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★★★  ようこそ 写真俳句の世界へ! ★★★

Wa☆Daフォトギャラリー  和田北舟の俳句  写真俳句「海の風景」

2011年5月7日改訂

今 日

昨 日

♪メドレー「春の海」
天高し海の拝殿大鳥居  北舟
拡大写真(1600x1200)384KB

The high sky,

2001年7月16日制作

The big torii gate to the hall of worship on the sea.

満潮の厳島神社

 

満潮の厳島神社(広島県廿日市市)

 
 
   
 
 


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2009年1月20日(火)

 平成21年(2009)1月11日(日)午前11時から東京都中央区湊1丁目に鎮座する鐵砲洲稲荷神社で、第54回寒中水浴大会が開かれた。

白褌の寒中水浴鐵砲洲

Teppohzu, midwinter ablutions
wearing white loincloth.

びゃっこんの かんちゅうすいよく てっぽうず

 快晴の穏やかな天候に恵まれ、昨年、交通新聞社から発行された大人の首都圏散策マガジン「散歩の達人ムック/祭り&イベントカレンダー2009」の「水の祭り」の部でトップに紹介されたこともあり、観客・参加者とも格段に増加した。
 東京メトロ日比谷線・八丁堀駅A2出口から徒歩5分、角(かど)の交番付近に至ると、神社から江戸囃子が聞こえてくる。近づくにつれて音が高くなり、石鳥居を入ると、左の神楽殿で奉納されている鐵砲洲囃子が新春の清々しさを醸し出し、あっという間に祭り気分に切り替わる。

鳥船に始まり終る寒の垢離

The midwinter ablution begins and ends
with Torifune practice.

とりふねに はじまりおわる かんのこり

 今年は男性の参加者が約50名、女性の参加者は5名で、どちらも過去最高となった。江戸下町に伝わる素朴な新春の行事であるが、年々、盛大になってゆくのは嬉しい限りである。寒中水浴のお陰で、去年は風邪を引くこともなく、元気に過ごすことができた。これからも毎年続けてゆきたいと思っている。
 鐵砲洲囃子が流れるなか、多くの観客やアマチュア・カメラマンの見守る前で、東京都神社庁練成行事道彦(みちひこ)・篠直嗣(しの・なおつぐ)氷川神社宮司が古式に則った禊の実地指導に当たり、気合いの入った本式の寒の禊が披露された。
 
 

白褌の寒の水行江戸囃子

 

Cold water ablution of white loincloth
 with Edo festival music.

びゃっこんの かんのすいぎょう えどばやし

 水浴の作法は、卵を両手で握るように手を合わせて胸元で上下に振る振魂(ふりたま)を続けながら、祓戸之大神(はらえどのおおかみ)を何度も唱える。現世利益の祈願などは一切行わず、無心で行に没頭する。

「鐵砲洲寒中水浴'09」 2009.1.11 撮影・原作:星 宏幸

鐵砲洲囃子をバックに寒中水浴

鐵砲洲囃子をバックに寒中水浴

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水浴後の鳥船

水浴後の鳥船

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緑水の沐浴

緑水の沐浴

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2009年1月13日(火)

 平成21年(2009)1月4日(日)夜、大分県宇佐市(おおいたけん・うさし)の鷹栖観音寺(たかすかんのんじ)で褌(ふんどし)草鞋(わらじ)姿の男衆が駅館川(やっかんがわ)を渡り、対岸の鷹栖観音堂一帯で「どんど」を焼き、松明(たいまつ)の火の粉をまき散らす勇壮な火祭り「鷹栖観音鬼会(たかすかんのん・おにえ)」が催行された。

火柱に染まる白褌どんど燃ゆ

Dondo bonfire burning,

White fundoshi loincloths

being dyed by the pillar of frames.

ひばしらに そまるびゃっこん どんどもゆ

 この作品は、平成20年(2008)の 鷹栖観音鬼会 に続くもので、この祭礼の詳細を知りたい方は、 鷹栖観音鬼会 を参照願いたい。

あとがき

 今年も昨年に引き続き、鷹栖観音修正鬼会の撮影に行きました。寒風吹く中、花火を合図に総勢50名ほどの氏子が松明片手に駅館川(やっかんがわ)を渡り、松明を叩き合う火祭りです。昨年は、松明合戦の際に迫力の写真が撮れず、今回は反省を踏まえて撮ってみました。

初春や褌焦がすどんど焼

  Early spring, Dondo bonfire

scorching fundoshi loincloths.

はつはるや ふんどしこがす どんどやき

 今年は子供の姿や初の女性も参加しており、年々信仰の形が変わって行くようにも思えました。しかし、祭り自体を継続するには、ある程度の変質も致し方ないかも知れません。
素晴らしい夜祭
 今年の第2作も清原浩さんの意欲作である。昨年発表した「鷹栖観音鬼会」でもコメントしたことだが、松明を抱えた裸男たちが漆黒の駅館川(やっかんがわ)を渡るシーンや巨大な「どんど」を炊きあげる光景、そして松明を抱えて参道を走り回り、浄火の火の粉をまき散らす厄払いの儀式は、とても美しく、ロマンと感動に満ちあふれていてとても素晴らしい。小規模な祭りではあるが、私の大好きな祭りのひとつである。
 
 

初春や夜川を渡る褌衆

Early spring, men of fundoshi

 

  loincloths crossing a night river.

はつはるや よかわをわたる ふどししゅう

 清原さんの撮影技術は、着実に向上しており、去年の失敗を教訓に撮影された松明合戦の美しい映像の数々に誰もが目を見張るのではないだろうか。男たちの生き生きした表情を上手く切り取っておられのに感心する。

「鷹栖観音鬼会'09」 2009.1.4 撮影・原作:清原 浩

燃えさかる巨大な炎

燃えさかる巨大な炎

拡大写真(2000X1580)537KB
火花を散らす松明合戦!

火花を散らす松明合戦!

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松明を手に駅館川を渡る裸たち

松明を手に駅館川を渡る裸たち

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2009年1月8日(木)

 平成20年(2008)11月14日(金)と16日(日)の両日、大分県豊後高田市に鎮座する若宮八幡神社の秋季大祭川渡神事(かわたりしんじ)が行われた。永保4年(1084)に荒行の一つとして始められたこの裸祭りは、今年で925年目となる。

秋の夜の川渡神輿や濡褌

River-crossing of the portable shrine,

the fundoshi loincloths got wet

at autumn night.

あきのよの かわとみこしや ぬれふどし

 この作品は平成19年(2007)の 若宮八幡裸祭'07に続くもので、この祭礼の説明は、平成18年(2006)の「若宮八幡裸祭り」に詳しい。

秋川を渡りし泥の褌かな

The fundoshi sashes got muddy
after crossing the autumn river.

