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4月27日(金)午後8時から住吉神社境内の特設舞台で墨江町囃子連の主催で奉納囃子が披露された。奉納囃子は、翌日の住吉神社例大祭の宵宮(前夜祭)として、修祓(しゅばつ)の儀のあと奉納されるもので、今年は墨江町囃子連(すみえちょう・はやしれん)による単独の奉納となった。 墨江町囃子連 |
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村野公一さん |
伊藤晋・連長 |
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舞台前で挨拶をしている人は、墨江町囃子連の伊藤晋・連長。墨江町囃子連では、他の囃子連と違って連長は特別に茶色の連長半纏をまとっている。子供たちは玉砂利に座って鑑賞していた。 |
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青梅に住吉大神を勧請した延命寺は、同じ住江町内にあり、青梅七福神の「大黒天」を祀っていることから、墨江町囃子連では、奉納囃子のオープニングに「大黒天の舞」を採り入れている。面の作者は青梅の新井潤さん。衣装は細谷公一さんの寄贈。今年、バックで演じられた曲目は前頁のBGM「四丁目」。 |
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舞の最後に御供物(ごくもつ)振る舞いがあり、「招福 多摩青梅七福神 大黒尊天 延命寺」と朱印された福袋が撒かれ、子供たちが争って拾っていた。袋の中には招福銭としてご縁があるように5円玉1個が入っているが、福当たりとして10円玉や100円玉も入っている。 |
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お囃子はBGMの最初に流れる宮鎌倉。踊り手がかけている(つけている)面は一般的には「外道(げどう)」と呼ばれるタイプのもので、現在国内でも屈指の名人といわれている能面師の小川玄洞さんによる創作面。その名もずばり「宮鎌倉」。 |
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篠笛(しのぶえ)の奏者が墨江町囃子連の村野公一さん。笛の名手であるばかりでなく、青梅と江戸の祭礼文化の研究家で、地域のフォーラムでその成果などを発表しており、私が最もお世話になっているリーダーである。 |
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天狐の手前で締太鼓を叩いている人が私の最初の作品「青梅大祭」に登場する「猿と戯むる大五郎」こと「龍佑君」の父・田中正幸・前連長。その手前は梅宮宮司とのツーショットを撮ってくれた船津久康さん。住江町で写真店を営むプロカメラマンである。 |
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龍佑くん何見てるの?/ 夏祭猿と戯むる大五郎 |
青梅大祭 |
マウスカーソルで画面のどこかをポイントすると答えが現れます。 |
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最後は、年に一度しか見られない「神功皇后の舞」。墨江町囃子連が一年あまりに渡って完成させた創作囃子による舞踊で、とても優雅な舞である。住吉神社の祭神・神功皇后がかける(つける)「慈愛の面」も完全なオリジナルで、作者は名人の小川玄洞さん。村野公一さんが作曲。BGMの2曲目が「神功皇后の舞・風の章」である。 |
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墨江町囃子連による年に一度のオリジナル「 |
神功皇后 |
の舞」 |
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住吉神社例大祭 |
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翌4月28日(土)は住吉神社例大祭の日で、午後11時過ぎから式典が行われた。祭主である住吉神社・梅宮貴史宮司はじめ6人の神職と氏子総代ら長老や役員が参列し、新緑の境内に鎮座する祓戸社(はらえどしゃ)に参拝したあと、拝殿に移動し、神事がしめやかに行われた。 |
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梅宮貴史宮司のご高配により、住吉神社拝殿における例大祭の神事の模様を撮影することが出来た。 |
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かつて住吉神社の祭礼は、この例大祭の日に行われていたが、昭和40年代以降、山車の巡行がゴールデンウィークの5月2・3日に移された。現在では、氏子9町と近隣3町の12町会(青梅市自治会連合会第一支会)と9つの居囃子が参加する青梅大祭として、関東でも有数の祭りへと発展している。 |
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正装で参列した長老たち |
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山車の運行がゴールデンウィークに移されたのは、参加者の仕事の都合や観客動員などを考慮したというよりも、昭和42年(1967)の統一地方選挙や昭和44年(1969)の沖縄返還デーのイベント開催に伴い、警察から日程変更の要請があったことがきっかけだったという。 |
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青梅市指定史跡の住吉神社 |
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住吉神社は青梅市指定史跡に指定されている。青梅市教育委員会によると、変形春日造(背面入母屋造)の本殿は、正徳6年(1716)に建立され、棟札には泉州(大阪府南部)出身の大工の名前なども記載されており、上方建築の影響がみられるという。本殿は年に一度の例大祭のこの日しか開扉(かいひ)されない。 |
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拝殿・弊殿の再建は、文政7年(1824)から天保6年(1835)ころと推定され、江戸時代に建てられた本殿・弊殿・拝殿が一体として残っており、大変貴重な文化財となっている。 |
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青梅市有形文化財の雲龍図 |
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この拝殿天井に描かれた雲龍図は、文政7年(1824)住吉神社拝殿新築の際、画家小林天淵(こばやし・てんえん)(1778〜1863)の筆になるもの。天淵47歳のときの力作で、彼の代表作ともいうべきものである。 |
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