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 感動写真集

2014年8月23日改訂

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♪篠 笛
旅と写真は元気の泉

感動の裸祭CD完成!

見上ぐれば勧進帳の飾山笠   北舟

 

Looking up at the Kazari-yama, dolls of Kanjincho above.

2013年10月5日制作

十三番山笠キャナルシティ博多

拡大写真(3000X1700)1.01MB

十三番山笠キャナルシティ博多/博多祗園山笠(福岡県福岡市)

国指定重要無形民俗文化財

祗園紋   櫛田神社   三つ盛り亀甲に五三の桐

博多祗園山笠'13

飾り山笠

撮影原作・辻竜二

はじめに
■ 平成25年(2013)7月1日( 月)から15日(月)までの間、国指定重要無形文化財で「772年」の伝統を誇る博多祗園山笠(はかたぎおんやまかさ)が福岡県福岡市で開催された。昨年に引き続き休日を利用して福岡入りし 7月7日(日)・14日(日)・15日(月)の様子を撮影したので以下に紹介したい。
 

 

【凡例】
 
▲:上の画像の説明文 ▼:下の画像の説明文 ●:筆者の私見 〈画像の左クリック〉:別窓に拡大写真を表示

櫛田神社の位置 / 福岡県福岡市

櫛田神社の位置 / 福岡県福岡市

Google Earth

山笠見物の「道しるべ」

山笠見物の「道しるべ」

拡大写真(1400X1000)640KB

資料:博多祗園山笠振興会

 

博多祗園山笠

/

櫛田神社

 
   昭和54年(1979)に国から重要無形民俗文化財の指定を受けた櫛田神社(くしだ・じんじゃ)の夏祭・博多祗園山笠(はかた・ぎおん・やまかさ)は、7月1日から15日まで福岡市内の14箇所で絢爛豪華な飾り山笠が展示され、1日の舁き山笠7流の当番町・役員が箱崎浜(はこざきはま)で身を清めるお汐井とり(おしおいとり)に始まり、10日の流舁き(ながれがき)、11日の朝山笠(あさやま)、他流舁き12日の追い山笠(おいやま)ならし、13日の集団山見せ14日の流舁きと次第に盛り上がり15日の櫛田入り(くしだいり)タイムレース・追い山笠(おいやま)で最高潮に達する。  

 「博多祗園山笠」公式サイト

平成二十五年山笠舁出時刻表
山笠番号 一番山笠 二番山笠 三番山笠 四番山笠 五番山笠 六番山笠 七番山笠 八番山笠
流 名 恵比須流  土居流  大黒流 東 流 中洲流  西 流    千代流 上川端通
九日 全流

 お汐井とり
17:30 17:35 17:40 17:45 17:50 17:55 18:00 -----
お汐井とりの時間は、石堂橋出発時間 各流当番町⇒石堂橋経由⇒筥崎宮
(帰路は、提灯に点灯し同じ道を、逆に辿り〜櫛田神社参拝後〜各流当番町に帰る)
十日 流舁き 18:00 17:00 17:00 18:00 16:00 17:00 16:00 -----
十一日 朝山笠 5:30 5:00 5:00 5:00 6:00 5:00 6:00 -----
他流舁 ----- ----- 17:00 17:30 15:00 ----- 16:00 -----
十二日

追山馴し

町舁出 13:40 13:55 14:00 14:05 14:10 14:10 14:15 14:15
山列入 14:00 14:05 14:10 14:15 14:20 14:25 14:30 14:35
櫛田入 15:59 16:05 16:10 16:15 16:20 16:25 16:30 16:35
十三日

集団山見せ

町舁出 14:10 14:10 14:30 14:35 14:30 14:40 14:45 -----
山列入 14:30 14:35 14:40 14:45 14:50 14:55 15:00  -----
呉服町出発 15:30 15:35 15:40 15:45 15:50 15:55 16:00 -----
十四日 流舁き 16:00 17:00 17:00 ----- 16:00 17:00 ----- ----->
十五日

追い山笠

町舁出 1:00 1:25 1:30 1:35 1:40 1:40 1:45 3:15
山列入 1:30 1:35 1:40 1:45 1:50 1:55 2:00 3:35
櫛田入 4:59 5:05 5:10 5:15 5:20 5:25 5:30 5:35
   

