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★★★  ようこそ 写真俳句の世界へ! ★★★

Wa☆Daフォトギャラリー  和田北舟の俳句  

2011年5月7日改訂

今 日

昨 日

♪メドレー Kevaisessa Metsassa・Voi Niita Tuntia Tuhansia
(春の森にて・おお千年の時よ)/ 白夜の響き(カンテレ・バイオリン)

潮の香や波に揉まるる神輿かな  北舟

拡大写真(2000x1370)446KB

A sea smell, a portable shrine
 being tossed about by the waves.

2001年7月16日制作

ヨットと海中神輿

 

ヨットと海中神輿/江ノ島八坂神社(神奈川県藤沢市)

 
 
  
 
 
   

 

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2008年8月17日(日)

 平成20年(2008)7月26日(土)、埼玉県新座市(にいざし)に鎮座する大和田氷川神社(おおわだ・ひかわじんじゃ)の神幸祭(じんこうさい/しんこうさい)「大和田はだか神輿」(平成14年新座市指定無形民族文化財)を取材した。

大和田の白褌神輿杜社

A village shrine in a grove,
the white fundoshi mikoshi of Ohwada.

おおわだの びゃっこんみこし もりやしろ

 大和田氷川神社の別当寺である福寿山普光明寺の二七世法印覚園和尚が文政2年(1819)に記した「鎮守縁起并祭礼之条目」によると、氷川神社は今から約1200年前の延暦21年(802)に建立された歴史ある神社である。
 毎年7月末の金・土に行われる大和田氷川神社の夏祭りは、神社が再建された享和3年(1803)に神輿を担ぐ祭礼が始まったと伝えられ、200年以上の歴史がある。
 

荒神輿白ふんどしのジャンピング

 

The rough mikoshi,
white fundoshi loincloths jumping.

あれみこし しろふんどしの じゃんぴんぐ

  はだか神輿の担ぎ手は、白足袋に白の一反晒(約10mの晒木綿)の褌・腹巻を締め込み、帯紐(おびひも)のない白法被(しろはっぴ)をはおるが、神輿を担ぐときは法被を丸めて肩に乗せ、担ぎ棒が直接肩にあたらないようにする。褌姿で神輿を担ぐところから、いつしか「はだか神輿」と呼ばれるようになり、その勇壮な様から「荒神輿(あれみこし)」とも呼ばれるようになった。
 大和田の荒神輿は、平台造り、台輪3尺8寸、金色延屋根、擬宝珠(ぎぼし)、屋根紋三つ巴各面3個。神輿の重量は240kgほど。飾り綱は紫色太綱大房で各面に鈴が2個づつ付けられており、この鈴が神輿揉みの開始の合図に使われる。
 

万緑の宮が舞台の荒神輿

 

The rough mikoshi
at the stage of shrine full of green.

まんりょくの みやがぶたいの あれみこし

 緑滴る鎮守の杜のクスノキの大木の下で褌一丁の男たちが2時間にわたって境内をかけ巡りながら神輿練りを繰り返す。200年前から続く夏祭りが変質することなく今に再現されていることに、ロマンと感動を覚えるのは筆者だけではないだろう。
 神輿には二本の担ぎ棒(本棒)に「とんぼ」と呼ばれる両翼の短い添棒がある。神輿の鈴が鳴らされ、「そら揉め〜!」の号令で神輿揉みがはじまると、左右のとんぼが交互にしゃがんだり飛び上がったりして神輿を左右に大きく揺らし、本棒はそれを支える動作を繰り返す。この荒技から荒神輿(あれみこし)といわれるようになった。
 右がジャンプしているときは、左の本棒に神輿のすべての重さがかかり、歯を食いしばって支える姿は悲壮でもある。まれに支えきれず、神輿が潰れることがある。今回は4時間の間に数度腰砕けがあった。

大和田の玉汗踊る荒神輿

The rough mikoshi
of heavy sweat dancing at Ohwada.

おおわだの たまあせおどる あれみこし

 2時間の町内渡御を終えた氷川神社の荒神輿は、午後9時ころ参道の赤鳥居を通過。ここから神輿を担いで全力で走りながら宮入りする。後半2時間の幕開けである。
 午後9時から11時までが後半の部で、広い境内で数度の休憩を取りながらたっぷりと神輿練りが奉納された。
 

荒ぶれば神も喜ぶ神輿揉み

 

Rough mikoshi carrying,
 the more the gods rejoice.

あらぶれば かみもよろこぶ みこしもみ

 4時間に及ぶ神輿練りは、いよいよ最後の段階に入った。神輿を担ぐ男たちは、全身汗と泥にまみれながら、歯を食いしばって最後の力を振り絞っていた。何ともいえない壮絶な姿である。
 午後9時過ぎ、祭典実行委員の再三の指示でやっと神輿練りが終わり、御霊還し(みたまがえし)の儀が行われた。宮司が祝詞奏上(のりとそうじょう)の後、マスクをして神輿から御霊を拝殿奥の本殿にお還しし、神事が終った。
 最後に加藤良明・氏子会長から無事に夏祭りを終えることができたことの謝辞があり、全ての行事が終了した。

「大和田の荒神輿」 2008.7.26 撮影:和田義男

神前に神輿を進める男たち 18:54

神前に神輿を進める男たち  18:55

拡大写真(2000x1500)555KB

ジャンピング神輿

ジャンピング神輿

拡大写真(2000x1500)390KB
拝殿に向かう神輿

拝殿に向かう神輿

拡大写真(2200x1650)504KB
大和田囃子の前で神輿揉み 21:35

大和田囃子の前で神輿揉み

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最後の頑張り! 22:45

最後の頑張り!

