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2005年10月26日改訂

今 日

昨 日

♪栄華の墓所・水の宮・鎮守の森・想い川

水の宮・和風BGM TAM Music Factory

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2000年7月31日開設

輝きはじめた函館の街

見下ろせば街の煌めき夏夕べ   北舟

函館山の夜景(北海道函館市)

 

 

4/5
 

2005年1/5

2005年2/5

2005年3/5

2005年4/5

2005年5/5

目次

2005年10月26日(水)曇
■■■     中国シ/ルクロードの旅」アップ! ■■■
 昨夜、感動写真集/第59集「中国/シルクロードの旅」をアップした。この作品は大森保武さんの第3作で、4ページ45枚の大作である。2005年9月4日から10日まで中国北西部のシルクロードを旅し、オリンパスE-300で撮影した最新のシルクロードが描かれている。

駱駝に揺られて(中国シルクロードの旅)

駱駝に揺られて

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大森保武さんのコメント

 ANAのチャーター機で、初めて中国入りした。飛行中、高度10,000mから万里の長城の一部、ゴビ、雪を頂いた天山山脈を見ることができたのはラッキーだった。
 今回、年間降水量が18〜40mmの超乾燥地帯にある敦煌・トルファン・ウルムチに行ったのだが、帽子・マスク・サングラスは必需品で、砂嵐も体験した。タイムスリップしない限り、正確な昔は判らないが、皆がこんなにシルクロードへ行くのは、歴史の謎にロマンを感じるからだろう。
 人口180万人のウルムチには活気があり、近い将来、大都市に変貌する気配が感じられた。シルクロードのほんの一部を見る旅だったが、往時の駱駝の背の旅しかない世界を垣間見ることができ、満足の旅だった。

2005年10月20日(木)快晴
■■■     船橋大神宮奉納相撲 ■■■
 台風20号が去って久しぶりの快晴に恵まれた10月20日、千葉県船橋市に鎮座する船橋大神宮の秋期例大祭が開催され、お神楽と奉納相撲が執り行われた。400年前の江戸時代から続く伝統の宮相撲は、戦後落ち着きを取り戻した昭和25年に再開され、今年で55年目になるという。今年の参加者は50名を数えたが、その内40名が地元自衛隊関係者で、10名が部外からの参加者という。木更津市から連続15回参加した人がいて感謝状が贈られた。東京大学相撲部の名もあった。

50人の力士が東西に分かれて集合

50人の力士が東西に分かれて集合

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個人戦の開始

個人戦の開始

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 去年、船橋大神宮の子ども相撲を取材し、「船橋大神宮子ども相撲」としてアップしたが、1年間で23,000件を超えるアクセスがあり、大好評で、現在も画像を分けて欲しいという依頼があるほどである。去年の大人の部は台風のために取り止めになったため、一年後の本日、満を持して取材し、500万画素と800万画素あわせて1,380枚、2,300MBを撮影した。これで裸祭りに欠けていた国技である相撲のフルバージョンができあがることになった。

気合いが入り、選手が立ち上がって観戦。観客が観戦できず注意を受ける一幕も・・・。

気合いが入り、選手が立ち上がって観戦。観客が観戦できず注意を受ける一幕も・・・。

パノラマ写真(2170x1024)470KB

 今年は10月16日の子ども相撲が台風で一週間延期となり、10月23日の日曜日に開催されることになった。顔を覚えている子供たちの一年間の成長ぶりを見たかったが、どうしても断れない先約があり、取材できないのが残念。奉納相撲実行委員会は、子ども相撲にも多数の来客を期待しているという。

はっけよい!

   

激しい足技

はっけよい!   激しい足技

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徳俵の踏ん張り

   

見事なはたき込み

徳俵の踏ん張り   見事なはたき込み

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 奉納相撲では、婦人部が甘酒と100%餅米の赤飯を用意し、観客にも振る舞われた。撮影中の私にも「カメラマンは撮影に忙しいでしょう」とパックに入った赤飯を手渡していただき、恐縮した。去年の子ども相撲では豚汁のご相伴にあずかったことを思い出し、大会関係者の気配りには頭が下がる思いである。

相撲甚句を聞く力士たち

   

団体優勝の習志野自衛隊チーム

相撲甚句を聞く力士たち   団体優勝の習志野自衛隊チーム

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 個人戦は一人勝つ毎に金一封(千円)が贈られる。1回で勝負が決まる一番勝負や2勝するまで同じ相手と対戦する二番勝負のほか、5人勝ち抜き勝負などがあり、激しい相撲が展開された。また、今年からトーナメント方式の団体戦が行われることになった。初の団体戦は7チーム35名が参加し、熱戦となったが、栄えある優勝杯をはじめて手にしたのは習志野の自衛隊チーム。2位は一般チーム、3位は東大などの駒場チーム。後日、この模様を「船橋大神宮奉納相撲」として作品に取りまとめたい。乞うご期待!

2005年10月16日(日)雨
■■■     立山黒部夏紀行」アップ! ■■■
 昨日、旅紀行ジャパン第42集「立山黒部夏紀行」をアップした。この作品は、2005年8月18日(木)19日(金)と一泊二日の日程で、クラブツーリズムの「たびともバスツアー」を利用し、家内と共に立山黒部アルペンルートと黒部峡谷を旅したときのものである。

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立山黒部アルペンルート 立山黒部アルペンルートは、長野県大町市(おおまちし)扇沢(おうぎさわ)から北アルプスを貫き、富山県中新川郡(なかにいかわぐん)立山町(たてやまちょう)に至る山岳観光ルートで、トロリーバスやケーブルカー、ロープウェイなどを乗り継ぎながら大自然のダイナミズムを堪能できる観光コースとして人気が高い。

黒部川を堰き止めた黒部ダム

黒部川を堰き止めた黒部ダム

パノラマ写真(1500x800)172KB

黒部ダム 初日は朝9時頃、東京都青梅市のJR青梅駅前からツアーバスに乗り、中央自動車道経由で長野県大町市扇沢(1,433m)に行き、関西電力が運行する日本唯一のトロリーバス(関電トンネル無軌条電車)に乗り、後立山連峰(うしろたてやまれんぽう)を貫く長さ6.1kmの関電トンネルを通り、僅か16分で黒部ダム(1,470m)に着いた。黒部ダムは、日本最大のアーチ式ドーム越流型ダムで、長さ492m、高さ186mある。
 黒部峡谷を流れる黒部川は、その豊かな水量と大きな落差が早くから水力発電の適地と注目され昭和31年関西電力が「世紀の大事業」とうたわれた通称くろよんダム(黒部川第四発電所、黒部ダム)の建設に挑み、7年の歳月と当時の金額で513億円の工費、1,000万人を超える人手により、昭和38年6月に完成した。このときの難工事を描いた石原裕次郎の「黒部の太陽」は、多くの人々にロマンと感動を与えた。 映画「黒部の太陽」
 黒部ダムを渡り、対岸のトンネルの中にある黒部湖駅(1,455m)から黒部ケーブルカーに乗った。大自然の景観保護と雪害防止のために地下を走る日本唯一のケーブルカーは、距離にして800m、最大勾配31度、黒部湖と黒部平を5分で結ぶ。
黒部平/大観峰 黒部平駅は標高1,828mの平地に建つ。屋外には黒部平庭園があって雄大な景観を満喫できる。しばらく散策しているうちに、立山を覆っていた雲が切れ、立山ロープウェイの山上駅・大観峰(だいかんぼう)が姿を現した。立山の東壁を背に、大観峰と黒部平を7分で結ぶ、延長1,700m、標高差500mのロープウェイは、途中の支柱が一本もないワンスパンロープウェイで、日本最長を誇る。ゴンドラから見る黒部湖や後立山連峰の眺めが素晴らしく、動く展望台といわれる。

黒部平から見た立山連峰の威容!(黒部立山アルペンルート)

黒部平から見た立山連峰の威容!(黒部立山アルペンルート)

