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北舟の褌談義〈31〉英訳写真俳句 -拾五-
【弐拾九】盛岡舟っこ流し(盛岡市無形民俗文化財)
岩手県盛岡市 長松寺 2013年8月16日(金)
和田フォト: http://wadaphoto.jp/maturi/funekko01.htm
Youtube : https://youtu.be/MMeA75i5b94
北上川と岩手山(2,038m)の景観
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北上川の会場 / 明治橋付近より上流(西北西)を臨む
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● 仙北の精霊舟や赤褌 北舟
(せんぼくの しょうろうぶねや あかふどし)
Red fundoshi loincloth,
Senboku boat
for the spirits of dead.
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● 処暑近し車道の舟っこ赤褌 北舟
(しょしょちかし しゃどうの ふねっこあかふどし)
Nearing the limit of heat,
the Funekko boat going on the car road
by guys of red fundoshi loincloth.
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http://wadaphoto.jp/maturi/images14/funekko088l.jpg
● 仏舟赤褌どもの入川す 北舟
(ほとけぶね あかふんどもの にゅうせんす)
The boat for the spirits of dead,
guys of red fundoshi loincloth
going into the river.
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● 仙北の赤褌一丁花火舟 北舟
(せんぼくの あかふんいっちょう はなびぶね)
Senboku guys of red fundoshi loincloth,
fireworks
from the boat.
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● 燃え尽きて成仏願ふ送舟 北舟
(もえつきて じょうぶつねがう おくりぶね)
The sending boats for the spirits of dead,
hoping rest in peace
after burning out.
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〈解説〉平成25年(2013)8月16日(金)、岩手県盛岡市内を流れる北上川で、盆の送り火行事として知られる盛岡舟っこ流し(同協賛会主催)が開催され、例年、長松寺(ちょうしょうじ)(斗ヶ澤祥悦住職)を基地とし、参加団体のうち唯一赤褌(あかふん)一丁の裸形で精霊舟(しょうろうぶね)を流す仙北(せんぼく)二丁目自治会(コ田石男会長)の勇姿を激写した。
「舟っこ」(ふねっこ)は裸衆に担がれて北上川右岸の会場に運ばれ、法要のあと入川(にゅうせん)して火が着けられ、燃えながら川を下って行く。280余年の歴史あるこの祭典は、盛岡市無形民俗文化財に指定されており、毎年北上川を舞台に10隻を越える精霊舟により繰り広げられる盛大なページェントは、盛岡市民の誇りであり、夏の風物詩となっている。
かつての盛岡では、夏になると赤褌(赤色の水褌)一丁で北上川で泳ぎ、暑い夏を凌いだ。戦後、アメリカ文化が流入し、赤褌はいつしか海水パンツに替わってゆき、先祖の霊を慰める「舟っこ流し」もその例外ではなかった。しかし、古き良き時代を知る人々は、これでは日本人の魂までもが欧米化されてしまうとに危惧を抱き、仙北二丁目自治会が長松寺住職の指導で未だに赤褌一丁の昔のままで舟っこ流しを続けている。
点火棒に火を着ける長老
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舟っこに点火!
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花火の噴水!
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火を噴くドラゴン
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観衆で埋まったアルプス席(無料)
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〈所感〉 高知県須崎市の漁師町で育った筆者は、団塊の世代で、小学低学年のころは、まだ水褌(すいこん)姿がみられ、筆者は黒猫褌かフリチンで泳いでいた。貧乏人は、水褌を買うことができなかったからである。水褌は格好良く、大きくなったら締めてみたいという憧れを抱いたものである。
現在、東京では裸褌祭が希少価値を持つような事態になってしまったが、地方ではそこかしこに褌姿が息づいている。日本人には、褌が良く似合う。どうか、盛岡の男たちも赤褌文化を絶やすことなく、世界に誇る伝統文化を続けていってほしい。褌万歳!〈 拝 〉
「盛岡舟っこ流し」名作集
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(アニメーション)
【参拾】松平天下祭
愛知県豊田市松平町 松平東照宮 2012年2月11・12日
和田フォト: http://wadaphoto.jp/maturi/tenkasai01.htm
Youtube : https://youtu.be/_wgz-QRGP4I
● 冴ゆる夜の天下褌いざ出陣 北舟
(さゆるよの てんかふんどし いざしゅつじん)
Summer beach,
life-saving course
wearing loincloth.
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● 冬花火鳥船漕の濡褌 北舟
(ふゆはなび とりふねこぎの ぬれふどし)
The winter fireworks,
wet loincloths
rowing a Torifune boat.
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● 冬晴るるみな褌のTバック 北舟
(ふゆばるる みなふんどしの てぃばっく)
Fine day in winter,
all ascetics
of T-back loincloth.
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● 裸木や褌衆の鬨の声 北舟
(はだかぎや ふんどししゅうの ときのこえ)
Bare trees,
a battle cry
wearing a loincloth.
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● 冬日影褌衆の玉競場 北舟
(ふゆひかげふんどししゅうのたませりば)
The winter sunshine,
ascetics of fundoshi loincloth
in the ground of ball battle.
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● 冬晴や勝鬨あげる褌衆 北舟
(ふゆばれや かちどきあげる ふどししゅう)
The winter sunshine,
ascetics of loincloth
raising a shout of victory.
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● 冬日さす杜に谺す鬨の声 北舟
(ふゆびさす もりにこだます ときのこえ)
The winter sun
shining into the grove,
a battle cry echoing.
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〈解説〉今から四半世紀前の昭和63年(1988)、町興しの熱意に燃えた若者たちが、かつて天下を制した徳川家康の祖先・松平親氏(まつだいら・ちかうじ)の出身地というビッグネームを生かしてプロデュースした裸祭がこの松平天下祭(まつだいら・てんかまつり)である。現代に生まれた裸祭だが、内容は、江戸時代の裸褌文化を忠実に再現しており、「江戸時代から何百年も続く祭」だと説明されても誰も疑いを持たないだろう。
〈所感〉テレビがデジタル化され、日々大きく鮮明な動画をリビングに送り込んでくれる世の中になった現在、写真という静止画の世界も変わってゆかねばならない。フルハイビジョン・テレビを超える超精細画像を提供し、背景まで鮮明に記録された画像こそがデジタル写真の真骨頂である。そのため、これまで以上の巨大な写真を内部リンクした。ディスプレーからはみ出る巨大写真をスクロールしながら細部まで御覧頂ければ、テレビとは違った臨場感と迫力を体感していただけるに違いない。
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北舟の褌談義〈30〉英訳写真俳句 -拾四-
【弐拾八】江戸の華!三社祭
東京都台東区浅草 浅草寺・浅草神社 2012年5月19日
和田フォト: http://wadaphoto.jp/maturi/sankita01.htm
Youtube: https://youtu.be/8FjL7JzDLvg
〈浅草寺〉浅草寺は、東京都台東区浅草二丁目にある都内最古の寺院で、山号は金龍山(きんりゅうざん)。本尊は聖観音(しょうかんのん)。もと天台宗に属していたが、戦後独立し、聖観音宗総本山となった。観音菩薩を本尊とすることから「浅草観音」「浅草の観音様」と通称され、広く親しまれている。都内では唯一、坂東三十三所観音霊場の13番札所となっている。
淺草寺縁起によれば、推古36年(628)3月18日未明、宮戸川(隅田川)で漁をしていた檜前浜成(ひのくまのはまなり)・竹成(たけなり)兄弟の網に仏像がかかった。郷司(ごうし 村の長)の土師真中知(はじのまつち)がこれを見て尊い観音像であることを知り、深く帰依して自宅を寺とし、その観音像を奉安し、拝礼・供養に勤めた。
これが1寸8分(約5.45cm)で金無垢と伝える本尊であるが、大化元年(645)、勝海上人がこの地に留まり観音堂を建立し、また、夢告により、本尊は秘仏(非公開の仏)とされ、武蔵国の観音信仰の中心地となった。
平安期初頭、慈覚大師の巡拝により伽藍の整備が行われ、信者の層も厚くなった。江戸時代、天海僧正の進言もあって徳川幕府の祈願所と定められ、江戸の信仰と文化の中心として庶民の間に親しまれるようになった。
三社祭の神輿が通れるように大提灯が畳まれた雷門(かみなりもん)
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淺草寺の巨大な観音堂(本堂)
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東都金龍山淺草寺圖 / 文政3年(1820)
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〈浅草神社〉三社(さんじゃ)様・三社権現の名で親しまれる淺草神社(あさくさじんじゃ)は、淺草寺観音堂(本堂)正面から東60mに鳥居があり、その奥に拝殿がある。祭神は隅田川で観音像をすくい上げた檜前浜成(ひのくまのはまなり)・竹成(たけなり)の兄弟と、その像を小堂に奉安した土師真中知(はじのまつち)である。
網が3つ組み合わされた神紋・三網紋は、他に例を見ないもので、淺草寺創建の功労者である三柱の神を象徴している。のちに、現在の淡島堂付近にあった東照宮が寛永19年(1642)に焼失したため、東照大権現(徳川家康)を合祀した。三網紋のほかに徳川の葵の紋があるのは、そのためである。
淺草神社(三社権現社)の創建は平安末期から鎌倉時代初期で、現社殿は慶安2年(1649)徳川三代将軍家光の寄進になるもの。拝殿・石の間・本殿を工の字形に配置して1棟を構成する権現造りといわれる江戸初期の建築様式を伝える建物で、先の戦争でも難を逃れ、昭和21年(1946)国の重要文化財に指定された。
江戸時代以前は、神仏混淆(しんぶつこんこう)により淺草寺と一体となっていたが、明治のはじめ、神仏分離政策により淺草寺と別れ、明治元年(1868)三社明神、同5年(1872)淺草神社と改称し、現在に至っている。
震災も戦災も無事だった淺草神社
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● 金龍や蓮珠の舞の早春賦 北舟
(きんりゅうや れんじゅのまいの そうしゅんふ)
A golden dragon,
the dance for a lotus charm
is a poem of early spring.
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【西浅三北神輿/にしあささんきたみこし】
● 観音を背負ふ江戸っ子三社祭 北舟
(かんのんを せおうえどっこ さんじゃさい)
Sanja festival,
a traditional Tokyoite
carrying Kannon on his back.
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● 観音に差し上ぐ神輿江戸の粋 北舟
(かんのんに さしあぐみこし えどのいき)
A portable shrine
raised up for Kannon,
the dandyism of Edo.
観音堂の花道
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観音堂正面の神輿差し!
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土煙の中の裸神輿 / 観音裏広場
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● 三北の入墨褌神輿差し 北舟
(さんきたの いれずみふんどし みこしさし)
Sankita
of tattoo and fundoshi loincloth,
raising a portable shrine.
観音堂正面の神輿差し!
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● 江戸っ子の神輿褌三社祭 北舟
(えどっこの みこしふんどし さんじゃさい)
Sanja Festival,
the portable shrine
by Edokko of fundoshi loincloth.
西浅三北の裸褌神輿
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● 三社祭自慢の褌尻はしょり 北舟
(さんじゃさい じまんのふどし しりはしょり)
Sanja festival,
wearing fundoshi and a tucking up hanten
are proud of guys.
こだわりの褌派の人たち
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町内渡御
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● 夜渡の三社神輿や白ふどし 北舟
(よわたりの さんじゃみこしや しろふどし)
A Sanja portable shrine
in the gathering dusk,
each wearing white fudoshi.
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● 浅草に手締響くや神輿舁 北舟
(あさくさに てじめひびくや みこしかき)
Mikoshi carrying,
hand clapping
sounding through Asakusa.
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● 浅草の白黒神輿三之宮 北舟
(あさくさの しろくろみこし さんのみや)
Sannomiya God,
white and black mikoshi
of Asakusa.
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● 浅草の船渡神輿や七百年 北舟
(あさくさの ふなとみこしや ななひゃくねん)
Seven hundredth anniversary,
portable shrines of Asakusa
cruising on a boat.
