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▼ 平成25年(2013)6月16日(日)から26日(水)までの11日間、家内と二人でアメリカ合衆国ハワイ州の避暑地として知られるハワイ島とオアフ島を旅した。今回はグループ・ツアーには参加せず、HIS利用による個人旅行で、希望に合致した航空便とホテルを手配してもらい、後は全て現地のオプショナル・ツアーに参加した。以下は、ハワイの旅/前編「感動のハワイ島」に引き続く後編「魅惑のオアフ島」である。 |
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【凡例】
▲:上の画像の説明文 ▼:下の画像の説明文 〈画像の左クリック〉:別窓に拡大写真を表示 |
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■ 旅の概要 ■ |
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1日目 2013年6月16日(日) 成田空港 20:00〜DL638〜ホノルル空港〜HA208〜11:40 コナ空港 コナ4泊
2日目 2013年6月17日(月) ハワイ島 静養・コナ市内観光 夜ルアウ・ショー観賞
3日目 2013年6月18日(火) ハワイ島 島内一周観光
4日目 2013年6月19日(水) ハワイ島 静養・コナ市内観光
5日目 2013年6月20日(木) コナ空港 13:03〜HA317〜 13:47 ホノルル空港 ホノルル5泊
6日目 2013年6月21日(金) オアフ島 静養・ ホノルル市内観光 午後ポリネシア文化センター見学
7日目 2013年6月22日(土) オアフ島 静養・ ホノルル市内観光
8日目 2013年6月23日(日) オアフ島 静養・ ダイヤモンド・ヘッド登山、市内観光
9日目 2013年6月24日(月) オアフ島 静養・ ビショップ博物館見学、ホノルル市内観光
10日目 2013年6月25日(火) ホノルル空港 10:30〜DL639〜機中泊
11日目 2013年6月26日(水) 〜14:10 成田空港 |
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▲ 1,545.3km2の陸地にハワイ州の8割にあたる約90万人が暮らすオアフ島は、ハワイ諸島で3番目に大きな島で、州都ホノルル市を擁し、ハワイ州の政治、経済、観光の中心地となっている。 |
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島の南東部に位置するホノルルに主要施設が集中しており、ホノルル国際空港や港湾があり、隣島への集散地となっている。 |
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ホノルル
Honolulu
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▲
,かつてはハワイ王国の首都がおかれていた人口37万人のホノルルは、ハワイ州とオアフ島最大の都市で、アメリカの太平洋地域における政治、経済、文化の中心地である。また、太平洋上の交通の要所として栄え、港や軍事基地、国際空港などがある。 |
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市の中心部は、さまざまな企業の高層ビルやホテル、コンドミニアムなどが建ち並ぶ一方で、天然のビーチなど観光スポットにも恵まれ、1年を通して日本人を始め世界各国から多くの観光客が訪れる。 |
市内には、ワイキキ・ビーチやクヒオ・ビーチなどの海水浴場をはじめ、ダイアモンドヘッド、アメリカ最古の中華街、アメリカ唯一の宮殿・イオラニ宮殿などの観光スポットがある。また、ハワイ州の高等教育の拠点であるハワイ大学
University of Hawaii
の本部キャンパスが同市マノア
Manoa 地区にある。 |
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R&C
TOURS
の送迎車でホテルに向かう / ホノルル国際空港 14:17
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■ 五日目6月20日(木):
コナ空港 13:03〜HA317〜 13:47 ホノルル空港 ホノルル5泊 ■ |
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▲▼ ツアー五日目は、移動日。ハワイ島から実質30分ほどのフライトの後、ホノルル国際空港に到着。R&C TOURS
の出迎えを受け、送迎車に乗り込み、約30分ほどでワイキキのDFCギャラリアに到着。二階にある
R&C TOURS
でオリエンテーションを受け、ワイキキ・トロリーの5日間無料パスをもらい、オプショナル・ツアーを申し込んだ後、歩いて5分足らずのワイキキ・パーク・ホテルにチェックインした。しばらく休んでから1996年以来17年ぶりとなるワイキキを散策した。 |
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ワイキキ
Waikiki
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▲▼ ハワイ州都ホノルルの南岸中央部に位置するワイキキには、ホテルやコンドミニアム、ショッピング・センターなどが林立し、世界有数のリゾート地帯となっている。 |
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「ワイキキ」はハワイ語で「水が涌くところ」の意味で、元々は湿地帯であり、ハワイが独立国であった19世紀末までは、ハワイ王朝の王族の閑静な保養地だった。 |
それまで土地所有の概念がなかったハワイであるが、1846年には、土地の所有権を定める条例、「グレート・マヘレ(Great
Mahele、土地改革)」が施行され、ワイキキにおいても大部分の土地が瞬く間に白人の所有となった。 |
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▲ ハワイ港やホノルル市のダウンタウンから至近の距離にあったこともあり、1898年にハワイがアメリカの自治領として併合された3年後の1901年に「モアナ・ホテル」がワイキキ初の大型ホテルとして開業した。 |
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以来、1910年代から1920年代にかけて、「ロイヤル・ハワイアン」や「ハレクラニ」など、大型客船でハワイを訪れるアメリカ人観光客を狙ったアメリカ本土資本のホテルが次々に建設され、大型観光リゾートエリアへと発展していった。 |