パノラマ写真(2000x1035)289KB

室堂平 大観峰からトロリーバスに乗り、立山を東西に貫通する長さ3.6kmの立山トンネルを走ること10分、立山西側斜面の標高2,450mに位置する室堂ターミナルに到着。室堂平は立山黒部アルペンルートの中心地で、観光の拠点であり、立山三山をはじめ、3,000m級の雄大な山々が眼前に迫る素晴らしい高原である。
 立山は約5万年前の火山活動による溶岩台地である。立山にある火口湖の中で最も大きな湖が、標高2,450mに位置するみくりが池で、周囲約600m、水深約15m。日本アルプスの湖沼の中では最も深いという。 神の山といわれた立山は、地獄谷がある故に今昔物語をはじめ数々の書物に地獄の山と紹介されている。

パノラマの室堂平

パノラマの室堂平

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 室堂平の観光を終えた後、立山黒部貫光のバスで一気に立山を下り、富山県立山町の立山駅前に到着。待機していたツアーバスで富山市に入り、一泊した。翌日、宇奈月温泉に行き、黒部峡谷のトロッコ電車に乗った。
宇奈月温泉 宇奈月は富山県の東端、下新川郡(しもにいかわぐん)の人口7千人弱の町で、北流して日本海は富山湾に注ぐ黒部川が形成した黒部峡谷を中心とする飛騨山脈の山岳地帯と下流の黒部扇状地を擁している。大正12年(1923)、黒部峡谷の入口、標高200mの段丘上に上流の黒薙(くろなぎ)温泉(96℃)から約8km引湯し、泉温60℃・単純泉の宇奈月温泉として開湯した。黒部川の電源開発とともに発展し、現在は黒部峡谷探勝の基地となっている。
トロッコ電車 日本一深いV字峡谷を縫うように走るオレンジ色の小さなトロッコ電車は、宇奈月から終点・欅平(けやきだいら)までの20.1kmを41のトンネルをくぐり、22の橋を渡り、1時間20分かけて、ゆっくりと走る。客車はオープン型の普通客車と雨でも濡れない窓付き車輌(三種類)があり、窓付きの方は特別料金となる。トロッコ電車は、緑の木々に囲まれたエメラルド・グリーンの険しい黒部峡谷を縫うようにしてゆっくりと走ってゆく。

出平駅ですれ違うトロッコ電車(黒部峡谷鉄道)

出平駅ですれ違うトロッコ電車

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 トロッコ電車は、緑の木々に囲まれたエメラルド・グリーンの険しい黒部峡谷を縫うようにしてゆっくりと走ってゆく。 黒部川の下流になると、豊かな水を湛えたエメラルド色の川面が見え隠れする。変化に富んだ景観は、何度見ても素晴らしく、思わず歓声が上がる。
鐘釣 宇奈月を出て約1時間の旅を終え、露天風呂で有名な鐘釣駅に到着した。鐘釣の地名は近くに釣り鐘の形をした山があることに由来しているという。ツアー一行はここでお弁当をもらい、徒歩で黒部峡谷の河原に下りて散策を楽しみ、お弁当に舌鼓を打った。鐘釣温泉は黒部川の河原にある天然の露天風呂で有名なところ。ここでは河原から自然に適温のお湯がわき出てくる。

エメラルド色の黒部川に感激!

エメラルド色の黒部川に感激!

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 初日の立山黒部アルペンルートは非常にポピュラーな山岳観光ルートである。黒部ダムの建設のお陰で、アクセスルートが完備され、朝9時に東京を発って午後4時には標高2,450mの室堂平に着くのだから驚きである。立山連峰と後立山連峰、そしてその間を走る黒部峡谷を目の当たりにするこのアルペンルートは、登山の心得のない人でも手軽に山男の醍醐味を味わうことができる。
 二日目のトロッコ電車は、鉄道ファンにとっては垂涎のコースだろう。エメラルドの水を湛える黒部峡谷を縫って走る玩具のような可愛らしい電車の旅は、とても楽しかった。

2005年10月14日(金)晴

■■■  待望の E-500 登場! ■■■

 先日、オリンパスのカスタマーサポートセンター長の若松さんからE-500が11月11日に発売されるとの連絡を受け、パンフレットや説明資料が送られてきた。早速昼休みにビック西新宿店に行ってみると、10月1日から11月10日までE-500の予約キャンペーンが行われており、今、予約して発売後12月16日までに購入すると、動物写真家で有名な岩合プロのオリジナルデザインによるリュック式カメラバッグが全員もらえるという。E-500レンズセットの価格は9万9千円で、10%のポイント還元があり、実質9万円という低価格である。そのために、E-300レンズセットは既に以前からから実質7万円で売られていた。うーん、安すぎる!
 キャッチフレーズは「3ツ星一眼」。三ツ星とは世界最軽量435gのボディと高画質800万画素のCCD、そして大画面2.5型の液晶モニターを指している。私としては、これにオリンパスしかないダストリダクションシステムを入れて四ツ星として欲しかったところである。多分、E-1やE-300にも搭載されている機能であるために、カウントしなかったのだろうが、他社製品との比較では、ゴミの手入れが全く不要となるこの機能はいまだに大きなアドバンテージである。

OLYMPUS E-500

オリンパスE-500

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 若松さんから頂いた資料を見ると、E-300の経験を踏まえて随所に改善が見られる。操作ボタンもスッキリとまとまったし、デザインもE-300の弁当型を改め、格好良いE-1の姿に復帰した。露出も49分割によるESP測光となり、白飛び、黒潰れを防ぐ仕組みが強化されている。また、来春には、私が要望していた一本のレンズで全てまかなうことのできる 標準10倍ズーム ED 18-180mm(36-360mm)が発売されるという。
 現在、一眼レフデジカメのヒットチャートは、トップがキャノンの EOS kiss、2位がコニカミノルタの αSweet、3位がニコンの D50 となっているが、いずれもレンズセットが10万円を超えており、液晶は小さく、ニコンは600万画素しかないことを考えると、E-500のコストパフョーマンスは抜群である。もともと10万円を切る価格戦略を仕掛けたのがオリンパスE-300であってみれば、その後継機に当たるE-500は大ブレークすることは間違いないと思われる。私も発売直後に入手し、今後の主力機として使ってゆきたいと、今から心待ちにしている。こんなに安く買えるなんて、オリンパスさん、すみません。 (^^;

2005年10月10日(月)雨
■■■     速報!カナダ秋の旅」アップ! ■■■
 9月30日から8日間、家内と共に秋のカナダを旅し、7日夜帰国した。先ほどダイジェスト版が完成し、「速報!カナダ秋の旅」と題してアップした。バンクーバーから始まる全行程は、好天に恵まれ、ロマンと感動の素晴らしい旅を全うすることができた。後日、ロッキー編、紅葉編、ナイアガラ編の三つに分けて作品化したいと考えている。

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カナディアン・ロッキー 成田から10時間のフライトでバンクーバーに到着。現地時間(東京 - 17時間)はまだ30日午前11時である。国内便に乗り換えてカルガリーまで1時間20分のフライト。東西に広いカナダは国内に6つの時刻帯を持つため時計を1時間進めたあと、カルガリーから専用バスに乗り、約2時間でアルバータ州のバンフに到着し、古城ホテルとして知られるバンフ・スプリングスに宿泊した。

冬景色のボウ・レイク(カナディアン・ロッキー) 2005.10.1

冬景色のボウ・レイク(カナディアンロッキー)

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朝寒や名もなき山の一万尺  北舟

ボウ・レイク バンフに着いたときは晴れていたのに、翌朝は雪が降っていた。スタートからつまづいたのではないかと心中穏やかではなかったが、最初のボウ・レイクは我々以外にツアー客は来ておらず、貸し切り状態という幸運に恵まれ、到着した瞬間にパッと視界が晴れ、新雪を踏みながら湖畔を散策したが、夜来の降雪にすっかり冬景色となった雄大な景観に感動した。

アサバスカ山(3491m)とコロンビア大氷原 2005.10.1

アサバスカ山(3491m)とコロンビア大氷原

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いにしへの氷河の水を飲み干しぬ  北舟

アサバスカ氷河 コロンビア大氷原を擁するアサバスカ氷河の入口に着いたときには、晴天となり、ロッジの二階で昼食後、韓国のツアーグループと共にシャトルバスでアサバスカ氷河に行き、雪上車に乗り換えてアサバスカ氷河に降り立ち、つかの間の氷上散策を楽しんだ。