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〈彫長の入墨〉年一回の三社祭で、彫長にお世話になった白半纏の氏子(一般市民)たちが記念写真を撮ったので、私もカメラを向けさせてもらった。紅一点の彼女が中央で笑みを浮かべている。彫師は生体の芸術家で、特に背中が腕の見せ所という。同じ絵柄の人は一人もいない。「彫長」や「長」というサインが入っている人もいる。
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彫長の入墨を背負った白半纏の人たち。去年に次いで今年も撮影させてもらったが、入墨を近くで見れば見るほど本当に美しい。日本の入墨 tattoo は、世界に誇る生きた芸術で、海外での評価は高い。我が町内の江戸っ子たちが、伝統の入墨文化を身をもって伝えていることを嬉しく思う。
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全身総入墨(ほりもの)を施した江戸時代の男たち / 撮影:明治3年(1870)
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〈解説〉かつて江戸の祭は「神輿深川、山車(だし)神田、だだっ広いが山王様」といわれたように、江戸三大祭といえば、深川祭・神田祭・山王祭と云われていたが、現代の大江戸で町神輿100基と宮神輿3基が渡御する三社祭(さんじゃまつり)は、規模と人気において、神田祭と深川祭と共に江戸三大祭のひとつに数えられる。
江戸の下町情緒が色濃く残る浅草に暮らす江戸っ子たちは、漁師が神様になった三社様(さんじゃさま)の氏子として、先祖代々、庶民の伝統文化を受け継いできた。小さいときから血湧き肉躍る三社祭に親しんできた浅草っ子にとって、三社祭は正月のようなもので、「おめでとう」と挨拶を交わし、この祭を中心に1年の計を立てる。
淺草神社の祭礼・三社祭は、氏子44ヵ町と浅草組合(あさくさくみあい)で構成される淺草神社奉賛会の主催により、毎年5月17・18日に近い金・土・日に行われる。
江戸時代から伝わる入墨(当時の彫物)は、現在、暴力団組員のシンボル的存在となっており、銭湯などで「入墨の人お断り」の表示が見受けられるなど、差別行為が行われている。しかし、西浅三北町会だけでなく、浅草の一般市民で彫長(ほりちょう)による入墨をしている愛好者がいることも事実である。この作品は、マスコミが無視し続けている西浅三北町会の裸褌入墨神輿の全容を記録した問題作である。
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〈感想〉〜裸褌刺青神輿〜 江戸学の第一人者として知られる歴史・民俗学者の西山松之助(にしやま・まつのすけ)は、平成5年(1993)に出版した講演録「江戸庶民の四季」(岩波セミナーブックス)の中で、「私はいま日本中のお祭の中で、三社祭がいちばん江戸時代の伝統をよく伝えているのではないかと思います。」と述べている(130頁)。
「午前八時になりますと御幣(おんぺい)が一宮、二宮、三宮に渡されまして、それから神輿を担ぎ出すのです。しかし、体中、刺青(いれずみ)した若衆たちが褌(ふんどし)一つで神輿の上に上ってしまうのでスムーズには行かない。ああいう風景はどこにも見られません。三社祭だけです。」(131頁)と述べ、まさに西浅三北神輿があるが故に、三社祭が日本中の祭の中で最も江戸時代の伝統を伝えている祭であると高く評価しているのである。
今回、西山松之助が「ああいう風景はどこにも見られません。」と断言した西浅三北神輿にスポットライトを当て、Sさんが二年に渡って取材された素晴らしい写真をもとに、三社祭の全容を描いた決定版を世に出すことができたことは大きな喜びである。地元氏子でなければ、これだけ肉薄した写真を撮影することは不可能であり、これまでマスコミが取り上げてこなかった江戸っ子の鯔背な神輿を世界中の方々にご覧いただき、日本人の裸文化を見直していただければ幸いである。
マスコミは、暴力団が参加するイベントは報道しないという倫理規定に拘束されているため、時として真実を伝えず、国民に誤った認識を持たせることが起こる。私は西浅三北神輿が三社祭の花形として人気を博している事実を正しく伝えたいと思って編集した。褌も入墨(刺青)も裸神輿も今に伝わる江戸下町の伝統文化である。読者の方々には、是非とも来年の三社祭に足を運んで、その真骨頂を体感して頂きたい。
編集段階で、機動隊車輌が西浅三北町会の本社神輿渡御に繰り出した写真を掲載しようとしたところ、Sさんが当時の過剰規制を思い出す写真だといわれるので、掲載を断念した。一般市民が警察の姿を見て嫌な思いをすることはとても不幸なことであり、残念に思う。Sさんは、「人それぞれに境遇の違いがあっても、同じ町会に暮らす氏子たちが、今年も無事に三社祭に参加できたことを神に感謝し、同じ神輿を心おきなく担いでその喜びを分かち合いたい。」と願っておられ、このささやかな願いは、誰憚ることもない。
ここで、Sさんのコメントを紹介しておこう。「高橋組は、黒半纏1000人の休憩場所として、路上やガソリンスタンドにテントを設営し、簡易トイレや木枠で囲ったゴミ捨て場を設置するなど、近隣住民に迷惑をかけないように大変気を遣っています。祭りが終わった翌朝には、何事も無かったように片付いて、タバコの吸殻一つ落ちていません。近隣住民として、組事務所の存在は普段の生活では感じませんが、祭りのときには、彼らの力をいい意味で感じます。組やマルキンだからといった偏見は無く、彼らの力が無ければ三北神輿は上がらないし、本社神輿の渡御も叶いません。分け隔てなく同じ氏子として神輿を担ぎ、祭りの成功を願っています。」
〈裸祭と暴力団〉これまで、100回を超える裸祭の取材を通じて分かったことは、数の多寡はあれ、殆どの祭に暴力団関係者が参加している。祭を主催する社寺の宮司や住職らの考え方は、神仏の前では、社会的身分や職業、貧富の差などに関わりなく、全て平等であるということで一貫しているが、その一方で、警察の推進する暴力追放運動に協力する立場にある。
私も宮司らの考え方に賛成であり、暴力で祭を妨害したり支配したりするなどの狼藉を働かない限り、暴力団関係者を祭から排除すべき根拠は存在しない。
Sさんによると、西浅三北町会代表の下に編成された一般住民の若睦(わかむつみ)が神輿舁を担当しており、グレーの役半纏(やくばんてん)を着ている会長が総指揮者である。白半纏が一般の氏子住民、黒半纏が高橋組関係者で、一方だけでは神輿は揚がらず、車の両輪のように協力して神輿を担ぐという。若睦会長の命令には黒半纏も白半纏も絶対服従で、双方は仲良く祭を楽しんでいる。若睦会長の命に背く黒半纏がいると、それに制裁を加える黒半纏の世話役が控えているから、町会の若い若睦会長も安心して指揮することができるという。
なお、蛇足ながら、警察を中心とした暴力団壊滅のための三ない運動(暴力団を恐れない・金を出さない・利用しない)は、国民の願いに叶うものであり、筆者も暴力や違法行為のない明るい社会の実現を切に望んでおり、暴力団を擁護する気持ちはひとかけらも無い。しかし、暴力団員といえども警察に逮捕されずに娑婆にいて社会生活を営んでいる日本国民であれば、公序良俗に反する行為を行わない限り、日本国憲法によって一般市民同様に祭を楽しむ自由を享受する権利が保障されており、警察といえどもそれを妨げる権限はない。
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北舟の褌談義〈29〉英訳写真俳句 -拾参-
【弐拾六】玉前神社大寒禊
千葉県長生郡一宮町 玉前神社 2013年1月27日(日)
和田フォト: http://wadaphoto.jp/maturi/tama131.htm
Youtube : https://youtu.be/TYp1tR808io
● 大寒の大波浴びる褌衆 北舟
(だいかんの おおなみあびる ふどししゅう)
Men of loincloth,
bathing huge waves
in the coldest season.
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● 寒みそぎ波に洗わる白ふどし 北舟
(かんみそぎ なみにあらわる しろふどし)
Midwinter ablutions,
the white loincloths being washed
by the waves.
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● 大寒の海に合掌褌衆 北舟
(だいかんの うみにがっしょう ふどししゅう)
The ascetics of loincloth,
joining their palms together for the sea
in the coldest season.
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● 寒禊真砂の光る九十九里 北舟
(かんみそぎ まさごのひかる くじゅうくり)
Midwinter ablutions,
the glistening sands
of Kujyukuri.
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● 寒禊雄詰剣印濡褌 北舟
(かんみそぎ おころびけんいん ぬれふどし)
Midwinter ablutions,
Okorobi practice of sword sign
wearing a wet loincloth.
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〈解説〉平成25年(2013)1月27日(日)、千葉県長生郡一宮町(ちばけん・ちょうせいぐん・いちのみやまち)に鎮座する上総国一ノ宮(かずさのくに・いちのみや)「玉前神社(たまさきじんじゃ)」の第4回大寒禊(だいかんみそぎ)(通算7回目の浜垢離)が九十九里浜(くじゅうくりはま)一宮(いちのみや)海岸で行われ、厳寒の中、神職2人、女性2人を含む26人が禊を行った。
大寒禊の会場となった一宮海岸の九十九里浜(くじゅうくりはま)は、千葉県房総半島東岸にある刑部岬(ぎょうぶみさき)(旭市)から太東埼(たいとうさき)(一宮町)までの全長約66kmの太平洋に面する海岸で、「日本の白砂青松100選」と「日本の渚百選」に選ばれた雄大かつ風光明媚な海岸である。
古名は玉浦(たまうら)(玉の浦)であるが、源頼朝の命で6町を1里(註)として、1里ごとに矢を立てたところ、99本に達したという伝承から、「九十九里浜」といわれるようになったとの説が知られている。
註:〈6町を1里〉36町を1里とする現在の日本の尺貫法では、66kmは17里弱となる。このことから長く続いている浜なので九十九里といったとの説もある。しかし、古くから用いられていた長さの単位の1里は6町(1町は約109m)で、109m×6町×99里=約64.7kmとなり、実際に約九十九里となるので、有力な説となっている。
玉前神社大寒禊は、太平洋の雄大な大海原を前に荒波に分け入り、大自然と一体となって禊をすることが最大の魅力である。褌一丁の生身の人間の無力さや自然の営みの偉大さを実感することで、貴重な感動体験が得られることは間違いない。
【弐拾七】玉前神社夏越禊
千葉県長生郡一宮町 玉前神社 2015年6月21日
和田フォト: http://wadaphoto.jp/maturi/tama151.htm
Youtube : https://youtu.be/IV9PVyJcGtw
https://youtu.be/fiuJqHuvmR8
● 褌の救命講習夏の浜 北舟
(ふんどしの きゅうめいこうしゅう なつのはま)
Summer beach,
life-saving course
wearing loincloth.
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● 白褌の鳥船海の夏禊 北舟
(びゃっこんの とりふねうみの なつみそぎ)
Summer ablution at sea,
the Torifune practice
naked with a white loincloth.
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(アニメーション)
● いざ行かむ禊褌夏怒濤 北舟
(いざゆかん みそぎふんどし なつどとう)
Surging waves of summer,
let's go to the purification
wearing a loincloth.
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● 白褌のドドンと波の夏禊 北舟
(びゃっこんの どどんとなみの なつみそぎ)
Summer purification
of white loincloth,
the shock of the wave.
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● 褌の前垂れ靡く夏禊 北舟
(ふんどしの まえだれなびく なつみそぎ)
Summer purification,
aprons of the loincloths
streaming in the wind.
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● 海の気を吸ふや夏越の白ふどし 北舟
(うみのきを すうやなごしの しろふどし)
Breathing ocean air,
wearing white loincloth
for summer purification ceremony.
http://wadaphoto.jp/maturi/images17/tama763l.jpg
● 神庭の夏越の海や褌の白 北舟
(かむにわの なごしのうみや こんのしろ)
White are the loincloths,
summer purification
at the sea of deity's garden.
http://wadaphoto.jp/maturi/images17/tama775l.jpg
● 褌の長老夏の元気かな 北舟
(ふんどしの ちょうろうなつの げんきかな)
Golden ager of loincloth,
full of vitality
in summer.
http://wadaphoto.jp/maturi/images8/tama153l.jpg
〈解説〉平成27年(2015)6月21日(日)、千葉県長生郡(ちょうせいぐん)一宮町(いちのみやまち)に鎮座する上総国(かずさのくに)一ノ宮(いちのみや)玉前(たまさき)神社(栗原崇次宮司)を訪れ、九十九里浜釣ヶ崎(つりがさき)海岸(玉之浦たまのうら)で行われた夏越禊(なごしみそぎ)(2010年以来12回目の浜垢離はまごり)を密着取材した。
玉前神社の社伝によると、祭神の玉依姫命(たまよりひめのみこと)は、神代の昔、現在の釣ヶ崎海岸に当たる玉ノ浦に波に乗って漂着したとあり、その場所で夏越(なごし)の禊祓(みそぎはらえ)を行うことは、とても意義深い。
近年、この海岸はサーフィンの世界大会が開催されるなど、サーファーにとっても神聖な場所となっている。祭神が波に乗る姿は現代のサーフィンに通じるものがあり、興味深い。秋になると、玉依姫命に関係ある神々がこの地に会して祭祀が行われる十二社祭の斎場となり、上半身裸の男たちによる勇壮な神輿練りが行われる。
文久2年(1862)大分県宇佐郡に生まれた川面凡児(かわつら・ぼんじ)という先人が廃(すた)れていた奈良時代の禊行法(みそぎぎょうほう)を復興し、現在、川面流(かわつらりゅう)として、東京都中央区に鎮座する鐵砲洲稲荷神社の寒中水浴大会はじめ、東京都青梅市御岳山(みたけさん)山頂(929m)に鎮座する武蔵御嶽神社(むさしみたけじんじゃ)の滝行(たきぎょう)や茨城県鹿嶋市に鎮座する鹿島神宮の大寒禊など、全国各地で実践されている。
川面流は、和歌を斉唱しながら行う鳥舟などの準備運動を行った後、水浴して禊を行い、終わったあとも鳥舟などの整理運動を行って完了する一連の水浴(禊)の様式を定めたもの。一般に、禊は寒い時期に行われるため、準備運動や整理運動を行って体を温め、禊を全うするための工夫が施されている。夏越禊は、寒くはないが、川面流を踏襲しており、鳥舟などを行うのは、禊ぎにおけるルーティーンである。
鳥船(とりふね)とは、天孫降臨の際にニニギノミコト(瓊瓊杵尊)が乗られた船のことで、鳥船行事は、身体の邪気を発散させつつ心と霊魂(れいこん)を浄化統一する作法で、略して鳥船/鳥舟という。その実際は櫓(ろ)で舟を漕ぐ動作が中心となる。
まず左足を踏み出して漕ぎ、引くときに「イーエッ」、押すときに「エーイッ」と声を出す。動きに合わせて和歌を一首。「朝夕に神の御前(みまえ)にみそぎして、すめらが御代(みよ)に仕えまつらむ(ん)」
次に右足を踏み出して漕ぎ、引くときに「エーイッ」、押すときに「ホッ」と声を出す。息が合ってきたところで、和歌を一首。「天神(あまつかみ)、地祇等(くにつかみたち)みそなは(わ)せ、おもひ(い)たけりて吾が為す業(わざ)を」
最後に左足を踏み出して漕ぎ、引くときに「エーイッ」、押すときに「サッ」と声を出す。息が合ってきたところで和歌を一首。「遠神(とおつかみ)固め修(おさ)めし大八州(おおやしま)、天地(あめつち)共にとは(わ)に栄へむ(えん)」 。
ちなみに、鐵砲洲神社寒中水浴大会と比べると、和歌の順序が違っていて、第二首と第三首が入れ替わっている。一部歌の文言にも差があり、川面流の継承者によってバリエーションが見られるが、大局的には変わらない。
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北舟の褌談義〈26〉裸褌太鼓
前回で英訳写真俳句が10編となったので、今日は話題を変えて、「褌と和太鼓」について書いてみたい。
日本には、プロ・アマの和太鼓演奏集団があり、折に触れて和太鼓の演奏を楽しんできたが、殆どが和服を着て行われているのが現状である。しかし、筆者が最も豪快で男らしく、格好良いと感動したのは、裸褌太鼓である。しかも彼らは例外なく前袋式六尺褌を締めている。いわば水褌一丁で演奏するのだが、これは激しい動きにも乱れることがないからだろう。色は白一色である。神事祭の際に登場することが多いからかも知れないが、これが色柄褌だと、品位が下がるということなのかも知れない。
【壱】柄崎太鼓(アマ集団)
佐賀県武雄市(たけおし)の武雄温泉春祭りで柄崎太鼓(つかざきたいこ)の太鼓奏者たちが全員六尺褌一丁で和太鼓を演奏した。
YouTube: https://youtu.be/doddSS6FtVQ
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〈感想〉六尺褌の締め方が自己流だが、横褌(よこみつ)の位置は全員的確でとても素晴らしく、男らしい! これぞ、クールジャパンの一つだと思う。
【弐】破魔弓太鼓(アマ集団)
熊本県玉名郡長州町 四王子神社 2015年1月18日(第三日曜日)、
● 初春や六尺一本大太鼓 北舟
(はつはるや ろくしゃくいっぽん おおだいこ)
The beginning of spring,
bass drum
wearing only rokushaku fundoshi.
