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「和田義男写真展」と題する記念の小型アルバムは、縦 x 横 152mm x 152mm のリング製本アルバムで、展示順に収録した21点の写真全てに和田北舟の俳句を添えた写真俳句集となっている。ソファーで休みながらご覧頂けるように作成した。 |
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初めての写真俳句集となった記念アルバム |
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写真俳句は、2001年6月から筆者が日本で最初に始めた新しい表現形式で、近年、internet で写真俳句が目につくようになったのは喜ばしい。写真俳句に英訳を付しているのは私以外には見当たらないので、この点は未だに私の専売特許であり、現在900句余をアップしているのが自慢である。 俳句「海の風景」 |
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写真俳句集の表紙 |
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00 マウント・ナウルホエ / E-510 14-54mm
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平成19年(2007)10月13日(土)から20日(土)まで、クラブツーリズム主催の「こだわりのニュージーランド全周デラックス8日間」のツアーに参加し、早春のニュージーランドを旅した。 ニュージー早春の旅 |
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ニュージーランドの北島にあるトンガリロ国立公園は、1894年に指定されたニュージーランド初の国立公園。ユネスコの世界遺産(複合遺産)に登録されている観光名所で、最高峰マウント・ルアペフ(2,797m)や富士山に似た稜線を持つマウント・ナウルホエ(2,291m)などの活火山や死火山があり、795km2の広さがある。 |
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写真は、南島のクライストチャーチから北島のロトルアに向かう飛行機の中から撮影したもの。電子機器であるデジカメは計器に影響を及ぼす恐れがあるため、離着陸時には使用できないが、上空飛行中は使っても差し支えない。筆者は、機内でも常にデジカメを手元に置いてシャッター・チャンスを狙っている。乗り物で移動中、寝ている人が多いが、寝ていては宝を手に入れることはできない。 |
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01 逆さマッターホルン / E-330 14-54mm
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平成18年(2006)7月7日(金)から7月16日(日)までの10日間、家内と二人で阪神航空(阪神電鉄航空営業部)のベストセラーツアー「ワンダフルスイス10日間」に参加し、スイスを旅した。ツアー参加者は28名。実質7日間のツアーは好天に恵まれ、1年で最も美しい夏のスイスの旅を満喫した。 スイス夏の旅〈前編〉 |
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18世紀の昔から、マッターホルン(4,478m)に憧れた人々は、ロマンと感動を求めてツェルマットにやってきた。スイスでは最高の名誉職といわれる山岳ガイドは、今も80人もいるという。 |
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GGB ゴルナーグラート駅から下りの電車に乗り、ローテンボーデン Rotenboden で下車して、リッフェルベルク
Riffelberg までの一区間を約1時間半かけて歩くトレッキングを楽しんだ。 |
緩やかな下り道を進むと、間もなくリッフェルゼー湖 Riffelse に至る。この小さな湖水は、逆さマッターホルンで知られる。湖面に逆三角形の影を落とすマッターホルンの姿は素晴らしく、筆舌に尽くしがたい。 |
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02 モンブランの偉容 / E-330 14-54mm
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ヨーロッパ・アルプスの最高峰、標高4,807mのモンブラン Mont Blanc はフランスとイタリアの国境にあり、フランス側が「白い山」と名付けたように白雪の美しい山容を呈しているのに対し、イタリア側は荒々しい岩稜と氷壁を形成している。 スイス夏の旅〈後編〉 |
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「魔の山」と恐れられていたモンブランの初登頂は1786年(天明6年)8月8日。スイス人地質学者ソシュールの賞金提供がきっかけで、地元シャモニの医師ミシェル・ガブリエル・パカールと水晶採掘人ジャック・バルマの二人がフランス側から登頂に成功し、これがアルプスでのスポーツ登山の開幕となった。 |
