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鐵砲洲祭は、5月1日・宵宮祭、2日・前日祭、3日・神幸祭と進み、4日・例祭奉幣の日を迎えた。この日は、町神輿による歌舞伎座への渡御が行われるというので、撮影に出掛けた。 |
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鐵砲洲稲荷神社拝殿 |
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隅田川(すみだがわ)の河口に開けた湊地区は、江戸の海の玄関・江戸湊(えどみなと)として栄えた町である。諸藩の産物を陸揚げする船着場を中心に、廻船問屋など物流に携わる人々が大勢集まった。 |
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大阪や灘地方から樽廻船で運ばれる下り酒(くだりざけ)は杉樽の薫りが溶け込んだ銘酒として人気を集めた。河岸には今も倉庫が点在し、在りし日を偲ばせてくれる。 |
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宮元は大中小三台の神輿を持つ。神社南隣の鐵砲洲公園に建てられた御仮屋には大神輿が飾られる。 |
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湊のある鐵砲洲は、南北八丁(約800m)に及ぶ細長い中洲で、寛永の頃、ここで大砲の演習が行われていたことからこの名が付いたといわれる。 |
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宮元の大神輿を担ぐ氏子たち |
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佃煮(つくだに)で知られる佃島(つくだじま)と江戸・鐵砲洲を結ぶ渡しは、正和2年(1645)から始まったようで、昭和2年(1927)には手漕ぎ舟から引き舟渡船に変わり、昭和39年(1964)佃大橋の完成により、300年余の歴史を閉じた。佃島渡船場跡には、石碑が建てられている。 |
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セイヤ、セイヤの掛け声の六本木睦 |
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中央区湊一丁目に鎮座する鐵砲洲稲荷神社は、平安時代の承和8年(841)に凶作に苦しむ海辺の人々が国魂神(みたまのかみ)*を祀ったのが始まりで、江戸時代には稲荷橋の南詰東にあり、江戸湊の守護神であった。 |
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*国魂神(みたまのかみ):大国主神(おおくにぬしのかみ)の分魂(わけみたま)のこと。 |
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歌舞伎座を目指す宮元の大神輿 |
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当時、江戸湊に乗り入れた船乗りたちの信仰を集め、湊稲荷(みなといなり)と呼ばれた。現在地に移転したのは明治元年(1868)。その後、関東大震災で大きな被害を受けたが、昭和10年(1935)頃から復興がはじまり、現在の社殿や神楽殿などはこのときに造営された。 |
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宮元のお囃子車 |
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縦4列の担ぎ棒 |
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江戸幕府は、慶長8年(1603)頃から銀座付近を埋め立て、慶長17年(1612)銀座役所を置き、京橋の南側(現銀座二丁目7)に堺の職人・大黒常是(だいこく・じょうぜ)に銀貨を鋳造させたことから銀座と呼ばれるようになった。 |
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銀座三丁目東の神輿 |
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銀座一丁目東の神輿 |
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当初は、新両替町だったが、銀座という俗称が使われて定着したため、銀座に改名されたという。以後、銀座では2世紀にわたって銀貨の鋳造・取引・両替が行われた。 |
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銀座二丁目の神田囃子 |
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銀座二丁目の神輿で遊ぶ子供たち |
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慶長17年(1612)三十間堀(さんじっけんぼり)が開削され、その東側に木挽(こびき)職人が住む木挽町(こびきちょう)が生まれた。 |
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明治に入ると、銀座一丁目から東の八丁目までの地域は京橋四之部と呼ばれるようになったが、その後以前の木挽町となり、昭和25年(1950)頃から東銀座と呼ばれるようになった。 |
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銀座三丁目の神酒所 |
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木三の桃太郎太鼓 |
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銀座三丁目の神酒所のそばに桃太郎人形が飾られた太鼓があった。鯉口(こいぐち)・股引姿の幼児が背伸びしながら太鼓を鳴らそうとしていた。何とも微笑ましい光景だが、太鼓の胴には「木三」の彫り込みがある。木挽町三丁目時代の太鼓である。 |
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桃太郎太鼓の幼児 |
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宮元と書かれた駒札(こまふだ)を誇らしげに掲げる湊一丁目と湊二丁目の連合神輿は、白木で造られた都内最大級の町神輿で、大神輿と呼ばれ、これを見たさに大勢の神輿ファンが方々から押しかけて来るという。 |
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次々と担ぎ手が交代する大神輿 |
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頑張るお父さんたち |
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宮元の大神輿は、台輪*(だいわ)寸法が三尺三寸(1m)もある鐵砲洲祭最大の町神輿で、昭和11年(1936)に行徳(ぎょうとく)の十五代浅子周慶(あさこ・しゅうけい)が造った。屋根の前後に稲丸紋、左右に左三つ巴紋がある。 |
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*台輪(だいわ):屋根紋と同じ紋が入った神輿の台座の部分。 |
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汗だくの担ぎ手たち |
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随所で神輿を差す宮元の氏子たち |
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