|
|
|
|
|
|
|
天下祭(てんかさい)は、毎年2月第2日曜日に松平東照宮で開かれる裸男と厄男による厄払いの裸祭である。 |
|
|
▼ 平成24年(2012)2月12日(日)の天下祭当日も爽やかな晴天で明けた。リッチな朝食を取ったあと、午前8時半ころ、登里公大将の車に便乗して、松平東照宮に向かった。 |
|
|
|
|
|
|
|
本番の朝、 |
登里公 |
旅館を出発! 2012.2.12 08:30 |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
▼
A3を半分に折った立派な「天下祭」のパンフレットを開くと、左側の2頁目に原田好夫委員長の挨拶文が掲載されている。「おいでん」は、「おいで」という意味の三河弁。「おいでんバス」が唯一豊田市駅前から松平郷を結んでいるが、「おいでなさいバス」というネーミングなのは、親しみが持てる。委員長の挨拶は、地元氏子のみなさんの天下祭に寄せる熱い思いが込められている。 |
|
|
天下祭の参加費用は5000円。必要な装束や食事などが全員に供与されるので、衣装統一の計られた美しい裸祭となる。この日のイベントとスケジュールは、右側に記載されており、全ての行事は、時間通りに行われた。 |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
拡大写真(1400X2000)693KB |
資料:天下祭実行委員会 |
|
|
|
|
|
|
親氏公願文
|
|
|
▼ 見開きの右側の3頁目には、天下祭の解説と、申込書が掲載されている。親氏公願文(ちかうじこう がんもん)の読みには、難しい漢字にルビを振ったらよい。現代語訳は意訳になっているので、原文の直訳を和田訳として掲載した。
【願文】 天下和順 日月清明 風雨以時 災癘不起 国豊民安 兵戈無用 崇徳興仁 努修禮穣
【読み】 天下和順し 日月清明なり 風雨時を以て 災癘(さいれい)起らず 国豊かに民(たみ)安んじ 兵戈(へいか)用ふることなし 徳を崇(あが)め仁を興(おこ)し 努めて禮穣(れいじょう)を修すべし
【直訳】 戦乱の世が和やかになり、日月も清らかで明るく、恵みの気候により災害や疫病が起こらず、国が豊かになって民衆が安心して暮らすことができ、武器を用いることもなく、仁徳の向上に努め、礼節を身につけるよう修行すべきである。(和田訳)。 |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
拡大写真(1400X2000)574KB |
資料:天下祭実行委員会 |
|
|
|
|
|
|
▼
パンフレットの裏(4頁目)には、「松平郷まつり広場」と題してマップとスケジュールが掲載されているので、これを見ながら広い会場をまわり、天下祭を楽しむことができる。かなり歩くことになるので、ピクニックのように良い運動になる。 |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
拡大写真(2000X1450)436KB |
資料:天下祭実行委員会 |
|
|
|
|
|
|
▲▼
松平郷入口から北に600mほど歩いたところに「天下祭総合案内所」のテントがある。ここでパンフレットをもらったり、約3kmのウォークラリーの申込みができる。 |
|
|
|
|
|
|
|
|
登里公大将・渥美公太郎さん |
天下祭総合案内所 |
|
|
|
|
|
|
|
▲
一晩お世話になった登里公大将の渥美公太郎さんが執務していた。玉競り(たませり)では、天下褌を締めて水掛役を務めるので、一人何役もこなしている。彼がはおっている赤い半纏は、座主経験者でないと着用できないものなので、誇らしげである。 |
|
|
|
|
|
|
|
|
棒の手と和太鼓が披露される第1イベント場 |
玉競場入口↓ |
玉競場→ |
|
パノラマ写真(2400X1250)786KB |
|
|
|
|
|
|
▲▼
総合案内所の北側が「第1イベント場」と名付けられた広場となっており、「棒の手」や「わ太鼓演奏」が披露されるほか、多くの露店が並ぶ。この広場と松平東照宮の間に玉競場(たませりば)が設けられ、午後2時半から天下祭最大のイベントである玉競り(たませり)が行われる。 |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
パノラマ写真(2400X1100)626KB |
|
|
|
↓参加者昼食会場 |
第1イベント場奥(西側)の出店と露店 |
第一イベント場↓ |
|
パノラマ写真(2400X1000)645KB |
|
|
|
|
|
|
▼
松平東照宮に行くと、天下祭実行委員会が奉納した御寳前(ごほうぜん)と墨書された一対の巨大な幟(のぼり)が石鳥居の前に立てられ、朝日を浴びて風になびいており、天下祭の雰囲気を醸し出していた。 |
|
|
|
|
|
|
|
天下祭実行委員会が奉納した巨大な |
御寳前 |
