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ツアーバスは、午後零時半頃、目的地ベルゲンに到着。起伏のある町並みにギッシリと建ったカラフルで美しいマイホームが印象的である。昼食後、最初に向かったのは、ノルウェーの誇るグリーグの家。 |
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午後1時40分頃駐車場にバスを置き、ブナの並木道を歩いてグリーグの家に向かった。先頭を歩く赤い装いの女性が地元ガイドのまりこさん。昼食のレストランで合流した。 |
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フィヨルド観光の玄関都市・ベルゲンは、首都オスロに次ぐ人口約24万人のノルウェー第二の都市。周辺の地形は、西ノルウェーのフィヨルド地方特有のもので、入り組んだ海岸線のすぐそばまで山が迫り、僅かな平地に木造家屋が密集している。道幅も狭いため、一旦火事が発生すると直ぐに広がり、甚大な被害を受けるという。 |
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ノルウェー語で「山の牧場」という意味を持つベルゲンの歴史は古く、1070年にオーラヴ・ヒッレ王 Olav Kyrre によって拓かれ、12世紀から13世紀にかけてノルウェーの首都にもなった。14世紀から15世紀にかけて、北海周辺諸国の商業発展を目指したハンザ同盟に加盟し、その事務所が置かれた。 |
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ドイツからやってきてこの地に住みついたハンザ商人たちの統治の下で、ベルゲンは北ノルウェー産の干し鱈(ほしだら)の輸出によって急速に発展し、17世紀のハンザ同盟の終焉(しゅうえん)に至るまでの400年にわたって隆盛を極めた。ベルゲン港にあるブリッゲン地区は、当時の姿をありのままに留める貴重な建物として、世界文化遺産に登録されている。 |
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ハンザ同盟の解体以後、ベルゲンはドイツ人の支配を離れ、自国民によって国際市場に進出し、漁業に加えて造船業や手工芸に力を入れ、現在ではノルウェー最大の港湾都市となっている。 |
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グリーグの家「トロルハウゲン」 Troldhaugen
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トロルハウゲン(トロルの棲む丘)と呼ばれるグリーグの家は、エドワルド・グリーグ博物館として一般公開されている。こゝにはノルウェーの偉大な音楽家・エドワルド・グリーグが22年間住んだ白いビクトリア風の家が保存され、フィヨルドを見下ろしている。 |
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コンサートホール「トロルサーレン」 Troldsalen
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博物館の中でグリーグの紹介や遺品などを見学したあと、館外に出て奥に進むと、1985年に建てられた草屋根のコンサートホールがある。トロルサーレンと呼ばれ、200人を収容することができ、プライベートコンサートなどリクエストによっては借り切ることもできるという。 |
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中に入ると、ステージの中央にピアノが置かれた斬新なコンサートホールが現れ、見かけとの落差に誰しもが驚く。ステージの奥には、ガラス越しにグリーグのアトリエが見える。 |
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エドワルド・グリーグ Edvard Hagerup Grieg 1843-1907 |
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エドワルド(エドヴァルド)・グリーグはノルウェー出身の作曲家で、2007年で没後100周年となった。 現地語での発音は「エドヴァール」に近く、g が単語の最終文字の場合 k と発音するドイツ語読みの影響で、「グリーク」と表記されることもある。 |
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資料 |
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グリーグは、スウェーデン統治下のノルウェーで、ベルゲン市街の家に5人兄弟の第4子として生まれた。 |
1858年(15歳)、ヴァイオニスト、オレ・ブル(Ole Bull 1810-1880)に才能を見いだされ、3年半、ライプツィヒ音楽院で作曲とピアノを学ぶ。 |
1863年から3年間、デンマークのコペンハーゲンに住み、作曲家ニルス・ゲーゼに学んだ。ここで交響曲、ピアノ・ソナタ(作品7)、ヴァイオリン・ソナタ第1番(作品8)など初期の作品が作られた。また、従妹でソプラノ歌手のニーナ・ハーゲルップ(Nina Hagerup 1845-1935)と出会い、1867年に結婚。後の歌曲は殆どニーナ夫人のために作曲された。 |
1867年、クリスチャニア(現オスロ)のフィルハーモニー協会の指揮者に就任し、民謡収集家・リンネマンや国民的詩人・ビョルンソンと親交を持つ。「十字軍の王シーグル」のための劇音楽を作曲。グリーグの重要な作品である「抒情小曲集」第1集を出版。 |
1877年から1880年まで、ベルゲン東方のハダンゲル(ハルダンゲル)地方に住み、ハダンゲルフィヨルドをこよなく愛した。次第に民族音楽、民族楽器へ傾倒していく。 |
1884年ベルゲン近郊のトロルハウゲン(トロルの丘)に住家を建築、ベルゲン出身でデンマークで活躍した劇作家ルズヴィ・ホルベア(Rudwig Horberg 1684-1754)の生誕200年のためにピアノ組曲「ホルベアの時代から」を作る。 |
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1901年(60歳)、次第に健康状態が悪化。「抒情小曲集」第10集を出版。1905年ノルウェー独立を見届けたあと、1907年、ベルゲンで没した。 |
生地であるベルゲンの自然とフィヨルドをこよなく愛したグリーグは、死後、遺言によりトロルハウゲンの住居の下にある岩壁に墓が設けられ、一部の遺灰はフィヨルドに撒かれた。 |
★☆★彡 |
彼はとても小柄であったが、その体格に見合わず壮大なクラシック音楽の数々を世に送り出した。また生前は卓越したテクニックのピアニストとしても著名で、自作を携えてヨーロッパを度々演奏旅行している。 |
グリーグはピアノのために数多くの小品を作曲しており、「北欧のショパン」とも呼ばれる。数あるグリーグの作品の中で、ヘンリク・イプセンの戯曲「ペール・ギュント」のために作曲した音楽とイ短調のピアノ協奏曲が日本に於いて最も有名。グリーグの本領は、「抒情小曲集」と多数の歌曲に代表される小品にあるという。 |
グリーグは、終世、手のひらに乗る小さな蛙の置物や子豚のぬいぐるみを大切にし、寝る時も一緒だった。演奏会のときは、あがらないようにポケットの中で蛙の置物をそっと握りしめたという。この2品は、現在もグリーグの家(エドワルド・グリーグ博物館)に展示されている。 |
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グリーグの銅像から海辺に下ると、赤く塗装された小屋がある。グリーグはこのアトリエで作曲に精出したという。 |
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コンサートホールから更に奥に進むと、見晴らしの良い小さな丘にグリーグの住んでいた家がある。博物館を含め、建物の内部は全て撮影禁止になっているのが残念である。 |
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グリーグはノルウェーの民族音楽から着想を得て、国民楽派の作曲家として注目された。 彼の民族音楽からの深い影響は、組曲「ペール・ギュント」1曲目「朝」の冒頭がノルウェーの民族楽器であるハルダンゲル・フィドルの共鳴弦を端からつま弾いたときの旋律から始まっていることからもうかがうことができるという。 |
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白い家の左手のスロープを下りて行くと、小さな船着場があり、その手前の崖にグリーグ夫妻が眠る墓がある。 |
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