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▼ トプカプ宮殿をタップリと観光したあと、イスタンブールの心臓部に当たるヒポドロムまで歩いて行った。このあたりは土産屋の一等地で、大規模な店が衣類や絨毯、陶器などトルコの名産品を所狭しと並べていた。 |
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▼ トルコのザクロは高級ザクロとして世界的に有名で、日本産やカリフォルニア産と比べて酸味が少なく、美味しさが際立っており、道ばたの露店で搾りたてのザクロ(ナル Nar )ジュース(スユ Suyu )を味わうことができる。注文するとザクロを横半分に切り、2個分4切れを手動の絞り器で絞り、コップに注いでフレッシュジュースができあがる。添加物はなく、甘くて掛け値なしに美味い。値段は5TL(トルコリラ 約300円)。 |
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ヒポドロム Hippodrome 'At Meydanı'
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▼ ブルーモスク(スルタンアフメット・ジャーミィ)の西側にあるヒポドロムは、ローマ時代の大競技場跡で、スルタン・アフメット広場とも呼ばれる。ヒポドロムの建設は203年に始まり、330年、ビザンチン皇帝コンタンチヌス大帝がここをローマ帝国第二の都と宣言した式典にあわせて完成した。現在はアトゥ・メイダヌ(馬の広場)と呼ばれ、祝祭日には、催し物が行われている。 |
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長さ400m、幅120mのU字型のトラックの周囲には40列の観覧席があり、3万人の収容能力があったという。最も人気があったのが、映画「ベン・ハー」で知られる戦車(戦闘馬車)競技(チャリオット・レース)である。 |
トラックの中央には、スピナ(spina 背骨)と呼ばれる分離帯があり、世界各地から持ち込まれた柱や像、日時計、オベリスクなどが展示されていたが、現在残っているのは三つの塔柱だけである。 |
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コンスタンチノープルの柱(10世紀) |
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ブルー・モスク |
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▲ ヒポドロム最南部にある高さ32mの「コンスタンチノープルの柱」(10世紀)は、コンスタンチヌスVII世が祖父帝バシレウス I 世を記念して造らせたもので、かつてはヒポドロムの中央に屹立していた。銅と真鍮で表面が覆われていたが、13世紀初めにラテン人の侵略により剥がされて、貨幣の鋳造に使われたという。 |
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▲ ヒポドロムに残る2番目に古い記念碑が紀元前479年に造られた「蛇の碑」で、326年、コンスタンチヌス大帝によりデルフィのアポロ神殿(ギリシャ)から持ち込まれた。ギリシャ都市同盟がペルシャ軍に勝利したプラタイアの戦いを記念した柱の本来の姿は、3匹の絡みつく蛇の頭部に直径2mの巨大な釜が載せられたものであったが、イスタンブールに移設される前に釜がなくなり、オスマン期になって蛇の頭部が破壊されたという。 |
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▼ 紀元前15世紀に造られた「テオドシウスのオベリスク(ディキリタシ)」は、イスタンブールで最も古い記念碑である。エジプトのファラオ・トトメスIII世がメソポタミアの勝利を記念して造らせたもので、390年、ビザンチン皇帝テオドシウス I 世がエジプトのルクソールにあるカルナックのアモン神殿からここに搬入させた。 |
ピンク色の花崗岩でできており、重さ300tonあり、本来は高さが32.5mあったが、運搬する際に下部から40%ほど切断されたため、高さは20mとなってしまった。碑文にはトトメスIII世の偉業を讃える象形文字(ヒエログリフ)が刻まれ、頂部には神アモンとファラオが手を握りあっている姿が描かれている。 |
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テオドシウスのオベリスク(紀元前15世紀)/ヒポドロム
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▼ トルコとドイツの蜜月時代にドイツの皇帝(カイザー)ヴィルヘルム II 世がイスタンブールを訪問した際、第34代スルタン・アブドゥルハミド II 世(在位 1876-1909)に盛大な歓待を受けたことに感激し、帰国後自らの設計でこの泉を造らせ、1898年に返礼として贈ったもの。カイザーとスルタンの頭文字が記され、金のモザイクで飾られたドームは、8本の緑色の円柱で支えられている。「ドイツの泉」、「カイザー・ヴィルヘルムの泉」とも呼ばれている。 |
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蜜月時代にドイツからプレゼントされた金の泉亭(1898)/ヒポドロム 撮影:2009.6.5
