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■ 七日目6月22日(土):
オアフ島 静養・ ホノルル市内観光 ■ |
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▼ ツアー七日目は、午前中、KCCファーマーズ・マーケットを見学、午後はイオラニ宮殿などダウンタウンを観光後、昨日に引き続きクヒオ・ビーチ・フラ・ショーを楽しんだ。 |
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KCCファーマーズ・マーケットの位置 / ダイヤモンドヘッド入口付近
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KCCファーマーズ・マーケット
KCC Farmer's Market
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▲▼ ホノルルの土曜朝の恒例イベントといえば、KCCファーマーズ・マーケット。ダイヤモンドヘッド登山口そばのカピオラニ・コミュニティ・カレッジ(KCC)駐車場で開催される人気の朝市で、R&C
TOURS の無料シャトル便を利用して
DFS ギャラリアから往復した。 |
参考情報 →
KCC朝市ビデオ/前編 KCC朝市ビデオ/後編 |
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毎週土曜日の朝に開かれるKCCファーマーズ・マーケット 2013.6.22 08:50
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▲▼ 毎週土曜日に開かれるこの朝市は、食品系の店が並んでいて、ほぼ全部がメイド・イン・ハワイ。地元のセレブたちも足繁く通うほど、新鮮な食材が揃う場所で、ホノルルの観光名所にもなっている。 |
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焼き鮑
BBQ Abalone
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▼ 事前の情報チェックで最初に目指したのがバーベキュー・アバロウニ(焼き鮑)。ハワイ島のコナ国際空港にほど近いケアホレ・ポイント
Keahole Point
にある陸上施設は10エーカー(約40,500m2)の広さを誇り、世界でも最大級の養殖施設で、最高級品といわれる日本特産のエゾアワビを養殖している。 |
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飛ぶように売れるコナ産焼き |
鮑 |
BBQ
Abalone |
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▲▼ 小さいのは、既に売れ切れており、1個6ドルの大きいのを買った。何もつけないのが美味しいといわれ、そのまま食べたが、柔らかくて最高だった。余りに美味いので追加でもう1個買ってしまったが、何個でも食べられる。(笑) |
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ココナッツ・ジュース
Coconut water
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▼ ココナッツ・ジュースを飲んだことがないので、1個5ドルで購入。ハングルース(マハロ/ありがとう)のサインが自然に出る店主に穴を開けて貰い、ストローを2本もらった。この日はジュースが飛ぶように売れていた。 |
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ジュース用の新鮮なココナッツは、通常、実が緑色のうちに木から収穫され、内部のジュース(液状胚乳)に届くように穴が開けられる。若いココナッツでは、ジュースに圧力がかかっており、内側の殻を貫通した時に液体が飛び散ることがあるという。 |
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ココナッツ・ジュースは、熱帯地方、特に東南アジア、ハワイなどの太平洋諸島、カリブなどで人気の飲み物であり、生や缶入り、瓶入りで販売されている。脂肪は含まれておらず、100g当たり
16.7
kcal
と低カロリー。 |
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ハングルース(マハロ)で1個5ドルのココナッツ・ジュースを手渡す店主
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▲▼ 果実が成熟すると、ココナッツ・ジュースは徐々にココナッツの固形胚乳(コプラ)と空気に置き換わる。若いココナッツには固形胚乳はほとんど付いていないが、肉は柔らかく、ほとんどゲル状だという。やがてこの肉が灰白色で40-65%の良質脂肪分を含むコプラと呼ばれるものになる。 |
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椰子の実を半分に割って削り取ったコプラを水又はココナッツ・ジュースと一緒に弱火で煮込んでから裏漉しし、目の粗いガーゼなどの布で絞って作ったものがココナッツ・ミルク。 |
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コプラを圧搾したコプラ油(椰子油)は、生のココナッツ・ミルクなどに比べて酸敗の恐れが少ないことから、マーガリンなどの加工食品の原料油脂になるほか、生体への攻撃性の少なさから石鹸、蝋燭など日用的な工業製品の原料となる。 |