あきかわを わたりしどろの ふどしかな

 
 

秋川に下る神輿の白褌

 

A

portable shrine
going down to the autumn river,
white the fundoshi sashes.

あきかわに くだるみこしの しろふどし

秋の川褌與丁の還御かな

An autumn river, returning mikoshi
by porters of fundoshi loincloths.

あきのかわ ふんどしよちょうの かんぎょかな

 
 

若宮の褌に託す秋祭

 

The autumn ritual of Wakamiya shrine,
featuring fundoshi loincloths.

わかみやの ふどしにたくす あきまつり

「若宮八幡裸祭'08」 2008.11.14&16 撮影・原作:清原 浩

観衆への挨拶と手締め 19:15

観衆への挨拶と手締め

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桂川の急坂を押し上げる

桂川の急坂を押し上げる

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桂川に向かう川組神輿 20:13

桂川に向かう川組神輿

拡大写真(1400X1050)199KB

夜川を還御する若宮神輿

夜川を還御する若宮神輿

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桂川最後の手締め

桂川最後の手締め

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2009年1月2日(金)

 「秩父川瀬祭」は、毎年7月19-20日に催行される秩父神社の夏季例祭で、地元の人々には「お川瀬」「お祇園」などと愛称され、子供や若者が中心となる祭りとして親しまれている。

笠鉾や秩父男児が夏祭

Kasahoko wagon,
the summer festival of Chichibu boys.

かさほこや ちちぶおのこが なつまつり

 秩父神社例大祭の秩父夜祭が大人の祭りに対し、川瀬祭は子供の祭りとも呼ばれる。本町(もとまち)・東町(ひがしまち)・番場町(ばんばまち)・宮側町(みやかわちょう/みやのかわ)の屋台が4基、上町(かみまち)・中町(なかまち)・熊木町(くまぎまち)・道生町(どうじょうまち)の笠鉾が4基、合計8町8基が奉曳(ほうえい)される。

夏の宵鉾と屋台の囃子合ひ

Summer evening,
Competition of festival music
between Hoko and Yatai wagons.

なつのよい ほことやたいの はやしあい

 秩父神社境内での上町笠鉾と本町屋台の囃子合いは、上町囃子手と本町襦袢着との間で行われる。主役の呼び名は違うが、囃す心意気に変わりはない。笠鉾と屋台が囃子合うことで、祭りは更に盛り上がる。
 翌日20日。元々笠鉾・屋台を保有しなかった道生町(どうじょうまち)へ旧上町笠鉾が譲られ、平成9年(1997)に道生笠鉾が誕生した。それから兄弟笠鉾として、20日の夜、収蔵庫に帰るとき、 親睦を兼ねた曳き別れを行うようになった。道生の飾り金具は「道」の字だが、一部に上町笠鉾町の名残の「上」の字の飾り金具が残されている。
 
 

雪洞の揺るる笠鉾夏の夕

 

Summer evening,
the paper-covered lanterns
trembling on the Kasahoko wagons.

ぼんぼりの ゆるるかさほこ なつのゆう

 上町笠鉾と道生笠鉾による「兄弟曳分式」の「花交換」。お互いの笠鉾の花を交換する儀式で、親睦を兼ねた川瀬祭の名場面である。

「秩父川瀬祭」 2008.7.19-20 撮影・原作:夜のカメラマン

気合いの入る囃子手

気合いの入る囃子手

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笠鉾と屋台の囃子合い

笠鉾と屋台の囃子合い

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兄弟曳分式の花交換

兄弟曳分式の花交換

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2008年12月26日(金)

 感動写真集の33人目の同志になられた横山稔さんは、大学のクラスメートで、2006年から3年間撮り溜めてきた野鳥の写真をCDで送って頂き、作品化させて頂いた。

2006.03.18 / 横浜市戸塚区舞岡公園

 この日はこのメジロともう一羽のペアが梅の蜜を狙っておりましたので、息を凝らしてポイントを定めて待っていたら、嬉しいことに嵌ってくれました。

梅が香に目白の遊ぶ佳き日かな

An auspicious day, a white-eye playing
 with the scent of plum blossoms.

うめがかに めじろのあそぶ よきひかな

 ちなみに、ウグイス色とはメジロのこの緑色をいうのだそうです。実際ウグイスの色は、鮮やかさには少し難点がありますものね。

柿ひとつ目白が餌となりにけり

A persimmon finally pecked
by a white-eye.

かきひとつ めじろがえさと なりにけり

2006.10.29 / 横浜市戸塚区舞岡公園

 柿メジロと呼ばれる組み合わせですが、なかなか姿勢が掴みにくく、1時間かかって漸(ようや)く撮影できました。
メジロ(目白 学名:Zosterops japonicus ):スズメ目メジロ科の鳥。全長12cm前後で、スズメよりも小さめ。緑がかった背と暗褐色の羽を持ち、雌雄同色。目の周りの白い輪が特徴であり、名前の由来ともなっている。メジロ科に属する鳥は英名でも "White-eye" と呼ばれ、また、中国語名では「繡眼鳥」と呼ばれ、やはり名前の由来となっている。日本で見られる野鳥の中では、ミソサザイ・キクイタダキに次いで最も小さい部類の小鳥である。
 

筑波山冬芽啄む大猿子

 

Tsukuba mountain,
a rosefinch pecking at winter buds.

つくばやま ふゆめついばむ おおましこ

2006.12.13 / 筑波山梅林

 この鳥は、人を余り怖がらないのだそうでどんどん近づいてきたので、こちらの方が追いつめられました。紅の鮮やかなオスでした。
オオマシコ(大猿子 Carpodacus roseus ):スズメ目アトリ科に分類される鳥類の一種。体長18cmほど。雄の頭部は濃い紅色、胸と腹部は桃紅色。雌は淡褐色で胸に立斑がある。冬鳥として九州以北に渡来するが、西南日本ではまれ。平地から山地や高原の林、草原で見られるが数は少ない。小群で生活し、アザミの種を食べたり地上に降りて草の実などを食べる。
 

白樺に露命を繋ぐ真鶸かな

 

An Eurasian siskin,
earning a scanty living on a white birch.

しらかばに ろめいをつなぐ まひわかな

2007.02.19 / 札幌市円山公園

 マヒワの雄が雪の上に落とした桂の木の実を食べておりました。真冬の採餌中ですから、カップルが仲良く並ぶことは無いですね。この写真は、札幌市北海道神宮で撮影したマヒワの雌で、小雪のなか、白樺の実を啄んでおりました。
 

鶯の囀り渡る新芽かな

 

A bush warbler loudly warbling
on a sprout.

