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和田フォト http://wadaphoto.jp
は、「ロマンと感動!世界の旅の写真館」というキャッチフレーズのとおり、「ロマンと感動!」を追い求めて世界中を旅し、私が激写した光景を簡明な説明文と高解像度の画像をふんだんに使って読者に伝えるサイトで、未だに誰も真似できない日本一の個人運営サイトである。
internetにつながっているパソコンさえあれば、いつでもどこでも誰もが無料で世界旅行を満喫できるというコンセプトで、過去最大一日1〜2万件のアクセスを得て、人気を博している。当面の目標は3000万アクセス突破であるが、2016年2月26日、開設15年7ヵ月で累計2,700万アクセスを得たので、あと一息といったところである。特に、高齢者や病人、経済的な理由で旅行できない人などから多くの感謝のお便りが届いている。私もこのボランティア活動で、多方面の方々と出会い、知り合って交流し、人生の大きな喜びを得て充実した毎日を送っており、ウィンウィンの道楽兼社会貢献を楽しんでいる。
現在、大阪にあるWADAXという日本のレンタルサーバー会社のスタンダード・ブロンズコースの共用サーバーを使っており、容量50ギガバイトを年間24000円でお借りしているので、月額に換算すると2000円という安さでこの巨大なフォトギャラリーを運営している。
これまでに世界55ヵ国を巡る高画質写真28,590枚、作品:508作/2067頁をアップロードしているが、まだ22ギガバイトしか使っておらず、半分以上が空いたままなので、私が天寿を全うするまで、このレンタルサーバーでライフワークを完結できそうである。年金生活者になってからもマルティメディアを駆使した和田フォトを運営できるのも、internetを中心とするIT(アイティ)産業の加速度的発達のお陰であり、こんなノンケ爺が高度情報化社会の最先端を走っているとは、お釈迦様でも予想できなかったことだろう。(^-^)
さて、私が裸祭の撮影に興味を持ち、和田フォト・日本の裸祭り
http://wadaphoto.jp/maturi/index.html
に2001年から15年間に200集を超える作品を発表したいきさつを説明しよう。
兵庫県神戸市に単身赴任中の2001年の秋、知人から凄い裸祭があると誘われ、東京の家内を誘って二人で見に行った。それが姫路市に鎮座する松原八幡神社の秋期例大祭「灘のけんか祭り」
http://wadaphoto.jp//maturi/japan07.htm
である。
「ヨーイヤサー」の勇ましいかけ声と太鼓の音が抜けるような秋晴れの空に吸い込まれていく。上気した赤い肌に白い祭りまわしをキリリと締め込んだ男たち。神輿がぶつかり屋台が揺れる。21世紀最初の10月15日「灘のけんか祭り」と呼ばれる松原八幡神社秋季例祭の本宮が開かれ、15万人の大観衆が裸の男たちの熱い祭典を見守った。(灘のけんか祭り解説文より)
灘祭りとも呼ばれる灘のけんか祭りは、神輿を荒々しくぶつけ合う特異な神事のため、天下の奇祭だとか、全国の数あるけんか祭りの中で最大規模の祭りだといわれ、戦前から播州播磨(ばんしゅうはりま)を代表する祭りとして知られてきた。
阪神三宮駅から姫路行きの直通特急に乗車すると、1時間ほどで山陽電鉄・白浜の宮駅に着く。祭りの日だけは特急が臨時停車する。駅の直ぐ南に松原八幡神社があり、その西方に約1kmほど歩くと、御旅山(おたびやま)山麓にある広畑(広畠 ひろばたけ)と呼ばれるすり鉢状の練り場(ねりば)に着く。
灘のけんか祭りだけでなく、播州の秋祭りでは、練り子(ねりこ)と呼ばれる男はみな白い祭り褌を締めている。相撲まわしと同じような綾織・帆布の締め込みで、地元では泥まわしと呼ぶ。後日、お便りをいただいた方によると、昔は絹の締め込みだったが、高価なために泥まわしに変わってきたという。
最初の練り合わせで、大変な事故が起こった。我々夫婦を含め、何万人という大観衆の見守る前で、神輿同士がぶつかった瞬間、神輿に乗っていた57歳の男性が転落した。その直後、彼が乗っていた重さ350kgの神輿が倒れ、下敷きになった。直ぐに救出され、病院に運ばれたが、翌日の神戸新聞を見ると、心臓破裂で死亡したことが報じられていた。
文頭の写真 http://wadaphoto.jp/maturi/images/kenka08l.jpg
が事故直前に撮影したもので、その直後に白装束姿の男性が落下し、神輿の下敷きになった。この事故で、祭が中止されるかと思いきや、救急車で搬送された後、何事もなかったかのように祭が継続された。招待頂いた地元の方に聞くと、毎年、怪我人が出るし、希に死亡事故も起こるが、これも定めであり、神輿の下敷きになって死んだとしても名誉の戦死として受け取っているという。その方の長男は、片目の視力を失う大事故に遭ったが、誰を恨むこともなく、毎年、この裸祭りに参加しているという。それほどの危険と犠牲を払ってまでも毎年催行される裸祭りの存在に、私は衝撃を覚えた。
このとき、播州秋祭ふんどし談義 http://wadaphoto.jp/maturi/japan11.htm
の中で、褌の美学と名付けて、私の熱い想いを次のように書き記している。
「 昔から日本人は、着物の尻からげをして歩く男の姿が粋で鯔背(いなせ)だという美意識があった。播州の秋祭りでは、屋台を担ぐ練り子の法被は短く、下半身が丸見えだ。法被も脱ぎ捨て、全員祭まわし一丁で担いでいる屋台もある。練り子以外の法被は少々長めだが、尻からげをしている人も多い。播州の人々は、その姿を頼もしく見守っているのだ。
播州では、古来からの美意識が脈々と受け継がれている。高温多湿の日本で培われてきた裸の美学は、日本独自の伝統文化であり、これからも後世に伝えて欲しいと思う。」
私は、子供の頃、漁師たちの褌姿に憧れて育ったせいか、灘地区の練子全員が褌を締め込み、神輿や屋台を担ぐ男らしい姿に魅了され、祭衣装について思いを巡らすうちに、褌こそ日本人男性のアイデンティティだと考えるようになり、ふんどし談義
http://wadaphoto.jp/maturi/japan11.htm
をはじめるきっかけにもなった。
それ以来、日本古来の裸褌文化を継承する裸祭を求めて日本中を駆け巡って取材を続けて15年、感動写真集同人の助力も受けて、2016年5月27日現在、その作品は104種210集となった。裸祭シリーズの目次ページである日本の裸祭り
http://wadaphoto.jp/maturi/index.html
は、累計187万アクセスを超え、日本一の裸祭サイトとして人気を博している。
ある時期から、こゝまで徹底した裸祭の取材は、私しかなしえないという領域に達し、日々、使命感に燃えて計画を練るようになった。そして、現在では、撮影するだけでなく、全国連和田グループ代表として祭褌を締めて裸祭に参加し、祭を激写しながらその高揚感や醍醐味を肌で実感して楽しむようにもなった。「好きこそ物の上手なれ」で、これが私の熱中する道楽であり、若さと元気の源となっている。
気力・体力の続く限り、裸祭の密着取材をゴールなきライフワークとして取り組んでゆく覚悟であるが、私が天寿を全うしたとき、和田フォトは internet から消え去る運命にある。この貴重な記録映像を後世に残すべく、CD化・DVD化を行い、お世話になった保存会や主催者などにお送りしているが、「日本の祭CD・DVD完成!」 と名付けたページ
http://wadaphoto.jp/maturicd.htm
で希望者に有償でお分けしている。平成25年(2013)3月には、クレジット払いを希望される方々のために ストアーズ店
https://wadaphoto.stores.jp/
をオープン、そして一年ほど前からは、ヤフー店
http://store.shopping.yahoo.co.jp/wada-photo/
を開設するなど、現在、6店舗を運営している。得られた浄財は、取材費の補助として活用させて頂いており、年金生活者となった筆者にとっては貴重な資金源となっている。
森繁久弥主演の「ふんどし医者」(1960年)という映画があったが、さしずめ、私は、「ふんどし写真家」といったところだろう。(笑) 自分自身の褌姿を実名で堂々と公表しているサイトは見あたらないので、変人だと思う人も多いだろうが、失うものは何もないので、痛快極まりない。これからも褌愛好者や裸祭愛好者のご支援を賜わって、独自の和田ワールドを構築し、ユニークな日本の裸褌文化を世界に向けて発信して行きたい。
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私が保大生のとき、A医務長のお勧めで旧海軍伝統の越中褌を下着にするようになったが、そのとき購入したのが海上自衛隊のPXだった。
PX(ピーエックス)とは、自衛隊の基地購買部や駐屯地の隊員用品の売店のことで、旧日本軍では、酒保(しゅほ)と呼ばれていた。元来はアメリカ軍用語で、軍隊内で飲食物や日用品などを売る店を指し、Post Exchange の略語である。アメリカ軍の日本占領時代には、東京銀座の松屋や服部時計店を接収してPXとしていた。
当時は、まだ越中褌を下着にしている海軍生き残りの人たちが多く、需要があったから販売していたのだろう。その後、卒業して呉で結婚し、全国転勤を繰り返していたある年に久しぶりに妻の実家のある呉に帰り、懐かしさもあってPXに立ち寄ったところ、既に越中褌は置いていなかった。海軍生き残りの人たちが殆ど定年を迎えてリタイアし、若い隊員が買うことがなくなったからだろう。
かつて呉港は、屈指の軍港として栄え、家内の父は、呉海軍工廠(くれかいぐんこうしょう)で戦艦「大和」(せんかんやまと)の艤装に携わった軍属だった。現在呉は、大和ミュージアム(呉市海事歴史科学館)が大人気で、毎年多くの観光客を集めている。
往年の海軍では、軍人が着用する褌のことをアメリカ軍のPXのようにFU(エフユー)と呼んでいた。FUは、褌のローマ字表記FUNDOSHIの最初の二文字のFUを使った隠語である。旧海軍は、井の中の蛙のような旧陸軍と違ってスマートで先進的だったのは、平時から遠洋航海で海外の港を歴訪し、世界の常識と広い見識を身に付けていたからである。国内では、外国語を使うのは非国民だと非難されていたのだから、えらい違いだ。