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▲▼ 残念ながらココナッツ・ジュースは冷えておらず(当たり前!)、生ぬるくて甘みの薄い透明な液体が喉を潤した。ネイティブ・ハワイアンたちは、この生ぬるい味が故郷の味なのだろう。冷えて美味しい清涼飲料水が溢れるほどある快適な環境で生活している日本人にとって、この素朴な味は、まずくもなく、うまくもない、何ともいえない味だった。(笑) |
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ハワイアン・クラウン・スウィート・ゴールド・パイナップル
Hawaiian Crown Sweet Gold
Pineapple
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▼ ハワイのパイナップルといえばドール
Dole
だが、今甘くて美味いハワイアン・クラウンのパイナップルがブレークしている。この店のはちょっと小振りだが、とても甘い。1個3ドル、2個5ドルとリーズナブル。 |
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甘くて美味いハワイアン・クラウンのミニ・パイナップル 09:49
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▼ 造花と錯覚するような鮮やかな花が売られていた。ブロメリア
Bromeliad
の一種のようだが、詳しいことは分からない。ご存じの方は、是非ご教授願いたい。 |
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珍しいブロメリア
Bromeliad の切り花
Cut
Flowers
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ダウンタウン
Downtown
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写真下の破線で囲まれた部分がハワイの政治・経済の中心であるダウンタウン地区。DFS
ギャラリアからワイキキ・トロリーのレッドラインでハワイ州政府庁まで行き、観光した。 |
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ハワイ州政府庁
Hawaii State Capitol
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ハワイ州の行政を司るハワイ州政府庁は、イオラニ宮殿の山側(北東)にある。四角い近代的な外観は、火山をモチーフにデザインされたという。すそ広がりの柱はヤシの木を、池は海を意味している。内部は回廊式になっていて、1階の吹き抜けのロビーから四角い窓を通して空を見上げると、火山の内部にいるような感覚になるといわれる。 |
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トロリー・レッドラインでハワイ州政府庁まで行く 14:36
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ハワイ州紋章
Hawaii State Seal
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ハワイ州の紋章は、ハワイ王朝の紋章をアレンジしたもの。紋章の上部には州の名前が、下部には「UA
MAU KE EA O KA AINA I KA PONO(大地の命は正義のもとで不朽である)」と刻まれている。ハワイが合衆国の50番目の州になった「1959」という年号の下には、カメハメハ大王と自由の女神が左右に描かれ、自由の女神の右手にはハワイ州の州旗がしっかりと握られている。オリジナルとなった王朝時代の紋章は、イオラニ宮殿の正門などで見ることができる。 |
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カメハメハ大王と自由の女神が描かれたハワイ州紋章
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▼ 北庭にある像は、モロカイ島でハンセン病患者たちのケアに生涯をささげたダミアン神父
Father Damien
である。裏に回るとハワイ王国第8代の女王にして最後のハワイ統治者となった リリウオカラニ女王の像がある。 |
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1800年代半ば、ハワイのハンセン病患者は、隔離政策により、モロカイ島の北海岸カラウパパ半島へ強制的に収容された。ベルギー人のダミアン神父は、1873年からそのコロニーで患者たちと共同生活を送って精神的な支えとなり、1889年同じ病によって49歳の若さで亡くなった。 |
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モロカイ島でハンセン病患者たちのケアに生涯をささげたダミアン神父の像 / ハワイ州政府庁北庭
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♪ アロハ・オエ
Aloha 'Oe |
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● この頁に流れるBGMは、名曲アロハ・オエのメドレー。ヴォーカル3曲と楽器演奏3曲が交互に入っている。ヴォーカルは、ネイティブ・ハワイアン(1曲目)、エルヴィス・プレスリー(3曲目)、アンディ・ウイリアムス(5曲目)の順。 |
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ハワイ王国第八代・最後の女王リリウオカラニの銅像 / ハワイ州政府庁
南庭 14:39
