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平成14年(2002)4月6日(土)、奈良県吉野町の修験道(しゅげんどう)の地・吉野山(よしのやま)に行った。歩いて往復するにはとても全てを廻れないし、バスはいつ乗れるか分からないほど混雑していたので、吉野町の15台しかないタクシーに乗れたのは奇跡に近く、車道が尽きる地点まで片道4000円の料金は、時間とエネルギーを考えると、十分な値打ちがあったと思う。 そこから後は4時間余り山を登ったり下ったりして歩き回り、ベスト・ショットを得たのがこの写真である。 奈良吉野山の桜 |
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吉野山の桜は、今からおよそ1300年前、修験者的な呪術者として知られる役小角(えんのおづぬ)が桜の木に蔵王権現の像を刻んだことから、参詣者により御神木の山桜の献木が行なわれ、日本一の桜の名所となった。 |
現在吉野山には3万本の白山桜(しろやまざくら)が植えられている。この品種は、花と葉の赤芽(あかめ)が同時に出てくるのが特徴で、そのことを知らないと、満開でも散ってしまったと錯覚してしまうことになる。 |
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12 国宝松本城の夜桜 / E-330 40-150mm
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平成19年(2007)4月11日(水)中部地方が移動性高気圧に広く覆われたので家内と二人で特急あずさ3号で長野県松本市に行き、花曇りのような霞のかかった晴天の下で、国宝・松本城の花見と戦国時代の様式を色濃く残す天守閣の探訪を楽しんだ。 国宝・松本城の桜 |
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国指定の史跡で国宝の松本城は、別名を烏城(からすじょう)と呼ばれ、地元市民の憩いの場として親しまれているが、400年ほど前に建造された日本最古の五層城郭である。もともと室町時代以降この地を治めていた小笠原氏の深志(ふかし)城があった場所で、戦国時代末期の文禄2年(1593)から3年(1594)にかけて豊臣方の石川数正(いしかわ・かずまさ)・康長(やすなが)父子が城郭整備を行い、現在のような姿になったという。城郭が黒いのは、秀吉に忠誠を示すためといわれる。 |
明治維新の後、政府の政策により各地の城郭が取り壊されるなか、荒れ果て、崩壊寸前だった天守閣を地元有志が保護したことから当時の姿がそのまま残されたという。国宝の城郭は、松本城のほか、姫路城、彦根城、犬山城の4城しかなく、戦国時代の姿を今に残す貴重な文化遺産である。 |
早めに行ってこの場所に三脚を立て、日が徐々に暮れてくるのにあわせて、大量にシャッターを切ったが、その中のパーフェクト・ショットがこの写真である。境内は多くの観客が行き交い、たまたま人影が無くなった僅かな瞬間を上手く捉えた。お茶会の和服姿の女性たちも完璧な配置で美しい。私の周りには大勢のアマチュア・カメラマンが私が移動するのを待っていた。この場所が唯一天守閣が枝垂れ桜に隠れない最良の位置だからである。 |
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昭和22年(1947)丁亥(ひのとい)の年に生まれた筆者は、平成19年(2007)3月6日に満60歳の還暦を迎えた。心身を一新して二巡目の人生を健康で明るく過ごしたいと思い、平成20年(2008)正月13日(日)に東京都中央区湊一丁目に鎮座する鐵砲洲稲荷神社で還暦記念の寒中水浴をして、厄払いをした。 鐵砲洲寒中水浴'08 |
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赤い褌(ふんどし)を「あかふん」と呼ぶが、丹後地方などでは42歳の厄年に着物の下に赤褌を締めて神社参りをする風習があり、「赤褌(あかふん)行事」と呼ばれている。また、全国的には60歳の還暦祝いに赤褌が贈られ、赤褌を締めて禊をし、厄落しをする風習が残っている。 久留米市の「高良大社(こうらたいしゃ)へこかき祭」 は、還暦に赤褌で水浴する神事である。私もこの伝統に従い、中川宮司のご高配により、神事の寒中水浴に続いて赤褌を締めて還暦記念水浴を行った。 |
