|
|
|
|
|
|
▼ 大黒流は、大黒天(大国主命)の名に由来する流で、那珂川(なかがわ)の分流・博多川右岸に位置する12町で構成される。旧七流から続いている伝統に誇りを持ち、しきたりなどを厳格に守っているという。 |
大黒流は、飾り山を持たない。舁き山の御仮屋が車道に設置されていたので驚いた。適当な空き地がなく、警察もそのあたりの事情を斟酌して、道路の一時占有許可を出したのだろう。 |
|
|
|
|
|
|
道路に展示された大黒流の舁き山笠 |
|
拡大写真(1600X1150)397KB |
|
|
|
|
|
|
▲▼ 大黒流は、博多祗園山笠を取り仕切る当番町の役割を12町が順番に受け持つことにしているため、一番山笠として山に上がる機会は7×12=84年に一度しか巡って来ない。一番山笠の台上りはそれほど貴重である。 |
|
|
|
|
|
|
|
清道旗を廻る先走りたち/大黒流 2010.7.11. 17:07 |
|
拡大写真(1800X1000)381KB |
|
|
|
|
|
|
▼ 中洲流に続いて大黒流が楠田入りしてきた。今年は六番目のスタートとなる六番山である。中洲流のように統一法被ではなく、各町会毎にバラバラの水法被を着用しているので、雑然としている。 |
|
|
|
|
|
|
|
櫛田入りした六番・大黒流 |
|
拡大写真(2100X1400)707KB |
|
|
清道旗に向かう |
|
拡大写真(2000X1050)533KB |
|
|
|
|
|
水法被のほかに当番法被(とうばんはっぴ)というものがあり、長法被(ながはっぴ)とも呼ばれる。久留米絣*で、6月1日から祭り終了まで着用が認められる。足は雪駄(せった)か下駄(げた)。
地下足袋を履く場合もあり、手拭を首にかける。期間中はこれが正装と認められ、冠婚葬祭もこれで行くし、一流ホテルでも出入り自由だという。
*くるめがすり:久留米地方から産する木綿の堅牢な紺絣(こんがすり) |
|
|
|
|
清道旗に入る |
|
拡大写真(1800X1200)610KB |
|
|
|
|
|
江戸時代の山笠屏風絵などを見ると、全員が褌一丁の裸で、足は草鞋(わらじ)か裸足(はだし)である。明治に入り、文明開化の影響で裸は野蛮とされ、揃いの法被を着るようになったという。 |
|
|
|
|
清道旗を廻る |
|
拡大写真(2250X1500)881KB |
|
|
|
|
|
正月3日の筥崎宮(はこざきぐう)玉せせりなどでは今でも褌一丁の裸であることを考えると、博多山笠が明治時代に変質したことは否めない。幸いにも法被の裾を前で結び、下半身を露出する裸文化は健在である。 |
|
|
|
|
全力疾走! |
|
拡大写真(2250X1500)834KB |
|