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2010年5月26日改訂

今 日

昨 日

♪江戸祭囃子(わっしょい〜四丁目・神田・屋台・投げ合い)

歌舞伎座の八重の人垣神輿差し  北舟

拡大写真(2650X2000)1.3MB

Huge crowd standing in rows,
Raising a portable shrine at Kabukiza theater.

2000年7月16日開設

歌舞伎座前で神輿を差す弥生会会員たち/銀座四丁目 12:25

江戸っ子!鐵砲洲大祭/歌舞伎座

歌舞伎座前で神輿を差す弥生会会員たち  2010.5.3 (鐵砲洲稲荷神社/東京都中央区)

2010年の日記   5月
  4月 5月

6月

目次


 
2010年5月26日(日)曇
 
 
■■■     「トルコ感動の旅・中」完成! ■■■
 
   本日、今年第14作(通算第423作)目の作品をアップした。

        Wa☆Daフォトギャラリー10周年記念作品第二弾! 特集!旅紀行第86集 「トルコ感動の旅・中」

                                                         撮影・制作 : 和田義男
 
 

和田義男

  
撮 影

2010年4月15-16日

OLYMPUS  
E-30  E-
510
 

9-18mm
12-60mm
  70-300mm

1230万画素 1600枚 3.79GB
 

 前半の編集に時間がかかったので、後半はかなり集中して編集した。編集方針も決まっており、作業は順調に進捗したが、カッパドキアの熱気球の旅に入る前に6頁の分量となってしまったので、トルコ感動の旅は、上中下の3部作とすることにした。
 今回、ツアーも佳境に入り、前編同様に世界遺産のオンパレードだったので、満足頂ける作品になったものと思う。しかし、エフェソスやパムッカレは、行きたいところが沢山あり、全ての観光スポットを廻ることができなかったのは、自由の利かないグループ・ツアーの泣き所で、残念に思うが致し方ない。

特集!旅紀行第86集 「トルコ感動の旅・中」

撮影・制作 : 和田義男

   平成22年(2010)5月25日 作品:第14作  画像:(大106+小16) 頁数:6  ファイル数:257 ファイル容量:73MB
   平成12年(2000)〜平成22年(2010)
作品数:423 頁数:1,601 ファイル数:57,069 ファイル容量:8,226MB
 
 
  菜の花の鳥の巣柱アルテミス 北舟 

なのはなの とりのすばしら あるてみす

Artemis, the bird's nest on the column of rape blossoms.

 
 

編集子の選ぶ傑作

世界の七不思議のひとつに数えられたアルテミス神殿の遺跡

世界の七不思議のひとつに数えられたアルテミス神殿の遺跡 2010.5.15 12:10

パノラマ写真(2750X1200)765KB

 
 

. 日本・トルコ(日土)友好の 嚆矢こうし
 地元ガイドのオカンさんによると、トルコ人の対日感情はとても良く、親日家が多いが、その発端は、日露戦争で日本がロシアに勝利したことで、当時、イスタンブールでは、日本海海戦における連合艦隊司令長官であった東郷平八郎提督にちなんで、トーゴーという名を子供につけることが流行したほどだったという。
 「トルコ感動の旅・上」を発表したあと、5月17日(月)に和歌山県田辺市在住の山下昭次さんから日本とトルコの友好を記念する作品に私のトルコの写真を使わせて欲しいというメールが届き、全面的に協力することにしたのだが、その中で今年で120年目を迎えるエルトゥルル号の遭難の話があった。
 「・・・私の友人に蝦乃木ユーイチという音楽家がいます。私は、蝦乃木氏の作品に映像を付けネット上から世界へ発信する作業を頼まれ、映像制作に苦悩している者ですが、出来るならメッセージ性のある映像を発信したいと二人で画策しています。さて、彼の作品に〜エルトゥルル号遭難120周年/日本・トルコ友好のテーマ〜 「誓い」という曲があるのですが(庄野真代さんに歌ってもらってます)今回この曲に映像を付けることになりました。 
 実は、和歌山とトルコには深い縁があり、日本とトルコの友好の歴史のきっかけになった出来事より120周年を迎えました。和田様もご存知のことと思いますが、その事件が、エルトゥルル号遭難の物語です。エルトゥルル号は、明治時代、トルコより派遣された友好使節団が乗ったフリゲート艦で700名程の人員を乗せ日本からトルコへ帰還途上、串本の大島沖で台風の荒波にもまれ座礁、爆発沈没する悲劇に遭遇しました。
 当時の大島の村人たちは、異国の遭難者を救助し、なけなしの食材を提供。それこそ命を張った救援を行いました。遭難で600余りの方が亡くなり、生存者はたった60数名という悲劇でしたが、当時の人々の尽力で生存者を無事、故国に送り届けることが出来ました。大島ではおびただしい遺体を引き上げ手厚く葬り、慰霊碑を建立し弔っています。いまだに塵ひとつ無く大切に慰霊しています。トルコでは日本人の温情に答え今でも教科書でエルトゥルル号遭難と日本人の真心を伝え続けているそうです。
 過日 イ・イ戦争の折 フセインが無差別に航空機を攻撃すると宣言。各国の人々が次々に中東から脱出してゆく中、日本人の救出が遅れ、脱出出来なく成りました。タイムリミットぎりぎり日本人を救出に空港に到着したのは、トルコ航空の飛行機でした。エルトゥルル号の恩義を忘れていないトルコ人たちが「今度は私たちが恩返しをする番だ」と、救援の手を差し伸べたのだと聞いています。日本とトルコの間にはこのように深い友好の歴史があります。現在日本とトルコの共同事業で水中考古学者たちが遺品の発掘・引き上げ調査が継続中です。来月、地元串本では盛大なイベントも予定されています。・・・」
エルトゥルル号殉難将士慰霊碑(和歌山県串本町)

