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2007年4月6日改訂

今 日

昨 日

♪埴生の宿メドレー

拡大写真(1400x1000)223KB

ふんどしの童に辛き寒の垢離   北舟

2006年10月21日開設

撮影:上平明

青島神社参道を行く裸参り(宮崎県宮崎市)

読者の投稿写真集
No.12

2007.01.24 - 03.27

  No.1

No.2

No.3 No.4 No.5 No.6 No.7 No.8 No.9

No.10

No.11

No.12

No.13 No.14 No.15
2007年3月27日(火)曇  志村清貴   様より  感動写真集/志村清貴 

鐵砲洲お囃子 おはようございます。「黒石寺蘇民祭」「江ノ島寒中神輿'07」次々に見ごたえのある作品発表されていますね。和田さんのパワフルな姿が目に浮かびます。それにしても、蘇民祭をこれほどまでにリアルに紹介されたのは和田フォトギャラリーをおいてほかないと思います。身震いするほど感動しました。ありがとうございました。

鐵砲洲のお囃子稽古での録音ですが、お稽古仲間からいただいたものですが添付します。稽古中のものですので、多分ご期待には添えないと思いますが・・・日に鐵砲洲公園でお花見&お囃子演奏をしますので、その時に稽古仲間にその旨を伝えたいと思います。

25日はあいにくの雨模様、それでも木場公園の江戸彼岸桜が満開でした。いよいよ桜の季節ですね。今年は隠れた名所がたくさんある江東区の桜を見てきます。その後は、お祭りモードに入ります。それでは
 

木場公園の江戸彼岸桜 2007.3.25

木場公園の江戸彼岸桜 2007.3.25
今晩は。お便り有り難うございました。蘇民祭を気に入っていただき、光栄です。今私の持てる全てをつぎ込んで創作した自信作ですので、この作品の右に出るものは存在しないと確信しています。何よりも黒石寺の藤波住職に気に入って頂けたのがとても嬉しく思っています。裸だけを取り上げる興味本位のサイトが多いので、これからも正統派として作品作りにいそしみたいと思っています。

お囃子の練習曲と彼岸桜の写真、有り難うございました。練習曲を聴かせていただきましたが、残念ながらBGMには使えそうにありません。雑音から遮蔽された場所で、キチッと録音しないといい音は録れないでしょうね。

これから桜のシーズンですね。楽しみです。有り難うございました。

2007年3月26日(月)晴  宮嶋 茂   様より  感動写真集/宮嶋茂

カンチャナブリー 3月25日にタイ国日本人会主催のカンチャナブリー慰霊塔法要へ出席して参りました。

ここには第二次世界大戦の時に、日本軍が建設した泰緬鉄道工事に従事し、亡くなられた連合軍の俘虜や労務者の御霊を奉っ
た慰霊塔が日本軍により建設されており、戦後タイ国日本人会がここの維持にあたり、毎年会員有志による慰霊祭を執り行って
いるものです。

法要は慰霊塔の前にテントを張って行われましたが、バンコクより随分暑く、当時は人力と象の力を使って工事が行われたそうで
すが、往時が偲ばれました。

「戦場に架ける橋」のモデルになったタイのクウェー川鉄橋 2007.3.25

「戦場に架ける橋」のモデルになったタイのクウェー川鉄橋 2007.3.25
今晩は。早々に、写真をお送り頂き、有り難うございました。八番まで届きました。素晴らしい貴重な写真ですね。後日、「戦
場に架ける橋(仮称)」として、作品に纏めさせていただきます。そのときは、所感などをお願いすると思いますが、宜しくお願
いします。有り難うございました。


参考:『戦場にかける橋』(せんじょうにかけるはし、The Bridge on The River Kwai)は、1957年のイギリス映画。戦争映画。
『アラビアのロレンス』等で知られるデヴィッド・リーンが第二次世界大戦を背景に戦争の愚かさと人間の尊厳を見事に描き
出し、アカデミー賞作品賞ほか7部門を受賞した。フランスの作家ピエール・ブールが1952年に発表した小説を原作とする。
2007年3月25日(日)曇  大森保武   様より  感動写真集/大森保武 

「江ノ島寒中神輿 '07」拝見しました 今年は、新成人の上乗りが少なかったみたいですね それに天気がよすぎて砂浜に押し寄せる波,波しぶきがありませんでしたね でも迫力は伝わってきました

私は23日『旧蒜山大山スカイライン』、開通ということで 動かない被写体を撮ってきました 昨年に比べ雪がすくなくまた弱い風・ガスのため思うような写真撮れませんでしたが・・・ 送ります
6266 南大山大橋から、 6287 大山至近のビューポイントから 6296 少しアップで  6314 鍵掛峠から(昨年は4月10日まで通行不能でした) 有難うございました   ではまた
 

鍵掛峠から臨む大山 2007.3.23

鍵掛峠から臨む大山 2007.3.23
こんにちは。お便りと雪景色の大山、有り難うございました。今年の江ノ島寒中神輿は、曇天のべた凪状態で迫力に欠けますが、写真的には人物が綺麗に撮れています。新成人もおとなしい感じで、いまいち盛り上がりに欠けました。でも、カラフルな六尺姿が楽しく、それがこの祭りの売りです。(^^;

雪を抱いた大山は雄大で素晴らしいですね。四月にならないと開通できない峠を通れたのはラッキーでした。早速紹介させていただきます。有り難うございました。

2007年3月22日(木)晴  小池淳二   様より  感動写真集/小池淳二

落ち着かれましたか? ここ当分の間、貴兄は獅子奮迅の働きでお疲れではないでしょうか?お見舞い申し上げます。まだ落ち着くまではいかないと思いますが、お大事に。

さて、私の住む明石周辺の海では貴兄もご存知のとおり春のイカナゴ漁が先月末から始まっています。今年は暖冬の影響か、不漁とのことですが、朝の海峡は漁船が多数操業して春が来たことを示しております。では、また。