今回の写真展は、還暦記念という意味もあり、一緒に赤褌水浴を果たした3人(左から三木芳樹さん・筆者・平野五雄さん)の記念写真を祭りコーナーのポスターに採用した。二度の寒中水浴はとても厳しかったが、お陰で身体が活性化して風邪知らずとなり、明かな効用があったので、毎年続けて行くことにしている。 |
記念写真は弥生会の星宏幸さんに撮影して頂いた。使用機種はオリンパスE-3 + ED 12-60mm F2.8-4.0 SWD。 |
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13 歌舞伎座の神輿/鐵砲洲大祭 / E-3 12-60mm
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平成20年(2008)5月2日(金)から5日(月)にかけて東京都中央区湊一丁目に鎮座する鐵砲洲稲荷神社(中川文隆宮司)で例大祭が開かれたので、弥生会の手配で神社近くのホテルに2泊し、密着取材した。
江戸っ子鐵砲洲大祭 |
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5月5日の12時30分ころ、御本社神輿に続き、宮元の大神輿が歌舞伎座に到着し、歌舞伎座の玄関まで乗り入れて神輿を練り上げ、神輿差しを行って大いに盛り上がった。 |
写真は事前踏査で決めていた位置から撮影したもので、弥生会の星宏幸さんの支援を受けて、対面ビルに上がらせてもらい、非常階段の4階の窓から撮影した。これより上だと高すぎ、下だと街路樹の陰になるので、この位置のこのアングルしかない。歌舞伎座で神輿練りが出来るのは鐵砲洲だけであり、ロマンと感動溢れるベスト・ショットとなった。 |
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14 青梅大祭四町競演 / E-330 11-22mm
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平成19年(2007)、ゴールデンウィークの5月2日(水)・3日(木)の両日、東京都青梅市で恒例の青梅大祭(おうめたいさい)が開かれ、15万人の観衆を魅了した。今年で三度目となる青梅大祭の取材には、祭り関係者のご高配を賜り、半纏をお借りして本町(ほんちょう)の密着取材を行った。 青梅大祭'07 |
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青梅大祭最大の見所は、午後5時半頃から青梅駅前の交差点で披露される四町競演である。午後5時15分に釜屋前に待機していた本町の山車が反転して駅前に向かい、東から来た住江町の山車と対峙するところから始まる。 青梅市長や国会議員の挨拶のあと、四町の拍子木役が一人ずつ中央の壇上で拍子木を打ち、山車を誘導する。男子一生の晴れ舞台である。 |
祭りの写真は、撮影位置の良し悪しでほぼ評価が決まってしまうほど位置取りが重要である。私の後ろはTCNの中継カメラが据えられた櫓(やぐら)があり、その前面は立入禁止区域である。半纏を着ているお陰で、4台の屋台を完全に見ることができるベスト・ポジションに立つことができた。 |
中央に赤いジャンパーを着た TCN のスタッフが2人いる。集音マイクを持ち上げると、屋台の踊り手にかかり、それで写真は駄目になってしまう。たまたまマイクを下げた瞬間、踊り手たちも中央に顔を向けたところを上手く撮影できた。運鈍根で生まれたベスト・ショットである。 |
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平成14年(2002)に開催された京都の葵祭(あおいまつり)は、賀茂御祖(かもみおや)神社(下鴨神社)と賀茂別雷(かもわけいかづち)神社(上賀茂神社)の例祭で、毎年5月15日に行われ、祇園祭や時代祭とともに京都三大祭に数えられる。中でも葵祭は1400年の歴史があり、我が国の祭の中で最も優雅で古趣に富んだ祭として名高い。古くは賀茂祭又は北の祭とも称し、平安中期の貴族の間では、単に祭といえば葵祭のことを指すほど有名であった。 |
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葵祭は、6世紀に天皇が下鴨、上賀茂両神社に勅使を送って五穀豊じょうを祈ったのが始まりとされる。合わせて両神社に仕えた皇女・斎王(さいおう)も詣でたといい、源氏物語や枕草子にも葵祭が登場する。 |