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▼ ♪アロハ・オエは、ハワイ王国第8代の女王にして最後のハワイ統治者 リリウオカラニ
Queen Liliuokalani 1838-1917
が1878年頃に作詞したハワイアンの名曲。メロディーは既存の曲を転用したといわれる。メロディーの転用は当時のハワイでは一般的だったという。 |
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愛する人との別れを惜しむ切ない歌詞は、リリウオカラニが女王として即位する13年前の出来事からインスピレーションを受けたものと伝えられている。 |
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Ha'aheo ka ua i na
pali |
谷に降り注ぐ大粒の雨 |
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Aloha 'oe, aloha 'oe |
さようなら貴方 さようなら貴方
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Ke nihi a'ela i ka
nahele |
森の中を流れゆく |
E ke onaona noho i ka
lipo |
木陰にたたずむ素敵な人 |
E hahai ana paha i ka
liko |
谷の花アヒヒ・レフアの |
A fond embrace a ho'i
a'e au |
別れの前に優しい抱擁を |
Pua 'ahihi lehua o uka |
つぼみを探して |
Until we meet again (refrain) |
また会えるときまで(繰り返し) |
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註:エルビス・プレスリーとアンディ・ウイリアムスは、最後に英語の入る上の歌詞の通りに歌っているが、最初のネイティブ・ハワイアンが歌う全てハワイ語のオリジナル曲は、全く違った歌詞である。 |
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イオラニ宮殿
'Iolani
Palace
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アメリカ合衆国唯一の宮殿であるイオラニ宮殿は、ハワイ州政府庁の南側に立つ。1882年にハワイ王国(1795
-
1893)7代目カラカウア王の命で建てられ、ここで王朝政治が行われた。1893年のクーデターで王政が廃止されるまでの間、ここでカラカウア王と妹の第8代統治者リリウオアカラニ女王が生活した。 |
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イオラニ宮殿は、たった一棟の小さな宮殿ではあるが、当時はイギリスのバッキンガム宮殿にさえ無かった電気設備を備え、装飾品や什器類など贅を尽くした造りとなっていた。 |
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「イオラニ」とは、「王者の鷹」という意味。当時の金額で35万ドルの巨費を費やして建設したため、後にカラカウア王は大きな負債を抱えるはめになり、アメリカ人勢力から王権縮小の圧力が高まる元凶となった。トルコのオスマントルコ王朝が贅を尽くした宮殿に金を掛け、財政破綻になって崩壊した状況とよく似ている。 |
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イオラニ宮殿入口(北門) 14:42
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ハワイ王国紋章
The Royal Coat of Arms of
the Kingdom of Hawai'i
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▲▼ イオラニ宮殿入口(北門)には、ハワイ王国の紋章が掲げられていた。南門にも同様の紋章がある。この紋章は1845年に公式のシンボルとなったもので、オリジナルのデザインはカメハメハ三世の秘書であったティモシー・ハアリリオ
Timothy Ha'alilio
による。 |
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白と赤と青の8本の縞は、ハワイ八島を表している。
中央には、カヌーのパドル2本と王族のカヌーに立てられた旗「プエラ」が組みあわせられている。球状の先がついた白い棒は、昔王族の象徴としてその住居前などに立てられた「プロウロウ」。
イオラニ宮殿の門柱の頂上にデザインされている。 |
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内側に向かって立っている二人のハワイアンは、カメハメハ一世を支えた双子の叔父を表している。カマナワは槍を持ち、カメエイアモクはカヒリ(鳥の羽の装飾が付いた棒)を持っている。 |
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王冠にはカロ(タロイモ)の葉のデザインが施され、下の方にある青いリボンには、カメハメハ三世が1843年7月に発表したハワイ王国のモットーが書かれている。 |
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UA MAU KE EA O KA AINA I KA PONO
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The life of the
land is perpetuated in righteousness.
