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人口6万3千余りの天童市は、山形県東部にある将棋の町である。全国の将棋の駒の9割以上がここで生産される。市全体が山形盆地の中央付近に位置するため、全般的に平坦で、市のほぼ中心部を南北にJRと国道13号が走る。市街地はそれらの交通の動脈の間にあり、近くに舞鶴山がある。舞鶴山には天童城の城址があり、山頂では毎年4月下旬にプロ棋士が人間が扮する駒で将棋を指す人間将棋が行われる。 |
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将棋の駒
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将棋の駒は、天童市では「将棋駒」という。平安時代から五角形の板に墨で字を書くという形式を保ち、殆ど変化していない。現在発掘されている駒で年代が特定されているもののうち、最古のものは奈良県の興福寺旧境内跡から発掘されたもので、駒の製作時期が11世紀頃であることがほぼ断定されている。 |
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出土した駒は木簡を切ったものに墨で文字を書いて作られたと見られ、長方形の板の先頭部を尖らせており、すでに現在と同じ五角形をしていたという。 |
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天童市では、江戸時代末の元治2年(1865)に吉田家から伝わったとする資料が有力視されていたが、その後の研究では更に古く18世紀には将棋駒の製造方法が天童に伝わっていたと見られている。 |
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古い天童駒は付近の山から切り出した雑木を斧で割った木地に独自の草書体字が漆書きされたものであり、不揃いで庶民向けの低価格品が主であった。明治時代中期に東京から楷書体の駒が伝わり、大正時代には彫り駒の手法が取り入れられるようになり、木地は機械で揃ったものが作られるようになったという。 |
平成8年(1996)、天童の将棋駒は伝統工芸品に指定されたが、現在は木地にスタンプで印字する押し駒や、機械で字を彫る低価格の彫り駒が普及したため、伝統的な天童書体の書き駒の職人は少なくなっているという。 |
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ツアーバスは、昼頃仙台市に到着。昼食後、自由時間となり、七夕飾りで賑わう商店街を2時間余り散策した。 |
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仙台七夕まつりは、五節句の1つ「七夕」にちなみ、毎年8月6日から8日まで仙台市で行われる夏祭りで、地元では「たなばたさん」とも呼ばれる。大規模な飾り付けがなされるのは一番町や中央通りなどのアーケード街、仙台駅周辺などだが、商店街組織や単独の店舗に家庭などを加えると、大小あわせて3000本といわれる飾り付けがなされ、街中が七夕一色になる。東北三大祭りのひとつに数えられ、例年200万人以上の観客が訪れる。 |
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七夕まつり初日で賑わう一番町/仙台市 2008.8.6
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ごうかさを きそうたなばた かざりかな |
Decorations for the Tanabata star festival, competing luxury. |
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同時に仙台市周辺の商店街などでも大小さまざまな七夕飾りがなされるため、市境を越えた広がりを持っている。国内各地の七夕まつりに大きな影響を与えており、小規模ながら類似の飾り付けを行うケースが増えているという。首都圏などでは、企業や駅・空港の七夕飾りを制作する業者もあり、その豪華な飾り付けが各地に移出されている。 |
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江戸時代の初期、仙台藩祖・伊達政宗が婦女に対する文化向上の目的で七夕を奨励したため、年中行事のひとつになったともいわれるが、その起源は不明である。年中行事としての七夕は、江戸時代中期から全国各地で行われており、天明3年(1783)の大飢饉の際は、荒廃した世俗の世直しを目的に藩内で盛大に行われたという。 |
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戦後間もない昭和21年(1946)、仙台空襲で焼け野原となった街に52本の竹飾りで仙台七夕が復活し、昭和22年(1947)の昭和天皇巡幸の際、沿道に5000本の竹飾りを並べて大規模な飾りつけの「七夕祭り」が甦った。昭和24年(1949)には七夕協賛会が発足した。 |
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経済の高度成長期を迎え、「東北三大祭り」のひとつに数えられたことで日本各地から団体旅行客が集まる祭りへと発展。昭和45年(1970)から「動く七夕パレード」(現「星の宵まつり」)が始まり、夜のイベントが加わった。 |
昭和58年(1983)からは「夕涼みコンサート」(現「Starlight Explosion」)が始まり、無料の屋外音楽イベントの面も持ち合わせるようになり、仙台七夕まつりは、名実共に東北の夏祭りには欠かせないメジャーな祭りとなった。 |
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東北地方の夏祭りの2007年の入り込み数TOP5は、「仙台七夕まつり」68万人/日、「青森ねぶた祭」52万人/日、
「山形花笠まつり」 34万人/日、「盛岡さんさ踊り」 32万人/日、「秋田竿灯まつり」30万人/日の順で、観客の数で見る限りは「仙台七夕まつり」がトップで、必ずしも「三大祭り」や「四大祭り」と呼ばれる祭りとその実際の入り込み数とが比例しているわけではない。 |
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「仙台七夕」と「秋田竿灯」に、「青森ねぶた」・「弘前ねぷた」・「五所川原(ごしょがわら)立佞武多(たちねぶた)」など青森県の各地で行われているねぶた祭りをひとまとめにして「東北三大祭り」としたり、ねぶたを1つ1つ数えて「四大」「五大」などとしたりする場合もある。さらに、1泊2日や日帰りのような超短期のニーズに合わせて、地理的に近い仙台七夕と山形花笠で「東北二大(夏)祭り」とするツアー商品もある。 |
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午後4時前、JR仙台駅からMAXやまびこ120号に乗り込み、午後6時頃東京駅に到着し、解散。初日から三日間祭りが終わったあと1〜2時間バスで移動して宿入りするなど、夜中に及ぶハード・スケジュールではあったが、満足度の高い旅だった。 |
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撮 影
2008年8月3-6日
OLYMPUS
E-3
12-60mm
1000万画素 3,130枚 6.62GB
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今回、東北4大夏祭りを一気に見て回り、激写することができた。それぞれに創意工夫があり、お国柄があって、とても楽しかった。 |
一番良かったのはどこかと聞かれれば、躊躇無く「秋田竿燈まつり」と答えたい。中央分離帯にアルプス席を設け、歩道を含めて三箇所からゆったりと見物できるように工夫されている。 |
ワイヤーが張られて万全の安全対策の下で、観客は、二度の入れ替えで3団体の演技をタップリと楽しむことが出来るのが良い。 |
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目の前で繰り広げられる竿燈の妙技に、観客と差し手たちが一体となって一喜一憂しつつその成功を願い、うまくいったときには惜しみない歓声と拍手が湧き上がる。観客は退屈する間もなく、竿燈のおもしろさに引き込まれ、あっという間に時が過ぎて行く。歴史・伝統に加え、運営方法や技術力など、どれをとっても素晴らしく、完成度が高い夏祭りである。 〈 完 〉 2008.8.29 |
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日本の祭り第108集 「東北四大祭の旅」 |
撮影・制作 : 和田義男 |
平成20年(2008)8月29日 作品:第25作 画像:(大125+小5) 頁数:8 ファイル数:130 ファイル容量:34.0MB
平成12年(2000)〜平成20年(2008) 作品数:296 頁数:1,055 ファイル数:35,781 ファイル容量:5,556MB |
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ちょうかいの ねぶたにつどう ゆうまぐれ |
Gathering around a
Nebuta wagon of the town at dusk. |
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【編集子が選ぶ一枚】 |
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おおわかの いなほのごとき しなりかな |
A big Kantoh bamboo bending like a ear of rice. |
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【編集子が選ぶ一枚】 |
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