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 旅紀行日本の裸祭り

2010年9月30日改訂

今 日

昨 日

♪山伏/邦楽囃子

 

目隠のでんぐり返し宮相撲  北舟

 

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The ritual sumo match, turning a somersault with a blindfold.

2010年9月6日制作

同時に転んで引き分け
 

同時に転んで引き分け/目隠相撲(東京都 立川市)

鐵砲洲稲荷神社神紋   立川諏訪神社   鐵砲洲稲荷神社神紋
 

奉納相撲

目隠相撲

▼ 力士たちは、ビニールシートの四隅に蚊取り線香を置き、水を頻繁に補給しながら熱心に取り組んでいたが、観戦する人々はまばらだった。立川市錬成館にかよう者同士の対戦は、練習のようなもので応援する必要はないということなのかも知れない。
熱戦が続く相撲場 15:20

熱戦が続く相撲場 15:20

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露店と奉納相撲

露店と奉納相撲

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首投げの大技で大逆転

首投げの大技で大逆転

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午後3時半から恒例の目隠し相撲が行われた。ちょっきり相撲のようにお笑いを取るための演出である。仕切り線で目隠しをされた力士がその場でぐるぐる回され、方向感覚を失った段階で立ち合うので、写真下のように土俵外に向かって仕切りをする羽目になる。
目隠し相撲 15:30
目隠し相撲 1/4 目隠し相撲 2/4

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相手を手探りで探す動作は、ユーモラスで笑いを取る。一旦組み合っても、離れてしまうのは、わざとらしい。
目隠し相撲 3/4 目隠し相撲 4/4

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最後は、二人とも同時に後ろに転んで尻餅を搗き、引き分けになった時点で、やらせだと云うことで納得する。
  目隠のでんぐり返し宮相撲  北舟 

めかくしの でんぐりがえし みやずもう

The ritual sumo match, turning a somersault with a blindfold.

同時に転んで引き分け

同時に転んで引き分け

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いよいよフィナーレとなり、三役揃い踏みのあと、小結、前頭、大関の三役の取組が行われてお開きとなった。

三役揃い踏み(東方)

 

三役揃い踏み(西方)

三役揃い踏み(東方) 三役揃い踏み(西方)

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関脇の対戦

関脇の対戦 1/2 関脇の対戦 2/2

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結びの一番・大関の対戦 15:43

結びの一番・大関の対戦

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力の押し合い

押し合い

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▼ 結びの一番の大関同士の対戦は、重量級の対戦で、大相撲の力士の対戦と遜色なく、色々な技の応酬があり、見応えがあった。最後は、時間切れで引き分けとなった。
強烈な釣り

強烈な釣り

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終了のセレモニーが始まった。力士たちは、全員土俵上に輪になり、柄杓で力水の廻し飲み(のふり)をした。
輪になって力水の廻し飲み 15:45

輪になって力水の廻し飲み 15:45

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全員で手締め

全員で手締め

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▲▼ 最後は、全員手拍子で三本締めをしたあと、奉納相撲主催者を胴上げして、お開きとなった。

奉納相撲主催者の胴上げでお開き 15:50

奉納相撲主催者の胴上げでお開き 15:50

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 奉納相撲が終わった午後4時頃、四人の棒使いを露払いとして獅子舞の一行が表参道から入場してきた。

参道に姿を現した獅子舞の一行 16:04

参道に姿を現した獅子舞の一行 16:04

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▲▼ 立川諏訪神社の奉納相撲の歴史は古く、その記録は宝暦2年(1752)に初見されるが、それ以前から獅子舞とともに奉納されていたものと推定され、現在、300年ほどの歴史があるといわれている。
獅子舞の「お練り」

獅子舞の「お練り」

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▲▼ かつては、上立川からは「棒使い棒組)」、中立川からは「獅子」、下立川からは「草相撲」と奉納行事の分担が決まっていたという。棒使いを含む獅子舞は、立川市から無形民俗文化財の指定を受けている。
立川市指定無形民俗文化財の獅子舞

立川市指定無形民俗文化財の獅子舞

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▲▼ 立川の獅子舞は、行列を組んで獅子宿から表参道に入り、相撲場で奉納する。この獅子舞は、棒使いが特徴で、鳥居から土俵までの「お練り」(パレード)で棒使いが棒をくるくる回し、また、土俵に上がって様々な舞い込みで色々な棒の型を演じる。
お練りの露払い役の棒使い

お練りの露払い役の棒使い

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▲▼ 小棒2人と大棒2人の棒使いは、お化粧をした小学生の男子が勤める。真っ赤な口紅が印象深い。4人の棒使いには「渡辺綱」「坂田金時」「碓井貞光」「大江安正」と名前がついており、「綱」「金」「貞」「安」の名が入った腹掛けをしている。写真下の左が「渡辺綱」で、右が「大江安正」。
 棒には色紙が螺旋状に巻き付けてあり、両端が色紙の房になっている。この棒術は、獅子舞の本家である五十嵐家の五十嵐助左衛門が伊勢参りに行った際に教えを請い、立川に伝えたものという。
 お練りの後、一行は土俵に上がり、大勢の見物客が注視するなかで獅子舞を奉納した。
  唇の赤き棒振秋祭  北舟 

くちびるの あかきぼうふり あきまつり

The autumn festival, red lips of the stick twirlers.

