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トルコ第3の都市イズミール北方のエーゲ海から東方に25kmほど入ったペルガモンは、アナトリア(小アジア)のミュシア地方にある古代都市で、カイコス川畔の6万人ほどが暮らすベルガマ Bergama にある。 |
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トルコ・ツアーのコース
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資料:クラブツーリズム |
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▲▼ ペルガモンの歴史は、アレキサンダー大王(BC356-323)の死後から始まる。大王亡き後、広大なマケドニアの領地は分割され、リシマコスによって新王朝が開かれたが、彼はシリアとの戦いで戦死したため、部下のフィレタイロスがその財宝を得てペルガモン王国を築いた。 |
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町中から見上げるペルガモン王国のアクロポリス遺跡(世界遺産)/ベルガマ 15:05
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マウスカーソルで画面のどこかをポイントすると説明が現れます。
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▲▼ 甥のエウメネス I 世のアッタロス朝(BC282-133)に入ると、ペルガモン王国は、ローマ帝国と共にシリアと戦い、小アジアの交易権を得て繁栄の絶頂期を迎えた。豊かな富をバックにギリシャ文化を取り入れたアクロポリスの建設が次々に行われ、アッタロスIII世(BC170-133)の時代にローマ帝国の属州となった後も典型的なヘレニズム都市として栄華が続いた。トラヤヌス神殿はこの頃に建てられたものである。 |
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▲▼ しかし、紀元前133年、アッタロスIII世が、領内のギリシャの独立ポリスを除き、ペルガモンの領土をローマ帝国に遺贈したことによって、この王国は消滅した。後にこの地はアラブの攻撃を受け、19世紀には神殿をドイツに持ち去られるなど、古代ヘレニズム都市の面影は、消滅していった。 |
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ヘレニズム Hellenism は、ギリシァ人(ヘレネス)に由来する語で、東方文化と融合し、普遍的性格を持つようになったギリシャ文明をいう。歴史的にはアレクサンダー大王の東征(BC334)又は没年(BC323)からローマのエジプト併合(BC30)まで、地理的にはギリシャ・マケドニアのほか、アレクサンダー大王の東征区域を含むとされる。 |
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石畳の上でガイドのオカンさんからペルガモン遺跡の説明を受けるツアー一行 15:15
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▲▼ ペルガモンのアクロポリス遺跡は、標高335mの丘の上にあり、一群の建造物で構成されており、上市と呼ばれている。その下方には、中市と下市が広がっていた。上市には、宮殿、トラヤヌス神殿、アテネ神殿、劇場、ゼウスの大祭壇、アゴラ、図書館、武器庫の遺跡があり、ヘレニズム文化が花開いた往時のペルガモンを偲ばせるものがあり、世界文化遺産にふさわしい大規模な遺跡である。 |
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▲▼ アクロポリスとは、古代ギリシャのポリス呼ばれる都市国家のシンボルとなった小高い丘のこと。アクロポリスは「高いところ、城市」を意味し、防壁で固められた自然の丘に神殿や砦が築かれているところである。ペルガモンのアクロポリスも小高い丘に築かれた城市という普通名詞で使われている。 |
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▼▲ ペルガモン王国がローマ帝国の属州となった時代に王宮跡に建てられたトラヤヌス神殿は、ローマ皇帝ハドリアヌスが先帝トラヤヌスに捧げたもので、正面6柱、側面9柱のコリント様式である。神殿と並んで建つ大きな無花果(イチジク)の木が印象的だった。 |
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しゅんこうや ぺるがもんに のこるおか |
Spring sunlight, the hill remained at Pergamon. |
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▼ トラヤヌス神殿の奥に巨大な円形の井戸があった。日本では山城での飲料水の確保が大きな課題だが、ペルガモンでも同じことであろう。観光客がコインを中央の柱の上に載せるべくコイン投げに興じていた。ローマのトレビの泉のように、水のあるところにコイン投げがある。 |
