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日がとっぷりと暮れて、鐵砲洲稲荷の境内は闇に包まれたが、豆撒きはいよいよ佳境に入り、福袋を目当てに集まった人たちの数は一向に減らず、益々加熱するばかりだった。 |
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パノラマ写真(1650x800)266KB |
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人垣の後方で脚立の上で撮影していたら、押されて倒れそうになる一幕があった。それでも良い写真を撮るには脚立が必至で、それがないと人の頭しか写らない。暗くなって気が付くと、誰か背中を支えてくれる人がいた。弥生会広報部の星宏幸(ほし・ひろゆき)さんだった。見かねてサポートしてくれたらしい。優しい御仁である。 |
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佳境に入った豆撒き |
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中川宮司もときおり氏子たちに混じって豆を撒いた。この日撒かれた福袋は、全部で1万個という膨大な数。敬神婦人会が一週間かけて準備したもので、大豆と当り籤(くじ)が入っている。 |
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町内会の豆撒きが終わったと、消防団が制服姿のままで豆撒きを行った。弥生会の青柳晴男(あおやぎ・はるお)会長と共に石川辰夫(いしかわ・たつお)幹事長も裃袴姿の正装で豪快に豆を撒いた。 |
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弥生会・石川幹事長↓ |
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↓弥生会・青柳会長 |
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最後に、節分祭を支えた敬神婦人会の女性陣がエプロン姿のユニフォームで参拝し、中川宮司と記念撮影をとったあと、神楽殿に昇ってフィナーレの豆撒きを行った。 |
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フィナーレの豆撒きには、敬神婦人会と共に中川宮司も参加した。宮司の撒く福袋の中に大当りが入っているという噂も・・・。このあと、中川宮司の〆の挨拶があり、午後7時40分頃、節分祭の全ての行事が終わった。 |
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最後まで福豆の争奪戦に参加した人たちは、福袋を開けて福豆や当り籤を取り出し、戦果を確かめ合っていた。 |
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大当りのパソコン、テレビ、DVDレコーダーなどは、その旨書かれているが、その他は全て「当り」とだけ書かれている。当日神輿庫の前に行けば、景品と交換してもらえる。大当り以外、何がもらえるかは役員のおばさんたちの気分次第。景品は、全て氏子・会社の寄付だという。 |
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撮影 2007年2月3日(土)
★★★
OLYMPUS
E-330 E-500
11-22mm 14-54mm
800万画素 1190枚 1.8GB
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節分の豆撒きは特別珍しい行事ではないので、今まで取材したことが無く、今回弥生会の石川幹事長のお誘いを受けて密着取材した。 |
玉串奉奠を参拝者の後ろから撮影していたところ、中川宮司から「前から写さないと顔が見えないでしょう」と声をかけられた。参拝者の正面に立たなければ前から撮影して良いと云って頂き、素晴らしい写真を切り取ることができた。 |
素朴ながら地元氏子たちによる手作りの節分祭は、日本各地で行われる伝統行事で、豆撒きが終わると春が訪れる。江戸時代を彷彿とさせる身近な伝統行事は、季節感溢れる素敵な祭礼だった。 2007.3.28 〈 完 〉 |
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日本の祭り第19集(実質第29集)「鐵砲洲節分祭」・・・裸祭りを加えると第54集(実質第87集) |
平成19年(2007) 作品:第12作 画像:(大29+小17) 頁数:4 ファイル数:68 ファイル容量:11.4MB |
平成12年(2000)〜平成19年(2007) 作品数:303 頁数:1,053 ファイル数:26,721 ファイル容量:3,579MB |
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