ワイキキ・ビーチは、もともと泥地で砂浜はなく、1920年代から1930年代にかけて、オアフ島北部のノースショアとカリフォルニア州のマンハッタン・ビーチから白砂を運んで作られた人工海浜である。 |
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5泊したホテル WAIKIKI PARC
HOTEL / ホノルル(オアフ島)
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ワイキキ・パーク・ホテル
Waikiki Parc Hotel
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▲▼ 我々夫婦が5連泊したワイキキ・パーク・ホテルは、ワイキキ・ビーチに面するハレクラニとシェラトン・ワイキキの後背地に建つのっぽビルである。HIS
(エイチ・アイ・エス)立川店のハワイに詳しい担当者から推挙されて決めたもので、ダイヤモンドヘッドは見えないものの、上層部はオーシャン・ビューとなっており、ワイキキ・ビーチに水着のまま往復できるという立地の割にリーズナブルな価格で、穴場ともいえるホテルだった。 |
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ハレクラニの後背地に建つワイキキ・パーク・ホテル20階2017号室から見るオーシャン・ビュー / ワイキキ(オアフ島)
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←南 |
↓・・・・・・・・・・・・ リゾート・ホテル 「ハレクラニ
Halekulani
」 ・・・・・・・・・・・↓ |
西↑ |
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デューク・カハナモク像
Duke Kahanamoku Statue
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▼ ワイキキビーチには、伝説のサーファー、デューク・カハナモク(1890-1968)の高さ約5mの像がサーフボードを背にして立っている。この像は、彼の生誕100年を記念して建てられたもの。 |
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彼は、オアフ島で生まれた水泳選手であり、サーファーである。水泳選手としては、1912年のストックホルム五輪と1920年のアントワープ五輪で100m自由形のゴールド・メダリストとなり、ハワイアンの実力を世界に示した。その後、サーフィンをプロ・スポーツとして世界中に広め、海洋スポーツにおけるハワイアンの英雄として尊敬されている。 |
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デューク・カハナモク像で記念写真 /
ワイキキ・ビーチ
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クヒオ・ビーチ
Kuhio Beach
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ワイキキ・ビーチの東隣にあるビーチがクヒオ・ビーチで、全体がビーチ・パークとなっている。砂の浸食を食い止めるために造られた防波堤
The Wall
の内側が海水浴場になっている。防波堤があっても砂が沖へ流されていくため、ワイキキの沖からまたすくいあげてクヒオ・ビーチに戻しているという。 |
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クヒオ王子
Prince Kuhio
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クヒオ・ビーチ・パークの一角にハワイ王朝最後の女王リリウオカラニの従兄弟(いとこ)にあたるクヒオ王子の銅像が立っている。彼は1871年にカウアイ島で最高官デビット・カハレポウリとキノイキ・ケカウリケ女王の間に生まれた。 |
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ハワイ王朝が崩壊し、ハワイが米国に併合された後の1902年、米国下院議員に選出され、ハワイアンの政治家として初めてアメリカ議会に出席し、アメリカの領土となったハワイで生涯ハワイアン擁護のために尽くし、人々から「庶民の王子」と呼ばれ、王族で最もハワイアンに愛された人といわれている。 |
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クヒオ王子の銅像 /
クヒオ・ビーチ 18:00
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▲▼
王国崩壊による数奇な運命をたどったクヒオ王子の名は、王朝の末裔として、その活躍を後世に残すべく、ビーチの名ばかりでなく、連邦庁舎ビル、ワイキキの目抜き通り、そしてホノルルから東に延びる幹線道路の名として残されている。 |
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彼の誕生日の3月26日は休日となり、ワイキキのカラカウア通りでパレードが開催される。また、生まれ故郷のカウアイ島では、一週間にわたって様々なイベントが開催されるという。
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クヒオ・ビーチ・フラ・ショー
Kuhio Beach Hula Show
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▼ クヒオ・ビーチ・フラ・ショーは、ホノルル市とハワイ・ツーリズム・オーソリティ
HTA、ワイキキ・インプルーブメント・アソシエーション
WIA
の共催により火・木・土・日の週4日18:30〜19:30に開催される無料のフラ・ショーである。 |
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場所は、ワイキキ・ビーチのデューク・カハナモク像の東側にある芝生の会場で、地元のフラ・ハラウ(フラ学校)に通うダンサーたちが巨大なバニアン・ツリーの前のステージ(フラ・マウンド)の上で、日頃の練習の成果を披露する。出演するハラウは日替わりなので、
毎回違ったショーが楽しめる。 |
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フラ・ショーの開始を告げるプー
Pu (法螺)の吹鳴 / クヒオ・ビーチ
18:31
