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「本祭り」は連合渡御である。12ヵ町の山車が旧青梅街道を中心にそれぞれの町内に乗り入れて巡行する。その際、各町の会所に赴き、祭典委員長など幹部が挨拶する決まりで、口上も決められている。挨拶の後、お神酒で乾杯し、3・3・1拍子という独特の青梅締めで〆る。七本締めとも呼ばれる。 |
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3日の朝、宮元である住江町の氏子の代表たちは、住吉神社の南にある臨済宗・住吉山(すみよしざん)延命寺(えんめいじ)に参拝し、大久保有邦(おおくぼ・ゆうほう)住職によるお祓いを受けた。600年以上の歴史を有する古刹・延命寺は、大阪の住吉明神を青梅の地に勧請したお寺で、その縁あって住吉神社が青梅の総鎮守となっている。 |
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撮影:村野公一 |
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本来なら住江町だけでなく、氏子町全てが参拝すべきであろうが、明治以降の神仏分離政策の影響で、住吉神社と隔離されて以降、延命寺は青梅大祭に参加しておらず、正規の行事には組み込まれていない。 |
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撮影:村野公一 |
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延命寺では年に一度、青梅大祭のこの日だけ、寺宝の曼荼羅の掛け軸を開帳している。南の国で作られた貴重なもので、開山のときから存在し、青梅市の文化財となっているが、東京都の指定を受けても良いほどの文化的価値の高いものであるという。 |
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青梅大祭に貢献 |
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住吉神社前の2本の大幟(おおのぼり)は、昨年数十年ぶりに復活したが、「奉献 住吉大明神」の文字は大久保有邦住職の筆による。 |
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また、2007年と2006年の青梅大祭のポスターの題字は、青梅大祭実行委員会事務局長の栗原さんが書いたものだが、2005年の題字は大久保住職によるもの。30分ほど歓談させて頂いたが、高齢ながら青梅大祭に貢献したいという住職の熱い思いを強く感じた。 |
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街道では三々五々顔なじみの人たちが笑顔で歓談する姿が見られた。竹内俊夫・青梅市長の姿もあり、住江町の氏子として祭半纏がよく似合っていた。 |
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墨江町(住江町)の祭半纏が粋な竹内俊夫・青梅市長(左端)
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各町の山車は、巡行時間表と山車行列構成図に従って旧青梅街道を中心に巡行される。「本祭り」は、前日の「町内曳き」以上に道中が長いため、要所要所で休憩をとるものの、2日間、山車を曳きながら巡行するのはかなりの重労働である。 |
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本町山車行列の構成 |
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本町の山車行列は、下図が基本となって運行される。綱先の先頭に立ち、「進め」「止まれ」の合図で引率しているのが”町内の顔”である「拍子木」だが、実際は「山車宰領」が巡行全体を取り仕切っている。 |
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昔の人は、新幹線で3時間もかからない東海道を何日もかかって歩いて旅したことを考えると、その健脚ぶりに脱帽する。文明の利器が発達したお陰で、現代人はひ弱になっていることを青梅大祭は教えてくれる。 |
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朝の内は空いていた街道も露店がギッシリと立ち並び、観光客が道を埋め、警備陣の出番が多くなってきた。 |
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