うぐいすの さえずりわたる しんめかな

2007.03.31 / 横浜市戸塚区舞岡公園

 この時期は、ウグイスの天下です。極めて美声のウグイスでした。
ウグイス(鶯、鴬 Cettia diphone 英名:bush warbler ):スズメ目ウグイス科ウグイス属の鳥。「ホーホケキョ」と大きな声でさえずる。日本三鳴鳥の一つ。山梨県と福岡県の県鳥。体長15cm程度で、スズメ同大。体色は背中がオリーブ褐色で、腹面は白色、全体的に地味である。雌雄同色。東アジア(中国北東部、ロシア沿海地方・サハリン、朝鮮半島、日本など)に分布する。
 
 

喜々として啄む小啄木檀の実

 

A pygmy woodpecker joyfully pecking
at the seeds of a spindle tree.

ききとして ついばむこげら まゆみのみ

2007.12.30 / 横浜市戸塚区舞岡公園

 赤く熟したマユミの実に来た姿ですが、この時コゲラのオスの頭に在ります赤い羽毛を撮影できました。
  コゲラ(小啄木 Dendrocopos kizuki ):キツツキ目キツツキ科の鳥。英名はJapanese Pygmy Woodpecker で、日本にいる小さなキツツキの意。全長15cmほどで、スズメと同じくらいの大きさ。日本に生息するキツツキとしては最も小型である。雌のほうがやや大きい。
 
 

笹五位のじっと佇む夏の池

 

A summer pond,
Green-backed Heron standing patiently.

ささごいの じっとたたずむ なつのいけ

2008.08.31 / 横浜市金沢区長浜公園

 変な鳥が来たよと隣の人に囁いたら、「早く撮らなくちゃ!」と言われて、慌てて撮影しました。
ササゴイ(笹五位 Butorides striatus):コウノトリ目サギ科に分類される鳥類の一種。体長は50pほどで、カラスほどの大きさ。くちばしと足は長いが首はやや短い。頭上は青黒く、長い冠羽がある。からだは青灰色で、翼の羽毛には白いふちどりがある。翼が茂ったササの葉のように見えるためこの和名がついた。

「日本の野鳥を撮る旅」 2008.12.26 撮影・原作:横山 稔

梅とメジロ

梅とメジロ

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柿メジロ

柿メジロ

拡大写真(1650x1200)220KB

雌のオオマシコ

雌のオオマシコ

拡大写真(1450x1000)140KB

小雪のなか白樺の実を啄むマヒワの雌 2007.02.18

小雪のなか白樺の実を啄むマヒワの雌

拡大写真(1400x1050)124KB

ウグイスの囀り

ウグイスの囀り

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マユミの赤い実を啄むコゲラ

マユミの赤い実を啄むコゲラ

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魚が主食のササゴイ

魚が主食のササゴイ

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2008年12月19日(金)

 西インドの世界遺産では、やはり、アジャンタ遺跡と並び賞されるエローラ遺跡が有名で、観光地としても名高く、インド国内のみならず世界各地から多くの観光客が訪れる名所となっている。
 アジャンタ遺跡が壁画なら、エローラ遺跡は、石窟と浮き彫りに特徴がある。インド人の神話信仰と美的感性をじっくりと味わうことが出来る世界遺産である。

エローラに仏のおわす夏高原

The summer highlands,
The Buddha exists at Ellora caves.

えろーらの いわやにたきの ながれおり

 エローラ遺跡は、3つの宗教窟が集まって構成されており、番号を打たれた窟で34、それ以外の小窟を合わせると計70余の石窟が南北1.5kmに点在している。

エローラの岩屋に滝の流れをり

A waterfall falling form a cave of Ellora.

えろーらの いわやにたきの ながれおり

 アジャンタ遺跡が1819年にイギリス人将校に発見されるまでは、土中に埋もれて全く存在を知られていなかったのとは対象的に、エローラ遺跡は、交易道付近にあったせいか、隊商宿として利用されたりして、ずっとその存在は意識されて来た。
 イギリスの統治を受ける中で、イギリスの学者たちによって学術的研究がなされ、文化遺跡としてその真価が認められ、今日に至っている。1983年世界文化遺産に登録されてる。世界遺産の石造というジャンルでは、カンボジアのアンコールワット、エジプトのスフィンクスと並ぶレベルのものといえる。
 

エローラの螺髪の仏陀涼しかり

The Buddha of Ellora

 

with spiral curls of hair looks like cool.

えろーらの らほつのぶっだ すずしかり

 34窟のうち、第1〜12窟が仏教窟、第13〜29窟がヒンドゥー教窟、第30〜34窟がジャイナ教窟ですが、番号は、学術研究のために、南から順に付けられたもので、開窟の年代順で番号が振られたわけではない。
 仏教窟にヒンドゥー教の神々が彫られた窟(第6窟や第8窟)もあるが、これは、宗教の伝播の関係で、混在が生じたものと考えるべきであろう。ヒンドゥー教では、仏陀は、ヴィシュヌ神の9番目の化身と信じられており、双方の宗教の根幹がバラモン教なので、このようなことも開窟の際に起こったのだと思われる。
 

朝涼や観音菩薩の慈悲深き

 

Cool morning,
merciful Kannon the Buddhist saint.

あさすずや かんのんぼさつの じひぶかき

 写真右は第12窟2階第2廊の左壁の観音菩薩三尊像である。柔らかで、穏やかさがあり、気品溢れた菩薩と、バランスが取れた構図は、エローラ彫刻の最高傑作の一つだと思われる。
 

夏日射す岩屋の神の戦へり

 

Summer sun shinning to the cave
where the god fighting.

なつびさす いわやのかみの たたかえり

 第15窟のライオンの化身となって魔王と戦うヴィシュヌ神の図。魔王の大人気ない挑発に怒ったヴィシュヌ神は、ライオン神に化け、魔王を殺してしまう。躍動感溢れるこの図も、エローラ遺跡の最高彫像の一つと言われている。
 次の写真は、第16窟の遠景。山の一部を下へ下へと削り取って、造院したことがよくわかる。草刈の女性たちが、午前中の仕事を終えて、引き上げるところである。
 
 

夏野原廃墟の岩屋巡る旅

 

Summer field,
a journey to the cavern temple of ruins.

なつのはら はいきょのいわや めぐるたび

 第32窟はジャイナ教窟。ジャイナ教はガンタ・ナータプッタが紀元前6世紀頃布教した宗教で、釈迦とほぼ同時代にインドで広まった宗教である。ガンタ・ナータプッタは尊称で「ジナ」と呼ばれており、ジャイナは「ジナの教え」という意味。ジナは「マハヴィーラ」の尊称で呼ばれることもある。
 
 

涼しげに眠れる女神岩の中

 

The goddess sleeping pleasantly cool
in a rock.