櫛田神社くしだじんじゃ

▼ JR博多駅の西方約1kmにある櫛田神社は、商人町・博多の総鎮守として町の中央・博多区上川端町(かみかわばたまち)に鎮座する。正殿に大幡主大神(おおはたぬしのおおかみ)、左殿に天照大神(あまてらすおおみかみ)、右殿に素盞鳴大神(すさのおのおおかみ)の三柱の祭神を祀る。

櫛田神社神紋

   
 創建は、天平宝字1年(757)伊勢国(三重県)の櫛田神社の分霊を勧請(かんじょう)したものといい、また一説には天慶4年(941)山城国(京都府)の祗園社を勧請したのに始まるともいう戦国時代に戦火を受けて一時荒廃したが天正15年(1587)、太閤秀吉による博多町割(まちわり)の際に現在の社殿が寄進された。

夜も参拝客で賑わう櫛田神社

夜も参拝客で賑わう櫛田神社

拡大写真(2000X1325)366KB
   境内には樹齢千年といわれる大銀杏があり、古来より商売繁盛、不老長寿の守り神として信仰を集めている。博多の人々は、親しみを持って「お櫛田さん」と呼ぶ。山笠は、素盞鳴大神(すさのおのおおかみ)(祗園宮/祗園さん)に対する奉納行事である。  

櫛田神社の狛犬

櫛田神社の狛犬

拡大写真(1500X1800)448KB

水法被を着たワンちゃん / 櫛田神社

水法被を着たワンちゃん / 櫛田神社

  ▼ 櫛田神社の拝殿右手裏には「博多べい」が復元されている。戦乱に明け暮れた中世の戦国時代に博多の町は瓦礫(がれき)と化したが復興の際、瓦礫を壁土に塗り混んで造ったのがこの博多塀(はかたべい)で、博多っ子の強さを象徴するシンボルとなっている。  
   博多塀の前には、 「オッペケペー節」で一世を風靡した川上音二郎 (1864-1911)が寄進した山笠装束の小便小僧が立っている。  

博多塀と山笠装束の小便小僧

博多塀と山笠装束の小便小僧

拡大写真(1800X1200)281KB
十八番山笠櫛田神社
 
▼ 飾り山笠は、7月1日から15日の午前零時まで福博の町、14ヵ所で公開される。櫛田神社に向いた面を「表」とし、その裏側を「見送り」と呼ぶ。それぞれ博多人形師による絢爛豪華な人形が飾られ、「表」には武者物、「見送り」には童話やテレビアニメが題材になることが多い。  

 十八番山笠となる櫛田神社では毎年更新される奉納山笠が常設展示されており、祭が終わった後も豪華な飾り山笠を見物することができる。

 
   平成25年の表標題は「剛弓一箭源為朝(ごうきゅういっせんみなもとのためとも)」で、弓の名手の源為朝が保元の乱で上皇方として戦局不利のなか勇猛果敢に戦う一場面。見送り標題は「神武東征熊野譚(じんむとうせいくまのたん)」で、神武天皇が日本の国内を平定し、国を治めて初代天皇として即位する迄の「神武東征」の一場面。  

櫛田神社の飾り山笠(平成25年)

剛弓一箭源為朝 / 表

神武東征熊野譚 / 見送り

剛弓一箭源為朝 / 表 神武東征熊野譚 / 見送り

拡大写真(18000X2600)889KB

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一番 山笠やま

恵比須流えびすながれ

 
  ▼ 舁き山笠7流のうち、飾り山笠と舁き山笠の両方を立てているのは、四番山笠東流、五番山笠中洲流、七番山笠千代流の財力ある三流だけで、ほかの町内は舁き山笠のみ展示している。  
 恵比須流舁き山笠の標題は、「見義不為無勇也(ぎをみてなさざるはゆうなきなり)」。平安中期の武士で摂津源氏の源頼光に仕えた渡辺綱(わたなべのつな)が大江山の酒呑童子(しゅてんどうじ)退治(表)や京都の一条戻り橋の上で鬼の腕を名刀「髪切りの太刀」で切り落とした逸話(見送り)をテーマとしている。
一番山笠恵比須流の舁き山笠

