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2009年1月30日改訂

今 日

昨 日

♪メドレー「野の花〜春の海」

鶯の囀り渡る新芽かな   北舟

日本の野鳥を撮る旅

A bush warbler loudly warbling on a sprout.

2000年7月31日開設

ウグイスの囀り

拡大写真(1750x1200)160KB

撮影:横山 稔

ウグイスの囀り/横浜市戸塚区舞岡公園
2009年の日記  

 

1月/下
  2008年12月 1月/上 1月/下 2月

目次


  2009年1月30日(金)  
■■■       感動写真集第113集 「東北ドイツの旅・上」完成! ■■■
 先ほど、2009年第5作(通算第374作)をアップした。
 
                 感動写真集第113集/特集!旅紀行第80集 「東北ドイツの旅・上」
 
                        撮影・原作 : 小池淳二  監修:和田義男
撮影・原作:小池淳二 (こいけ じゅんじ)

住居:兵庫県明石市

昭和11年(1936)生まれ

趣味:音楽鑑賞 旅行 ウォーキングなどの運動

感動写真集第113集/特集!旅紀行第80集 「東北ドイツの旅・上」

  平成20年(2008)3月23日 作品:第5作  画像:(大61+小13)  頁数:5  ファイル数:155  ファイル容量:29MB
  平成12年(2000)〜平成21年(2009) 
作品数:374 頁数:1,373 ファイル数:38,619 ファイル容量:6,173MB
東・北ドイツへの旅
 2008年5月28日から6月5日にかけて、あしかけ9日間の表記の旅行に妻と一緒に行ってきました。9日間といっても初日は夜に関西国際空港に集合しただけで、テイクオフは翌5月29日の0時25分でしたから本当は8日間でしょう。旅行の企画はクラブツーリズムで「東ドイツと北ドイツ世界遺産ぐるり周遊9日間」というコース80001の旅で、カタール航空のドーハ乗り継ぎ便でベルリンに飛びました。
 ドイツには14年前、関西国際空港が完成して間なしの頃に1度行っていますが、そのときは南部を中心に回りました。それで今回は前回未訪問の土地を選びました。
 私事にわたる話で恐縮ですが、実はドイツという国は、今はなき畏友O君が1979年に長期出張で西ドイツのハンブルクに滞在しております。また、別の友のT君は1985年に西ドイツの保険会社の研修で同じハンブルクに半年間滞在しておりました。君は、その間、英語で研修を受けたそうですが、その後来日した研修のドイツ人教官から「君の英語は結局6ヶ月間分らずじまいだった。」と言われたそうです。しかし、T君は、その後立派に仕事を勤め上げました。
 君の方は、その間、イースターの休暇を利用して西ベルリン観光に出かけており、その様子を我々の手紙集のような文集に寄稿しております。その時の文集を読み返しましたが、当時、分裂した西ドイツから西ベルリンに入るには航空機によるか、東ドイツ区域には停車しない直行列車によるほか方法がありませんでした。
 君はハンブルクからの列車に乗りましたが、境界を越えるとゲシュタポを思わせる拳銃を持った兵士が乗り込み、パスポートと切符を調べたそうです。また、西ベルリンではヴィルヘルム記念教会や戦勝記念塔などを2階建てバスで観光し、翌日には、日帰りで東ベルリン観光をしております。あのベルリンの壁で唯一外国人が通れるチェック・ポイント・チャーリーを通過するときにも武装警官の厳しいチェックがあり、バス・ドライバーなどがピリピリしていたことが記されていました。
 東側ではブランデンブルク門、整然としたウンター・デン・リンデン通り、ドイツ歴史博物館などを観光しており、西側の喧騒に対し、東側の静まり返った様子を伝えております。しかし、帰途、チェック・ポイント・チャーリーを通過して西側にバスが戻ると緊張から解かれ、ほっとした乗客から自然と拍手が起こったそうです。
 今回の私たちの旅の目的は、再統合されたベルリンなどの現状を見て、友を偲び時の流れを感じることにもありました。しかしチェック・ポイント・チャーリーではバスは停車せず、振り向くと、かつての西ベルリン側にある米兵の写真が見えただけでした。ウンター・デン・リンデン通りは緑豊かでしたが、ひっそりとはしておらず、ブランデンブルク門は立派でした。
 しかし、現地ガイドの話では、統合後、東側の人々からは「なんだ、統合しても以前と変わらないじゃあないか。」と不満があり、西側からは「なんで我々が東側の人の年金や保険を負担しなければならないのか。」との声があったそうです。難しい問題で、本質的にいまだ未解決でしょう。
  緑陰の壁に残りし弾の跡  北舟 

りょくいんの かべにのこりし たまのあと

Bullet holes remained on a wall in the shade of trees.