すずしげに ねむれるめがみ いわのなか

 彫り掛けの顔。岩の中から今にも出て来そうな女性の顔である。時間が千年止まったようで、エローラの撮影の中では大好きな一枚で、ここに紹介させて頂だいた。

「エローラ石窟寺院」 2005.8.22 撮影:丹下誠司

第4窟本尊の近撮

第4窟本尊の近撮

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エローラ石窟群と滝

エローラ石窟群と滝

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エローラ第10窟の螺髪の仏陀

エローラ第10窟の螺髪の仏陀

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エローラ第12窟の観音菩薩三尊像

エローラ第12窟の観音菩薩三尊像

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魔王と戦うヴィシュヌ神

魔王と戦うヴィシュヌ神

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エローラ第16窟の遠景

エローラ第16窟の遠景

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エローラ第32窟の彫り掛けの顔

エローラ第32窟の彫り掛けの顔

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2008年12月13日(土)

 平成20年(2008)7月5日(土)、北海道の江差町で開催された「かもめ島まつり」の一環として行われた厳島神社の「瓶子岩(へいしいわ)のしめ縄飾り」の神事を取材した。
 人口約1万の江差町は、北海道檜山支庁(ひやましちょう)中部の日本海に面した町で、檜山支庁所在地である。町名の由来はアイヌ語の「エサシ」(昆布の意)から。江差追分(えさしおいわけ)発祥の地として知られる。

俺が濱縄綯ふ今日は夏祭

My beach, today is our summer festival
making ropes.

おらがはま なわなうきょうは なつまつり

 午後0時半から厳島神社の氏子である漁民たちが前浜で新しい注連縄を綯(な)う作業を行い、重さ500kg を超える大注連縄を作った。
 瓶子岩は鴎(かもめ)の巣となっていて、まだ飛べない雛鳥(ひなどり)がいるため、事前に大きなタモ網で捕獲して保護し、注連縄の換装作業が終わると、元の位置に戻す手はずとなっている。

瓶子岩雛の護りを夏鴎

Heishi Rock, the summer seagull
defending her baby bird.

へいしいわ ひなのまもりを なつかもめ

 今から400年ほど前に創建された厳島神社の祭礼ではあるが、いつ頃から瓶子岩に注連縄が掛けられるようになったのかは分かっていない。江差観光コンベンション協会によると、昭和の初めに注連縄飾りを写した写真があることから、少なくとも80年ほど前から行われていた神事であることは間違いないという。
 しかし、昭和になって初めて行われたと考えるのは不自然であり、江差が最盛期を迎えた江戸時代から航海の安全と大漁を祈願して行われていたものと推測したい。
 

夏の海奇岩の注連張白褌

 

Summer sea, hanging a sacred straw
rope on a strange rock,
wearing white fundoshi sash.

なつのうみ きがんのしめはり しろふどし

 江差追分は北海道指定の無形民俗文化財で、江差町が発祥の北海道を代表する民謡である。江戸時代中期以降に生まれ、信濃の追分節に起源があるとするのが定説だという。「姥神大神宮渡御祭と江差追分」として北海道遺産に選定されている。
 江差追分は、信濃国・追分宿(おいわけしゅく)の馬子唄(まごうた)が北前船の船頭たちによって伝わったものと、越後の松坂くずしが謙良節(けんりょうぶし)として唄われていたものが融合したものとされる。現在の江差追分の原形として大成させたのは、寛永年間、南部国の出身で謙良節の名手であった座頭の佐之市だったといわれている。
 

夏磯辺奇岩に紙垂を褌衆

 

Summer beach, men of loincloth hanging
strips of white paper on the strange rock.

なついそべ きがんにしでを ふどししゅう

 新しい注連縄がかけられたあと、鴎の雛鳥を元の位置に放し、「瓶子岩しめ縄飾り」の作業が終わった。この後、北海道指定無形文化財の「松前神楽」の流れをくむ「江差神楽」の奉納が行われ、格調高い神事で終結した。
   筆者は、函館に2年ほど単身赴任していたが、江差には何度か足を運んだことがある。江差追分やソーラン節など、海の男たちを讃える民謡がこれほど多いのは、当時、蝦夷(えぞ)と呼ばれた北海道が水産王国であることを示すものである。
   江差は、江戸時代に発展した漁村で、北前船が数多く入港して栄えた。司馬遼太郎の名作「菜の花の沖」では、高田屋嘉兵衛が船主船長として当時最大の1500石(こく)積みの辰悦丸(しんえつまる)に乗って松前に上陸し、やがて箱館(函館)を拠点として蝦夷の海産物を兵庫に運び、巨万の富を築く様子が鮮明に描かれている。
   当時の北前船の乗組員は今でいう外航航路の花形船員で、最下級の炊(かしき)(飯炊き)ですら緋色(ひいろ) の絹を平織りにして作った緋縮緬の褌を締めていた。
 

鴎鳴く江差が海の夏祭

 

Seagulls singing,
the summer sea festival at Esashi.

かもめなく えさしがうみの なつまつり

 鰊(ニシン)漁にわいた当時、北前船の航海安全や漁船の大漁と安全操業を祈願して、瓶子岩(へいしいわ)に大注連縄が張られるようになったものと推測されるが、現代も海の若者たちが先祖代々の伝統行事を忠実に受け継いでいることに感動する。かつての漁師たちは、神事には白褌(しろふんどし)、漁に出るときは赤褌(あかふんどし)と、きちんと使い分けていたことだろう。

★☆★彡

 今回3年分の写真の中から良く撮れているものを抜粋して作品化した。2006年が一番良く撮れていたので、その画像を中心に構成した。鴎の雛の保護・返還の写真は、2008年が良く撮れており、一ページ目の見出し写真に採用したが、漁師たちの優しさに感動した。

「江差・瓶子岩しめ縄飾り」 2008.7.5

よじ

りながら

大注連縄おおしめなわ

に編み上げる

捩りながら大注連縄に編み上げる

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ひな

を護る親鴎

雛を護る親鴎

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9人の海の若者たちで行われる裸の神事

9人の海の若者たちで行われる裸の神事

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大注連縄おおしめなわ

の完成

大注連縄の完成

新しい

大注連縄おおしめなわ

瓶子岩へいしいわ

新しい大注連縄の瓶子岩

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2008年12月9日(火)

 平成20年(2008)4月13日(日)から5月5日(月)まで、カミさんと金婚の記念旅行を企画し、手作りでアメリカ二人旅を楽しんだ。

春の海クイーンメリーが終の宿

Spring sea, Eternal port for Queen Mery.

はるのうみ クイーンメリーが ついのやど

 全長300m以上もある船体は、岸壁に固定されホテルに転身している。大きな駐車場はガラガラ、まだ観光シーズンには早いようだ。珍しい花々が咲き乱れている。クイーンメリーと岸壁との間には旧ソ連の潜水艦が繋がれ、10ドルで見学できる。アメリカは面白い国だなと感じた。なお、クイーンメリーの乗船入場料は18ドルである。ところが4階がレストラン街になっていて、入場は無料。岸壁にタワーがあり、エレベーターで4階にあがると船体への連絡橋があり、そこから船内に入るのである。そこはボートデッキで、船橋から船尾まで約200mの木甲板である。

春山路地球の年輪刻む谷

Mountain path in spring,
the valley showing the traces
of the history of the earth.