雪上車に乗ってアサバスカ氷河の散策 2005.10.1

雪上車に乗ってアサバスカ氷河の散策

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遠く来て踏みし氷河の幾万年  北舟

レイク・ルイーズ 標高1730mのレイク・ルイーズでは、ときおり雲間から太陽が顔を見せるなかで湖畔を散策した。「カナディアン・ロッキーの宝石」と讃えられるレイク・ルイーズは、太陽光線の具合でエメラルドの色合いが微妙に変化する。カナディアン・ロッキーで最も多くの人が訪れる代表的な湖で、ビクトリア女王の娘であるルイーズ・キャロライン・アルバータ王女にちなんで名づけられたという。

エメラルドに輝くレイク・ルイーズ 2005.10.1

エメラルドに輝くレイク・ルイーズ

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エメラルド氷河の削る湖の色  北舟

バンフ カナディアン・ロッキーを終日堪能したあと、バンフに戻り、町内にあるバンフ公園の紅葉を楽しんだ。幸運にも、丁度新郎新婦が白い馬車で公園に到着し、カスケード山を背景に記念写真を撮る現場に居合わせた。まるで映画の一シーンを見ているようで、素晴らしかった。新郎新婦に永久(とわ)の幸あれと祈る。夕食のあと大橋巨泉さんが経営するOKギフトショップで土産を買った後、キャンモアに移動して一泊した。

白い馬車に乗った花嫁(バンフ公園) 2005.10.1

   

記念撮影する新郎新婦 2005.10.1

白い馬車に乗った花嫁(バンフ公園) 記念撮影する新郎新婦

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岩山を背負ふ街角冬近し  白馬車の花嫁の微笑残る秋  北舟

キャンモア 翌朝、早起きして、ホテルの前に出ると、素晴らしい朝焼け(モルゲンロート)が見られた。まるで火事のように赤く染まっており、壮大な大自然の営みを目のあたりにして大いに感動した。夢中で撮影しているうちに色が褪せ、間もなく消えてしまった。

キャンモアのモルゲンロート 2005.10.2

キャンモアのモルゲンロート(カナディアンロッキー)

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岩山の峰くれなゐに今朝の秋  北舟

ローレンシャン高原 モントリオール北部に広がるローレンシャン高原は、標高1000m前後の山々が連なり、数千、数万ともいわれる大小の湖沼が点在する高原地帯である。翌日は終日ローレンシャン高原を散策。午前中、無料ゴンドラを利用してトレンブラン村を見てまわった後、遊覧船に乗ってトレンブラン湖を周遊。その後、スキー用のゴンドラに乗ってトレンブラン山頂まで上がり、ツアー弁当を食べながらローレンシャン高原の見事な紅葉を楽しんだ。

紅葉のローレンシャン高原(トレンブラン山頂からの眺望) 2005.10.3

紅葉のローレンシャン高原(トレンブラン山頂からの眺望)

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果てしなき大地を包む紅葉かな  北舟

メープル街道 翌日、専用バスに乗り、メープル街道を約4時間走ってローレンシャン高原と並ぶカナダの紅葉の名所・アルゴンキン州立公園に行った。ケベックシティからモントリオール、トロントを経由し、セントローレンス川に沿って西から東に走るメープル街道は、日本の旅行会社が名付けて定着した観光道路で、ナイアガラまで800kmに及ぶ。この時期、オンタリオ湖の北に位置するアルゴンキン州立公園付近の紅葉が最盛期を迎え、素晴らしい景観に思わず歓声が上がった。

燃えるような紅葉のメープル街道(オンタリオ州) 2005.10.4

   

メープル街道を行く 2005.10.4

燃えるような紅葉のメープル街道(オンタリオ州) メープル街道を行く

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うねりゆく原生林の照紅葉  北舟

アルゴンキン州立公園 カナダの手つかずの自然が残るアルゴンキン州立公園はオンタリオ州で最も歴史のある公園で、東京都の3.5倍の広さがあるという。人口3000万人のカナダは、日本の27倍の広さがあり、ロシアに次ぐ世界第二位の広大な国なので、驚くに値しない・・・と、少々やけっぱちになる。(^^;
 こゝでバスを降り、1時間ほど紅葉樹林の中をアウトルックという巨大な一枚岩の展望台まで往復した。一行は往復の山道を汗だくで行進し、さまざまな色に染められた楓の散り紅葉を拾いながら紅葉狩りを楽しんだ。ボウ・レイクの冬山から一転して真夏の暑さを味わったが、アウトルックから見る紅葉は、丁度今が見頃を迎え、遥か地平線まで続く見事な景観に呆然と立ちつくすのみで、言葉を失ってしまった。

水平線まで続く見事な紅葉(アルゴンキン州立公園) 2005.10.4

水平線まで続く見事な紅葉(アルゴンキン州立公園)

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大岩に立ちてパノラマ紅葉山  北舟

ナイアガラ瀑布 アルゴンキン州立公園の紅葉狩りを終え、首都トロントに一泊。ツアー最終日の翌日も爽やかな秋晴れに恵まれ、専用バスで2時間、ナイアガラフォールズ市に入り、ナイアガラ瀑布(ナイアガラの滝)を見物した。

ナイアガラ瀑布の全貌(ナイアガラフォールズ市) 2005.10.5

ナイアガラ瀑布の全貌(ナイアガラフォールズ市)

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大地削く滝の轟音ナイアガラ  北舟

 南米イグアスの滝、アフリカのビクトリアの滝と並んで、世界三大瀑布の一つに数えられるナイアガラの滝は、エリー湖とオンタリオ湖の間のカナダとアメリカの国境に位置する。川中のゴート・アイランド(山羊島)によってカナダ滝(右)とアメリカ滝(左)の二つに分断されている。アメリカ滝の右には花嫁のベールと呼ばれる小さな滝があるので、ナイアガラ瀑布には三つの滝がある。
カナダ滝 美しい弧を描くカナダ滝は、馬蹄形の形からホースシューフォールズの名で親しまれ、ナイアガラ瀑布の写真はカナダ滝が使われることが多い。幅675m、落差54mの滝は、エリー湖から流れてくる毎分1億5500万tonもの水が轟音と水煙を上げて落下するさまは壮観である。

カナダ滝を観覧する霧の乙女号 2005.10.5

(ナイアガラフォールズ市)

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轟音も頭に浴びる滝見船  北舟

アメリカ滝 アメリカ滝は、カナダ滝と比べると小さいが、それでも落差56m、幅320mで、巨大な白壁のような姿をしている。
 ナイアガラの滝は、1678年にフランス人宣教師に発見されて以来、観光化され、毎年、世界中から観光客が集まる。先住民がつけたナイアガラ「雷鳴のとどろく水」という名の滝は、やはり先住民の言葉で「美しい水」という意味のオンタリオ湖に注ぎ、やがてセントローレンス川となり、沿岸のメープル街道の大自然の生命を育んでいる。

アメリカ滝を観覧する霧の乙女号 2005.10.5

アメリカ滝を観覧する霧の乙女号

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大地裂け怒濤の如き滝飛沫  北舟

霧の乙女号 ナイアガラ瀑布の観光では、霧の乙女号に乗ってカナダ滝の直下に行き、滝の飛沫を浴びながら見物するクルーズに人気がある。乗船料を払うと薄いビニール製のポンチョがもらえるので、雨具の用意は不要である。
 クルーズ船はアメリカ側とカナダ側の2箇所から発着しているが、双方とも同じ霧の乙女号である。カナダの観光客が多いため大型船はカナダ側から出帆する。冬になると流氷のために航行できなくなり、10月中頃からクルーズは中止される。

霧の乙女号から見上げるカナダ滝 2005.10.5

(ナイアガラフォールズ市)