江戸時代に貴重な布を倹約するために越中守(えっちゅうのかみ)細川忠興(ほそかわただおき)が考案して広めたといわれる越中褌は、六尺褌の半分の生地でできるので、三尺褌とも呼ばれ、倹約令のときには、武士も仕方なく越中褌を締めていたそうだが、政権が代わって倹約令が廃止されると、武士の大半は元の前垂れ式六尺褌に戻った。しかし、越中褌は、安価で経済的であることから神職や僧侶の下着となり、また、着脱の簡便さや緩やかな締め心地から老人などが愛用するようになった。近代に入ると、高温多湿の日本の気候風土に合った健康下着として高い評価を受け、旧日本軍の下着に採用され、現在に至る長い歴史を持っている。
私は、司馬遼太郎の小説が大好きだが、中でも「坂の上の雲」は、秀逸だと思う。明治38年(1905)5月27日、日本海海戦で当時世界屈指の戦力を誇ったロシア帝国のバルティック艦隊を撃破した連合艦隊司令長官・東郷平八郎はじめ、敵艦発見後「〜本日天気晴朗なれども波高し〜」と起案した秋山眞之(あきやまさねゆき)もみんなFUを締め、皇国の興廃をかけた戦いに命を賭け、そして勝利した。輝かしい成果を収めた東郷平八郎は、1805年のトラファルガーの海戦でスペインの無敵艦隊を撃滅してナポレオンの侵略を阻止したイギリス海軍の英雄・ネルソン提督と肩を並べる大提督として、世界中の注目を集め、現在に至るまで、ロシア帝国の脅威に晒されていたトルコをはじめ、多くの国々から賞賛され、敬われている。
ちなみに、秋山眞之は、FUの横褌(よこみつ/腰ひも)を高めに締め、ズボンのベルトで締め付けて、ユルフンを防いだという。これは、戦闘服の下に勝負褌を締めたときの彼流の気合いの入れ方だったが、私もここ一番というときの越中褌は、そうすることがある。
この様な輝かしい史実を書き記しているうちに、現在も越中褌を通して日本海軍の歴史的英雄とのつながりを感じ、力が湧いてくるから不思議だ。これが褌の効用のひとつで、日本男児のアイデンティティ(日本人らしさ/自己同一性)ともいえる褌の良いところだと思う。
文頭の写真は、和田フォト・ふんどし談義〈褌の種類〉
http://wadaphoto.jp/maturi/japan16.htm
に掲載した「兵隊さんの褌」である。 http://wadaphoto.jp/images2/heifun.jpg
FUは、部隊によって官給品と個人購入とがあった。褌の前垂れに所属と名前を墨書することで識別した。特に、官給品の場合は、数が不足すると処罰されるので、他部隊から失敬する不心得者がいたらしく、洗濯物干し場に盗難防止の監視員が配置されたこともあったという。
横褌(よこみつ/腰紐)の上から前垂れを垂らしただけの越中褌は、激しい動きをすればするほど、すぐに緩んでくるという欠点がある。そのため、海に投げ出されたときに備えて実施する旧海軍の水泳訓練(水練)
http://wadaphoto.jp/images2/sepia2.jpg
では、水褌(すいこん)と称する前袋式六尺褌を使用して、全員、泳げるようになるまで訓練した。水褌は、激しい訓練でも褌が緩まず、溺れそうなときに褌をつかめば容易に助けられるという利点があり、現在も伝統文化を重視する学習院などの学校や臨海学校で水褌が使われている。
ちなみに、海上で働く漁師たちは、地域によっては、漁に出るときは水褌を締め、帰宅してくつろぐときは越中褌に締め替えるというように2種類の褌を使い分けていた。しかし、私の育った漁港の漁師たちは、家にいるときも漁に出るときも越中褌を締めており、水褌姿は見かけなかった。逆に、徳川家康が大坂から連れてきた佃島の漁師たちは、漁に出るときも帰宅して家でくつろぐときも水褌だったらしく、水褌一丁で銭湯から自宅に帰る老人の後姿を路上で撮影した白黒写真が残されている。褌を交互に締め替えるのが面倒だったのだろうか。
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私は、戦争を知らない団塊の世代の一期生である。越中褌は、戦前までは、兵隊さんの健康下着として国が指定していたので、戦後も地方の男性の多くは越中褌を締めていた。殆どが家庭の手作りで、買うものではなかったといい、白晒し木綿を裁断して妻や母、叔母などが手縫いするのが普通だが、奥さんが古い浴衣をほどいて越中褌に仕立てて再利用している老人も川辺で見かけた。
私は、1947年3月6日に奈良市興福寺の猿沢池(さるさわのいけ)の前で生まれた。幼少の頃、猿沢池でザリガニを捕っていたら和尚さんに叱られた記憶がある。その後、引っ越して、黒潮洗う土佐湾に面した高知県須崎市の漁師町で6歳から18歳まで育ったので、出身は高知ということになる。今でも土佐弁のなまりが抜けないのはそのためである。
小学生の頃から網元の叔父が仏間の畳の上で越中褌一丁で昼寝している姿や、銭湯や漁船溜まりなどで漁師たちの越中褌姿を見て育った。物干し竿には、当然の如く、白い越中褌が風にたなびいていた。当時の小学生は、両サイドに黒い縦線の一本入った白いパンツが下着だったので、叔父や漁師たちの褌姿は男らしく、大きくなれば自分も褌したいと漠然とした憧れを持った。越中褌は直ぐに緩んでくるので、褌の間から大事なものが見え隠れするのは当たり前で、それを見ても何の関心もないのは、そういうものだと思っていたからで、友達たちもそんな当たり前のことを話題に出すこともなかった。同性に対して性的無関心の人をノンケと呼ぶのは、大人になってから知った。
海が荒い日には、家の中にいても波音が聞こえる海辺の我が家は、貧しくとも楽しく、文部省唱歌「我は海の子」さながらの状態で、夏休みになれば、一日中、日焼けで真っ黒になりながら朝から晩まで海や川で遊んだ。
海水浴では、金持ちの子は水褌(すいこん/前袋式六尺褌のこと)を締めたり、戦後流行ってきた海水パンツを履いて泳いでいたが、私の父が漁師の末っ子で貧乏だったので、水褌や海水パンツを買えるような身分ではなく、小学生の頃は「おんちゃん、これおおぜ(おじさん、これ下さい)」と云って駄菓子屋にぶら下がっていた「いどくい」を買ったり、学校の帰りは「ふりちん」(全裸)で泳いでいた。「いどくい」は、前が逆三角形で、後ろは細紐のTバックになった黒い褌で、一般に黒猫褌と呼ばれるのは、大きくなってから知った。おいど(お尻)に食い込むから「いどくい」と呼んでいたのだろう。ちなみに、広島県や福岡県では、「きんつり」と呼ぶらしい。金玉をつりあげるからそう呼ぶのだと、広島市出身の先輩から教えてもらった。近畿ツーリストのことを略して「キンツリ」と呼ぶが、広島では、キンツリという言葉は誤解されるので、絶対に云ってはいけないと釘を刺された。(^-^)
土佐の黒潮は海水温が高いので、泳いでいて暑くなると、ニホンカワウソが最後に発見されたことで知られる新荘川の川の口に移って真水の中で泳ぎ、身体を冷やした。寒くなるとまた海に戻って波乗りしたり、波潜り(なみくぐり)したりして遊んだ。帰るときは川で塩抜きができるので大変便利だが、川の口は流れが強く、地形が変化して急に深くなったりするので、沖に流されて溺れる子もいて、何度か助けたことがある。当時は親も付いておらず、放任主義だったので、子供たちは自己責任で遊び、身を守るすべを学び、逞しく育って行ったが、ひ弱い子は、命を落とすこともあった。今思えば、大変危険な遊びで、その後、川の口は遊泳禁止区域となった。ともあれ、私が現在でも健康で暮らせるは、海の気を吸って無心に遊んだ子供時代のお陰ではないかと思う。
18歳のとき、広島県呉市の海上保安大学校(以下「保大」)に進学した私は、四年半を全寮制で過ごした。海軍生き残りの人たちが訓練部の指導教官になっていたので、戦争や軍隊を知らない我々に対して規律や生活指導をしてくれた。夏になると半ズボンの下に越中褌が見え隠れするK学生課長の話の中で、「褌の前垂れが半ズボンの下からはみ出さないように気をつけろ」などと、越中褌を下着にしていたころの海軍の実際を我々に伝えてくれたが、戦後、欧米文化が入ってきて、既に越中褌の時代は終わり、パンツの学生が多かったので、この話は、役立たない人が大半だった。
そんな折、汗かきだった私は股下に湿疹ができて、海軍帰りのA医務長に見てもらったところ、風通しの良い越中褌をすれば直ぐに直ると勧められた。医務長の言葉に、高知の漁師たちが締めていた越中褌のことが思い出され、憧れもあったことから、何ら抵抗なく実践したところ、医務長が云ったとおり、直ぐに良くなった。K学生課長はじめ海軍帰りの教官たちが未だに越中褌にこだわる理由は、涼しく健康的で、高温多湿の日本では、最適な健康下着であるからだと悟り、爾来69歳の現在に至るまで、半世紀にわたる私の下着は海軍流の越中褌のみで、パンツやブリーフは持っていない。
以上が私と越中褌との出会いであり、私が越中褌愛好者となった理由である。現在、越中褌を下着にしている人は少数派となっているが、別に恥ずかしいことではないので、家族をはじめ、職場や同僚など、誰に隠すこともなく褌ライフを謳歌しているが、それによって不利益を受けたことは一度もないのは、前述の通りである。
筆者が半世紀にわたって下着として着用している越中褌は、和田家謹製の手作り褌である。越中褌は、1000円前後の白晒し木綿一反10mから6〜7枚作れるので、とてもエコノミーだ。ミシンの直進縫いさえできれば、だれでも縫製できる。
http://wadaphoto.jp/maturi/images11/wadaettyul.jpg
私は、幸か不幸か、四年半の全寮制を通じて同性愛者との関わり合いはなく、ノンケのまま卒業して結婚し、息子二人の父親となり、65歳で再就職先の大成建設(株)理事をリタイアして、現在、東京都青梅市の多摩川を見下ろすマンションの自宅で悠々自適の生活に入り、褌祭研究家、褌カメラマンとして第二の人生を楽しんでいる。
「おいとき」の読者は、私同様、越中褌愛好者が多いと聞くが、まだ、体験されていない方がおられれば、是非、試して頂きたい。ニュースによると、今年の日本は、エルニーニョ現象の影響で空前の暑さになるとのこと。涼しく快適で健康的な越中褌は、暑い夏を乗り切ることができる、なくてはならない肌着だと実感されることだろう。
文頭の写真は、海外向けの我が Facebook https://www.facebook.com/yoshio.wada.12
に掲載した私の越中褌姿で、とある温泉に行ったときのもの。
http://wadaphoto.jp/maturi/images18/hokusyu05l.jpg
My underwear is always hand made white ettyu fundoshi which is healthy and cool for hot and humid country like Japan. Why don't you try one?