はるやまじ ちきゅうのねんりん きざむたに

 フーバーダムから先は片側1車線となり、高度も8,000フイートとなる。14:00停車、第1の展望所に到着、20分間だけ。眺望があまりにも大きすぎ感動が起こらない。ここが直立した崖の上で、直下は1,000m下の谷だと書いてあっても全く実感が湧かないのである。恐ろしくも何ともない。コロラド川の対岸の高さは、こちら側と同じ高さで全く凹凸がなく横一直線に見える。太陽が高い位置にあり、陰影が少なく、物足りない光景だった。
 

暮れなずむダウンタウンの春の燭 

The lingering glow in the evening sky,

 

the spring lights of downtown.

くれなずむ だうんたうんの はるのしょく

サンフランシスコの夜景は世界3大夜景だそうで、カミさんが楽しみにしていた。マーケット大通りの突き当たりの山、ツイン・ピークスからの眺めがコイト・タワーからの眺めより良いと聞き、そこへいくことにした。
 カリフォルニア州東部にあるヨセミテ峡谷は1851年陸軍歩兵連隊の踏破で世に知られるようになり、今では年間400万人が訪れる人気の高い国立公園である。アクセスは鉄道、長距離バス、空路でマーセドへ、ここからはマイカー、 ヤーツ・バス又はレンタカーでヨセミテ・峡谷に入ることができる。夏季はフレズノからジャイアント・セコイヤのマリポサ・グローブに行くことができる。中央の山がパックリ半分に割れ残っているのがハーフドーム、North Face というブランドもののシンボルになっているところ。私のリュックもノース・フェイスだ。
 

岩山のハーフドームに残る雪

Remaining snow on the Half Dome

 

of the rocky mountain.

いわやまの ハーフドームに のこるゆき

 国連ビル、グラウンド・ゼロ、エンパイア・ステート・ビルディングなどはどうかなあと考えたあげく、一番に高いところから眺めて、土地勘を養えるエンパイア・ステート・ビルディング(ESB)に行くことにした。バス停を探してウロウロするより歩こうということになり、8番街から5番街まで42丁目通りを東へ、33丁目まで南である。2キロ弱である。
 
 

春川の久遠の流れ摩天楼

  Skyscrapers,

 

everlasting flow of the spring river.

はるかわの くおんのながれ まてんろう

 ビルの入口は、なんの変哲もないが歩道に人が並べるように囲いのロープが張ってある。とにかく、高層ビルだらけで、いくら首を曲げて上をみても、ビルの壁が空に伸びているだけ。実に空が狭い。

「春のアメリカ二人旅」 2008.12.9 撮影:今村一憲

豪華客船クイーンメリー RMS Queen Mary

豪華客船クイーンメリー RMS Queen Mary

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幾重にも断崖絶壁が列なるグランドキャニオン

幾重にも断崖絶壁が列なるグランドキャニオン

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ツインピークスから見たサンフランシスコの夜景

ツインピークスから見たサンフランシスコの夜景

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マーセド川よりハーフドーム Half Dome を臨む

マーセド川よりハーフドーム Half Dome を臨む

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パノラマのニューヨーク市街/ESBから東方を臨む

パノラマのニューヨーク市街/ESBから東方を臨む

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2008年12月1日(月)

 平成20年(2008)11月23日(日)の大安吉日に東京都港区白金台(しろかねだい)の八芳園(はっぽうえん)で濱崎家と井上家との教会式結婚式が開かれた。新郎は私の甥で、妹の長男・濱崎達矢(たつや)くん(27歳)、新婦は井上希(のぞみ)さん。親族として結婚式場に入ることが出来たので、現在日本で行われている典型的な洋風結婚式を激写した。

秋の宵チャペルの友が紙吹雪

The autumn evening,
confetti by the friends at the chapel.

あきのよい ちゃぺるのともが かみふぶき

 ライスシャワーは、ゲストがチャペルから出て来る新郎新婦にライス(米/こめ)を降りかける儀式である。米は豊かな恵みと子孫繁栄の象徴とされており、両人の今後の豊かな人生と子宝に恵まれることを祈るものである。近年は、ライスに代えて、より華やかなフラワーシャワーやペーパーシャワーが好まれている。

「日本の結婚式」 2008.12.1 撮影:和田義男

友人たちのフラワーシャワー

友人たちのフラワーシャワー

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2008年11月28日(金)

 平成20年(2008)8月16日(土)、岩手県盛岡市で盆の送り火の行事として知られる北上川の「舟っこ流し」が開催されたので、毎年伝統の赤褌(あかふん)姿で参加している仙北二丁目自治会を密着取材した。

竜頭舟赤褌どもが夏川原

A summer boat with a dragon-head,
Guys of red loincloth at the river shore.

りゅうずぶね あかふんどもが なつがわら

 精霊流し(しょうりょうながし)は、8月16日の送り盆の日に死者の魂を弔って灯籠(灯篭)や精霊舟(しょうりょうぶね)、お盆の供え物などを川や海に流す仏教の送り火の行事である。盛岡の「舟っこ」と呼ばれる流し舟(流舟)も精霊舟の一種で、北上川の「舟っこ流し」は、精霊流しの行事である。
 仙北二丁目自治会の流し舟は、竜頭(りょうとう/りゅうとう)を付けた長さ5mほどの木造舟で、霊塔と町内の物故者を弔う戒名札を搭載し、吹き流しや提灯などで飾られている。
 仙北二丁目自治会の流し舟は、午後4時15分頃、赤褌の男衆に担がれて北上川原の会場に到着し、所定の位置に据え付けられた。

暮れなずむ北上川の祭舟

The lingering glow in the evening sky,
ritual boats on the Kitakami river.

くれなずむ きたかみがわの まつりぶね

 合同法要のあと、参加団体の流し舟が順番に北上川に入り、次々に点火されて、紅蓮の炎を上げ、午後6時半頃まで、先祖を送る精霊流しが繰り広げられた。入水の順番は、毎年ずれて行くように調整されているという。両岸に集まった観衆らは、祖霊を弔い、無病息災を祈りながら、流れゆく舟が炊きあげられてゆく様子を見守った。
 午後5時40分頃、仙北二丁目自治会の番となり、応援に駆けつけた祭り愛好者を含む約20人が流し舟を担ぎ上げ、北上川に入水した。伝統の裸文化を絶やさないよう、毎年、こだわりの赤褌姿で登場する男たちの晴れ舞台である。
 8月16日午後5時45分、両岸の大勢の見物人の注目を集める中、火付役が仙北二丁目自治会の流し舟に点火すると、竜頭舟はあっという間に炎上し、北上川の水面は紅蓮(ぐれん)の炎で染められた。
 江戸時代から脈々と続けられている盛岡の「舟っこ流し」は、それぞれの町内会が創意工夫を凝らしており、竜頭舟の竜口から煙火が噴き出たり、ロケット花火や爆竹・煙幕などが仕掛けられた派手な演出が特徴で、見物人の目を楽しませてくれる。
 

夏川を紅蓮に染むる流舟 

 

The drifting boat
dying the summer river crimson red.