祭の見どころは、路頭の儀で、勅使(ちょくし)をはじめ、検非違使(けびいし)、内蔵使(くらづかい)、山城使(やましろつかい)、牛車(ぎっしゃ)、風流傘(ふりゅうがさ)、斎王代(さいおうだい)など、平安貴族そのままの姿で列をつくり、総勢500余名、馬36頭、牛4頭、牛車2台、輿1台の風雅な王朝行列が京都御所を出発、下鴨神社を経て上賀茂神社へと向かう。その道のりは8kmに及ぶ。 京都・葵祭速報! |
この取材はぶっつけ本番だった。そんなときの撮影場所は、テレビ・カメラのそばに限る。牛車の後ろは御所で、行列はこの場所から左に大きくカーブする。背景には緑の木々がある。私はこの位置に潜り込み、座ったままで次々と行列を激写した。この写真は、牛車と人物のバランスが素晴らしく、人物や牛の表情も完璧で、非の打ち所のない自慢の一枚となった。 |
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平成20年(2008)1月7日(月)午後八時半から福島県河沼郡柳津町(かぬまぐん・やないづまち)圓蔵寺(えんぞうじ)福満虚空蔵尊(ふくまん・こくぞうそん)の本堂・菊光堂(きくこうどう)で、奇祭「七日堂裸詣り(なのかどう・はだかまいり)」が行われた。 七日堂裸詣り |
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七日堂に入った褌一丁の裸たちは真新しい麻綱(あさづな)を奪い合い、互いに押しあいながら威勢良く鰐口(わにぐち)登りを始める。鰐口は、仏堂正面の軒下につるされている扁円・中空の音響具で、参詣者は、打ち綱(うちづな)を振り動かして打ち鳴らし、堂内を浄めるためのものである。麻綱をよじ登る男たちが威勢良く競り合うことで一年間の無病息災、祈願成就、招福が叶うという。 |
私の取材は、全ての行事を収録するため、事前の場所取りができない。この位置は入口付近で、身動きができないほど裸たちと観客たちが詰めかけていて、これ以上どうすることもできなかった。今回は、オリンパス E-3 の威力で、ベスト・ショットが生まれた。 |
ライブ・ビューのお陰で、カメラを頭上に翳してモニターを見ながら撮影できた。そして、一発のフラッシュで、御堂の奥深くまで光が廻り込み、全ての光景をクリアーに記録することができた。これはSATという階調を自動的に整える内蔵機能のお陰で、これまでのデジカメだと、手前の人物のみが明るく写り、御堂の奥は薄暗くなってしまうはずである。この手持ち撮影の写真を見た多くの人たちが、とてもクリアーでシャープな画面に感心していた。 |
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17 高野山・真言宗阿闍梨の滝行 / E-3 12-60mm
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平成20年(2008)9月6日(土)7日(日)の両日、東京都青梅市にある標高929mの武州御嶽山(ぶしゅう・みたけさん)山頂に鎮座する武蔵御嶽神社(むさしみたけ・じんじゃ)(宮司:金井國俊)で修業体験講座が実施されたので、神社のご厚意により密着取材を行い、行者たちと起居をともにして日本の伝統文化溢れる光景を激写した。 |
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御岳山は、中世より修験者(しゅげんじゃ)の行場として開かれた。修験は、奈良の吉野で役行者(えんのぎょうじゃ)を開祖とする山岳信仰を中心とした仏教の一派で、その行者を修験者や山伏などといい、山中で荒行を積み、自己研鑽に励む。御嶽(みたけ)の御師(おし)の祖先の多くは、そうした修験者であったと考えられ、江戸期になり講を組織し、一般民衆への布教活動を行い始めたといわれている。 |
早朝の綾広の滝で滝行を行う僧侶は、高野山真言宗・阿闍梨の小林宗峰さん。なぜ神道の修行に参加したのかお聞きすると、日本は昔から神仏習合の歴史文化があり、真言宗には垣根がないからということだった。長い間修業を積んでこられただけあって、独特の風格があった。 武州御嶽山滝行 |
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18 海渡る白褌神輿/江ノ島天王祭 / E-1 50-200mm
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平成16年(2004)7月11日(日)、マリン・リゾートで知られる湘南の江の島で八坂神社(やさかじんじゃ)例祭が開かれた。別名を天王祭(てんのうさい)といい、白褌一丁の男たちによる海中神輿渡御で知られる。 江の島天王祭 |