【編集子が選ぶ名作】

州議会議事堂のそばに残るベルリンの壁

州議会議事堂のそばに残るベルリンの壁

拡大写真(1400x1050)364KB

 
和田義男

 小池さんのお陰で、ベルリンの観光ができ、東西に分断された敗戦国ドイツの悲劇を目にすることができた。朝鮮半島では未だにその状況が続いているが、同じ敗戦国である日本は比較的早い段階で沖縄がアメリカから返還され、現在は北方領土問題が残るだけである。

 祖国統一と共に復興が進み、国民が一致団結して奇跡的な高度経済成長を遂げ、先進国の仲間入りを果たせた日本は、大変幸せな国だと思う。 〈 続く 〉 2009.1.30 和田義男
 
  噴水の楽園ありき無憂宮  北舟 

ふんすいの らくえんありき さんすーしー

Sans Souci, once a paradise of fountain.

【編集子が選ぶ名作】

大噴水とサンスーシ宮殿

大噴水とサンスーシ宮殿

拡大写真(1800x1350)495KB


  2009年1月24日(月)  
■■■       感動写真集第112集 「小松神社裸参り」完成! ■■■
 先ほど、2009年第4作(通算第373作)をアップした。
 
                 感動写真集第112集/日本の裸祭り第87集 「小松神社裸参り」
 
                        撮影・原作 : 清原 浩  監修:和田義男

 
撮影 ・ 原作 :

 清原 浩 きよはらひろし

 

住居:宇佐市(出生:豊後高田市)

昭和36年生まれ

趣味:写真、流木アート

若宮 秋季大祭 川組後援会 役員

日本の裸祭り第87集/感動写真集第112集 「小松神社裸参り」

  平成21年(2009)1月24日 作品:第4作  画像:(大12+小11)  頁数:2  総ファイル数:44  ファイル容量:6MB
  平成12年(2000)〜平成21年(2009) 
作品数:373 頁数:1,363 ファイル数:38,464 ファイル容量:6,144MB

あとがき
 1月1日午前0時、数々の平家伝説が残る小松神社で、800年以上も続く行事である裸参りの撮影に出かけました。時折小雪が舞い散る中、褌姿の裸男達が小松神社の側にある川で禊ぎをし、今年一年の無病息災を願うという神事です。
  最近は、過疎化・高齢化・少子化が進み、参加する者もめっきり減ってしまい寂しい限りではありますが、絶やして欲しくは無い祭りの一つです。禊ぎの際は褌を取り、すっぽんぽんで川に入ります。今回は、禊ぎの撮影が出来なかったことが悔やまれますが、来年は是非撮影が出来るよう努め、伝統の文化を色んな方に見て貰いたいものです。
  御神火の火の粉の爆ぜて年迎ふ  北舟 

ごしんかの ひのこのはぜて としむかう 

New Year has come, while sparks of divine fire sparking.

【編集子が選ぶ名作】

火の粉の爆ぜる御神火

火の粉の爆ぜる御神火

拡大写真(1400X1150)257KB

全裸の禊ぎ
 年が改まった元旦に垢離(こり)を取って身を清め、古い褌に代えて新しい褌を締めて参拝するという風習は全国で見られるが、それを取材した作品がないことから、今回、清原さんの今年三作目となる「小松神社裸参り」を発表させて頂いた。
 立派な垢離取り場だったが、禊ぎが全裸だったということで撮影できず、物足りない作品になったが、来年は小松神社の取材許可を取って撮影したいとのことなので、期待したい。
和田義男
 全裸による禊ぎは、珍しいものではなく、現代でも銭湯ではみんな全裸になって入浴する裸文化が定着しているため、違和感はなく、公序良俗に反しない撮影なら一向に差し支えない。鐵砲洲寒中水浴大会の作品では、度々銭湯で暖をとるシーンが登場する。
 私が高校生まで過ごした高知県須崎市には新庄川が流れており、夏場には男のお遍路さんが川に入って水浴している光景をよく目にしたがみんな全裸だった。理由は褌だと濡れてしまって、後で乾かさなければならないからである。小松神社の垢離取りも褌が濡れないように全裸になっているのだという。
 中に全裸を嫌って褌のままで禊をした人がいたが、彼らは濡れた褌を手にバスタオルで腰を包んで拝殿に上っていた。この光景は見苦しいので、褌のままで禊をしたい人は、もう一本褌を持参し、初詣は全員揃って新しい褌を締めて行う方が神様も喜ばれることだろう。
  垢離取りて褌のままの初詣  北舟 

こりとりて ふどしのままの はつもうで

First visit of the year, just wearing fundoshi loincloth after purification.