なつかわを ぐれんにそむる ながしぶね

 仙北二丁目自治会では、昨年から導火線を瞬火線に代えて、花火の点火時期を調整するなど、流し舟の炊き上げの演出に工夫を凝らしているという。
 夕闇迫る北上川で燃え盛る「舟っこ」はとても美しく、火だるまとなった姿は、まるで飛翔する火の鳥のようである。
 

火の鳥の如き川舟送り盆

 

Bon festival of the dead,
The river boat like a firebird.

ひのとりの ごときかわぶね おくりぼん

 流し舟が終った後、午後6時半から7時半頃まで灯籠流しがあり、午後7時から7時半まで花火が打ち上げられた。「舟っこ流し」が終わると、盛岡は一足早い秋の気配が漂い始める。

「盛岡舟っこ流し」 2008.8.16

北上川に担ぎ込まれた流し舟

北上川に担ぎ込まれた流し舟

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流し舟の進水

流し舟の進水

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深みに進む流し舟

深みに進む流し舟

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火焔をはく竜頭舟  17:46

火焔をはく竜頭舟

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火の鳥となった流し舟  17:47

火の鳥となった流し舟

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2008年11月24日(月)

 広島県呉市にある家内の実家に滞在中、素晴らしい秋晴れに恵まれた平成18年(2006)10月27日、足の向くままに電車やフェリーを乗り継ぎ、終日広島の名所旧跡を巡った。

秋光の跨虹橋なる白アーチ

Autumn sunlight,
the white arch named Kokohkyo.

しゅうこうの ここうきょうなる しろあーち

 最初に訪れたのは、広島城の東方約500mに位置する広さ50,995.66m2の縮景園(しゅっけいえん)である。この庭園は、広島藩主浅野長晟(あさの・ながあきら)が、元和(げんな)6年(1620)から別邸の庭園として築成させたもので、作庭者は茶人として知られる家老の上田宗箇(うえだ・そうこ)である。
 濯纓池(たくえいち)の中央にかけられた跨虹橋(ここうきょう)は、池の南北を結ぶ石造りの太鼓橋で、縮景園を象徴する名橋である。優美であると共に堅固で、原子爆弾の破壊を免れた。
 七代藩主重晟(しげあきら)が京都の名工に二度も築き直させたものといわれ、東京・小石川後楽園の円月橋や京都・修学院離宮の千歳橋にも似た大胆奇抜な手法が駆使されている。

天高し縮景園ののっぽビル

High sky of autumn,

the tall building of Syukkei-en.

てんたかし しゅっけいえんの のっぽびる

 この庭園は、明治27年(1894)に日清戦争が勃発すると、広島城に置かれた大本営の副営とされた。昭和15年(1940)浅野家はこの庭園を広島県に寄付し、同年7月国の名勝に指定され、一般公開されるようになった。
 広島市中央公園に隣接する史跡・広島城は、広島県広島市中区基町(なかく・もとまち)にある城郭で、鯉城(りじょう)ともいう。広島城の境内全域が広島城址公園(ひろしまじょうしこうえん)となっており、復元された大天守は、歴史博物館として利用されている。
 広島大本営は、明治27年(1894)に勃発した日清戦争の戦争指揮にために広島城内に設置された最高統帥機関である大本営である。
当時の国家元首である明治天皇がこの大本営に滞在したほか、臨時の帝国議会も広島で開催された。明治維新以降、首都の機能が一時的にせよ東京から離れた唯一の事例である。
 

菊日和大本営の大天守

An ideal day for chrysanthemum

 seeing, The large castle tower

 

of the Imperial General Headquarters.

きくびより だいほんえいの だいてんしゅ

 第二次世界大戦末期の昭和20年(1945)8月6日午前8時15分17秒、アメリカ合衆国空軍爆撃機 B-29 エノラ・ゲイ号が広島県広島市にMk-1核爆弾リトルボーイを投下した。
 これは実戦で使用された世界初の核兵器による都市攻撃であり、都市を対象とした爆撃では史上最大級の規模であった。この爆弾一発により市街地は潰滅し、一般市民十数万人を殺害した人類史上類を見ない大虐殺であった。
 原爆死没者慰霊碑に納められる「原爆死没者名簿」は、関係者の申し出により毎年書き加えられている。記載数25万8310人(2008年8月現在)は広島市により確認された死没者総数である。
 

天高し原爆ドームの慰霊塔

 

The high sky,
The cenotaph to see the A-Bomb Dome.

てんたかし げんばくどうむの いれいとう

 厳島(いつくしま)とも呼ばれる宮島は、古代から神聖視されており、江戸時代以来、日本屈指の観光地として栄えてきた。現在では人口1800人余りの島に、年間300万人近い参拝客や観光客が訪れる。
 海上に浮かぶ大鳥居と社殿で知られる厳島神社は、平安時代末期に平清盛が厚く庇護したことで大きく発展した。社殿・廻廊ともに国宝に指定されており、数多くの美術工芸品や武具類が奉納されている。
 

天高し海の拝殿大鳥居

 

The high sky,
The big torii gate to the hall
of worship on the sea.

てんたかし うみのはいでん おおとりい

 中でも清盛が奉納した「平家納経」は、平家の栄華を天下に示すものとして豪華絢爛たる装飾が施されており、日本美術史上特筆すべき作品の一つとされる。厳島神社は平成8年(1996)に世界遺産に登録された。
 本社火焼前(ひたさき)より88間(160m)の海面にそびえる朱塗りの大鳥居は、奈良の大仏とほぼ同じ高さ16.8m、重量は約 60ton。主柱は樹齢 500〜600年の楠木(くすのき)自然木で作られており、8代目にあたる現在の鳥居を建立するにあたっては、巨木探しに20年近い歳月を要したという。
 

秋や安芸五重塔の島の町

 

Autumn in Aki,
The island town
of the Five-storied Pagoda.