明石海峡のイカナゴ漁

明石海峡のイカナゴ漁

早春の明石海峡

早春の明石海峡
今晩は。お便りと写真、有り難うございました。明石海峡は二年間護っていたところですので、とても懐かしい写真ですね。イカナゴの釘煮は今が旬ですね。

裸祭りの取材を終え、一息ついていますが、抱えている写真は一向に減りません。自分だけの写真だけでなく、感動写真集のメンバーの写真も滞納?しており、まだまだ、楽になりません。それに、もう桜のシーズンですので、取材計画も建てています。3月6日に還暦を迎えましたが、気力体力は充実しておりますのでご安心下さい。有り難うございました。

2007年3月17日(土)晴  T. O. 様より  博多山笠の写真を九州新幹線建設現場シート看板に使用

ありがとうございます 先日は早速のお返事を頂きありがとうございました。現在JR様、作業所長様と構成を打ち合わを進めている状態でまだ最終的な構成が出来上がっていませんが現状のレイアウトを添付にて送信させて頂きます。現場への設置は5月頃になるかと思います。その際は写真撮影の上改めて御報告させて頂きます。ありがとうございました。

九州新幹線建設現場のパネル写真

九州新幹線建設現場のパネル写真1/2
九州新幹線建設現場のパネル写真2/2
おはようございます。お便り、そして、現場写真をお送り頂き、有り難うございました。既に現場に写真を展示されておられるんですね。当サイトの写真が九州新幹線建設工事のイメージアップに役立てば幸いです。ご採用頂いた写真は、博多祗園山笠(清道旗)の「櫛田入りする土居流」 http://wadaphoto.jp/maturi/images/hakata04l.jpg ですね。完成を楽しみにしております。有り難うございました。

櫛田入りする土居流

櫛田入りする土居流

拡大写真(1600x1100)363KB

撮影:ちばあおきお

2007年3月6日(火)晴  志村清貴   様より  感動写真集/志村清貴 

木場公園花便り 
今晩は。「蘇民祭」編集に没頭されているようですね。皆さんのお便りからも、裸祭りの反響がうかがい知れますね。蘇民祭のあるがままの姿を伝える作品を待っています。

4日の木場公園は、こぶし、菜の花が満開でした。誕生日おめでとうございます。

辛夷(こぶし)/木場公園 2007.3.4

辛夷(こぶし)/木場公園 2007.3.4

菜の花/木場公園 2007.3.4

菜の花/木場公園 2007.3.4
お便り有り難うございました。昨日は私の誕生日。遂に還暦を迎えました。去年の誕生日は箱根ホテルで迎えましたが、今年は、家内と愚息二人からイタリア製のネクタイをもらい、私の大好物のすき焼きに舌鼓を打ちました。来年の正月は鐵砲洲で赤褌水浴ですね。(^^;

木場公園の花便り、有り難うございました。それぞれに美しい花ですね。三寒四温の毎日、昨日は四月のような陽気でしたが、今日は真冬に逆戻りです。花粉症の人も増え、通勤電車で白いマスクが目立つようになりました。

黒石寺蘇民祭の編集は佳境に入っており、連日、深夜までやっています。良く撮れている写真が沢山あり、落とすのに一苦労という嬉しい悲鳴です。(^^; 素晴らしい写真に興奮しながら編集していますので、寝る間を惜しんでいるのではなく、眠たくないのです。完成した後にゆっくり休養します。今週中には仕上げたいと思っています。有り難うございました。
2007年2月26日(月)晴  志村清貴   様より  感動写真集/志村清貴 

Re: 「黒石寺蘇民祭」速報! 速報拝見しました。冬の裸祭りの「大取り」登場ですね。極寒の中の取材お疲れ様でした。私たちには到底見ることが叶わないお祭りだけに、完成版がすごく待ち遠しいです。蘇民袋の争奪戦は熱気、裸衆の気迫がガンガン伝わってきます。ありがとうございました。

私は、この週末も木場公園に行って早春の花をさがしてきました。銀葉アカシア(ミモザ)や大寒桜にメジロも見ることが出来ました。写真贈ります。
 

銀葉アカシア(ミモザ)/木場公園 2007.2.25

銀葉アカシア(ミモザ)/木場公園 2007.2.25

大寒桜とメジロ/木場公園 2007.2.25

大寒桜とメジロ/木場公園 2007.2.25

大寒桜/木場公園 2007.2.25

大寒桜/木場公園 2007.2.25
お便り有り難うございました。速報版の編集で返事が遅くなり申し訳ありません。蘇民祭に行く決心をするまでは、おっしゃるように、参加も大変だし、徹夜の取材を考えただけで、行こうとは思いませんでしたが、三木さんから山本グループをご紹介頂き、実際に取材してみると、思ったよりも楽でした。山さんなど、皆さんのバックアップがあったからですが、一人でぶらりといっても、内側まで迫った深みのある作品はとても無理だったと思いますので、人の環の広がりのお陰で、感動写真を切り取ることのできる幸せを噛みしめているところです。そのお陰で、蘇民祭についても日本一の作品ができる材料が入りました。

木場公園の花便り、有り難うございました。遅ればせながらご紹介させていただきます。有り難うございました。
2007年2月25日(日)晴  清原 浩   様より  感動写真集/清原 浩 

修正鬼会の撮影してきました。 こんばんは、清原です。24日の修正鬼会、何とか撮影が終わりました。急遽、仕事になり昼の勤行がの一部が撮影出来なかったことが悔やみます。また緊張の連続で、思うように行きませんでした(;^_^A

撮影は、昼の勤行を撮り、垢離(こうり)撮りから大松明の撮影を終え、予めベストポジションに脚立を設置していた講堂内に戻ったら、何と位置が後ろに変わってました(;-_-+ いよいよ佳境に差しかかり、少しでも前へと足掻きましたが時既に遅しで、どうしてもフレームの中に障害物が写りこんでしまいました。

