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平成20年(2008)10月11日(土)から13日(月/体育の日)までの3連休を利用し、家内と二人でプリウスに乗り、圏央道青梅インターから中央道を経由して木曽路を巡った。 |
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爽籟や昔を偲ぶ奈良井宿 |
Fresh sound of an autumn breeze,
recalling the past of Narai station. |
そうらいや むかしをしのぶ ならいじゅく |
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最初に訪れたところは奈良井宿で、中山道69次の内の34次、木曽十一宿の北から二つ目の宿場町である。 |
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秋山路木曾福島の関所門 |
Autumn mountain path,
a barrier gate of Kiso Fukushima. |
あきやまじ きそふくしまの せきしょもん |
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中山道37番目の福島宿は、西の御嶽山と東の木曽駒ヶ岳の間に位置する宿場町で、木曽十一宿の真ん中にある。 |
徳川家康は五街道の整備を進め、慶長7年(1602)に東海道と中山道を京と江戸を結ぶ幹線道路に定め、その整備に力を入れた。翌年江戸開府を果たした家康は、江戸防衛のため五街道50ヵ所に設けた関所のうち、東海道の箱根(神奈川)と新居(あらい)(静岡)、中仙道の碓氷(うすい)(群馬)と福島(長野)を特に重要視したため、これらの関所が四大関所と呼ばれるようになった。 |
江戸から69里(271km)京から68里(267km)に位置する福島関は、福島宿の北口に設けられた。有事の際には関所を封鎖して江戸を守るため、木曽川の断崖と山に挟まれた幅40mほどの狭い場所で、天然の要害にある。 |
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御嶽の間近に見上ぐ秋日和 |
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Sunny autumn day,
looking up the Ontake mountain nearby. |
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おんたけの まぢかにみあぐ あきびより |
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ゆったりと四方に裾野を広げた大きな姿の独立峰である御嶽山は、長野県木曽郡木曽町、王滝村と岐阜県下呂市(げろし)の境目にある山で、木曽御嶽山や御嶽ともいう。標高は3,067m。日本百名山の一つに数えられている。 |
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秋の岳修験の径は霧の中 |
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Autumn mountain,
the path of Syugen Buddhists
in a dense fog. |
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あきのたけ しゅげんのみちは きりのなか |
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王滝口の登山ルートは、御嶽山への車道としては最も高い7合目の田の原(2,180m)まで車で登ることが出来、剣ヶ峰へのアプローチが最も短く、片道3時間ほどの行程なので、日本で14番目の高山でありながら日帰り登頂も十分に可能となっている。 |
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秋深山水に打たるる行者石 |
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A deep autumn mountain,
the falling water beating an ascetic stone. |
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あきみやま みずにうたるる ぎょうじゃいし |
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食堂で遅い昼食を取ったあと、7合目を後にし、3.5合目まで下って清滝(きよたき)と新滝(しんたき)を見て回った。 |
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その昔、御嶽山に登るには「百日精進潔斎」といって100日間修業をして身を清めなければ、登拝は許されないという掟があり、清滝での厳しい滝行が行われていたという。今日でも夏季には滝に打たれる信者の姿が見られる。冬になると清滝は氷の柱となり、ライトアップされた神秘的な氷の青さに目が奪われるという。 |
新滝の裏側には窪みがあり、裏側から滝を眺めることが出来る。いわゆる裏見の滝である。落水が集中する部位にひとつの岩が置かれていた。行者がそこに立って滝に打たれるためだろう。水量がかなりあり、熟練者でないと怪我をする恐れがある。 |
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秋の川寝覚めの床の太郎冠者 |
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The autumn river,
Taro waked up on the bed. |
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あきのかわ ねざめのとこの たろうかじゃ |
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福島宿の次の宿場町・上松宿(あげまつじゅく)の寝覚めの床は、木曽八景の中で最も有名な国の史跡・名勝・天然記念物に指定されている景勝地である。浦島太郎が最後にたどり着いた土地だという伝説がある。ある日、竜宮城から土産にもらってきた玉手箱を開けてみると、あっという間に三百歳の老人になってしまい、ビックリして目を覚ました。夢から目を覚ましたということで、ここを「寝覚めの床」というようになったとか。 |
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秋深む妻籠の宿の屋根の石 |
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Late autumn,
stones are on the roof of Tsumago inn. |
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あきふかむ つまごのやどの やねのいし |
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妻籠宿は、中山道42番目の宿場で、長野県木曽郡南木曽町(なぎそまち)にあり、」蘭川(あららぎがわ)東岸に位置する。 中山道と飯田街道の分岐点にあるため、古くから交通の要所として栄えた。隣接する馬籠宿(まごめじゅく)と共に木曽路を代表する観光名所として名高い。 |
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石坂や秋の気満つる馬籠宿 |
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A stone slope,
Magome station full of autumn air. |
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いしざかや あきのきみつる まごめじゅく |
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馬籠宿は中山道43番目の宿場で、かつては長野県木曽郡山口村であったが、平成17年(2005)2月越県合併により、現在は岐阜県中津川市にある。木曽十一宿の一番南に位置する。 |
明治28年(1895)と大正4年(1915)の火災により、古い町並みは石畳と枡形(ますがた)以外はすべて消失したが、その後復元されて現在の姿となった。文豪・島崎藤村の生まれ故郷としても知られ、名作「夜明け前」の舞台ともなった宿場町である。 |
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天龍の舟より見上ぐ秋の空 |
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Autumn sky,
looking up from a boat of Tenryu. |
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てんりゅうの ふねよりみあぐ あきのそら |
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馬籠宿を最後に木曽十一宿の散策を終え、中津川インターから中央道に乗って帰途についたが、まだ時間があったので、飯田インターで下りて、中央アルプス(木曽山脈)の東側を流れる天竜川の川下りに参加した。 |
流域は急峻な地形のため、古くから「暴れ川」「暴れ天竜」として知られ、多数のダムがある。江戸時代、徳川家康の命で、京の豪商で運河建設の第一人者であった角倉了以(すみのくら・りょうい)が天竜川の輸送路を確立し、木材や年貢などの物資は、天竜の水運をもって舟で運ばれた。 |
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パノラマ写真(2000x1000)420KB |
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パノラマ写真(2000x1000)512KB |
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