エルトゥルル号殉難将士慰霊碑(和歌山県串本町)

写真:フリー百科事典Wikipedia

 本件については、フリー百科事典に  エルトゥールル号事件 について詳しい解説があり、また、イラン・イラク戦争の際のトルコ航空機による日本人の救出については、小林義典さんの エルトゥールル号事件 に詳しい。
 トルコ航空機による日本人の救出について、当時の駐日トルコ大使ヤマン・バシュクットさんは、平成13年(2001)5月6日の産経新聞紙上で「特別機を派遣した理由の一つがトルコ人の親日感情でした。その原点となったのは、1890年のエルトゥールル号の海難事件です。」と証言している。
 日露戦争に勝利した明治38年(1905)の15年前の明治23年(1890)に発生したエルトゥールル号の海難をきっかけに、民間レベルの国際交流が生まれたことは感動的であり、日本の教科書に載っていないことを残念に思う。これらのエピソードからすると、日土友好の嚆矢(こうし)は、エルトゥールル号の遭難であったことは明らかで、現在トルコ旅行が日本人に人気があるのも、何かの縁を感じる。 〈 続 〉 2010.6.1 和田義男
 
 
  パムッカレ千畳敷の水温む 北舟 

ぱむっかれ せんじょうじきの みずぬるむ

Pamukkale, the water of one thousand mats becoming less cold.

 
 

編集子の選ぶ傑作

裸足で散策する人たち

裸足で散策する人たち

拡大写真(2150x1600)749KB

 

 
2010年5月16日(日)晴
 
 
■■■     「トルコ感動の旅・上」完成! ■■■
 
   本日、今年第13作(通算第422作)目の作品をアップした。

        Wa☆Daフォトギャラリー10周年記念作品第二弾! 特集!旅紀行第85集 「トルコ感動の旅・上」

                                                         撮影・制作 : 和田義男
 
 

和田義男

  
撮 影

2010年4月12-14日

OLYMPUS  
E-30  E-
510
 

9-18mm
12-60mm
  70-300mm

1230万画素 1900枚 4.68GB
 

 トルコから帰国してはや25日経つが、その間、速報版を2本アップしただけで終わった。ある愛読者が私が病気で倒れているのではないかと心配して、お見舞いのメールを送ってこられたのには驚いた。それほど音沙汰なしだったのだが、本日、やっと本年第13作をアップでき、一息つくことができた。
 8日間、我々と共にツアーバスに乗り込み、付きっきりでガイドしてくれた日本語ペラペラのトルコ人オカンさんのお陰で、トルコの歴史文化を心ゆくまで堪能することが出来、満足度100%の素晴らしい旅だった。
 トルコ旅行は世界遺産のオンパレードで、どこに行ってもロマンと感動に満ちあふれた旅だったため、画像の選択や編集だけでなく、解説にも時間をかけた。また、BGMもトルコで調達したCD4枚から選曲するのに手間取っただけでなく、音楽の解説まで挿入するという熱の入れようだった。そのお陰で、3日間の観光で7頁143枚もの分量になってしまい、ペルガモン遺跡で上巻を終えることにした。大変お待たせしたが、現時点での私の力の限りを作品に込めたので、皆様の期待に十分応え得る長編大作になったものと自負している。後半も更に素晴らしい旅が続くので、どうかご期待頂きたい。

魅惑のイスタンブール

 トルコをテーマにした作品は、平成18年(2006)4月に感動写真集同人の武居裕史さんが東京からイスタンブールに出張するたびに精力的に歩き回って撮影した力作 魅惑のイスタンブール がある。
 長期取材のため、観光旅行で数日滞在した程度ではとても廻りきれない広さと深さを持つ画像は、どれも捨てがたい魅力があり、7頁にわたり大小あわせて100枚を超える画像が並ぶ超大作となっている。まだご覧になっておられない読者は、是非、一読されるようお勧めする。

特集!旅紀行第85集 「トルコ感動の旅・上」

撮影・制作 : 和田義男

   平成22年(2010)5月15日 作品:第13作  画像:(大127+小17) 頁数:7  ファイル数:330 ファイル容量:106MB
   平成12年(2000)〜平成22年(2010)
 作品数:422 頁数:1,595 ファイル数:56,810 ファイル容量:8,152MB
 
 
  春光やブルーモスクのミナレット  北舟 

しゅんこうや ぶるーもすくの みなれっと

The spring sunlight, the minalets of Blue Mosque.