あきやあき ごじゅうのとうの しまのまち

 大鳥居は、根元が海底に埋められているわけではなく、そのまま着床している。鳥居上部の箱形の島木にこぶし大の玉石約7トンを詰めて重石(おもし)にし、自重のみで固定されている。

「秋の広島散策」 2006.10.27 撮影:和田義男

濯纓池たくえいち

に架かる

跨虹橋ここうきょう

濯纓池に架かる跨虹橋

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近代建築と伝統庭園

近代建築と伝統庭園

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風格ある広島城の大天守

風格ある広島城の大天守

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原爆死没者慰霊碑と原爆ドーム

原爆死没者慰霊碑と原爆ドーム

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満潮の厳島神社

満潮の厳島神社

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厳島伽藍いつくしまがらん

の町

厳島伽藍の町

パノラマ写真(2000x960)555KB

★彡 日本初の写真俳句 ★彡

. 俳句「海の風景」文頭
 
2008年8月15日(金)晴   kinuko   様より

南ドイツの旅 残暑お見舞申し上げます 南ドイツの旅の画像有難う御座いました。爽やかな田園風景素晴らしいですね ロマンチック街道の麦畑等は見て居るだけで暑さを忘れさせます。

今回も即吟で沢山句を詠まれて居ますね どれを取っても素晴らしいです 和田先生はブログで写真俳句を出されたら如何でしょうか? お忙しいと思いますが俳句を詠んで居る人達がきっと喜んでくれると思います。有難う御座いました。
 
おはようございます。写真俳句のご提言有り難うございます。ご主旨は、単独のブログをということだろうと拝察していますが、既に「俳句・海の風景」という英訳付き写真俳句を発表しておりますので、単独のブログと代わりません。

朝日新聞のアスパラ塾がメジャーで、森村誠一さんの著書もありますが、最初に写真俳句をはじめたのは私ですし、英語俳句もあわせたものは、世界広しといえども他に例がありません。既に850句ほどになり、これからも旅にあわせて拙句を発表してゆきたいと思っていますので、ご期待下さい。有り難うございました。

東京 2007年12月29日 旅と俳句 60歳という還暦を迎えた平成19年(2007)は、1月1日の「509 初景色亥年還暦浪漫旅」からはじまり、第15集706句の「観世音秋桜揺るる散歩道」まで、約200句を創った。当面の目標である1000句まで、そんなに遠い道のりではなくなった。お陰様でアクセス件数も9万件を超えた。大変有り難いことだと思う。私は怠け者なので、どうしても発句しないといけない状況に追い込まれないと俳句が作れない。Wa☆Daフォトギャラリーというinternetのホームページに発表の機会があったからこそ、ここまで歩いてくることが出来た。

それだけではない。旅をしたからこそ、色々なテーマに向かって17文字の世界一短い詩を考え、自分なりの世界を築くことができた。旅の作品には、自分の写真であれ、感動写真集作者の写真であれ、必ず俳句を付けるというルールをいつのまにか作り、自分に厳しくそのノルマを課したからこそ、700句という俳句が生まれた。作品の編集途上の通勤電車の中で、どの写真にどのような俳句を付けようかと考え、発句した。通勤鞄の中には「季寄せ」が入っている。それで季語を検索しながら、写真にふさわしいものをひねり出していった。「吟行」というスタイルがある。私は、旅の現場では撮影に夢中になっているので、吟行する余裕がない。私の吟行は、JR青梅線河辺駅から中央線新宿駅までの1時間10分の通勤電車の中である。

駄作が多いことは百も承知している。しかし、素人の自分がこゝまで歩んでこれたのは、Wa☆Daフォトギャラリーという日本一のフォトギャラリーが生まれたお陰である。感動写真集の多くの仲間や、リピーター客、Googleという勝手に宣伝してくれる検索エンジン会社など、予期せぬ幸運と偶然と声援と、少しばかりのアイデアに支えられたからだろう。「自己顕示欲が強い男だ」という陰口があることも想像できる。しかし、自分の一生は一度しかチャンスがない。「
Going my way」「継続は力なり」を信条に、来年も自分をアピールし、自己満足と少しだけの社会貢献ができることを信じて、歩き続けよう。

英訳は骨の折れる作業である。なぜ英訳するのかと自問すれば、「誰もやっていないから」という答えしかない。英文俳句も700句を超えたのは凄いことだと、自分を誉めてやりたい。気力体力の続く限り、来年もマイペースで歩いてゆこう。明日には、未知の何かが起こることを期待して・・・。


東京 2007年7月2日 旅と感性 本日、第13集をアップ、北欧の旅シリーズの第一弾「夏のコペンハーゲン」の8句を追加した。既に600句を超え、数は順調に増えているが、レベルが上がったかどうかについては、写真技術ほどの上達はないというのが実感である。芥川龍之介は生涯約600の俳句を残しているという。質的には雲泥の差があるとしても、少なくとも量的には彼を上回ったことになり、とても愉快である。

いつの頃からか
和田フォトの作品には自作の俳句を必ず載せることをルールとしてきた。半ば義務として、疲れた身体に鞭打って、通勤電車の中で、使い慣れた角川の季寄せとメモ帳を広げ、思索にふける。朝の寝ぼけた部分が残る頭でも、ロマンと感動をタップリと受けた旅の記憶から実景が鮮明に蘇り、楽しい創作タイムが始まる。

旅は、感性を刺激する。世界の情景の前に、次々と発句が生まれる。湯水のようにとは行かないが、それでもどんどんできる。その中から良さそうな句を選び、推敲する。これが苦しいが、良い文句が絞り出せたときのうれしさは格別である。旅をしなければ、頭に浮かぶ情景は貧しく、生まれる詩句もまた貧しいだろう。そう思うと、「旅に出ることで感性に磨きがかかる」ということに気がついた。私のような才能に乏しい凡才でも、旅を続けることで、沢山シャッターボタンを押して、まぐれの名作を切り取ることができ、また、俳諧の世界でもまぐれに良句が生まれることがある。「旅は感性を育てる」からだろう。けだし名言だと自画自賛!(^^;

ともあれ、「継続は力なり」を信じて、これからも駄作を大量に詠んで行こう。そのうち何かがあることを信じて・・・。


東京 2007年1月2日
 俳句の目的と効用 2006年12月13日(水)、12年かかって500句目の俳句「広州の瑠璃の館の秋寂びぬ」をアップした。俳句「海の風景」は、50句づつ束ねて10集が完成し、11集目に入った。「フォトギャラリーに俳句は必要か。」「俳句の英訳はなぜ?」「褌の俳句を続けるのはなぜ?」などと自問しながら、「継続は力なり」を信条に、ここまでやってきた。「駄作ばかりで、進歩していないのではないか。」とも思う。それは多分そうかも知れない。

しかし、俳句にはたった17文字で写真では表現できない余韻や深みや浪漫がある。読者の解釈如何で、味わいがいかようにも変化する。俳句のお陰で、簡潔明瞭な文章が書けるようになった。英訳付き俳句や褌句は、裸祭りシリーズのように誰もやっていないジャンルである。どんなテーマでもよいから誰もやっていないことをやること自体に意義があり、手間暇かかるが、自慢となり、歓びとなる。迷ったときは、前向きに進むのが正解だと信じ、これからも1000句を目指して、一歩々々歩いてゆくことにする。そのうち、なにかが見えてくるに違いないことを信じて・・・。