(訳文:私の下着は、いつも手作りの白い越中褌です。日本のような高温多湿の国では、健康的でクールですよ。皆さんも試してみては如何ですか。)
筆者の更に詳しいプロフィールを知りたい方は、和田フォト・作者プロフィール
http://wadaphoto.jp/profile.htm をご覧頂きたい。
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円窓の庚三郎翁に出会ってから更なる進展があり、庚三郎画集【壱】「美しき日本の翁」に続いて春夏秋冬の庚三郎翁を描いてもらい、庚三郎画集【弐】として公開することになった。
最初に送られてきた原画は、「春宵/しゅんしょう」
http://wadaphoto.jp/images2/syunsyol+.jpg
という春の作品。私は、一目見て感じた印象を解説に書き加えた。
「 春爛漫の櫻花に浮かれて空中浮遊するかのようにつま先立った庚三郎の美しい裸体は、とても魅力的である。褌一丁の裸にもかかわらず、庚三郎はとても上品で、気品に満ちあふれている。
中国北宋時代の詩人・蘇軾(そしょく)は、彼の七言絶句「春夜」で春宵一刻値千金と詠んだ。この老人は、その魅力を全身で楽しもうとしているようだ。私もいずれ老いてゆくが、せめてこの老人のように清らかで美しく老いてゆければ良いなと思う。
今日、ここにこの絵をアップすることで、世界中の方々が庚三郎さんの絵心と私の胸のときめきを共有されることを祈念申し上げる。作者のご了解を得ているので、自由にシェアし、コピーして日本が世界に誇る裸褌文化のロマンと感動を共有していただければ、この絵は、時空を超え、永遠の命を持って輝きづつけることでしょう。」
空に舞ふ桜吹雪や白ふどし 北舟
Blizzard of falling cherry blossoms in the sky, the fundoshi remaining white.
二枚目の原画は、「垢離/こり」 http://wadaphoto.jp/images2/koril.jpg
という夏の作品。
「 ときは初夏の夕刻、初夏の翁で、身を清める禊のために美しい緑陰の柔らかな光に包まれた小川に踏み込んだ庚三郎は、老齢のためか、一瞬バランスを崩した。水面に姿を写した庚三郎の美しい裸体は、とても上品で、気品に満ちあふれている。 彼はナルシストなのだろうか。
概して日本の男性は褌が良く似合う。とりわけ老人の越中褌姿は素晴らしい。この絵を見て、褌を締めて見たいと思う外国人も多いのではないかと思う。今では、通信販売で、日本製の良質な褌が手軽に入手できるようになった。日本の裸褌文化が世界中に広まることを願っている。」
緑陰の川に揺らめく白ふどし 北舟
The white fundoshi swaying on a stream in the shade of trees.
三枚目は、「錦秋/きんしゅう」 http://wadaphoto.jp/images2/kinsyul.jpg
というこれまでにない最もカラフルな作品。
「 秋爛漫の紅葉に魅了されて、水紋を描く川面に空中浮遊するかのようにつま先立った庚三郎翁の美しい裸体は、とても魅力的である。褌一丁の裸にもかかわらず、庚三郎はとても上品で、気品に満ちあふれている。この老人は、秋の魅力を全身で楽しもうとしているようだ。」
錦秋を惜しむ翁や白ふどし 北舟
The aged man regrets the splendid autumn passing, the fundoshi remaining white.
そして最後は、吹雪の森の中に立つ「厳父/げんぷ」
http://wadaphoto.jp/images2/genpul+.jpg
という冬の作品。庚三郎さんには、かねてより武士の庚三郎翁を描いて頂きたいとお願いしており、今回その願いが叶った作品となった。私は、武士の下着は六尺褌なので、私の好きなTバックが見えるように描いて欲しいと希望していたが、彼は、武士であっても老人は越中褌が最も似合うという美学の持ち主なので、四部作の最後の絵も、送られてきたのは越中褌姿だった。
「 突如として雪の舞う森に刀を持って現れた厳父は、幻だろうか。余りの美しさに、声も出ない。「武士道とは死ぬことと見つけたり」という葉隠れの精神が頭をよぎった。かつて新渡戸稲造は、その著書「武士道」で、この格言は死ぬ気で頑張れという福音だと説いた。 武士は、ありのままに我が道を行く。」
白樺の吹雪の夜や白ふどし 北舟
The night of blizzard in the white birches, the fundoshi remaining white.