 
 

編集子の選ぶ傑作

6本のミナレットが象徴する巨大なブルーモスク

6本のミナレットが象徴する巨大なブルーモスク

パノラマ写真(2900X1600)758KB

 
 

アイスランドの火山噴火の影響

 我々がトロイとペルガモンの遺跡の観光を終え、イズミールに一泊した4月14日(水)の午後10時頃、アイスランドの「エイヤフィヤトラヨークトル Eyjafjallajökull 火山が噴火し、その噴煙が欧州全域の航空輸送に大きな打撃を与えた。アイスランドは多くの火山を擁する世界でも有数の火山島で、しばしば大噴火を起こすが、この活火山は、1821年以来の噴火で、約190年ぶりだという。
 吹き上げられた火山灰は、上空10,000mまで達し、欧州の広範囲に拡散した。旅客機のジェットエンジンが火山灰を吸い込むと停止する危険があるため、欧州に離着陸する航空機が軒並み運行停止に追い込まれ、空港の閉鎖が続いた。
2010年4月17日にみられた噴煙柱/アイスランド

2010年4月17日にみられた噴煙柱/アイスランド

拡大写真(2000X1333)262KB

写真:フリー百科事典Wikipedia

 トルコの空港が閉鎖される事態になれば帰国できなくなるので、旅の後半は、噴煙の動向を気にかけていたが幸い火山灰がトルコまで流れてくることはなかったため、イスタンブール発の成田直行便は予定通り運行された。
 もし、このツアーがパリやアムステルダムなどのハブ空港の乗り継ぎ便を利用していたなら中継地で足止めを食っていただけに、素晴らしい旅行日和だけでなく、天変地異の被害からも免れた今回のトルコ旅行は、まさに神々のご加護によるものと思われ、感謝感激雨霰だった。(^^ 〈 続 〉 2010.5.15 和田義男
 
 
  春の夜ベリーダンスに臍の見ゆ  北舟 

はるのよる べりーだんすに へそのみゆ

The spring night, Belly dance exposing the bellybutton.

 
 

編集子の選ぶ傑作

セクシーなベリーダンス / ケルバンサライ

セクシーなベリーダンス / ケルバンサライ

拡大写真(2000X1100)332KB

 

 
2010年5月7日(金)曇
 
 

■■■   

玉前たまさき

神社釣ヶ崎海岸禊(2010.6.27)のご案内 ■■■
 
   
▼ 千葉県長生郡一宮町(ちばけん・ちょうせいぐん・いちのみやまち)に鎮座する上総国(かずさのくに)一ノ宮・玉前(たまさき)神社では本年1月24日(日)に九十九里浜一ノ宮海岸で実施された「大寒禊」に引き続き、来る6月27日(日)に九十九里浜釣ヶ崎海岸(つりがさきかいがん)で夏越(なごし)の祓(はらえ)に当たる「釣ヶ崎海岸禊」を実施する予定で、本日、その募集広告が送られてきた。 玉前神社公式ホームページ
 

【凡例】  ▲:上の画像の説明文  ▼:下の画像の説明文  〈画像の左クリック〉:別窓に拡大写真を表示

「玉前神社釣ヶ崎海岸禊」募集広告

「玉前神社釣ヶ崎海岸禊」募集広告1/2
「玉前神社釣ヶ崎海岸禊」募集広告2/2

資料:玉前神社社務所

▲▼ 今年初めて催行された「玉前神社大寒禊」では、鐵砲洲稲荷神社寒中水浴大会和田グループ一期生の3人と共に参加して密着取材し、本年2月5日に 玉前神社大寒禊 として発表した。
 
 「釣ヶ崎海岸禊」についても前回に引き続き和田グループとして参加・取材することにしており、ご都合のつく方は是非ご一
緒に参加して頂きたい。道彦(みちひこ)(指導者)が懇切丁寧に指導してくれるので、初心者でも安心して参加できる。希望者は、各自で申し込みを行い、現地集合とさせて頂き、あくまで自己責任で行動願いたい。
 
 当日、現地での申し込みも可能だが、人数を把握するため、事前に申し込んでいただき、その旨を master@wadaphoto.jp 宛お知らせ願いたい。当日、参加費を現地の受付で支払えばOK。
 
 申込方法:  釣ヶ崎海岸禊申込用紙 ←をクリックしてダウンロードのうえA4サイズに印刷し、キリトリ線以下に必要事項を
記入して 〒299-4301 千葉県長生郡一宮町一宮3048 玉前神社社務所 宛 郵送願いたい。FAX なら 0475-42-6922 へ。
 
                      □□□ 申込者:7名 ( 2010.5.20 現在 ) □□□
 
 
 なお、禊に使用する白ふんどしは、大寒禊と同様に新品が供与され、持ち帰り可能とのこと。

玉前神社大寒禊(2010.1.24)の記録

テント小屋で貸与された褌・鉢巻に更衣 2010.1.24 10:26

テント小屋で貸与された褌・鉢巻に更衣 2010.1.24 10:26

拡大写真(1400X900)163KB

▲ 受付のテントの隣に白地のキャンバスで囲まれたテント小屋があり、男女2室の更衣室となっており、安心して着替えることができた。玉前神社の細やかな配慮は、とても有り難い。

