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▼ 見学者専用のエレベーターで二階に上がった。
宮殿の二階は、カピオラニ王と王妃カラカウア女王の私的空間で、広間を挟んで西側に「カラカウア王の寝室」「王の執務室」「黄金の間」が並び、その向かい側に「リリウオカラニ女王幽閉の間」「カピオラニ王妃の寝室」がある。 |
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国王のベッド / 国王寝室(イオラニ宮殿) 2013.6.22 15:47
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▲▼
国王寝室に入ると、カラカウア王のベッドは、ハワイ王朝の紋章が刺繍されたベッドカバーが掛けられていた。 |
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カラカウア王自らが撮影した寝室の写真
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▲▼ カラカウア王は、写真も趣味だったようで、1890年代に自ら撮影した寝室の写真が残されている。その写真に写っている調度品が今も寝室に飾られており、往時を偲ぶことができる。 |
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写真に写っている当時の調度品 / 国王寝室
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▼ 王の執務室の隣の音楽室は、黄金の間と呼ばれ、陽気なカラカウア王が音楽を聞いてリラックスしたという部屋で、夫婦水入らずの空間であったに違いない。カラカウア王妃・クイーン・カピオラニの肖像画の下には、日本ゆかりの「ついたて」が残されている。 |
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▲▼ カピオラニ女王は、ハワイの女性のための産院を設立したり、慈善活動に取り組んだりしてハワイの人々の尊敬と敬愛を集め、クイーン・カピオラニが設立した小さな産院は、現在ではカピオラニ・メディカル・センターとなり、ハワイの女性と子供の健康を守る重責を果たしている。 |
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ダイヤモンドヘッド西方に広がる広大なエリアは、カラカウア王が土地を寄贈して造り上げた公園で、王妃の名を取ってカピオラニ・パークと名付けられた。 |
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カラカウア王妃カピオラニ女王の肖像画 / 黄金の間
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二階広間を挟んだ東側(ダイヤモンドヘッド側)には、質素な幽閉の間がある。ここは、カラカウア王夫妻とリリウオカラニ女王の甥に当たるピイコイ三兄弟が子供部屋として使った部屋である。 |
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ハワイ共和国となった翌年の1895年1月6日、王政派が王政復古を目指して反乱を起こすが、数日の銃撃戦の後に新政府軍に鎮圧された。1月16日リリウオカラニの私邸とイオラニ宮殿の庭からたくさんの銃器が見つかったとして、リリウオカラニは反乱の首謀者の容疑で逮捕され、イオラニ宮殿に幽閉された。1月22日、反乱で捕らえられた約200人の命と引き換えに、リリウオカラニは女王廃位の署名を強制され、ハワイ王国は滅亡した。 |
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▲▼
リリウオカラニは、2月27日、反乱に加担した罪で5,000ドルの罰金と5年間の重労働の判決を受けたが、9月6日に釈放された。その後、リリウオカラニは、イオラニ宮殿二階の子供部屋に8ヶ月間幽閉され、女官一名を除いては誰との面会も許されなかった。 |
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子供部屋は、リリウオカラニの幽閉に使われたため、「幽閉の間」と呼ばれるようになった。この部屋には、幽閉が始まったその日から作り始めた女王のキルトが飾られている。クレイジー・キルトと呼ばれる手法のキルトには、女王が生まれた日、王位に就いた日、王朝が崩壊した日、幽閉されてキルトを作り始めた日などが記されている。 |
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ハワイ王国第8代統治者にして最後のハワイ女王 リリウオカラニ
Queen Liliuokalani
1838-1917 |
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▲▼
リリウオカラニは、その後も旧女王としてハワイ人の敬愛を受けつつ、1917年11月11日、79歳で死去した。リリウオカラニの死から42年後の1959年8月21日、50番目の州としてハワイ州が成立。ハワイは完全な米国領となり、ハワイ住民は総てアメリカ合衆国の国民となった。 |
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カラカウア王妃カピオラニ女王のベッドには、中国製シルクの深紅のベッドカバーが掛けられていた。ベッド・カバーや枕カバーには、KULIA
