ホームページお知らせお便りコーナー徒然日記俳句・海の風景ホームページ奮闘記作者のプロフィールリンク
 

Wa☆Daフォトギャラリー

 感動写真集

2011年11月8日改訂

ログイン時刻

 

 

 

今 日

昨 日

The Beatles 'Let It Be'-'Love Me Do'-'Across The Universe'

夏川を上るフェリーやビッグ・ベン   北舟

 

Big Ben, a ferryboat going against the stream of summer river.

2011年11月8日制作

国会議事堂とビッグ・ベン

拡大写真(2000x1350)506KB

国会議事堂とビッグ・ベン/ロンドン(イギリス)

世界文化遺産

英国への旅

イギリス国旗

9 ロンドン

■ 八日目 2011年07月05日(火):ロンドン市内観光〜ウィンザー〜ロンドン(泊)

 

★☆★彡

 

▼ ツアー七日目は、終日、ロンドンの市内観光とウィンザー城への旅を楽しみ、夕刻、ロンドンにて連泊した。

七日目の観光地 / イングランド

七日目の観光地 / イングランド

画像:Google Earth

ロンドン London
▲▼ ロンドンは、イギリス及びイングランドの首都である。シティ・オブ・ロンドン City of London あるいは単にシティ The City と呼ばれる地域から発展したロンドンは、ヨーロッパにおける有数の歴史都市であり、中世や近世に建設された建造物が数多く残されている。
 グレーター・ロンドン Greater London は、シティ・オブ・ロンドンとシティ・オブ・ウエストミンスターに31のロンドン特別区を加えたエリアを領域としておりその人口は750万人を超えており近郊を含めた都市圏人口は、約1,250万人にのぼる。世界有数の経済、文化、交通、エンターテイメントなどの基軸都市の一つであり、パリやニューヨークと並ぶ世界都市であり、金融センターである。

ロンドン中心部

拡大写真(1430x810)551KB

画像:Google Earth

 1990年代以降は、金融に加え観光や情報産業、デザイン産業なども活気を呈しており、ロンドン東部・ドックランズのカナリー・ワーフの開発以後、超高層ビルの建設が相次いでいる。
 他方1980年代以降に連続して発生したIRA暫定派によるテロは収束したものの2005年7月7日にはイスラム過激派によるロンドン同時爆破事件が発生している。近年増加しているイスラム系移民と従来の住民間との対立も発生するなど、国際都市特有の問題を如何に解決するかが課題となっている。

タワー・ブリッジとテムズ川の夜景

↑テムズ川上流(西)        タワー・ブリッジ                                                テムズ川下流↓

タワー・ブリッジとテムズ川の夜景

拡大写真(2500x930)232KB

ウィキペディア フリー百科事典

 2005年ロンドンは2012年に開催される第30回オリンピック誘致に成功した1908年・1948年に次ぐ3度目のオリンピック開催であり、同一都市としては史上最多となる。2012年には、ヨーロッパで最も高い310mのシャード・ロンドン・ブリッジ(ロンドン・ブリッジ・タワー)が完成する予定という。

国会議事堂周辺

国会議事堂周辺

拡大写真(1300x880)527KB

画像:Google Earth

テムズ川 River Thames
▲▼ テムズ川 River Thames は、南イングランドを流れる川で、ロンドンを海とつないでいる。テムズ川は346kmの長さがあり、コッツウォルズの丘の近くのケンブル村に源泉がある。オックスフォード市内を流れ、ウォーリングフォード、レディング、ヘンリー・オン・テムズ、マーロウ、メイデンヘッド、イートン、ウィンザー、そしてロンドンの順に流れていく。その後、グリニッジ、ダートフォードを流れ、ノアと呼ばれる河口にたどり着く。

テムズ川西岸に建つウエストミンスター宮殿 the Palace of Westminster (国会議事堂)

テムズ川西岸に建つウエストミンスター宮殿 the Palace of Westminster (国会議事堂)

拡大写真(1800x1350)404KB

ウィキペディア フリー百科事典

▲ テムズ川は、干満の差が大きく、ロンドン市内よりさらに上流、河口から90kmの地点まで、北海の潮汐の影響を受けるという。ロンドンは、ローマ帝国支配下の紀元前43年、満潮時に潮が達した地点に築かれたという逸話があり、約2000年の間に更に上流にまで海水が遡るようになってしまった。ロンドン市内では、水は海水と混ざり、少し黒い色をしている。

国会議事堂のビッグ・ベン 2011.7.4 08:30

国会議事堂のビッグ・ベン 2011.7.4 08:30

拡大写真(1650x2200)433KB

ウエストミンスター宮殿 the Palace of Westminster
▲▼ ウェストミンスター宮殿 the Palace of Westminster は、ロンドン中心部のミルバンク Millbank を流れるテムズ川 River Thames 河畔に位置する宮殿で、現在、英国議会が議事堂として使用している。併設されている時計塔 Clock Tower ビッグ・ベン Big Ben と共にロンドンを代表するランドマーク Landmarks として知られる。
  夏川を上るフェリーやビッグ・ベン 北舟 

なつかわを のぼるふぇりーや びっぐべん

Big Ben, a ferryboat going against the stream of summer river.