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裸弁財天(はだかべんざいてん)で有名な江島神社は、辺津宮(へつのみや)、中津宮(なかつのみや)、奥津宮(おくつのみや)の三社からなる神社で、その末社として八坂神社がある。 |
神輿のすぐ向こうではウィンド・サーファーたちがカラフルなセールを抱えて波乗りに興じていた。沖合ではヨットが行き交うマリンレジャー華やかな湘南の地で、いかにも日本的で古式ゆかしい伝統文化が披露される。その落差にとまどう人もいるに違いない。しかし、科学技術が進歩し、高度文明社会に生きる現代においても、身をもって伝統を守る人々が健在しているのが素晴らしい。 |
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19 相撲踊り/諏訪大社十五夜祭 / E-1 50-200mm
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平成19年(2007)9月16日(日)、数えで7年に1度、寅(とら)と申(さる)の年に開かれる御柱祭(おんばしらさい)で知られる長野県諏訪市に鎮座する諏訪大社(すわたいしゃ)上社(かみしゃ)本宮(ほんみや)で十五夜相撲が開かれた。 |
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諏訪市の無形民俗文化財に指定されている「諏訪大社上社十五夜祭奉納相撲」の最大の目玉は、この相撲踊りで、「奥甚句」「名古屋甚句」「胸たたき」の三つで構成される。相撲の攻めと守りを表す「胸たたき」は、全国に存する相撲踊りの中で、唯一諏訪大社のものだけに伝承されている仕草であるという。 諏訪大社十五夜相撲 |
素晴らしい郷土芸能だったが、観客が少なかったので、県や国の無形文化財の指定を受けられれば、もっと名が知られるようになるのではないかと思い、長老にお聞きすると、余り有名になると観客が押し寄せ、迷惑するので、そっとしておいて欲しいという。死人が出るほどの勇壮な御柱祭を催行する氏子たちでありながら、注目されることを嫌うという予想外のナイーブなコメントに驚いてしまった。 |
そこで良く聞いてみると、その根底に、ある不満があることが判明した。国や県のお偉い役人さんたちが来訪のおり、座敷に呼びつけて相撲踊りを見せろというらしい。芸者ではあるまいし、余興にされたのではかなわないだろう。そこで、氏子たちは神事の奉納としてしか相撲踊りをしないことにしたというのである。興味本位の観光資源に利用されると、伝統文化がスポイルされてしまうことを知った。 |
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20 加賀鳶はだか放水 / E-330 14-54mm
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平成19年(2007)1月7日(日)午前10時から石川県金沢市金沢城公園新丸(しんまる)広場で「平成19年金沢市消防出初式」が行われ、セレモニーの後、消防団員たちによる加賀鳶はだか放水が披露された。 |
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江戸時代、加賀藩では、五代藩主綱紀(つなのり)のときに江戸の防火組織が強化され、藩士の火消役のほかに92人の鳶職を雇って消防隊を編成した。加賀藩が有名になったのは、享保3年(1718)12月3日江戸本郷弓町の大火の際、幕府の定火消役の仙台兵庫の鳶と、火口(ひぐち)の先陣争いで大喧嘩になり、江戸町奉行大岡越前守らの裁きで加賀鳶が勝った事件である。 |
平成13年(2001)に再建された金沢城の真新しい菱櫓(ひしやぐら)の前に一文字に並べられた筒先は、全部で49本。纏持(まといもち)と同じ褌姿の加賀鳶たちが支持棒と筒先に付き、ホースをさばく人を加えると一つの放水口に3人が配置されている。 |
外気温は3℃だが、強風で体感温度は零下となっている。公式行事とあって酒は飲んでいないとのことで、寒さを我慢するのは大変なことと思うが、誰一人寒そうな表情を見せていないのはさすがだと感心する。寒いときに褌一丁の裸形(らぎょう)になるのが、日本古来の男の美学である。決してやせ我慢ではなく、日頃の鍛錬の賜であり、大和撫子(やまとなでしこ)たちは、それを見て感動したことだろう。粋で鯔背な江戸文化が金沢に継承されていることに驚きを禁じ得ない。 加賀鳶はだか放水 |