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撮影:小池淳二 |
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ブルーモスク / スルタンアフメット・ジャーミィ
Blue mosque / Sultanahmet Camii
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▼ スルタンアフメット・ジャーミィは、イスタンブールを代表するモスクで、世界文化遺産であるイスタンブール歴史地区の歴史的建造物群のひとつ。オスマン帝国の第14代スルタン・アフメト I 世(在位1603-1617)により7年の歳月をかけて1616年に完成した世界で最も美しいモスクと評される。 |
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6本のミナレットが象徴する巨大なブルーモスク(スルタンアフメット・ジャーミィ)北面
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しゅんこうや ぶるーもすくの みなれっと |
The spring sunlight, the minalets of Blue Mosque. |
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写真:フリー百科事典Wikipedia |
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▲▼ 世界で唯一優美な6本のミナレット(尖塔)と高さ43m、直径27.5mの大ドームを持ち、4つの副ドームと30もの小ドームで飾られた巨大なモスクの内部は、数万枚のイズニック・タイルやステンドグラスで彩られ、白地に青の色調の美しさからブルーモスクと呼ばれる。 |
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▲▼ 14歳で権力の座に着いてからの14年間、スルタンとして多方面に手腕を発揮したアフメト I 世は、挺身して取り組んだこのモスクの完成から僅か数週間後、癌で28歳の短すぎる生涯を閉じた。かつてスルタン親衛隊(イェニチェリ)の兵士であった王は、異色の才能で頭角を現し、まずは水路、そして橋の建設に従事した後、建築総責任者としてメッカのカーバ Kaaba*神殿の修復にも当たっている。 |
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*カーバ神殿:サウジアラビアにあるイスラム教の聖地メッカの大モスクの中央にあり、石造で高さ15mの立方体の建物。コーランの言葉を刺繍した黒い布で覆われ、東隅の壁の下に神聖視された黒石がはめ込まれている。イスラム暦の12月には世界中から多くの巡礼者が集まる。 |
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← 信者の足洗い場 → |
入口 |
棺安置台 |
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▲ 信者がモスクに入るには、足洗い場で手足を洗ってから入場する。観光客は、見学エリアのみにしか入れないが入口で靴を脱ぎ、ビニール袋に入れて持ち歩く。 |
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▲ 足洗い場の奥に棺の安置台がある。キリスト教や仏教と違ってイスラム教では、死者は不浄なものとされ、寺院の中に入ることができないので、葬式の際は、この台の上に棺が置かれるという。 |
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ヘレケ絨毯 Hereke silk carpet |
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▼ 51m x 53mの広さを誇るブルーモスクの内部は、巨大な空間で、床には赤い色調の絹の絨毯が敷き詰められている。この絨毯は、絹で織られた宮殿御用達のヘレケ絨毯である。ヘレケ絨毯は、イスタンブールの南東60kmほどにあるマルマラ海に面するヘレケという小さな村で古くから織られている手織りの絨毯で、世界で最も高品質で芸術性の高いものだといわれている。ダブルノット(二重結び)で織られたシルクのヘレケ絨毯の場合、1cm2に100〜120もの結び目があり、強度や品質の良さだけでなく、絵画のような繊細な模様が素晴らしく、芸術品としての評価も高い。 |
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赤い絨毯を敷き詰めた清潔で美しいブルーモスクの内部
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▲▼ ヘレケでは古くから手織りの絨毯が織られていたが、ヘレケが現在の地位を得たのは、1843年に第31代スルタン・アブデュルメジト I 世 Abdulmecid (在位 1839-1861)がヘレケを訪れた際に絨毯が献納されたことがきっかけだったという。彼はヘレケの職人が織った素晴らしい作品にいたく感動し、早速ヘレケに工場を作り、宮廷用の織物を作らせた。かくして、皇帝御用達となったヘレケ絨毯は、一躍、世界中の脚光を浴びることになった。 |