I KANUU と書かれた紋章が描かれていた。調べてみると、Kūlia
i ka nu'u のことで、Strive
to reach the summit. 「頂上を目指して奮闘せよ」という意味だった。 |
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王妃のベッド / 王妃寝室 15:53
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宮殿の見学を終えて外に出ると、芝生に可愛いブンチョウがいた。日本にいる文鳥と全く同じものだった。インドネシア(ジャワ島、バリ島etc.)固有種で、ペットとして飼われ、野生化したものと思われる。英名をJava
sparrow といい、スズメ目に分類されている。 |
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ハワイに生息するブンチョウ / イオラニ宮殿
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イオラニ宮殿は1882年、ハワイ王国第7代カラカウア王によって建てられた豪奢なイタリア様式の建物だが、実は現存する宮殿が完成するはるか以前から、この敷地はハワイ王族の居住地としての歴史を刻み続けてきた。 |
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その起源は1820年代、カメハメハ3世の首相で王族のひとりだったカラニモクが、ここを住居に設定したことにはじまる。住居はハワイ王国の宮殿の役割を果たし、王族の会議場としても使われた。その後1845年、カメハメハ3世がこの地に公邸を建て、ハレ・アリイ(王族の家)と命名。これをカメハメハ5世が1870年代にイオラニ宮殿と改名した。初代宮殿は1874年に取り壊されたが、カラカウア王は後年建てた新宮殿もそのままイオラニ宮殿と命名した。そのほかにも敷地内に、さまざまな王族の住居が点在したことが知られている。 |
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イオラニ宮殿のファサード(南面) 16:01
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宮殿は四方をフェンスに囲まれ、東西南北に4つの門がある。宮殿に向かって左の西門はキナウ門。昔、ここにキナウ王女(カメハメハ4世、5世の母)の住居があったことから名付けられたもので、商人の出入りに使われた。東のリケリケ門はカラカウア王の妹リケリケ王女にちなんで名付けられ、王族専用の門だった。正面のカウイケアオウリ門(南門)はカメハメハ3世にちなんだ門で、儀式の時のみ使用された。 |
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儀式のときしか使われなかったイオラニ宮殿正門(南門)
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▲▼
儀式のときしか開かなかったといわれるイオラニ宮殿の南門から外に出て、アリイオラニ・ハレ(ハワイ州最高裁判所)前庭に立つカメハメハ大王像の撮影に向かった。 |
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アリイオラニ・ハレ(ハワイ州最高裁判所)前庭に立つカメハメハ大王像
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▲▼ 黄金の褌を締めた大王カメハメハ I
世は、世界的に有名だが、イオラニ宮殿の肖像画と比べてみると、実物とは似ても似つかぬハンサムな顔立ちをしている。作者は、側近にいた美男子をモデルにしたものといわれている。 |
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カメハメハ大王像 King
Kamehameha Statue
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カメハメハ大王像は、全部で4体あり、そのうちハワイには3体ある。オアフ島ホノルルのアリイオラニ・ハレ(ハワイ州最高裁判所)前に立つ銅像(中央)が有名だが、その像は2代目で、初代(左)は、カメハメハ大王の生誕地であるハワイ島北端の町ハヴィ
Hawi にある。 |
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「キャプテン・クックによるハワイ発見100周年」を記念して造られたオリジナルの大王像は、船で輸送中に海に沈んでしまい、急遽作り直され、1883年に奉納されたのがホノルルの像。その後、沈没船から引き揚げられた初代像は、1912年に大王の出身地ハヴィに飾られた。 |
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3代目/ワシントンD.C.(資料) |
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大王像の建造の経緯を詳しく調べてみると、初代は1880年にカラカウア大王の命により、大王の友人でありハワイアンの血を受け継ぐイタリア在住アメリカ人彫刻家 Thomas Gould に約1万ドルで依頼したもの。 |