テレビ局のカメラマンと共に行動したので、お咎めがなく、頭上に大量の冷水を浴びて濡れ鼠になりながら、裸の男たちに肉薄して撮影した。レンズに水滴が一滴でもつけばその部分はぼけてしまうので、タオルでレンズを拭きながらの撮影である。放水は僅かに2分。途中で纏持ちが加勢にやってきたので、見事な光景が演出された。男たちの配置といい、表情といい、とても素晴らしく、写真展の殿(しんがり)を飾るにふさわしい自慢の逸品である。 |
このあと、チェックアウトしたホテルに引き返して、泊まった部屋に入れてもらい、濡れた下着を取り替えたので風邪を引くことはなかった。滝のような水を被ったオリンパスE-330は、故障もなく、水に強いオリンパスが証明された。帰りの飛行機は荒天で欠航となり、電車で帰るはめになったので大変だった。 |
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撮影
2002年5月〜2008年6月
OLYMPUS
E-20 E-1 E-300
E-330 E-410 E-510 E-3
500万〜1000万画素
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和田義男写真展は、12月11日(木)無事に終了したが、オフ会として多くの来訪者にお会いして交流の輪が広がったことをお伝えすると共に、写真俳句集となった記念アルバムを解説した。 |
写真展に来訪できない読者が殆どだと思われるので、この作品をご覧いただければ、その様子がお分かり頂けよう。 |
しかし、「百聞は一見に如かず」で、全紙やA3サイズの写真は迫力があり、パソコンのディスプレーで見るものとは違った趣がある。 |
その反面、印画紙へのプリントやプリンターによる印刷は、色あわせが難しく、ディテールが微妙に違っているので、原画を忠実に再現 |
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してくれるのは、発光体のパソコン・ディスプレーが最良であると思う。とはいうものの、矢張り全紙サイズは圧巻で、見応えがあるのは間違いない。既に中判カメラの領域に踏み込んでいる感じさえしてくる。これはデジタルカメラになってレンズの解像力が上がっていることと、鮮明なデジタル記録が可能となったことが大きいと思われる。 |
全紙大にプリントするにはRAW(ロー)撮影が必須だとする固定概念がある。筆者はこれまで全てJPG1/8圧縮(工場出荷状態)で撮影してきたが、フォトショップと併用することにより全く問題ないことが分かった。(慎重を期したい方には、JPG1/4圧縮をお勧めする。)原画をパソコンで編集する際は、BMPファイルに変換すれば良く、その後は何度修正しようと画像の品質が損なわれることはない。これからもこの和田方式を維持し、大量撮影のメリットを生かした激写で名作を切り取って行きたい。 |
桃栗三年柿八年 |
「桃栗三年柿八年」というが、平成12年(2000)7月16日(日)にWa☆Daフォトギャラリーを開設してはや8年が経過した。1日1万アクセスをいただくメジャーなサイトに発展した現在、当初1万アクセスを超えるのに11ヵ月を要したことなどは、遠い昔のことのように思われる。 |
「継続は力なり」を信条に、8年間コツコツと作品を積み重ねてきた結果、柿の木の如く実がつき、ここに初めての個展を開催することができた。多くの読者のご支援と、感動写真集の30人の同志の方々のお陰であり、心から感謝申し上げたい。今後も更に精進を重ね、甘くて大きな果実を枝もたわわに実らせたく、皆様の倍旧のご支援とご鞭撻を賜れば幸甚である。 |
★☆★彡 |
謝 辞 |
このたび、オリンパスイメージング(株)のご厚意により、初めての写真展をオリンパスプラザ東京と大阪で開催することとなりました。特に、営業本部グループリーダーの若松誠一さんとは、神戸の単身赴任時代から現在まで6年余にわたる交際で、Wa☆Daフォトギャラリーの発展は若松さんのご支援があったればこそといえます。 |
この度の写真展の開催も若松さんのご尽力の賜物であり、心よりお礼申し上げます。小型軽量高性能のオリンパスのデジカメは、私のライフワークに必要な終生の伴侶であり、これからも末永く愛用させていただきますので、どうか宜しくお願いします。有り難うございました。 〈 完 〉 2008.12.13 和田義男 (拝) |
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旅紀行ジャパン第106集 「和田義男写真展」 |
撮影・制作 : 和田義男 |
平成20年(2008)11月13日 作品:第30作 画像:(大38+小4) 頁数:4 ファイル数:101 ファイル容量:22.5MB