大祓詞おおはらえことば

を持って海に向かう参加者たち 10:43

大祓詞を持って海に向かう参加者たち 10:43

拡大写真(2000X1400)353KB

▲▼ 道彦(みちひこ)を勤めるのは千葉県君津市に鎮座する人見(ひとみ)神社の宮嵜慎(みやざき・ひろし)禰宜(ねぎ)禊の要領は鹿島神宮の大寒禊とほぼ同じだった。最初に、挨拶があったあと、服を着たまま川面流(かわづらりゅう)の鳥船などの準備運動の指導があり、全員水行衣に着替えたあと、砂浜で軽くランニングを行い、本番の鳥船などで十分にウォームアップし、午前10時45分ころ海に入り、道彦と共に大祓詞(おおはらえ・ことば)を斉唱(せいしょう)する大寒禊が始まった。
太平洋に向かって

大祓詞おおはらえことば

を斉唱/大寒禊  2010.1.24 10:45

太平洋に向かって大祓詞を斉唱/大寒禊 2010.1.24 10:45

拡大写真(2000X1450)461KB

  海原の大寒禊九十九里  北舟 

うなばらの だいかんみそぎ くじゅうくり

Kujyukuri, purification of the coldest season in the ocean.

波に翻弄されながらのダイナミックな禊!

波に翻弄されながらのダイナミックな禊!

拡大写真(2000X1450)551KB

▲▼ 何処までも続く大海原に浸かりながら禊をするのは、とても晴れやかで、清々しく、心が広くなる。私も途中で海に入りたい衝動に駆られたほどだった。
 
 禊の時間帯は、太陽が南にあるので、太陽を背にして北側の防波堤に向けて撮影せざるを得なかったが、写真下のように南を向くと、九十九里浜が遠くまで続くダイナミックな景観となっており、素晴らしい環境での禊である。太平洋での禊は、今後は毎年正月と夏の2回行われるので、是非、参加することをお勧めする。

大海原から引き揚げる行者たち

大海原から引き揚げる行者たち

拡大写真(2000X1500)689KB

▼ 全ての行事が終了した後太平洋の大海原を背に道彦を囲んで全員の記念写真を撮らせて頂いた。記念すべき初回の大寒禊に参加し、実際に禊を行った人は、18人だった。うち女性が3人アメリカ人が1人いた。可愛い女の子は、家族で参加された権禰宜・久松広樹さんの愛娘である。アメリカ人は、デビッドさんといい、大学を卒業した5年ほど前に来日し、千葉県茂原市で働いているという。アメリカにいるときから日本語を学び、今はペラペラで、大祓詞もすらすらと読んでいたので、感心した。

第一回玉前神社大寒禊で海に入った18人の行者たち

道彦の宮嵜慎さん(君津市・人見神社禰宜)

  ←和田グループ3人→

第一回玉前神社大寒禊で海に入った18人の行者たち

拡大写真(2000X850)319KB

▼ 大寒禊一行は、斎殿(さいでん)に移動し、昼食会となった。最初に甘酒が振る舞われたあと、寒鰤や海老などの魚類や野菜がタップリ入った海鮮鍋とおにぎり、ソーセージ、鏡餅を砕いて炒ったと思われる霰(あられ)が出され、受付をされていたお二人に給仕して頂いた。私もご相伴にあずかったが、身体が温まり、美味しく頂けた。
 
 昼食会のホストは、栗原崇次(くりはら・たかつぐ)宮司が自ら担当され、食事を頂きながら最後まで歓談させて頂いた。気さくな方で、私が会話を独占しないようにしたが、結局、水浴和田グループとの歓談が主となってしまって、反省している。写真下は、最長老76歳で参加された羽場さんと宮司との歓談風景である。
 
 記念すべき第一回大寒禊の道彦をつとめられた君津市・人見神社禰宜の宮嵜慎(みやざきひろし)さんは、スーツ姿で宮司の隣に正座され、終始歓談に耳を傾けておられたが、奥ゆかしくも逞しい好青年で、来年以降も道彦を続けてゆかれれば、大寒禊の顔となるだろう。
 
 今回新たに大寒禊を始められた理由を宮司にお聞きしたところ、1年4ヵ月ほど前に着任されたときから町興しのことを考えておられ、夏に行っていた禊を冬もやろうということで始められたそうである。栗原宮司の素晴らしいアイデアで、この大寒禊が生まれ、やがて伝統となって次代に引き継がれていくことを想像すると、とても感動的で、上総一ノ宮の新たな歴史の1頁に記録される記念行事に参画できたことを嬉しく、また、光栄に思った。
 
 今回の禊には保険がかけられており、宮司の細やかな配慮に感服した。来年も必ず取材して、この新事業がどのように展開してゆくのかをフォローしてゆきたい。私の作品を見た人が全国から多数参加して、大きく発展してゆくことを祈念しながら神社を後にし、水行和田グループ4人は徒歩で上総一ノ宮駅に向かった。