勇壮な裸褌大太鼓!
http://wadaphoto.jp/maturi/images16/matobakai016l.jpg
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平成27年(2015)1月18日(第三日曜日)、熊本県玉名郡長州町(たまなぐん・ながすまち)に鎮座する四王子(しおうじ)神社で、熊本県を代表する新春恒例行事の一つである的ばかい(まとばかい)(破魔弓祭)http://wadaphoto.jp/maturi/matobakai01.htm が開かれ、破魔弓太鼓が奉納された。女性の太鼓演奏集団だが、途中で裸褌太鼓を演奏する一人の男性が現れた。この方も六尺褌の締め方は自己流で、横褌(よこみつ)の位置が2〜3センチ低いが、男らしく格好良い演奏だった。YouTubeでは、残念ながら、紹介できる作品はなかった。
【参】若囃太鼓(子供アマ集団)
YouTube: https://youtu.be/Yz5D2aXiWYM
下館若囃太鼓(しもだてわかはやだいこ)通称「若囃太鼓」は、茨城県筑西市(ちくせいし)に本拠を構える子供たちだけの和太鼓演奏集団である。彼らは、白の六尺褌一丁で演奏するのが特徴である。このビデオは、2003年11月15日に台湾で行われた公演を録画したもので、とても格好良く、しかもかわいらしい。残念ながら縦360ピクセルの記録のため、品質が悪い。
最後の挨拶のとき、司会者が子供たちを後ろ向きにさせて六尺褌の後ろ褌(うしろみつ/Tバック)を見せていたが、やはり、台湾でもお尻丸出しの後ろ姿がユニークだと感じるのだろう。
2004年3月14日、若囃太鼓から次のメールが届いた。
(註:「老いとき」では、「若囃太鼓から次のメールが届いた。」)
「 初めまして、私は茨城県下館市で子供達と太鼓をやっている下館若囃太鼓と言います。素晴らしいお祭りのHPを以前から拝見していました。特に裸まつりや、ふんどし談義など大変参考になりました。ぜひHPの相互リンクをお願いしたくメールいたしました。
下館若囃太鼓は子供達がふんどしで太鼓を打つ全国でも数少ない(唯一かも)太鼓の会です。海外公演としてカーネギーホール公演を2回、また昨年は台湾のダンシングフェスティバルIN台湾に参加しました。伝統曲の継承普及を目的に創作太鼓にも力を入れ活動しています。」
勿論、快くお受けし、それ以来、若囃太鼓のホームページ
http://wakahaya.jp/taiko/
とWa☆Daフォトギャラリーは、相互リンクで結ばれている。
公演のときだけ褌を締めるのでは違和感があり、普段から褌を締めて遊ばせているとのこと。その画像もここにシェアーさせていただいたので、ご覧いただきたい。
YouTube: https://youtu.be/VtZy2spor-w
(大竹海岸)
筆者の幼年時代の海辺の風景を彷彿とさせるもので、懐かしさを感じる世代も多いのではないだろうか。ただし、現代の子供たちは海水パンツで水浴するので、その跡がくっきりとついており、違和感があるのは仕方ない。(笑)
〈若囃太鼓が褌にこだわる理由〉
「 昭和40年代に中央公民館から委託を受け子供の遊びについて映像で記録した事が有ります。その時に戦前の回想場面で赤ふんを使いました。(黒ネコふんどしの方が良かったかも)
その後若囃太鼓が結成されその子供達も入会しました。太鼓のコンクールに参加することになりましたが、なかなか入賞出来ず子供達がふんどしでやろうと言い出し、銀賞を獲得することが出来ました。その後は最後の曲をふんどしでやる様になり又鼓童の存在を知りさらに自信がつきました。最後の曲にふんどしで出るたびに拍手をもらう事に子供達は優越感を持ったのかもしれません。
男の子が中学になると女の子を意識してふんどしをしない公演も何度かやりましたが、お客からクレームが来るのです。なぜふんどしでやらないのかと。下館若囃太鼓=子供達のふんどし、というイメージが定着してしまったようです。
褌は単なる下着では無く、結婚出来る一人前の男になった証であり子孫繁栄の呪物だったようにも思われます。若者がお祭りで使った晒しの腹巻や褌を安産のお守りとしている所も多く有ったようです。祭りの褌は下着としての褌では無く、禊を済ませた証であり神に一番近い姿だと思います。若囃太鼓のふんどしは、純心な神童の正装であり、世界平和、無病息災、五穀豊穣、家運隆昌を願う神童が天鼓を打つ姿を象徴しています。」(若囃太鼓・神童の衣装より抜粋)
〈感想〉褌姿で太鼓を叩く集団は、鬼太鼓座(おんでこざ)や鼓童(こどう)などがあるが、いずれも大人の集団で、児童のみの集団は若囃太鼓が老舗である。東日本大震災のあと公演が激減し、会の存続が危ぶまれているという。何とか危機を乗り越えて、少年たちの勇姿を全世界に披露して頂きたい。
http://wadaphoto.jp/images2/wakahayadaiko.jpg
【四】鬼太鼓座(プロ集団)
鬼太鼓座(おんでこざ)は、1969年に佐渡島で結成されたプロの和太鼓演奏集団である。時々六尺褌で演奏するが、何度見ても、この褌一丁の演奏が素晴らしい芸術だと感じる。
YouTube: https://youtu.be/dj0F-MmPNLk
このビデオは、2011年7月18日岩手県陸前高田市で開かれた太鼓祭で白の六尺褌を締めて大太鼓を演奏したときのもの。バチさばきにあわせて全身の筋肉が躍動するさまが写っており、是非1080p HD フルスクリーンでご覧頂きたい。
〈感想〉完璧なパフォーマンスで、申し分ない!
【五】鼓童(プロ集団)
鼓童(こどう)は、有名なプロの太鼓演奏集団で、時々、六尺褌一丁で演じる。このビデオは、2010年10月20日にドイツ・ミュンヘンの舞台で白い六尺褌一丁で大太鼓を演奏した世界公演の様子を記録したもの。
YouTube: https://youtu.be/wbXbM6HJ7Oc
〈感想〉まさに芸術的で男らしく、躍動感があるが、照明が暗くてぼけているのが残念。向かって左側の奏者の横褌(よこみつ)が臍の位置にあるのが難点で、丹田の位置(臍下三寸)に締めなければならない。プロ・アマを通じて、前袋式六尺褌を格好良く締めるのは、本当に難しいことなのだと感じた。
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北舟の褌談義〈25〉英訳写真俳句 -拾-
【拾九】小松神社裸参り
大分県国東市 小松神社 2010年元旦
和田フォト: http://wadaphoto.jp/maturi/bungo1.htm
● 元旦や褌外して垢離を取る 北舟
(がんたんや ふどしはずして こりをとる)
New Year's Day,
performing water ablutions
taking off loincloths.
http://wadaphoto.jp/maturi/images7/bungo001l.jpg
● 垢離取りて褌のままの初詣 北舟
(こりとりて ふどしのままの はつもうで)
First visit of the year,
only wearing fundoshi loincloth
after purification.
http://wadaphoto.jp/maturi/images6/komatu20l.jpg
〈解説〉平成22年(2010)の元旦早朝、大分県国東(くにさき)市国東町見地(けんじ)に鎮座する小松神社で、年迎え行事として800年の昔から続く裸参りが行われた。この神事は、元旦早々の深夜、氏子たちが田深川(たぶかがわ)の垢離取場(こりとりば)に行き、褌を外して全裸で寒禊をしたあと、褌一丁で拝殿に上り、初詣(はつもうで)するところに特徴がある。
褌を外すのは、濡らさないようにするためで、全裸で禊ぎをするのは、かつては当たり前のように行われており、地方では現在もその風習が残っているところがある。筆者の子供時代、新荘川で褌を外して禊ぎをする四国八十八箇所霊場巡りのお遍路さんを見かけた記憶がある。日本では、銭湯や温泉では今も全裸で入浴するのが当たり前なので、別に恥ずかしいことではない。
参拝のあと、解散した褌衆の中に、江戸時代に北斎が描いた紐を通した越中褌の人がいた。http://wadaphoto.jp/maturi/images6/komatu24l.jpg 未だに江戸型越中褌の愛用者がいることが分かり、絶滅していないことが分かって安心した。立褌(たてみつ)が固定されていないので、後ろ褌(うしろみつ)の幅が狭まってきている。
【弐拾】七日堂裸詣り
福島県河沼郡柳津町 圓蔵寺福満虚空蔵尊 2008年1月7日
和田フォト: http://wadaphoto.jp/maturi/yanaizu1.htm
Youtube : https://youtu.be/HaiYVnutNww
● 初春や白ふんどしの綱のぼり 北舟
(はつはるや しろふんどしの つなのぼり)
Early spring,
rope climbing
wearing white fundoshi sash.
http://wadaphoto.jp/maturi/images4/yanaizu48l.jpg
● 年の酒褌衆の福の籤 北舟
(としのさけ ふんどししゅうの ふくのくじ)
Sake for the New Year,
a lottery
for fundoshi men.
http://wadaphoto.jp/maturi/images4/yanaizu13l.jpg
〈解説〉福島県の柳津町(やないづまち)では、毎年正月7日に全国から集まった男たちが六尺褌一丁の裸形になり、午後8時半の一番鐘の合図で圓蔵寺(えんぞうじ)の石段を駆け上がり、手水鉢で垢離を取ったあと、本堂の菊光堂に参拝する裸詣りが行われる。この日だけは、行事の舞台となる本堂は、七日堂と呼ばれる。
七日堂では、男たちが競い合って一本の麻縄によじ登り、大鰐口(おおわにぐち)を目指す鰐口登りが行われ、堂内は褌衆と見物人たちの熱気に満ちあふれる。裸詣りが終わった裸衆は、住職からホオノキの矢に挟んだ牛王法印(ごおうほういん)をいただき、家に持ち帰って一年の幸福と無病息災を祈る。褌一丁による鰐口登りは全国に例がなく、七日堂の裸詣りは、奇祭中の奇祭として知られる。
http://wadaphoto.jp/maturi/images4/yanaizu38l.jpg
http://wadaphoto.jp/maturi/images4/yanaizu03l.jpg
http://wadaphoto.jp/maturi/images4/yanaizu10l.jpg
【弐拾壱】栃堀裸押合大祭
新潟県長岡市栃堀 巣守神社 2008年2月9日(第二土曜日)
和田フォト: http://wadaphoto.jp/maturi/totibori1.htm
Youtube : https://youtu.be/Kwl_JaNZImA
● 富籤の恵比寿大黒春隣る 北舟
(とみくじの えびすだいこく はるどなる)
The gods of Ebisu Daikoku
of the lottery,
Sprig approaching.
http://wadaphoto.jp/maturi/images4/totibori05l.jpg
● 雪の径六尺一本草鞋がけ 北舟
(ゆきのみち ろくしゃくいっぽん わらじがけ)
A snow road running,
wearing a rokusyaku sash
and straw sandals.
http://wadaphoto.jp/maturi/images4/totibori10l.jpg
● 寒垢離や桶に浸りて裸押 北舟
(かんごりや おけにつかりて はだかおし)
Cold-water ablution,
jostling
after bathing in the tub.
http://wadaphoto.jp/maturi/images4/totibori04l.jpg
● 雪の里福札取りの白褌 北舟
(ゆきのさと ふくふだとりの しろふどし)
A snow village,
white loincloths
for lucky plates.