ポンチョ着て直下に迫る滝見船  北舟


2005年9月25日(日)曇

■■■ 「ふんどし談義」アクセス10万件突破! ■■■

 9月3日、旅紀行裸祭り 4+ 集「ふんどし談義」がフリー百科事典 ウィキペディア:「ふんどし」 の外部リンクの9番目に掲載されていることが分かったが、そのお陰で毎日300〜400件のアクセスがあり、さきほど、10万件を超えていることが分かった。
 これまで播州の秋祭りを中心にふんどしに関する筆者の思い入れを綴ってきたが、播州秋祭・ふんどし談義4/4で一応の決着をみた。しかし、その後も裸祭りの収録を重ねていくうちに、新たな話題が増えてきたことや、本稿が非常に好評であることもあり、2003年5月10日に、続編として「ふんどし談義」をスタートさせ、ふんどし全般に関する話題を書き綴ってきた。
 ふんどしを扱うサイトは、ふんどし販売店やアダルトサイトを除くと、下着としてのふんどしをテーマとした趣味のサイトが多く、私のように修行や奉納相撲なども含めた祭祀・祭礼の伝統衣装としてのふんどしに着目したサイトは見あたらない。同じふんどしでも私のサイトは、見せるふんどし、ハレのふんどし、外出用のふんどしである。

神田祭(東京・神田神社 2003年5月11日)

神田祭

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 当サイトのふんどし姿は、大勢の観客の前で憚ることなく伝統文化をアピールするものであり、公序良俗に反するところはなく、どこに出しても恥ずかしいところはない。ふんどし談義は、播州秋祭・ふんどし談義を含めると、既に4年近くになるが、一度もクレームがないのは、当然のことである。高精細の鮮明なふんどし姿が躍動する私のサイトは、極めて健全であり、それ故に人気が高いと思われる。
 下着のふんどしをテーマにしたサイトは、時には顔を隠したり、ぼやかしたりして、どこか恥ずかしそうである。下着はしょせん下着であり、人に見せるものではないからだろう。「ふんどし談義」のリンクを掲載してくれたフリー百科事典ウィキペディアに掲載されている赤褌姿の写真は、2枚とも頭部がカットされている。普通アカフンと呼ばれるが、れっきとした日本古来の男性用水着で、公衆の面前で使用できる伝統衣装である。顔を隠すとはどういうことなのか、残念でならない。
 これからも、魅せるふんどし文化を掘り起こしてゆきたいと思うが、祭礼のふんどしと下着のふんどしは、ともに高温多湿の日本の気候風土に合った裸文化であるので、あまり区別することなく、広く話題を拾ってゆきたいと思う。

2005年9月25日(日)雨
■■■     道東初夏の旅」アップ! ■■■
 昨夜旅紀行ジャパン第41集「道東初夏の旅」としてアップした。北海道シリーズ第4作に当たるこの作品は、世界自然遺産に指定されたばかりの知床の町・羅臼、初夏の花々が咲き乱れる野付水道、そして釧路湿原の入口にある丹頂鶴自然公園を取材したもので、5頁48枚の作品となった。

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 2005年7月20日(水)21日(木)と一泊二日の日程で初夏の道東を旅した。初日は羽田から根室中標津(ねむろなかしべつ)空港に入り、知人の車で羅臼町(らうすちょう)に行き、羅臼温泉で一泊。二日目は羅臼から車で釧路まで行き、釧路空港から羽田に戻った。

国後島の夜明け(北海道・羅臼町)

国後島の夜明け

写真提供:羅臼海上保安署巡視船てしお

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知床半島 北海道の北東端、オホーツク海に北東方向へくさび状に突き出した知床半島は、網走支庁斜里町(しゃりちょう)と根室支庁羅臼町にまたがる。基部の幅約25km、先端の知床岬までの長さ約65km。知床とはアイヌ語のシリエトク(地の果て)からついた名で、秘境というイメージが強い。その名のとおり、知床は道内最奥で地形が険しく、冬季の厳しい気象条件から国内で最も開発の及ばない地域で、陸路は東岸で相泊(あいどまり)、西岸で岩尾別(いわおべつ)までしかなく、知床岬には船で行くしかない。
 知床は、火山や海食崖(かいしょくがい)の雄大な景観が保たれ、動植物も多いため、昭和39年(1964)に知床国立公園となった。各火山の山麓に針葉樹のエゾマツ、トドマツ、広葉樹のミズナラ、ダケカンバの原生林がある。標高500〜900m以上はハイマツにおおわれ、シレトコスミレなどの高山植物群落もみられる。
 昭和55年(1980)羅臼より斜里に至る知床横断道路(国道334号線)が開通して観光客が激増した。世界自然遺産の指定を受けて一段と観光客が増えたが、観光開発と自然環境保全との調和が大きな課題となっている。
羅臼温泉 羅臼温泉は町の中心から知床峠の方に3kmほど入った山間の羅臼川のほとりに建つ5軒ほどの湯宿である。泉質は塩化物泉、硫黄泉で、神経痛、腰痛、婦人病などに効能があるという。

知床の蝦夷鹿(北海道・羅臼町)

知床の蝦夷鹿

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蝦夷鹿 初日、羅臼温泉の「ホテル峰の湯」に宿泊した。テレビドラマ「北の国から 2002 遺言」で、ロケ隊一行が泊まったホテルである。ホテルの裏は羅臼川が流れており、蝦夷鹿(えぞしか)が毎日やってくるというので、チェックインのあと直ぐにホテルの裏に行くと、4頭の野生の蝦夷鹿と出会うことができた。
 私が近づいても逃げる様子もなく、横たわったままノンビリと反芻している牡鹿たち。まるで私のためにポーズをとってくれているようだったので、じっくりと撮影することができた。蝦夷鹿たちは常連客のようで、とても野生とは思えないほどリラックスしていた。
 撮影途中で、ホテルが飼っている犬がチェーンを外されてやってきたため、蝦夷鹿たちの表情が急に険しくなった。彼らは間もなく羅臼川を渡って対岸に避難してしまった。
 チェーンを外して犬を散歩に連れ出した人のお陰で、蝦夷鹿が川を渡るシーンや蕗(ふき)を食べる様子を写すことができた。蝦夷鹿の素晴らしい写真を撮れたことに感謝し、夜は露天風呂に入って疲れを癒し、祝杯をあげた。

海水湖とナラワラ(北海道・別海町)

海水湖とナラワラ

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野付半島 知床半島と根室半島の中間にある野付半島は北海道野付郡別海町(べっかいちょう)にあり、海流によって鳥の嘴(くちばし)のように砂が堆積した全長28kmに及ぶ日本最大の砂嘴(さし)で、今もなおその姿を変えている。北の野付水道と南の野付湾に挟まれた砂嘴の上をフラワーロードが走り、半島の付け根から野付半島ネイチャーセンターまでの15kmを結ぶ。
 フラワーロードに入って間もなく、右手にエゾカンゾウが咲き乱れる平原が一大景観をなしていた。車を止め、パノラマ写真を撮る。息を飲むほどに素晴らしい眺めで、黄色に彩られた原っぱが数キロ先まで続いている。
トドワラ トドワラは、野付湾に突き出た砂嘴(さし)の上に形成されたトドマツ林が海水や潮風に堪えきれずに立ち枯れとなって風化し、白骨のような枯木が乱立する奇観の地である。トドマツのトドに原っぱの原(ワラ)をあわせてトドワラと呼ばれるようになったらしい。
ナラワラ 野付半島のフラワーロードのほぼ中間にナラワラがある。野付湾に向かって発達したミズナラ林が海水や潮風に堪えきれずに立ち枯れたもので、ミズナラの木々が白骨化して特異な景観をつくっている。

丹頂鶴の親子(北海道・釧路市)

丹頂鶴の親子

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丹頂鶴自然公園 釧路空港から車で5分くらいのところに、釧路市丹頂鶴自然公園がある。丹頂鶴(タンチョウ)は明治の乱獲で激減して絶滅が危惧されていたが、昭和27年(1952)に国の特別天然記念物に指定され、絶滅が回避された。
タンチョウ(丹頂、丹頂鶴)は、ツル目ツル科の鳥。国産鳥類では最も大形の鳥で、全長140cmほど。 全体が白色で、喉から頸にかけてと、翼の内側の風切り羽の部分が黒色。頭頂は赤く裸出する。瞳が黒いため、遠くから見ると眼がどこにあるのか分からず、写真にも写らない。
丹頂鶴の親子 公園で沢山の写真を撮ったなかで、傑作はこの一枚。この鶴の親子、子鶴が親鶴とまったく同じ格好で歩いている。左足の格好など、そっくりである。子は親を真似て成長するというが、まさにそのとおりである。