土地(この国)の命(主権)は正義に守られ永続する。 |
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カメハメハ大王を支えた双子の戦士などをかたどったハワイ王国の紋章
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▼ 現在、日曜日を除き、ガイドによる宮殿ツアーとオーディオ・ツアーが毎日行われている。両方とも英語又は日本語で案内される。申込所は宮殿北西に建つイオラニ・バラックにある売店。 |
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ツアーを申し込む売店のある建物イオラニ・バラック / 宮殿北西
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▼ 宮殿の敷地内は自由に見学ができるが、宮殿に入るには上記のツアーに参加する必要がある。見学者がある程度集まるまで待たされるし、内部に入ってから最低でも30分は必要なので、余裕を持ってでかけよう。 |
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イオラニ宮殿北口から中に入る 14:59
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▲▼ 今回我々夫婦は、オーディオツアー(セルフガイドツアー)に参加した。宮殿の北口から入り、北側回廊でビニールの靴カバーを履き、ガイディング・レシーバー一式を受け取ってから操作要領などの説明を受け、個別に日本語解説を聞きながら1階・2階・地下ギャラリーの順に廻った。各階の移動は専用のエレベーターを使う。部屋の要所に番号が表示されているので、その前に立ってレシーバーの同じ番号を押すと、ヘッドフォンから説明が流れる。予約不要で、館内はフラッシュ無し撮影が認められている。 |
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オーディオツアー(セルフガイドツアー)の説明 15:05
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一階の大広間には、二階に至るコア koa
の木(ハワイアン・マホガニー)で作った階段がある。コアは、マホガニーのように光沢のある複雑な木目が美しい高級木材で、宮殿には、床や階段、手摺などに使われている。 |
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残念ながら階段の踏み板部分のみが唯一当時のまま残っているところで、それ以外の部分はシロアリの被害を受けて、修復工事中に取り替えられている。 |
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コ ア
Akacia Koa
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▲▼ ハワイ語で勇気や戦士という意味を持つコア
koa
は、ハワイ原産のマメ科ネムノキ亜科アカシア属の常緑樹で、現在はハワイ島とマウイ島の山の高い斜面にしか自生していないという。歴史的文化的にも意味深い木で、昔はハワイ王朝以外は使用禁止とされており、神の宿る木ともいわれていた。 |
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通常大木になり、幹はアウトリガー・カヌーの製作に使われたという。ハワイアン・マホガニーともいわれるだけあって、今でも高級木材としてウクレレやギターなど様々な工芸品に使われている。 |
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フリー百科事典ウィキペディア |
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▼ 一階の大広間には、初代カメハメハ大王から最後の女王リリウオカラニまで王家8代の肖像画が飾られ、世界各国から贈られた品々が飾られている。日本の天皇家から贈られた壺もある。 |
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美術館のように専用の照明がないため、場所によっては暗くてよく見えない。1795年にハワイ王朝を樹立したカメハメハ大王の肖像は、黄色のケープをまとっているが、後に訪ねたビショップ・ミュージアムでは、同一画家が同時期に描いたと思われるケープを脱いだ大王の肖像画を見ることができる。ハンサムなカメハメハ大王像とは全く似ていないが、こちらが大王の素顔である。 |
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カメハメハ大王の肖像画 / 大広間(イオラニ宮殿)
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一階大広間の西側にある青の間は、リリウオカラニ女王お気に入りの応接室。その右手奥の正餐室へ入るための待合室でもある。当時と同じ美しい青色に張り替えられた椅子やカーテンは、「青の間」と呼ばれる由縁である。ここには、カラカウア王やリリウオカラニ女王の大きな肖像画がある
が、照明がないため、発表できるほどの写真が撮影出来なかった。 |
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正餐室→ |
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青の間