の幟 / 松平東照宮 09:07 |
|
|
拡大写真(1700X2000)1.19MB |
|
|
|
|
拡大写真(2400X1750)1.36MB |
|
|
|
|
|
|
|
|
拡大写真(2000X1800)332B |
|
|
|
|
|
|
|
|
▲▼
拝殿では個人や団体でお参りする人々の姿が見られ、社務所では裸男の申込をする人の列ができていた。 |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
▼
札幌市から遠征してきた伊藤修さんは、昨日の大禊の後、最終バスで豊田市内のホテルに戻って一泊し、今朝は早々に5000円を納めて裸男の申込みをした。 |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
▼
昨夜、道彦を務めた本田さんや早河さんらが四つ編みにしていた座主の鉢巻は、立派に完成し、杉浦現座主の手にあった。鉢巻の後ろが殿様の丁髷(ちょんまげ)のようになっているのが面白い。 |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
▼
座主たちが徹夜で彫り上げた親氏公願文(ちかうじこうがんもん)25文字目の願字(がんじ)(願文字)「崇(しゅう)」の大絵馬は、立派に完成していた。 |
|
|
|
|
|
|
|
徹夜で彫り上げた「崇」の大絵馬を持って記念撮影 / 松平東照宮 09:49
|
|
拡大写真(2400X1800)706KB |
|
|
|
|
松平親氏公願文25文字目の「崇」を持って産八幡神社に向かう 09:50
|
|
拡大写真(2400X1800)1.30MB |
|
|
|
|
|
|
▲▼
この日最初の仕事は、大絵馬を産八幡の宮(うぶはちまんのみや)に奉納すること。絵馬を持つ竹本座主を先頭に、座主・水姫・介添人たちが一列になって産八幡の宮に赴いた。 |
|
|
|
|
|
|
|
判行 |
中の参加者に見守られながら産八幡の宮に上る 09:52 |
|
|
拡大写真(2400X1800)1.18MB |
|
|
|
|
|
|
▲▼
産八幡では、裸男や厄男たちが判行(はんぎょう)の長い列をつくっていたが、一時、場所を譲ってもらった。 |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
▲▼ この日、産八幡は、判行所(はんぎょうしょ)として鉢巻に判行印(はんぎょういん)を押す判行が行われていたが、判行印を載せた机を縁側に移動して、大絵馬を安置することができた。 |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
↓判行印 |
|
拡大写真(2000X1500)528KB |
|
|
|
|
|
|
▼
産八幡の宮には、過去24年間に奉納された24枚の大絵馬が飾られていた。
「天下和順 日月清明 風雨以時 災癘不起 国豊民安 兵戈無用 崇徳興仁 努修禮穣」の32の願字のうち、「用」まで完成している。第25回天下祭が開かれた今年、その次の「崇」(しゅう)が彫られ、神前に供えられた。 |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
拡大写真(1800X1400)563KB |
撮影:伊藤 修 |
|
|
|
|
|
|
▲▼ 天下祭の判行は、昔、松平の殿様が氏神六所神社の祭に参拝した領民の額(ひたい)に神璽(みじるし)の判を押した故事に基づくもの。祭神の松平親氏公が天下泰平を祈念した32文字の願文を4年間にわたり鉢巻に押印してもらうことにより、自らの祈願が叶うとされている。 |
|
|
|
|
|
|
|
1年で8印、4年で32印の満願となる |
判行 |
|
|
拡大写真(1500X1100)350KB |
|
|
|
|
|
|
▲▼ 判行(はんぎょう)は、32の枠が印刷された白地の布に、毎年、右から左に8つの願字を押してもらい、4年で32文字が揃って満願となる。判行印は、願字4字をひとまとめにしてある。毎年、二つの判行印が押される。判行印を押す人は、赤い半纏の座主経験者である。 |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
撮影:伊藤 修 |
|
|
|
|
|
|
|
|
▼
午前10時、松平東照宮の拝殿前で樽酒の鏡開きが行われ、有料の天下桝(てんかます)を持つ裸男や参拝者たちに振る舞われた。 |
|
|
|
|
|
|
|
樽酒の鏡開き / 松平東照宮 2012.2.12 10:02
|
|
拡大写真(2400X1800)985KB |
|
|
|
ふゆばれの かがみびらきや てんかさい |
Fine
winter day, Tenka festival opening a sake barrel. |
|
|
判行 |
が終わった参加者たちに振舞酒 10:04 |
|
|
|
|