パリでひな型が作られ、ドイツで鋳型に流し込まれて完成したが、ヨーロッパからホノルルに送られる途中、フォクーランド諸島沖で船火事により沈没したが、幸い鋳型がまだ残されていたため、保険金が下りるとすぐに2代目が作られ、無事ホノルルに到着して奉納された。 |
2代目がホノルルに着いて数週間後、初代がホノルルに到着した。というのは海から引き上げられてフォークランドのくず置場に放置されていた像を英国の船長が見つけ、カラカウア大王に売却したからである。この像は予言師の意見を取り入れて1912年にハヴィに安置された。 |
3代目は、オリジナル像の鋳型を使ってローマで作成され、1969年、モロカイ島でらい病患者のために尽くしたデミアン神父像とともにワシントンD.C.の国会議事堂にある国立彫像ホールに飾られた。(写真左) |
4代目は、カウアイ島のプリンスビル(株)の寄贈で1963年に鋳造され、カウアイ島に置かれることになっていたが、地元民がカウアイ島だけはカメハメハ大王に征服されたのではなく、平和的に従ったとして、設置に猛反対し、長期にわたって紛糾したが、1997年に運送費と工事費に10万6千ドルをかけてハワイ島ヒロに設置して決着した。 |
これら4体の銅像は、同じ鋳型から造られたものと思われるが、表情など、細部にわたっては微妙に違っている。 |
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イオラニ宮殿に向かって立つカメハメハ大王像 16:03
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ふんどしの だいおうここに はくしょかな |
Light heat
of the summer, here is the great king of fundoshi lioncloth. |
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金色のキヘイ
Kihei
(ケープ)とマヒオレMahiole
(王冠)が誇らしいカメハメハ大王像
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カワイアハオ教会
Kawaiahao
church |
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▼ カワイアハオ教会は、1842年に建てられたホノルル
で最初のプロテスタント教会であり、オアフ島最古のキリスト教会。かってはハワイ王朝の戴冠式や結婚式も行われた格式ある教会で、日本から挙式にやってくるカップルも多いという。 |
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▲▼ 教会の外壁は珊瑚が使われており、ハワイの重要文化財に指定されている。内部はオフホワイト(わずかに灰色または黄色がかった白)の柱と使い込まれた飴色の長椅子、二階席には歴代の王家の肖像画が飾られ、王家専用の席が設けられているなど随所に歴史を感じとれる。52種類の音を出すというパイプオルガンの音色に祝福されての挙式は、一生の思い出となり、新婚カップルの人気を博している。 |
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資料 |
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第六代国王ルナリロ霊廟
Lunalilo
Ka Moi 1874 |
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▼ カワイアハオ教会に向かって右手道路沿いにカメハメハ I
世の異母兄弟カライママフの孫として誕生したウィリアム・チャールズ・ルナリロの霊廟がある。カメハメハ5世が後継者を定めないまま1872年に亡くなったため、憲法に従いハワイ王国始まって以来初めて選挙によって選ばれた国王である。 |
ルナリロは当時血統からいって最も王座に近い王族だったが、自ら公平な選挙によって君主を選ぶことを提案した。「王権は人民に借りているものにすぎず、後継者は人々が選ぶべきである」という考えを公然と言っていたという。選挙の結果、同時に立候補したカラカウアを破って1873年第6代目君主に就任した。 |
ルナリロは庶民をはじめ、誰に対しても公正・公平で偉ぶることがなく、「人民の王」「ケ・アリイ・ロコマイカイ」(寛大な酋長)などと呼ばれ親しまれた。ルナリロを乗せた馬車が町に出ると、道端の老人がチャントで迎え、ルナリロは馬車を止めて耳を傾けたという。 |
しかし王座に就いてから肺結核にかかり、在位わずか1年1ヶ月、享年39歳で病死。一説によると酒の飲みすぎにより健康を慢性的に害していたという。遺体は遺言によりこのカワイアハオ教会の墓地に母親と共に埋葬された。 |
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♪ スイート・レイラニ
Sweet Leilani |
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この頁に流れるBGMは、
ハリー・オーウェンス作詞・作曲の「スイート・レイラニ
Sweet Leilani 」のメドレー4曲。ビング・クロスビー
Bing Crosby
やアンディ・ウィリアムス Andy"
Williams などが歌っている。 この曲は、ビング・クロスビー主演の映画「ワイキキの結婚
Waikiki Wedding
」(1937)の主題歌で、第10回アカデミー賞主題歌賞を取ったハワイアンの名曲のひとつ。歌詞の適切な和訳がないので、私が原文に忠実に訳した。 |