東京 2005年8月15日
 継続は力なり 二年前の盆休みに句集のコメントを記載してもう2年経つ。今日、300句を超えたため、一集を50句単位にしているので、第七集を追加した。最近は、毎日100人前後のゲストがあり、俳句も手を抜けなくなった。五年間で5万件を超え、リピーターも増えている。フォトギャラリーに説明文を加え、BGMを設定し、そして俳句を挿入するという作業は、大変だが、馴れてしまうと結構楽しいものだ。

 下手な俳句も、たまには自己満足できるものが増えてきた。何より、英訳を施すことで、俳句の意味がより鮮明になり、深みを増してくるように思う。英訳も最近はコツを覚え、どう訳して良いか分からないようなことはなくなった。英訳できないような句はあり得ないし、あったとすればそれは悪首なのだろう。俳句に写真と英訳をつけ、解説する。このような構成の句集は私以外には存在しない。

 「海の風景」というタイトルも、陸に上がった河童となってしまった今では、ふさわしくないかも知れないが、せめて、カバー写真だけでも海の風景を入れて続けていきたいと思う。どこまで続くか分からないが、「継続は力なり」を信じて、やれるところまでやってみたい。


東京 2003年8月16日
 「俳句海の風景」の継続 8月の盆休みで日本列島は里帰りのシーズンだ。今週は会社全体が夏休みなので、私も休みを取っているが、東京は雨続きで、外出ができない。一日中、家の中で過ごしている。お陰で、未編集の作品を数本、一気に仕上げてアップすることができた。また、これまでの作品に手を加えたりして、時間を有効に使っている。

 
俳句「海の風景」は、50句を束ねてアップしており、既に第4集に入っている。今年の4月に神戸から東京に転勤となり、海の句が殆どなくなってしまった。タイトルを修正しようかとも考えたが、既に2年を超えるシリーズとして定着しており、タイトルは従来のままとすることにした。

 世界の旅の写真館としてWa☆Daフォトギャラリーはこれからも歩み続けてゆくが、それとともに、この俳句も続けてゆきたい。そして、英訳と写真とをあわせて添えてゆく。このような試みは私しかやっていないと思う。かなり骨の折れる作業であるが、やる価値はあると思う。


神戸 2002年8月11日
 暑い夏が続いている。昨日は夏休みの帰省ラッシュのピークを迎えた。おかげさまで、Wa☆Daフォトギャラリーも無事に二周年を迎え、毎月一万件のアクセスをいただけるサイトに成長した。一周年記念として始めた俳句「海の風景」も未だに続いており、遂に百句を超えてしまった。読み返してみると、駄作もあるが、なかなか良い句だと自慢したくなるような作品もある。

 徒然日記を書くごとに折々の俳句を挿入し、それを俳句「海の風景」に写し、英訳と解説文を加えてきた。この作業もかなり大変だが、何とか続けてきた。俳句は本来のフォトギャラリーとは必然性のないコンテンツではある。しかし、映像と17文字の言葉の違いこそあれ、情景を写し取ることには違いがない。むしろ情報過多の映像より、シンプルな文字の方が味わい深いこともあるのではないだろうか。私の拙句をそれなりに楽しみにして下さる読者もおられるようで、励ましのmailをいただくと、止められなくなる。写真の方も風景写真から始まって祭りや花の写真まで手を広げてビッグサイトになってしまったが、今更引き返すこともできない。これからも情熱と体力の続く限り、現在のコンセプトで進んでいきたい。
 

神戸 2001年7月29日 平成13年4月1日、広島から神戸に赴任。俳句は、相変わらず月に一回うつみ会に7句を投句し、高橋三洋子先生の添削と講評を受けている。いわば通信教育という形で続いており、先生のご厚意に感謝申し上げる。

 昨年7月から個人のホームページ・Wa☆Daフォトギャラリーを始めて1年余りになる。アクセス13,000件を突破し、すっかり軌道に乗ってきた。そこで一周年記念として、これまで徒然日記の冒頭に折々の俳句を載せてきたので、それを集めて、俳句「海の風景」というタイトルにまとめ、それに写真とコメントを付けてみた。また俳句の英訳もつけた。英訳にも意訳が入り、イメージの広がりが期待できる。

 まだまだ素人の域を出ていないが、当ホームページのビジターに海の素晴らしさや季節感などを画像と同様に感じとっていただければ有り難い。わずか17文字でイメージ(画像)を表現できれば幸いだ。これまで海で仕事をしてきた経験を生かし、海の風景を一幅の絵のように切り取ってみたい。これが作者のテーマでありコンセプトである。ただ、海の句に限定したわけではないので、折々の身近な風景を適宜織り込んでいきたい。

パノラマの神戸の港春霞

風光る館の空に風見鶏

Panoramic view
of Port Kobe
in the spring haze.

A weathercock on the roof
under sky
with a glistening wind.


広島 2000年4月23日
 平成12年4月1日、函館から広島に赴任した。友人から勧められ、俳句同好会「うつみ」に入会、月一の例会に出ることになった。仕事の合間を見て俳句づくりに専念する毎日が始まった。稚内在任中から俳句を創作していたので、ある程度の自信があるが、句会に出席し、先生に講評を仰いだり、添削を受けるのは初めてである。少し緊張するが、楽しみながら自然流で俳句をつくりたい。先生の俳号は高橋三洋子で、正岡子規の弟子である高浜虚子の流れを汲むという。種田山頭火のような自由律の俳句ではなく、古典派ともいうべき俳句で、キチッとした季語が必要であり、自然で平易なものでなければならないと教わった。

白藤や水面に鯉の浮き沈み

草鞋揺る仁王門より遍路発つ

Carp sink and float
to the surface
under white wisteria.

Pilgrims started
 thorough Deva gate
on which straw sandals swinging. 


稚内 1994年3月26日
 平成6年は吹雪で明けた。日本最北端の地・稚内市に来て一年足らずであるが、現在貴重な冬の体験を積みつつある。窓の木枯らしを聞きながらテレビで正岡子規のドキュメント・ドラマを見ていたら、ふと、この稚内市を中心とした宗谷の出来事を点描してみたら面白いのではないかと思った。今まで俳句などというのは創ったことがないが、挑戦するのも楽しいのではないか。稚拙ではあるが、北国の思い出をファイルする趣旨で詠んでみたところ、アッという間に百首を越えてしまった。思ったより簡単である。粗製濫造気味ではあるがこれからも続けたい。俳号は日本最北端の地にちなんで北舟とした。

正月や昆布拾いの海人ふたり

流氷の接岸告げる尾白鷲

Two fishermen
pick up kelp
on New Year's Day.

A white-tail eagle signals
the arrival of drift ice
to the coast.

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