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歌舞伎座渡御が終わったので、歌舞伎座の東側の脇道に入って神社に向かった。途中で意気揚々と引き揚げる新富睦の神輿に追いついた。赤い襷に尻はしょりの若衆が棒端で神輿をリードしていた。 |
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町内に向かう新富睦 |
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歌舞伎座と神社の間に新富町がある。「志ん富」の提灯が架かる御神酒所と御仮屋は、新富祭典委員会が管理する。葦簀張り(よしずばり)の小屋がけは、どの町も共通で、祭りが終わると全て取り壊してしまうのも江戸っ子らしいところだ。 |
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葦簀張りの御神酒所 |
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神輿が渡御中の御仮屋は空っぽである。参拝のために賽銭箱がある。賽銭は後日神社に納められるのだろう。御神酒所では一升瓶の並ぶ奥に祭壇が設けられ、鐵砲洲稲荷神社の大きな御札が置かれていた。 |
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御仮屋 |
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御神酒所 |
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神社に戻ると、日は西に傾き、本殿の南に隣接する鳳輦御神輿奉安舎(ほうれん・おみこし・ほうあんしゃ)の提灯にほんのりと明かりが灯っていた。その奥に、向かって右に鳳輦、左に御本社神輿が展示されていた。 |
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広辞苑には、鳳輦は天皇の乗り物の美称とある。神社では最上位の神が乗る最上格の乗り物である。神輿との差異は明確でなく、どう呼ぶかは命名者の気分次第なのかもしれない。鳳輦は、本体に車が付いたものが多いが、付いていないものもある。人が担ぐことが前提の神輿は、台車はあっても神輿本体には車は付かない。 |
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左の御本社神輿は、5月1日に歌舞伎座渡御で勘三郎さんが担いだ神輿である。 鳳輦と神輿の違い |
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御本社神輿 |
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鳳輦 |
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拝殿の南側に二宮尊徳(二宮金次郎)像があった。昔の小学校には必ずあった銅像だが、今は見ることがなく、懐かしい思いがした。この像は平成14年(2002)正月に寄贈されたものという。 二宮尊徳 |
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二宮尊徳像 |
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5月4日午後4時から9時まで、神楽殿で広島県三次市(みよしし)からバスでやってきた横谷神楽団(よこたに・かぐらだん)による石見神楽の奉納が行われた。 横谷神楽団のサイト |
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横谷神楽団は、昭和58年(1983)、横谷神楽クラブとして組織的な活動を始め、昭和60年(1985)、横谷神楽団としてスタートしたそうで、20年ほどの歴史がある。現在団員27名で神楽の伝承に努め、各地の秋祭りやイベントなどで神楽を奉納しているほか、横谷小学校の神楽クラブを指導しているという。 |
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神楽の上演を待つ人たち |
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午後4時20分頃中川文隆宮司が大太鼓を打ち鳴らした。石見神楽(いわみ・かぐら)の開始の合図なのだろうか。 |
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大太鼓を鳴らす中川宮司 |
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最初の奉納は神迎え。東西南北と中央から八百万(やおよろず)の神々を神殿に迎える儀式舞で、色違いの衣装をまとった四人の舞子が神楽歌(かぐらうた)や奏楽(そうがく)に合わせて厳かに舞う。 |
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御神楽「神迎え」の奉納 |
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九州にあって大和朝廷に反逆する熊襲(くまそ)の頭(かしら)・川上帥(かわかみ・たける)の討伐を第十二代景行天皇から命じられた小碓尊(おうすのみこと)は、九州に下り、女装して巧みに川上帥に近づき酒宴の席を利用して討ち取るが、死に臨んだ川上帥は小碓尊の武勇を賞賛し、日本武尊と名のるよう言い残して息絶えるというもの。 |
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このあと中川文隆宮司が挨拶に立った。広島から遠路はるばる来て頂いたことであり、9時までの長丁場の途中で帰らないよう、最後まで見て欲しいと、ユーモアたっぷりの挨拶だった。 |
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中川文隆(なかがわ・ふみたか)宮司は、平成16年(2004)4月1日付で中川正光(なかがわ・まさみつ)宮司の後任に付かれた宮司で、今年正月9日の寒中水浴大会で率先垂範されたことは、記憶に新しい。 |
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ユーモア溢れる挨拶をする中川宮司 |
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続いての出し物は悪狐伝。中国で金色の毛に九つの尾をもった狐が悪行の限りを尽くしていたが、周の武将に追い払われ、日本に渡った狐は美女に化けて玉藻前と名のり、鳥羽の院に仕えていたが、ついに正体を見破られて下野(しもつけ)の国、那須野ヶ原に逃れる。 |
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ここでも十念寺の和尚を取り喰らうなど悪業を働いていたが、朝廷の命を受けた三浦介(みうらのすけ)、上総介(かずさのすけ)という弓引きの名人によって遂に打ち取られる。この舞は、狐と十念寺の珍斉和尚(ちんさい・おしょう)とのやり取りや、狐の変化(へんげ)ぶりが見所となっている。 |
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向かって左が上総介の伊藤勇治さん、右が三浦介の石田斉さん |
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御神楽は、このあと佳境を迎え、「恵比寿」、「土蜘蛛」、トリの「八岐大蛇(やまたのおろち)」まで、鮮やかな衣装や目を見張る踊りが披露され、観客は夜が更けるのも忘れて観劇を楽しんでいた。 |
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「ほいじゃあけんのう」と広島弁丸出しで語る鍜治屋克光さん |
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 |
撮影 2005年5月4日
《 OLYMPUS E-300 》
11-22mm 14-54mm
55-200mm
800万画素
1,380枚 2,270MB
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江戸時代の伝統文化が今に伝わる歌舞伎座の前で、江戸っ子たちが3年に一度の神輿を練り上げる。鐵砲洲祭最大の見所は、この歌舞伎座渡御であり、とても感動的なイベントだった。 |
初日の襲名祝賀行事を取材できず、残念に思っていたところ、今年正月9日の寒中水浴大会が縁で知り合った弥生会の星宏幸さんのご尽力により、弥生会から貴重な写真をご提供いただき、ここに紹介できたことは、とても嬉しい。 |
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5月4日の歌舞伎座渡御では、昼頃神社で落ち合った星宏幸さんの案内で宮元の大神輿と共に歌舞伎座に向かい、町神輿5台の晴れ姿を存分に撮影することができた。特に、ビルの上からの撮影は初めての試みだったが、鐵砲洲祭ならではの良い写真が撮れた。
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かつては鎮守の森を中心に村があり、収穫を終えた村人が村祭りの中で御神楽を楽しんだものだが、現代は居間のテレビや近くの映画館で何時でも観劇を楽しむことができる。しかし、ナマ(ライブ)の観劇は機会が少なく、今でも貴重なものである。鐵砲洲稲荷神社では15年ほど前から恒例の行事として石見神楽を奉納しているという。これからも祭りに併せて、このような素晴らしい伝統芸能が存続してゆくことを願って止まない。 |
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謝 辞 |
この作品は、星宏幸さんはじめ弥生会の全面的なご支援のもとに生まれたもので、心から御礼申し上げます。鐵砲洲稲荷神社と弥生会の皆様方の今後益々のご発展とご健勝を祈念しております。〈 完 〉 |
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