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はじめに |
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平成19年(2007)2月3日(土)節分の日、東京都中央区湊一丁目に鎮座する鐵砲洲稲荷神社で恒例の節分祭(せつぶんさい)が開かれたので激写してきた。東京メトロ八丁堀駅から歩いて7分。午後3時半頃神社に到着した。 |
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鐵砲洲稲荷神社は、江戸湊(えど・みなと)における土地生成の産土神(うぶすなのかみ)である生成太神(いなりのおおかみ)を祀る神社で、平安初期の承和(じょうわ)8年(841)以来1166年の歴史がある。 鐵砲洲稲荷神社公式サイト |
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参拝客 |
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既に神楽殿では、いつもの東囃子(あずまばやし)の皆さんによる江戸囃子の奉納演奏が始まっていた。 |
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神楽殿と拝殿の間に摂末社があり、向かって左から「天満(てんま)社」・「三輪(みわ)社」・「浅間(せんげん)社」・「八幡(はちまん)神社」・「琴平(こんぴら)社」・「住吉(すみよし)社」が祀られている。摂社*(せっしゃ)である「八幡神社」は生成太神(いなりのおおかみ)に次いで重要視される八幡神を祀る社で、中央に祀られている。その他は末社である。 |
*摂社(せっしゃ):本社に付属し本社に縁故の深い神を祀った神社の称。 |
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これらの神々を護るために左右一対の随身(ずいしん)像が置かれている。平安時代、貴人の外出の時の護衛として、勅宣(ちょくせん)(天皇の命令)によりつき従った近衛府(このえふ)の舎人(とねり)で、弓箭(きゅうせん)(弓矢)・胡籙(やなぐい)(矢を入れて携帯する容器)を負い、剣を帯びる。 |
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午後4時前に社務所二階に上がると、奥の間では、敬神婦人会(けいしん・ふじんかい)の奉仕による裃(かみしも)の着付けが始まっていた。早い時期に来られた矢田美英(やだ・よしひで)中央区長は、鐵砲洲のほか、中央区の神社を廻るのに忙しそうだった。 |
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敬神婦人会 |
の奉仕で裃を着付ける |
矢田美英 |
中央区長 |
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氏子17ヵ町から豆撒き(まめまき)に参加する人は、亥年(いどし)生まれの年男と年女たち約200人。町内会単位で行われるので、控えの間では、番号札で決められた順番に従って裃姿(かみしも・すがた)になった人たちがお神酒で乾杯し、和やかに歓談しながら出番を待っていた。 |
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社務所二階で出番を待つ人たち |
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若宮英俊(わかみや・ひでとし)宮頭(みやがしら)は、お孫さんといっしょで好々爺の境地。鐵砲洲の氏子ではないが、「年男 山田直稔」と墨書した江戸張提灯を持つオリンピックおじさんは、盛んに愛嬌を振りまいていた。 |
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オリンピックおじさんと記念撮影 |
宮頭の |
若宮英俊 |
さんとお孫さんの |
愛薫梨 |
ちゃん(5歳) |
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力士やタレントなどを集めて派手なセレモニーを行う神社があるが、鐵砲洲稲荷神社のように地元民の手で節分を祝う素朴なお祭りが本来の姿である。有名人を目にしたのは矢田中央区長とオリンピックおじさんくらいだった。 |
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