 北海道の旅は、これで四作目となった。知床が世界自然遺産に指定されてから僅か6日後に訪問した羅臼では、偶然にも蝦夷鹿と間近に対面することができた。野付半島のエゾカンゾウの群生地や野鳥の楽園はいつまでも心に残る景観で、干潟の大切さを再認識した。
 日本一厳しい冬を堪え忍び、初夏の最も素晴らしい季節に、生きとし生けるもの全てが生を謳歌する北海道。私は、この大地が益々好きになってしまった。

2005年9月18日(日)晴

■■■  インド通信の終了に寄せて ■■■

 インド通信がとうとう終わってしまった。2004年1月4日から今日まで1年8ヵ月にわたり、丹下さんから送られてきたインドの美しい画像は、424枚を数えた。忙しいダム建設現場における兵站部門の責任者として采配を揮いながら、これだけの大量の画像と素晴らしい随筆を送り続けることは、並大抵のご苦労ではなかったと思われ、まずは、丹下さんに心から御礼申し上げたい。

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 丹下さんの画像は、観光旅行で撮影したような、うわべだけの画像ではなく、インドに住む人でなければ写し得ない画像ばかりである。着想が奇想天外で変化に富み、多岐にわたっており、インド庶民の内面に踏み込んだ深みがある。とりわけ、ウィットに富んだ語り口は、多くの丹下ファンを魅了した。インドの画像をこれだけ大量に撮り続けた例を私は知らない。

最後(424枚目)のラホール博物館/インド通信最終回

ラホール博物館

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 惜しまれながらも最終回となったのは、過酷なインド勤務を無事卒業し、東京・新宿の国際支店に復帰することになったからである。私としては、彼の栄進を率直に祝福する一方で、インド通信の終焉という事態に、一抹の寂しさを禁じ得ない。初めがあれば終わりがある。これが世の摂理であり宿命であることを自分に言い聞かせつつ、惜しまれながら花道を去る丹下さんに、再度拍手を送りたい。

 しかし、これで丹下節がWa☆Daフォトギャラリーから姿を消すわけではない。挨拶廻りや引継書の作成の合間に、自費でインドや近隣諸国の世界文化遺産の取材を実施し、大量の画像を撮影されたとお聞きしており、帰国後、じっくりと編集して感動写真集に次々と作品を追加させていただく予定である。
 丹下さんにはこれからも引き続き国内外の写真を撮影され、Wa☆Daフォトギャラリーの主要メンバーの一人としてご活躍していただけることを多くの丹下ファンとともに期待したい。

2005年9月16日(金)晴  白玉を結びて蓮葉動かざる
 
■■■     IT時代を楽しもう! ■■■
 
  1 はじめに

 ちかごろ、我々団塊の世代が大量に退職すると、労働力不足となる問題が指摘されていますが、職場でも再雇用の検討が進んでいます。ちまたでは、団塊の世代が退職して余暇を過ごすようになると、レジャー産業の特需が生まれると予想され、中でも旅行やカメラのジャンルが活況を呈するだろうといわれています。人生80年ということになれば、60歳は元気溌剌で、旅行したいと思うのは当然ですし、旅先の想い出を記録したくなります。私も5年前からそのパターンに入っており、思えば既に業界の思う壺にはまっていました。(^^;

2 パソコン

 昭和60年に熊本県警に勤務していた頃、中一の長男がパソコン(ゲーム)をしたいと言いだし、当時、高校に納入されていたNECの98シリーズと呼ばれた16ビットパソコン・VM21のセットを購入したのが、私のパソコン・ライフの始まりです。1株130万円ほどで購入したNTT株が300万円で売れたお陰で、100万円もする高価なオモチャを購入できました。

 それ以来、子供よりも父親がこのオモチャにはまってしまい、はや20年経ちました。誰もやっていなかったので、早い段階からパソコン(当時はマイコン)師匠と自称し、赴任した先々で弟子を育ててきましたので、今では全国に私の弟子がいます。パソコンは単なるオモチャでしたが、それが今では職場のメインフレームという大型電算機を駆逐し、パソコンができないと仕事ができない世の中になりました。

3 インターネット

 そして、ビル・ゲイツも予想していなかったインターネットが世界中のパソコンを結ぶ時代になり、個人が簡単にホームページを作り、世界に向けて情報発信するIT(インフォメーション・テクノロジー)時代がやってきました。日本のインフラ整備もどんどん進み、今年5月には青梅の我がマンションにも工事費ゼロでNTTの光ファイバー(Bフレッツ)が引かれ、現在4ヵ月の無料サービス期間中ですが、月4千円ほどで我が家のLANにぶら下がるパソコンとゲーム機(ソニーのプレステ)4台が実測30Mbps(メガビット・パー・セカンド)の高速でインターネットにつながっています。

 今まではADSLで、実測1.6Mbpsしか出ていませんでしたが、それでも4台が快適にインターネットしていたのです。このスピードは夢のようで、まるでパソコンの内蔵ハードディスクを読みに行っているような速さです。電話もNTTのひかり電話(光ファイバーを使ったインターネット電話)に代えましたので、従来の電話番号のままで、全国どこでも市内通話並みの料金(3分約8円)で電話できるようになりました。

(参考) 我々ユーザーは、プロバイダ(ISP インターネット・サービス・プロバイダ インターネット回線接続事業者)に月4千円ほどの接続利用料金を払うだけで、何時でもインターネットできるのですが、その回線利用料はユーザーが払っているのでしょうか。

 答えはノーで、ユーザーは回線をタダ乗りしているということです。インターネットはデジタル・パケット(小包)通信で、インターネットに接続しているルーターといわれるパソコンに隣のルーターからパケットが送られてくると、その行き先(タグ)を読み、行き先に近い隣のルーターに渡すという動作を次々と繰り返して目的地に運ぶバケツリレー方式です。「自分のルーターにきたパケットは全て自分のコストで隣のルーターに送る」というルールがあるので、利用者が回線利用料を払わなくても(払おうと思っても何処を通ってパケットが送られてゆくのか分かりませんので払いようもありませんが・・・)通信できるというわけです。インターネット電話の方も、アナログの音声をモデムでデジタル・パケット化し、インターネット回線を使って音声情報を送るので、インターネットのパソコン通信と同じように途中の費用はかからず、安く通話できるわけです。
 
 

カヌーを力漕する女性選手(青梅市・御岳みたけ渓谷)

カヌーを力漕する女性選手

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  4 楽天とアマゾン

 インターネットの楽天というショッピング・サイトは、プロ球団を持つ国内最大の仮想商店街(バーチャル・ショッピング・モール)となりましたが、まさに巨大なインターネット通販を構築したアイデアの勝利です。無名の中小企業や個人商店がリベートを払って楽天に店を構えています。我々顧客が買い物カゴに商品を入れると、楽天のレジが現れます。以後、一切の決済は楽天とやりますので、もし、不良品や商品が届かないなどのトラブルがあれば、楽天が保証してくれます。一定額以上は送料無料、量販店に行くよりも安く買えますので、大繁盛です。不良店舗はいずれ楽天が淘汰します。店子を持つ大手デパートでショッピングしているのと同じなので、安心感があります。これが大ブレークした秘密です。書籍やソフトなどはアマゾンの得意分野で、品揃えが大量にあり、安く買え、電車で店に行く手間もかかりません。大都会でも地方でも、インターネットさえできれば、全く同じ利益を享受できるのがIT時代の素晴らしいところです。

5 ネット通販利用の秘訣

 インターネットの通信販売を利用すると大変お買い得になります。例えば家電であれば家電量販店に行き、納得ゆくまで説明させ、現物を見て機種選定します。機種が決まると、そこでは買わずにインターネットで価格コム(価格.com kakaku.com)に行き、その機種の値段を調べます。価格コムは、最安値から順番に全国の店の値段を表示していますので、一番安く売っている店を知ることができます。もちろんその情報は無料です。その店をクリックするとその店のホームページに入れます。その店が楽天に入っていれば、安心して買えますし、そうでないときは、僅かな手数料を払って代引き(配達時商品を確かめてから代金を支払う方法)で買います。量販店の特売価格が10万円なら、ポイント還元を考慮しても更に2〜3万円安く買えます。インターネット通販は店を持っていませんし、店員もいないので、これだけ安く売っても儲かるのでしょう。保証はメーカーがやりますから、規格品であれば何処で買っても問題ありません。

