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■ 4日目:チャナッカレ 〜 トロイ観光 〜 ペルガモン観光 〜 イズミール(泊) ■ |
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▼ 4日目4月14日(水)は、午前8時頃専用バスでチャナッカレを出発し、約30分、30km南のトロイで観光。続いてペルガマまで約1時間半、100kmほど南下し、ペルガモン王国の遺跡を見学。その後、更に1時間半、100km南下してトルコ第3の都市イズミールに入り、一泊した。 |
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トルコ・ツアーのコース
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資料:クラブツーリズム |
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トロイの古代遺跡 Truva Arkeolojik Kenti
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▼ トロイの古代遺跡の入口に9層にわたる都市建設の解説図があり、それをもとに現地ガイドのオカンさんから説明を聞いた。トロイ(英語 Troy )は、古代ギリシャ語ではイリオス Īlios と呼ばれ、ギリシャ神話に登場する都市である。トロヤ Troja、トロイア Troia など様々な呼び方があるが、この解説図ではトロイア Troia と表記されており、トルコ語ではトゥルワ Truva という。 |
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資料 |
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▲▼ この地に集落ができたのは紀元前3000年頃といわれ、紀元前2500〜2000年頃には、エーゲ海沿岸の交易の中心地として栄えた。その後、栄枯盛衰を繰り返し、トロイは全部で9層にわたる都市遺跡を形成している。 |
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「イーリアス」(希: Iλιάς、イリアス、羅: Ilias)は、紀元前800年頃、ギリシャ神話を題材にホメーロス Hómêros が創ったといわれる全24巻からなるギリシャ最古最大の英雄叙事詩であるが、この中に記されているトロイ戦争は、解説図が拡大表示している第VI市(紀元前1800〜1250年)の時代のもので
"Homeric Troia"(ホメーロスのトロイ)と表示されている。 |
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トロイ遺跡入口付近の東壁/第VI市 2010.4.14 08:50
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▲▼ トロイの遺跡には見栄えのする建造物は見当たらない。公開されている遺跡は、紀元前3000年頃から紀元前350年頃までの古代遺跡で、幾重にも積み重なった礎石や石壁などが無秩序に広がっている。遺跡を囲む壁は第VI市の城壁で、その中に様々な時代の城門や通路、部屋や井戸などの痕跡が横たわっている。見学者にとっては、瓦礫の山に過ぎず、正直なところ、何がなんだか良く分からない状態にある。 |
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トロイ遺跡・日干し煉瓦で築かれた東壁の狭い通路/第VI市
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▼ トロイの遺跡に限らず、トルコの遺跡には、野良犬や野良猫が住みついている。観光客から餌をもらって生きているようだが、増えすぎると餌が足らずに淘汰されるので、数は増えもせず、減りもしないという。動物に危害を与える観光客がいないためか、警戒心を持つものはおらず、泰然自若としていて近づいても逃げる様子はない。この猫は、まるで遺跡の守護神であるかのような風格があった。 |
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▲▼ イーリアスに描かれたトロイ戦争は、スパルタ王メネラウスの王妃ヘレネをトロイから取り返すために、兄アガメムノンの助けを受けてギリシャ軍がトロイに攻め込み、トロイ軍と10年にわたる戦争の末、「トロイの木馬」作戦によりトロイが陥落するまでの物語である。アキレウスが弱点だった踵(かかと)に矢を受けて倒れるエピソードは、アキレス腱の語源ともなった。 |
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トロイ遺跡・シュリーマンのトレンチ(発掘跡)/第 I 市
