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松平東照宮の東方約350mに位置する高月院は、貞治6年(1367)足助(あすけ)次郎重宗の子・重政(寛立上人)が松平郷主・在原信重の援護を受けて「寂静寺」として建立したことに始まる。永和3年(1377)に親氏が本尊阿弥陀仏をはじめ、堂塔伽藍(どうとうがらん)を寄進してから「高月院」と改められ、松平氏の菩提寺となった。 |
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その後、家康によって寺領100石が与えられ、明治維新まで時の将軍家から厚い保護を受けた。過去に、司馬遼太郎はじめ作家や歴史研究家などが訪れているという。 |
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厄除け花餅作り / |
高月院 |
11:06 |
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撮影:伊藤 修 |
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▲▼ 高月院では、「松平わ太鼓」の奉納と時を同じくして、裸男と厄年女性による「厄除け花餅作り」が行われた。 |
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撮影:伊藤 修 |
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▲▼ 高月院の現在の山門や本堂は、寛永18年(1641)に家光によって建てられたものといわれ、本堂左手奥には、葵紋の石扉のある松平氏墓所があり、初代親氏(ちかうじ)、二代秦親(やすちか)、四代親忠(ちかただ)婦人の宝篋印塔(ほうきょういんとう)(仏塔)3基が祀られている。 |
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高月院 |
を出発する花餅神輿 11:30 |
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撮影:伊藤 修 |
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▲▼ 午前11時半、花餅が飾られた花餅神輿が高月院を出発し、松平東照宮に向かった。花餅神輿は子供神輿、厄年女性神輿、裸男神輿の三基。 |
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花餅神輿を先導する松平わかば子供会の神輿 11:51
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石鳥居を通過する裸男たちの花餅神輿 / 松平東照宮 11:53 |
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▲▼ 三基の花餅神輿が松平東照宮に到着すると、大河原宮司など神職による御祓いを受けた後、花餅が奉納された。天下祭の白法被は、原田好夫実行委員長はじめ神事に携わる役員が着用する。 |
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▼ 正午になると、第一イベント場で「豊田市松平の棒の手」の演技が始まった。午前10時半から社務所前広場でで行われた棒の手は神社への奉納だったが、こちらはイベント・ショーといった内容で組み立てられている。 |
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「豊田市松平の棒の手」の開始 / 第一イベント場 12:01
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▲▼ 石楠(いしなん)起倒流棒の手師範の紹介などがあったあと、次代を担う子供たちの演技に移り、大勢の観客の拍手喝采を浴びていた。 |
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▼ 子供たちの見事な演技が終わった後には、江戸時代の辻芸人の風習を彷彿させるおひねりが投げ込まれた。 |
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▼ 昼飯時となったので、取材を中止し、昼食会場に行った。場所は松平郷多目的休憩所の看板のある平家(ひらや)で、既に長い行列ができていた。 |
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▼ 中に入ると、大勢の参加者たちが入口で受け取った炊き込ご飯や豚汁で腹拵(はらごしら)えをしていた。委員会からお借りした半纏をはおっていたお陰で、私も昼食を取ることができた。 |
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▼ 食事を終わって外に出ると、第一イベント場は、「棒の手」が終わり、松平わ太鼓の自由演奏が始まっていた。 |
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松平わ太鼓の自由演奏 /
第一イベント場 12:22
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▼ 以後、裸男たちと行動を共にすることにし、昨夜取材した更衣テントに行った。こちらは、第二イベント場となっており、JAの出店があって、午後11時から先陣鍋が振る舞われた。 |
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褌・鉢巻・地下足袋をもらう /
更衣テント入口 12:50
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▲▼ パンフレットによると、裸男たちの「下帯着替え」は、12:30〜13:30となっている。玉競り(たませり)参加者たちは、入口で褌・鉢巻・地下足袋をもらい、褌ロールをつくったあと、身支度を整えた。 |
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今年で5度目の参加となる札幌の伊藤修さんも更衣テントに入って着替えをはじめた。彼は、全て白一色の白組に組み込まれていた。 |
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▲▼ 玉競りは、水玉(すいぎょく)を守る赤組と水玉に触れに行く白組に別れて行われるが、どちらになるかは鉢巻を受け取るまで分からない。赤褌(あかふん)は、還暦以上の人が締める。 |
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▼ 身支度を整えた裸男たちは、三々五々、「練込み」出発地点となっている深見工業前(松平郷入口の駐車場)に向かった。 |
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練込み出発地点の深見工業前に向かう裸男たち 13:28
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ふゆはるる みなふんどしの てぃーばっく |
Fine day
in winter, all ascetics of T-back loincloth. |
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