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▲▼
フラ・ショーの開始を告げるプー Pu
(法螺貝)が吹き鳴らされ、トーチ(たいまつ)に火がともされる儀式は、ハワイ王朝時代からの伝統である。 |
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ハワイの男性は、かつてはマロ(褌)一丁で踊っていた(フラ・カヒコ)。近年、その文化的価値が見直されつつあり(ハワイアン・ルネッサンス)、2005年に撮影された写真では、赤褌姿の男性がプーを吹いていた。 |
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▼
この日は、木曜日だったので、幸運にもフラ・ショー
を見ることができた。ハワイ島編で学習したように、この日の踊りは、ズボンの男性を見て分かるように、西洋文化が入ってから生まれたフラ・アウアナである。伴奏は、定番のウクレレ
'ukulele とギターである。 |
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美しいバニアン・ツリーの舞台と芝生の観客席 / クヒオ・ビーチ
18:44
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▼ 男女のダンサーが手に持つウリ・ウリ
`uli`uli
は、ハワイの伝統楽器で、ココナッツや瓢箪の中に種などを入れ、マラカスのように振って音を鳴らす。片方には鳥の羽を円形に並べた飾りが付いている。 |
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1784年にキャプテン・クックがハワイ島に上陸したときに羽をつけたウリウリを持って踊っている様子が描写されている。瓢箪でできた打楽器イプヘケ
ipu heke
と共にハワイを代表する楽器である。 |
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ウリ・ウリを持って踊るフラ・
アウアナ / クヒオ・ビーチ 18:44
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▼ プイリ
pu'ili
は、竹でできた2本1組の打楽器で、
両手に握り、先端部分を胸の前や頭の上でクロスして打ち鳴らしたり、上腕部分に軽く打ちあてて音を出す。 |
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長さが50cmほどで、先端から根元にかけて4分の3くらいまで細く割かれており、その部分を互いに打ち付け合うことで響きのある良い音が出る。 |
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2本のプイリを持つ健康的なフラ・ダンサー /
クヒオ・ビーチ 18:45
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▲▼
このフラで使った打楽器は、ウリウリ、プイリ、イプの3種類。瓢箪の一部を切り取って作ったイプ
ipu
は、大きさ、厚みなどによって音が異なるとても繊細な楽器で、くびれた部分を左手で握り、右手でイプの右側面の下の角を親指の付け根で打つ音と指のはら全体でたたく音の2種類が出せる。 |
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資料映像 |
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▼ フラで使われる腰蓑は、モレ
more
と呼ばれ、ハイビスカスの一種のプーラウ purau
という木の内皮で作られる。 |
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ナチュラル・カラーのモレ(腰蓑)が広がる熱演 / クヒオ・ビーチ
18:45
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▼
フラ・ショーを見ていたとき、突然、クヒオ・ビーチに巨大な虹がかかった。ショーの最中にシャワー(通り雨)に見舞われたのだが、偶然にも晴れ間から太陽が顔を出し、美しいレインボーが現れた。何と幸運なことだろう! |
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♪ 珊瑚礁の彼方に
Beyond
the Reef |
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● この頁に流れるBGMは、Jack Pitman
作詞・作曲による名曲「珊瑚礁の彼方に」のメドレー。
ギター演奏曲が2曲(バディ・メリル〜ベンチャーズ)にヴォーカル3曲(ビング・クロスビー〜ヴィック・ダモン〜エルヴィス・プレスリー)が入っている。 |
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雲の上に架かるミラクル・レインボー /
クヒオ・ビーチ
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♪
Beyond The Reef は、ワイキキでピアノを弾いていたカナダ人のジャック・ピットマンが1948年に書き、アルフレッド・アパカによって最初に録音され、すぐにビング・クロスビーが歌って大ヒットした。ブルー・ハワイと違って、女性の失恋の歌だが、味わい深いものがある。歌詞の適切な和訳がないので、私が原文に忠実に訳した。 |
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Beyond The Reef |
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珊瑚礁の彼方に
(和田訳) |
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Beyond the reef |
珊瑚礁の彼方に |
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There'll be no tears |
やがて涙は流れなくなり
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Where the sea is |
暗く冷たい |
There'll be no
regretting |
後悔もしなくなるだろう |
dark and cold |
海があるところへ |
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My love has gone |