http://wadaphoto.jp/maturi/images4/totibori76l.jpg
● 雪御堂六尺一本撒与札 北舟
(ゆきみどう ろくしゃくいっぽん さんよふだ)
Snow covered shrine,
rokushaku sashes
and scattering plates.
http://wadaphoto.jp/maturi/images4/totibori07l.jpg
〈解説〉平成20年(2008)2月9日(土)、一泊二日の日程で、雪国・新潟県長岡市(旧栃尾市)栃堀(とちぼり)に鎮座する巣守神社(すもり・じんじゃ)において当夜開催された裸押合大祭(はだかおしあいたいさい)を激写した。
天正年間(1570年代)、上杉謙信が守門岳(すもんだけ)登山口の栃堀にある巣守神社に毘沙門天(びしゃもんてん)を祀り、戦勝祈願や五穀豊穣を願ったのが裸押合大祭の始まりといわれ、数年前までは1月15日に開催されていたが、事前の準備が大変なので、2月の第二土曜日になったという。
祭り当日、巣守神社本殿にある祭壇の中央には毘沙門天像が置かれる。毘沙門天は仏教における天部の仏で、持国天、増長天、広目天と共に四天王の一尊に数えられる武神であり、神仏混淆の名残が伺える。
栃堀の東方約10kmに聳える守門岳(1,537m)は、袴岳を主峰とし、青雲岳、大岳中津又岳が一大山系を形作る連峰で、越後中部の名峰と讃えられる。大岳の頂上には守門大明神が祀られている。謙信がまだ幼少の頃、守門岳の山麓で狩りをして心身を鍛練したという言い伝えがある。
午後7時丁度、ふるさと交流会館から先頭集団が一斉に走り出し、それに続く裸男たち全員が威勢良く巣守神社に向けて出発した。参道脇には、大勢の参拝客やアマチュア・カメラマンたちが立ち並び、裸男たちの勇壮な姿を見守っていた。
午後7時5分頃、太鼓の合図で裸押合大祭がはじまり、裸男たちは午後8時半頃まで「押(オ)ッセ、押(オ)ッセ」「サンヨ(撒与)、サンヨ」などと大声で掛け声を掛け合いながら、火照(ほて)った身体をぶつけ合い、揉み合いを繰り広げ、巣守神社本殿は熱気に包まれた。
裸男たちは、激しい裸押し合いで身体が火照(ほて)ると、石段を駆け下りて参道の途中にある禊場で垢離(こり)を取った。湧き水を利用した禊場は、一枚岩をくり抜いた立派な岩桶で、一度に何人も水浴することができる。水を掛け合ってはしゃぎ合う者、神妙に手を合わせる者など、人それぞれで、禊の作法は統一されていないようだった。
裸男たちによる激しい押し合いで本殿が熱気に包まれている間も、参拝客は途切れることがなく、本殿に向かって左の入口から祭壇の前に佇み、参拝する姿が見られた。
祭壇の前に日の丸扇を持って坐っている恵比寿・大黒が初穂料を納めた人に富籤(とみくじ)を引いてくれる。この福引にも豪華景品が用意され、空籤(からくじ)無しで、本殿そばの福引景品引換所で景品と交換して貰える。恵比寿・大黒役は、厄払いを兼ねており、地元の42歳の本厄の男性が勤めている。
福窓から福札を撒与する烏帽子・白装束スタイルの神官は、氏子や各種団体の代表者がつとめているという。裸男たちは、福札の撒与役が交代で福窓に上がると、裸押し合いを中止し、両手を上げながら一斉に「サンヨッ、サンヨッ!」のサンヨ(撒与)コールを始める。この掛け声は、こちらに撒いてくれという要求だった。
約1時間半に及ぶ裸押し合いと福札争奪戦は、かなり長く感じた。最後は、余った福札を纏めて撒く大盤振舞があり、270枚の福札全てがばらまかれた午後8時半頃、太鼓が打ち鳴らされて、裸押合大祭が終わった。
裸押合大祭を終えた裸男たちは、一斉に社殿を飛び出し、雪蛍の舞う道を駆け足で交流会館に帰っていった。男たちは石油ストーブで温められた支度部屋に戻ると、着替えを始めたが、濡れて固く結ばれた褌は一人で解くには難しく、世話役の助けが必要だった。
ふるさと交流会館の玄関ホールの奥に「撒与景品交換所」が設けられており、裸男たちの着替えが終わってから3つのグループに分けて景品交換が始められた。最初に一等賞5万円の授与があり、今年の年札2008は足立区の新妻俊一さんが手にしていた。
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【拾五】西大寺会陽(国指定重要無形民俗文化財 日本三大奇祭)
岡山県岡山市東区 西大寺観音院 2010年2月19-21日
和田フォト: http://wadaphoto.jp/maturi/eyo01.htm
YouTube: https://youtu.be/h96lfUQaXuQ
古い会陽絵馬 http://wadaphoto.jp/maturi/images8/eyo079l.jpg
● 白褌の子供會陽や垢離の水 北舟
(びゃっこんの こどもえようや こりのみず)
The water of ablutions,
Eyo Festival of children
wearing a white loincloth.
http://wadaphoto.jp/maturi/images8/eyo021l.jpg
● 褌の垢離に歓声會陽の子 北舟
(ふんどしの こりにかんせい えようのこ)
Children of Eyo Festival,
arising cheers for the water ablutions
wearing a loincloth.
http://wadaphoto.jp/maturi/images8/eyo125l.jpg
● 爺孫の裸褌會陽の日 北舟
(じじまごの はだかふんどし えようのひ)
The day of Festival Eyo,
a grandfather and grandchildren
naked wearing a loincloth.
http://wadaphoto.jp/maturi/images8/eyo160l.jpg
● 白褌の地押轟く會陽かな 北舟
(びゃっこんの じおしとどろく えようかな)
Eyo Festival,
shout of rounds
resounding around.
http://wadaphoto.jp/maturi/images8/eyo193l.jpg
地押(じおし)は、本堂大床の周りをスクラム行進すること。本押(ほんおし)は、本堂大床での宝木(しんぎ)争奪戦をいう。
〈解説〉平成22年(2010)2月20日(土)、岡山市東区の西大寺観音院で500周年の節目を迎えた「西大寺会陽はだかまつり」が開かれ、33,000人の観客と9,500人の裸が参加した。
会陽(えよう)とは、修正会結願(しゅしょうえ・けちがん)行事の地域的名称。岡山県以外でも香川県善通寺市の善通寺会陽などがあるほか、岡山県には岡山市・金山寺会陽、美作町・安養寺会陽など多くの会陽がある。しかし、何といっても全国に名を知られているのが岡山市・西大寺会陽で、昭和34年(1959)岡山県により無形民俗文化財に指定されたあと、平成28年(2016)1月15日には、晴れて国から重要無形民俗文化財の指定を受けた。
飲酒による事故防止のため、2010年から全ての日程が2時間早められ、午後10時に投下された一対の宝木(しんぎ)を巡って激しい争奪戦が繰り広げられ、宝木仮受所(しんぎかりうけしょ)(岡山商工会議所西大寺支所)での山主(やまぬし)(僧侶)の検分により二組の取主(とりぬし)が福男(ふくおとこ)に認定された。
その後、福男たちは宝木を携えて西大寺バスターミナルに赴き、御福頂戴(ごふくちょうだい)の福受式典(ふくうけしきてん)に出席。宝木は、山主により、牛玉(ごおう)封じののち厨子(ずし)に納められ、創立100周年の節目を迎えた祝主(いわいぬし)の両備グループに引き継がれた。
垢離取場を駆け抜ける裸の集団
http://wadaphoto.jp/maturi/images8/eyo004l.jpg
次々と地押に繰り込む企業裸(きぎょうはだか)たち 21:33
http://wadaphoto.jp/maturi/images8/eyo001l.jpg
本堂大床(おおゆか)の攻防! 22:00:36
http://wadaphoto.jp/maturi/images8/eyo209l.jpg
★彡 西大寺会陽に思う ★彡
筆者が全国の裸祭りを取材して、その規模や勇壮さ、伝統の継承、市民の熱狂度などを比較した結果、博多祗園山笠(福岡市)・西大寺会陽(岡山市)・國府宮(こうのみや)はだか祭(愛知県稲沢市)が群を抜いて評価が高い。全国に日本三大裸祭と自称する祭が散見されるが、このビッグ・スリーこそが日本三大裸祭と呼ぶに相応しい勇壮な祭礼である(和田説)。こうしてみると、西大寺会陽は、日本三大奇祭と日本三大裸祭のふたつのタイトルに輝く類い希な祭礼であり、その歴史の重みと相まって日本の祭文化の至宝であるといえよう。
しかし、岡山県の調査によると、岡山県下では2月20日の西大寺会陽を筆頭に、かつては100箇所を超える会陽が行われていたが、現在では2月6日の金山寺会陽(岡山市北区)や2月13日の安養寺会陽(美作市)など、13箇所にまで激減しているという。
その理由は、過疎化による廃寺のほか、宝木争奪戦という性格上避けて通れない死傷事故や喧嘩沙汰などのためというが、伝統文化が次々に消滅してゆくのはとても残念である。
西大寺会陽では、戦後、2人の裸が本堂大床で命を落としている。國府宮はだか祭も同様で、「死者を出すような危険な祭は、即刻中止すべきだ」との批判があり、安全安心な裸祭を催行するにはどうすべきかが問われている。会陽は、裸で垢離を取るという日本国民に共通する正月行事であり、日本が世界に誇る裸褌文化として、これからも変質させることなく幾久しく存続させるために、官学民が一体となって叡智を出し合って欲しいと思う。
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私のFBフレンドでタイ在住のMr.Surasit Saokumkateさんがこの写真を送ってくれた。褌研究者としてとても興味のある写真である。彼らは、タイのドイタオ県に住んでいて、Charnpichitという写真家が撮影したことが記入されている。日本の黒猫褌に似た褌を締めているが、後ろ姿がどうなっているか分からない。彼らは、半ズボンに相当するところに入れ墨を入れていて、遠くから見ると褌一丁ではなくパンツをはいているように見える。褌姿は、恥ずかしいのだろうか。どなたか関連情報をお持ちであれば、是非、教えて頂きたい。
'Fundoshi men of a minority tribe of Thailand'
My fb friend Mr.Surasit Saokumkate living in Thailand sent me the following photos of old men wearing loincloth which is similar to fundoshi of Japan. This photos were taken by a photographer Mr. Charnpichit living in Amphoe Mueang Chiang Mai, Thailand.
According to the explanations, these tribe men are living at Amphoe Doi Tao, Thailand. I asked to Mr. Charnpichit for further information and back figure of them.
They all tattooed around their waist so that they look as if they are wearing short pants in spite of fundoshi loincloth only. Are they shameful wearing fundoshi only? If there is no tattoo, they look like Japanese old men.
If someone knows about them please inform me, thank you.
