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ボンを見学した後、1時間ほどのドライブでケルンに入り、ホテルに一泊。ツアー3日目の6月14日(土)は、午前中、世界文化遺産のケルン大聖堂やケルン市内を観光した。 |
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ボンから30kmほど下流(北西)にあるケルンはローマ帝国によってローマ植民市として建設された街で、現在98万人が住む。ケルンの名はラテン語で植民市を意味する Colonia に由来する。現在でもイタリア語やスペイン語ではこの名前が使われており、英語やフランス語の Cologne も同源である。古来からケルン大司教は選帝侯*Kurfürstのひとりであり、ケルンは交易と地域政治の中心として栄えてきた。 |
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*選帝侯:神聖ローマ帝国において、ドイツ王ないしローマ王(神聖ローマ皇帝)を選定する選挙権を有した諸侯 |
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ケルンにあるケルン大聖堂は、世界文化遺産に登録されているゴシック様式の大聖堂で、正式名称は、ザンクト・ペーター・ウント・マリア大聖堂 Dom St. Peter und Maria という。ゴシック様式の建築物としては世界最大であり、現在はカトリック教会の管理下にある。 |
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カソリック寺院としては世界最大のケルン大聖堂(世界文化遺産)
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現存の大聖堂は3代目で、初代が完成したのは4世紀のことだった。正方形の建物で、最も古い聖堂として知られていた。2代目は818年に完成し、12世紀後半に東方三博士*の聖遺物**が置かれたことで多くの巡礼者を集め、ケルンの発展に貢献したが、1248年の4月30日に火災により消失した。 |
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*東方三博士:キリストが誕生した時に拝んだとされる人物(東の国から来た三人の占星術学者)/新約聖書
**聖遺物:イエス・キリストの遺品、また、諸聖人の遺骸や遺品/カトリック教会 |
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3代目は、2代目が消失した1248年に建設がはじまった。しかし、16世紀に入って宗教革命を発端とする財政難から一度工事が途絶し、ファサード(正面の外観)の塔がひとつしかない状態が続いた。建設が再開されたのは19世紀に入ってからだった。 |
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ナポレオン戦争の影響によりドイツでナショナリズムが高揚する中、建設途中であったケルン大聖堂に注目が集まり、1842年に建設が再開され、もうひとつの塔の建設がはじまり、全てが完成したのは建設開始から600年以上が経過した1880年だったという。 |
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高さが157mの大聖堂は、アメリカの高さ169mのワシントン記念塔が完成する1884年まで、世界一の高さを誇る建築物として評判となった。 |
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キリスト誕生から処刑までを描く壮大なステンドグラス
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大聖堂は、第二次世界大戦の際、ケルンに対する英米軍の空襲で14発の直撃弾を受けた。内部は激しく破壊されたものの全体は崩れなかったため、1956年まで復旧工事が行われて、元の状態に復元された。 |
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その際、周囲の廃墟から再利用した粗悪なレンガで復旧された部分があったため、1990年代に入ってから空襲前の外観に戻す作業が続けられている。 |
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修復の一環として破損したステンドグラスの一部はゲルハルト・リヒターによって近代的なモザイク風の市松模様のものに置き換わったが、これについては未だに賛否両論がある。筆者は撮影してみたが、違和感を持った。 |
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ケルン大聖堂は1996年にユネスコの世界文化遺産に登録されたものの、周辺の高層建築計画による景観破壊の危機にさらされ、2004年に危機遺産に指定されたが、大聖堂の周囲に高さ規制を設けるなど、市当局の懸命な努力により、2006年に危機遺産の指定が解除された。 |
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なつぞらに やりのつきたつ だいせいどう |
A huge church, spears sticking out towards the summer sky. |
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黄金の棺 |
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ケルン大聖堂の有名な東方三博士の聖遺物は、その姿かたちから黄金の棺といわれ、今回、それを見るためにツアーに参加した女性がいたほど。しかし、翼廊から奥は立入が禁止されており、黄金の棺は豆粒のようで、よく分からなかった。彼女も折角見に来たのに・・・と、ガッカリしていた。 |
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堂内での撮影は許可されていたが、まさか望遠レンズが必要とは思わず、標準ズームしか持参していなかったので、黄金の棺を撮影することができなかった。筆者の痛恨のミスで、これからは屋内でも必ず二刀流で臨むことを誓った。 |
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画像:フリー百科事典 Wikipedia |
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大聖堂の200mほど南に市庁舎ラットハウスがあり、ちょうど旧市庁舎の入口で新郎新婦が親族や友人たちと記念写真を撮影しているところだったので、1枚撮らせてもらった。 |
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6月は英語でJuneというが、ローマ神話のユピテル(ジュピター)の妻ユノ(ジュノー)から生まれた言葉。ユノが結婚生活の守護神であることから、6月に結婚式を挙げる花嫁を「ジューン・ブライド」(June bride、6月の花嫁)と呼び、この月に結婚すると幸せになれるといわれる。 |
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オーデコロンは、芳香品の一種。香水やオードトワレと比較して、香りの持続時間は短く、1〜2時間程度。万能香水とも呼ばれ、床まき用、おしぼり用、頭髪用など広い用途に使用される。 |
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「ケルンの水」の意で、1709年にドイツのケルンでヨハン・マリア・ファリナが澄み切ったライン川の水を原料として世界で最初に製造販売した。日本には香水の一種として明治の文明開化とともに流行した。 |
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店頭を賑わしている「オーデコロン4711」は、1792年に生まれた。当時、シャルトルーズ会のある修道僧が「アクア・ミラリビス(不思議な水)」の秘密の処方箋を商人ヴィルヘルム・ミューレンスの結婚式の際に贈った。ミューレンスはこの香水を販売するため、ケルンのグロッケンガッセ4711番地に工場を創設した。これが大成功を修め、「オーデコロン4711」と名付けられた不思議な水は、60ヵ国以上に販売されるようになった。 |
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トイレはドイツ語で「Toilette トアレッテ」「WC(ヴェーツェー)」。男性用は「Herren(略して H )」「Männer」、女性用は「Damen(略して D)」「Frauen」の表記がなされている。男だったら「Damen はダメ!」、女だったら「Herren は入(へえ)れん!」と覚えておけば、間違わなくてすむ。 |
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昔懐かしいWC(ダブルシー)が健在なのは嬉しいが、ドイツでは男女とも0.5ユーロ(85円)の有料トイレがほとんど。これにはカルチャーショックを覚えた。さすがに食堂やホテルはタダだが、サービスエリアの売店や公衆トイレなど殆どのトイレで金がかかる。 |
入場料を払った古城などの観光施設でもトイレの使用料を取るところがあり、日本人のセンスではせこいとしか思えない。もっとも、レストランで水をたのむとワインやビールより高い代金を取られるのはヨーロッパの常であれば、トイレの使用というサービス提供に金を要求するのは当たり前で、ドイツ人は違和感を覚えないのかも知れない。ちなみに、これまでに行った国々では有料トイレはごく希である。水もトイレも無料の日本は、本当に天国のような国である。(^^; |
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