 下取処分が必要なものなど通販では不便だと思うときは、量販店に最安値の価格を提示して値引き交渉すれば、「うちはここまでしかできません」といって値引きしてくれます。今年、エアコン3台を換装したとき、下取処分や工事が絡みますので、自宅近くの量販店で買いましたが、1台あたり特売(キャンペーン)価格よりも数万円安く買えました。この方法を知らない人は特売価格が安いと思ってしまうのではないでしょうか。量販店は、インターネット通販に比べると割高ですが、サポートなどを充実して生き残ろうとしているようです。

6 デジタル・デバイド

 情報格差(デジタル・デバイド)という言葉がありますが、コンピュータで処理できるようにデジタル化した情報を閲覧したり発信したりする手段(情報手段)を持つ者(インターネットしている人)と持たない者(インターネットできない人)との間で生ずる格差のことです。ショッピング一つにしてもこれだけの損得が生まれますので、インターネットの恩恵ははかり知れません。自宅にインターネットの手段を持たない人は、かなり損していますので、まだ導入されていない方は、安いパソコンで充分ですから、早急にデジタル・デバイドを解消されることをお勧めします。

7 ホームページ

 私は、インターネットの最大の醍醐味は、個人がホームページをつくって、世界に情報を発信できることだと思います。最近は、無料サーバーを利用してホームページやブログ(誰でも閲覧できるインターネット上の日記帳)が手軽にできるようになりました。しかし、無料サーバーは、雑居ビルに小さな部屋がぎっしり詰まっているようなもので、何時も玄関が混雑していますので、快適な通信環境は保証されません。深夜のゴールデンアワーになると、何分待ってもつながらないことが珍しくありません。いくら光ファイバーを導入しても相手方の入口が混雑していれば、通信できないのです。

 私のホームページ「Wa☆Daフォトギャラリー(わだ・ふぉとぎゃらりー)」は、6年目に入っていますが、最初は無料のサーバーからスタートしました。しかし、容量が少ないのと通信が輻輳して遅いことから有料のレンタルサーバーを使うようになりました。ホームページの容量が増えるにつれて、次々と引っ越し、以前はアメリカのヒューストンにあるレンタル・サーバーを使っていましたが、現在は、日本の SAKURA Internet を利用しており、僅か1万5千円で1年間 3GB(ギガバイト)の容量を無制限に利用できます。ここは値段が安いだけでなく、入口が太く、大容量のバックボーン(幹線道路)につながっていますので、ゴールデンアワーでもサクサク動きます。

 私のサイトは、高精細画像を5000枚以上アップ(アップロード 私のパソコンからレンタル・サーバーに送信)していますので、既に2GBの容量を使っています。これほど大容量のサイトは個人では他に例がないと思います。それでもまだ1GBほど空いていますので、ここ数年は心配ありません。ドメイン(世界に一つしかない固有のアドレス)は wadaphoto.jp (ワダフォト・ドット・ジェーピー)を取得していますので、今後、レンタル・サーバーが変わってもドメインは変わりませんので、ユーザーはwadaphoto.jp にアクセスすれば必ずつながります。
 
 
カヌーを楽しむ男性 カヌーを楽しむ女性

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  8 Wa☆Daフォトギャラリー

 ホームページをつくるだけなら、ちょっと勉強すれば誰でもできますが、問題はその中身(コンテンツ)です。多くのリピーターが頻繁に来訪してくれる付加価値の高いサイトでないとつくる意味がありません。私は5年前にホームページをスタートさせたのですが、ホームページをつくるだけなら、その2年前から可能でした。コンセプトが固まらなかったために2年間も無駄に過ごしてしまったのです。誰もやっていないことをやりたいと、あれこれ思案していたのですが、ある日、ネットサーフィンしているうちに、インターネットの画像はみんな小さく、みずぼらしいものだと気が付きました。そこで大きく綺麗な画像をアップしたら喜ばれるのではないかと思ったのです。

 もう一つは、写真館やフォトギャラリーを標榜するサイトは無数にありますが、小さなみずぼらしい写真を貼り付けて、説明も何もないところが殆どです。「どうだ、綺麗だろう。」と自慢しているだけで、何時何処で何を写したのかも分かりません。このような自己満足のサイトが掃いて捨てるほどあるのです。そこで、綺麗な写真を簡潔明瞭に説明する必要があると思いました。BGMを付けると雰囲気が盛り上がります。写真の内容もその辺にあるものでは誰も見向きませんので、世界中を旅して感動的な写真を集めようと考え、「ロマンと感動!世界の旅の写真館」というコンセプト(正確には後に整理してできあがったもの)で、2000年7月にWa☆Daフォトギャラリーを立ち上げたのです。紆余曲折がありましたが、5年後の現在、世界21ヵ国を巡る高画質写真 5,300枚、ファイル総数 24,000、ファイル総容量 2,030MBの巨大なサイトになりました。

9 ミリオンサイト

 現在、私のサイトはヤフーやグーグルなどの検索エンジンが勝手に登録して宣伝してくれます。有名になればなるほど、検索結果の上位に表示されます。大会社やプロのサイトも個人のサイトも全く1サイトとして扱われますので、完全な平等社会です。小泉さんではありませんが、人気が全てです。当初はコンテンツも少なく、1万アクセス頂くのに11ヵ月かかりましたが、中身が充実するに連れて加速度的に増加し、今年の6月、オープン5年目で100万アクセスを突破し、ミリオンサイトの仲間入りを果たしました。現在、1日1500〜2000件、5〜6日で1万件、月に5〜6万件のアクセスがあり、写真の分野では名実ともに日本一のサイトになりました。

10 感動写真集

 これだけの人が来訪するとなると、私一人の能力で期待に応えることは不可能です。そこで2003年から感動写真集というジャンルをつくり、アマチュア・カメラマンやプロの写真家の写真をお借りして、私が全て編集して作品化し、アップするようになりました。その多くは私のサイトに来られて知り合った方で、お会いしたこともない人が殆どです。「人の褌で相撲を取る」ということになったのですが、Wa☆Daフォトギャラリーの来訪者は、私の写真を見たいのではなく、感動的な写真を見に来られているので、撮影者が誰であってもかまわないと思っています。

 写真提供者は、ホームページをお持ちでない方が多いので、私のサイトを利用して世界に発信できるメリットがあります。これがまた好評で、現在、日本をはじめ南極やスイス、カナダ、スペイン、中国、インド、タイなど、約20人の原作者による58編の作品を収録しており、ゲストの期待に応えることができるようになりました。
 
 

スラローム カヤックの力漕 (多摩川・JR青梅線御嶽(みたけ)駅付近)

カヌー(スラローム カヤック)の力漕

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  11 社会貢献

 Wa☆Daフォトギャラリーは、高齢者や何らかのハンディキャップを持つ人、旅行資金が捻出できない人などが居ながらにして世界を旅行する醍醐味を味わうことができるので、大変喜ばれています。私のサイトに「お便りコーナー」を設置し、これまでいただいたお便り(email)を紹介しています。お便りを頂いた方には必ず返信していますので、両方あわせると膨大な分量になります。これを読むと、Wa☆Daフォトギャラリーを通じて素晴らしい出会いや交流、感動が生まれていることが分かります。

 私の画像は大きく高画質なので印刷して利用することができます。教育、福祉、公共事業、地域社会、ボランティアなどの分野には無償で提供しており、思わぬ社会貢献になっています。商用利用については、出版社やテレビ局、広告代理店、宗教法人などから申し込みがあります。プロの写真は使用料が高く、同じ絵柄になってしまうことから、今まで使われたことのない私の写真は、品質においてプロと変わらず、しかも安いことから注文が来るのでしょう。現在、無償・有償を含め、百科事典、教科書、学術書、単行本、雑誌、カレンダー、企業パンレット、テレビの背景、ポスターなど多方面に利用されています。

 頂いた金額は僅かですが、取材費などの補助として使わせて頂いています。最近、クリックされることで広告料がもらえるアフィリエイト広告が蔓延していますが、ホームページの品位を損なうので、私は一切使っていません。画像使用料が唯一の収入源ですが、そのお陰で、自己資金によるサイト運営の負担が軽減され、末永くホームページを続けていくことができるようになりました。これからも多くの読者にロマンと感動を提供してゆきたいと思っています。