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● 子は裸父はててれで早苗舟 池田利牛
【和田評】池田利牛(生年不詳)は、江戸蕉門の一人。「ててれ」とは褌のこと。「ててら」ともいう。江戸時代初期の絵描き久隅守景(くすみもりかげ)の「夕顔棚納涼図屏風」
http://artscape.jp/study/art-achive/__icsFiles/artimage/2011/02/15/c002tankyu/kazoku.jpg
(部分) に描かれた夕涼みの父子を早苗を運ぶ小舟に乗せたような景色を想像する。江戸時代の子供は、13歳前後の褌祝(へこ祝)の前ならふりちんだったから、裸とは全裸のこと。全裸の男児と褌一丁の親爺が早苗舟に乗っていたという素朴な情景を詠んだもの。早苗舟は夏の季語で、田植えに使う舟のこと。
● ごろりと草に、ふんどしかわいた 種田山頭火
● ふんどしは洗へるせせらぎがあり
● ふんどしを枝へ枝から落ちる葉
【和田評】 山頭火(1882〜1940) http://iyokannet.jp/ginkou/img/great_detail/pic_idai_syousai22.jpg
は、季語や語数にこだわらない自由律の俳人である。1925年に出家し、翌年〈分け入つても分け入つても青い山〉と詠み、生涯にわたる行乞(ぎようこつ)放浪の生活を続けた。これが俳句とはとても思えないのだが、「ふんどしかわいた」が何もない天涯孤独の行乞の様子を偲ばせる。
● 犢鼻褌を干す物干しの月見かな 高浜虚子
(たふさぎを ほすものほしの つきみかな)
【和田評】明治・昭和期の俳人高浜虚子(1874〜1959)
http://www.kamakurabungaku.com/literature/imgs/6_photo02.jpg
は、俳句雑誌「ホトトギス」の理念となる「客観写生」「花鳥諷詠」を提唱したことで知られる。この句は、「虚子京遊句録」の「清水坂愚庵十二勝」に掲載された褌句。 当時、京都の清水坂に愚庵という禅宗の僧が愚庵と名付けた家に住んでおり、愚庵の中の12の絶景を十二勝として自慢していたため、訪れた虚子がそれぞれの場所で発句し、12句を残した。この句は、嘯月壇(しょうげつだん)という愚庵の景勝地とされるところで詠んだもの。
犢鼻褌は、「とくびこん」と読むが、日本では「たふさぎ」と読む。すなわち褌を干している物干しで月見をしたというたわいのないものだが、漢詩の世界を模倣して気取った十二勝を設定した愚庵を揶揄したものらしく、出家し、坊主となった愚庵愛用の越中褌が干してある傍らで月見をしたことを披露したもの。
ちなみに、犢鼻褌の「犢」の字は子牛を意味し、褌を締めたときの股間のふくらみが子牛の鼻に似ていることから、褌のことを犢鼻褌といった。かつての中国(支那)から伝わった犢鼻褌という漢字は、難解だったので、日本では「たふさぎ」という大和言葉を充てたが、現在は、死語になっている。
● 物干しのふんどしに月やほととぎす 内田百
「 アポロ十一号ちゅう物が、お月さまへ飛んで行って、お月さまを引っ掻いたり、くすぐったりしているらしい。いい加減にしておかないと、お月さまが少し軌道をこっちへ、地球の方へ動かしたりしたら、困った事になる。お月さま、我々文学文章の徒に取っては、詩歌のセンチメントである。象徴であり、神聖であって、冗談ではない、科学者の勝手放題は迷惑とも何とも。(略)」(まあだかい ちくま文庫 269-270頁)
【和田評】内田百閨iうちだひゃっけん 1889〜1971 )
http://cdn.amanaimages.com/cen3tzG4fTr7Gtw1PoeRer/23007000051.jpg
は、漱石門下の小説家。物干し竿に干されている彼の越中褌に月が昇り、ホトトギスの声が聞こえる。虚子の句同様、褌と月との組み合わせが面白いと思って詠んだものと思われるが、これらが名句かどうかは、私には分からない。
● 栄螺にもふんどしがありほろ苦し 津田清子 「七重(平三)」所収
「 女性が「ふんどし」の語を詩歌の中で使った例は、あってもごく稀れだったのではなかろうか。別に異様なことともいえないが、やはり目をひく。しかもこの句、俳諧の正統たるおかしみを有する上に、結句「ほろ苦し」の利かせ具合も程がいい。一読、ああ面白いと思わせられる。」(第十 折々のうた 大岡信著 33頁)
【和田評】奈良県生まれの津田清子(1920〜2015)
http://www.kcn.ne.jp/netpress/fureai/010/img/hitofure.jpg
は、現代に活躍した俳人。栄螺(さざえ)は春の季語で、雌雄異体だが、外部生殖器はないので外観的には区別できない。壺焼きにして中身を取り出して見ると、軟体の巻きの先端部に生殖腺があり、この部分を「ふんどし」又は「つのわた」と呼び、黄白色なのが雄、緑色なのが雌だという。私は、栄螺の壺焼きは殻以外全部食べてしまうが、秋刀魚の塩焼きと同じで、内臓がほろ苦くて美味い。
ちなみに、蟹(かに)にも雄雌ともに股の部分にふんどし(腹部の生殖器の蓋板)があり、甲羅をはがして食べる起点となる。「蟹はふんどしを外して食べるものだ」と教わり、自分の褌を外して食べたという江戸時代の笑い話がある。(^-^)
● 母を捨て犢鼻褌(たふさぎ)つよくやはらかき 三橋敏雄
昭和16年刊「太古」。「証言・昭和の俳句下」304頁の「自選50句」に収録。
【和田評】三橋敏雄(1920〜2001) https://www.city.tsuyama.lg.jp/images/content/4943/mituhashi.jpg
は、八王子出身の現代の俳人。この人の俳句はどれも難解で、私のような凡人には、さっぱり理解できない。犢鼻褌は「とくびこん」と読むのが普通なので、「たふさぎ」とルビをふっているが、褌のことである。昭和の世では、みんな「ふんどし」と称していたので、「たふさぎ」などという古代の呼び方は誰もしていないと思われるが、作者はなぜ「ふんどし」とせず、「たふさぎ」と表現したのか、どう考えても分からない。当時作者は、越中褌を愛用していたと思われるが、母を捨てた複雑な感情を褌に託したものと考えられるが、何をいいたいのだろう。自選50句に入っているので、よほど気に入った句なのだろうが、褌愛好家である私にさえ意味不明である。
● 初春や紙ふんどしの土俵入り 大久保喬樹
「 さすがに子供たちが乳飲み子のうちはあわただしく、たしか、去年の正月あたりまでは、まだ紙おむつもとれてなくて、「初春や 紙ふんどしの 土俵入り」などと一句をひねったおぼえがあるが・・・。」(風流のヒント 初春の巻 173頁)
【和田評】「紙ふんどしの土俵入り」とは何か、これもよく分からない。紙でつくったふんどしなんて聞いたこともない。紙おむつで土俵入りごっこをしたということなのだろうか。東大卒の評論家として知られた人らしいが、この句で何を伝えたいのか、予備知識のない読者には分かる由もない。
● ストーブに褌を干す一人かな 益田市 宮下章治
「 一人暮らしの侘しさがよく描かれた句である。ふんどしを使われているのは御高齢か。誰に見咎められることもない自由な暮らしと表裏をなす孤独。干し物の乾かない悪天候の日々が続いている。」読売俳壇 矢島渚男選 2011.1.31)
【和田評】読売俳壇に入選した一般人の褌句。ありのままの自分を平易に詠めば採ってくれる先生もおられる。
● 褌をしめて始まるまつりかな 吉田さかえ(句集・山の村)
【和田評】この人の句集「山の村」に褌句を見つけた。裸褌祭を素直に詠んだものだが、我々参加者がいつもやっていることであり、余りにも当たり前すぎる。
● 真白な褌に替へて漁始 古市文子
(まっしろな ふどしにかえて りょうはじめ)
【和田評】新年を迎え、真新しい白褌(びゃっこん)に締め替えて、「さあ、今年も頑張ろう!」と颯爽と漁に出かけていった夫を見送る妻の気分が良く出ている。女性が詠んだ褌句で、「真っ白な」「替えて」「漁始」という具体的な情景があり、「山の村」の「褌を締めて祭が始まった」というだけのものより、余程優れている。
● 三伏の瑞枝に結ひて褌干す 高橋悦男
(さんぷくの みずえにゆいて ふどしほす)
【和田評】三伏は夏の極暑の期間で、夏の季語。瑞枝(みずえ)とは若い枝のこと。「結ひて」ということで、越中褌の紐を若い枝に結んで干したという意に取れる。暑いので、川で水浴びでもしていたのだろうか。
● 褌は竿にかがせつ冬ごもり 稽翁木節(けいおうもくせつ/蕉翁門裡)
(続俳家奇人談/竹内玄玄一著)
【和田評】竿に褌の臭いを嗅がせて冬ごもりしたという句だが、褌を洗えば臭いが消えるはずで、洗わずに竿に干したのだろうか。「かがせる」が意味深でユニーク?
● 褌も秋の扇も白かりき 夏井いつき
【和田評】白い褌と白い扇の組み合わせ。越中褌は白晒しの木綿布が一般的だが、白褌(びゃっこん)を締めて、白地の、しかも扇子ではなく扇を持って何をしているのだろうか。
● 寒泳の衆目を負ふ褌の白 能村登四郎
(かんえいの しゅうもくをおう こんのしろ)
【和田評】古式泳法の師範が白い水褌(前袋式六尺褌)を締めて寒中水泳を行った。誰しもが男らしく格好いい褌姿に注目し、その白さが目に焼き付いた。「衆目を負う」が秀逸。
● 学僧の褌干され小春風 改さん
(がくそうの ふんどしほされ こはるかぜ)
【和田評】褌句には、褌を干している情景を詠んだ句が良く出てくる。寺院に入門した若い僧侶の越中褌が干されて小春風に揺れている情景を素直に詠んだ。小春風とは、小春(初冬)の頃に吹く風。
● 腹帯に会陽褌を貰ひ受く 浅越節子(岡山市)
(はらおびに えようふどしを もらいうく)
【和田評】岡山の女性らしい句で、褌一丁で宝木(しんぎ)を奪い合う勇壮な「西大寺会陽」http://wadaphoto.jp/maturi/eyo01.htm で、はだか男たちが締めた褌をもらって腹帯にすると、安産で丈夫な子が生まれるという。今もその言い伝えを守る女性がいる。
● 褌の男が囲む捕鯨の図 宮西昭雄(相馬市) 読売俳壇入選作 2010.4.19
【和田評】昔の捕鯨漁を描いた図には、赤や白の水褌一丁の漁師たちの勇壮な姿が描かれている。この句は、江戸時代の鯨漁が盛んなりし頃、褌の男たちが息も絶え絶えの鯨を囲んでいる情景を詠んだもので、入選作となった。「囲む」が良かったのだろうか。
2016.06.09
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これまで、筆者の褌研究のひとつとして、褌を詠んだ俳句(以下「褌句」)を調べてきたが、それをとりまとめた資料が見つからなかったので、その収集に長い年月がかかった。前稿の「北舟の褌談義〈13〉褌と厄落し」で、村上鬼城の「元旦やふどしたゝんで枕上」と正岡子規の「四十二の古ふんどしや厄落し」の名句を紹介したので、その他の作品を紹介する。なお、私の知らない褌句をご存じの読者がおられれば、是非お知らせ願いたい。
● 褌に団(うちは)さしたる亭主かな 与謝蕪村 (落日菴句集)
【和田評】与謝蕪村(1716〜1783) http://www.tv-tokyo.co.jp/kyojin/backnumber/101225/images/p002.jpg
は、松尾芭蕉、小林一茶と並ぶ江戸時代の天才俳人。生まれ故郷の大阪を出て、俳諧で身を立てようと江戸で暮らした後、芭蕉の如く旅に出て半生を俳句に捧げた。この褌句は、江戸時代の夏、高温多湿の日本において普通に見られた光景をありのままに詠んだもの。宝井其角の「夕涼みよくぞ男に生まれけり」の句を思い出す。この時代は、褌といえば前垂れ式六尺褌と考えておけば良い。
● ふんどしで汗をふきふきはなしかな 小林一茶
【和田評】小林 一茶(1763〜1828) http://www.i-unic.com/contents/kuhi/image/kuhi_11i.gif
は、江戸時代を代表する俳諧師の一人。 一茶の句に、こっけいな句やユーモアたっぷりの句が多いことは、よく知られている。夏の暑さのなかで褌一丁の男たちが話に興じている。額の汗が垂れて目にしみるので、褌の前垂れを手拭い代わりにして汗を拭っている様子が彷彿とする。前垂れが短いと顔に届かないので、一茶の褌は、かなり前垂れが長かったものと想像される。(笑)
● ふんどしに笛つきさして星迎(ほしむかえ) 小林一茶
【和田評】一茶の「七番日記」に収録されている褌句。星迎は、七夕のことで、秋の季語。笛を吹いて、彦星と織姫の年に一度の逢瀬を祝ったのだろうか。蕪村の団扇といゝ、一茶の笛といゝ、褌の横褌(よこみつ)は、使わない持ち物を一時的に差して仮置きするのに使われた。現在では、裸祭りの際に、履いていた草履(ぞうり)を後ろ横褌(うしろよこみつ)に差している光景を見かける。博多祇園山笠では、舁き縄を後ろ横褌に差すのが流儀。荒縄がむき出しの臀部に当たるので、むずがゆいらしい。
● ふんどしもなくてことすむ案山子かな 佐藤愛子 「今は昔のこんなこと」所収
「 一口にふんどしといっても六尺褌もあれば越中褌もある。六尺褌というのは六尺の晒を腰にぐるぐる巻きつけて、その端を股ぐらに通して大事な箇所を包み込むもので、別名「しめこみ」という。
真白な晒で下半身をキリリと締め上げた男の褌は老若を問わず力が漲(みなぎ)って見るからに勇ましく、胴長短足という日本人特有の体型にぴったり似合っていて、ご面相は問わず凛々しく美しくみえたものだ。「よしッ、褌締め直して行くぞ!」と男意識高揚させる時に褌がモノをいった。
それに比べると越中褌はなんともだらしなく、頼りなげで貧乏くさい。三尺ばかりの小幅の晒の一方に細い紐がついている。それを腰の前で結び、その紐に股をくぐらせた布を通してのれんのように垂らす。実に簡単である。「緊褌(きんこん)一番」というにはほど遠い代物(しろもの)だ。
(略)時代映画では雲助といわれた悪質駕籠屋や馬子などが法被(はっぴ)に腹巻、越中褌という格好をしている。農民一揆などでも汚い越中褌が、立てたムシロ幟とよく似合っている。一所懸命になればなるほど緊褌一番という趣にはほど遠いのが哀れをそそるのである。
ところで私の父(佐藤紅緑)は越中褌の愛好家であった。褌についての父の持論は、褌はその中にあるかのものを、常に悠々飄々大空を舞う奴凧の如くに自由に揺蕩(たゆた)わせておくべきものだというのである。かのものはのびやかに育って大モノになっていく。それに伴い精神もまた悠揚迫らず男らしい風格を持つようになるというのである。
それを何ぞや、サルマタなどという醜怪きわまるものを着用するやからが増えている。日本の男はサルマタをもって衰弱の一途を辿るに違いないと嘆いていた。
若い頃、父は詐欺師の口車に乗って、(略)新聞社を立ち上げようと夢見て失敗した。(略)家財道具から着るもの一切、質屋の蔵に入っている。都合良く丁度夏に向う頃だったので、次々に着ている物を質屋に入れた後は越中褌ひとつで日を送るようになった。
収入としては(かつて正岡子規に師事して、新聞の俳壇の選者などをしていた関係から)十句三十銭の俳句の通信添削料が入るだけである。少しは名が知られていたせいで、借金取りばかりでなく、俳人や俳句好きの訪れがあるが、その客たちを越中褌姿で迎えて、「褌の最も進歩したものは越中褌ですなあ」「褌の中で最も俳味のあるものは越中褌ですな」などとうそぶいていた。