Sweet Leilani |
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スイート・レイラニ (和田訳) |
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Sweet Leilani,
heavenly flower |
愛しいレイラニ、天国の花 |
Nature fashioned
roses kissed with
dew |
自然が生んだ薔薇が露にキスした |
And then she placed
them in a bower |
そして彼女はその薔薇を木陰に置いた |
It was the start of you |
それが君とのはじまりだった |
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Sweet Leilani,
heavenly flower |
愛しいレイラニ、天国の花 |
I dreamed of
paradise for two |
私は二人だけの天国を夢見た |
You are my paradise
completed |
君は全てが揃った私の天国だ |
You are my dream come true |
君は私の夢が実現したもの |
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Sweet Leilani,
heavenly flower |
愛しいレイラニ、天国の花 |
Tropic skies are
jealous as they
shine |
熱帯の空が輝くにつれて嫉妬となった |
I think they're
jealous of your blue eyes |
きっと君の青い眼のせいだと思う |
Jealous because you're mine |
君が私のものだから嫉妬したのだ |
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Sweet Leilani,
heavenly flower |
愛しいレイラニ、天国の花 |
I dreamed of
paradise for two |
私は二人だけの天国を夢見た |
You are my paradise
completed |
君は全てが揃った私の天国だ |
You are my dream come true |
君は私の夢が実現したもの |
(曲によって) |
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You are my paradise
completed |
君は全てが揃った私の天国だ |
You are my dream come true |
君は私の夢が実現したもの |
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二階建オープンバスとなったワイキキ・トロリー「レッド・ライン」 16:12
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アラモアナ・センター
Ala Moana
Center |
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カワイアハオ教会前のバスストップからワイキキ・トロリー・レッドラインに乗り、アラモアナ・センターに行った。4つのデパートや高級ブランドのブティック、スーパーマーケットや薬局、各国料理のレストランやフードコートまで240店以上の店舗が入居するハワイ最大のショッピングセンターで、一時はアメリカ最大のショッピングモールといわれたこともある。 |
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この地区は、かつては湿地帯と池があったところで、アヒルの養殖などが行われていた。アラモアナ・センターはこの地に1959年(昭和34年)10月に開業したが、当時、東急グループ出資による白木屋(しろきや)が出店し、話題となった。 |
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アラモアナセンターは1982年(昭和57年)、ダイエーの子会社、DEインベストメント社によって、隣接するビルとともに約3億3,000万ドルで買収された。これは、1980年代後半のバブル期まで続いた日本企業におけるハワイ投資ブームの先駆けであった。1999年(平成11年)夏になるとシカゴを拠点とするGGP社がダイエーから所有権を取得、この際の売買価格は約8億ドルだったといわれる。 |
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アラモアナ・センターとワイキキ地区を結ぶトロリーは、ピンクライン。朝9時から夜9時頃まで10分間隔で運行されているので、アラモアナ・センターで食事をしても簡単にワイキキ地区のホテルに戻ることができるので便利。 |
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帰りにヒルトン・ハワイアン・ビレッジの前を通ったが、このホテルは、最初、宿泊の候補に入っていたものの、ワイキキから遠いので止めた経緯がある。外に出掛けなくても広大な敷地でハワイを楽しむことができるので、家族連れに向いているホテルではある。ワイキキ地区にヒルトンがないのが欠点ということで、現在、ヒルトンがワイキキの中心部にホテルを建設中。出店が遅かったため、ビーチに面した場所ではない。 |
