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■ 五日目
2011年07月02日(土):〜ストラトフォード・アポン・エイボン〜コッツウォルズ地方〜バーミンガム(泊) |
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ツアー五日目は、朝、バーミンガムを出立し、シェイクスピアの故郷ストラトフォード・アポン・エイボンを観光。午後はイギリスで1番美しい村
といわれるバイブリーで知られるコッツウォルズ地方を観光。夜は、バーミンガムに戻り、連泊した。 |
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五日目の観光地 /
イングランド中部 |
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画像:Google Earth |
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▲▼ ストラトフォード・アポン・エイヴォン Stratford-upon-Avon (「エイヴォン川の畔にあるストラトフォード」の意)は、イングランド中部のウォリックシャー
Warwickshire 州にある町。イギリスが誇る文豪ウィリアム・シェイクスピア William Shakespeare の故郷として世界的に知られており、年間 500,000 人の観光客が訪れるという。 |
グーグル・アース Google Earth では、ストラトフォード・オン・エーボン Stratford Upon Avon と表記されている。 |
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1902年に作成されたシェークスピアの生誕地を示す地図 |
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▲ 1902年に作成されたシェイクスピアの生誕地を示す地図には、Stratford on Avon ストラトフォード・オン・エイヴォンと記載されており、River Avon エイヴォン川の畔に広がる町が詳細に描かれている。 |
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歩行者天国のヘンリー・ストリート Henry
Street /
ストラトフォード・アポン・エイヴォン |
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英国の劇作家で詩人ウィリアム・シェイクスピア(1564年4月26日(洗礼日)
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1616年4月23日(グレゴリオ暦5月3日))は、エリザベス朝演劇を代表する作家で、卓越した人間観察眼と内面の心理描写により、最も優れた英文学の作家といわれている。彼の残した膨大な著作は、初期近代英語の実態を知る上で、貴重な言語学的資料となっている。 |
1612年ころに引退するまでの約20年間に、四大悲劇「ハムレット」、「マクベス」、「オセロ」、「リア王」をはじめ、「ロミオとジュリエット」、「ヴェニスの商人」、「夏の夜の夢」、「ジュリアス・シーザー」など多くの傑作を残した。「ヴィーナスとアドーニス」のような物語詩もあり、特に「ソネット集」は今日でも最高の詩編の一つと見なされている。 |
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ウィリアム・シェイクスピア William Shakespeare 1564-1616 |
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▼ シェイクスピアの数多い傑作の中のひとつ「お気に召すまま As You Like It 」は当地を舞台にした喜劇で、初演は1600年ごろ。作品の元ネタはトマス・ロッジ作「ロザリンド」という物語。原作の舞台はフランスとベルギーの国境付近のアルデンヌだが、それを自分の故郷の田園をモチーフとしたアーデンの森に設定。また母の旧姓がアーデンでもあった。感情を巧みに表現する台詞回しが多用され、彼の天賦の才能が奔出している。 |
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ピエロを乗せた記念碑の台座の左サイドに書かれた "The fool doth think he is wise, but the wise man knows himself to be a fool. "(筆者訳:愚者は己を賢者だと思うが、賢者は己が愚者であることを知っている。)は、お気に召すままに書かれた名言のひとつ。doth は do の古語で、強調の意。 |
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当地を舞台にしたシェイクスピアの喜劇「お気に召すまま As You Like It 」の記念
碑「道化の像」
/ ヘンリー・ストリート |
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▼ 街を見下ろすように建つ美しいホーリー・トリニティ教会 Holy Trinity Church は、13世紀に建てられたもので、シェイクスピアが洗礼を受けた教会である。彼は、ロンドンに移る青年期まで礼拝に通い、死後、ここに埋葬された。彼の洗礼の記録や簡素な墓が当時のままに残されている。 |
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シェイクスピアが眠るホーリー・トリニティ教会 2011.7.2
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シェイクスピアは、当地ストラトフォード・アポン・エイヴォンに生まれ、1585年前後にロンドンに移り、1592年には、新進の劇作家として活躍した。 |
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ホーリー・トリニティ教会の内部 |
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▼ 教会内部の壁には、羽毛ペン feather pen
を持つシェイクスピアの胸像が置かれている。前頭部がはげ上がり、髭を蓄えた風貌は、残された有名な肖像画とよく似ている。 |
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シェイクスピアの胸像 |
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▼ ホーリー・トリニティ教会の床下は、名士の墓になっており、彼は、妻のアンと並んで、深い眠りについている。彼の質素な墓には、The grave of the poet WILLIAM SHAKESPEARE 1564〜1616 (詩人の墓 ウィリアム・シェイクスピア 1564〜1616 )と書かれた紋章入りのプレートと白い生花が置かれていた。 |
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シェイクスピアの墓 |
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▼ アン・ハサウェイの家 Ann Hathaway's Cottage は、シェイクスピアの妻アン・ハサウェイ Anne Hathaway
が結婚するまで家族と暮らしていた生家である。18歳のシェイクスピアが結婚したのは1582年で、そのときアンは26歳の姉さん女房だった。 |
ハサウェイ家は、かなり裕福な農家らしく、立派な茅葺き屋根とチューダー様式の外観が特徴で、「ジャックとマメの木 Jack and the
Beanstalk 」などのイギリスのおとぎ話に出てくる家とそっくりだった。 内部は12部屋あり、16世紀の家具が置かれている。 |
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シェイクスピアの妻アン・ハサウェイの生家 |