栗原崇次(くりはら・たかつぐ)宮司を囲んで和気藹々の昼食会/斎館 12:14

栗原崇次(くりはら・たかつぐ)宮司を囲んで和気藹々の昼食会/斎館 12:14

拡大写真(1600X1200)360KB

 
                                謝  辞
 
 栗原宮司はじめ玉前神社の皆様には、新たな歴史の一頁を飾る記念すべき貴重な神事に、快く密着取材させて頂いたことを心から感謝申し上げます。今後ともどうか宜しくお願いします。有り難うございました。〈 拝 〉 2010.1.25  和田義男

参加者の感想文

2010年1月26日(火)晴  松本高明  様より

玉前神社大寒禊の感想 松本です。玉前神社の大寒禊に参加できて、とても良かったです。ありがとうございました。澄み渡った青空の下、太平洋を前にしての禊。海水の冷たさは心配していたほどではなく、晴天に恵まれたこともあって、とても爽快な気分でした。雄健(おたけび)では、水平線まで届け!とばかりに大声を出せたと思います。終了後のタンク車による「湯」のサービスは嬉しいですね。そのあとは神社に参拝して食事しておしまいと思っていましたが、お祓いまでしていただけたのはとてもありがたいと思いました。

 今回は、海ならではの試練?がありました。傾斜のある砂浜での褌ランニングと鳥船(とりふね)〜氣吹(いぶき)は、何度も砂に足をとられそうになり、姿勢をうまく保てず、ちょっと大変でした。海に入ってからは、ある程度の深さまでたどり着く前に、次々と押し寄せる波で何度もよろけ、立ち上がろうとしても岸から戻る海水の流れに足をとられてなかなか立ち上がれず、大祓詞の書かれた紙は破れ、いつの間にか波にさらわれてしまいました。文字通り、波に揉まれている間に禊が終わってしまった、という感じでした。朝、浜辺に着いたときは「波は穏やかだな」と思ったのですが、考えてみれば、サーファーが集まっている海の波が穏やかなはずがありませんよね。私は何を勘違いしていたのでしょう…。

 褌と鉢巻が回収というのはちょっと残念でしたね。鉢巻は神社の名前が入っていましたので良い記念になる、と思っていたのですが。実は、受付のとき、私は褌を2枚もらっていました。何も説明がなかったので、受付の人が間違って2枚とってしまったのかも知れません。最初はまったくわからなかったのですが、褌一丁になる前にふと手元を見ると、あれ?紐が4本あるぞ?と気付き、2枚あることがわかったのです。そのうち1枚を締め、もう1枚はバッグの中に入れたままだったので、結果としてそのまま持ち帰ってくることになってしまいました。家に帰って寸法を測ってみたところ、褌の長さ115cm、幅33.5cm、紐の長さ145cmで、柔らかくて肌触りも良いな、と感じました。晒の一端に真田紐を縫い付けただけの簡素なものでしたが、もしかしたら、神社での手作りだったのでしょうか?褌鉢巻の回収も「持って帰りたい」という人がいることを想定していなかったのかもしれませんね。年配の人でも越中褌の締め方を知らない人がいたくらいですから「持って帰れ」と言っても参加者は困るだろうから回収しよう、と決めたのかな?と思いました。

 慣れていない砂浜と海中での足の踏ん張りのせいか、その日のうちに筋肉痛が現れました。今回は、恥ずかしながら、波を受けるので精いっぱいでしたので、これから何回か海に通い、浸かり、砂浜歩きと波の勢いに慣れなきゃ、と思いました。鐵砲洲に続き、参加を続けたい行事がまたひとつ増えました。ありがとうございました。
 
 おはようございます。日曜日は、お疲れ様でした。長文の感想文、有り難うございます。初めての太平洋での大寒禊でしたが、気に入って頂けたようで、光栄です。宮司主宰の昼食会まで用意されており、至れり尽くせりでした。

 海に入るとき、我先に走っていった若者たちがいましたが、道彦はゆっくりと歩いて海に入りました。参加者たちは、道彦の後に続いて、整然と海に入るべきで、若者たちは、元気が良いのはいいとして、興味本位ではしゃいでおり、最初に、神事であることを説明し、マナーについてキチッと指導すべきでしょう。

 貸与された越中褌は、布テープの紐を縫いつけ、前垂れの先端を縫っただけで、病院の売店で売られている使い捨てのT字帯と同じものでした。鐵砲洲の方もデパートなどで販売されているものですが、木綿の袋縫いの紐でしたので、下着として使えます。袋に入っておらず、そのまま手渡されましたので、二枚がだぶっていたようですね。袋入りを渡すとゴミになるので、わざわざ袋から出していたとすれば、細かな心配りだと思います。一枚記念に持ち帰れて良かったですね。

 来年もご一緒したいと思いますので、宜しくお願いします。有り難うございました。
2010年1月26日(火)晴  羽場左近  様より

「玉前神社大寒禊」深謝。 この度の玉前神社大寒禊、大変お世話様になりました。行事へのお誘い、往復のご同行、タクシー手配等々有り難う御座いました。お蔭様で、初めての海での行に安心して参加専念できました。また、新尺様 松本様もご一緒で大変心強く、何かとお力添え頂きました。和田様 さぞ、お疲れだったことでしょう。
 