最後に、襦袢姿の庚三郎翁の上半身の絵
http://wadaphoto.jp/maturi/images16/kouzaburo500l.jpg
が送られてきて四部作が完成したので、2015年6月11日、庚三郎画集【弐】「四季爛漫」というタイトルで和田フォトに発表した。
http://wadaphoto.jp/maturi/kouzaburo04.htm
そして、読者のご要望にお応えし、庚三郎画集【壱】「美しき日本の翁」と庚三郎画集【弐】「四季爛漫」をスライドショー写真集として一枚のCDに納め、「褌の庚三郎翁」と題して一般に頒布できるようにした。文頭の写真は、そのCDレーベルである。
http://wadaphoto.jp/maturi/images17/kouzaburocdl.jpg
これで私が天寿を全うし、internetから和田フォトが消え去った後もこの作品が永久保存され、YouTubeへのアップ
https://youtu.be/yBcALj56ASc
とともに永遠の命を得ることとなった。この永久保存版CD「褌の庚三郎翁」は、和田フォトCD・DVD頒布ページ
http://wadaphoto.jp/maturicd.htm
、ストアーズ店 https://wadaphoto.stores.jp/
、ヤフー店 http://store.shopping.yahoo.co.jp/wada-photo/
で頒布している。
庚三郎さんの「あとがき」
「 私は還暦を迎えた際、それを記念して紅白の越中褌を購入しました。憧れの越中生活を始めるぞ、そういう計画だったのですが、越中を身に付けた我が身を姿見に映して大いに落胆しました。こんなはずではない!越中が少しも美しくない!問題が自分自身にあることは明らかです。行に立ち向かう覚悟や、経た年月によって涵養された人間としての充実がないと、越中は単なる布で終わってしまうんですね。ということで、越中の着こなしは当分の間は絵の中だけで追求することにしました。
今回は、季節の背景に庚三郎翁を置きました。季節の美しさを表現する背景と、その美しさに負けない庚三郎翁のフォルムとを探りました。「四季爛漫」と名付けていただきましたが、「爛漫」と光り輝くのは、庚三郎翁の越中姿です! 」
筆者の編集後記 〜老人と越中褌〜
「 平成27年(2015)6月11日(木)、感動写真集第44代同人の庚三郎さんの第二弾となる「庚三郎画集【弐】 四季爛漫」が完成した。平成26年(2014)11月7日(金)に発表した処女作「美しき日本の翁」は、はや7箇月経つが、既にアクセス1万件を突破しており、好評のうちに推移していることは、誠に喜ばしい。
処女作は3場面の庚三郎翁を描いた作品だったか、今回は春夏秋冬の4場面を描いた力作揃いである。傑作を一枚選ぶとすれば、読者はどの季節の作品を選ばれるだろうか。きっと、甲乙つけがたく、目移りして、私のように結論を出せないに違いない。(笑) 一枚の絵は、どれも巨大で、色々と切り分けて部分を観賞できるようにしたが、どの作品も精緻に描かれていて、見応えがあり、とても素晴らしい。
江戸時代から明治にかけて、日本人男性の下着はすべて褌で、ハンダコやパンツを履く人が出て来たのは、大正時代からである。これは私の褌研究の成果で、絵師が描いた浮世絵などの画集や祭の写真などから得られた結論である。下着に使われた褌は殆どが前垂れ式六尺褌だったが、佃島の漁師のように、漁場での労働着だった前袋式六尺褌(水褌/すいこん)をそのまま下着に使っている例もある。しかし、老人や神職・僧侶などは、越中褌を下着としていた。禊や滝行に越中褌が使用されるのは、そのためである。
年老いてから下着を六尺褌から越中褌に替えるのは、着脱に手間がかからないという簡便さが重宝されたものと思う。これは、半世紀にわたって越中褌を愛用してきた筆者の経験からいえることである。
痩せている人が着物を着るのに腹巻をして恰幅よく見せるように、褌もある程度お腹が出ていないと貧相に見える。庚三郎翁の褌姿が格好良いのは、堂々としていて品位があるのは当然としても、やはり恰幅が良いからである。春の庚三郎翁は、かなりスマートだが、夏から冬にかけての庚三郎翁は、准肥満体といって良い。作者もそれを承知で、意識的に描いている。
Wa☆Daフォトギャラリーの愛読者は、お年寄りが多いと思われるが、和田フォトに影響を受けて褌を愛用するようになった方もかなりおられると推測している。まだ褌の快適さを体感されていない方は、特に中高年の方々に越中褌をお勧めする。海外の方々からも褌は好評で、先日、来日して筆者が都内を案内したマレーシア・クアラルンプール在住のTさんは、浅草で10枚ほど越中褌を購入し、現在、愛用されている。Tさんによると、褌はクールでヘルシーでちょっぴりセクシーだとか。( 笑 ) 高温多湿の国々では、涼しくて清潔な越中褌が最適で、これからも日本の裸褌文化を世界に向けて発信してゆきたい。」
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今から二年ほど前、Facebookで私のfriendのページを閲覧していたところ、庚三郎というサインが入った上品な老人の絵があることに気づいた。私は、初めてこの円窓のそばで襦袢を脱ぐ越中褌の老人の絵を目にしたとき、胸のときめきを覚えた。何と気品ある清らかで美しい人なのだろうかと。見る人によっては「エロティシズム」さえ感じるのではなかろうか。それも素晴らしいことで、私もいずれ老いてゆくが、せめてこの老人のように清らかで美しく老いてゆければ良いなと思った。
それが文頭の円窓である。Facebookでは、シェア(分かち合う)といって、アップロードされている写真を勝手にコピーして自分のページに取り込んで良いというのがルールなので、この写真を私のページにシェアさせてもらって掲載した。その頃、まだSNS(Social Networking Service / internet
を通じて世界中の人々が交流できるサービス)という便利なメディア(媒体)が普及していなかったので、和田フォトの徒然日記
http://wadaphoto.jp/nikki.htm
にも貼り付けて、愛読者に紹介した。
ところが、しばらくして徒然日記の円窓の写真を見た「老いのときめき」というサイトの管理人と称する人からメールが届き、「勝手に当サイトの庚三郎さんの写真をコピーして何事か!」というクレームが入った。私は何のことか分からず、驚いてしまったが、良く聞いてみると、円窓のオリジナルは、「おいとき」に掲載されているもので、それを誰かが勝手にコピーしてinternetに出回ってしまったものらしく、SNS最大手のFacebookのシェアというコピー文化も手伝って、私の手元に入ったということが分かった。
私は、この事件のお陰で、越褌さんと知り合い、彼が管理運営する「おいとき」の存在を知った。もちろん、円窓を直ちに削除して陳謝した。そして、庚三郎さんのメールアドレスをお聞きし、ことのいきさつをメールに書き記して庚三郎さんに謝ったところ、丁寧な返事が返ってきた。それが、私と庚三郎さんの出会いである。
庚三郎さんは、とても穏和な方で、自分の作品が流用され、多くの愛好者の手に渡っていることをむしろ喜んでおられる風だった。自分の労作が傑作だと評価され、手元に置いておきたいという衝動を誘発した名作だったことが証明されたのだから、作者冥利に尽きるというものだろう。
筆者もこれまでの16年間に500集を超える写真アルバムを和田フォトに発表し、28,000枚を超える高画質写真を掲載しているが、個人で楽しむ限り、自由にコピーして良いことにしている。但し、著作権は放棄しておらず、商用利用の場合にのみ使用料を喜捨して頂き、取材費に利用させて頂いている。そのお陰で、老後資金に手をつけることなく和田フォトを運営することができる。庚三郎さんも私のメンタリティに近く、広く一般の方々に作品を開放して喜んでもらいたいという慈悲に満ちた社会貢献を考えておられた。
そのようなやりとりをしていると、高精細画素の円窓の原画
http://wadaphoto.jp/images2/marumadol.jpg
がメールに添付されて送られてきた。それを見てまた驚愕した。フォトショップで丁寧に描いたというこのデジタル絵画は、細部にまで手が加えられた大作で、internetに出回っている画像が如何に小さく貧相なものであったかが分かり、再び衝撃を受けた。そして、このような素晴らしい絵が埋もれたままになっていることが残念でならず、庚三郎さんの素晴らしい作品を和田フォトから世界に発信させてもらえないかと打診してみたところ、気持ちよく承諾して頂いた。私にとってはまさに瓢箪から駒で、こうして庚三郎さんの描く独特の老人画が芸術作品として世に出ることになった。
円窓の色づく秋や白ふどし 北舟
Autumn through a round window changing red, the fundoshi remaining white.
メール交換の結果、庚三郎さんが描く老人も庚三郎と呼び、庚三郎翁(こうざぶろうおう)としてデビューすることになった。最初に送られてきたのが「文様/もんよう」の原画
http://wadaphoto.jp/images2/monyoul.jpg
で、私は、次のように解説した。
「 この「文様」の原画を見て目が覚めた。褌一丁で桜を眺める白髪の老人は、老いの不安が全く感ぜられない。現実を受け入れ、お迎えが来るその日まで、粛々と長寿を楽しんでおられる姿は、まるで夢のようで、老いの美しさに輝いている。作者によると、この老人は、いつしか庚三郎翁と呼ばれるようになったという。この絵は、円窓以上に世界中にインパクトを与えるに違いない。」
白褌の爺は花見の夢の中 北舟
A silver-headed man of white fundoshi wandering for cherry blossoms like a dream.
そして、作者の庚三郎さんから次の口上が送られてきた。
「 日本が世界一の長寿国であるということは、最も誇るべき日本の素晴らしさであろうと思います。そして日本には、老いて尚美しいご老人がたくさんおられます。むしろ、老いたればこそ美しいと感じさせてくださるご老人も、少なくありません。凛として立つ佇まいに、知性や品性、経験を通して涵養された徳性といった、人としてのあらゆる美質を見る思いがします。この絵は、そんな日本のご老人像をイメージして描いたオマージュ hommage です。日本的なるものを意識して構想しました。」
2014年11月3日、庚三郎さんの3枚目の名作「白鷺/しらさぎ」の原画 http://wadaphoto.jp/images2/sirasagil.jpg が届いた。「白鷺」の題名は、屏風絵に描かれた鳥から付けられた。私の解説は、作品の印象を率直に述べたもの。
「 この上品で威厳のある老人が私から視線をそらしたと思った瞬間、私はゾクッとした。白い褌を締め、襦袢を軽く羽織っただけの老体は、眩しく輝き、神々しい雰囲気さえある。こんな素敵な庚三郎翁なら誰しもが一目で惚れしてしまうに違いない。誰しもが年を取っても健康で美しくありたいと思っているが、私も庚三郎翁のように美しく老いる努力をしたいと思う。」
白鷺や白髪白髭白褌 北舟
White egret, white hair, white mustache, white fundoshi.