全体の流れを撮ることが大事だと思って欲を出し移動した事が、お粗末な結果となってしまいました。2兎を追う者は・・・・・ですね。約600枚全てをチェックしたら、かなり使い物にならない物もありがっかりです。それらを省き、一両日中にCDに焼いておくりますが、ご期待に添えずで申し訳ございません。

取りあえず、何枚か添付致します。有り難うございました。
 

講堂に献灯する大松明/天念寺修正鬼会 2007.2.24

講堂に献灯する大松明/天念寺修正鬼会 2007.2.24

災払い鬼(赤鬼)、荒鬼(黒鬼)の見せ場/天念寺修正鬼会 2007.2.24

災払い鬼(赤鬼)、荒鬼(黒鬼)の見せ場/天念寺修正鬼会 2007.2.24

資料

天念寺修正鬼会

(国指定重要無形民俗文化財)


大分県豊後高田市

国東半島には、旧正月に赤鬼と黒鬼が松明を持って暴れまわり、国家安穏・五穀豊穣・万民快楽(けらく)を祈願する『修正鬼会(しゅじょうおにえ)』と呼ばれる仏教行事が残されている。

豊後高田市の天念寺の修正鬼会では、午後7時頃、天念寺前の長岩屋川で松明入れ衆が身を清めることから祭りがスタートし、午後8時頃、大きな大松明(たいまつ)に火がつけられる。

松明の火の粉が飛び散り、だんだんと火祭りらしい雰囲気になると、僧侶が現れ講堂内で読経が始まる。午後10時ごろ、まず赤鬼が現れ、松明を持って講堂内をあばれ回り、続いて黒鬼が現れると、祭りがクライマックスを迎える。

松明の煙が立ち込め、火の粉が飛び散る中で、見物客は鬼に背中や尻を松明で叩いてもらって無病息災を祈る。

今晩は。徹夜の取材で、速報版以外、手に付かず、ご返事を出しておりませんでした。写真をお送りいただき、有り難うございました。禊の写真も何とか撮影できていますね。明日にも紹介させていただき、後日、CDを見せていただき、作品化を検討させていただきます。蘇民祭の後になりますが、御了解下さい。ご苦労様でした。

2007年2月21日(水)晴  南光 優   様より  感動写真集/南光優

Re: 「冬海の水仙畑」 今、水仙のあとは美しい梅を求めて歩いております。これも今までに大きな梅林には行ったことがなく、関西の有名な梅林を中心にまわる予定です。近くにも万博公園があり通っております。昨日しだれ梅がそろそろと思って出かけました。三脚を構えて撮られるカメラマンと携帯電話で花に近づいて撮られる方が引っ切り無しでその方々を入らないように撮影するのは大変でした。

万博公園のしだれ梅 2007.2.20

万博公園のしだれ梅1
万博公園のしだれ梅2

梅といえば、和田さんも素晴らしい青梅梅林の作品を発表されておられますが、たまたま購入した雑誌「旅写真」2月号に「春を呼ぶ花景色」として青梅梅林の写真がありました。一見吉野の桜かと思いましたが梅でした。ご参照ください。

美しい万博公園の梅の花の写真、有り難うございました。青梅の梅林は結構有名で、毎年写真雑誌に掲載されます。殆どの梅林は平地にあるため、変化に乏しいのですが、青梅は山に植樹して今のようなスケールになっていますので、画材には最適です。お勧めの場所としては、他に筑波山の梅林がありますが、規模は青梅の方が大きいと思います。

マナーの悪い人が多く、撮影が終われば直ぐに場所を譲ればよいものを、グズグズしていたりして、イライラすることがありますが、梅や桜の撮影は、特に多いですね。私は、後に控えている人のことを考えない自己中の人には、直ぐに声をかけてどいてもらうという厚かましさを身につけてしまいました。(^^; 有り難うございました。

2007年2月16日(金)晴  W. H.   様より

Re: 「鹿島神宮大寒禊」完成! 和田様 「鹿島神宮大寒禊」「ガンジスの夜明け」、共に拝見いたしました。いながらにして見知らぬ世界を克明に見せていただく幸せ、有難うございます。画像・文章・俳句は厖大な量です、順を追って見せて頂いていますが時間を要します。
 
 近在の寺で行われた、中山法華経寺の大荒行に参加した僧達の「帰山奉告式」を見てきました。その一部の様子を添付しましたのでご覧いただければ有難いです。

大荒行成満帰山奉告式
(だいあらぎょう・じょうまん・きざん・ほうこくしき)

 宝栄山 妙法輪寺 2007.2.16

白装束を脱ぎ褌一貫に

白装束を脱ぎ褌一貫に

祈祷文(きとうもん)の高唱

祈祷文(きとうもん)の高唱

清水を汲む

清水を汲む

後頭部に水を被る

後頭部に水を被る

大 荒 行
(だいあらぎょう)

  
日蓮宗正中山法華経寺(市川市中山)

 天台宗比叡山延暦寺の「千日回峰行」と並び称される難行苦行として知られる。11月1日から2月10日までの寒中100日間・午前3時から午後11時まで7回の寒水行・食事は朝夕2回梅干と白粥・万巻の読経・書写など厳しい行が続く。

 入行の「瑞門(ずいもん)」が閉じ、世俗とは一切隔絶された厳しい行が続く。昔は、その閉ざされた門からは「何があっても出ることは許されない」で命を落とした修行僧もあったという。今は、途中脱落は許されているものの難行苦行であることにはなんら変わりはない。

 2月10日成満会(じょうまんえ)を終え、親族や檀信徒の出迎えを受ける。難行苦行に耐え抜き、痩せ細り、髪・髭ぼうぼうの「聖人」の姿に感動するのである。

 寒水行(かんすいぎょう)・・・褌ひとつで、寒(かん)にさらされた水を手桶で汲み頭上高く振り上げ叩きつけるようにかぶる。 by W. H.