【編集子が選ぶ名作】

雪蛍の中の裸の行進

雪蛍の中の裸の行進

拡大写真(1400X1050)190KB

 
虎の門外あふひ坂/名所江戸百景(歌川広重)

虎の門外あふひ坂/名所江戸百景(歌川広重)

拡大写真(600X900)138KB
 

裸参りはだかまいり

 左の浮世絵「虎の門外あふひ坂」は、安政4年(1857)歌川広重晩年の大作「名所江戸百景」119枚揃の1枚。「あふひ坂(あおいざか)」は葵坂で、坂を上りきったあたりに葵の植わった地があったことから命名されたらしい。江戸築城の際に作られた溜池からは、冷たい水が葵坂に沿うように流れ落ちている。

 最も手前には長提灯を掲げて褌一丁で走る職人の二人の弟子が描かれている。

  和田義男
 子供の方の提灯に書かれた「金比羅大権現」の文字から、右奥に位置する金比羅宮へ寒参りに出向いた帰りであることが分かる。
 この絵は、寒中の夜30日間、1日も欠かさずに金比羅宮に参拝し、年季奉公中に技量があがるように祈願する願懸けの寒行をおこなっているところを描いたものであるという。
 寒いときに裸で神社仏閣に参拝する風習を裸参り(裸詣り)と呼ぶが、江戸時代から盛んに行われるようになったらしい。寒行(かんぎょう)の一種で、それを行っている人を行者(ぎょうじゃ)と呼んだ。
 神仏に現世利益(げんせりやく)を祈願するのに、苦行をもってその代償としたもので、百回参拝を繰り返すことで神仏に祈願するお百度参りもこれと同じ趣旨である。
 
   寒いときに褌一丁の裸形になって、水を浴びたり、お参りしたりする風習は日本独自の裸文化である。戦前までは、軍人や官僚たちは、正月に近くの神社で斎戒沐浴して、新しい年に臨んだという。時代の変遷と共にこのような風習が廃れていったが、そのお陰で、夏の行水や風呂に入る習慣が培われ、世界一身綺麗で清潔好きな国民になったのかも知れない。 〈 完 〉 平成21年(2009)1月24日 監修 和田義男  

  2009年1月20日(火)曇  
■■■       感動写真集第111集 「鐵砲洲寒中水浴'09」完成! ■■■
 1月18日(日)、2009年第3作(通算第372作)をアップした。
 
                 感動写真集第111集/日本の裸祭り第86集 「鐵砲洲寒中水浴'09」
 
                        撮影・原作 : 星 宏幸  監修:和田義男

 
 
撮影 ・ 原作 :

 星 宏幸 ほしひろゆき

 

【 弥生会広報部 】

住居: 東京都

趣味: お祭りを楽しむこと、鉄道、山歩き、落語を聞くこと

日本の裸祭り第86集/感動写真集第111集 「鐵砲洲寒中水浴'09」

 平成21年(2009)1月18日 作品:第3作  画像:(大27+小5)  頁数:3  ファイル数:69  ファイル容量:15MB
 平成12年(2000)〜平成21年(2009) 
作品数:372 頁数:1,366 ファイル数:38,411 ファイル容量:6,138MB

★☆★彡

あとがき
 撮影や会場整備で寒中水浴に関わるようになって、今年で5年目になりますが、参加者、見物人とも年々増え、例大祭と並ぶ鐵砲洲稲荷神社の行事として、ますます盛んになっていることを実感しています。特に今年は天候にも恵まれ、活気ある水浴となりました。
 また、昨年の還暦記念水浴に続き今年も和田さんご自身が水浴に参加して下さいました。水浴中の表情にもすでにベテランの余裕が見て取れます。これからも一年の節目として、末永くご参加いただきたいと思います。
 一方、私の写真の腕の方は、未だに初心者の域を抜け出ないところですが、今後とも和田さんを始め皆さんの勇姿を記録し続けたいと思います。また、弥生会としても、参加者、見物人の受け入れ態勢などで至らないところは多々ありますが、神社に協力して寒中水浴を支えて行きたいと思います。
  白褌の寒中水浴鐵砲洲  北舟 

びゃっこんの かんちゅうすいよく てっぽうず

Teppohzu, midwinter ablutions wearing white loincloth.