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▲ 1822年ドイツの牧師の子として生まれたシュリーマンは、商人として成功を収めた後、子供の頃に聞いたホメーロスの叙事詩「イーリアス」が忘れられず、伝説といわれていたトロイ戦争が史実であると信じ、41歳で実業界を引退後、私財を投入し、嘲笑に晒されながらトロイの遺跡の発掘を続け、1871〜1873年に ヒサルルク Hisarlıktepe の丘を発見し、トロイ最後の王プリアモスの財宝を発見すると共に、第 II 市をトロイと断定した。これを嚆矢(こうし)として発掘調査が進み、トロイの9層にわたる古代遺跡の全貌が明らかとなった。現在もドイツのチュービンゲン大学による発掘調査が続けられているという。 |
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▲ シュリーマンの情熱は高く評価したいが、反面、発掘したプリアモスの財宝を身につけて私(わたくし)したり、しっかりした技術を持つ考古学者ではないために発掘が乱暴で、取り返しのつかない破壊もあり、功罪半ばしている。 |
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▲▼ これまでの研究成果によると、紀元前1200年頃10年に及ぶトロイ戦争が第VI市で行われ、トロイは滅亡したが、その原因は、地震などに起因する火災によるものということが判明し、トロイの木馬は、ホメーロスの創作だったことが分かっている。その後、トロイにはイオニア人が入植し、マケドニア時代にはアレキサンダー大王が、ローマ時代にはコンスタンティヌス帝がこの地を支配した。 |
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イーリアスに描かれたトロイ戦争では、ギリシャ軍は、10年間戦っても陥落できないトロイ軍を破るため、戦争を諦めたようにみせかけ、一人の生贄と木馬を残して船で撤退する。トロイ軍は勝ったと喜び、木馬を場内に引き入れて祝宴を始めたところ、木馬に潜んでいたギリシャ兵が深夜城に火を放ち、難攻不落の城門を開き、タイミングを見計らって引き返してきたギリシャ軍が城内に攻め込んでトロイを滅ぼし、ヘレネは再びメネラオスのもとに戻った。 |
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▼ トロイの木馬のエピソードは、シュリーマンが財宝を手にしたことで、真実味を増して、世界中で語り継がれた。様々な人々が様々な空想をかき立てたが、下の木馬の絵には、長期化したトロイ戦争の兵士の姿はなく、トロイに暮らす住民たちが木馬を引き入れている様子が描かれている。これくらいの大きさであれば、兵士が中に隠れたまま城門を通過することができるだろう。 |
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トロイアの木馬の行進 / ジョヴァンニ・ドメニコ・ティエポロ画
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写真:フリー百科事典Wikipedia |
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▼ 2004年に封切られたハリウッド映画の「トロイ」では、神話の部分を人間世界の話にして、ブラッド・ピットがアキレスを、「アラビアのローレンス」のピーター・オトゥールがプリアモスを演じるなど、豪華キャストでトロイ戦争を描いている。この映画に使用された巨大な木馬は、現在、チャナッカレに展示されているが、映画では、この中から大勢の兵士が現れる。しかし、どのようにしてこの巨大な木馬が城門を通過し得たのか、疑問が残る。トロイの木馬のイメージは、画家の方に軍配を上げたい。 |
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チャナッカレに展示されている映画「トロイ」に登場した木馬
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写真:フリー百科事典Wikipedia |
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▲▼ トロイの木馬は、史実ではなかったことが判明しているが、遺跡の入口には、近年、観光用に建てられた巨大な木馬が置かれている。階段をのぼると中に入ることが出来、記念写真を撮るには格好のモニュメントとなっており、観光客に喜ばれている。しかし、この木馬も城門を通過するには大きすぎるのだが・・・。 |
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ちなみに、インターネットの世界では「トロイの木馬 Trojan horse 」が実在する。知らないうちに外部から他人のパソコンに潜り込んで内部の設定を変更し、パソコンを乗っ取って悪事を働くソフトで、「トロイの木馬」によく似ていることからそう呼ばれており、これを考えた人は、ウィルス・ソフト同様、世界中の顰蹙を買っている。 |
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まぼろしの とろいのもくば このめどき |
Early spring, the Trojan Horse in a vision. |
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