 以下に気付いたことを認めます。御嶽神社、鉄砲洲稲荷神社、今回と参加してみましたが、禊の方法は異るものの、本質は、当然のことながら同じですね。神への感謝を通して自身を省み、新たな出発点とすること、でしょうか…。初回で事故も無く、非常に有意義な禊だったと思います。
 
 道彦も慣れた方々で、指導も大変よかったと思います。ただ、大波に対峙しての大祓詞の斉唱は、祈りへの集中心を削ぎました。無我夢中で所要時間も非常に短かく感じました。諳んじているなら兎も角、「祓戸大神」と連呼しながらの合掌で充分です。隣の外国人青年の流暢な日本語での奏上に驚き、わが身を恥じました。祝詞は、準備運動の前にやればよいでしょう。

 事後の神事・鍋会の参加者の半減は、主催者にお気の毒でした。現地の交通事情などで、其の儘帰ったものと思われます。鍋会は、甘酒・ぶり煮込鍋・お握り等々美味しく量も充分でした。関係者の方々のご苦労が偲ばれ、感謝の念にかられました。会食中、参加最高齢者とのことで、朝日新聞のインタビユ-を受けました。身に余る光栄と快諾致しました。後日、送付下さる由、さて、如何なる記事か楽しみです。 
 
 健康に留意し、次回も是非参加したいと思っております。なにとぞ、宜しくお願い致します。遅ればせながら、御礼申し上げます。厳寒のみぎり、ご自愛下さい。
 
 おはようございます。先日はお疲れ様でした。長文の感想文、有り難うございました。玉前神社にとっては初めての寒中禊だったので、説明不足などがありましたが、次回は改善されていかれることと思います。みなさん、真摯に取り組んでおられ、とても好感が持てました。海中禊のそばにはサーフライダーたちが波乗りを楽しむ姿があり、違和感がありました。禊場をもう少し南にすれば、サーフィンに煩わされることがないのではないかと思われました。
2010年1月27日(水)晴  新尺俊勝  様より

上総一ノ宮大寒禊 いつもお世話になっております。群馬の新尺です。連絡遅くなりました。当日は羽場様と共に千葉駅からご同席、ありがとうございました。

 当日は快晴の九十九里。真っ青い空に彼方まで続く白い浜は言葉にならない開放感がありました。禊ぎ神事は鳥舟(とりふね)、雄健(おたけび)、雄詰(おころび)、息吹(いぶき)行事と進んだ後、いよいよ寒禊ぎ・海へ。波打ち際は意外と波の力が強く、しっかり立っていないと波頭に押し返されるのですが、道彦の先生が居られるあたりは胸までの深さがあり、以外としっかり立っていることができました。ただ先生に会わせて大祓詞を最後までしっかりと唱えることができなかったのが残念でした。来年は暗記する程度まで練習しておく必要がありますね。

 終わった後は、潮を拭き取るのに水を用意していたのですが、タンク車のお湯が準備してあるとはとてもありがたかったです。まるで銭湯にでも入っているかのよう。浜で銭湯とは、準備された方々一人一人にお礼を言いたいほど感激でした。その後の神事・直来では、やはり直接帰られた方がおられたのは残念でした。海鮮鍋はとても美味だったのにもったいないですね。

 ところで、玉前神社の宮司さんはもしかしたらすごい方かなと思います。宮司さんは「玉前神社の神様はいつもお考えをイメージで伝えてこられるんです。私の体調がすぐれなくてはっきり言葉でわからないのが口惜しい...」とのこと。いつも神社・神と氏子や上総一ノ宮の街のことを第一考えておられる、そして何度も脳内出血ぎりぎりの生死の境?を経験された人だけが経験できることなのでしょう。本当に頭が下がります。

 それともう一つびっくりしたのは、御神体の鏡の台になっている波の彫り物。南総には江戸時代「波の伊八」と呼ばれる有名な彫刻師がいたと聞いています。もしかしたら本人か、またはその一門が彫ったものではないでしょうか?

 今回の禊ぎは、自分の心身の鍛練など、比べにならないほどとても大切なものを見つけた神事でした。和田様、本当にありがとうございました。
 
 おはようございます。お便り有り難うございました。日曜日は、ご苦労様でした。素晴らしい感想文、じっくりと読ませて頂きました。海浜禊のポイントは、なるべく沖に行き、砕け波を受けない場所を見つけることでしょうね。波に備えて身体を踏ん張ったりする必要があり、斉唱に専念できなかったというのが、共通の感想のようです。しかし、爽快感も共通の感想なので、素晴らしい大寒禊であったことは間違いありませんね。来年も大いに期待したいと思います。

 栗原宮司は、とても気さくな方で、普通、挨拶程度で終わるのですが、昼食会のホスト役を買って出られたことに驚きました。最後まで、話が弾み、鍋物を頂きながらの歓談を楽しませていただきました。おっしゃるように、神の啓示でしょうか、夢告というのでしょうか、インスピレーションを感じた体験談をお話し頂きました。オルレアンの少女ジャンヌダルクが神のお告げを聞き、フランスを救ったという実話を思い出しましたが、何かのきっかけで新しい歴史が生まれるのは、素晴らしいことですね。