見義不為無勇也 / 表

見義不為無勇也 / 見送り

見義不為無勇也 / 表 見義不為無勇也 / 見送り

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二番 山笠やま

土居流どいながれ

 
▼ 二番山笠土居流舁き山笠の標題は、「忠誠真愛武士魂(ちゅうせいしんあいもののふのこころ)」。 武士の義に生きた幕末の名君と称され、忠誠心厚く誠実一途を貫いた松平容保(まつだいら かたもり)をテーマとしたもの。
 朝敵の藩主として波乱にとんだ人生を閉じたが、後に贈られた神号は貫いた人生と同じ「忠誠(まさね)霊神」だった。
二番山笠土居流の舁き山笠

二番山笠土居流の舁き山笠

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三番 山笠やま

大黒流だいこくながれ

 
▼ 三番山笠大黒流舁き山笠の標題は、「威風堂々忠儀漢(いふうどうどうちゅうぎのかん)」。安土桃山時代から江戸時代にかけて黒田如水や長政に仕え、槍術に優れた武将として活躍した武将母里太兵衛(もりたへえ)をテーマとしたもの。
 文禄、慶長の役休戦中、京都の福島正則の元へ長政の使者として使わされた太兵衛は、正則に「この酒を飲み干せば好きな褒美をとらす」と酒を進められた。さらに「黒田の武士は酒に弱く酔えば役に立たない。」と家名を貶(おとし)められた。
 太兵衛は、黒田家の名を汚すまいと大皿になみなみと注がれた酒を一気に飲み干した。太兵衛は正則が秀吉より拝領した名槍「日本号」を所望し、正則は「武士に二言はない。」と褒美を差し出した。これにより太兵衛は「呑取り日本号」という異名と、越天楽(筑前今様)の節回しと共に「黒田節」として黒田家の男意気を示す逸話として広く知られるようになった。
三番山笠大黒流の舁き山笠

三番山笠大黒流の舁き山笠

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四番 山笠やま

東流ひがしながれ

 
  ▼ 東流(ひがしながれ)は、飾り山笠と舁き山笠双方を展示する。 飾り山笠の標題は、「天下取戦陣之誉(てんかとりせんじんのほまれ)」。高松城水攻めの最中、主君信長の死去の知らせを受けた羽柴秀吉が毛利輝元と講話を果たした後京都に急ぎ軍を返し主君の仇となった光秀を山アにおいて討ち果たし天下人となるまでの流れを表現したもの  
 舁き山笠 の標題は、「天女降臨払暗雲(てんにょこうりんあんうんをはらう)」。人の穢れを払い、富貫・名誉・福寿・愛嬌・縁結び、子宝を恵む神であり、学問と技芸、雄弁と知恵の保護神である弁財天(べんざいてん)をテーマとした。
四番山笠東流の飾り山笠
四番山笠東流の舁き山笠
四番山笠東流の飾り山笠 四番山笠東流の舁き山笠

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五番 山笠やま

中洲流なかすながれ

 
  ▼ 五番山笠中洲流飾り山笠の表標題は、「合戦石垣原(かっせんいしがきばる)」で、秀吉の軍師黒田如水(くろだ じょすい)が城主となり、石垣原での戦いをテーマにしたもの。  
五番山笠中洲流の飾り山笠(表)

五番山笠中洲流の飾り山笠(表)

拡大写真(1325X2000)783KB
  ▼ 中洲流舁き山笠標題は、「武勇長政公(ぶゆうながまさこう)」で、慶長五年家康方の東軍武将として関ヶ原にて戦った黒田長政(くろだ ながまさ)を描いたもの。西軍の小早川や吉川らをし寝返らせ、家康から一番の功労者として筑前名島に五十二万三千石を与えられた。
 
五番山笠中洲流の舁き山笠

五番山笠中洲流の舁き山笠

拡大写真(2000X1800)603KB

 
六番 山笠やま

西流にしながれ

 
▼ 六番山笠西流舁き山笠の標題は、「蘭陵王(らんりょうおう)」。西暦564年、北周の大群が北斉の洛陽を攻囲した際、北斉皇帝・武成帝の命をうけた蘭陵王は、わずか500騎を率いて20万の北周軍と勇猛果敢に戦い、金墉城を解放して国を危機から救った。「蘭陵王(陵王)」は舞樂で最も華麗で優雅な舞曲としても知られている。
六番山笠西流の舁き山笠

