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博多山笠の褌文化 |
▼ 写真下は、博多祗園山笠振興会が平成6年(1994)に発行した「戦後五十年博多祗園山笠史」の表紙に使われている博多祗園山笠屏風(櫛田神社蔵)で、江戸時代の博多祗園山笠の様子が描かれている。 |
博多祗園山笠屏風 |
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▲ これを見ると、江戸時代の博多山笠は、日本全国の裸祭にみられるように、全員が褌一丁の裸形で、足は草鞋(わらじ)か裸足(はだし)である。電線がないため、山笠も今の飾り山笠以上に立派なもので、氏子たちは誇らしげにカラフルな褌を締めて公道を練り歩いている。 |
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明治時代に入り、西洋の文化が全て進んでいるという誤った認識に基づく文明開化政策の影響で、褌一丁の裸祭は野蛮とされ、法被を着るようになり、その衣装が現在に及んでいる。 |
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▼ しかし、締め込みと呼ばれる褌だけは、頑なに守られており、誰一人違反する人はみられない。女子であっても男子同様の褌を締めれば、祭に参加できるのは驚くべきことで、博多以外では女子の褌姿は見られない。博多山笠では、今も変わることなく日本古来の褌文化が熱く息づいていることに感動する。 |
女子も褌を締めれば祭りに参加できる博多山笠/中洲流
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その反面、江戸の夏祭は、かつては裸祭であったが、高温多湿にもかかわらず、褌姿を嫌って半纏・ハンダコ・股引に身を固めているのはとても残念である。深川祭では褌禁止という町内さえあるのには驚きを禁じ得ない。江戸の祭文化からすっかり変質してしまった現代の江戸っ子たちは、この作品を見て、父祖伝来の伝統を重んじる博多っ子の誇らしげで素晴らしい心意気を見習って欲しいものである。 |
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日本三大裸祭と裸祭日本一 |
平成22年(2010)7月31日、10年間の総括として「日本裸祭百景」が完成した。上・中・下巻あわせた収録内容は、正月から師走(12月)までの12ヵ月間に開催された裸祭69件、20頁、ベスト・ショット545(大476+小69)枚にのぼった。 |
全国の主な裸祭は全て収録しているので、この機会に比較検討してみたところ、Wa☆Daフォトギャラリーが認定する日本三大裸祭は、次の祭で、その規模と内容において群を抜いており、有識者で異論を唱える人はいないだろう。
(1)博多祗園山笠(福岡市) (2)西大寺会陽(岡山市) (3)国府宮はだか祭(愛知県稲沢市) |
これらの祭は、長い歴史文化を持ち、いずれも5,000〜10,000人の褌姿の裸たちが参加し、厳正な規律に服し、西洋文化に翻弄されることなく一人の衣装違反者もいない。その中でも、唯一国の重要無形民俗文化財に指定されていることや、開催期間が15日間もある点において、博多祗園山笠が裸祭日本一であると認定する。 |
なお、例年9月に静岡県磐田市で実施される見付天神裸祭は、国の重要無形民俗文化財に指定されている大規模な裸祭であるが、一時期、褌に代えてハンダコやパンツを容認したため、祭り衣装の乱れが見られるのが残念である。現在、保存会の方で、本来あるべき褌姿に戻す努力がなされており、それが実現して日本三大裸祭と同様に一人の例外もなく全員褌姿に衣装統一された暁には、これを加えて日本四大裸祭と呼びたい。今年は全国から希望者を募り、和田グループとして参加し、微力ながら見付天神の美しくも勇壮な裸祭の復帰に加勢することにしている。その詳細は、後日、作品化して発表することにしているので、ご期待願いたい!
〈 完 〉 |
平成22年(2010)8月4日 22:00 和田義男 |
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