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メッカに向かって祈りを捧げる人たち(ブルーモスク左)
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▲▼
このとき、アブデュルメジト I 世は、ドルマバフチェ宮殿の建設を始めており、彼は、新宮殿を世界で最も豪華な宮殿にするために世界で真似のできない完璧な絨毯で飾ろうと考え、新宮殿に地下工場を作り、ヘレケの職人を呼び寄せて絨毯作成に専念させ、見事な絨毯やタペストリー(壁飾り)を完成させて宮殿を飾りあげたという。 |
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メッカに向かって祈りを捧げる人たち(ブルーモスク中央)
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↓イスラムの中心地・メッカのカーバ神殿の方角を示すミフラブ |
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▲▼ ブルーモスクの内部の装飾に使用された21,043枚のタイルは、宮殿専用のイズニック・タイルである。大小のドームには260もの小窓があり、ステンドグラスから差し込む美し光が館内を柔らかく包んでいる。残念ながら、建設当時、小窓に用いられていたベネチアグラスは残っていない。 |
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天井から吊り下げられた何百ものクリスタルランプは、外国から取り寄せられたものだが、建物に比べて見栄えが悪く、雑然としている。夜の照明には必要なものかもしれないが、筆者としては、この照明サークル一式がなければ、壮大な空間を遮るものがなくなり、最高に荘厳な雰囲気が醸し出されるはずで、どうにかならないものかと思った。 |
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メッカに向かって祈りを捧げる人たち(ブルーモスク右)
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▼ 赤い絨毯の一角に座り、天井を見上げると、大小のドームを飾るイズニック・タイルの美しい紋様が異国情緒を醸し出し、子供の頃に親しんだアラビアン・ナイトの童話の世界が甦ってきた。ブルーモスクは、タイルのブルーに因んでいるというが、絨毯の赤い色と相まって、色調はブルーというより赤みがかっているように感じられた。絨毯は最近新しいものに取り換えられたようで、以前の雰囲気とはかなり印象が変わったようである。 |
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コーランの一節を示す美しいアラビア文字によるイスラム書道
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▲▼ 宗教と芸術との関わり合いは、とても深いものがある。キリスト教にしてもイスラム教にしても、豊富な資金を保有する宗教団体の融資により、ドオモやモスクなどの巨大な建築美術だけでなく、寺院を飾る芸術品の分野でも著しい発展が見られた。 |
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キリスト教の場合、教会に像や宗教画を置くことが許され、賛美歌が斉唱されたため、彫刻や絵画、音楽が発達したが、イスラム教では、偶像崇拝や音楽が禁止されたため、イスラム書道やステンドグラス、タイルなどの分野が発達した。また、地にひれ伏すようにして祈りを捧げるイスラム世界では、各自が愛用する絨毯が必要不可欠で、繊維産業が発達したが、着席するキリスト教世界では、絨毯を製造する必要はなかった。 |
ブルーモスクの中央ドームや半円ドーム、円柱の周囲や壁には、古い時代の書が掲げられているが、コーランの中の一節や預言者モハメッド(ムハンマド)の言葉などが美しいアラビヤ文字で力強く表現されている。 |
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▼▲ 高さ43m、直径23.5mの巨大な中央ドームは、直径5mの「象の足」と呼ばれる4本の巨大な円柱で支えられている。子供が一人、「象の足」に腰掛けて休んでいたが、巨大なモスクを見て感慨深げだった。 |
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▼ ミナレットはモスクに付随し、1日5回の礼拝時刻の告知(アザーン)を行うのに使われる塔で、トルコ語のミナレMinare に由来する。現在は、塔に設置されたスピーカーからアザーンが流される。本来、ミナレットは4本以下と決められているが、6本もあるのはブルーモスクだけである。そのうちの4本は3つづつ、残りの2本は2つづつ合計16のバルコニーが設置されている。 |
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ブルーモスクを建設した第14代スルタン・アフメット I 世(在位 1603-1617)は、ミナレットを全て「黄金 アルトゥン」で造るように命じたところ、それでは非常に高額になることから「6本 アルトゥ」と聞き間違えたことにして、6本のミナレットが建てられたというエピソードが残されている。 |
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