国会議事堂とビッグ・ベン

国会議事堂とビッグ・ベン

拡大写真(2000x1350)506KB

ビッグ・ベン Big Ben
▲▼ ビッグ・ベン Big Ben は首都ロンドンにあるウェストミンスター宮殿(英国国会議事堂)に付属する時計塔の最も大きな鐘につけられた愛称だが、今では、時計塔全体や大時計そのものを指すようになった。
 時計塔 Clock Tower の高さは96.3m。下部の61mは煉瓦造、残りの部分は鋳鉄の尖塔からなっており、時計の文字盤は地上55mにある。
 毎日正午に奏でられるビッグベンの鐘のメロディは、4音階からなる「ウェストミンスターの鐘」で、日本でもお馴染みの曲である。 国会議事堂の公式サイトからダウンロードすることができる。

国会議事堂の夜景

国会議事堂の夜景

拡大写真(1084x768)201KB ウィキペディア フリー百科事典

ウエストミンスター寺院 Westminster Abbey
国会議事堂に隣接しているウェストミンスター寺院 Westminster Abbey は、イギリス国教会の教会で、戴冠式などの王室行事が執り行われ、内部の壁と床には歴代の王や女王、政治家などが多数埋葬されている。墓地としては既に満杯状態で、新たに埋葬するスペースはもはやなくなっている。
 イギリス中世の大規模なゴシック建築で11世紀にエドワード懺悔王が建設し1066年以降英国国王の戴冠式が行われている。1245年、ヘンリーIII世が再建を決め、フランスの建築家を招き、フランスのゴシック建築にならって現在の寺院を建て始めた。14世紀末までにほぼ完成するが正面部分は16世紀初め塔は17世紀と長期間にわたって建設された。 (内部は撮影禁止)
 現在、多くの学校や職場で使用されている始業や終業のチャイムの音階は、同寺院のために1927年に作曲された「ウェストミンスターの鐘」が起源となっている。1987年、世界文化遺産に登録された。
 なお、ウェストミンスター大聖堂 Westminster Cathedral は、カソリック教会の聖堂で、ウエストミンスター寺院とは、別の建物である。

故ダイアナ元妃の葬儀が行われたウェストミンスター寺院 / ロンドン

故ダイアナ元妃の葬儀が行われたウェストミンスター寺院 / ロンドン

拡大写真(2400x1850)717KB

ロンドン・アイ London Eye
▼ ロンドンの新しいランドマークとなったロンドン・アイ London Eye は、国会議事堂のそばにある観覧車である。ミレニアム記念事業により、1999年末に開業した。直径135m、カプセル1個当たり定員25人は共に世界一だったが、2008年3月1日から営業開始したシンガポール・フライヤー(直径150m、カプセル1個当たり定員28人)にその座を奪われた。
 乗客を乗せるカプセルは32個で、それぞれに空調が付いている。カプセルは通常のように懸下されるのではなくホイールの外側に出ているため視界が妨げられることがない。回転速度は秒速0.26m(時速0.9km)で、1周に約30分を要する。お年寄りや障害者を乗せる場合を除き、乗降のために止まることはない。

ロンドンの新名所・大観覧車ロンドン・アイ London Eye

ロンドンの新名所・大観覧車ロンドン・アイ London Eye

拡大写真(2000x1680)499KB

大英博物館 British Museum
▼ 収蔵品を無料公開している大英博物館は、ロンドンにある世界最大の博物館のひとつで、古今東西の美術品や書籍や略奪品など約700万点が収蔵されているが、常設展示されているのは約15万点に過ぎない。収蔵品は美術品や書籍のほかに、考古学的な遺物・標本・硬貨やオルゴールなどの工芸品、世界各地の民族誌資料など多岐に渡る。

イギリスが世界に誇る大英博物館 British Museum

イギリスが世界に誇る大英博物館 British Museum

拡大写真(2100x1400)528KB ウィキペディア フリー百科事典
▼ 来館者の約56%が外国人観光客といわれている。このため各国語版の案内書も充実しており、入り口脇や屋根のある中庭(グレート・コート)にある販売店では、公式案内書が販売されているが、この中には日本語版(£6)も見られる。