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▼ トルコでは白大理石が豊富に産出する。バスツアー中も数ヵ所で大理石の切出し場を目撃した。大理石は石灰岩がマグマの熱を受けて変成し、再結晶したもので、古代より、特に白大理石が建築や彫刻に使われてきた。 |
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ヘレニズム文化の栄華を残すペルガモン王国のアクロポリス遺跡
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▼ 写真下は、ペルガモン遺跡に唯一残された白大理石の彫像で、ヘレニズム文化の片鱗が残されているのみで、栄華の跡は寂しくも悲しい。 |
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▼ アクロポリスの一角のベルガマの街が足下に見える場所には、かつてはペルガモン王国のゼウスの大祭壇があった。残念ながら、現在は大木5本が生えているだけである。 |
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← ゼウスの大祭壇のあった場所 → |
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▼▲ ペルガモン遺跡は、1860年代にドイツの建築家カール・フーマンにより発見され、ドイツに持ち去られたため現在、出土品はベルリンのペルガモン博物館に収められている。中でもゼウスの大祭壇は素晴らしい美術品で、巨大な博物館の最大の展示物となっている。ヘレニズム美術の神髄を味わうことができるため、世界中の観光客が訪れ、地元ベルリンでは、授業の一環なのか、グループで行動する子供たちの姿が目につく。 |
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アクロポリス遺跡からドイツに持ち去られたゼウスの大祭壇/ペルガモン博物館(ドイツ・ベルリン) 2008.5.29 |
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撮影:小池淳二 |
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▼▲ これだけ大きな遺跡をドイツまで輸送するには、遺跡を小さく切り分け、多くのパーツを梱包して運んだことだろうか、その手間や費用は莫大だと思われる。他国の貴重な文化財を持ち去ることは、イギリスやフランス初め、ヨーロッパの先進国が領土的野心に燃えた帝国主義の時代に行った蛮行であるのが悲しい。写真上の石段中央に腰掛けている子供たちの中に、先祖が他国から奪ってきたこの世界遺産を見て、ドイツの誇りだと喜ぶ中に悲しむ子が一人でもいてくれれば救われるのだが・・・。 |
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見事なヘレニズム彫刻の残るゼウスの大神殿 |
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撮影:小池淳二 |
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▼ アクロポリス遺跡を歩き回って喉が渇き、オカンさんに薦められて真っ先に絞りたてのザクロ・ジュース(ナルスユ Nar Suyu )を飲んだ。ここでも2個絞って1杯5リラだったが、ザクロがジュースになるとは思ってもいなかったし、これほど美味いとは思わなかった。 |
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看板娘が愛嬌を振りまいていたので、みるみるうちにお客が集まったのは何処の国でも同じである。イスタンブールと違って客が少ないのか、準備していたザクロの数が少なく、あっという間に売り切れ、飲めなかった旅友がいたのは気の毒だった。 |
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遺跡の売店でフレッシュ・ザクロ・ジュースを売る看板娘 |
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▼ この日の宿はイズミール・ヒルトン。エーゲ海が見える部屋に一泊した。古くはスミルナ(Smyrna, ギリシア語でΣμυρνη)と呼ばれたイズミールは、エーゲ海に面し、イスタンブールに次いでトルコ第2の港湾施設を持ち、人口240万を擁するトルコ第3の都市である。イズミール県の県都でもあり、NATOの司令部が置かれている。その美しさは「エーゲ海の真珠」と称えられる。付近にはペルガモンやエフェソスなどの古代遺跡があり、世界中から多くの観光客が訪れる。 |
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トルコ感動の旅・上 ... 続く to be continued |
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撮 影
2010年4月12-14日
OLYMPUS
E-30 E-510
9-18mm
12-60mm 70-300mm