私の愛する人は行ってしまった |
Will he remember me |
彼は私を思い出すだろうか |
And our dreams grow old |
そして私の夢は古くなるばかり |
Will he forget |
彼は私を忘れるだろうか |
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II'll send |
私は送ろう |
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Someday |
いつの日か
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a
thousand flowers |
千本の花を |
I know |
私は知っている |
When |
貿易風が |
He'll come back |
彼が私の元へ |
the tradewinds
blow |
吹くときに |
again to me |
再び帰ってくることを |
I'll send |
私は送ろう |
Till then |
そのときまで |
my lonely heart |
私の寂しいハートを |
my heart will be |
私のハートは |
For |
だって |
Beyond the reef |
珊瑚礁を越え続けるだろう |
I love him so |
こんなにも彼を愛しているんだから |
(refrain) |
(繰り返し) |
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虹の下で踊る感動のフラ・ショー /
クヒオ・ビーチ 18:55
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ハワイアン・ミュージック
Hawaiian Music
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▲▼ ハワイアン・ミュージック
Hawaiian Music
は、ハワイで演奏される伝統的なハワイ民族音楽やハワイアン・ポップスを指す。単にハワイアンといわれることもある。 |
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1890年代にハワイ独特の楽器としてウクレレと共にスティール・ギターやスラックキー・ギターが生み出され、1920年ごろにはこうした弦楽器を弾きながらソロ・ボーカルやコーラスを楽しむハワイアン・ミュージックの標準的なスタイルが確立された。 |
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はわいふら くひおにかかる にじのはし |
Hawaii Hula, a rainbow bridge over the Kuhio. |
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ウクレレ
'ukulele
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▲▼ 奏者3人のうち中央の女性が手にするウクレレ
'ukulele
は、フレット(ネック/棹に施された棒状の突起)のある小型4弦のギターによく似た弦楽器で、ハワイアン・ミュージック定番の楽器である。 |
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ポルトガル移民が持ち込んだブラギーニャ braguinha
と呼ばれる楽器を起源とし、ハワイで独自に改良が重ねられて現在の形になったという。 |
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ウクレレという言葉は、ハワイ語で「ノミ
'uku
飛び跳ねる lele
」という意味で、当時の人気奏者のあだ名から取られたとも、小さな楽器の上で奏者の指が目まぐるしく動く様を表現したともいわれている。 |
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ウクレレには4つのサイズがあり、小さいものから大きいものへと順にソプラノ、コンサート、テナー、バリトンと名付けられている。バリトンウクレレは、サイズ・スケールともにテナーギターと同一。 |
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資料映像 |
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スチール・ギター
steel guitar
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▼ ウクレレと共にハワイアン・ミュージックを特徴付けるのは、
ハワイで生まれたスチール・ギター steel
guitar で、ウイーンとうなる独特の音色は、ハワイアンならではの味がある。 |
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ギターを水平に置き、左手の指やスライドバーで弦を押さえ、右手のピックで弾いて演奏する(左利きの場合はこの逆)。通常のエレクトリック・ギターやアコースティック・ギターに比べて演奏が難しいといわれており、写真下のような専用のスチール・ギターもある。 |
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なお、スラックキー・ギター
Slack-key guitar
もハワイアン・ミュージックでよく使われるが、ギターの種類や形式ということではなく、ギターのチューニングと奏法の総称である。 |
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資料映像 |
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■ 六日目6月21日(金):
ホノルル市内観光 午後ポリネシア文化センター見学 ■ |
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▼ ツアー六日目は、午前中、DFSギャラリア・ワイキキ前からワイキキトロリー・レッドラインに乗車し、車上からホノルル市内の下見を行い、午後、オプショナル・ツアーでポリネシア文化センターに行った。 |
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DFSギャラリア(右)前
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DFSギャラリア・ワイキキ
