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2008年8月12日改訂

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medley 'Heidenröslein(Franz Schubert & Heinrich Werner)/野ばら'

やはらかき夏日染み入る書斎かな   北舟

 

Gently the summer sun shines, deep into the library.

2008年8月12日制作

ゲーテの書斎

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ゲーテの書斎/フランクフルト(ドイツ)

 南ドイツの旅・下

フランクフルト

 6月18日(水)午前中、ヴュルツブルクを観光したあと昼食をとり、ツアーバスで120km、約2時間西方に移動してフランクフルトに入り、夜のドイツ出国まで、市内を観光した。

 

フランクフルト中央駅

フランクフルト中央駅

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フランクフルト・アム・マイン Frankfurt am Main
 

 人口66万人を擁するフランクフルト・アム・マインはドイツ西部の都市でライン川の支流の一つ、マイン川の下流域に位置する。略記は FfM 。政治都市である首都ベルリンに対する経済の中心都市で、ニューヨーク、東京、ロンドンに次ぐ世界経済の重要拠点であり、欧州を代表する世界都市である。

 
ドイツ鉄道(DB)が誇る新幹線「ICE」

ドイツ鉄道(DB)が誇る新幹線「ICE」

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 単にフランクフルト Frankfurt と呼ばれることも多いが、ドイツにはポーランドとの国境付近にもう一つのフランクフルトがある。そちらはフランクフルト・アン・デア・オーダー(オーデル川沿いのフランクフルト Frankfurt an der Oder )という。双方を区別するため、アメリカのワシントンD.C.のように「アム・マイン(マイン川沿の)」を付す。

 

フランクフルトの中心地・レーマー広場

        ニコライ教会

旧市庁舎↓

フランクフルトの中心地・レーマー広場

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レーマー広場 Römerberg
 

 レーマー広場とその周辺のマイン川河畔では、ゲーテハウス(ゲーテの生家)など第二次世界大戦で破壊された旧市街の建造物が復元されている一方、ドイツ銀行、コメルツ銀行、ドレスナー銀行などドイツを代表する多くの銀行の本店が入居する超高層ビルが林立する一角もあり、「マインハッタン」(マイン河畔のマンハッタン)の異名を持つなど、他のドイツの都市とは異なった趣の町並みをしている。

 

木組みの家

木組みの家

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旧市庁舎 Römer
 

 切妻屋根の美しい3棟の建物で、中央がレーマーと呼ばれる旧市庁舎である。レーマーの2階には、神聖ローマ帝国新皇帝の戴冠式後の祝宴が行われた「皇帝の広間・カイザーザール Kaisersaal 」があり、52名の歴代皇帝の等身大の肖像画が並んでいる。

 

旧市庁舎レーマー

旧市庁舎レーマー

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仮面の女

仮面の女

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バルトロメウス大聖堂 Dom
 

 13〜15世紀に建設されたゴシック様式のバルトロメウス大聖堂は神聖ローマ帝国皇帝の選挙と戴冠式が行われた教会で皇帝の大聖堂「カイザードーム」とも呼ばれている。高さ95mの塔は、1415年に建設が始まり、完成したのは1877年というから、完成するまでに460年という気の遠くなるような年月がかけられている。

 

バルトロメウス大聖堂

バルトロメウス大聖堂

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写真:フリー百科事典 Wikipedia

 
マイン川 Main
 

 マイン川はバイエルン州に水源があり、東からフランケン地方を抜けて西に横断し、ヘッセン州のマインツでライン川に合流する。全長は524km。ライン川右岸の支流中、最長の川である。

 
 中央ヨーロッパの大きな河川としては珍しく東から西に向かって流れている。川筋に沿ってフランケンの中低山地、歴史的な小都市、ヴュルツブルクの独特なシルエット、フランケンワインの産地が点在する。河口のすぐ上流には、多くの橋が架かり、フランクフルトの中心街を結んでいる。
マイン川を遡上する胴長のコンテナ船

マイン川を遡上する胴長のコンテナ船

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ゲーテハウス Goethehaus
 

 「若きヴェルテルの悩み」「ファウスト」などで知られるドイツの文豪ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテは、1749年にフランクフルトで生まれた。皇帝顧問官であったヨハン・カスパール・ゲーテを父とし、フランクフルト市長の娘であったカトリーヌ・エリーザベト・ゲーテを母としていたため、当時のゲーテ家は、フランクフルトでも屈指の名家であった。

 
   このゲーテの生家は、第二次世界大戦の爆撃によって、ほぼ完全に破壊されてしまったが、戦後、忠実に復元された。調度品は、疎開させていたため、戦災を免れることができたという。  
忠実に復元されたゲーテハウス

忠実に復元されたゲーテハウス

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ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ Johann Wolfgang von Goethe
 

 ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ(1749年8月28日 - 1832年3月22日)はドイツの詩人、劇作家、小説家、科学者、哲学者、政治家。特に文学において優れた作品を多く残し、シュトゥルム・ウント・ドラング*とヴァイマル古典主義**を代表する作家。ドイツ語では[gø:tə](oeはöと同義文字で、グーテ)と発音する。

 
*シュトゥルム・ウント・ドラング:18世紀後半にドイツで見られた革新的な文学運動。日本では「疾風怒濤」と訳された。
**ヴァイマル古典主義:ギリシャ・ローマの古典古代を理想と考え、その時代の学芸・文化を模範として仰ぐ主義で、ゲーテのイタリア紀行をもって初めとする。
1828年ゲーテ70歳のときの肖像画

1828年ゲーテ70歳のときの肖像画

 ドイツの作家。青年期の抒情詩や戯曲「ゲッツ」、書簡体小説「若きウェルテルの悩み」で疾風怒濤期の代表者となる。ワイマール公国での政治家生活のかたわら、イタリアで美術を研究。以後古典主義に転じ、シラーと親交を結び、自然科学の諸分野でも研究の成果を上げた。戯曲「エグモント」「ファウスト」、小説「ウィルヘルム=マイスター」「親和力」、叙事詩「ライネケ狐」「ヘルマンとドロテーア」、自伝「詩と真実」、「イタリア紀行」、「西東詩篇」など。(広辞苑)

 
ゲーテの書斎

ゲーテの書斎

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  やはらかき夏日染み入る書斎かな  北舟 

やわらかき なつびしみいる しょさいかな

Gently the summer sun shines, deep into the library.

板張りの居間

板張りの居間

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♪ 野ばら Heidenröslein
 
   BGMに流れる美しい曲は、「野ばら」のメドレー。最初の曲は1771年ゲーテが22歳のときに作った詩にシューベルトが1815年に作曲したもの。次の曲は1829年にウェルナーが作曲したもの。双方とも近藤朔風(こんどう さくふう)によって日本語の訳詞がつけられ、学生唱歌として紹介された。  

ドイツ南部のシュヴァーベン高原に建つホーエンツォレルン城に咲く薔薇

ドイツ南部のシュヴァーベン高原に建つホーエンツォレルン城に咲く薔薇

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   ゲーテの詩には150人ほどの人が曲を作っているが、この2曲が世界的に知られている。私は、ドイツ語で歌うシューベルトの野ばらが一番美しく、心に響く。大学の第二外語としてドイツ語を習ったが、この曲だけは暗記しており、今でも「ザー・アイン・クナープ・アイン・ルースライン・ステーン・・・」と口ずさんでいる。  
 

 
 

Heidenröslein
Johann Wolfgang von Goethe / Franz Peter Schubert & Heinrich Werner

1. Sah ein Knab ein Röslein steh'n,
 Röslein auf der Heiden,
 War so jung und morgenschön,
 Lief er schnell, es nah zu senh'n,
   Sah's mit vielen Freuden.
   Röslein Röslein Röslein rot,
   Röslein auf der Heiden.
少年が一本の薔薇を見つけた、
荒野の薔薇を、
薔薇は生き生きとして朝のように美しく、
少年はもっと近くで見ようと走り寄って、
とても喜んでそれを眺めた。
薔薇よ、薔薇よ、赤い薔薇よ、
荒野の薔薇よ。
2. Knabe sprach: Ich breche dich,
 Röslein auf der Heiden!
 Röslein sprach: Ich steche dich,
 Daβ du ewig denkst an mich,
   Und ich will's nicht leiden.
   Röslein Röslein Röslein rot,
   Röslein auf der Heiden.
少年は言った「おまえを手(た)折るぞ、
荒野の薔薇よ!」
薔薇は言った、「あなたを刺しますよ、
いつまでも私を忘れられないように、
私は我慢するわけにはいきません」
薔薇よ、薔薇よ、赤い薔薇よ、
荒野の薔薇よ。
3. Und der wilde Knabe brach
 'sRöslein auf der Heiden;
 Röslein wehrte sich und stach,
 Half ihm doch kein Weh und Ach,
   Muβt' es eben leiden.
   Röslein Röslein Röslein rot,
   Röslein auf der Heiden.
そして乱暴な少年は手折った、
荒野の薔薇を。
薔薇は逆らって刺したが、
悲鳴や絶叫も役立たず、
結局我慢するほかはなかった。
薔薇よ、薔薇よ、赤い薔薇よ、
荒野の薔薇よ。