1230万画素 1900枚 4.68GB
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トルコから帰国してはや25日経つが、その間、速報版を2本アップしただけで終わった。ある愛読者が私が病気で倒れているのではないかと心配して、お見舞いのメールを送ってこられたのには驚いた。それほど音沙汰なしだったのだが、本日、やっと本年第13作をアップでき、一息つくことができた。 |
8日間、我々と共にツアーバスに乗り込み、付きっきりでガイドしてくれた日本語ペラペラのトルコ人オカンさんのお陰で、トルコの歴史文化を心ゆくまで堪能することが出来、満足度100%の素晴らしい旅だった。 |
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トルコ旅行は世界遺産のオンパレードで、どこに行ってもロマンと感動に満ちあふれた旅だったため、画像の選択や編集だけでなく、解説にも時間をかけた。また、BGMもトルコで調達したCD4枚から選曲するのに手間取っただけでなく、音楽の解説まで挿入するという熱の入れようだった。そのお陰で、3日間の観光で7頁145枚もの分量になってしまい、ペルガモン遺跡で上巻を終えることにした。大変お待たせしたが、現時点での私の力の限りを作品に込めたので、皆様の期待に十分応え得る長編大作になったものと自負している。後半も更に素晴らしい旅が続くので、どうかご期待頂きたい。 |
魅惑のイスタンブール |
トルコをテーマにした作品は、平成18年(2006)4月に感動写真集同人の武居裕史さんが東京からイスタンブールに出張するたびに精力的に歩き回って撮影した力作
魅惑のイスタンブール がある。 |
長期取材のため、観光旅行で数日滞在した程度ではとても廻りきれない広さと深さを持つ画像は、どれも捨てがたい魅力があり、7頁にわたり大小あわせて100枚を超える画像が並ぶ超大作となっている。まだご覧になっておられない読者は、是非、一読されるようお勧めする。 |
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特集!旅紀行第85集 「トルコ感動の旅・上」 |
撮影・制作 : 和田義男 |
平成22年(2010)5月15日 作品:第13作 画像:(大128+小17) 頁数:7 ファイル数:332 ファイル容量:107MB
平成12年(2000)〜平成22年(2010) 作品数:361 頁数:1,372 ファイル数:56,812 ファイル容量:8,153MB |
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しゅんこうや ぶるーもすくの みなれっと |
The spring sunlight, the minalets of Blue Mosque. |
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編集子の選ぶ傑作 |
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アイスランドの火山噴火の影響 |
我々がトロイとペルガモンの遺跡の観光を終え、イズミールに一泊した4月14日(水)の午後10時頃、アイスランドの「エイヤフィヤトラヨークトル Eyjafjallajökull 火山が噴火し、その噴煙が欧州全域の航空輸送に大きな打撃を与えた。アイスランドは多くの火山を擁する世界でも有数の火山島で、しばしば大噴火を起こすが、この活火山は、1821年以来の噴火で、約190年ぶりだという。 |
吹き上げられた火山灰は、上空10,000mまで達し、欧州の広範囲に拡散した。旅客機のジェットエンジンが火山灰を吸い込むと停止する危険があるため、欧州に離着陸する航空機が軒並み運行停止に追い込まれ、空港の閉鎖が続いた。 |
2010年4月17日にみられた噴煙柱/アイスランド
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写真:フリー百科事典Wikipedia |
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トルコの空港が閉鎖される事態になれば帰国できなくなるので、旅の後半は、噴煙の動向を気にかけていたが、幸い火山灰がトルコまで流れてくることはなかったため、イスタンブール発の成田直行便は予定通り運行された。 |
もし、このツアーがパリやアムステルダムなどのハブ空港の乗り継ぎ便を利用していたなら中継地で足止めを食っていただけに、素晴らしい旅行日和だけでなく、天変地異の被害からも免れた今回のトルコ旅行は、まさにアッラーの神のご加護によるものと思われ、感謝感激雨霰だった。(^^ 〈 続 〉 2010.5.15 和田義男 |
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はるのよる べりーだんすに へそのみゆ |
The spring night, Belly dance exposing the bellybutton. |
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編集子の選ぶ傑作 |
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