当時の句日記に、「ふんどしもなくてことすむ案山子かな」という句がある。雨がつづいて褌の洗い替えがなくなった時の所感かもしれない。そのこだわりのなさは、越中褌の中でかのものを悠々と遊ばせた歳月によって造られたのかも。(略)」(今は昔のこんなこと/褌 著者:佐藤愛子
http://www.asahi.com/culture/news_culture/images/TKY201205100220.jpg
文春新書62〜65頁 2007.5.20発行)
【和田評】案山子(かかし/かがし)は秋の季語で、「案山子はいいなあ、ふんどしをしていなくてもことがすむんだから。自分は、ふんどしをしていないと来客が来たときに困るんだよね。」という意味。 2016.06.08
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日本の正月は、越中褌一丁の裸形(地域によっては全裸)になって垢離(こり)を取る風習が全国に残っている。神道では夏越の祓(なごしのはらえ)と年越の祓(としこしのはらえ)の夏冬二回、斎戒沐浴(さいかいもくよく)して罪や穢れを落とす行事があり、これを総称して大祓(おおはらえ)という。
厄年(やくどし)には、更に入念に災厄を落とす厄落しと呼ばれる行事がある。筆者は還暦(60歳)の厄年に鐵砲洲稲荷神社で赤褌水浴を行った。
http://wadaphoto.jp/maturi/kanreki3.htm
鐵砲洲稲荷神社の拝殿に上り、中川宮司のお祓いを受けた後、真新しい白の越中褌を締めて神前の仮設水槽の冷水に浸かって参加者全員と初禊を行い、その後、赤い越中褌に締め直して二人の友人と共に寒禊を行い、厄落しをした。赤は、魔除けの意味があり、本卦還り(ほんけがえり)した還暦の老人に赤いちゃんちゃんこなどを送る風習は全国に残っており、今では、赤い物なら何でも良いということになっているらしく、孫から赤い越中褌をプレゼントしてもらった幸せな友人もいる。
戦前までは、軍人だけでなく、一般人も正月に新しい越中褌を締め、冷水を浴びて禊ぎ祓えを行っていたが、敗戦を境に、この家庭の風習が廃れてしまったことは、誠に残念である。
● 元旦やふどしたゝんで枕上 村上鬼城
(がんたんや ふどしたたんで まくらうえ)
【和田評】明治時代の俳人・村上鬼城(1865-1938)が詠んだこの俳句は、「現代俳句歳時記」(昭和38年石田波郷・志摩芳次郎編/番町書房)、「最新俳句歳時記」(昭和47年山本健吉編著/文藝春秋)、「新撰俳句歳時記」(昭和51年秋元不死男編/明治書院)の「新年」に掲載されている有名な褌を詠んだ俳句(以下「褌句」)である。
「ふどし」とは褌のことで、この場合は越中褌である。この句は三つの歳時記に掲載されているので、秀作と評価されていることが分かる。「百事一新の願いをこめて元旦を迎える気分を、さっぱりした清潔な褌をたたんで枕元においてある情景によってとらえたところが一つの趣向で、素材の面白さが歳時記編著者たちの目をとらえるからだろう。」と解説されており、鬼城は、元旦の朝、斎戒沐浴して新しい越中褌を締め、気分一新、清々しい気分で新年を迎えたに違いない。
● 四十二の古ふんどしや厄落し 正岡子規
(しじゅうにの ふるふんどしや やくおとし)
「 節分の夜「犢鼻褌(とくびこん)の類を捨つるは厄年の男女其厄を脱ぎ落すの意とかや。それを手に持ち袂に入れなどして往きたるは効無し、腰につけたるまゝにて往き、懐より手を入れて解き落とすものぞ」などいふも聞きぬ。(松山子規会叢書第12集「子規歳時 改訂版」)
和田訳:節分(旧暦大晦日)の夜「褌の類(男は褌、女は腰巻)を捨てるのは男女がその厄を脱ぎ落とすという意味があるらしい。それを(あらかじめ外して)手に持ったり袂に入れるなどして(神社に)往くのでは効果が無く、腰につけたままで往き、(その場で)懐から手を入れて(褌の類)を解き落とすものだぞ」などと話しているのも聞いた。」
【和田評】この褌句は、近代俳句中興の祖と讃えられる明治時代の俳人・正岡子規(1867−1902)が神社で着物を着たまま古い褌を解いて落とすことによって厄落しするという当時の風習を活写したもの。病に伏しつつ、最後の力を振り絞って詠んだ「墨汁一滴」の中の一句である。
直接下半身を包む褌などの下着は最も汚れる肌着であり、いつの間にか罪や穢れが乗り移るという考え方が生まれ、それを捨てることで厄を落とすという風習が生まれたのであろう。元旦に新しい褌を締めるのは、このような風習に基づくものと思われる。
厄落しは、節分(立春(ほぼ旧正月元旦)の前日(大晦日)にあたる2月3日頃)の夜の習俗で、江戸時代には、江戸っ子たちは、褌に銭を包み、道端にわざと落として厄落しをしたという。それでは拙いので、落とすのは神社でということになったのかも知れない。井原西鶴の浮世草子(うきよぞうし)「日本永代蔵(にっぽんえいたいぐら)」によれば、430両を褌に包んで厄落しをした大名もいたというから驚きである。 2016.06.07
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毎年正月第2日曜日に東京都中央区湊一丁目に鎮座する鐵砲洲稲荷神社で開催される鐵砲洲寒中水浴の取材を始めて数年後、筆者は、祭を主催する弥生会(氏子青年部)の総会の承認を受け、晴れて弥生会会友となった。
鐵砲洲稲荷神社の管轄は、東銀座一帯で、歌舞伎座が含まれており、歌舞伎座には鐵砲洲稲荷神社の分社が祀られている。その縁で、十八代目中村勘三郎が名誉会員として弥生会の名簿に記載されており、私はその直ぐそばに会友として掲載されたので、大変光栄に思った。
歌舞伎座の前で神輿練りを行えるのは、弥生会が取り仕切る五月連休の鐵砲洲大祭の宮神輿や町内神輿だけなので、私は、歌舞伎座前のビルからその勇姿を激写した。
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(旧歌舞伎座前の神輿差し)
人気の歌舞伎俳優・中村勘九郎が初代から400年後に十八代目の「江戸猿若勘三郎」を襲名したのは平成17年(2005)3月3日。襲名に合わせて写真付きの記念切手が発売されるなど、話題を呼んだ。勘三郎は、その年の襲名祝いに弥生会の半纏を着て、歌舞伎座の前で宮神輿の棒鼻(ぼうばな/先棒の先端)を担いだ。
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しかし、残念なことに平成24年(2012)12月5日、壮絶な闘病生活の甲斐なく満57歳という若さで他界され、名簿から名前がなくなってしまった。彼の痛恨の判断ミスは、忙しさにかまけて年に一度の健康診断を受けなかったこと。翌年検査したところ、進行癌が見つかった。医師から何もしなければまだ3年生きられるが、手術すればそれよりも寿命を延ばせるかもしれないが成功率は30%といわれた。彼は自分は30%の中に入るものと確信して手術を選択し、入院の前日もゴルフに興じていたというから、かなり気楽に考えていたようだ。万事塞翁が馬(ばんじさいおうがうま/幸福や不幸は予想のしようのないこと)で、諸行無常の浮世である。〈 合掌 〉
会友として、私が行っているのは、毎年、鐵砲洲寒中水浴を和田フォトで報道することと、参加者のために「寒中水浴の栞(しおり)」と称する参加要領を記したパンフレットを執筆していることである。このパンフレットは、一般参加者用と和田グループ用とがあり、一般参加者用は、弥生会が何百部も印刷し、当日、境内で見学者や参加者に鐵砲洲カレンダーと共に無料配付している。下に掲げたのは、和田グループ用のもの。
寒中水浴の栞 http://wadaphoto.jp/maturi/suiyokusiori61a.htm
寒中水浴の栞(印刷用) http://wadaphoto.jp/maturi/images18/suiyoku61siori.pdf
この中から、越中褌の締め方と畳み方を抜粋して、ここに紹介したい。
【越中褌の締め方】鐵砲洲寒中水浴では、社務所二階の控え室で、大勢の参加者の中で裸になって越中褌を締めるので、栞では、躊躇する初心者のために越中褌の締め方を解説した。和田グループ参加者には、毎回、更衣の前にモデルを使って実演しているので、初心者でも安心して参加して頂ける。
http://wadaphoto.jp/maturi/images15/sui476l.jpg
筆者がモデルの解説写真: http://wadaphoto.jp/maturi/images7/suiyokusiori3l.jpg
「 壁や襖(ふすま)に向かって衣服を脱いで全裸となり、越中褌を広げて、左右の横褌(よこみつ)(紐の部分)をそれぞれの手で持ち、立褌(たてみつ)(布の部分)を臀部(尻)に当て、横褌を脇腹から腹部に導き、臍下三寸(へそした・さんずん)(約10cm) (丹田)の位置で、ややきつめに蝶結びにします。この位置は、左右の腰骨の上端部を通りますので、横褌が骨に固定され、褌が緩みません。
これより高い位置に締めますと、横褌が固定されず、直ぐに緩褌(ゆるふん)の状態になります。ちなみに、横褌の位置は、盲腸の手術をする位置ですので、経験者は、横褌が右下腹部の手術痕の上を通っていることを確認して下さい。六尺褌の場合も同じです。
逆に、正しい位置より下に締めますと、露出気味でだらしなく見えますので、正規の位置にキチッと締めるようにしましょう。
次に、足を広げ、少し前傾(ぜんけい)しながら片手で後ろに垂れている立褌を股下から掴み、股をくぐらせて前方に導き、両手で横褌の内側から前に垂らして下さい。ここで、壁際を次の人に譲り、部屋の中心部に移動したあと、両手で前垂れを広げ、緩みのないように調整してできあがりです。褌を外すときは、蝶結びの片方の紐を引けば横褌が緩み、直ぐに外すことができます。
シャツを着たままズボンをずらして褌を締める人を見かけますが、素人っぽく見えます。壁際に立てば恥ずかしくありませんので、「褌は一気に裸になって粋に締める」のが江戸っ子ですので、和田グループもあやかりましょう。」
山下清画伯の生涯を描いた「裸の大将」は、映画やテレビで何度も上映された。
http://wadaphoto.jp/images2/hadakanotaisyo.jpg
一番新しいのは、芦屋雁之助が演じたものだが、なぜか短パン姿となっている。初代の清役は、映画で演じた小林桂樹で、当たり前だが、本人と同じ越中褌を締めていた。清は、洗濯するのが手間だといって、褌を外して素っ裸で線路の上を歩いたときもあった。(目撃証言)この映画の清はデカフン姿で、なるべく肌を見せないようにしようとする監督の意図が見え見えで、ちょっと大きすぎる。それでも短パンに替えてしまうよりは余程良い。清は、この絵のように臍の上に締めていたので、少し知能が足らないように見えたものである。それ以来、褌を臍の上に締めている人を見ると、山下清を想い出してしまうのは、画伯には何とも申し訳ないことで、お許し願いたい。(^-^)
【越中褌の畳み方】越中褌は、市販のものを購入してもまちまちの畳み方で、これといった説明がなされていないので、栞では、私が母から教わった国旗の畳み方とそっくりの方法を紹介している。この方法は、全国のあちこちで見受けられ、あまりにも当たり前のことなので、喜田川守貞(きたがわ・もりさだ)のような記録好きの人がいないかぎり、口伝として伝わるだけなので、マニュアルが存在しないものと思われる。
解説写真: http://wadaphoto.jp/maturi/images7/suiyokusiori4l.jpg
「 かつて、日本人男性の下着だった越中褌は、家庭の手作りでした。ミシンの直進縫いさえできれば、市販の晒木綿から自分の体格に合わせた褌を簡単に縫製(ほうせい)できます。筆者は、大正生まれの亡き母から教わった和田家謹製の褌を今も愛用しています。高温多湿の日本の気候風土から生まれた越中褌は、通気性が良く、清潔で健康的な下着です。現在、その良さが見直され、internetから好みの褌を手軽に購入でき、静かなブームとなっています。
参考のために、我が家の越中褌の畳み方をご紹介します。国旗の畳み方と同じで、解説写真にあるとおり、左から右の順に畳んでゆきます。これだと箪笥の引出しに立てたまま収めることができ、使用するときは端から取り出し、洗ったものは反対側に補充してゆけば順序よく使用できます。」
【越中褌の洗い方】この栞には記載していないが、越中褌や六尺褌などの細長いものを洗濯機で洗うときは、百円ショップなどで売っている洗濯ネット(網目状の洗濯袋)に入れておくと、他の衣類に絡まないので、干すときにスムーズにほどけて楽に作業ができる。まだ、実践していない方は、是非、お試しあれ。また、干すときも立褌の両端を持ち大きく振ってパンパンと伸ばすのは勿論、腰紐(横褌)も指で挟んで平らにしておくと、乾いたときにシワが目立たず紐も丸まらないので、アイロンがけも要らなくなる。 2016.06.06
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▼ 本日、歌手・吉村昭紘が歌う博多祇園山笠応援歌「男のまつり」のプロモーションビデオが完成し、YouTubeにアップされた。
https://youtu.be/ZUJ2clLskoY
このPVを作成したのは、松本英高氏で、筆者の協力により、Wa☆Daフォトギャラリーに発表した「博多祇園山笠」の作品の中から彼が自由に選んだ30カット以上の写真が使われている。この曲は博多山笠の男らしさを歌い上げた素晴らしい曲なので、ヒットすることを願っている。
作詞:秋武増太郎 作曲:吉村明紘 編曲:逸見良造
1 空に響く一番太鼓 廻る清道男のまつり
太閤町割七流 あの子も惚れる男ぶり
どんと行(ゆ)こうぜ (ヨイショ)
どんと行(ゆ)こうぜ 廻り止め
2 一番太鼓(だいこ)に心が躍る 担ぐいなせな男のまつり
走る山笠(やまかさ)きよい水 見てろ櫛田の大銀杏(おおいちょう)
どんと行(ゆ)こうぜ (ヨイショ)
どんと行(ゆ)こうぜ 廻り止め
3 お尻丸出し〆(しめ)こみに 年に一度の男のまつり
山笠担いだ男肌 博多の街をまっしぐら
どんと行(ゆ)こうぜ (ヨイショ)
どんと行(ゆ)こうぜ 廻り止め
博多一本〆(はかたいっぽんじめ) お手を拝借
よーお シャン・シャン もひとつ シャン・シャン
祝うて三度の(いおうさの) シャン・シャン・シャン
Promotion video of 'THE FESTIVAL OF MEN'
Today the promotion video of 'THE FESTIVAL OF MEN' which is the song of professional singer Akihiro Yoshimura was completed and uploaded on YouTube https://youtu.be/ZUJ2clLskoY cerebrating Hakata Gion Yamakasa Naked Festival being held on July 01-15 every year since Edo era at Fukuoka City Fukuoka Prefecture Japan.