(しらさぎや はくはつしろひげ しろふどし)
2014年11月7日、この三枚を庚三郎画集【壱】「美しき日本の翁」
http://wadaphoto.jp/maturi/kouzaburo01.htm
として和田フォトに発表した。また、この作品をスライドショー写真集としてYouTubeにもアップし、世界中の方々から日本代表の庚三郎翁を鑑賞して頂いている。
https://www.youtube.com/watch?v=oT7HyCWTX6I
庚三郎さんの「あとがき」
「 パソコンで描く術を知って、15年ほどになります。使うソフトはフォトショップ。ただし、最初は紙に鉛筆でラフスケッチを描く所から始まります。ラフスケッチを繰り返しながら徐々に描線を確定していき、しっかりした線描の下書きが完成したらそれをスキャナで読み取ってパソコンに取り込みます。
ここからはパソコン上での作業です。手探りで身に付けた技能なので、ソフトの機能を十分活用しているとは言えません。手間ばかり掛けて描いております。
そうしてでき上がった3枚の絵は、「美しき日本の翁」と名付けていただきました。私は、ご老人の美しい佇まいには、前垂れのさらりと垂れた越中こそがふさわしいと思い、「老人美」の要素として越中褌を描いています。そこを汲み取っていただけたことが、私の大きな喜びでした。願わくばこの老人が、狡知や傲慢、強欲から最も隔たった存在でありますように。」
筆者の編集後記 〜国際親善とfundoshi〜
「 庚三郎さんの処女作「庚三郎画集【壱】美しき日本の翁」は既にYouTube やFacebook に発表しているが、世界中の方々にこのユニークな日本文化を知って欲しいという想いから日英のバイリンガルで説明文を書いた。
これはWa☆Daフォトギャラリー始まって以来のことで、かなり英訳に労力を割いたが、マレーシアの首都クアラルンプールにお住まいで、京都大学に留学経験のあるTさんから beautifulをgracefulにした方が良いなどの添削を受け、結構良い文章に仕上がった。彼からは日本の京大卒の友人より文章力があるとお褒めの言葉を頂戴した。(笑)
庚三郎翁の作品の反響が大きく、ここ一週間で Facebook friends の申請が急激に増え、2800人に向かって加速している。その九割が外国人で、書き込みには英語、スペイン語、中国語、韓国語、アラビア語などの氏名が並んでいて壮観である。既に、マレーシアや台湾、チベット(僧)の Facebook friends に和田家謹製の褌を国際郵便で送っている。
Tさんと同じクアラルンプールにお住まいのAさんは、お送りした褌が気に入り、現在は、奥様に黒猫褌を縫ってもらって愛用しているという。彼は、局長級のマレーシア政府高官で、今年の秋に退官される。その暁には、和田グループに加入して日本の裸祭に参加してみたいという。
日本語のある程度達者なTさんは、庚三郎さんの作品を発表してから知り合った新しい Facebook friend で、毎日、英語混じりのチャットを楽しむ間柄になった。先日、次に来日したときには、お会いして褌を贈呈することを約束したところ、とても喜んでいただいた。
【先日のチャット】
Tさん: I saw one of your white fundoshi photo, it looks attractive! Beauty is in the eyes of beholder. So, when I meet you one day in Tokyo, don't forget my fundoshi!
和田: Never! I never forget to give my fundoshi to you.
Tさん: It is indeed nice to talk to you so freely, it seems that we are in the same frequency!
【今日のチャット】
Tさん: 初めてふんどしを見たのは、下呂温泉でした。その時、初めて日本で3かげつの研修で、日本に来ました。年配な先生と一緒に風呂に入った。初めて見た時、刺激がありましたね!(笑)
和田: 下呂温泉のエピソード、有り難うございました。貴方が初めて目にした褌は、越中褌だったと思いますが、やはり、露出度が高く、驚かれたのでしょうか。私の褌姿は、世界中の方が見ていると思いますが、人によっては、下品な姿だと思われるかも知れません。しかし、私は褌が大好きですので、少数派となった今も日本の伝統文化を世界に発信し、かつてエコノミック・アニマルと揶揄された日本にも豊かな独自の文化があることを伝えたいと思っています。
Tさん: 気持ちがよくわかりました!それは和田さんの Vision and Mission ですね!(笑)
和田: Exactly, T san. I will do my best.
Tさん: 和田さん、昨日と先程ふんどしに関する詳細な説明に、心から感動します。極めて真剣ですね。いいものは、皆に推薦します。私も和田さんにSupportします。Wada san, you are the angel of the loinclothes!
和田: サポート頂けるとのこと、大変光栄です。」
このときの約束は後日実現し、これまでに既に二度Tさんとお会いして浅草・仲見世で購入した越中褌を贈呈すると共に東京を案内した。マレーシア人の彼は、中国人華僑の二世で、現在、越中褌を下着として愛用しており、奥様や中国のお父様からも好評を博しているという。そして彼は2016年、60歳でクアラルンプール市役所の部長職を最後にリタイアし、ニュージーランドや東京で暮らす娘さんを訪ねるなど、悠々自適の生活に入っている。
娘さんに会うために東京に来たときは、中央区の湊湯に案内し、今年お台場の大江戸温泉物語に案内して日本の裸文化を体験してもらった。彼は、二度とも私のプレゼントした越中褌を締めていた。私の裸褌姿を見てハグしたいと大変喜んでいたので、次回、彼が娘さんに会いに来たときは、浅草の蛇骨湯に行こうと考えており、庚三郎翁がとりもつ国際的な裸のつきあいが進行中である。(^-^) クアラルンプールでは航空券がかなり安く買えるそうなので、羨ましくなる。
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「おいとき」がいわゆるフケ専のゲイサイトであることは、内容を閲覧すれば直ぐに分かる。私は、異性愛、同性愛、両性愛ともに完全に正常な人々の営みであると思っているので、LGBTに対して全く偏見を持っておらず、公平にお付き合いさせて頂いている。
私は、10年ほど前から伝統の褌を祭装束とする全国の裸祭の密着取材の際に、和田フォト上で和田グループを募集し、その代表として参加取材を続けているが、健康でありさえすれば、暴力団と入れ墨の方以外は分け隔てなく受け入れており、和田グループ参加者は、全員、真摯に神事としての裸祭に取り組んでいる。あるとき、都内での祭が終わった後の直会(なおらい)で、酔いの勢いからか、浅草の褌バーに誘われたことがあるが、気持ちだけ有り難く頂いてお断りし、まだ見ぬ世界には一度も足を踏み入れたことはない。
筆者を含め、男性は、程度の差こそあれ、誰もがホモっ気を持っている。だからこそ、裸祭を見ると胸がときめき、格好良く男らしいと思う感情が生まれる。私は、褌衆のTバックが格好良くて大好きなのだが、残念ながら、それを見たゲイのように更に踏み込んで肌を接したいという衝動に駆られることはない。Facebookでチャットしているゲイの日本人に「一度経験すれば世界が変わる」と云われたことがある。それほどまでに魅力的な体験なら、好奇心旺盛な筆者としては、一度トライしてみたいとも思うが、まだ、そこまでの勇気が湧いてこない。筆者が彼の誘惑に屈する日が来るかどうかは、神のみぞ知る。
「おいとき」ファンの多くは、「褌愛好者=ゲイ(男性同性愛者)」とイメージする傾向にあり、それ故、褌していることを知られたくないという。伝統の褌を祭衣装にする裸祭が全国に数多くあり、私はこれまでの16年間に104種200集を超える裸祭
http://wadaphoto.jp/maturi/index.html
を和田フォトに発表してきたが、どの祭も格好良く、男らしいと思っており、裸褌文化は、世界に誇るクールジャパンの一つであると実感している。
低俗なテレビや映画の時代劇ではハンダコの武士や町人が登場するが、史実は、江戸・明治期を通じて日本の男性下着は褌だけだったので、それが裸祭の衣装として定着したのは自然の成り行きであり、未だに伝統を大事にする氏子たちが江戸時代から続く裸祭を変質させることなく受け継ぎ、無形文化財などに指定されて高い評価を受けている。私が知り合った方々には、当然ながら褌愛好者がいる。全てを調査したわけではないので証明することはできないが、経験的には、私のようなノンケが殆どだと感じているので、私には「褌愛好者=ゲイ」とのイメージは全くない。
私は越中褌を理想的な下着として半世紀にわたって愛用してきた。現代では少数派となっているが、別に恥ずかしいことではないので、職場や友人などに隠し立てしたことは一度もなく、私の褌写真を多数世界に公開している。文頭の写真は、昨年の夏に撮影した滝に打たれる筆者
http://wadaphoto.jp/maturi/images17/yunozen05l.jpg
で、前回の写真同様、既に公開済みである。禊ぎや滝行の装束は、江戸時代以降、神職や僧侶の下着である純白の越中褌が使われる。これがパンツでは様にならない。
かつて、盲腸で入院したときは、越中褌を下着にしていたお陰でT字帯を買う必要がなく、お世辞かもしれないが、当時の看護婦から格好良いと褒められたことがある。家族の理解を受け、褌のお陰で同好者や裸祭関係者との交流の輪が広がり、この上ない人生の楽しみや潤いを得ているが、そのことで不利益を受けたことは一切ない。高温多湿の日本に適合した涼しく清潔で健康的な越中褌は、日本人に最適な下着で、戦前の軍隊にも採用されていたのはそのためである。
私はFacebook https://www.facebook.com/yoshio.wada.12
で裸褌文化を日英バイリンガルで世界に紹介している。現在4700人余りのfriendsがいるが、日本のユニークな裸褌文化に感銘を受けた外国人が90%以上を占めている。彼らは異口同音に褌が素晴らしい(クール)という。日本と同じ高温多湿の国に住む人々は、大変重宝するといい、これまでにマレーシアや台湾などの外国人に我が家の手作り越中褌をエアメールで進呈して喜ばれた。普通郵便であれば、航空便であっても送料は驚くほど安い。日本の褌は、海外からinternetで買えるので、私のサイトを見て、下着を褌に変えたという外国人が現れている。褌はセクシーなので、夫婦の夜の営みにも良いというお便りも頂いた。このように、褌は、我々の先祖が発明した素晴らしい健康下着であり、胸を張ってPRし、日本のように高温多湿の国に住む海外の人々にも褌ライフをエンジョイしてもらうよう、褌、とりわけ越中褌が下着として世界に伝搬してゆくよう微力を尽くしたいと思っている。
「おいとき」は、長い人生経験を経て到達した褌愛好者が多く集まる憩いの場であるので、私の褌に寄せる熱い想いや経験、現在の活動状況などを皆さんにお伝えすれば、きっと共感を得られるに違いない。この褌談義を読んで頂ければ、自信を持って褌ライフを送って頂けるのではないだろうか。
以上が「おいとき」に投稿を決意した理由である。
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本日から、老いのときめき2012(通称「おいとき」)
http://oinotokimeki2012.x.fc2.com/mokuji.htm