 拝殿の鏡台の彫り物は、素晴らしいですね。玉前神社の名品といえるものではないでしょうか。来歴を調べ、宣伝すれば、参拝者も喜ばれることでしょう。

 旅に出れば、必ず出会いや浪漫、感動がありますね。今回、4人で参加して本当に良かったですね。次回も宜しくお願いします。有り難うございました。

 
2010年5月5日(火)晴
 
 

■■■ 「鐵砲洲1170年奉祝大祭」速報! ■■■

 
   
 今年も5月の連休に入り、夏祭りのシーズンとなった。平成22年(2010)5月2日(日)3日(月)の両日、東京都中央区に鎮座する鐵砲洲稲荷神社の近くのホテルに連泊し、「鐵砲洲稲荷神社御鎮座1170年奉祝大祭」を密着取材した。鐵砲洲稲荷神社の祭礼を取材して6年目になるが今年も晴天の行楽日和に恵まれ、愛機オリンパスE-30で1,230万画素2,900枚7.6GBの大量の画像を切り取ることができた。
 

【凡例】  ▲:上の画像の説明文  ▼:下の画像の説明文  〈画像の左クリック〉:別窓に拡大写真を表示

大盛況の新富座こども歌舞伎の奉納/鐵砲洲稲荷神社(東京都中央区湊一丁目) 2010.5.2 14:15

大盛況の新富座こども歌舞伎の奉納/鐵砲洲稲荷神社(東京都中央区湊一丁目) 2010.5.2 14:15

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▲▼ 5月2日(日)は午後1時半から鐵砲洲稲荷神社神楽殿で「新富座こども歌舞伎」が奉納された。演目は「寿式三番叟(ことぶきしきさんばんそう)」「三人吉三巴白浪(さんにんきちさ ともえのしらなみ)」「白浪五人男(しらなみごにんおとこ)」の三番。
定番の「三人吉三巴白浪」/新富座こども歌舞伎

定番の「三人吉三巴白浪」/新富座こども歌舞伎

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▲▼ 中央区には、松竹の「歌舞伎座」「新橋演舞場」や市川左團次 が創設した「明治座」があり、歌舞伎などの演劇の舞台として人気を博している。明治時代には中央区新富に東京一といわれた「新富座」があったことから、地元有志が一丸となり、日本の誇る伝統芸能を現代の子供たちにも伝えてゆきたいとの一心から、平成19年(2007)に 新富座こども歌舞伎
の会を立ち上げた。
大人顔負けの白浪五人男 14:45

大人顔負けの白浪五人男 14:45

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▲▼ 出演する小学生たちは中央区在住の男女で、公募で選ばれ、約半年の稽古を経て平成18年(2008)2月3日(日)に鐵砲洲稲荷神社の節分祭で初めて奉納。その年の鐵砲洲大祭では、5月4日(日)に初めての公演が行われ、当時取材した作品が 江戸っ子!鐵砲洲大祭/子供歌舞伎 である。たった3年間でこれだけ素晴らしい芸を身につけた子供たちの努力と指導者の熱意に頭が下がる。公演終了後、4月30日に閉場式が行われた歌舞伎座の前で記念撮影が行なわれた。撮影された写真は、子供たちの一生の宝物となることだろう。
歌舞伎座で記念撮影 15:50

歌舞伎座で記念撮影 15:50

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▼ 翌5月3日(月)は、鐵砲洲稲荷神社の御鎮座1170年を祝う奉祝大祭の神幸祭(しんこうさい)が行われた。この日午前7時半に境内に集合した氏子たちは、記念撮影と出御祭を行った後、鳳輦(ほうれん)に続き、午後9時に弥生会会員によって宮出しが行われ、氏子町内を巡行する御本社神輿渡御が始まった。宮神輿のお先棒には、新富町にお住いの矢田美英(やだ・よしひで)中央区長の姿があった。
御本社神輿の宮出し/神幸祭(鐵砲洲稲荷神社) 2010.5.3 09:00

御本社神輿の宮出し/神幸祭(鐵砲洲稲荷神社) 2010.5.3 09:00

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▲▼ 鐵砲洲の掛け声は「ワッショイ!ワッショイ!」と決められている。「ワッショイ」は「和し背負へ」ということから、先代の故中川正光名誉宮司がこだわり続けてこられた掛け声である。元来、日本の祭りの掛け声は「ワッショイ」という美しい響きを持つ伝統の掛け声が定着しており、今年2月に取材した 500周年!西大寺会陽 でも9,500人の裸たちが全員「ワッショイ」を連呼していたのを思い出す。地方に行くほど守られているが、最近の東京の祭りでは、祭り衣装とともに掛け声も「セイヤ」などに変質してきているのが気になるところである。先代宮司は、常々「セイヤなぞは荷物を担ぐ掛け声であって、神様に対して無礼だ」と云われていたという。
「ワッショイ!」の声高らかに威勢良く東京下町を練り歩く弥生会会員たち/中央区湊一丁目 09:05