 
お便り有り難うございます。素晴らしい「寒の荒行」の作品、感動しました。解説もとても詳しく、ここまでよく取材されたものだと驚いております。

日蓮宗最高の修業ということで、私も「長勝寺寒の荒行」 http://wadaphoto.jp/maturi/ara1.htm をアップしていますが、妙法輪寺の「大荒行成満帰山奉告式」はまた違った内容ですね。有り難うございました。

2007年2月13日(火)晴  志村清貴   様より  感動写真集/志村清貴 

木場公園の春の花 こんにちは。春の木場公園、これからたくさんの花が公園を訪れる人を楽しませてくれます。今年は暖冬なのですね。花芽が今にも吹き出しそうです。昨日は、姫蔓日々草と河津桜が目に留まりましたので、切り撮ってきました。

黒石寺蘇民祭気をつけてお出かけください。迫力写真楽しみにしております。

姫蔓日々草 / 東京・木場公園  2007.2.12

姫蔓日々草 / 東京・木場公園

河津桜 / 東京・木場公園  2007.2.12

河津桜 / 東京・木場公園
 
おはようございます。美しい春の花の写真、有り難うございました。今年は暖冬で例年になく開花が早いようですね。春の息吹を感じる作品ですね。早速紹介させて頂きます。

冬の裸祭りのシーズンの仕上は黒石寺蘇民祭です。初めての徹夜の取材となりますが、ベテランの山本さんや長谷川さんのグループと行動を共にしますので、備えは万全です。今シーズンの仕上にふさわしい画像を切り取ってきたいと思います。有り難うございました。

2007年2月11日(日)晴  上平 明   様より  感動写真集/上平明

日本最大級の火祭り「師走祭」 平成19年1月26日から2泊3日で神門神社で行われた師走祭に行ってきました。師走祭は、宮崎県木城(きじょう)町比木(ひき)神社と美郷町南郷区(旧南郷村)神門(みかど)神社の二社合同で、1,000年以上にわたり脈々と受け継がれ行われているもので、百済王族の年一度の対面を再現する大変珍しいお祭りです。

迎え火

迎え火

 この師走祭の存在自体が旧南郷村に伝わる百済伝説を裏付ける大きな証であるといわれています。祭り初日に比木神社に祀られている福智王が、神門に祀られている父禎嘉王を訪問します。そのとき神門では、迎え火で歓迎しますが、これが大変迫力のある火祭りで、祭りの中でも最大の呼び物となっています。

迎え火一本鳥居

迎え火一本鳥居

 また、両神社のお別れに当たり悲しみを紛らわすためにヘグロ塗りを行い、両神社の神官、氏子はもとより、見学者も全員顔がヘグロで真っ黒になります。最後に、村人達は鍋の蓋や、しゃもじ等、台所用品を手にして、お別れします。このとき「見送る側は一斉に「オサラバー」と叫びます。 「オサラバー」とは韓国語の「サラバァー」で「生きてまた逢おうではないか」という挨拶だそうです。

ヘグロ塗り

ヘグロ塗り

 この祭りは、平成3年に、極めて古い形態を残す祭として「記録作成等の措置を講ずべき無形の民俗文化財」と国から選択されています。

オサラバー

オサラバー

旧南郷村に伝わる百済伝説

 西暦660年百済の国は、唐と新羅(しらぎ)の連合軍に滅ばされた。このとき王の一族は多くの百済人と共に日本に亡命し、一時畿内地方に定住した。その後、大和政権の動乱により、2隻の船で現在の北九州地方を目指したが、激しい時化にあい日向の国金ケ浜と蚊口浦(かぐちうら)に別々に漂着した。

 金ケ浜に着いたのが父禎嘉王、華智王(二男)、など数十人であった。禎嘉王が住居の地を占ったところ、ここより78里(現在の13里、約53km)の山中が良いと出たので、そこに居を定めることとなり、この定住の地が旧南郷村「神門」であった。

 一方、蚊口浦(かぐちうら)に着いたのは、福智王(長男)とその妃、禎嘉王の后、福智王の姉らの一行であった。福智王は、球を投げて住居の場を占ったところ、球は18里(現在の3里、約12q)の地まで飛びそこで止まったので、そこを定住の地とした。そこが現在の比木である。

 それぞれ別に住んだ王族にしばらく安息の日が続いたが、王の所在を突き止めた追討軍が神門に迫ってきた。これを伝え聞いた福智王は、禎嘉王を救わんと神門入りをし、禎嘉王に心服する豪族と共に追討軍と大戦闘となったが、ついに王族は破れ、禎嘉王は塚の原(古墳)に葬られ、後に「神門大明神」として祀られた。 

 
今晩は。お便り有り難うございました。東知事のお陰で、東京でも毎日宮崎県の記事が放映されています。鳥インフルエンザなど、余り良い内容ではありませんが、とても注目されています。ご検討を祈っているところです。

今回も宮崎県の素晴らしい伝統の「師走祭」を激写した写真をお送り頂き、有り難うございました。2泊3日の大旅行で切り取られた写真、手間暇かかった大変貴重な作品ですね。記録としても重要な祭りで、しかもとても良く撮れています。投稿写真集に収録させていただくと同時に、是非、作品化して感動写真集に紹介させて下さい。CDかDVDにて原画と原稿をお送り頂ければ幸いです。

上平さんの場合は、頂いた時点で、ほぼできあがっていますので、編集がとても楽です。今回もどうか宜しくお願いします。有り難うございました。
2007年2月5日(月)晴  志村清貴   様より  感動写真集/志村清貴 

Re: 「鐵砲洲稲荷節分祭」速報! こんばんは。「鐵砲洲稲荷節分祭」速報ありがとうございました。寒中水浴大会でも感じましたが、和田さんのフットワークよさは、神出鬼没と感じます。神楽殿から節分祭の豆撒きを見ながら、お囃子の演奏をして拍手までしていただきました。石川邸にお邪魔した後の反省会でも、達成感と連帯感、感激したとみんなが口を揃えていました。完成版 楽しみにしています。

翌日、木場公園で白梅とこぶしの花芽を撮りましたので贈ります。節分祭お囃子の合間に撮ったものをCDで送ります。
 

白 梅 / 木場公園 2007.2.4

 

