |
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対岸のラインフェルス城/ザンクト・ゴアール(左岸)
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昼食後、ツアーバスはザンクト・ゴアースハウゼンを後にし、ライン川沿いの道を下ってボンに向かった。途中、バスはローレライから15kmほど下流の左(西)岸にあるボッパルトの対岸を通過したので、車窓からボッパルトを撮影した。 |
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奇しくも日本を出発する直前にJR河辺駅北口の青梅市・中央図書館で開かれていた「ラインランド・プファルツ州ユネスコ世界遺産展」を見る機会があり、世界遺産の中部ライン渓谷にあるボッパルトが昭和40年(1965)から筆者の住む青梅市と姉妹都市の関係にあることを知った。 青梅ボッパルト友好協会のホームページ |
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多摩川河畔の青梅市と姉妹都市の関係にあるボッパルトの中心部(左岸)
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ボッパルトは紀元前50年にローマ人が砦を造ったのが始まりで、現在も当時の城壁が鉄道に沿って保存されている。この地域は丁度6つの渓谷がぶつかるところで、その景観は格段に素晴らしく、特に、ライン川のヘアピンカーブは絶景で、街の下の丘にはライン川が4つの湖のようにわかれて見える見晴台があるという。 |
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ブドウのほか、サクランボの名産地でもあり、今後のツアーにボッパルトの下車観光を組み入れることは日程的に十分可能であるので、旅行社におかれては、是非、検討願いたい。 |
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ボッパルトから10kmほど下った左岸にブレイという小さな村がある。村にはシックな教会があり、平和な佇まいに心が惹かれる。一般にヨーロッパではどんな小さな集落にも立派な教会があり、今なお昔と変わることなく信仰をよりどころとした社会生活が営まれている。 |
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人口約10万のコブレンツは、古代、ローマ帝国がこの地にカストルム・アド・コンフルエンテス(合流点の城砦)と称する城砦(じょうさい)を築いたのが始まりで、その名の由来ともなっている。 |
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モーゼル川 Mosel とライン川の合流点に位置し、河川交通の要衝である。両河川の合流地点は、ドイツの角(ドイチェス・エック Deutsches Eck )と称され、ドイツ皇帝ヴィルヘルム I 世の騎馬像がある。 |
コブレンツは、ワインの集散地であると共に観光業も発達している。近隣には、ライン川沿いの約 50 km北西にボン、80 km北西にケルン、65 km南東にマインツが位置している。 |
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モーゼル川↓ ↓ドイツの角 |
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画像:フリー百科事典 Wikipedia |
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