12 終わりに

 ホームページをやっていて最大のメリットは、以前に比べて視野が広がり、感受性が豊かになったことだと思います。今までは会社人間で、四季の移ろいなどに無頓着だった自分が、知的好奇心(野次馬根性)が旺盛となり、細かなことにも目を向けることができるようになりました。「ロマンと感動」というキーワードで万物を見る習慣ができたお陰で、今まで見ていなかったものが見えてきたようにも感じます。海外を旅して、改めて日本文化の素晴らしさに気付き、日本人のアイデンティティ(日本人らしさ)とは何かを問うようになりました。神社仏閣や祭礼などを取材するうちに、日本の伝統文化に身を置く人たち(日本人をしている人たち)の生き方に共感を覚え、日本人の心のふるさとや死生観などにも思いを巡らすようになりました。

 明治政府は、国家神道を推進するため、神仏分離や廃仏毀釈を行い、仏教文化を抑圧しました。また、文明開化の名のもとに西洋文化を模倣し、高温多湿の気候風土に培われた日本の裸文化を恥と考えて抑圧しました。今となっては、この二つの政策が誤りであったことは明らかです。私は明治政府が否定したこれらの文化に日本人のアイデンティティが満ち溢れていることに気付きました。勿論、明治政府が肯定した文化にも伝統文化は沢山あります。神社や国技とされた相撲はその最たるもので、フランスのシラク大統領は大相撲の大のファンで、勧進相撲発祥の地・富岡八幡宮にも訪問されています。私はこれからも世界を旅するなかで、日本人の琴線に触れる伝統文化の昂揚に力を注ぎたいと思っています。

 今までは観光に出かけても漠然と眺めてきただけでしたが、今はホームページに作品を発表するというはっきりとした目標があり、事前に調査し、見所やどういうコースを歩くかなどを決め、限られた時間を最大限に利用する工夫をします。今まではやりっ放しでしたが、事後、大量の写真を整理し、どのような作品にするかを考え、解説に必要な資料を百科事典やインターネットで調べるなど、事前事後の調査・学習を十分にして完璧を期します。一つの作品を完成するのに大変な労力が必要ですが、作品をアップすることにより、そのテーマは自分に同化し、自分のものとなります。そして完成したときの喜び、創作の喜びがあります。傑作が生まれたときは、喜びも倍増します。将来、年金暮らしになってからも、気力・体力の続く限り、趣味と実益を兼ねたホームページの運営で、彩り豊かな人生を送りたいと思っています。 2005.9.16  和田義男  〈 完 〉
 

2005年9月11日(日)曇
■■■     わっしょい!深川祭」アップ! ■■■
 昨日、富岡八幡宮の例大祭・深川八幡祭(深川祭)の神輿連合渡御を激写した「わっしょい!深川祭」(完成版)をアップした。7頁65枚の大作となってしまったが、それだけ祭の中味が多彩で感動的だったからだと思う。

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 2005年8月12日(金)から15日(日)の間、富岡八幡宮例大祭が開催され、14日(土)は最大のイベントである神輿連合渡御が行われた。本祭りが3年毎に開催されるこの祭りは、古くから深川八幡祭(深川祭)と呼ばれ、江戸三大祭りの一つに数えられてきた。江戸時代から「神輿(みこし)深川、山車(だし)神田、だだっぴろいは山王様」といわれ、神輿祭(みこしまつり)として名を馳せてきた。

日本一の大神輿

御本社一の宮神輿

御本社二の宮神輿

高さ:14尺5寸(4m39cm) 屋根幅:9尺5寸(2m89cm) 重量:約4.5ton

 

高さ:10尺8寸(3m27cm) 屋根幅:7尺5寸(2m27cm) 重量:約2.0ton

鳳凰の胸  ダイヤ7カラット 
鳳凰の目  ダイヤ4カラット 1対
鳳凰の鶏冠 ルビー2,010個
狛犬の目  ダイヤ3カラット 2対
隅木の目  ダイヤ1カラット 4対
小鳥の目  ダイヤ1カラット 4対
屋  
 根  純金24kg
その他プラチナ、銀、宝石多数使用

鳳凰の目 ダイヤ2.5カラット 1対

御本社一の宮神輿 御本社二の宮神輿

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 江戸時代、深川に屋敷があった豪商・紀伊国屋文左衛門(きのくにや・ぶんざえもん)から八幡造り・神明造り・春日造りの三基三様の神輿が奉納され、その絢爛豪華な神輿が評判となって「みこし深川」と云われるようになった。紀文の三基の神輿は惜しくも大正12年(1923)の関東大震災で全て灰燼(かいじん)となり、以来、御本社神輿の復活は深川っ子の悲願であったが、平成3年(1991)と平成9年(1997)に、それぞれ一の宮と二の宮の神輿が奉納され、日本最大の黄金神輿が出現した。
 今年は三年に一度の本祭り。絶好の祭り日和に恵まれ、54基の町内神輿が力水に濡れ鼠になりながら、終日「わっしょい!わっしょい!」と威勢の良い掛け声と共に歩行者天国となった氏子町内の車道を練り回った。

成田山・深川不動前の神輿差し(深川祭/東京・富岡八幡宮)

不動尊神輿に阿迦を浴びせかけ

成田山・深川不動前の神輿差し / 駒番八:東陽二

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 それぞれの氏子町会は、長老や旦那衆の衣装にも工夫を凝らしている。東陽二丁目町会は、花笠に紋付き裃姿という厳(いか)めしさである。一般の町方衆だけでなく、名字帯刀を許された富豪や一部の武士たちが祭に参加した名残であろう。それもそのはず、深川祭の起源は、寛永19年(1642)、三代将軍・徳川家光の世子(後の家綱)誕生を祝ったのが始まりといわれ、360年を超える歴史を持つ。
 深川祭は都内一の規模を誇る水掛祭である。神輿が来ると、待ちかまえていた氏子たちが一斉にバケツ、ホースを持ち出して、大変な勢いで水を掛ける。途中で見てきたように、トラックの荷台にビニールシートを敷いて簡易水槽をつくり、何人もがバケツで神輿や通行人に大量の水を浴びせかけるポイントがあちこちに用意されている。大きな通りには消防車が待機しており、神輿がやってくると、目いっぱいに水を噴き上げ、まるで集中豪雨のように神輿や担ぎ手に大量の水を降りかける。カメラに水をかけられるとお仕舞いなので、今回はオリンパスE-300を使わず、耐水仕様のE-1で撮影した。
 神輿は、御神酒所前など要所要所でストップし、神輿を練り上げる。深川不動前も重要なスポットであるらしく、容赦なく水が浴びせかけられる中で、濡れ鼠になりながらも神輿が差し上げられた。

気合いの神輿 / 駒番七:東陽一

 

女の神輿 / 駒番九:東陽三

 担ぎ手の汗一升の法被かな

 

神輿舁く笑顔の女の乱れ髪

赤褌の棒端 / 駒番十九:枝川   踊り子 / 駒番十三:新川一南

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 撮影:大庭靖雄さん

 祭りの掛け声は「ワッショイ!」だと思っていたが、神田祭や三社祭など東京の祭りは「セイヤッ」に変質してしまっている。嬉しいことに、この深川祭は、日本の伝統の掛け声である「ワッショイ!」を守っている。ただし、アクセントは、「ワッ」ではなく、「ショイ」の方にあるので、少々違和感を感じる。祭りは「わっしょい」だと強く主張されたのは2005年5月に97歳で帰幽(きゆう)された鐵砲洲稲荷神社の故中川正光名誉宮司。同社のホームページに 和し背負へ(ワッショイ) という見出しで紹介されている。
 正午に永代橋を出発した神輿は、駒番順に八幡宮前に着き、祭神に神輿練りを披露した後、それぞれの町内に戻る。深川祭のメインイベントである神輿連合渡御。その中の最も晴れがましい舞台が最後の八幡宮前である。宮前では、各町会の担ぎ手たちが力を振り絞って神輿を練り上げる。神輿練には、揉み(上下に動かす)・差し(頭上に掲げる)・放り(上に放り投げる)があり、神輿が波のように動くのは見事である。中でも「放り」は重量物を投げ上げる大変危険な技だが、日頃の練習の成果を見せようと、「放り」を披露する神輿がかなりあった。
 太陽が燦々(さんさん)と照りつけるなか、全行程8.2kmの長丁場を練り歩き、八幡宮前の檜舞台で最後の神輿練りを終えると、氏子たちに安堵の表情が広がった。この後、神輿は更に東進し、それぞれの町内に戻っていった。