こぶしの花芽 / 木場公園 2007.2.4

白 梅 / 木場公園 2007.2.4 こぶしの花芽 / 木場公園 2007.2.4

拡大写真(600x800)58KB

拡大写真(600x800)65KB

今晩は。お便り有り難うございました。鐵砲洲の節分祭、お囃子が途切れることなく、最後まで演奏して頂き、みんなとても喜んでいました。お囃子があるとないとでは、雲泥の差です。私のサイトもそうですが、BGMの重要性ははかり知れません。来年は年男として豆撒きをさせて頂くことになりましたので、宜しくお願いします。(^^

美しい白梅とこぶしの花芽、有り難うございました。とても良く撮れていますね。今年は暖冬ですが、春の息吹が感じられて、とても幸せな気持ちになりました。早速紹介させていただきます。CDをお送り頂けるそうで、楽しみにしています。有り難うございました。

2007年2月4日(日)晴  宮嶋 茂   様より  感動写真集/宮嶋茂

ラーマキエン物語 昨日タイ日本人会婦人部主催の新春の集いに参加して、タイの東大といわれているチュラロンコン大学芸術学部の学生達によるラーマキエン物語の公演を見て参りました。

これはインドの叙事詩「ラーマーヤナ」がタイに伝わり、「ラーマキエン」として変化したものです。

チュラロンコン大学芸術学部の学生たちによるラーマキエン物語 2007.2.3

ラーマキエン物語1

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ラーマキエン物語2

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ラーマキエン物語3

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ラーマキエン物語

 タイ古代の伝統的な舞踊劇の一つで、およそ仏暦16世紀(西暦10〜11世紀)以前からあるとされる。これは、ピマーイ遺跡(ナコンラーチャシーマー県)に残されているプラトゥープラサートヒン(神の宮殿の石門)など、多くの場所に残るラーマキエン物語の彫刻から推定される。

 ラーマキエン物語は、アユタヤ王国の王子達と、悪魔の国ランカー国のトッサカン王との戦争の話である。この闘いは、トッサカン王がラーマ王子の婚約者・シーダー姫をさらい、自らの妻としてランカー国内の庭園に閉じ込めたことから始まった。

 ラーマ王子とラック王子は、シーダー姫を取り戻そうとランカー国までやってきた。その途上で、キートキンという都のスットリープ王と、チョムプーという都のターオマハーチョムプー王の2匹の猿を従者にした。

 ラーマ王子とラック王子は、2つの都に軍を配置し、道を塞ぎ、海を渡って、休憩所を作り、陣営を構え、ランカー国のトッサカン王と幾度となく闘い、ついに悪が滅びたのであった。

 ラーマキエン物語は、罪を犯した人は、その報いを必ず受けるという功徳を教訓とした古典文学。その台本は、僧侶のラーンパライにより宮廷舞踊劇用に脚本化されたもので、タイでは非常にポピュラーな舞踊劇である。

 
お便り有り難うございました。色鮮やかで素晴らしい写真ですね。オリンパスのE-330と専用ストロボによる完璧なショットです。新鋭機を導入されて、これからの撮影がとても楽しみです。お送りして頂いた中から三枚の画像を紹介させて頂きます。簡単な説明をお願いします。有り難うございました。
 
早速のお便りありがとうございます。

ラーマーキエンはインドの叙事詩「ラーマーヤナ」が元になり、それが東南アジアの国々に伝わり、タイでは「ラーマキエン」として発展したものです。ワット・プラケオやワット・ポーにもラーマーキエンの場面を描いた壁画や大理石の石版等があります。これは仮面劇ですが、タイにはこの他に影絵のものもありますが、私はまだ影絵のものは見ていません。

ラーマキエンは大変な長編であり、私の能力ではなかなか解説も難しいのですが、以下に概略を記します。

極大雑把なストーリーは、ラーマ王子の妃であるシータは悪者によって誘拐されてしまいます。それをラーマ王子と人間に協力する猿軍団とが協力し救い出し、めでたしめでたしというストーリーです。(本当に荒っぽい筋です)

最初の写真は、ラーマキエンの主人公である「ラーマ」です。ラーマは実はビシュヌ神の生まれ変わりです。北インドのコラサ国の王都アユタヤのダサラタ王の宮殿で、三人の妃が四人の王子を生んだのですが、その内の一番上の王子がラーマです。

いろいろ紆余曲折はあるのですが、ラーマは、ミシラー国のジャナカ王の皇女シータと結婚することになります。しかしラーマ王子は元の自分の半身がラーマとなって生まれ変わり、もう一つの半身がシータとなって生まれ変わっていたことを全く知りません。 ラーマとシータは元は一体の神だったのです。

次の写真は、猿の兄弟の二匹です。兄はパーリといい、青い丘のように大きく、稲妻に輝く雲より美しく生まれました。バーリも元は生まれ変わったインドラの神でした。弟は名をスグリーバといい、雪をいただいた峰のように立派で、やはり元は神でした。しかし兄猿のパーリは、ある誓いを破ってしまいます。そこで弟猿のスグリーバは兄を罰するために一計を案じ、兄に自分を攻撃させます。しかしその戦いの中で誓いを破られた相手が放った矢がバーリに当たりますが、死には至りませんでした。

しかしバーリは自分の非を悟り、スグリーバと猿軍にラーマ王子を支援するように言い残し、矢を胸に刺して死んでしまいます。その場面の様子です。そのため画面の横に弓矢が見えます。

最後の写真は、ラーマ王子の軍勢がランカ島からシータを救い出し、王都アユタヤへ帰還し、めでたしめでたしのいわば祝いの場面です。ラーマは父王の後を継いで王として即位します。天の神々や天女たちの祝福の模様が演じられて
いるところです。

こんなところでしょうか。雑駁な解説ですが参考になさってください。

参考文献 『ラーマーヤナ(上)(下)(インド古典物語)』   川田清史著  第三文明社 レグルス文庫1
 
おはようございます。懇切丁寧な解説、有り難うございました。写真の解説、例えば一枚目は「ラーマ王子」というような説明をお願いしたのですが、物語全体の解説をいただき、有り難うございました。
 