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▼ シェイクスピアは、1564年4月23日にこの家で生まれた。4月26日の洗礼の日が教会の記録に残されているが、誕生日は記されていないので、正確には分からない。誕生して3日後に洗礼を受けるのが習わしであることから、23日に生まれたということになっている。彼が誕生した部屋には、天蓋付きの立派なベッドが置かれており、恵まれた暮らしぶりが伺える。 |
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シェイクスピアの生家 |
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▼ スニッターフィールド出身の父ジョン・シェイクスピアは、七年間の丁稚奉公の後に独立した革のなめしと手袋製造の職人で、羊毛や木材の売買もてがけていた。内部に入ると、最初に父親の仕事場がある。 |
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母メアリ・アーデンはジェントルマンの娘であり、裕福な家庭環境で育った。二人は1557年頃に結婚し、ヘンリー・ストリートに居を構えた。やがてジョンは、皮手袋商人として成功し、市会議員を勤め、市長に選ばれた。 |
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出窓のあるファサード |
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シェイクスピアの両親には全部で8人の子供がおり、ウィリアムは3番目の子である。ウィリアムの生まれた頃は裕福だったが、その後、父が羊毛の闇市場に関わった咎で起訴され、市長職を失った。 |
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風雪を感じる古びた玄関 |
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▲▼ 生家の玄関は風雪を感じる古びた木造で、The Birthplace of William Shakespeare (1564-1616) (ウィリアム・
シェイクスピアの生誕地 1564-1616)と表示されている。ここからは中に入れず、入口は、約40m左に進んだ The
Visitors' Centre であると表示されているが、正しくはシェイクスピア・センター The Shakespeare Centre である。 |
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生家に隣接するシェイクスピア・センター |
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▼ シェイクスピアの生家にはこの入口から入るが、まず最初は、彼の生涯と彼の活躍した時代に関する展示があり、それを見てから生家へと入って行く。生家の内部は、シェイクスピアが誕生した当時の生活ぶりを示す品々があり、実物とレプリカとを使って展示されている。 |
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生家の入口シェイクスピア・センター |
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▼ シェイクスピアは、ストラトフォードの中心にあったグラマー・スクール grammar school (小学校)、キング・エドワードVI世校 King Edward VI School に通ったと推定されている。 |
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校名に冠されているエドワードVI世と学校の設立の起源になんら関係はなく、創設に関与したのはローマ・カトリックで、エドワードVI世の時代を大きく遡る15世紀初頭に開校されたという。 |
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シェイクスピアが通ったグラマー・スクール KING
EDWARD VI SCHOOL |
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▼ 写真下は、劇場やショップ、レストランが立ち並ぶハイ・ストリート High Street の家並み。中央は、14世紀に建てられた木造鉄骨のギャリック・イン The Garrik Inn
で、この地では最古のパブとして知られる。文盲の人にも分かるように、パブを示す丸い玉が飾られている。 |
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パブ「ギャリック・イン」(中央)とハーヴァード・ハウス(右) |
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▲ 写真右は、ハーヴァード・ハウス
Harvard House で、アメリカのハーバード大学
Harvard University の創設者ジョン・ハーバード John
Harvard の母親が暮らしていた家だという。 |
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街を走る二階建てオープンバス |
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▼ ロイヤル・シェイクスピア・カンパニー Royal Shakespeare Company
は、ストラトフォード・アポン・エイヴォンを拠点にする劇団で、RSCと呼ばれる。当地に、2010年にリニューアル・オープンしたロイヤル・シェイクスピア劇場
Royal Shakespeare Theatre 、スワン劇場、プロセニアム・アーチ劇場を所有している。 |
RSCは、1875年に設立されたシェイクスピア記念劇場を前身に持つ歴史の古い劇団で、規模が大きく、イギリスの有名な舞台俳優や映画俳優は、ここに在籍していた人が非常に多いという。現在はチャールズ皇太子が理事長を務めている。 |
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2010年リニューアル・オープンしたロイヤル・シェイクスピア劇場 |
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▲▼ RSCのロイヤル・シェイクスピア・劇場は、緑豊かなエイヴォン川の畔に建っており、見学の後、川岸を散策した。シェークスピアの当時と変わらぬこの母なる川は、人々の憩いの場で、ゆったりと時の流れるスローライフの世界が広がっていた。 |
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人々の憩いの場・エイヴォン川の畔 |
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なつやなぎ えいう゛ぉんがわの すわんかな |
The summer willows, swans on the River Avon. |
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白鳥を宿すエイヴォン川 |
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エイヴォン川は、白鳥のサンクチュアリー(聖域)で、優雅な姿を惜しみなく見せてくれる。一日中眺めていても飽きない老人が沢山いるのではないだろうか。
向こう岸に見えるのは巨大な柳で、水面に影を落としており、その景観は、エイヴォン川の名物になっている。 |
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約110年前に作成された古地図に描かれたアーチ式の石橋は今も健在で、歩道橋として親しまれている。 |
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エイヴォン川に架かる石橋 |
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