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平成22年(2010)7月1日(木)から15日(木)までの間、国指定重要無形文化財で「769年」の伝統を誇る博多祗園山笠(はかた・ぎおん・やまかさ)が開催され、期間中、5,000人の裸たちと300万人の観客で賑わった。このうち、11日(日)の様子を撮影したので、以下に紹介したい。 |
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【凡例】 ▲:上の画像の説明文 ▼:下の画像の説明文 〈画像の左クリック〉:別窓に拡大写真を表示 |
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写真:フリー百科事典 |
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▲▼ JR博多駅の西方約1kmにある櫛田神社は、商人町・博多の総鎮守として町の中央・博多区上川端町(かみかわばたまち)に鎮座する。正殿に大幡主大神(おおはたぬしのおおかみ)、左殿に天照大神(あまてらすおおみかみ)、右殿に素盞鳴大神(すさのおのおおかみ)の三柱の祭神を祀る。 |
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創建は、天平宝字1年(757)伊勢国(三重県)の櫛田神社の分霊を勧請(かんじょう)したものといい、また一説には、天慶4年(941)山城国(京都府)の祗園社を勧請したのに始まるともいう。戦国時代に戦火を受けて一時荒廃したが、天正15年(1587)、太閤秀吉による博多町割(まちわり)の際に現在の社殿が寄進された。
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櫛田神社の神紋 |
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境内には樹齢千年といわれる大銀杏があり、古来より商売繁盛、不老長寿の守り神として信仰を集めている。博多の人々は、親しみを持って「お櫛田さん」と呼ぶ。山笠は、素盞鳴大神(すさのおのおおかみ)(祗園宮 祗園さん)に対する奉納行事である。 |
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▲▼ 面白いことに、社殿正面の唐破風(からはふ)の彫刻の中にアカンベーをしている風神がある。説明によれば、向かって左の雷神が博多の町に暴風雨を起こそうと太鼓を叩いて風神を誘うが、右側の風神はそれを嫌ってアカンベーをして逃げている図で、博多っ子のユーモアを現したもの。 |
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▼ 博多祗園山笠のフィナーレを飾る追い山笠(追い山)は、櫛田神社から5kmのコースを走るタイムレースである。そのコースには、櫛田神社を含めて三つの清道があり、清道旗が立つ。山笠はこの旗を時計回りに一周してコースを走る。清道とは「天子の行幸の道を払い清める」の意。 |
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このタイムレースの冒頭に櫛田神社の清道に入る「櫛田入り」もタイムが計測されるが、これは山笠を祗園様に奉納するために行われるものである。写真下の清道と白抜きされた赤い幟(のぼり)が清道旗で、その回りを一周するシーンは、とても迫力があり、大きな見所である。 |
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櫛田入りの会場 |
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▼ 7月11日(日)は、早朝から舁き山が町内を廻る朝山(あさやま)が行われたが、雨のため取材を見送った。午後から雨が止んだので、他の町内に繰り出す他流舁きと楠田入りの練習風景を撮影することができた。 |
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一番山笠・中洲流の舁き山笠に乗せる人形 |
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▼ 今年、追い山の一番スタートとなった中洲流は、西日本最大の歓楽街である中洲地区の流で、舁き山と飾り山を立てている。両方の山笠を持っているのは、中洲流のほか、東流(ひがしながれ)と千代流(ちよながれ)がある。 |
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中洲流は、東流と同じように、6本の舁き棒を固定した山笠台(山台)を1台しか持たず、飾り山笠と舁き山笠に共用している。飾り山笠は、下部の山台と上部の飾り人形が分離できるように、上部の人形が御仮屋に固定されて展示されており、山笠を舁くときは、山台を引き出し、その上に舁き山用の人形を乗せて出発する。 |
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中洲流の飾り山笠
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表 |
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見送り |