お化粧をした棒使い

お化粧をした棒使い 1/2 お化粧をした棒使い 2/2

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和田義男

  
撮 影


2010年8月21日


OLYMPUS E-30

 
 
12-60mm


1230万画素 2,960枚 7.57GB
 

 本日、「立川諏訪神社奉納相撲」が完成した。暦の上では秋に入って久しいが、今日もまだ残暑が厳しく、天気予報では、あと1週間も酷暑が続くという。
 そんな中、平成22年(2010)8月21日(土)から昨日までの16日間に都内4箇所の神社を廻り、奉納相撲を激写した。秋といえば相撲のシーズンで、大相撲秋場所も9月12日(日)から東京・両国国技館で始まる。
 力士の賭博など相次ぐ不祥事のために、名古屋場所はNHKのテレビ中継が中止され寂しい思いをしたが、これから心を入れ替えて国民の信頼を取り戻して頂きたい。
 学校から土俵がなくなり、少子化やスポーツの多様化などにより、相撲人口が激減しているなか、先祖伝来の奉納相撲を続けている氏子町会がある。特に武勇を尊ぶ諏訪神社や八幡神社系では宮相撲が盛んであり、とても喜ばしい。
 首都圏では、諏訪神社を拠点とした立川市相撲連盟の活躍が顕著で、関係者の尽力に頭が下がる思いである。ここでは小中高の全国相撲大会の優勝を狙った活動が中心となっているため、氏子町会による神事相撲という側面が限りなく薄まり、大相撲の力士を目指す本格的な道場となっている。
 300年前から続いてきた立川諏訪神社の奉納相撲がこのような形になったのは、変質というより発展と評価すべきであろう。パンツの上に相撲褌(まわし)を締めるグループが出現している現在、古来の伝統を守りながら地道な活動を続けておられる関係者に敬意を表させて頂くと共に、子供たちの活躍と、大きな夢が叶えられるよう、心から祈念したい。                                                        

日本の裸祭り第114集 「立川諏訪神社奉納相撲」

撮影・制作 : 和田義男

  平成22年(2010)9月6日 作品:第24作 画像:(大73+小8) 頁数:4 ファイル数:169 ファイル容量:41MB
  
平成12年(2000)〜平成22年(2010) 作品数:372 頁数:1,443 ファイル数:59,204 ファイル容量:8,661MB

皇位継承相撲の図 / 狩野山雪画

皇位継承相撲の図 / 狩野山雪画

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相撲節会すまいのせちえ

▲  日本書紀によると、日本の相撲の嚆矢(こうし)は、垂仁(すいにん)天皇の御代に野見宿禰(のみのすくね)が当麻蹴速(たいまのけはや)と取った相撲だというが、あくまでも伝説であり、史実としては、元明(げんめい)天皇(在位707-715)の御代から貴族の間で相撲が流行り始めたのが最初だといわれている。
 奈良時代、聖武(しょうむ)天皇(在位724-749)が天平6年(734)7月7日に相撲をご覧になり、これ以降、宮中では、国家安泰と五穀豊穣を祈願した「相撲節会(すすまいのせちえ)」として秋に相撲を取るのが年中行事化したという。上図は、江戸時代初期に描かれた狩野山雪(かのうさんせつ)が描いた貴族の皇位継承相撲の図である。
▼ 下図は、享和元年(1801)に刊行された伴蒿蹊(ばんこうけい)が書いた江戸後期の随筆「閑田耕筆(かんでんこうひつ)」に掲載されている相撲絵巻である。
 これらの図に描かれた相撲取の姿は、いずれも水褌(すいこん)の様に前袋式六尺褌を締めている。江戸時代以降、六尺褌は臍(へそ)下三寸(約10cm)に締めるのが習わしとなっているが、相撲節会の力士たちは、臍のかなり上の腹部に横褌(よこみつ)が来るように締めており、そのため、立褌(たてみつ)(前袋)と後ろ立褌(うしろたてみつ)が異様に長くなっている。伴蒿蹊の相撲絵巻では、特に顕著で、後ろ立褌がばらけないよう、細紐(ほそひも)で数箇所を結わえている光景も描かれている。
 このような締め方だと、力士の大事なものが見えたり、はみ出たりする恐れがあるので、今ではこのような締め方は誰もしない。奈良時代から平安時代に至るまでのかなり長い間、相撲節会に参加する力士たちの褌は、このような締め方だったようだが、その理由を知りたいところである。鎌倉時代に入り、武士が台頭してくると、褌も実用的なものに変化してくるのは、当然の成り行きだろう。相撲節会の褌は、貴族の諧謔(かいぎゃく)趣味によるものなのかも知れない。ともあれ、相撲が秋の季語となったのは、相撲節会が発端である。〈 完 〉 2010.9.6  和田義男
相撲絵巻   閑田耕筆かんでんこうひつ

伴蒿蹊ばんこうけい

著)

相撲絵巻 閑田耕筆(伴蒿蹊著)

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