平成12年(2000)〜平成20年(2008) 作品数:361 頁数:1,320 ファイル数:36,923 ファイル容量:6,116MB |
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平成12年(2000)7月16日に産声をあげた世界の旅の写真館「Wa☆Daフォトギャラリー」は、8年9ヵ月後の平成21年(2009)4月10日に アクセス1,000万件を突破し、それを記念して、同年7月4日東京銀座・東武ホテルで「和田義男講演会」が開催されました。 |
このたび、Wa☆Daフォトギャラリーに発表した「和田義男講演会」とその前年に行われた「和田義男写真展」の2作品をCDに再録し、Wa☆Daフォトギャラリー1,000万アクセス突破記念CD(以下「記念CD」)を作成しました。 |
記念CDをパソコンのCDドライブに挿入すると、自動的にウィンドウズ・エクスプローラが起動し、ホームページ形式で鑑賞することができますので、パソコンさえあれば、internetに接続することは必要ありません。 |
記念CDを 実費「1枚2,000円+振込手数料」でお分けします。希望者は、数量と送付先(住所・氏名)を記入したメールを和田義男
master@wadaphoto.jp
宛にお送り下さい。折り返し郵送させて頂きます。 |
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うんかいに あたまだしたる あきのふじ |
Mt. Fuji in autumn, putting the head out of the sea of clouds. |
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頭を雲の上に出した富士山 / 富士吉田上空 2009.10.28 11:50 |
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伊豆半島 |
駿河湾 |
清水港 |
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記念CDの収録内容 |
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平成21年(2009)7月4日(土)午後5時から午後10時頃まで、全国からWa☆Daフォトギャラリーのファン約50名が東京都中央区銀座6丁目のコートヤード・マリオット銀座東武ホテルに集合し、和田義男講演会兼オフ会が開かれました。その全容を撮影し、Wa☆Daフォトギャラリーに発表した作品「和田義男講演会」を再録しています。 |
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「世界を撮す遊び人」と題する2時間余の講演録は、記念CDの「世界を撮す遊び人講演録」のページに、PDF形式で全文を収録しています。 |
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記念CDの「世界を撮す遊び人」のフォルダには、講演で上映した電子紙芝居445枚を全て収録しています。同じフォルダ内の album.exe をクリックすると一覧モード(サムネール)が表示され、個々の画像を画面一杯に表示して閲覧することができます。また、好きな画像を選んで、希望のサイズに印刷することができます。 |
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【album.exe の使い方】 一覧モードで現れたカーソルを左上隅の最初の画像に合わせると、手の絵が表示されるので、右クリックしてメニューを表示させ、「フルスクリーン」を選んで左クリックすると画面一杯に写真が表示されて、一枚ずつ鑑賞できるようになります。
矢印のカーソルが表示されていますので、下の方に移動すると下向きの矢印になり、その状態で左クリックすると次の画像が現れます。カーソルを上の方に移動すると上向きのカーソルに変わり、左クリックすると前の画像に戻ります。矢印を左上端部に移動させると左向きの矢印に変わるので、左クリックすると一覧モードに戻ります。 |
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冷やし飴出せば良かった紙芝居 北舟 |
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拡大写真(2000x1500)366KB |