Mr. Hidetaka Matsumoto made this video in which more than 30 photos on Wada Photo Gallery were used on this video being cooperated by me. I like this song very much, so I hope this will be a surefire hit.
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喜田川守貞(きたがわ・もりさだ)が著した守貞謾稿(もりさだまんこう)は、江戸時代の風俗や事物を説明した百科事典で、天保8年(1837)に起稿され、30年間に全35巻(「前集」30巻、「後集」5巻)が刊行された。1600点にも及ぶ付図と詳細な解説によって、近世風俗史の基本文献として名高い。
守貞謾稿を紐解くと、江戸時代に使われていた六尺褌、越中褌、畚(もっこ)褌の図解が載っている。
http://wadaphoto.jp/maturi/images18/morisadamankou.jpg
六尺褌は、長大約六尺(鯨尺で200cm余)と表示され、両端を縫ってほつれないようにしている。この長さだと、前袋式に締めることも可能だが、左側に描かれた六尺褌の背面図から分かるように、殆どの江戸っ子が前垂れ式で締めていた。締め方と止め方は現在の相撲まわしと同じだが、端を折り返して止めており、褌を外すときに先端を引っ張ればさらりと解けるように工夫されている。
その下には、六尺褌と越中褌の前垂れを三角に処理する図があり、「褌の余りを三角に折って挟む」と解説されている。前垂れが長すぎると、作業するのに邪魔になるため、このように処理することで前垂れが股に絡まず、すっきりとする。浮世絵(錦絵)の文献に登場する写真左側の頬被りをした男性の絵は、旅人たちと共に描かれていたので、駕篭舁(かごかき)か馬子と思われるが、赤褌の前垂れを三角に処理している。
歌川廣重が描いた浮世絵「名所江戸百景・虎の門外あふひ坂」
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は、虎の門外京極家の藩邸内にあった金比羅大権現に寒参りして帰途に着く二人づれを描いたもの。寒の入りから節分までの30日間の寒行は、他季の平易な修行より功徳に優るという神仏の教えからブームとなった。
江戸時代には、年季奉公の職人の弟子たちが技能向上を願って夜間、下着の六尺褌一丁で長提灯を持ち、鈴を鳴らしながら不動尊や金比羅大権現に参拝する光景がみられた。この二人の職人たちは、守貞謾稿に解説された三角折りの六尺褌をしている。このように処理することで、粋に見えたのだろう。
守貞謾稿に描かれた越中褌は、図が悪く、長さが足りない。実際は六尺褌の半分の三尺(100cm余)ほどで、三尺褌とも呼ばれている。現在のように紐を固定せず、布の一端を袋縫いにして、紐を通す方式である。これだと、使っているうちにどちらかに偏ったり、束ねられてしまったりして使い勝手が悪いように思われるが、この方式が一般的だったようだ。
昭和時代に入ってからも、知人の父が紐(横褌/よこみつ)を布(立褌/たてみつ)に固定した現代の越中褌ではなく、江戸時代と同じように紐を通した越中褌をしていたと聞いたことがある。 朝起きると、立褌が片方にずれていたり、丸まったりしていたが、父親は、気にしていなかったという。現在の越中褌は、その欠点を改善したもので、戦前の軍隊の越中褌も固定式だったため、江戸時代の紐を通す越中褌は、やがて廃れてしまった。
当時、ベストセラーとなった北斎漫画の十二編には、布の片方に紐を通した越中褌を着用した老人の絵が掲載されている。
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越中褌に紐が通された状態が正確に描かれており、北斎の観察眼に感心する。
今から400年ほど前の慶長時代(1596〜1615)に出現したといわれる越中褌は、守貞謾稿には、大坂の越中という芸妓が客に贈り物としたのが始まりと記されている。江戸時代には貴重だった布を倹約するために越中守(えっちゅうのかみ)細川忠興(ほそかわただおき)が考案したともいわれ、今となってはどちらが先か分からないものの、越中守が越中褌を推奨して広めたことは疑いの余地がない。
倹約令のときには、武士も仕方なく越中褌を締めていたそうだが、政権が代わって倹約令が廃止されると、武士の大半は元の前垂れ式六尺褌に戻った。しかし、越中褌は、安価で経済的であることから神職や僧侶の下着となり、また、着脱の簡便さや緩やかな締め心地から老人などが愛用するようになった。近代に入ると、高温多湿の日本の気候風土に合った健康下着として高い評価を受け、旧日本軍の下着に採用され、現代も筆者のような越中褌愛好者に引き継がれて、長い歴史を保っている。
守貞謾稿に描かれた畚(もっこ)褌は、土などを運ぶ畚に似ていることからその名があり、前垂れのない越中褌ということで、更に布を倹約できる。守貞謾稿には、越中褌の下に図面だけが書かれていて、説明文がないが、畚褌に間違いない。
江戸っ子が愛用したのは、六尺褌が圧倒的に多く、次いで越中褌、畚褌となる。越中褌は、激しい運動をすると緩んでくるので労働には不向きで、老人や僧侶、神職、按摩、曲芸師などに使われていた。畚褌は更に少ないようだが、激しい立ち回りを演じても緩まない利点から、歌舞伎役者などが好んで使用したという。
筆者の小学生時代には、黒猫褌が子供の水褌の代用として使われていたが、戦後、布が極端に不足していたときにビキニスタイルの褌を考案した会社が流行らせたものらしく、現代も販売されているが、江戸時代には存在しない褌である。
「守貞謾稿」だけでなく、江戸時代の百科事典と言われ、弟子の教育用デッサン集であった「北斎漫画」
http://wadaphoto.jp/maturi/images8/edofundosi05.jpg
http://wadaphoto.jp/maturi/images8/hokusai13l.jpg
や浮世絵 http://wadaphoto.jp/maturi/images8/hokusai04l.jpg
などに描かれている男性下着をつぶさにチェックしてみたが、ハンダコ(半股引)は見つけることはできなかった。北斎漫画には、着物の下に褌をしていない男性
http://wadaphoto.jp/maturi/images8/edofundosi04.jpg
も描かれていることから、当時の男性の下着は、六尺褌、越中褌、畚褌しかなく、貧しいために褌をしていない男性もいたようだ。暑くもなく、雨も降っていないのに尻端折りをしている浮世絵があるが、自分は粋な褌をしていると誇示したいからだといわれている。
ハンダコは、裸祭の記録写真などから大正時代に出現しており、江戸・明治期を通じて、男性下着は褌だけであったことは、「北舟の褌談義〈08〉褌侍七変化」に書いた通りである。
【つれづれの記 02】
「おいとき」が日刊誌としてほぼ毎日更新される唯一の老人クラブとして、多くの愛読者の期待に応えているのは、一重に献身的な越褌さんのお陰です。この種のフォーラムでは希有なことだと知り、毎日、感謝しつつ投稿させて頂いています。
「おいとき」は、FC2(エフシーツー)の無料ウエブ・サービスを利用しているそうですが、公序良俗に反しない内容を堅持しており、今後とも安心して楽しむことのできる品位あるサイトだと感じています。無料サービスのため、容量制限があり、画像を多数掲載できないという弱点を抱えていますが、私の場合は、和田フォトの容量50ギガのレンタルサーバーやYouTubeに私の著作物である高精細画像や動画がありますので、必要なときは、リンクを設定してこれらをご覧いただけるようにしていますので、この欠点を克服することができました。まさに、「おいとき」と「和田フォト」のコラボです!
文字情報だけでは理解しがたい内容でも、画像や動画、音声と連動するマルティメディアという最先端技術を使えば、わかりやすく、また、楽しく作品を鑑賞することができます。このノンケ爺が独学でその技術を身に付け、実践しておりますので、御期待下さい。(事実をありのままにお伝えしただけで、自慢していると受け取らないで下さい。)
このリンクの設定は、ひとつづつ手作業で行わなければならず、数が多いと手間のかかる作業となりますが、越褌さんは、私の希望するリンクを全て設定してくれます。皆さんはリンクの数だけ高精細画像や動画を鑑賞できるのです。本当に頭が下がる思いです。「縁の下の力持ち」の越褌さん、ご苦労様です!これからも末永くお元気で「おいとき」ファンのために頑張って下さい。ありがとうございました。〈 拝 〉 2016.06.04
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平成28年(2016)4月5日(火)19:00〜22:48 テレビ朝日系列(首都圏:5チャンネル)でバラエティ番組「芸能人格付けチェック〜一流芸能人に常識はあるの!? 前代未聞の4時間スペシャル〜」が全国放送され、浜田雅功(はまだまさとし)(ダウンタウンの浜ちゃん)(以下敬称略)の司会で、泉ピン子、和田アキ子、東国原英夫ら13名の芸能人が出演した。
今回は団体戦で、4時間で8つの常識チェック問題が出された。各問、それぞれ4〜5人の代表者が指名されてテストを受け、「常識あり」と判定された人数がクリアラインの人数に達しなかったときは、連帯責任として全員が一流芸能人から普通芸能人→二流芸能人→三流芸能人→そっくりさん→映す価値なしと下がって行き、待遇も下がって、惨めな姿を見せ、その落差に笑いを取る。「常識なし」と判定された人の弁解を聞くのも楽しい。
最初に正解ビデオを見せ、ひな壇の芸能人や視聴者が上から目線で挑戦者を評価し、間違いを揶揄し、突っ込みを入れて、笑いを取る。誰がどんな問題に挑戦するのかは、本当にぶっつけ本番で、セリフも殆どがアドリブ。
私は出題者の方で出演し、担当は第4チェック「六尺ふんどしの締め方」で先生役を務めた。文頭の写真
http://wadaphoto.jp/maturi/images18/kakufunl.jpg
は、正解ビデオ撮りで私が指導したモデルの六尺褌と「褌祭研究家 デジタル写真家 和田義男先生」と紹介されたテレビ画像である。
最初に、正解ビデオの事前収録に立ち会い、ふんどしを締めたことがないというモデルに祭用の六尺ふんどしを前袋式に締める手順を教え、直接指導した。使用するふんどしは、ふんどし専門店のたぬき堂に特注したもので、「格付けチェック」の「格」の一字をちりばめた幅22cm、長さ280cmの白色の木綿布である。
六尺ふんどしの締め方を説明するナレーションの原稿を監修し、数回、ポイントを手短に話した。本番収録では、スタジオのモニタールームに入り、ディレクターの隣の椅子で「常識あり」「常識なし」の判定をいっしょに行った。判定の音声は、ディレクターの合図で、絶妙の間合いとタイミングで流れる。さすがにプロだと思った。
なお、正解ビデオのモデルは、素肌に直接ふんどしを締めたが、挑戦者たちは、肉襦袢を着用したのでご安心を。(^-^)
今回は、下着ではなく、祭ふんどしだったので、越中ふんどしの普及をはかる日本ふんどし協会やふんどし専門店ではなく、104種、204作の裸祭作品を発表している実績を買われて、私が先生に選ばれた。前回、「帯の貝の口結び」が好評だったので、次は「ふんどしの締め方」ということになったようだ。
ふんどしをお笑いのアイテムとして使うバラエティ番組が多い中にあって、着物と同じようにふんどしを日本独自の伝統文化と捉え、祭ふんどしの格好良さをアピールしているので、好感の持てる番組に仕上がった。
放映後、私が撮影した写真が解禁されたので、「六尺ふんどしの締め方」というタイトルの作品
http://wadaphoto.jp/maturi/kakufun2.htm
を和田フォトに発表した。2頁の構成で、1頁目は制作の様子を紹介し、2頁目は放映されたテレビ画面を紹介した。
また、テレビ朝日出演記念DVDビデオ「芸能人格付けチェック 六尺褌の締め方(非売品)」
http://wadaphoto.jp/maturi/images18/kinendvd.jpg
を作成し、お世話になった方々に進呈した。
このパソコン用DVDビデオのコンテンツをここに掲載したので、お時間のあるときに、ごゆるりとお楽しみ願いたい。
【壱】格付けチェック!(導入部の放映 3:35)
http://wadaphoto.jp/maturi/images18/kinenvideo1-5.avi
【弐】六尺褌の締め方(第四チェックの放映 16:05)
http://wadaphoto.jp/maturi/images18/kinenvideo2-5.avi
【参】正解ビデオメイキング(スライドショー写真集 01:00)
http://wadaphoto.jp/maturi/images18/kinenvideo3-5.avi
【四】「ウッジョブ!」裸祭(六尺褌祭が登場する青春冒険映画/抜粋 24:47)
〜この映画の制作者から褌衆のエキストラ募集の依頼を受け、和田フォト上で裸祭愛読者に応募を呼びかけた。〜
http://wadaphoto.jp/maturi/images18/kinenvideo4-5.avi
【五】六尺褌祭(スライドショー写真集 08:14)
〜「見附天神裸祭/浜垢離」「猪鼻の甘酒こぼし」に全国連和田グループ代表として筆者が登場!(撮影参加)〜
http://wadaphoto.jp/maturi/images18/kinenvideo5-5.avi
【つれづれの記 01】
「北舟の褌談義」を始めて2週間。「おいとき」愛読者の方々から多くのお便りを頂き、大変嬉しく、また、ありがたく思います。「おいとき」は、私のように高齢の褌愛好者が多いと思い、「北舟の褌談義」を連載させて頂くことにしたのですが、予想通りで、ご好評をたまわり、この場をお借りして、厚く御礼申し上げます。ジャパンクールの一つといえる褌ですが、その歴史文化と効用の素晴らしさを縷々説明しましたので、関心が薄かった方々も褌党になって頂けると嬉しいです。(^-^)
お寄せ頂いたお便りは、ご了解のうえ、和田フォト・お便りコーナー