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▲▼ 中洲流は戦後に生まれた流であるが、戦後から高度成長期の間に起こった流の統廃合に左右されることなく続いてきた。中洲流を興す際に東流が助力したこともあって、中洲流の舁き山と飾り山は東流と同じく山台が共用の引き出し山となっているのはそのためである。 |
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写真下は、当番町による他流舁きの準備風景で、別の場所に展示している舁き山の人形を、飾り山笠から引き出した山台に据え付けているところである。出発と帰着の都度、山台の入れ替え作業を行うのは面倒だが、保管場所を含めて経済的であり、エコ時代にふさわしい。 |
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中洲流の舁き山笠と飾り山笠 2010.7.11. 14:00 |
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▼ どこからか掛け声が聞こえ始めると、各町毎に数十人単位で舁き手が到着し、山の前で整列してから挨拶を交わした。追い山や追い山ならしには参加出来ない子供たちも、この時は大人たちと一緒に参加する。 |
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舁き山の先導部隊である先走りを担当する子供たちが持つのは、町名を墨書(ぼくしょ)した招き板である。舁き山を招くという趣旨でその名があり、若者詰所に置かれている。 |
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各町会から続々集結 |
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▲▼ 山笠の衣装は、法被に締め込みと呼ばれる褌姿で統一されており、例外はない。法被は町内や流ごとに異なり、法被で所属がわかるので下手なことは出来ない。千代流・東流・中洲流では全員統一した法被を着用する。 |
法被には2種類ある。実際に山舁きのとき着用するのが水法被(みずはっぴ)。勢い水を浴びることからこの名がある。前を固く結ぶので、転んだ時でも法被を掴んで起こしやすい。 |
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褌に挟んだ舁き縄 |
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▲▼ 褌は、白が多いが紺などの色物も混じる。小さい子供は赤が可愛い。晒木綿の六尺褌とキャンバス製の相撲褌(まわし)の中間の厚さで、相撲と同じ要領で前垂れ式に締める。晒の腹巻きも認められる。足は黒か紺の脚絆(きゃはん)兼用の地下足袋(じかたび)。 手拭(てのごい)を首にかけたり、鉢巻代わりに締める。 |
各自褌に挟んでいる舁き縄(かきなわ)は、山を担ぐときに舁き棒にまわし、この縄を掴んで担ぐためのもの。担ぐ位置が固定され、肩でしっかりと担ぐことができ、転びそうになっても身体を保持することができる。 |
写真上の男性が担(かつ)いでいるのは、勢い水を入れた布袋。水担い(みずにない)が運搬する水桶(みずおけ)から水を汲んで、力水として浴びせかける安全バケツである。 |
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水しぶきの中を出発した中洲舁山
2010.7.11. 14:45 |
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▲▼ この日は時間を少しづつずらして、7流のうち中州流、千代流、大黒流、東流の4流が他流舁きに出発したと聞く。中洲流は、午後3時前に出発したので、このあと随行した。 |
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中洲の街を疾走する |
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▲▼ 流(ながれ)区域は、クラブやスナックなど約2700軒がひしめく西日本一の歓楽街。ここで働くクラブやスナックの経営者や従業員のほか、飲んでいるうちに「山のぼせ」になった客も混じる。そのほか、「博チョン」と呼ばれる福岡への転勤者や単身赴任者が加勢衆として数多く参加している。 |
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やまかさや かきなわいっぽん ふどししゅう |
Yamakasa festival, guys of loincloth each grasping a straw rope.
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気合いの鼻取と棒鼻たち |
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▲▼ 中洲流は、「中洲」の流れるようなデザイン文字で揃えた統一法被が美しい。全員同じ法被を着用するため、氏子たちの所属が分かるように「中一」「中二」などと書かれたワッペンを法被の左袖に縫いつけている。新町名の中洲五丁目、四丁目、三丁目、二丁目、一丁目の5町で当番町を回している。 |
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後部の台上りたち |
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