Story telling with picture cards, iced sweets should be served. |
2009年7月23日制作
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大型スクリーンを使った電子紙芝居「世界を撮す遊び人」による講演/銀座東武ホテル(東京都中央区) |
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平成20年(2008)11月6日(木)から19日(水)までの2週間、東京都千代田区神田小川町の「オリンパスプラザ東京」で「和田義男写真展」を開催。その後、12月5日(金)から11日(木)までの1週間、大阪市西区阿波座の「オリンパスプラザ大阪」で同様の写真展を開催しました。その全容を撮影し、Wa☆Daフォトギャラリーに発表した作品「和田義男写真展」を再録しています。 |
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写真展に展示した写真は、全てこの記念CDの「写真展展示原画」のフォルダに収納されています。その中の「全紙サイズ」のフォルダには4枚の全紙印刷用原画が、「A3サイズ」のフォルダには19枚のA3印刷用原画が納められていますので、好きなものを選んで、希望のサイズに印刷することができます。 |
「全紙サイズ」と「A3サイズ」のフォルダにある album.exe をクリックすると一覧モード(サムネール)が表示され、個々の画像を画面一杯に表示して閲覧することができます。 |
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夏木立巡る市壁の幾百年 北舟 |
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拡大写真(1600x1460)582KB |
Summer trees, the city wall surrounding for hundreds years. |
2008年11月13日制作
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中世の宝石箱ローテンブルク旧市街/ロマンチック街道(ドイツ) |
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▼ 和田義男写真展を記念して作成した小型アルバム「和田義男写真展」は、縦 x 横 152mm x 152mm のリング製本アルバムで、展示順に収録した22点の写真全てに和田北舟の俳句を添えた写真俳句集となっています。 |
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写真俳句集の24枚の原画は、この記念CDの「写真展記念ミニアルバム」のフォルダに格納されています。いずれもA3に印刷できる高精細画像です。好きなものを選んで、希望のサイズに印刷することができます。 |
「写真展記念ミニアルバム」のフォルダにある album.exe をクリックすると一覧モード(サムネール)が表示され、個々の画像を画面一杯に表示して閲覧することができます。 |
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【album.exe の使い方】 一覧モードで現れたカーソルを左上隅の最初の画像に合わせると、手の絵が表示されるので、右クリックしてメニューを表示させ、「フルスクリーン」を選んで左クリックすると画面一杯に写真が表示されて、一枚ずつ鑑賞できるようになります。
矢印のカーソルが表示されていますので、下の方に移動すると下向きの矢印になり、その状態で左クリックすると次の画像が現れます。カーソルを上の方に移動すると上向きのカーソルに変わり、左クリックすると前の画像に戻ります。矢印を左上端部に移動させると左向きの矢印に変わるので、左クリックすると一覧モードに戻ります。 |
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初めての写真俳句集となった記念アルバム |
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拡大写真(1800x1400)280KB |
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