の「体験」というジャンルに「北舟の褌談義」と題する写真入り随筆集を発表することになった。昨日、第2代目管理者の越褌(えつこん)さんのご了解を受け、原稿を送ったので、早速、本日、第一稿が掲載された。それに連動して徒然日記にも同文を掲載することにした。
ちなみに、「おいとき」は、いわゆるフケ専のゲイサイトであるが、私のような褌愛好者が多数集うフォーラムなので、褌祭研究家としての私の裸褌文化に寄せる熱い想いや経験、現在の活動状況などを紹介して同好者と情報交換したいと思ったからで、第一稿・第二稿には詳しい理由を掲載している。 |
★☆★彡 |
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●体験
北舟の褌談義〈01〉ノンケ爺の初登場! 1/2
拙者は、日本一のフォトギャラリーとして知る人ぞ知るWa☆Daフォトギャラリー(以下「和田フォト」)
http://wadaphoto.jp
を主催する和田義男(ハンドルネーム:北舟)と申す者で、65歳で完全リタイアして以来、フリーのデジタル写真家として日本の裸褌文化をライフワークと定め、全国の裸祭を激写して世界に発信している元気な団塊の世代第一期生である。
20016年3月6日に69歳になったが、夕刻、東京都青梅市の我が家の前を東流する多摩川の河川敷を1時間約5kmを歩く健康ウォークを日課としているためか、我が家のヘルスメーターによる体年齢は59〜60歳と、まだまだ若いもんには負けない。(^-^)
2016年2月26日、2000年7月20日の海の日に和田フォトを開設以来15年7ヵ月かかって2700万アクセスを達成。数年前の最盛期には一日1万件を超えるアクセスがあったが、スマホでは私の大画面の写真集が閲覧できないことから、徐々にアクセス数が減少し、現在は、一日3000〜5000件程度に減少してしまった。しかし、最近は
Facebook https://www.facebook.com/yoshio.wada.12
やYouTube https://www.youtube.com/channel/UC7vSR1qFo8oOzGyWJdciZ5A
からも世界に向けて発信しているので、読者が私の作品に触れる機会は、以前に比べて格段に増えている。
日本の裸褌文化の本格的な発信は、筆者の他に誰もやっていないので、使命感もあり、良き同僚や支援者にも恵まれて、毎日、忙しく、1日が24時間しかないことを残念に思う今日この頃である。好きなときに好きなことを好きなだけ行える健康な身体と現在の境遇に日々感謝しつつ、気力体力の続く限り、この道楽兼ボランティア活動を続けてゆく覚悟である。
筆者の更に詳しいプロフィールを知りたい方は、和田フォト・作者プロフィール
http://wadaphoto.jp/profile.htm
をご覧頂きたい。
このたび、越褌さんのご了解を得て、私のライフワークの一環として、「老いのときめき2012(以下「おいとき」)」に「北舟の褌談義」という写真入り随筆集を投稿させて頂くことになった。ハンドルネームの北舟(ほくしゅう)は、俳句「海の風景」
http://wadaphoto.jp/haiku.htm
の俳号をそのまま使っている。
文頭の写真 http://wadaphoto.jp/maturi/images18/wadasamurai023l.jpg
は、平成27年(2015)11月24日(火)、隅田川西岸に建つ浅草寺雷門のそばにある浅草変身写真館スタジオ七色に行き、江戸時代の着物・褌姿の侍に変身したときのもので、「褌侍七変化」というタイトルで発表した写真アルバムの一コマである。
http://wadaphoto.jp/maturi/wadasamurai01.htm
秋雨や見栄切る浪人褌の白 北舟
Autumn rain, white is the fundoshi of jobless samurai assuming a frozen pose. 「褌の白」は「こんのしろ」と読んで頂きたい。
読者お察しのとおり、私は江戸時代が大好きで、その先人が発明した越中褌を半世紀にわたって常用している褌愛好者である。越褌さんによると、ノンケ爺が投稿するのは「おいとき」始まって以来の珍事らしいが、晴れてこの人気フォーラムに加えていただき、大変有り難く思っている。
私が「おいとき」に投稿したいと思った理由は、あるきっかけでこのフォーラムを知って以来、越褌さんが褌文化の復権と公序良俗に反しない作品を提供することを編集方針とされており、それがしっかりと守られていて、品位を感じたからである。こゝに集う方々と私が唯一違うのは、男性同士の交際が最後の一線を越えているかどうかということだけであり、日本の裸褌文化に寄せる熱い想いは、同じだと思う。ちなみに「裸褌文化」という言葉は、私が創作して和田フォトで使い始めた用語で、私以外にも使う方が現れて徐々に定着しつつあるので、嬉しく思っている。
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'Rokusyaku Fundoshi Drums'
Naked men wearing only rokusyaku fundoshi performing Japanese Drum. How wonderful and manly they are! This is surely one of Cool Japan. Please enjoy at 1080p HD mode at full size display of your PC.
六尺褌太鼓
六尺褌一丁の男たちが和太鼓を演奏。とても素晴らしく男らしい!これぞクールジャパンの一つだ。あなたのパソコンで1080ピクセル全画面でお楽しみ頂きたい。
Facebook 和田義男 https://www.facebook.com/yoshio.wada.12 |
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'Rokusyaku Fundoshi Daiko'
Naked men wearing only rokusyaku fundoshi performed Wadaiko the Japanese Drum on the road in front of the spectators as an attraction of Takeo Onsen Spring Festival at Takeo City, Saga Prefecture Japan. How wonderful and manly they are! This is surely one of Cool Japan.
Which photo do you like best?
六尺褌太鼓
六尺褌一丁の裸男たちが佐賀県武雄市の武雄温泉春祭りで、路上で和太鼓を演奏して公衆に披露した。とても素晴らしく男らしい!これぞ、クールジャパンの一つである。みなさんは、どの写真が尤も良いと思いますか。
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'Rokusyaku Fundoshi Daiko by ONDEKOZA (鬼太鼓座)'
ONDEKOZA is a famous professional Taiko (Japanese Drum) performance group sometimes wearing rokusyaku fundoshi. They are formed at Sado Island Niigata Prefecture Japan in 1969. This video is their performance of big drum naked wearing white rokusyau fundoshi in the Taiko Festival held at Rikuzentakada City Iwate Prefecure Japan on July 18 2011.
Please enjoy at 1080p HD mode at full size display of your PC so that you can see their muscles of full bodys move in a lively way in accordance with the drumming.
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Ondekoza
From the Base of Mt. Fuji
Ondekoza was formed in 1969 under the direction of its founder, Den Tagayasu. The group was originally created on the Japanese island of Sado, where a group of young men and women gathered to follow the ideals of Den Tagayasu. Since then Ondekoza has expanded across Japan and the rest of the world, popularizing taiko along the way. They are widely recognized as one of groups to have set the groundwork for taiko as a performance art.
At the foundation of Ondekoza’s activity is the principle of “Sogakuron”- that “running and drumming are one, and a reflection of the drama and energy of life”.
〜 from Ondekoza Homepage
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六尺褌太鼓
鬼太鼓座(おんでこざ)は、1969年に佐渡島で結成されたプロの和太鼓演奏集団。時々六尺褌で演奏するが、私は褌一丁の演奏が尤も素晴らしい芸術だと感じる。このビデオは、2011年7月18日岩手県陸前高田市で開かれた太鼓祭で白の六尺褌を締めて大太鼓を演奏したときのもの。バチさばきにあわせて全身の筋肉が躍動するさまが写っており、是非1080p HD フルスクリーンでご覧頂きたい。
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'Rokusyaku Fundoshi Daiko by KODO (鼓童)'
KODO is a famous professional Taiko (Japanese Drum) performance group sometimes wearing rokusyaku fundoshi. This video is their performance of big drum naked wearing rokusyau fundoshi at stage in the occasion of world tour to München Jermany on Octover 25 2010.
This video is really art, very manly, vibrant and lively, but unfortunately out of focus due to darkness.
Please enjoy at 720p HD mode at full size display of your PC.