http://wadaphoto.jp/otayori.htm
に紹介させて頂いておりますが、これは、internetを通じて多くの方々と素晴らしい出会いや交流が生まれたことをお伝えしたいためです。最近のお便りは、殆どが「おいとき」ファンからのもので、また、和田フォトへのアクセス件数も一日あたり1000〜2000件増加しており、「おいとき」パワーを実感しています。
また、「おいとき」投稿者からも好意的なお便りを頂いております。そういう例は少ないということですので、早々に投稿者仲間に受け入れて頂いたことが分かり、何より嬉しく思っています。
「おいとき」の投稿者や愛読者は、多種多様な経験者をはじめ、高度の趣味をお持ちの方、教養あふれる方、海外居住経験者、現在海外にお住みの方等々、魅力あふれる方々が沢山おられますので、早速、メールを通じて相互交流を始めることができました。私にとってとても貴重で新鮮な内容の踏み込んだお話をお聞きすることができ、視野が一段と広がる思いで、喜びも多く、「おいとき」に投稿して正解だったと喜んでいます。(^-^)
和田フォトでは、2001年から「播州秋祭ふんどし談義」
http://wadaphoto.jp/maturi/japan11.htm
を始め、2003年からより広範な話題を取り込んだ「ふんどし談義」を連載しています。「褌の話題」
http://wadaphoto.jp/maturi/japan15.htm
だけでなく、「褌のお便り」 http://wadaphoto.jp/maturi/japan17.htm
、「褌の俳句」 http://wadaphoto.jp/maturi/japan18.htm
なども掲載していますので、お時間のあるときにごゆるりとお楽しみ下さい。
「北舟の褌談義」は、これらの話題を下敷きに、私の生い立ちから褌や裸祭との出会いを新たに書き起こしたもので、一貫性があり、最新の情報を網羅した体験談として楽しんで頂ければとの思いで執筆しております。
執筆に関しましては、「日本の心と伝統文化を愛し、ロマンと感動を求める行動型国際人」を信条とし、顔写真を含め私の褌写真を公開すること、「である調」により格調と品位を持たせること、事実を客観的に伝えることなどを基本とした和田流を貫いています。これは、2000年以来続けてきました和田フォトの編集方針と完全に一致するものです。
殆どの方々から好感を持って私の随筆を楽しんで頂いており、ファンレターも多く寄せられています。大変有り難く思っております。その一方で、ごく少数ですが、ご批判も頂いております。「である調」のせいでしょうか、「威張っている」との感想が寄せられていますが、決してそのようなことはございません。また、「和田・フォトは、日本一のフォトギャラリーである。」という記載に、「自慢している」と受け取られた読者もおられたようです。これは「国際人」のセンスで、事実をお伝えして、私の本当の姿を知って頂きたいからです。
日本では、謙譲の美徳が重視され、例えば「粗末なもので恐縮ですが、お口汚しにお持ちしました」といいますが、欧米では、「そんなにつまらない物を持ってくるなんて」と思われます。「とても美味しかったので、喜んでもらえると思って・・・」と相手のために探し回って持ってきた心配りを素直に正しく伝えるのが、国際人のセンスです。しかし、これを自慢していると受け取る昔気質の日本人もおられます。
どんなに注意深く執筆しても価値観や文化の違う方から真意を素直に受け取ってもらえないことがあるのは、残念なことですが、やむを得ません。私の文章力の足らざるせいだと自戒しておりますが、お気に障ったときは、どうかご勘弁ください。
また、「おいとき」読者特有のコメントとして、私がノンケ爺と知ってか知らずか、「先生のオチンチンを見せて欲しい」などと、ショッキングなメールも頂いています。ファンレターであり、大変光栄ですが、過激な発言は差し控えて下さい。
今後、執筆が一段落すれば、ペースダウンすることになりますが、私のライフワークの一環として、折にふれて末永く投稿してまいりたいと考えていますので、これからもどうかよろしくお願い申し上げます。ありがとうございました。〈 拝 〉 2016.06.02
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2016年の今年、全国連和田グループ(以下「和田グループ」)の法被(和田法被)を新たに作成した。今後、和田グループを編成して裸祭に参加する際は、希望者ととともにこの法被を着用することにしている。参加する裸祭によって褌が違うので、どんな感じになるか、試着してみた。
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【壱】
和田法被・締込褌(津屋崎祇園山笠/福岡県福津市)
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【弐】
和田法被・越中褌(鐵砲洲寒中水浴/東京都中央区)
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【参】
和田法被・六尺褌
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和田法被・六尺褌
1/3(前)
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和田法被・六尺褌 2/3(横)
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和田法被・六尺褌
3/3(後)
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平成27年(2015)11月24日(火)、東京の下町、隅田川西岸に建つ浅草寺(せんそうじ)雷門(かみなりもん)
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のそばにある浅草変身写真館スタジオ七色に行き、江戸時代の着物・褌姿の侍に変身した。
雷門は浅草寺の山門で、東京都台東区浅草に位置する。正式の名称は、風神雷神門。 提灯には風雷神門と略字で書かれている。門に向かって右側に風神、左側に雷神が配された朱塗りの山門である。門の中央には、重さ約700Kgの提灯が吊りさげられており、浅草のランドマークとなっている。
毎年5月に3基の宮神輿と100基の町内神輿が繰り出す盛大な三社祭は、浅草寺と浅草神社(あさくさじんじゃ)の境内で開始され、江戸時代から続く六尺褌一丁の入れ墨をした男たちによる裸神輿が見られる。
http://wadaphoto.jp/maturi/images18/wadasamurai059l.jpg
ある民俗学者によると、江戸時代の裸褌入れ墨(彫り物)姿が今に伝わる祭は、三社祭だけだという。
浅草寺雷門のすぐ近くに位置する浅草変身写真館「スタジオ七色」は、テレビの報道で知り、日本の侍文化を世界に紹介するため、足を運んだのだか、最近は、外国の観光客だけでなく、日本人客も増えているそうで、江戸時代を再現した時代劇に登場する侍や姫、舞子などの衣装を身につけて、記念写真を撮る喜びを提供してくれる。 Tel 03-3843-7716 Url:
http://nana-iro.tokyo/
Email: info@nana-iro.tokyo
予約した日に受付に行き、私の希望するシーンを説明して撮影の段取りを教わったあと、衣装室で着付けを行い、シミなどが目立たないように簡単なメイクをしたあと、7階のスタジオに行き、最初に羽織袴を着た写真を撮影した。カツラがあれば丁髷(ちょんまげ)姿を撮影したかったが、用意されていなかったため、実現できなかった。私が選択したのは、七色侍コースで、衣装・照明・撮影を担当する3人のスタッフが3時間かけて裸褌姿を含む24カット約400枚を撮影してくれた。撮影枚数が少ないコースも用意され、手軽に、かつ、経済的に変身体験を味わうこともできる。
太刀と脇差の二刀を腰に差すと気合いが入る。
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二刀とも腰骨の上部に固定されており、六尺褌の横褌(よこみつ)の上を通っているので、ずれ下がる恐れがない。帯刀する場合は、六尺褌が必須で、越中褌は不適当だということが分かった。
秋深し羽織袴の江戸侍 北舟
Deep autumn, transformed into Edo samurai wearing haori hakama.
次は槍を持って撮影。「酒は呑め呑め 呑むならば 日本一(ひのもといち)のこの槍を 呑み取るほどに呑むならば これぞ真(まこと)の黒田武士」 福島正則が「これを飲み干せばどんな褒美も取らす」というと、黒田長政の名代・母里太兵衛(もり・たへえ)が名乗り出て、見事に大盃を飲み干し、天下の名槍日本号を手に入れた。
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日本の剣術の二刀流は、利き手に本差を、反対側の手に脇差を持った形が最も多い。重い刀を両手に持って別々に使用することは難しく、二刀を中心とする流派は少ない。二刀流の中では、宮本武蔵が開いた二天一流が最も有名。
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いよいよ、ここから褌侍に変身!
着物を着たら下着は褌でなければならない。パンツのようなハンダコが大正時代に登場するまでは、江戸時代から明治時代に至るまで、日本人男性の下着はすべて褌で、浮世絵に描かれている武士や町人の褌姿は、ほとんどがこの前垂式六尺褌だった。白褌(びゃっこん)が上品で格好良く、侍の多くが愛用した。
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六尺褌は、長さが6尺(鯨尺で2メートル余)あることからその名が付いた。前に垂らすのが普通だが、暑い夏期に褌一丁で仕事をする場合、邪魔にならないように三角に畳むことも多い。浮世絵でもしばしば前垂れを三角に畳んだ六尺褌が描かれている。
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雨の日は、着物が泥で汚れないよう尻端折り(しりっぱしょり)をして歩くので、褌が見える。これもなかなかの色気だ。必要がない場合でも褌を見せるためにあえて尻からげして歩くこともあった。
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山田洋次監督の映画「男はつらいよ」で、渥美清演じるフーテンの寅さんが「見上げたもんだよ屋根屋のふんどし」と言うシーンがあった。これは語呂合わせの褒め言葉で、下から上を見上げると屋根職人の六尺褌がよく見えるため、彼らは常に清潔な褌を粋に締めていた。「見上げたもんだ」は「上を見る」のと「大したもんだ」の掛詞(かけことば)となっている。ことほど左様に、褌の見え方を気にするのが江戸っ子の粋というものだった。(ちなみに、寅さんの下着は私と同じ越中褌で、寅さんが実家の「とらや」に帰って来たときは、妹のさくらが洗って干してくれた白い越中褌が風に揺れていた。)
スタジオでは、事実に近づけるため、前垂れ式に締めた六尺褌は古いものを使用。故中村勘三郎の舞台を参考にポーズを取った。下駄がなかったので、草履のままとなったのが残念。
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秋雨や見栄切る浪人褌の白 北舟
Autumn rain, white is the fundoshi of jobless samurai assuming a frozen pose.
このロケの後、平成27年(2015)12月4日(金)、その年の第18作となる「褌侍七変化」
http://wadaphoto.jp/maturi/wadasamurai01.htm
が完成した。
私は、幼い頃、チャンバラごっこに興じた団塊の世代で、誰しもが侍に憧れていた。サッカーのサムライ・ジャパンの例を出すまでもなく、侍は、現代でも世界中で人気があり、日本人に生まれて本当に良かったと、改めて思う。
前述の如く、侍に扮するときは、六尺褌を締めると、腰に当たる刀の感触がよく分かる。袴の腰紐と横褌(よこみつ)の間を通った両刀は、腰骨の上端にしっかりと固定され、ずれ下がることがない。刀の重みを感じながら侍を体験した喜びは大きい。
江戸時代の侍や町人は、褌をしているのが当たり前なのに、テレビの時代劇では、ハンダコ姿が登場する。ハンダコは、半股引のことで、夏場の白いパンツ状の下着である。私の大好きな「暴れん坊将軍」で「新さん」こと徳田新之助がハンダコ姿で夏の神輿祭に現れたときには、がっかりさせられた。しかし、黒澤明監督の映画「七人の侍」はじめ、テレビでもNHKの「タイムスクープハンター」などでは、時代考証がしっかりとなされていて、全員褌が徹底している名作もある。
ハンダコ姿が気にならない現代っ子ディレクターたちが「フィクションです」という逃げ道を用意して、未だにハンダコ姿を登場させる時代劇テレビは、私に苦痛を与える娯楽番組となっている。この現実を遺憾に思った私は、自ら六尺褌を締めて撮影し、「褌侍七変化」とタイトルをつけて、日英バイリンガルでinternetに発信した。あえて褌侍としたのはそのためで、この現実に一石を投じるためである。後日、スライドショーCD写真集として永久保存化を図ると共に、動画にしてYouTube にアップし、日本の侍の本当の姿をアピールした。
https://www.youtube.com/watch?v=4k_7yX8U7MI
文頭の写真は、「褌侍参上!」 http://wadaphoto.jp/maturi/images18/wadasamurai066l.jpg
と名付けたカバー写真。映画俳優になったような気分を味わうことができる楽しいロケだった。
「おいとき」の皆さんも浅草に出かけられたときは、侍に変身してみては如何だろうか。新たな感動を体感できるので、是非お勧めしたい。なお、褌は持参しないと備えられていないのでご注意を。褌侍万歳!
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