【編集子が選ぶ名作】

鐵砲洲囃子をバックに寒中水浴

鐵砲洲囃子をバックに寒中水浴

拡大写真(1800x1350)537KB

準備と手順
 去年は正規の寒中水浴に加え、満60歳の還暦を記念して平野さんと三木さんと3人で赤褌水浴をさせて頂いたが初めての経験とあって震えがくるなど、かなり厳しいものがあった。しかし経験とは有り難いもので二度目の水浴は、氷柱で冷やされた水が滞留している下層にあたる下半身に若干のしびれがあったものの、とても楽で、「もう我慢できないから出たい」と思うことは無かった。
和田義男
 75歳の最高齢者のことを案じたのか、水行は2分ほどで終わってしまったので、物足りないと思っていたところ、水浴後の鳥船が終わってから、希望者の再水浴が許されたので、躊躇無く二度目の水浴に臨んだが、まだ余裕があった。
 鳥船を全力で行ったのと、ランニングでウォーミングアップ出来たことが大きかったように思えたが、翌日、筋肉痛が出たのは、櫓漕ぎ運動の鳥船をみっちりやったせいで、水行が楽だったのは、道彦の篠(しの)さんの指導のお陰だったことに気付いた。
 むしろ湊湯の浴槽に浸かり、冷え切った身体を温めて常温に戻すときの方がピリピリと痛く、そちらの方がきつかったのは、私だけではなかったようだ。去年はシャワーを使い、ぬるま湯から徐々に温度を上げて行き、身体を慣らしたところで入浴したので、痛さを感じなかったが、今年はそれを端折って直接浴槽に入ったからそのような羽目になったのである。何事も準備や手順が大事だということを痛感した次第である。

★☆★彡

弥生会に感謝!
 今年も弥生会が周到な準備をして、行事運営に完璧を期した。あらかじめ水槽を組み立て、水を張って氷で冷やす過程で、風に飛ばされたゴミが水槽に入るので、今回は大きな蓋を作成して、清水を保護したという。そのお陰で、美しい緑の清水の中で気持ちよく水行することができた。
 また、拝殿前は全面立入禁止区域とし、円形水槽の廻りに椅子を並べて警備陣と祭り関係者が陣取り、アマチュアカメラマンが中に入れないように工夫したため、混乱も事故もなく、円滑な大会運営が行われた。これまでの反省点を踏まえ、事前の検討会で新しい対策を打ち出した弥生会の万全の準備と手際の良さに改めて感謝申し上げたい。
  鳥船に始まり終る寒の垢離  北舟 

とりふねに はじまりおわる かんのこり

The midwinter ablution begins and ends with Torifune practice.

【編集子が選ぶ名作】

水浴後の鳥船

水浴後の鳥船

拡大写真(1800x1350)538KB

 
2009年1月17日(土)晴
 
 
■■■ 褌と厄落し ■■■
 
 
 正月は、褌一丁の裸形(地域によっては全裸)になって垢離(こり)を取る風習が全国に残っている。神道では夏越の祓(なごしのはらい)と年越の祓(としこしのはらえ)の年に二回、斎戒沐浴(さいかいもくよく)して罪や穢れを落とす行事があり、これを総称して大祓(おおはらえ)という。
 また、これに加えて、厄年(やくどし)には更に入念に災厄を落とす行事があり、厄落しと呼ばれる。筆者は還暦の厄年に東京都中央区の鐵砲洲稲荷神社で赤褌水浴を行った。  鐵砲洲寒中水浴'08/赤褌水浴
  還暦の赤褌水浴初神楽  和田北舟 

かんれきの あかふんすいよく はつかぐら

First kagura for the year,
Cold water ablutions wearing red loincloth at the age of sixty.

還暦記念の赤褌水浴

還暦記念の赤褌水浴/第53回鐵砲洲稲荷神社寒中水浴大会(東京都中央区一丁目湊)

 次の褌句は、子規らしい非常に分かりやすいもので、42歳の厄年(大厄)に身につけている褌を落として厄落しをする様を詠ったもので、褌に寄せる日本人の思いが彷彿としている。
  四十二の古ふんどしや厄落し  正岡子規 

しじゅうにの ふるふんどしや やくおとし

An exorcism, old fundoshi loincloths of men 42 years old.