★☆★彡

近藤朔風の訳詞

    シューベルトの「野ばら」

     ウェルナーの「野ばら」

    童(わらべ)は見たり 野中のばら
    清(きよ)らに咲ける その色愛(め)でつ 
    あかず眺(なが)む 
    紅(くれない)におう 野中のばら 
 
    手(た)折りて行かん 野中のばら 
    手折らば手折れ 思い出ぐさに  
    君を刺さん 
    紅におう 野中のばら  
 
    童は折りぬ 野中のばら  
    手折りてあわれ 清らの色香(いろか)  
    永久(とわ)にあせぬ
    紅におう 野中のばら
      童は見たり 荒野のばら
     朝とく清く 嬉しや見んと
     走りよりぬ
     ばら ばら赤き 荒野のばら
 
     われは手折らん 荒野のばら
     われはえ耐えじ 永久に忍べと
     君を刺さん
     ばら ばら赤き 荒野のばら
 
     童は折りぬ 荒野のばら
     野ばらは刺せど 嘆きと仇に
     手折られにけり
     ばら ばら赤き 荒野のばら
 
 

 
 近藤朔風(こんどう さくふう)(本名:近藤逸五郎、1880年2月14日 - 1915年1月14日)は、兵庫県出身の訳詞家。東京外国語学校卒。多くの歌曲を訳し、犬童球渓、津川主一、緒園凉子、堀内敬三らと並んで翻訳唱歌、翻訳歌曲の定着に貢献した。明治42年(1909)の『女聲唱歌』(天谷秀との共編、ピアノ付き全25曲)に「ローレライ」他を発表し、それまで作詞に近かった翻訳唱歌に訳詞を本格的に持ち込んだ。
 近藤朔風は、同じゲーテの詩でありながらシューベルトの曲とウェルナーの曲とでは違った訳詞をつけている。どういう意図があったのか分からない。最近はシューベルトの「野ばら」の訳詞でウェルナーの「野ばら」を歌う歌手が多い。BGMのメドレーもそうなっている。シューベルトにつけた訳詞の方が明らかに優れているからだろう。

 ゲーテハウスの見学を最後に南ドイツの旅は終わった。JL0408便は、午後9時過ぎフランクフルト空港を離陸して日本に向かったが、1時間半後に高度10,000mの上空から北海の荘厳な夕焼けが見えた。太陽は殆ど沈まず約11時間のフライトのあと、6月19日(木)午後3時半ころ、無事に成田空港に到着した。

 
北海の夕焼け  2008.6.18  22:40

北海の夕焼け  2008.6.18  22:40

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和田義男

 
撮影(上中下)


2008年6月12-18日

OLYMPUS  
E-3 E-510
 
 

12-60mm 70-300mm

1000万画素 4095枚 8.58GB
 
 

 17頁290枚を費やした三部作がやっと完結した。実質6日間の旅だったが、中味はリッチで、長編になってしまった。過去に北欧4ヵ国の430枚があるので、今回、スイス夏の旅の275枚を抜いて二番目の長さとなった。
 大学では第二外語にドイツ語を専攻したが卒業後ドイツ語を使う機会は殆どなく、日本とは縁の薄い国だと思っていた。
 敗戦後、ドイツが日本と同じように驚異的な復興を成し遂げたのは、豊かな文化と豊穣な国土によるもので、今回の旅でその秘密が分かったような気がして、親近感が湧いてきた。
 今回、BGMに力を入れ、数えてみるとドイツ語と日本語をあわせて17枚のCDから選曲している。「野ばら」「菩提樹」「エリーゼのために」「アヴェ・マリア」「別れ(ムシデン)」「故郷を離るる歌」など、学校で習った曲も多く、ベートヴェンの田園や第九、ワーグナーの「ワルキューレ」など、クラシック音楽を加えると、昔から多くのドイツ音楽に親しんでいたことに気がつき、決して縁の薄い国ではないことを実感した。

特集!旅紀行第76集 「南ドイツの旅・下」

撮影・制作 : 和田義男

 平成20年(2008)8月12日 作品:第23作 画像:(大66+小7) 頁数:5 ファイル数:150 ファイル容量:45.1MB
  
平成12年(2000)〜平成20年(2008) 作品数:294 頁数:1,042 ファイル数:35,240 ファイル容量:5,413MB
【編集子が選ぶ名作】

谷間に建つノイシュヴァンシュタイン城

谷間に建つノイシュヴァンシュタイン城

パノラマ写真(2350x1100)566KB

 世界遺産に指定されたものを含め多くのドイツ旧市街を見て回ったがどれも身を守るために城壁を巡らし、日々外国の侵略におびえながら生活せざるを得なかった人々のことを思うと周囲を海という巨大な濠に守られ空気と水と安全をただのように思ってきた日本がどれほど恵まれた国であるかを改めて認識し、平和の尊さを噛みしめる旅だった。  〈 完 〉  2008.8.12  北京オリンピックで北島康介が金を取って湧いている日  和田義男

 
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