「ワッショイ!」の声高らかに威勢良く東京下町を練り歩く弥生会会員たち/中央区湊一丁目 09:05

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首都高京橋ランプ付近を行く神幸祭の先頭集団 09:42

首都高京橋ランプ付近を行く神幸祭の先頭集団 09:42

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御本社神輿の先を行く鳳輦/中央区新富町 09:43

御本社神輿の先を行く鳳輦/中央区新富町 09:43

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鳳輦に随行する人力車と白馬の中川文隆宮司 09:45

鳳輦に随行する人力車と白馬の中川文隆宮司 09:45

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▼ 弥生会の神輿舁きのあと、町内会のリレーが行われたが、各地から参加する睦会(むつみかい)の会員たちがそのルールを守らず、勝手な掛け声を掛けていたが、鐵砲洲の大祭に参加する以上、地元のルールを守るのがエチケットであり、それを守れない者は参加する資格がない。弥生会だけでなく、町内会のリーダーたちも率先垂範して強く指導して欲しいと思う。
17町会と睦会による御本社神輿の各町渡御/ホテル銀座ラフィナート前(中央区銀座一丁目) 10:05

17町会と睦会による御本社神輿の各町渡御/ホテル銀座ラフィナート前(中央区銀座一丁目) 10:05

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▼ 今年1月10日(日)に行われた第55回鐵砲洲稲荷神社寒中水浴大会で和田グループ20名の世話役を務めた新尺俊勝さんが銀座二丁目東町会の半纏姿で参加した。他にも東京は初春の風物詩となった寒中水浴の常連者たちの元気な姿を見つけることができた。
御先棒を担ぐ新尺俊勝さん/銀座二丁目 10:45

御先棒を担ぐ新尺俊勝さん/銀座二丁目  10:45

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▼ 何といっても鐵砲洲稲荷神社例大祭の圧巻は、歌舞伎座前の神輿練りである。弥生会の会員たちは、建て替えられる歌舞伎座の玄関先で、万感の思いでお別れの神輿差しを行い、大勢の見物客と共に名残を惜しんだ。
歌舞伎座前に到着した御本社神輿/銀座四丁目 12:25

歌舞伎座前に到着した御本社神輿/銀座四丁目 12:25

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  歌舞伎座の八重の人垣神輿差し  北舟 

かぶきざの やえのひとがき みこしさし

Huge crowd standing in rows, Raising a portable shrine at Kabukiza theater.

歌舞伎座前で神輿を差す弥生会会員たち

歌舞伎座前で神輿を差す弥生会会員たち

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▼ 今年の例大祭の吉報のひとつは「鐵砲洲囃子」の発足である。この奉祝大祭が初舞台とあって、会員たちは緊張の面持ちで御本社神輿を先導しながら間断なく江戸囃子を演奏し、東京は下町の夏祭りの雰囲気を盛り上げていた。
御本社神輿を先導する鐵砲洲囃子/銀座二丁目 13:55

歌舞伎座前で神輿を差す弥生会会員たち/銀座四丁目 12:25

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首都高をまたぐ新富橋を渡御する銀座一丁目東町会  14:35

首都高をまたぐ新富橋を渡御する銀座一丁目東町会  14:35

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聖路加タワーをバックに渡御する御本社神輿/湊三丁目町会  16:50

聖路加タワーをバックに渡御する御本社神輿/湊三丁目町会  16:50

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▼ 今年は、弥生会のご配慮により、神社入口前面に背の高い脚立を立てて頂き、その上に坐って宮出し・宮入りを激写することができた。最高の位置にある特別席から撮影した画像は素晴らしく、御鎮座1170年を祝う東京は下町・鐵砲洲の江戸っ子たちの粋で鯔背な夏祭りを余すことなく切り取ることができた。
神社前を通過する宮元・ 湊一丁目町会 18:10

神社前を通過する宮元・ 湊一丁目町会 18:10

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神社前に帰還した御本社神輿/湊一丁目 18:50

神社前に帰還した御本社神輿/湊一丁目 18:50

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弥生会会員たちに担がれて宮入りする御本社神輿/湊一丁目 18:52

弥生会会員たちに担がれて宮入りする御本社神輿/湊一丁目 18:52

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 一日中、御本社神輿とともに12kmの巡行コースを歩き、祭りの一部始終を撮影させて頂いた。天候不順だった4月から一転して夏のような暑さとなったゴールデンウィークだったが、バテることなく宮入りすることができた元気は、神様のご加護によるものだったのかもしれない。この後、還御祭が行われて全ての行事が滞りなく終了。解散の後、弥生会の半纏を返納してから、新尺さんとともにお世話になった石川辰夫弥生会幹事長宅にお邪魔し、無事に大祭が終わったことを祝して乾杯し、大いに交歓させて頂いた。
  
 現在「トルコ感動の旅」を編集中であるが、そのあと、Wa☆Daフォトギャラリー10周年記念作品第三弾として「鐵砲洲1170年奉祝大祭」と銘打って発表することにしているので、ご期待願いたい。 2010.5.5 鐵砲洲稲荷神社弥生会会友 和田義男

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