鼓童(こどう)による六尺褌太鼓
鼓童は、有名なプロの太鼓演奏集団で、時々、六尺褌一丁で演じる。このビデオは、2010年10月20日にドイツ・ミュンヘンの舞台で白い六尺褌一丁で大太鼓を演奏した世界公演の様子を記録したもの。
このビデオは、まさに芸術で、躍動感があるが、照明が暗くてぼけているのが残念。いちおう、フルスクリーン720ピクセルHDモードでご覧頂きたい。
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'Rokusyaku Fundoshi Daiko by Children'
WAKAHAYA DAIKO 若囃太鼓
is a famous Children's Taiko Performance Group at Chikusei City Ibaraki Prefecture Japan. They perform always wearing white rokusyaku fundoshi only. This video is their performance at Taiwan on November 15, 2003. This is really cool and cute, but unfortunately recorded only 360p.
子供たちによる六尺褌太鼓
若囃太鼓は、茨城県筑西市に本拠を構える有名な子供たちだけの和太鼓演奏集団である。彼らは、常時、白の六尺褌を締めて演奏するのが特徴である。このビデオは、2003年11月15日台湾で行われた公演を録画したもので、とても格好良く、しかもかわいらしい。残念ながら縦360ピクセルの記録のため、品質が悪い。
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本日、Wa☆Daフォトギャラリーのカバー写真を三社祭に差し替えた。今年の三社祭は、13・14・15日で、今日が最終日だった。神輿に上がることが禁止されてしまったので、迫力がなく、今年も取材には行かなかった。
「江戸の華!三社祭」 http://wadaphoto.jp/maturi/sankita01.htm
東京都台東区浅草 浅草寺・浅草神社 2012年5月19日 撮影・原作:志村清貴
淺草神社の祭礼・三社祭は、氏子44ヵ町と浅草組合で構成される淺草神社奉賛会の主催により、毎年5月17・18日に近い金・土・日に行われる。
江戸時代から伝わる入墨(当時の彫物)は、現在、暴力団組員のシンボル的存在となっており、銭湯などで「入墨の人お断り」の表示が見受けられるなど、差別行為が行われている。しかし、西浅三北町会だけでなく、浅草の一般市民で彫長(ほりちょう)による入墨をしている愛好者がいることも事実である。この志村清貴さんの作品は、暴力団が片棒を担いでいるとしてマスコミが無視し続けている西浅三北町会の裸褌入墨神輿の全容を記録した問題作である。
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彫長の入墨をした氏子たち |
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担ぎ棒に立つ紅一点の女性 |
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西浅三北褌神輿/三社祭( 東京都台東区) |
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▼ 本日、「日本の裸褌祭【特20】〜子供たちだけの六尺褌祭〈長野県松本市〉〜(高精細)」をYoutubeにアップした。
子供たちだけの六尺褌祭(長野県松本市島立堀米)
祭前の日曜日、子供たちは、紙幟をつくり、褌を締める練習や神社境内の清掃、幟の建立、紙幟を差し立てる泥山(砂山)づくりなどの準備を行う。祭前日の夜は、神社に角燈籠(かくとうろう)を掲げて参拝し、太鼓をたたいて宵祭を祝う。
祭当日(七月第一日曜日)は、堀米公民館(長野県松本市島立堀米)に集合し、六尺褌を締め、勢揃いして神社に赴き、拝礼して神社を三周したあと、親玉(6年生)が大幟、中玉(4〜5年生)が中幟、小玉(1〜3年生)が五色の紙幟を担ぎ、AコースとBコースの二手に別れて、先頭の親玉の「オンヤーサー」の掛け声に呼応して、中玉と小玉が一斉に「モンヤーサー」と叫びながら町内を巡行して厄払いを行う。
子供たちは、町内巡視を終えて神社に戻ってくると、幟を収め、参拝のうえ禊場に飛び込んで禊を行ったあと、公民館に戻り、シャワーを浴びて汗や泥を流してから更衣し、大広間で鍋物の食事会となる。褌を締めた子供たちだけの裸祭は、極めて珍しい祭である。
撮影・監修:和田義男
'Shimadachi Horigome Naked Festival by Children'
The Sunday before festival day is preparation day in which children practice to wear rokusyaku fundoshi and prepare necessary things for the real stage of the naked festival.
On the festival day of the first Sunday of July, children gather at Horigome Community Center at Shimadachi Horigome, Matsumoto City Nagano Prefecture Japan, wear rokushaku fundoshi, visit and worship to the village shrine, run three rounds of the shrine area, parade in the village driving out evil spirits casting a spell.
When returning to the shrine they jump into the pond for purification of themselves, get back to the community center to have a shower and change clothes. Finally they enjoy feast with villageres concerned at the hall of community center. The naked festival fully played by children only is very rare.
原作:島立堀米の裸祭り
http://wadaphoto.jp/maturi/simadati01.htm
CD・DVDスライドショー写真集高解像度永久保存版
High resolution album for permanent reserve
https://wadaphoto.stores.jp/#!/
Overseas shipping is available by airmail. We pay the postage.
http://wadaphoto.jp/maturicd1.htm
デジタル写真家・和田義男のページ
YouTube: https://www.youtube.com/channel/UC7vSR1qFo8oOzGyWJdciZ5A
HomePage: http://wadaphoto.jp/index.htm
Profile: http://wadaphoto.jp/profile.htm
facebook: https://www.facebook.com/yoshio.wada.12?ref=tn_tnmn
Mailto: master@wadaphoto.jp |
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▼ 本日、「日本の裸褌祭【特16】〜六尺褌祭〈03〉〜(高精細)」をYoutubeにアップした。
日本の裸褌祭【特16】〜六尺褌祭〈03〉〜(高精細)
猪鼻の甘酒こぼし・白子海岸初禊・夫婦岩注連縄張り
'Japanese Naked Festivals Wearing Rokusyaku Ffundoshi -03- '
This slide show album contains Inohana Sweet Sake Scattering Festival, Shiroko Beach New Year Ablution & Putting Up Sacred Rope On Married Rock.
The naked festivals wearing only rokusyaku fundoshi are held throughout Japan so that I introduce typical rokusyaku fundoshi festivals making slide show vieo. Please enjoy at 1080p HD mode at full size display of your PC.
デジタル写真家・和田義男のページ
YouTube: https://www.youtube.com/channel/UC7vSR1qFo8oOzGyWJdciZ5A
HomePage: http://wadaphoto.jp/index.htm
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江戸時代の前垂れ式六尺褌」
'Rokushaku Fundoshi Front Apron Type of Edo Era'
Today, I uploaded 'Japanese Naked Festivals Wearing Rokusyaku Ffundoshi -03- ' as the third album of Japan's Rokushaku Fundoshi Festivals on YouTube.
This album contains Inohana Sweet Sake Scattering Festival, Shiroko Beach New Year Ablution & Putting Up Sacred Rope On Married Rock in which the participants wear short rokusyaku fundoshi front apron type contrary to the former two albums wearing long type rokusyaku fundoshi double front type.
People living Edo Era wear short rokusyaku fundoshi front apron type for their underwear because they can get it at lower price compared to the long type of rokusyaku fundoshi. When they join a naked festival they put off kimono court so that the participants are all naked wearing short rokusyaku fundoshi front apron type in the festival. That is to say, Inohana Sweet Sake Scattering Festival is the same figure at Edo Era perfectly. How wonderful it is that Inohana villagers have been succeeding Edo Culture faithfully for 400 years!
本日、筆者は六尺褌祭〈3〉をYouTubeにアップした。収録アルバムは「猪鼻の甘酒こぼし」「白子海岸初禊」「夫婦岩注連縄張り」の3作で、前2作は前袋式六尺褌の裸祭であったのに対し、全て前垂れ式六尺褌の裸祭である。
江戸時代の人々は、前袋式六尺褌よりも短くて入手しやすい前垂れ式六尺褌を下着にしていた。彼らは、そのまま着物を脱いで裸祭に参加したので、裸祭の衣装は前垂れ式六尺褌となる。相撲も同じである。
つまり、「猪鼻の甘酒こぼし」は、江戸時代と何ら変わらない姿であり、猪鼻の村人たちが400年にわたって忠実に江戸時代の文化を受け継いできたことは、本当に素晴らしいことだと思う。
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▼ 本日、「日本の裸褌祭【特18】〜夫婦岩注連縄張り〜(高精細)」をYoutubeにアップした。
'Putting Up Sacred Rope On Married Rock'
Villagers wearing only white rokusyaku fundoshi put up the 30-meters-long Sacred Rope on Meoto Iwa the Married Rock standing in the Hibikinada of Japan Sea on the second day of New Year at Houhoku Town Shimonoseki City Yamaguchi Prefecture Japan. This work is a traditional ritual of Futami Wakamiya Shrine taken place every year since Edo Era 400 years ago.
Photo by Akio Chiba, Edit by Yoshio Wada
Original photo album is uploaded at http://wadaphoto.jp/maturi/sime1.htm
夫婦岩注連縄張り
毎年正月二日、豊漁と海上安全を祈り、地元二見の男たちが褌一丁の裸形になり、厳寒の日本海で身を清め、大注連縄(おおしめなわ 長さ約30m、重さ約120kg)を張り上げる光景は、海に生きる男たちの勇ましさを感じさせる新春の風物詩である。
撮影:ちばあきお 監修:和田義男
原作:夫婦岩注連縄張り http://wadaphoto.jp/maturi/sime1.htm
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「褌一丁の高所作業」
'Putting Up Sacred Rope On Meotoiwa the Married Rock'
Villagers wearing only white rokusyaku fundoshi put up the 30-meters-long Sacred Rope weighing 120kg on Meoto Iwa the Married Rock standing in the Hibikinada of Japan Sea on the second day of New Year at Houhoku Town Shimonoseki City Yamaguchi Prefecture Japan. This work is a traditional ritual of Futami Wakamiya Shrine taken place every year since Edo Era 400 years ago.