物語の非常にラフな解説は、既に私がinternetで調べて、青地の解説パネルで説明しています。宮嶋さんの説明の中で、「アヨダヤ」とあるのは、日本では「アユタヤ」として紹介されていますので、訂正させていただきました。もし違っていればお知らせ下さい。有り難うございました。

 

2007年2月4日(日)晴  清原 浩   様より  感動写真集/清原 浩 

修正鬼会の下見に行って来ました。 こんばんは、清原です。今日、鬼会の下見に行って来ました。かなり現場は狭く、場所取り合戦になるでしょうね(>_<) 一応、最悪の場合を考え脚立持参で行く予定です。それと、天井の四隅に投光器が設置してありました。明るさ的にはかなり明るいのでは?と思います。

あと、ニュースがあります。ついにオリンパスのE−500レンズキットをGetしました。水曜日には手元に入るので、修正鬼会の撮影には間に合う予定です。あとは、扱いに慣れるかが心配ですが( ̄〜 ̄)ξ 最低限の撮影方法などがあれば伝授頂ければ幸いです。本日撮影した写真の一部を添付します。では、またご連絡いたします。
 

修正鬼会が開かれる天念寺

五大力餅会陽 2007.2.4

修正鬼会のポスター

五大力餅会陽 2007.2.4

資料

天念寺修正鬼会

(国指定重要無形民俗文化財)


大分県豊後高田市

国東半島には、旧正月に赤鬼と黒鬼が松明を持って暴れまわり、国家安穏・五穀豊穣・万民快楽(けらく)を祈願する『修正鬼会(しゅじょうおにえ)』と呼ばれる仏教行事が残されている。

豊後高田市の天念寺の修正鬼会では、午後7時頃、天念寺前の長岩屋川で松明入れ衆が身を清めることから祭りがスタートし、午後8時頃、大きな大松明(たいまつ)に火がつけられる。

松明の火の粉が飛び散り、だんだんと火祭りらしい雰囲気になると、僧侶が現れ講堂内で読経が始まる。午後10時ごろ、まず赤鬼が現れ、松明を持って講堂内をあばれ回り、続いて黒鬼が現れると、祭りがクライマックスを迎える。

松明の煙が立ち込め、火の粉が飛び散る中で、見物客は鬼に背中や尻を松明で叩いてもらって無病息災を祈る。

今晩は。お便りと、写真をお送り頂き、有り難うございました。オリンパスE-500のレンズキットを入手されたとのこと、良かったですね。これで鬼に金棒です。(^^ 

写真の操作は、試行錯誤を繰り返しながら上達してゆくものですが、夜間撮影の場合、オートにすると、適正露出にはなりますが、シャッターが1/15などで切られてしまい、露出は適正なのにぼけているということになります。夜祭りもそうですが、こういうときには、ISOを400に設定すると共に、シャッター優先モードSにし、シャッターを1/60〜1/125程度にするとぶれません。

多少暗くなっても、階調が残っていれば、後で幾らでも修正できますので安心です。この点だけは、大きなポイントですので、是非、留意して下さい。また、撮影したあと、ときどき液晶画面で画像を拡大してぼけていないかどうか、チェックすることが肝要です。

当日、私は岩手県の黒石寺蘇民祭の撮影です。お互いに頑張りましょう。有り難うございました。
2007年2月4日(日)晴  大森保武   様より  感動写真集/大森保武 

「鐵砲洲稲荷節分祭」速報拝見しました 休みなく、HP作り頭がさがります 今日は『五大力餅会陽』(一昨年の模様HPにあります)を撮りに行ってきました 三宝の上に重ね餅、〆て185キロを上手くお腹の上におき 距離を競うものです まわしなら簡単に185キロは運べるそうですが・・・・・・なかなか絵にならない被写体です その上、場所選びも難しいです 写真添付します(今年の優勝者18m、一昨年の優勝者 岩国からやって来た米軍人)   ではまた
 

五大力餅会陽 2007.2.4

五大力餅会陽 2007.2.4
写真をお送り頂き、有り難うございました。この作品は、大森さんのホームページで見させていただいております。華やかさがないだけに、作品にするのは大変でしょうね。有り難うございました。

2007年2月1日(木)晴  W. H.   様より

千里浜なぎさドライブウエー 暖冬異変が続いています・・・札幌に大雨・秋田にサクラ咲く・スキーリフトが1度も稼動していない・ゴルフ場はホクホクのエビス顔・・・etc. わが石川県も山間地を除いては今冬1度もまだ積雪をみていません(12月末に積雪を見たところもあります)。これは観測史上初の記録です。

と、いうわけでもありませんが、ここで季節はずれの画像(添付)をお送りしましたのでご覧ください。「千里浜なぎさドライブウエー」は石川県の名所のひとつです。ドライブウエーといっても単なる砂浜ですが、車でも自転車でも走れるところが特色です。(すでにご存知と思いますが敢えて) W.H (BGMの「荒城の月」を楽しく聞きながら書きました)

千里浜なぎさドライブウェー 2007.1.30

千里浜なぎさドライブウェー 2007.1.30

千里浜なぎさドライブウェー 2004.8.8

千里浜なぎさドライブウェー 2004.8.8

千里浜なぎさドライブウエー

千里浜〜今浜海岸 / 石川県羽咋市・宝達志水町

宝達志水町(ほうだつしみずちょう)今浜海岸から羽咋市(はくいし)千里浜海岸までの約8kmは自動車(自転車も)が走れる砂浜として全国的に有名。手取川(てとりがわ)などから流出した土砂が海流で選別され、最も細かい砂が漂着堆積した海岸である。水分を含んだ細かい砂が固く締まり、自然の舗装道路状になっている。(道路交通法上の道路ではない)

石川県の二大河川は、昭和41年(1966年)に犀川ダム、昭和55年(1980年)に手取川ダムが完成してから土砂の流出が減少し、加えて建設資材として大量の沖取りが行われた結果、砂の供給が減り、年々砂浜が後退し、将来の消滅さえも心配されている。

砂の供給が減って砂の層が薄くなり、大荒れで、砂の流亡や砂山の岸が侵蝕され後退した。そう遠くない将来、コンクリートで擁壁を築いて侵蝕を防がねばなるまい。

昭和10年代、子供の頃の記憶では、水分が表面まで届かないほど砂の層が厚く、真夏の太陽のもとでは、裸足では足裏が焼け、走っても渚までは到達できなかったものだ。これより8km先の千里浜海岸まで、このような状態の「千里浜なぎさドライブウエー」が続く。 by W. H.