大英博物館 British Museum のファサード

大英博物館 British Museum のファサード

拡大写真(2560x1920)734KB

レリーのウェヌス Venus  (古代ローマ)
▼ 短い時間では、とても廻りきれないが、館内は写真撮影が許可されており、印象に残る展示品を紹介したい。
 写真下は、「レリーのウェヌス 」と名付けられた白大理石の彫像で、裸の水浴びを見られて驚いている様子をあらわしたもの。2005年よりイタリアから貸与されて展示しているという。ウェヌス Venus はヴィーナスのラテン語読みで、ローマ神話の愛と美の女神である。日本語では、英語読みのヴィーナスと呼ばれ、金星につけられた名としても知られている。

レリーのウェヌス Venus(古代ローマ・五賢帝時代)

レリーのウェヌス Venus(古代ローマ・五賢帝時代)

拡大写真(1400x1800)183KB

ホルサバードのラマッソス(メソポタミア)
▼ 写真は、メソポタミア(現在のイラク)北部を占める地域を支配した古代アッシリア帝国の都城ヅゥルシャルキンの東門に置かれていたラマッソスと呼ばれる人面獣身有翼の守護神像で、紀元前865年頃の作品。高さ350cm。
 牡牛の角を配した宝冠は西アジア世界では神を意味する装飾物で、起源は紀元前3000年に遡るという。人間・牡牛・翼を組み合わせたラマッソスは、自然界の超能力を複合して持ち、最強の存在と考えられた。目に見えない邪悪な霊を追い払う守護神として、城門入口の左右に置かれた。正面からみても側面からみても四脚獣であることを示すため、 五本の脚がつけられている。

ホルサバードのラマッソス(人面有翼牡牛像)メソポタミア

ホルサバードのラマッソス(人面有翼牡牛像)メソポタミア

拡大写真(2000x1570)455KB

パルテノン神殿の破風彫刻(ギリシャ)
▼ ギリシャ・アテネのアクロポリスの丘に建つパルテノン神殿は、ギリシャ観光の目玉だが、破風の彫刻は、大英博物館に持ち去られて展示されており、ギリシャからの返還要求に応じる気配はない。アテネのアクロポリスの丘に登った観光客は、石柱の林立した残骸を見るはめになっている。 参照: ギリシャ・エーゲ海紀行/アクロポリス
パルテノン神殿の 破風はふ 彫刻(ギリシャ)

ギリシャ・パルテノン神殿の破風彫刻

拡大写真(2400x1300)393KB

 

パルテノン神殿 Parthenon
▼ パルテノン神殿 Parthenon は古代ギリシャ時代にアテナイ(アテネ)のアクロポリスの上に建設されアテナイの守護神であるギリシア神話の女神アテーナーを祀る神殿である紀元前447年に建設が始まり紀元前438年に完工、装飾等は紀元前431年まで行われた。
 パルテノン神殿は、ギリシャ古代建築を現代に伝える最も重要なドーリア式建造物の最高峰といわれている。装飾彫刻も、全てギリシャ美術の最高傑作である。この神殿は、古代ギリシャの象徴であり、世界文化遺産に登録されている。

広い展示スペースに並ぶ等身大の破風彫像 / 大英博物館(ロンドン)

広い展示スペースに並ぶ等身大の破風彫像 / 大英博物館(ロンドン)

拡大写真(2400x1700)484KB

▼ 破風全周に施された浮彫は、フリーズ frieze と呼ばれ、四年に一度行われた古代アテネ最大の「パンアテナイア大祭」の祭礼行列が表現されているという。制作されたのは、紀元前440年頃と見られ、まさに国宝級の浮彫である。

国宝級のフリーズ frieze彫刻をほどこした飾り板

国宝級のフリーズ frieze (彫刻をほどこした飾り板)

拡大写真(2560x1400)431KB

 現在のパルテノン神殿は、紀元前480年のペルシア戦争で破壊された後に再建され当時あった多くの神殿と同様にデロス同盟や後のアテナイ帝国の国庫として使われた。6世紀にはパルテノン神殿はキリスト教に取り込まれ生神女マリヤ聖堂となった。オスマン帝国の占領後の1460年代初頭には、モスクへと変えられ、神殿内にはミナレットが設けられた。

半人半馬のケンタウルス / ギリシャ神話

半人半馬のケンタウルス / ギリシャ神話

拡大写真(1800x1750)359KB

 1687年9月26日、オスマン帝国によって火薬庫として使われていたパルテノン神殿は、ヴェネツィア共和国の攻撃によって爆発炎上し、神殿建築や彫刻などはひどい損傷を受けた。1806年、賄賂を用いてオスマン帝国の了承を得たエルギン伯は神殿から焼け残った彫刻類を取り外して持ち去ったこれらは1816年にロンドンの大英博物館に売却され、現在でもエルギン・マーブル又はパルテノン・マーブルの名で展示されている。ギリシア政府は、これらの彫刻の返還を求めているが、実現には至っていない。

透けるように薄いドレスを巧みに表現した見事な石像

透けるように薄いドレスを巧みに表現した見事な石像

拡大写真(2250x1550)386KB

写真下は古代ギリシャの神々を祀った神殿をそっくり移築して展示している強国が敗国の文化財を略奪することは、植民地主義や帝国主義が正義だった頃の常識だったが、伝統文化の尊重や民主主義を当然とする現代の国際社会にあっては、何と野蛮なことをしているのかと思ってしまうのは、筆者だけではないだろう。

ギリシャの小神殿をそっくり展示!