ちなみに、モンブラン初登頂から遅れること約80年、イギリス人登山家エドワード・ウィンパー率いる7名のグループがマッターホルン(4,478m)の初登頂に成功したのが1865年(慶応元年)7月14日。8度目の挑戦だった。これによりツェルマットの名は一躍ヨーロッパ中に注目され、その後、山岳リゾート地として発展した。 |
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03 ユングフラウの勇姿 / E-330 14-54mm
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鉄道の駅としてはヨーロッパ最高地点 Top of Europe の標高3,454mにあるユングフラウヨッホ駅に到着し、登山電車から外に出ると、ひやりとした空気が身を包む。ユングフラウヨッホ Jungfraujoch (3,573m)は、ドイツ語で「処女の肩」を意味するが、ここでは鞍部(あん ぶ)のコル col のことで、ユングフラウとメンヒの間のコルにある小さな岩山である。その上に天文台を備えた展望台「スフィンクス・テラス」がある。 スイス夏の旅〈後編〉 |
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ユングフラウヨッホ最高所の「スフィンクス・テラス」の南西にユングフラウ(4,158m)の美しい姿が見えた。これでマッターホルンとモンブランと共にアルプス三大名峰に数えられる名山を全て見ることができた。一度のツアーでアルプス三大名峰を全て見ることが出来る確率はとても低く、感激一入(ひとしお)であった! |
スイスのベルナー・アルプス Berner Alpen の高峰ユングフラウは、標高4,158m。北東に連なるメンヒ Münch(4,099m)、アイガー Eiger (3970m)とともにベルナーオーバーラント(ベルナー州高地)の三名山である。雪原におおわれた山体の南東から、アルプス最大のアレッチ氷河が流下する。 |
「処女峰(乙女)」を意味するユングフラウは、登頂の困難な山であったことに由来するが、1811年(文化8年)にマイヤー兄弟が初登頂に成功した。 |
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04 中世の宝石箱ローテンブルク / E-3 12-60mm
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平成20年(2008)6月12日(木)から19日(木)までクラブツーリズムが主催する「ドイツハイライト8日間」に参加し実質6日間、初夏の南ドイツの旅を満喫した。 南ドイツの旅・下 |
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ロマンチック街道のハイライトとしてドイツ観光の目玉商品となっているローテンブルクは、正式には「ローテンブルク・オプ・デア・タウバー Rothenburg ob der Tauber 」(タウバー川の上方にあるローテンブルク)という。 |
中世の宝石箱と呼ばれるローテンブルクの起源は9世紀まで遡り、最初の城壁は12世紀に完成。17世紀の三十年戦争の頃まで自由都市として栄えた。現在も中世の面影をほぼ完璧に残している町として、世界文化遺産に登録されている。 |
市庁舎(ラットハウス Rathaus )が建つ石畳の広場がローテンブルクの中心地・マルクト広場である。今も使われている堂々とした市庁舎は、様式の異なる二つの建物から成っている。古いゴシック様式の方は1250年〜1400年頃に創建され、マルクト広場に面して建つルネッサンス様式の方は1572〜1578年に建てられたという。 |
高さ60mの鐘塔の展望台からは、市街と周囲の素晴らしい眺めが一望できるので、家内と二人で上ってみた。この塔へ昇るには、マルクト広場に面した市庁舎の正面玄関から入る必要がある。閉館ギリギリに滑り込み、素晴らしい光景を切り取ることが出来たが、我々の次に来た外国人は展望台に上がれなかった。時間が来れば、たとえ遠来の客でも閉め出してしまう。規律に厳格なドイツ人らしいやり方である。 |
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05 ナイアガラ瀑布 / E-1 40-150mm
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平成17年(2005)9月30日から10月7日まで、家内と共にクラブツーリズムのツアーに参加し、カナダを旅した。 |
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ナイアガラ瀑布 Niagara Falls は、アフリカ大陸のジンバブエとザンビアにまたがるビクトリアの滝と、南米大陸のブラジルとアルゼンチンにまたがるイグアスの滝と共に世界三大瀑布の一つで、共にアメリカ五大湖に数えられる南のエリー湖から北のオンタリオ湖に北流するナイアガラ川の、エリー湖から約35km下流(北方)に位置する。 |