DFS Galleria Waikiki
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DFS
(
Duty Free Shop
)
ギャラリア・ワイキキは、ワイキキの中心地に建つ公認免税店。世界のトップブランド品が免税価格で購入できるところだが、我々夫婦としては、高級ブランド品を買うためにハワイに行った訳ではないので、そちらの方は余り関心がない。 |
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それよりも旅行客としてHISの事務所でガイダンスを受けたり、ワイキキトロリーの離発着場としてお世話になった。建物の中は冷房が効いているので、ソファーで休む場所としても活用させてもらった。 |
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ワイキキトロリー・レッドラインのコース(40分間隔 一周80分)
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ワイキキ・トロリー公式サイト |
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ワイキキトロリー・レッドライン
Waikiki Trolley Red Line
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▲ 今回利用したワイキキトロリー・レッドラインは、ワイキキとダウンタウンを結ぶコースで、ハワイ王朝時代から現代に至るホノルルの歴史やハワイの文化に触れられるところが素晴らしく、40分間隔
、1周80分で運行している。 |
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このコースは、ダブルデッカー(2階建てバス)が導入されたため、車高が高くててDFSギャラリア内のバス乗り場には入れないので、正面入口の前から乗降することになる。順番待ちの待合室は中のバス乗り場にあるので、入口で待つと、乗車は最後になってしまうので注意したい。
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ハワイのバスストップには、その標識やバスストップ名の表示がないという日本では考えられない現状だが、ワイキキトロリーの全てのバスストップには、少なくともロゴの入った小さな標識があるので、安心して利用できる。ただし、目立たないため知らないところでは探すはめになるので、それなりの覚悟が必要。
ワイキキトロリー公式サイト
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一方通行(東行)のカラカウア通りの朝 / ワイキキ
18:49
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←北 |
↓ダイヤモンド・ヘッド(東) |
南→ |
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モアナ・サーフライダー
Moana Surfrider
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ワイキキの一等地に聳えるリゾート・ホテル「モアナ・サーフライダー」の正式名称は、モアナ・サーフライダー・ウェスティン・リゾート&スパ。その前身、モアナ・ホテル(木造4階建・75室)がオープンしたのは、1901年3月。その白く輝く優美な姿から「ワイキキのファーストレディ」とたたえられ、世界の富豪や著名人たちがバカンスにやってきた。 |
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岡晴夫の歌う「憧れのハワイ航路」は、昭和23年(1948)にキングレコードより発売された歌謡曲で一世を風靡したが、その歌詞の三番に「椰子の並木路 ホワイトホテル」と歌われたのがこのホテルである。 |
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ハワイ最古のモアナ・サーフライダー /
ワイキキ・カラカウア通り 08:52
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▲▼
平成8年(1996)7月20〜27日我々夫婦が初めてハワイを旅して宿泊したのがこの白いコロニアル風のホテルで、創建以来110年を越える歴史を経た今でもその佇まいや風格は健在である。ハネムーンやウエディング・スポットとして絶大な人気を誇るワイキキ最古のホテルである。 |
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新館(右/西)と並ぶ本館のコロニアル風ファサード(正面) / ワイキキ・カラカウア通り
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朝のクヒオ・ビーチ /
カラカウア通り 08:54
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アラワイ運河
Ala Wai Canal
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▼ ワイキキの北の境界となるアラワイ運河は、1928年、水田や湿地から水を排出するために建設された長さ2.4kmの人工水路で、結果的にはワイキキ・リゾート・エリアの建設に役だった。 |
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その反面、大雨による水位上昇で溢れた泥水が下水道などに流れ込み、衛生上の理由などから周辺のホテルやビーチが一時的に閉鎖に追い込まれたこともあり、市当局は、その抜本的な対策を検討している。 |
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←北 |
↓アラワイ運河 |
↓ダイヤモンド・ヘッド(東) |
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▲▼ この運河は、パドリングやレクレーションへの安全基準が度々充足されない事態が起きているにもかかわらず、使用を禁止する動きはなく、現在もパドリングやボーティングを楽しむ愛好者がハワイ州で最も多く利用する水路となっている。(英語版フリー百科事典ウィキペディアより要約/和田訳) |
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アウトリガー・カヌーが並ぶアラワイ運河 / アラワイ通り 09:01