 
お便り有り難うございました。貴重な画像と解説文をお送り頂き、有り難うございました。年々痩せて行く砂浜を何とか食い止めないといけませんね。どうすれば良いのか、行政に任せるだけでなく、地域住民が真剣に考え、世論啓発をして、美しい自然を守らなければいけないと思います。有り難うございました。
 
返信・読者投稿写真集掲載有難うございました。
2007年1月26日(金)晴  南光 優   様より  感動写真集/南光優  

水仙 和田様 こんばんは。あっという間に1ヶ月が経過しようとしています。早いものですね。その間に200万回を越えられ、いつものことながら次々と新作をご発表になられ驚嘆いたしております。

当方も元気といいたいところですが、落ちた体重がぜんぜん戻らず、本来はスマートボディで喜ぶべきかも知れませんが体力面で今いちの状態で、山歩きは遠慮してカメラをぶら下げ、あまり歩かなくてすむバスツアーに参加しあちこち行っております。

23日は水仙狙いで淡路島に行ってきました。水仙といえばわが郷里の福井の県花ですが淡路も3大群生地の一つとのことで見事で、ちょうど良い時期にぶつかりました。それに加えて梅が咲き始めておりました。昨年より2〜3週間早いとのことでした。写真お送りいたしますのでご覧ください。 
 

小豆島の水仙 2007.1.23

小豆島の水仙 2007.1.23

小豆島の梅 2007.1.23

小豆島の梅 2007.1.23
今晩は。お久しぶりです。今、新春4作目を完成し、ご案内を差し上げたところです。美しい水仙と梅の写真、有り難うございました。とても良く撮れていますね。宜しければ、CDで原画をお送り頂けませんでしょうか。初めての花ですので、作品に纏めさせて頂き、感動写真集に発表できれば幸甚です。

冬は、裸祭りばかり追っかけていまして、ここ三週間というもの、週末は取材に飛び回っていましたが、やっとひと休止しています。裸祭りの仕上は2月24・25日に開かれる黒石寺蘇民祭の取材です。アメリカから来日されるプロカメラマンの高橋和男さんを案内して、行ってきます。雪に閉ざされた厳寒の深夜の取材ですが、金沢の暴風雨の中の取材を考えると、大したことはなく、密着取材の長谷川さんの御了解を得ていますので、これも凄い作品に仕上げられる見込みです。ご期待下さい。

先日アメリカの通信社から国際的に流通しているファッション雑誌に国府宮裸祭りの写真を掲載したいという依頼があり、10枚送りました。裸祭りの分野では、私の右に出る人はいないようですので、ますます気合いが入っています。(^^;

体調は、これから徐々に回復してゆかれることと思います。どうか焦らず、ご自愛されて、今年も南光ワールドの素晴らしい作品をお待ちしています。有り難うございました。
2007年1月26日(金)晴  W.H.    様より

オリンパス 和田様 愛機がオリンパスと知ってメールしました、読んでいただければ幸いです。私が学卒間もなくのころ買ったのが添付写真のオリンパスシックスです。昭和28年3月の学卒ですが、初任給8300円(地方公務員)1ドル350円(固定レート)の時代でした。
 
 このカメラの購入は就職1〜2年の頃だったと思います。「こんな高い物を買って!」(2万円弱)と母に叱られたのがなつかしく思い起こされます。(不使用になってから何年でしょうか、記憶にありませんが今も引き出に眠っています(正常に動作します)。それ以来、なんとなくほぼ「カメラはオリンパス」となってしまい、現在のデジカメもオリンパスキャメディアX1です。
 
 デジカメの前に使用していたのがキャノンEOS750QDですが、銀塩フィルムからフィルムスキャンですべてデジタル化したとき思わぬ手数に見舞われました。 フイルムを装填すると自動的に巻き出され、撮影されたものから巻き込んでいく方式で、撮影順が全く逆順になっているのです。 何か良い方法があったのかも知れませんがデジタル化後の番号付け直しに時間と労力がかかったわけです。

 コンパクトカメラ(オリンパス)で撮影したものや、フイルムのないものは写真からスキャンしたものなど、あわせて約1万6千枚、根気と時間が必要でした。(DVDにも保存)フイルムではなく写真そのものをアルバムごと、(貼ったまま)スキャンし囲い込みで行った方が時間的にも労力的にも良かったし画質もなんら変わらないことに気付いたのは終わり頃でした。(以上 素人談義を加えましてすみませんでした)速報版の本稿化を待っています。
 

オリンパスシックス

オリンパスシックス
今晩は。先ほど、「鐵砲洲寒中水浴'07」が完成し、ご案内させていただきました。貴重なオリンパスの愛機の写真をお送りいただき、有り難うございました。

今から考えるとカメラはとても高く、写真を趣味にすることは金持ちでないと難しい時代でしたね。昔の高名な写真家の作品を見ると、貴重なカメラで撮っただけで高く評価されているような作品が多々あり、今なら誰でも撮れそうです。そう考えると隔世の感がありますね。しかもデジタル文化となり、撮影から修正、印刷まで、全て一人で処理することが出来るのですから、本当に凄い時代になったものですね。

銀塩写真をスキャンしてデジタル化をするという気の遠くなるような手作業も、今は昔話になりつつあります。どうか最新のデジカメで浪漫と感動の写真を沢山切り取って下さい。有り難うございました。
2007年1月24日(水)晴  W.H.    様より