川中のゴート・アイランド(山羊島)で二分されたこの瀑布は、南側が馬蹄型をしたカナダ滝、北側がアメリカ滝である。アメリカ滝の南にはブライダル・ベールと呼ばれる小さな滝があるので、ナイアガラ瀑布には三つの滝がある。流れ落ちた水は、レインボー・ブリッジをくぐって約20km先のオンタリオ湖に注ぐ。 |
地上160m、滝壺の水面から233mのスカイロン・タワーは、カナダのナイアガラ・フォールズ市にある。アメリカ滝のほぼ正面に位置しているため、アメリカ滝とカナダ滝を俯瞰(ふかん)できる人気スポットとなっている。ガラス張りのカプセル型外部エレベーターで回転レストランや展望デッキにあがると、360度の壮大なパノラマを楽しむことができる。写真下は展望デッキから撮影したもの。 秋のナイアガラ瀑布 |
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06 アサバスカ氷河 / E-300 40-150mm
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標高2,030mのサンワプタ峠を越えるとジャスパー国立公園に入り、更に北上すると左手にアサバスカ氷河が見えてくる。その奥に北極を除けば北半球最大を誇る広さ325km2(小豆島の約2倍)のコロンビア大氷原がある。この大氷原は1898年スタットフィールド探検隊のノーマン・コーリーとハーマン・ウィリーによって発見された。 |
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1982年にアラスカのマッキンリー Mt. Mckinley 6,149m で消息を絶った(氷河のクレバスに落ちたのではないかといわれている)冒険家・植村直己が世界で初めてコロンビア大氷原の単独人力横断に成功した。 |
アサバスカ氷河 Athabasca Glacier は、コロンビア大氷原から流れ出る6つの氷河の一つで、大氷原から押し出されるように流出しているので、押し出し谷間型氷河といわれ、ロッキーで唯一、スノーコーチ( snowcoach 雪上車)による氷上探検が行われている。 秋のカナディアンロッキー |
アサバスカ氷河は、長さ6km、幅1km、氷の一番厚いところで300mほど。コロンビア大氷原のわずか2%の面積でしかない。160年ほど前までは現在のパークウェイのあたりまで氷河が到達していたといわれており、近年の地球温暖化の影響を受け、現在も毎年1〜3mの速度で後退し、容積も減少しているという。 |
氷河の水は若返りの水といわれ、氷河に降り立って一口飲むと10歳、二口飲むと20歳若返るという。三口以上は勧められないのは、消毒されていないため、余り飲むと下痢を起こす恐れがあるからだろう。 |
氷河の綺麗な氷を切り出し、溶かしてできたミネラ・ルウォーターは、500ccのペットボトルに詰められ、スノーコーチの写真が入った Brewster Glacier Water というラベルで1本2カナダドル(C$)で売られていた。シャーレー(山小屋)でしか販売されていない限定品と聞き、数本購入して喉を潤し、我が家まで持ち帰った。 |
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07 レイク・ルイーズ / E-1 40-150mm
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バンフ国立公園にある標高1,730mのレイク・ルイーズ Lake Louise に到着すると、午前中雲で覆われていた湖は、午後にはときおり雲間から太陽が顔を見せるようになり、素晴らしい湖畔を散策することができた。 |
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「カナディアン・ロッキーの宝石」と讃えられるこの湖は、300ほどあるといわれる湖の中で最も多くの人が訪れる湖で、ビクトリア女王の娘であるルイーズ・キャロライン・アルバータ王女にちなんで名づけられたという。 |
中央の雲に隠れている場所に標高3,459mのマウント・ビクトリアがあり、そこから流れ出るビクトリア氷河がレイク・ルイーズに向かっている。湖の幅は500m、長さ約2.4km、深さ90m。ビクトリア氷河から流れ込む氷河水に含まれるロック・フラワー(岩粉/がんぷん)のお陰で、エメラルド色の美しい湖となった。 秋のカナディアンロッキー |
この写真が素晴らしいのは、湖水の色だけではなく、氷河と降雪と紅葉とが湖と同居しているという日本ではあり得ない光景だからである。手前の頬を赤らめた白人少年も興を添えてくれている。A3の展示写真は、湖面に映った氷河の部分が白すぎてバランスを崩しており、ディスプレーで見る下の写真の方が再現性が高い。 |
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08 ナーロイフィヨルドの大懸崖 / E-330 14-54mm
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平成19年(2007)6月8日(金)から15日(金)まで、クラブツーリズム主催の「美しき北欧4カ国スペシャル8日間」の旅に参加し、デンマーク、ノルウェー、スウェーデン、フィンランドの北欧4ヵ国を巡った。6月11日(月)朝、オスロ中央駅からフィヨルド探訪の旅に出掛けた。 |
