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秋になると、羊飼いたちは、羊のブリーダー(スタッド)から雄羊を購入し、雌羊のいる放牧地(パドック)に放って種付けをする。羊の妊娠期間は150日なので、飼い主は出産(ラミング)を始めたい日からさかのぼってその時期を決める。 |
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一例を示せば、3月20日(8月25日から出産開始)に約300頭、4月10日(同9月5日)に約1000頭、5月1日(同10月1日)に1歳の雌羊165頭にそれぞれ雄羊をあてがうという具合。 |
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早春のサザン・アルプス/ラーカス峠(709m)越え
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雄羊1頭が相手にできる雌羊の数は、1歳の童貞羊は約40頭、2歳以上の経験羊は80〜100頭。雌の群れに入れておく期間は、童貞羊が3週間(2交尾/日)、その後バトンタッチした経験羊が6週間(2-3交尾/日)。懐妊率は97-98%というから凄い確率である。 |
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羊飼いの中には、交尾が確実に行われたかどうかを確認するために、雄羊の腹に原色のチョークのベルトを付ける。そうすると交尾の終わった雌羊の臀部にチョークの色がつく。ときどき尻に薄い青色がついた羊を見かけたが、それが交尾完了印だった。 |
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バスは、ラーカス峠を越えたあと、ひたすら原野を走り、午後5時過ぎ、プカキ湖と呼ばれる全長約30kmの細長い湖に着いた。プカキとはマオリ語で「入り江の頭」という意味。 |
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ニュージーランド最高峰のマウント・クック(3,754m)周辺のフランツ・ジョセフ、フォックス、タスマンの各氷河から解け出た水は、総てプカキ湖に流れ込み、この水資源を利用して水力発電が行われている。 |
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プカキ湖は、流動する氷河が岩石を削り取ったグレーシャ・フラワー glacier flour と呼ばれる岩粉が流れ込んでいるため、美しい乳青色 ミルキー・ブルー milky blue に輝いている。 |
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ツアーバスは、80号線に沿ってプカキ湖を北上。やがて湖がついえ、その先に荒漠とした原野が現れた。国道の左右には冠雪の岩山が並び、サザン・アルプスの山懐に入った。 |
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マウント・クック空港 Mount Cook Airport
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更に80号線を北上すると、右手(東)の原野の中にマウント・クック空港が見えてきた。小さな空港だが、アオラキ・マウント・クック国立公園の空の玄関口で、クライストチャーチ空港とクイーンズタウン空港とを結ぶほか、遊覧飛行機や遊覧ヘリの基地となっている。 |
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今回のツアーでは、翌朝、オプションとして、マウント・クック空港を基地とするセスナ機による遊覧飛行とタスマン氷河への着陸が企画されている。しかし、この付近は年間を通じて天候が悪く、マウント・クック村からマウント・クックが見える確率は50%、遊覧飛行を催行できる確率は30%だという。 |
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この荒野の最奥部にマウント・クック村がある。こゝまでは青空が見えていたが、次第に天候が悪化してきた。 |
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この奥がマウント・クック↓ |
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マウント・クック村 Mount Cook Village
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ニュージーランド最高峰のマウント・クック(マオリ語はアオラキ
Aoraki )(3,754m)はアオラキ・マウント・クック国立公園
Aoraki Mount Cook
National
Park にある。公園内にあるマウント・クック村は、夏350人、冬150人の小さな村で、ホテル従業員やガイドなどが暮らしている。 |
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この地域は1953年10月に国立公園として正式に制定され、1996年には近隣の国立公園らと共にテ・ワヒポウナムの名称でユネスコの世界遺自然遺産に登録されている。 |
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ハーミテージ・ホテル Hermitage Hotel
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ツアーバスは、午後6時過ぎマウント・クック村にある老舗の山岳リゾート・ホテル「ハーミテージ・ホテル」に到着した。ホテルはマウント・クックがよく見えるように北向きに建っており、全員がマウント・クック・ビューの部屋に宿泊した。私の部屋は幸運にも西端の611号室で、マウント・クックが最も良く見通せる部屋だった。 |
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筆者の611号室(6階角部屋)↓ |
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サー・エドモンド・ヒラリー Sir Edmund Hillary
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ホテルの前庭にサー・エドモンド・ヒラリーの銅像が立っていた。1919年7月20日ニュージーランドの養蜂業の家庭に生まれたヒラリーは、1953年5月29日午前11時半、ネパール人シェルパのテンジン・ノルゲイとともに、世界最高峰のエベレスト(8,844m)に世界初登頂に成功したことで知られる。 |
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ハーミテージ・ホテルの前に立つサー・エドモンド・ヒラリーの銅像
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この銅像は、エベレスト登頂50周年を記念してホテルが建てたもので、銅像下部の銘板には、1953年のエベレスト初登頂や、1948年にマウント・クック南稜を初登頂したことなどが記されている。 |
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ヒラリーは、ネパール・ナムチェバザールのシェルパの人々のために慈善団体「ヒマラヤ基金」を創設し、学校や医療施設を建てて援助しているが、 彼が1960年に建設したクムジュン小学校の校庭にも彼の銅像があるという。現在、ホテルは、彼の偉業を讃えるためにヒラリー記念博物館を増築中である。 |
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エベレスト街道 撮影:松尾 京子 |
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ヒラリーは子供の頃は虚弱児だったが、養蜂業で山野を歩き回るうちに身長190cmという長身の強靱な身体となったという。稼業のお陰で、山岳特有の天候判断や方向感覚、大自然がもたらす困難を乗り切る要領を覚え、知らず知らずのうちに登山家としての資質が培われていった。「私が今日あるのはハニー(蜂蜜) honey のお陰だ」というのが彼の口癖だったという。 |
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ヒラリーの思い出 |
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筆者は35年ほど前に海上保安大学校の練習船こじまの教官をしていたが、遠洋航海でオークランドに入港し、地元の名士をサロンの夕食会(すき焼きパーティー)に招待したとき、来客名簿にヒラリーの文字があるのを見て尋ねたところ、本人だったので驚いたが、親しく歓談したことを覚えている。 |
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この話をホテルのフロントに話したところ、このホテルに宿泊した外国人観光客でヒラリーに会ったという人は貴方が初めてだといわれた。彼は現在88歳の高齢だが、健在で、オークランドに住んでいるという。 |
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↓頂上が雲に隠れているマウント・クック |
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御逝去を悼む |
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ヒラリー卿は、2008年1月11日午前、88歳の米寿で逝去された。死因は明らかにされていない。ご冥福を祈る。 |
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資料 |
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ホテルに着いたときは、マウント・クックの山頂は雲に覆われていたが、午後7時半から夕食が始まっても部屋に残って粘っていた甲斐があり、611号室の窓からマウント・クックの全容を撮影することができた。 |
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611号室から見えたマウント・クック!/ 19:34
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ニュージーランド最高峰マウント・クック(3,754m)の威容 / 19:35
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さんちょうの いりひうすれて ゆきげかぜ |
Top of the mountain, Light of setting sun fading, Snow melting wind blowing. |
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