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▼ 飾り山笠は、7月1日から15日の午前0時まで福博の町、14ヶ所で公開される。櫛田神社に向いた面を「表」とし、その裏側を「見送り」と呼ぶ。 |
それぞれ 博多人形師による絢爛豪華な人形が飾られ、「表」には武者物、「見送り」には童話やテレビアニメが題材になることが多い。 |
かつては高さが15〜16mあった山笠を舁いでいたが、明治時代に電気の普及による電線の敷設のために実際に担いで走る背の低い「舁き山笠」と展示専用の背の高い「飾り山笠」に分化した。 |
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九番山笠福岡ドームの飾り山笠 07.12 09:15 |
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▼ 九番山笠福岡ドームの表標題は「熱一心若鷹(ねついっしん・わかたか)」、人形師:置鮎琢磨、見送りは「合戦姉川勲(かっせん・あねがわいさおし)」、人形師:三宅隆。 |
表標題の内容説明文:今年のソフトバンクホークスは、また今までと違う戦力で進め方も新監督さん面白かバイ。私たちも今年で七七四年を迎える博多の文化伝統の祭「九番山笠」が無事できて、ホークスファンみんなで「オイサー」って、応援するバイ そして目指すもんは、日本一!優勝パレードは何回見てもよかやね 活気ある山笠で元気にするけんホークスがんばれ! |
● 平成27年(2015)10月29日(木)、セリーグのスワローズを下して日本シリーズ二年連続日本一に輝き、工藤監督率いるホークスの黄金時代が到来した。プロ野球12球団の中でぶっちぎりに強いホークス、博多祇園山笠と共に博多っ子の誇りバイ!(和田) |
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福岡ドームの飾り山笠
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表・熱一心若鷹(ねついっしん・わかたか) |
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見送り・合戦姉川勲(かっせん・あねがわいさおし) |
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飾り山笠の表は全て櫛田神社に向けられているが、博多の玄関口であるJR博多駅・博多口前の飾り山笠は、訪れる観光客を出迎えるように、表は駅側に向けられている。 |
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十番山笠博多駅商店連合会の表標題は「関ヶ原長政武勲の誉(せきがはら・ながまさ・ぶくんのほまれ)」、人形師:生野四郎、見送りは「サザエさん」。 |
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十番山笠博多駅商店連合会の飾り山笠 1/2 07.05 10:19 |
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「黒田長政」(1568〜1623)は、黒田孝高(通名・黒田官兵衛、号・如水)の嫡男であり、筑前福岡藩の初代藩主。父・如水は豊臣秀吉の軍師として活躍し、策謀で名を上げたのに対し、長政は父譲りの調略の才と、武勇にも秀でて各地の戦いで活躍した。 |
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秀吉没後の関ヶ原の戦い(1600)では、徳川家康率いる東軍に属し最先峰を務め、西軍の総大将・石田三成勢と戦った。本戦における黒田隊は西軍に猛攻を加え敗走の動因を作り出した。西軍の主軍である毛利勢を足止めにし、小早川秀秋の裏切りもあり西軍は壊滅。天下分け目の戦いは東軍の勝利で終わった。 |
この戦いでの勇猛果敢な闘いぶりと、事前に西軍側の小早川秀秋、吉川広家らを調略により内応させることに成功したことから、その功績により筑前国名島に52万3千石を与えられた。また、1614〜1615年の大阪冬の陣・夏の陣では、徳川家康・秀忠親子の信頼が厚く江戸城留守役を務め、徳川家繁栄の礎づくりにも尽力した。(標題説明より) |
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十番山笠博多駅商店連合会の飾り山笠 2/2 〜関ヶ原長政武勲の誉〜 |
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▼ 十一番山笠キャナルシティ博多 Canal City
HAKATA
は、福岡市博多区住吉一丁目にある複合商業施設。敷地面積は約43,485m2、延床面積は約251,940m2。平成8年(1996)4月20日にオープン。福岡地所が所有・運営している。 |
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十一番山笠キャナルシティ博多 1/2 07.05 10:54
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十一番山笠キャナルシティ博多の飾り山笠の表標題は「槍寿祝宴」(めいそうことぶきのしゅくえん)、人形師:置鮎琢磨。 |
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黒田長政の使者として福島正則のもとに出向いた家臣の母里太兵衛友信。酔っていた正則は、固辞する友信に「この大盃を飲み干せば、何でも褒美を取らす」と言った。友信は見事に飲み干し、正則が豊臣秀吉から拝領した名槍「日本号」を貰い受けた。(標題説明より) |
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十二番山笠川端中央街の表標題は「真田十勇士」、人形師:中野親一、見送りは「ドラえもん」、人形師:中野浩。大黒流内の川端中央街が独自に建てる飾り山。少ない店舗数で苦労しながらも継続して飾り山の公開を続けている。川端商店街のアーケード内に建設されるため、雨の日でもゆっくりと観賞できる。 |
十二番山笠川端中央街の飾り山笠の表標題は「真田十勇士」、人形師:中野親一。 |