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フロム港を出港したグドヴァンゲン行きのフェリーは、ソグネフィヨルドの分岐点に達し、左に大きく変針して、世界自然遺産のナーロイフィヨルド Naroyfjord に入る。狭いフィヨルドを意味する全長17kmのナーロイフィヨルドは、ソグネフィヨルドの支流で、幅が250mしかなく、その名の通り世界で最も狭いフィヨルドである。 |
ナーロイフィヨルド最大の滝が1962年に日本画の巨匠・東山魁夷(ひがしやま・かいい)が描いたサーグ滝である。サーグとはノコギリという意味で、日本ではノコギリ滝と呼ばれているらしい。大量の融雪水が1000mを超える山頂から鋸(のこぎり)の歯のようにジグザグになって一気に下ってくる迫力は神々しく、筆舌に尽くしがたい。その付近の最大水深は230mもある。 夏のフィヨルド探訪 |
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09 マウント・クックのアルペン・グロー / E-410 40-150mm
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平成19年(2007)10月13日(土)から20日(土)まで、クラブツーリズム主催の「こだわりのニュージーランド全周デラックス8日間」のツアーに参加し、早春のニュージーランドを旅した。 |
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ニュージーランド最高峰のマウント・クック(マオリ語はアオラキ Aoraki )(3,754m)はアオラキ・マウント・クック国立公園 Aoraki Mount Cook National Park にある。公園内に位置するマウント・クック村は、夏350人、冬150人の小さな村で、ホテル従業員やガイドなどが暮らしている。 ニュージー早春の旅 |
この地域は1953年10月に国立公園として正式に制定され、1996年には近隣の国立公園らと共にテ・ワヒポウナムの名称でユネスコの世界遺自然遺産に登録されている。 |
平成19年(2007)10月14日(日)午後6時過ぎ、ツアーバスは、マウント・クック村にある老舗の山岳リゾート・ホテル「ハーミテージ・ホテル」に到着した。ホテルはマウント・クックがよく見えるように北向きに建っており、全員がマウント・クック・ビューの部屋に宿泊した。 |
私の部屋は幸運にも西端の611号室で、マウント・クックが最も良く見通せる部屋だった。写真は、私の部屋から撮影したマウント・クックのアーベント・ロート(夕焼け)とアルペン・グロー(山頂光)である。粘り勝ちといった形で、雲に覆われていた山頂が顔を見せてくれた僅かなチャンスをものにした幸運の一枚である。 |
ホテルの前庭に地元出身のサー・エドモンド・ヒラリーの銅像が立つ。1919年7月20日養蜂業の家庭に生まれたヒラリーは、家業を継ぎ、野山を歩き回って身体を鍛えていたため、当時の重い酸素ボンベに屈せず、長身を生かして頂上間際の壁面をよじ登り、1953年5月29日午前11時半、ネパール人シェルパのテンジン・ノルゲイとともに、世界最高峰のエベレスト(8,844m)の世界初登頂に成功した。「エベレスト初登頂は蜂蜜のお陰だ」というのが彼の口癖だったという。2008年1月11日、88歳の米寿で他界した。 |
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10 桂林・漓江下り / E-330 11-22mm
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平成18年(2006)11月16日(木)から3泊4日の日程で家内と共にクラブツーリズムのツアーに参加し、山水画で有名な中国の桂林(けいりん) Guilin
に旅した。 霧の桂林紀行 |
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11月17日(金)は終日桂林ツアーの目玉である漓江下りを楽しんだ。桂林のこの時期は乾期で、2ヵ月ほど雨が降らなかったのに、前日から恵みの雨が降ったり止んだりという空模様。お陰で水墨画の世界に飛び込んだような幽玄・風雅な漓江を満喫することができた。 |
漓江は、ゆるやかなときを刻みながら悠久の流れを絶やすことがない。桂林の地に豊かな恵みをもたらし、少数民族の日々の暮らしを支え、独自の文化を育んできた。山水を包み込む煙霧や朦朧とした霧雨は、清らかな水となってこの地に潤いをもたらし、世俗を超越した旅情や感性をかき立ててくれる。 |
ただ、世界中から観光客が漓江下りにやってくるので、観光フェリーは珠数つなぎの状態で、竹排(ツーパイ)と呼ばれる竹筏に乗った土産売りたちがフェリーに群がり、とても幽玄・風雅な状況ではない。写真は、丁度フェリーの行列が途絶え、ツーバイの土産売りがいなくなって、僅かな静寂が訪れたときに撮影したラッキー・ショットで、常にこのような幽玄な世界が味わえるものと期待すると裏切られることになる。 |
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