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ダウンタウン
Downtown
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写真下の破線で囲まれた部分がハワイの政治・経済の中心であるダウンタウン地区。高層ビルが並ぶ官庁街の中にハワイ王国時代の史跡や名所が多く残るこの街は、ハワイを語るには絶対に外せない観光エリアである。 |
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ホノルル美術館
Honolulu Museum of Art
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▼ 南ベレタニア通りに面するホノルル美術館は、米国博物館協会の認定を受け、国立・州立史跡として登録されている。1922年に美術館としての認可を得て、1927年4月8日に開館した。 |
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ホノルル美術館のコレクションは現在60,000点を上回り、重要なアジア美術品、アメリカ、ヨーロッパの絵画や装飾品、アジア織物、アフリカ、オセアニア、南北アメリカの伝統的な作品、ハワイの美術品などがある。 |
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アロハ・タワー
Aloha Tower
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アロハ・タワーは、1926年に建設された高さ約55mのスペイン風の塔で、ホノルル港のシンボルであり、市民から愛され続けてきた。航空機が発達する前は、ハワイ航路が花形で、ハワイの玄関口であったホノルル港に外航船が近づくと、船上から港の入口にそびえたつアロハタワーが遠望され、乗客たちは、常夏のハワイに着いたことを実感したという。 |
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米国沿岸警備隊
United States Coast Guard
USCG
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▼ ホノルルには、日本の海上保安庁
Japan
Coast
Guard
の兄貴分に当たる米国沿岸警備隊
United
States
Coast Guard / USCG の第14管区本部があり、ホノルル港には、巡視船
Coast Guard Cutter
や設標船 Buoy Tender
などが停泊していた。 |
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停泊中のU.S.コースト・ガード(USCG
沿岸警備隊)の艦船 / ホノルル港 09:25
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チャイナタウン
China Town
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19世紀に中国移民が築いたチャイナタウンは、ダウンタウンのビルが建ち並ぶビジネス街のそばにあり、レトロな建物に市場や飲食店、雑貨屋が軒を連ねた活気あふれる中華街で、ワイキキとは一味違ったハワイがある。 |
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フォスター植物園
Foster Botanical Garden
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チャイナタウンの北側にあるホノルル最大の植物園。1853年、カラマ女王から土地を借りたドイツ人医師がガーデンを整備した。区画されたガーデンには、熱帯植物からハーブまでさまざまな種類の植物が植えられている。 |
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観光名所として派手な宣伝はなされていないが、ポリネシアの自然を知るには絶好の場所。既に野生では見られなくなった種類もここには残っているので、植物好きの人には興味深い。我々夫婦は、最初にハワイを訪ねたときに見学した。ハワイにこんな巨木があるとは、驚きだ。 |
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カメハメハ大王像
King Kamehameha Statue
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ハワイ統一を成し遂げたカメハメハ大王の銅像は、ダウンタウンのど真ん中に位置するアリ・イオラニと呼ばれる裁判所の庭に建っている。1883年のカラカウア王の戴冠式の日に除幕され、それ以来、100年以上に渡ってイオラニ宮殿を見守っている。 |
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アッパーデッキから見るカメハメハ大王像 / アリイオラニ・ハレ(ハワイ州最高裁判所)前 09:32
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カメハメハ大王像については、ハワイ島編で4体あることを紹介したが、パリで造られたオリジナルを運ぶ途中、嵐で船が難破して海に沈んでしまったため、作り直した2作目の像がこの銅像である。ワイキキ・トロリーの二階から撮影したので、銅像の足もともきちんと写っていて、貴重な一枚となった。 |
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ネイティブ・ハワイアンの英雄・褌の大王
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アラ・ワイ・ヨットハーバー
Ala Wai Yacht Harbor
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▼ ワイキキの西端に位置するヨットハーバーで、アラ・ワイ運河が外海にそそぐ部分を浚渫して造られた。青い海、青い空をバックにしたこのヨットハーバーはとても明るい雰囲気で、ハワイらしさを感じさせてくれる。時間があれば、シェラトンやハレクラニ付近からビーチ沿いに散歩しながら訪れるのも悪くはない。 |
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アラ・ワイ・ヨットハーバー 09:55
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