真田幸村は、真田昌幸の次男であり有名な武将。江戸時代初期の大坂の陣では豊臣方の武将として活躍し、特に大坂夏の陣では、三千五百の寡兵を持って徳川家康の本陣まで攻め込み、家康を追いつめた。 |
後世に江戸幕府・諸大名家の各史料にその勇将振りが記録され、それらを基に軍記物や講談や小説などが創作されて、真田十勇士を従えて宿敵・徳川家康に果敢に挑む英雄的武将、真田幸村として語られるようになり、庶民にも広く知られる存在となった。 |
真田幸村の家来であり忍者として著名な「真田十勇士」は、猿飛佐助、霧隠才蔵、根津甚八、由利鎌之介、筧十蔵、三好清海入道、三好伊三入道、望月六郎、海野六郎、穴山小介とされている。十勇士の中でも猿飛佐助は、立川文庫のタイトルともなっている人物でその荒唐無稽、痛快至極な活躍で特に有名。(標題説明より) |
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川端中央街の飾り山笠 06.28 16:38
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表標題:真田十勇士、人形師:中野親一 |
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見送り:ドラえもん 人形師:中野浩 |
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▼ ソラリアは、西日本鉄道が西鉄福岡(天神)駅周辺で展開する商業施設の名称。西鉄福岡駅周辺の再開発事業「天神ソラリア計画」により展開された。 |
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十三番山笠ソラリアの表標題は「風雲桶狭間(ふううん・おけはざま)」、人形師:置鮎正弘、見送りは「筑紫曙千三百五十年(つくしあけぼの・せんさんびゃくごじゅうねん)」、人形師:小嶋慎二。 |
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表標題(風雲桶狭間):尾張の小大名・織田信長が東海の雄・今川義元の大軍を破る大金星をあげ、戦国時代の大きな転機となった「桶狭間の戦い」。永禄3年(1560)5月19日、正午頃、中嶋砦の前衛に張り出していた佐々政次、千秋四郎ら30余りの部隊は信長出陣の報に意気上がり、単独で今川軍の前衛に攻撃を仕掛けた。 |
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しかしこれは勇み足となって逆に佐々、千秋らが討ち取られてしまう。義元は丸根、鷲津両砦の陥落に加え緒戦でのこの勝利にさらに気を良くした。13時頃、視界を妨げるほどの豪雨が降り、織田軍はこれに乗じて兵を進め、雨が止んだ直後の14時頃、織田軍は義元の本隊に奇襲をかけた。 |
今川軍の総勢は2万人であったとされるが、義元を守る兵力は5000〜6000人に過ぎず、双方の戦力が拮抗した結果、大将同士が徒士立ちになって刀槍をふるう乱戦となった。義元は輿を捨て300騎の親衛隊に周りを囲まれながら騎馬で退却しようとしたが、度重なる攻撃で周囲の兵を失い、ついには信長の馬廻に追いつかれる。 |
今川義元は服部一忠を返り討ちにしたが、毛利新介によって組み伏せられ、討ち取られた。総大将であり今川家の前当主である義元の戦死により今川軍は戦意を喪失し、合戦は織田軍の大勝に終わった。(標題説明より) |
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ソラリアの飾り山笠 06.28 16:38
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表標題:風雲桶狭間、人形師:置鮎正弘 |
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見送り:筑紫曙千三百五十年、人形師:小嶋慎二 |
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新天町(しんてんちょう)は福岡県福岡市中央区天神二丁目にあるアーケード付き商店街。規模はそこそこだが、人通りの多い商店街である。ファッション、呉服、雑貨、アクセサリー、薬局、レコード、書店、飲食店など約100店舗の店がある。
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十四番山笠新天町の表標題は「竺紫乃雄磐井君(つくしのゆう・いわいのきみ)」、人形師:亀田均、見送りは「サザエさん」、人形師:亀田均。 |
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新天町の飾り山笠 07.05 09:49
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表標題:竺紫乃雄磐井君 人形師:亀田均 |
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見送り:サザエさん 人形師:亀田均 |
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表標題(竺紫乃雄磐井君):六世紀前半、北部九州で八女を本拠にする筑紫国造(筑紫君)磐井の軍と、継体天皇の命をうけた物部大連麁鹿火の率いる大和王朝軍が一年有余にわたって激突した。 |
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継体22年(528)年冬11月。場所は筑紫の御井郡(久留米)軍旗と軍旗とが向き合い、軍兵の挙げる埃塵は入り乱れ、両軍は勝機をつかもうと、決死の戦を交えて互いゆずらなかった。しかし、結局、磐井軍は敗北。彼は斬られ、息子の葛子は死罪を恐れ、糟屋屯倉を献上した。(標題説明より) |
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博多リバレインは、福岡県福岡市博多区下川端町にある大型複合商業施設。福岡市主導による再開発によって1999年に開業した。3棟の建物から成り、中核的施設は博多座・イニミニマニモ・ホテルオークラ福岡である。 |