六番山笠西流の舁き山笠

拡大写真(2000X1400)442KB
 
七番 山笠やま

千代流ちよながれ

 
  ▼ 七番山笠千代流飾り山笠の表標題は、「武魁神剣誉(ぶのさきがけしんけんのほまれ)」。祗園の祭神・素戔嗚尊(すさのおのみこと)が八俣の大蛇(やまたのおろち)を退治する武勇談。  
七番山笠千代流の飾り山笠(表)

七番山笠千代流の飾り山笠(表)

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  ▼ 千代流の舁き山笠標題は、「英傑傾天下尚潔(えいけつてんかにかぶいてなおいさぎよし)」。群雄割拠の戦国時代にありながら権力や地位、名誉に囚われず傾奇者(かぶきもの)と呼ばれた漢(おとこ)前田慶次を描いたもので、彼は仲間同士の信義を重んじ、自らの命を惜しまない気概を貫き通し、颯爽とその時代を生き抜いた。
 
七番山笠千代流の舁き山笠

七番山笠千代流の舁き山笠

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八番 山笠やま

上川端通かみかわばたどおり

 
▼ 八番山笠上川端通表標題は、「軍師官兵衛(ぐんしかんべえ)」。信長が褒め称え、秀吉が頼りにし、家康が恐れた戦国最強の軍師黒田官兵衛を描いたもの。如水と号して水の如くしなやかに生き、あくまで信義を貫き通したその姿に敵さえも信頼を抱いたという。秀吉は官兵衛に九州征伐を命じ、根白坂の戦いで島津義久を撃退した。
八番山笠上川端通(表) 〜走る飾り山笠〜

八番山笠上川端通(表) 〜走る飾り山笠〜

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十二番 山笠やま

博多駅商店連合会

 
  ▼ 飾り山笠の表は全て櫛田神社に向けられているが、博多の玄関口であるJR博多駅・博多口前の飾り山笠は、訪れる観光客を出迎えるように、表は駅側に向けられている。  
 表標題は「女戦士八重のさくら」で、NHK大河ドラマの「八重の桜」をテーマにしたもの。見返り標題は「サザエさん」で、昭和44年(1969)から44年続く日本一長いテレビアニメがテーマ。
十二番山笠博多駅商店連合会(表)

十二番山笠博多駅商店連合会(表)

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十三番 山笠やま

キャナルシティ博多

 
  ▼ 十三番山笠キャナルシティ博多 Canal City HAKATA は、福岡市博多区住吉一丁目にある複合商業施設。敷地面積は約43,485m2、延床面積は約251,940m2。平成8年(1996)4月20日にオープン。福岡地所が所有・運営している。  
   キャナルシティ博多の表標題は、歌舞伎十八番の一つ「勧進帳(かんじんちょう)」。兄頼朝と不知になり、山伏姿で奥州へ落ちる源義経一行が安宅(あたか)の関守・富樫左衛門に見とがめられる。弁慶は機転で偽りの勧進帳を読み上げ、さらに主君を打擲(ちょうちゃく)する。弁慶の苦衷(くちゅう)を察した富樫は一行を通す。  

見上ぐれば勧進帳の飾山笠  北舟

みあぐれば  かんじんちょうの  かざりやま

Looking up at the Kazari-yama, dolls of Kanjincho above.

十三番山笠キャナルシティ博多(表)

十三番山笠キャナルシティ博多(表)

拡大写真(3000X1700)1.01MB
 
十七番 山笠やま

博多リバレイン

 
  ▼ 博多リバレインは、福岡県福岡市博多区下川端町にある大型複合商業施設。福岡市主導による再開発によって1999年に開業した。3棟の建物から成り、中核的施設は博多座・イニミニマニモ・ホテルオークラ福岡である。  
 十七番山笠博多リバレインの表標題は、「智勇誉軍師(ちゆうほまれのぐんし)」で、戦国時代から江戸時代前期にかけての軍師であり武将として知られ、最後には豊前国中津城主となった黒田勘兵衛(黒田孝高/黒田如水)を題材にしている。
 孝高は諱(いみな)で、通称の「官兵衛」や出家後の「如水」の号で有名。豊臣秀吉の側近として仕え、調略や他大名との交渉などに活躍した。竹中重治(半兵衛)と双璧をなす秀吉の参謀であり、後世に「両兵衛」「二兵衛」と称され、キリシタン大名でもあった。長男は黒田長政(筑前福岡藩初代藩主)。
十七番山笠博多リバレイン(表)

十七番山笠博多リバレイン(表)

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