ギリシャの小神殿をそっくり展示!

拡大写真(2200x1500)451KB

ラムセスII世の胸像(古代エジプト)
▼ 写真下は、古代エジプト第19王朝のファラオ・ラムセスII世の若くてハンサムな胸像である。彼は紀元前13世紀にエジプト最大の王として領土を拡張し、アブシンベル神殿の建設など、王室の名声と神殿の造営に注力したこの有名な胸像は、ブバスティス Bubastis から出土したもので、紀元前1280年頃の制作と見られている。
 エジプトでラムセスII世のミイラが発見され、劣化防止措置を受けるためにフランスへ出国する際、生きているエジプト人扱いでパスポートが発給され、職業の欄には「ファラオ」と記入されていたというエピソードがある。

古代エジプト第19王朝のファラオ・ラムセスII世の胸像(ブバスティス Bubastis 出土 BC1280年頃)

古代エジプト第19王朝のファラオ・ラムセスII世の胸像(ブバスティス Bubastis 出土 BC1280年頃)

拡大写真(1550x1800)224KB

 

バッキンガム宮殿 Buckingham Palace
▼ バッキンガム宮殿 Buckingham Palace は、首都ロンドンにある英王室の宮殿。外周護衛を担当する近衛兵の交代式を見物出来ることで有名。バッキンガムは、現在では英王室の代名詞として知られる。
 約1万坪の敷地を誇り、舞踏会場、音楽堂、美術館、接見室や図書館などが設置されている。部屋数は、スイート19、来客用寝室52、スタッフ用寝室188、事務室92、浴室78。宮殿に勤務する人は約450名、年間の招待客は4万人にもなるという。王族たちを補助する侍従50人は同じ宮殿内に住み込み、その他の侍従たちは王室の厩舎(きゅうしゃ)であるロイヤル・ミューズ Royal Mews に起居しているという。

バッキンガム宮殿

バッキンガム宮殿

拡大写真(2600x1170)994KB

ウィキペディア フリー百科事典

▲ 宮殿正面の広場には金色に輝くクイーン・ヴィクトリア記念碑 Queen Victoria Memorial が建っている。現在は7月26日〜 9月24日の間に限って一般公開されており入場料はウィンザー城を修復する費用に充てられ ているという。

衛兵交代式の見物客たち

衛兵交代式の見物客たち

拡大写真(2400x1600)610KB

 

衛兵交代式 Changing the Guard
▲▼ イギリスの名物であり、重要な観光イベントである衛兵交代式 Changing the Guard は、4月から7月までは毎日1回、他の月では2日に1回ずつ午前11時又は11時30分に行われる(日曜日は10時。大雨の日は中止)

スコットランド・ヤード New Scotland Yard の騎馬警官と行進する衛兵たち

スコットランド・ヤード New Scotland Yard の騎馬警官と行進する衛兵たち

拡大写真(2000x1370)649KB

▲▼ イギリスの近衛兵(このえへい)は、イギリス陸軍近衛師団 Guards Division 麾下(きか)の各部隊に所属する兵士であり、君主の警護や衛兵任務だけでなく、一般部隊と同様に実戦部隊としての任務も有する。
 現在でも、バッキンガム宮殿やウィンザー城などにおいて、英国陸軍の近衛兵が衛兵勤務に就いている。衛兵は直立不動の姿勢で警衛を行い、衛兵交代式は観光資源の一つとなっている。

軍楽隊の行進

軍楽隊の行進

拡大写真(2200x1900)754KB

▲▼ 歩兵部隊の正装は、赤い上着に熊の毛皮の帽子ベアースキン Bearskin で、連隊によって制服のボタンの配列と帽子の飾りに差異があるという。オモチャの兵隊とそっくりで凛々しく感じる一方で何故か親しみを感じる。

自動小銃を担いだ衛兵たち

自動小銃を担いだ衛兵たち

拡大写真(2000x1550)789KB

Wa☆Daフォトギャラリー

今 日

 和田フォトギャラリー

昨 日

 Copyright (C) 2000-2011 Yoshio Wada. All Rights Reserved. 

ホームページお知らせお便りコーナー徒然日記俳句・海の風景ホームページ奮闘記作者のプロフィールリンク