 出典は松山子規会叢書第12集の「子規歳時 改訂版」。同書には子規による次の解説文が載っている。
 節分の夜「犢鼻褌(とくびこん)の類を捨つるは厄年の男女其厄を脱ぎ落すの意とかや。それを手に持ち袂に入れなどして往きたるは効無し、腰につけたるまゝにて往き、懐より手を入れて解き落とすものぞ」などいふも聞きぬ。(墨汁一滴)
筆者訳:節分(2月3日)の夜「褌の類(男は褌、女は腰巻)を捨てるのは男女がその厄を脱ぎ落とすという意味があるらしい。それを(あらかじめ外して)手に持ったり袂に入れるなどして(神社に)往くのでは効果が無く、腰につけたままで往き、(その場で)懐から手を入れて(褌の類)を解き落とすものだぞ」などと話しているのも聞いた。(墨汁一滴)
 直接下半身を包む褌などの下着は最も汚れる肌着であり、いつの間にか罪や穢れが乗り移るという考えが生まれ、それを捨てることで厄を落とすという風習が生まれたのだろう。新年には新しい褌を締めるのもそのせいかもしれない。
 厄落しは節分の夜の習俗で、江戸時代には、褌に銭を包み、道端にわざと落として厄落しをしたという。井原西鶴の浮世草子(うきよぞうし)「日本永代蔵(にっぽんえいたいぐら)」によれば、430両を奮発した大名もいたというから驚きである。

 
2009年1月月16日(金)晴
 
 

■■■ 「四天王寺どやどや'09」速報! ■■■

 
   平成21年(2009)1月14日(水)午後2時半から大阪市天王寺区・四天王寺で恒例の「どやどや」が開催されたので7年ぶりに取材した。  

★☆★彡

 
園児たちの「どやどや」

園児たちの「どやどや」

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 最初は園児の部。先頭グループは和泉チャイルド幼稚園と御池台幼稚園。いずれも仏教系の学校法人・宝泉学園が経営する。鉢巻に健康と太陽の文字。園児211名、職員40名が参加。続いて四天王寺夕陽丘保育園と四天王寺悲田院保育園の園児89名が10名の職員とともに入場。総勢350名の大集団となった。
 
 
六時堂で水の洗礼/前半の争奪戦

六時堂で水の洗礼/前半の争奪戦

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   四天王寺は、約1400年前に聖徳太子が建立した日本最初の官寺(国立の寺院)で、荒陵山(こうりょうざん)と号し、荒陵(あらはか)寺、天王寺ともいう。もとは天台宗で、戦後独立して和宗総本山となった。  
 
六時堂に駆け上がる裸たち

六時堂に駆け上がる裸たち

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   毎年、修正会法要結願日(しゅしょうえ・ほうよう・けちがんび)の1月14日に行われる「どやどや」は、起源は不明だが、遅くとも江戸時代には行われていたという。祭りの解説は、平成14年(2002)に発表した 四天王寺どやどや に詳しい。  
 
濡れ鼠の護符争奪戦

濡れ鼠の護符争奪戦

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  どやどやの熱気溢るゝ褌衆  北舟 

どやどやの ねっきあふるる ふどししゅう

Guys of fundoshi loincloths gushing out the enthusiasm of Doyadoya ritual.

 
   園児が退出した後、前半と後半の2回に分けて御札(おふだ)争奪戦が行われた。 前半の部は、学校法人四天王寺学園が経営する四天王寺羽曳丘(はびきがおか)高校と中学校(いずれも男女共学)の男子生徒260名に教職員31名が参加。  
 
取った御札を数える

取った御札を数える

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   午後2時45分、一行は境内南に建つ仁王門の前から二手に分かれて出発。教官の吹く「ピッピッ!」にあわせて「わっしょい!わっしょい!」という声が四天王寺に響き渡る。白組は東側から、赤組は西側から、それぞれ六時堂に向かい、御札と呼ばれる護符「牛王宝印(ごおうほういん)」の争奪戦を行った。  
   御札は20枚づつ2回に分けて撒かれ、教職員が大きな柄杓(ひしゃく)で撒き散らす力水(ちからみず)を頭から浴びながら、赤褌の赤組と白褌の白組に別れた男子生徒たちが激しい争奪戦を繰り広げた結果、今年は白組の勝ちとなった。  
 
六時堂から引き揚げる裸たち

六時堂から引き揚げる裸たち

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   午後3時15分から始まった後半の部は、仏教系の学校法人・清風(せいふう)学園が経営する清風中学・高校と清風南海高校(いずれも男子校)の生徒459名に教職員62名が出場。夏休みの1ヵ月間ブリスベンから留学中のオーストラリア人2名も参加。1回15枚の御札が3回にわたって撒かれ、赤組、白組、赤白全員の順に、梁から落ちてくる御札を争った。  
 
仁王の前で整列・解散

仁王の前で整列・解散

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   今年、褌を締めてどやどやに参加した生徒と教職員は、総勢約800名にのぼった。引き続き編集を続け、昨年末に発売された1230万画素のオリンパス E-30 の処女作「四天王寺どやどや'09」として発表する予定なので、ご期待願いたい!  

  2008年12月 1月/上 1月/下 2月

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