はじめまして 和田様 はじめまして、Wa☆Daファンの1人です(W.H 金沢市在住、ADSL環境9ヶ月目のネット1年生)。地元在住ながら、かって犀川河畔で行われていた頃、遠目で見たことがあるだけの「加賀鳶裸放水」、大きな感動をもって拝見いたしました。この時季、当地は暴風雪はあっても、台風同様の暴風雨とは地元民としても全く驚きの事態でした。

 デザインの良さ・ほぼ一画面一画像サイズ・目にやさしい、薄墨地に白ぬきの大きな文字(早速真似させていただきました)による、調べぬいた懇切丁寧な解説、作家にも匹敵するその文章、そして切り取りの良さ・画質の良さ・楽しく適切なBGM・・などとあれば一日10000件を上回るアクセスもむべなるかなです。今年中に5000000件に達するかも知れませんね。

 昨年12月末頃Wa☆Daに行き当たってから毎日アクセスしていますがまだ氏オリジナルの部も見終わっていません。長時間の閲覧は目に良くありません(氏指摘のとおり)が最近流行の「艶ありディスプレイ(19インチ)」で見る画像の迫力は格別です。

 なお、「残雪の立山 大森保武氏撮影」の解説の中に「誤り」とは言えないものの、この方がより適切でないかと思われるところを添付画像の中で指摘させていただきました(失礼)。

 リサイズに努めたのですが800KBを上回る重い添付になって申し訳ありません、もしかして受信拒否になるかも知れません。無事着信した折は返信ボタンのクリック・送信だけお願いいたします。
 

雄山3003mから望む室堂平

雄山3003mから望む室堂平

室堂バスターミナルから見える雄山山頂肩にある「雄山神社立山頂上社務所」

室堂バスターミナルから見える雄山山頂肩にある「雄山神社立山頂上社務所」
今晩は。お便り有り難うございました。金沢にお住いとのこと、鐵砲洲の寒中水浴に参加された金沢の奥村さんのお薦めで二年越しの計画が稔り、加賀鳶はだか放水を激写することができました。新春初作品として、江戸の裸文化を彷彿とさせる日本一の素晴らしい出初式を上手く撮影できて大満足です!

私の作品を高く御評価頂き、大変光栄です。添付ファイルを拝見させていただきましたが、現在76歳のご高齢にもかかわらず、年2回の立山登山を続けておられるとは、本当にお元気で、羨ましい限りです。

写真資料と共に貴重なご指摘をいただき、有り難うございました。誤りの部分は、早速、訂正しましたので、お暇なときにご確認下さい。 http://wadaphoto.jp/images/kurobe.htm

写真もとても良く撮れていますね。もし宜しければ、ご投稿下さい。これからもどうかお元気で、末永くWa☆Daフォトギャラリーをお楽しみ下さい。メーリング・リストに登録させていただきましたので、新作のご案内をさせて頂きます。有り難うございました。
  No.1

No.2

No.3 No.4 No.5 No.6 No.7 No.8 No.9

No.10

No.11

No.12

No.13 No.14 No.15

埴生の宿はにゅう やど

HOME, SWEET HOME  by Henry Bishop
 

ビルマの竪琴リメイク版

ビルマの竪琴

主演:中井貴一 資料

 
 BGMに流れる曲は、誰もが一度は口ずさんだことのある名曲「埴生の宿」。英国のヘンリー・ビショップが1852年に作曲した。日本には明治時代に紹介され、里見義の訳詩で親しまれている。原詩は米国のジョン・ハワード・ペインによるオペラ「Clari, Maid of Milan」から採ったもの。
 「埴生(はにゅう)」とは、粘土性の土の雅語的表現で、「埴生の宿」とは土で塗った粗末な家のこと。
 昭和31年(1956)制作の日本映画「ビルマの竪琴」でこの曲が使われた。太平洋戦争末期のビルマ戦線、井上小隊長は、隊の士気が下がらないよう部下に合唱させるのを常としていた。
 それに合わせて、自作の竪琴で伴奏するのは水島上等兵だった。ビルマ(現ミャンマー)からタイへ逃れる際、敵軍に包囲されたとき、水島の奏でる「埴生の宿」に合わせて英語の歌が聞こえてきた。彼らはそこで戦うことはなかった・・・。
 尺八の美しい音色は、感動写真集でお馴染みの日當鶴山(ひなた・かくざん)さんのオリジナル演奏で、Wa☆Daフォトギャラリーのために特別に録音してお送りいただい貴重な曲である。
 
 
 

 

    
         埴生の宿

 
                 訳詞:里見義
 
 
埴生の宿も わが宿
玉の装い 羨(うらや)まじ
のどかなりや 春の空
花はあるじ 鳥は友
おお わが宿よ
楽しとも たのもしや


(ふみ)読む窓も わが窓
瑠璃の床も 羨(うらや)まじ
清らなりや 秋の夜半
月はあるじ 虫は友
おお わが宿よ
楽しとも たのもしや
 
                   Home, Sweet Home
                                             by J. W. Payne
   
Mid pleasures and palaces though we may roam,
Be it ever so humble, there's no place like home;
A charm from the skies seems to hallow us there,
Which, seek through the world, is never met with elsewhere.
Home, sweet home, There's no place like home,
Home, sweet home, There's no place like home,

An exile from home, splendor dazzles in vain;
Oh! give me my lowly thatched cottage again;
The birds singing gaily, that come at my call:
Give me them and that peace of mind, dearer than all.
Home, sweet home, There's no place like home,
Home, sweet home, There's no place like home,
 

おことわり

 私宛の e-mail をこのページに掲載することについては、お便りをお出しいただいた方々に事前のご了解をいただいていませんが、ホームページを通じて多くの方々と素晴らしい出会いや交流が生まれたことをお伝えしたいために、問題のない方法で掲載させていただいています。 もし問題の箇所があればお知らせ下さい。直ちに訂正させて頂きます。どうかよろしくお願いします。
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