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十五番山笠博多リバレインの表標題は「祝博多乃連獅子(いわいはかたのれんじし)」、人形師:置鮎琢磨、見送りは「祭博多之七福神(まつりはかたのしちふくじん)」、人形師:生野四郎。 |
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博多リバレインの飾り山笠 1/2 07.05 08:53
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表標題(祝博多乃連獅子):「連獅子」は、勇壮華麗な代表的な御祝儀舞。本年度の博多祇園山笠の一番山笠の大黒流を祝いこの標題とした。獅子には、我が子を千尋の谷に突き落とし、駆け戻って来た強い子だけを育てるという伝説がある。親獅子は何度も子を谷に突き落とし、上がってこない子を案じる。木陰で休んでいた仔獅子は水面に映った親の姿を見て勇み立ち、谷を駆け上がる。親子の厳しくも温かい情愛を描いている。親獅子は白頭、仔獅子は赤頭。赤の毛が華やかに舞台を彩り、豪快で勇壮な気振りがこの演目のみどころ。(標題説明より) |
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博多リバレインの飾り山笠 2/2
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表標題:祝博多乃連獅子 人形師:置鮎琢磨 |
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見送り:祭博多之七福神 人形師:生野四郎 |
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福岡市中央区天神(てんじん)は、商業施設やオフィスビルなど様々なビルが立ち並ぶ九州の商業の中心的場所であり、九州一の繁華街である。博多駅・博多地区から地下鉄で数分の距離にあり、全国的にも有名な歓楽街の中洲も近隣にある。 |
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十六番山笠天神一丁目の表標題は「美の国日本」、人形師:中村信喬、見送りも「美の国日本」で、人形師:白水英章。 |
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天神一丁目の飾り山笠
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表標題(美の国日本):四方を海に囲まれた日本は古来、外から入って来る文化を日本独自の文化とうまく融合させ、花開かせてきた。仏教伝来は、その象徴である。唐の初め、三蔵法師は孫悟空、猪八戒、沙吾浄を伴い、仏法を求めてインドへ向かった。苦難の旅路の末、中国にもたらされた経典は東アジア仏教の礎となる。海を渡り、日本では仏像などの文物に宿るという。この秋開かれる九州国立博物館開館10周年記念特別展「美の国日本」では異国との交流で育まれた美が並ぶ。(標題説明より) |
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天神一丁目の飾り山笠 2/2
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表標題:美の国日本 人形師:中村信喬 |
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見送り:美の国日本 人形師:白水英章 |
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▼ 渡辺通は、福岡市中央区東部に位置する。北で西中洲、東で春吉、南東で清川、南で高砂、南西で白金、西で薬院・今泉、北西で天神と隣接する。天神市街地の南側にあたり、南天神と一体化した市街地を持つ。 |
地名と同名の渡辺通り(福岡県道602号)が町域の中央を南東から北西に貫いている。渡辺通りを挟んで東側が南から1・3・5丁目、西側が南から2・4丁目。広い通りが中央にあるため、ホテルニューオータニ博多、九州電力本社(通称・電気ビル)、BiVi福岡などの施設がある。西辺には薬院新川が流れる。 |
十七番山笠渡辺通一丁目の表標題は「至心一到和平基(ししんいっとう・わへいのもとい)」、人形師:中野親一、見送りは「愛と勇気のアンパンマン」、人形師:中野浩。 |
表標題「至心一到和平基」:大阪冬の陣において戦功をたてた若干二十歳の木村重成は、和平交渉の使者として家康と対峙し、その堂々とした若武者ぶりは周囲を圧倒した。自らの死を覚悟し兜の中に香を薫き込め出陣し、大阪夏の陣において華華しい討死を遂げた。(標題説明より) |
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渡辺通一丁目の飾り山笠
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表 |
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▼ 7月15日が終わると飾り山は取り壊されてしまうが、博多総鎮守・櫛田神社の境内と川端商店街内にある川端ぜんざい広場にその年の飾り山が常時飾られている。また、8月以降に九州国立博物館にて天神一丁目の飾り山も飾られる。 |
番外山笠櫛田神社の表標題は「呑取名槍黒田誉(めいそうのみとる・くろだのほまれ)」、人形師:亀田均、見送りは「烟満国聖帝御世(けぶりはくににみつひじりのみかどのみよ)」、人形師:今井洋之。(博多山笠公式サイトでの標題説明はない。) |
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櫛田神社の飾り山笠(常設)
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表標題:呑取名槍黒田誉 人形師:亀田均 |
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見送り:烟満国聖帝御世 人形師:今井洋之 |
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