This work is very dangerous so that today's Japanese law does not allow the operation. But this is allowed due to the toraditional Shinto ritual of the Shrine. I hope accident wolud not occur in this dangerous ritual in the future.
毎年正月二日、豊漁と海上安全を祈り、地元二見の男たちが褌一丁の裸形になり、厳寒の日本海で身を清め、大注連縄(おおしめなわ 長さ約30m、重さ約120kg)を張り上げる光景は、海に生きる男たちの勇ましさを感じさせる新春の風物詩である。
現在の日本の法律では、この様な危険な労働作業を禁じているが、江戸時代から続く神事であるがゆえに許されている。これからも事故が起こらないことを祈るのみである。
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▼ 本日、「日本の裸褌祭【特17】〜白子海岸初禊〜(高精細)」をYoutubeにアップした。
日本の裸褌祭【特17】〜白子海岸初禊〜(高精細)
'Shiroko Beach New Year Ablution'
Shiroko Beach New Year Ablution is being held on the first day of every New Year at Shiroko Beach at Suzuka City Mie Prefecture Japan. Young men and women dance and jump into the sea under the first sunrise of the year. This event is not ritual but seasonal tradition of Suzuka City. This performance group is Katsuyama Gumi youngsters.
'Fundoshi Pyramid'
I am now making the third album of Rokusyaku Fundoshi Festivals. As one of them, I have chosen 'Shiroko Beach New Year Ablution' which is the forth photo album of Mr. Kiyoshi Ichikawa the 29th coterie of Moving Photo Albums of Wada Photo Gallery. Unfortunately this work was the final album of the late Mr. Ichikawa.
This is my favorite album in which youngsters naked wearing only akafun the red rokusyaku fundoshi dance in front of the first sunrise of New Year, jump into the sea and dance in the sea again as if they were grateful to the creator of all things. The fundoshi figures of young men with full feeling of lively motion is very cool. The final fundoshi pyramid is excellent.
The back ground music is 'Return to the sea'. This is also my favorite midi music.
Photo by Kiyoshi Ichikawa, Edit by Yoshio Wada
Original photo album is uploaded at http://wadaphoto.jp/maturi/siroko2.htm
白子海岸初禊
白子海岸では、例年、男女の若者グループが初日の出を背に踊ったり、海に飛び込んだりするパフォ-マンスを見せて、観客を楽しませてくれる。伝統の神事や祭事ではないが、鈴鹿市の新春の風物詩となっている。
「褌ピラミッド 」
現在、六尺褌祭第三作目を編集中だが、その中に白子海岸初禊を入れた。この作品は、感動写真集第29代同人・市川清さんの第4作だが、彼の遺作となった。
私の大好きな作品で、赤褌一丁の若者たちが初日の出の前で踊り、海に飛び込んでまた踊る。この世に生を受けたことを万物の創造主に感謝しているようで、躍動感あふれる若者たちの褌姿が美しい。最後の褌ピラミッドは傑作だ。(^-^)
ちなみに、BGMは「海に帰る」。これも私の大好きなmidi曲である。
撮影:市川 清 監修:和田義男
原作:白子海岸初禊 http://wadaphoto.jp/maturi/siroko2.htm
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「褌ピラミッド 」
▼ 現在、六尺褌祭第三作目を編集中だが、その中に白子海岸初禊を入れた。この作品は、感動写真集第29代同人・市川清さんの第4作だが、彼の遺作となった。
私の大好きな作品で、赤褌一丁の若者たちが初日の出の前で踊り、海に飛び込んでまた踊る。この世に生を受けたことを万物の創造主に感謝しているようで、躍動感あふれる若者たちの褌姿が美しい。最後の褌ピラミッドは傑作だ。(^-^)
ちなみに、BGMは「海に帰る」。これも私の大好きなmidi曲である。
'Fundoshi Pyramid'
I am now making the third album of Rokusyaku Fundoshi Festivals. As one of them, I have chosen 'Shiroko Beach New Year Ablution' which is the forth photo album of Mr. Kiyoshi Ichikawa the 29th coterie of Moving Photo Albums of Wada Photo Gallery. Unfortunately this work was the final album of the late Mr. Ichikawa.
This is my favorite album in which youngsters naked wearing only akafun the red rokusyaku fundoshi dance in front of the first sunrise of New Year, jump into the sea and dance in the sea again as if they were grateful to the creator of all things. The fundoshi figures of young men with full feeling of lively motion is very cool. The final fundoshi pyramid is excellent.
The back ground music is 'Return to the sea'. This is also my favorite midi music.
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▼ 本日、「日本の裸褌祭【特13】〜六尺褌祭〈01〉改訂増補版〜(高精細)」をYoutubeにアップした。
日本の裸褌祭【特13】〜六尺褌祭〈01〉改訂増補版〜(高精細)
江ノ島寒中神輿,江ノ島白褌神輿,盛岡舟っこ流し,宮島玉取祭,見附天神裸祭/浜垢離
'Japanese Naked Festivals Wearing Rokusyaku Ffundoshi -01- Revised & Enlarged Edition'
This slide show album contains Enoshima Midwinter Mikoshi, Enoshima White Fundoshi Mikoshi, Morioka Funekko Launching, Miyajima Ball Scramble Festival & Mitsuketenjin Naked Festival / Beach Ablution.
CD・DVDスライドショー写真集高解像度永久保存版
High resolution album for permanent reserve
https://wadaphoto.stores.jp/#!/
Overseas shipping is available by airmail. We pay the postage.
http://wadaphoto.jp/maturicd1.htm
デジタル写真家・和田義男のページ
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「我は海の子白波の 」
▼ 写真下は、2年前に参加した見附天神裸祭浜垢離で撮影した私の六尺褌姿で、今回のスライドショービデオのサムネイル(カバー写真)に使用した。褌の色は、神社の神事なので白でなければならない。これが400年前の江戸時代から続く日本の裸褌文化で、私は、数ある日本の伝統文化の中で褌を最も好む。褌は日本のシンボルでありアイデンティティ(日本人らしさ/自己同一性)だと思う。
'I am a child of the sea where the white waves are rushing to the beach'
This time I uploaded the revised and enlarged edition of Japanese Naked Festivals Wearing Rokusyaku Fundoshi -01- on YouTube.
This photo is my naked figure wearing rokushaku fundoshi at the Beach Ablution of Mutsuketenjin Naked Festival two years ago. I used this photo as the thumbnail of this slide show video album. The color of fundoshi must be white in the rituals of Japanese Shinto Shrines.
This is Japan's naked fundoshi culture since Edo era about 400 years ago. I like this culture best of all Japan's traditions. I think Fundoshi is the symbol and identity of Japan.
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▼ 本日、「日本の裸褌祭【特14】〜的ばかい2016〜」をYoutubeにアップした。
'MATO-BAKAI STRAW TARGET SCRAMBLE FESTIVAL'
Naked fundoshi festival by scrambling for 'Mato' the round straw target of Japanese archery with splash of water in the New Year.
The Straw Target Scramble Festival 'Mato-Bakai' was held at Nagasu Town Kumamoto Prefecture Japan on January 17, 2016. This naked New Year Festival is a Shinto ritual of Shiouji Shrine so that naked men wearing only fundoshi loincloth rushed to the round straw target of Japanese archery to get it praying sound health and world peace to their believing gods. This cold penance has been holding since Edo Era, 400 years ago.
Photo by Ryuji TSUJI, Edit by Yoshio WADA
四王寺神社「的ばかい」2016
平成28年(2016)1月17日(第3日曜日)、熊本県玉名郡(たまなぐん)長州町(ながすまち)に鎮座する四王寺神社(しおうじ)神社で「的ばかい」が開かれた。凍てつく冬空の下、褌一丁で裸足の男たち70-80人が無病息災や家内安全を願って「的」を奪い合う勇壮な裸祭である。
毎年、故事に習い、州崎神社で円座に模した直径60cm、重さ6kgの的を藁(わら)と麻(あさ)で作成し、四王子神社に奉納したあと、神官が破魔矢で的を射る破魔弓祭三射の儀が執り行われる。「的ばかい」は、それに続く神事である。
御祭神が弓道に秀でた神であったことから、円座に似た的を作り、それを弓矢で三度射て、悪魔退散、諸厄災消除、家運長久を祈願し、新年の運勢を占った後、その的を奪い合う神事に発展したのが「的ばかい」(的をばかい(奪い)あう)破魔弓祭である。近年は的を奪い合う方が新春の勇壮な裸祭として全国的に知られるようになった。
四王子神社は有明海に近く、褌衆がもみ合いながら神社の境内から路上、さらには海へと裸祭の舞台が移動する。火傷防止のための力水が降りそそぐなか、「的」を守る二人の的芯男(まとしんおとこ)とそれを奪い取ろうとする 「ばかい手」たちのせめぎ合う姿は圧巻。全国から写真マニアが訪れて激写する様子もまた新年の長洲町名物となっている。
撮影:辻 竜二 監修:和田義男
CD・DVDスライドショー写真集高解像度永久保存版
High resolution album for permanent reserve
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デジタル写真家・和田義男のページ
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