の奥にひときわ大きな王座が置かれたダイニング・ルーム「正餐の間」がある。テーブルの上には選りすぐった高価な食器が並べられ、東西の壁には各国から贈られた肖像画が並んでいる。ハワイ王国の国際交流の広さを物語るものである。 |
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なつびさす せいさんしつの ぎょくざかな |
The king's
seat, summer sun shining in the main dining room. |
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▼ 一階大広間の東側(ダイヤモンドヘッド側)にある王座の間は、カラカウア王在位時代を再現したもの。絨毯や椅子、ソファーなどを赤で統一しているところから赤の間とも呼ばれる。カラカウア王は、ダンスが好きで、ここで開かれた舞踏会は、朝方まで続き、深夜には、正餐室で夜食が振る舞われたという。 |
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▲▼ 新しいもの好きでもあったカラカウア王は、エジソンがパリ万博で白熱電球を発表したのを見て、翌年、直々にエジソンに会いに行き、バッキンガム宮殿に先駆けてイオラニ宮殿に電気を引いた。黄金に輝くシャンデリアは、何時備え付けられたのか分からないが、王はその美しさに魅了されたに違いない。 |
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カラカウア王は、その華やかな生活からメリー・モナーク(陽気な君主)とあだ名されている。当時男性はマロ(褌)一丁、女性はモレ(腰蓑)のみのトップレスで踊るフラ・カヒコは、卑猥な裸踊りだとしてキリスト教宣教師から禁止されていたが、彼の代で復活させた。その後、衣服を纏ったフラ・アウアナが生まれてくるが、今また、フラ・カヒコが本来のハワイアン・フラであるとして、見直されつつあるのは、ハワイの伝統文化を守った彼の功績である。さすがに女性のトップレスは復活していないようだ。(笑) |
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ハワイ王朝第七代カラカウア王 King Kalākaua 1836.11.16 - 1891.1.20
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この王座の間は、悲しい行事にも使われた。1890年にカラカウア王はアルコール依存症によって体調を崩し、医者の薦めでサンフランシスコへ移った。しかし、治療空しく、心不全のため1891年1月20日55歳の若さで逝去。ホノルルに戻った遺体は、この王座の間に安置され、国葬が行われた。そして王権は第八代にして最後の統治者となった妹のリリウオカラニ女王に委ねられた。 |
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▼ このとき、ハワイ王朝は終焉のときを迎えていた。バナナやパイナップルで有名なドール財閥を中心とした財界は、砂糖のアメリカへの輸出にかかる関税をなくすには、王朝が邪魔だと、アメリカ海兵隊の力を利用してクーデターを起こし、1893年にハワイ王朝を倒した。
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彼らはハワイが女王の統治となり、王朝が弱体化したことにつけ込んだのではないだろうか。当時のアメリカ大統領は、領土的野心はなかったらしく、もしカラカウア王が長生きしていれば、歴史は変わっていたかも知れない。しかし、女王は「これ以上ハワイ人の流血をさける」と、無抵抗でこれに応じたという。 |
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ハワイ王国第8代統治者にして最後のハワイ女王 リリウオカラニ
Queen Liliuokalani
1838-1917 |
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1894年7月、サンフォード・ドール
Sanford Ballard Dole
を大統領にハワイ共和国が誕生。1898年、ハワイ共和国は米国に併合されてハワイ準州となり、ドールは初代知事に任命された。 |
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ホノルルには、今でもカラカウア通り、リリウオカラニ通り、ホテル・プリンセス・カイウラニ(王たちの姪)、カピオラニ(カラカウア王妃)公園など、市内の至る所に王族を記念した名が残されている。 |
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西洋風のクラウンとサーベル |
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▼ このバルコニーに立ったリリウオカラニ女王は、カラカウア王の葬儀を見送り、そしてクーデータを起こした群衆と対峙した。この宮殿がハワイ王国の中心として使われたのは、ほんの10年余り(1882-1893)と短く、
ハワイ王朝が終焉を迎えると、臨時政府のための議会場や行政庁舎として使われた。その後、修復工事を経て、1978年から歴史博物館として一般公開されるようになった。 |
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イオラニ宮殿二階より正門(南門)を臨む |
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