2005年9月4日(日)晴のち雨

■■■  サイトの容量が2ギガを突破! ■■■

 アメリカ南部を襲った超大型のハリケーン「カトリーナ」の死者は1万人を超えるとの見方もあり、大惨事になっているが、日本では台風14号が接近しており、東京も夕方から雨が降ってきた。明日から明後日に掛けて大荒れの雨模様になりそうで、心配である。

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 今日、丹下さんからインド通信「路上にて編ムンバイ」が送られてきたので、アップし、常連客に回章を廻した。インド在勤5年目を迎えた丹下さんは間もなく日本に戻ってこられる予定で、インド通信も残すところあと1回となった。今回12枚の画像が送られてきたが、そのうち8枚に拡大画像を使用した。総容量を専用ソフトで計算をしたところ、 ファイル総数 24,083、ファイル総容量 2,002.68MB となり、今日、遂に2ギガを突破した。現在のレンタルサーバーは日本の「さくらインターネット」で、年間契約で3ギガを確保している。2ギガを超えたとはいえ、まだ1ギガ残っているので、当分は大丈夫だ。

世界遺産・エローラ第16窟(インド通信第28集)

世界遺産・エローラ第16窟(インド通信第28集)

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 高精細画像は8月中旬に「鎌倉の蓮の花」をアップした際に5000枚を突破した。通常の画像は800x600ドットだが、1024x768ドット以上の拡大画像をリンクしたときに高精細画像としてカウントしている。一口に5000枚というが、これも凄い数である。継続は力なりというが、本当に巨大なサイトに成長したものだと、感慨も一入である。これからも気力体力の続く限り、このペースで作品を発表してゆきたい。読者の皆様の今後益々のご支援とご鞭撻をお願い申し上げたい。

2005年9月3日(土)晴  夕涼し爺のふんどし孫も締め

■■■  百科事典の「ふんどし」の解説にリンク! ■■■

ウィキペディア:「ふんどし」

 私は司馬遼太郎が愛用していた平凡社の世界大百科事典の電子版を愛用しているが、最近、フリー百科事典ウィキペディア(Wikipedia)というのが出てきた。色々な検索でこの事典に行き着くことがしばしばある。この事典はinternetに公開された無料の百科事典で、読者も書き込みができるというコンセプトが素晴らしい。

 この事典は文字主体で写真が少ないが、「ふんどし」の説明には赤の水褌(すいこん)姿が掲載されている。(写真下)
 

赤い六尺褌/前

   

赤い六尺褌/後



A man wearing a Japanese traditional
swimwear FUNDOSHI

-red rokushaku- frontside
赤い六尺褌/前  

A man wearing a Japanese traditional
swimwear FUNDOSHI

-red rokushaku- backside
赤い六尺褌/後
 当サイトを含め、「ふんどし」に関するinternetの記事は多数あり、玉石混淆のありさまだが、ウィキペディアには多彩な解説が載せられており、良く書けている。九尺褌やサイジなどの紹介もあるほか、女性の褌が珍しいことではないという説明まである。アダルトの解説では、褌がゲイに愛用されている実態が偏見なく紹介されている。また、「文学・漫画・アニメ・番組の中の褌」まで掲載され、宮沢りえが褌姿を公開した話など、幅広い話題が掲載されている。

外部リンクに「ふんどし談義」が掲載!

 最後に「外部リンク」という項目があり、「ふんどし」に関するサイトが紹介されている。何気なく見ていると、何と「ふんどし談義」という見出して、当サイトの ふんどし談義 がリンクされていた! 最近このページは一日300件を越えるアクセスがあるので、不思議に思っていたが、ウィキペディアにリンクされたために急増したようで、大変光栄である。 2005.9.03

2005年9月1日(木)晴
 
■■■     初夏のロッキー・ハイク」アップ! ■■■
 
   昨日の夜、感動写真集/第58集「初夏のロッキー・ハイク」をアップした。この作品は山岳写真家・南光 優さんの第14作で、2004年8月の「大姑娘山(たーくーにゃん)の花園」以来、一年ぶりの発表である。今回も海外山岳シリーズで、美しい高山植物が咲き乱れる初夏のカナディアン・ロッキー(世界自然遺産)を巡る旅で、4頁76枚の大作となった。  
 

◆◆◆

 
 

カナディアン・ロッキー・ハイキング Canadian Rocky Hiking

 
   2005年6月15〜22日、念願であった花のベストシーズン時の「カナディアン・ロッキー・ハイキング満喫(初夏)8日間」のツァーに参加した。参加人員は17名であったが、現地のガイド用専用車(10人乗り)の関係で2班に分かれ、それぞれのリーダーのもとで5日間のハイキングを楽しんだ。当方のグループはリーダーの判断により天候の状況に応じスケジュールを入れ替え、結果的に花の撮影の時は小雨混じり、山や湖がメインの時は快晴ということでラッキーであった。  
 

ウィルコックス・メドウを行く

ウィルコックス・メドウ

拡大写真(1600x1064)305KB

 
   ツァーの目的からいって当然のこととはいえ、カメラと花が好きな人たちばかりで、終始打ち解けた雰囲気の中で良い花があればカメラストップ(小休憩)、良い景色にぶつかればカメラストップ、私たちもこれだけゆっくり歩きのツァーは初めてであった。パートナーに感謝、感謝。お蔭でグループ全体、リーダーも感心するぐらいの楽しい旅行となった。  
 
五億年前の岩盤にタッチ(1350m)   巨大カール(氷食谷)をバックに
 
   そして、写真についてふれると、花の撮影では、自然保護のために、山道以外立ち入り禁止で、近くの花はマクロでピント合わせに問題ないが、離れたところに咲いている花は写すのに苦労した。この点では望遠マクロでピントが合わせ易い家内のカメラ(ファインダーで花の中心の映像が4倍に拡大)の勝利という感があった(前回の大姑娘山の時の岩棚の上に咲くブルーポピーも彼女の作品)。以前は私のレンズ持ちの助手的存在であったが、近年山野草の花の撮影に熱中して腕を上げ、このシリーズの整理をしていたら家内の写真がかなり入り込み、二人合作という結果になった。悲しいやら、嬉しいやら、、、、〈 完 〉  
 

 
 
2005年9月1日(木)晴  南光 優   様より  感動写真集

カナディアン・ロッキー 
こんばんは。昨日から福井に出張、9時半ごろ帰宅し食後一服している間に寝込んでしまい、先ほど眠りから覚め、パソコンを開いたら、和田さんからうれしいメール、いっぺんに目がパッチリ!!

次々と大作をご発表されお忙しい中、当方のカナディアン・ロッキーにお時間をお割き頂き、素晴らしい作品に仕上げていただきありがとうございました。家内もお送りしたアルバム的CDから解説も入れていただき、誰が見ても楽しく見れるよううまく編集されておられることに超感心いたしております。二人とも大満足です。本当にありがとうございました。

先ずは御礼まで。       南光 優、 桂子
 
南光 様 おはようございます。一年ぶりの大作に奥様ともどもご満足いただいたようで、嬉しく思います。世界自然遺産にふさわしい大景観と美しい高山植物の数々。双方をものの見事に捉えた「初夏のロッキー・ハイク」は、「大姑娘山の花園」とともに他の追随を許さない南光さんならではの作品ですね。何度見ても素晴らしいと思います。

私も10月はじめに家内とカナディアン・ロッキーに行き、秋の景観を切り取ってくる予定です。また違った雰囲気を出せれば良いなと思いますが、編集をしていて、天候次第で作品の良否がほとんど決まってしまうことに改めで気づきました。秋は天候不順が予想されますので、「天祐我にあれ」と祈るばかりです。(^^;

全国に南光さんを目指すアマチュア・カメラマンや多くの南光ファンがいます。これからも奥様と二人三脚で、南光さんでないとなし得ない感動的な作品を期待しております。どうか宜しくお願いします。有り難うございました。
 

 

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