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広大な敷地のヒルトン・ハワイアン・ビレッジ 18:00
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デューク・カハナモク像 / ワイキキ・ビーチ 18:21
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シェラトン・ワイキキ |
ロイヤル・ハワイアン(ピンク) |
モアナ・サーフライダー |
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真水で海水と砂を洗い流す / ワイキキ・ビーチ 18:25
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夕方、ワイキキを散歩し、午後6時半開演のクヒオ・ビーチ・フラ・ショーを最初だけ見学した。ここは、毎回、違ったフラ・ハラウ(フラ学校)のダンサーたちが日頃の練習成果を披露する発表の場である。フラ・ショーの開始を告げるプー
Pu
(法螺)の吹鳴は、2日前の男性と同一人物だった。 |
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フラ・ショーの開始を告げるプー
Pu (法螺)の吹鳴 / ワイキキ・クヒオ・ビーチ 18:31
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▲▼ この日、土曜日は、虹の出た木曜日と違って大勢のダンサーが出演したが、女性だけのフラ・アウアナだった。 |
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美しいバニアン・ツリーの舞台でフラを披露 / ワイキキ・クヒオ・ビーチ 18:33
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▲▼ この無料のフラ・ショーは、正式にはクヒオ・トーチ・ライティング&フラ・ショーといい、トーチ(篝火)を灯して行うフラショーである。プーを吹鳴し、トーチを灯すのは、昔からの習わしである。
男性の肩掛けは、アフウラ Ahu 'ula
と呼ばれる伝統衣装。 |
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トーチ(篝火)に火を入れる 18:37
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浜辺のフラ・ショー 18:44
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▲▼
1時間のフラ・ショーは、結構長い。若い娘からお年寄りまで、それぞれの持ち味を活かしたフラ・ショーが続く。上手い下手や当たり外れがあるのは、素人による地域の発表会という性格から致し方ない。パッとしなければ中座すればよい。色々なショーを見ることで、目が肥えてくる。(笑) |
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笑顔で踊るフラ・アイアナ 18:45
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読者予想通り、中座してカラカウア通りを散策した。1901年(明治34年)、ワイキキ初のリゾートホテルとして華々しくオープンしたモアナ・サーフライダー。1泊3万円からという料金は、手軽に泊まるわけにはいかない。これまで何度も撮影してきたが、車が止まっていてまともな写真がなく、この日、やっと自信作が撮れた。 モアナ・サーフライダー |
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黄昏のモアナ・サーフライダー / カラカウア通り 18:56
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▼ ワイキキを東進するカラカウア通りは、夜遅くまで大勢の観光客で賑わっており、女性が一人で歩いても安心だが、昼間行ったダウンタウンは、治安が悪いので、夜は立ち入らない方が良い。 |
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路上パフォーマンス / カラカウア通り 18:57
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モアナ・サーフライダーの西にあるロイヤル・ハワイアンの正面玄関は、カラカウア通りに面しておらず、
ココナッツ・グローブと呼ばれる中庭の奥にある。1927年(昭和2年)の創業以来「太平洋のピンク・パレス」と呼ばれ、数あるハワイのホテルのなかでも長い伝統を誇る。ワイキキの一等地にあり、昔の風情が残るこの超高級ホテルは人気があるが、1泊4万円からという料金は、気楽に泊まれるホテルではない。
ロイヤル・ハワイアン |
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黄昏の中庭「ココナッツ・グローブ」 / ロイヤル・ハワイアン 19:04
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