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2008年8月12日(火)

 ディンケルスビュールは、フランケン高地の南東部・ヴェルニッツ川沿いに位置する。この町のモットーである「川と草地のロマンティック」は、その特徴をよくあらわしている。

夏草や今に残りし町の壁

Summer grass,
the town wall remained until now.

なつくさや いまにのこりし まちのかべ

 ロマンチック街道のハイライトとしてドイツ観光の目玉商品となっているローテンブルクは、正式には「ローテンブルク・オプ・デア・タウバー」(タウバー川の上方にあるローテンブルク)という。
 町の起源は9世紀まで遡り、最初の城壁は12世紀に完成。17世紀の三十年戦争の頃まで自由都市として栄えた。現在も中世の面影をほぼ完璧に残している町として、世界文化遺産に登録されている。

夏木立巡る市壁の幾百年

  Summer trees,
the city wall surrounding

for hundreds years.

なつこだち めぐるしへきの いくひゃくねん

 夕方になると、マント姿に角笛(つのぶえ)(ホーン)を首に下げ、武器とランプを手にした夜警がマルクト広場の市庁舎前に現れる。中世には町を守っていた夜警だが、現在は観光客へのサービスが仕事である。町の要所を巡り、独特の語り口で昔話をして楽しませてくれる。
 

中世の角笛聞こゆ夏の夕

 

Summer evening,
hearing a blow of medieval horn.

ちゅうせいの つのぶえきこゆ なつのゆう

 フランケン地方の中心都市で、ロマンチック街道の北の起点であるヴュルツブルクの歴史は古く、紀元前1000年頃には、既にケルト人がマイン川沿いに城砦を築いていたという。7世紀に聖キリアンがこの地で殉教を遂げると、8世紀には司教座が置かれ、歴代の司教領主の下で町は発展していった。
 

夏の空守護聖人のおわす橋

 

Summer sky,
a patron saint on the bridge.

なつのそら しゅごせいじんの おわすはし

 「若きヴェルテルの悩み」「ファウスト」などで知られるドイツの文豪ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテは、1749年にフランクフルトで生まれた。皇帝顧問官であったヨハン・カスパール・ゲーテを父とし、フランクフルト市長の娘であったカトリーヌ・エリーザベト・ゲーテを母としていたため、当時のゲーテ家は、フランクフルトでも屈指の名家であった。
 このゲーテの生家は、第二次世界大戦の爆撃によって、ほぼ完全に破壊されてしまったが、戦後、忠実に復元された。調度品は、疎開させていたため、戦災を免れることができたという。
 

やはらかき夏日染み入る書斎かな

 

Gently the summer sun shines,
deep into the library.

やわらかき なつびしみいる しょさいかな

 ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ(1749年8月28日 - 1832年3月22日)はドイツの詩人、劇作家、小説家、科学者、哲学者、政治家。特に文学において優れた作品を多く残し、シュトゥルム・ウント・ドラング*とヴァイマル古典主義**を代表する作家。ドイツ語では[gø:tə](oeはöと同義文字で、グーテ)と発音する。

「南ドイツの旅・下」 2008.6.17-18 撮影:和田義男

城壁の前の壕/ディンケルスビュール

城壁の前の壕/ディンケルスビュール

拡大写真(1800x1200)494KB

ローテンブルク北東部とマルクト広場

ローテンブルク北東部とマルクト広場

パノラマ写真(2000x1050)475KB

中世のホーン(角笛)を吹く夜警/ローテンブルク

中世のホーン(角笛)を吹く夜警/ローテンブルク

拡大写真(1600x900)151KB

ヴュルツブルクの守護聖人キリアンの像

ヴュルツブルクの守護聖人キリアンの像

拡大写真(1600x1130)275KB
ゲーテの書斎/フランクフルト

ゲーテの書斎/フランクフルト

拡大写真(1800x1325)403KB
 
 

 


  
 

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2008年7月26日(土)

 平成20年(2008)7月13日(日)、梅雨の合間に、湘南・江ノ島の夏祭りとして知られる江島神社(えのしまじんじゃ)の末社・八坂神社(やさかじんじゃ)で例大祭(江ノ島天王祭)が開かれた。

シャンギリの錫杖の音島祭

An island festival,
sounds of tin sticks of Shangiri.

しゃんぎりの しゃくじょうのおと しままつり

 朝9時半から行われた神事の後は、恒例の郷土芸能「シャンギリ」が奉納された。高張り提灯を先頭に錫杖(しゃくじょう)、小太鼓、三味線、横笛、大太鼓と続き、神輿の周りを三度廻った後、神輿を先導して下山する。

緑陰やシャンギリ三味に笛太鼓

The shade of trees,
flutes drums shamisens of Shangiri.

りょくいんや しゃんぎりしゃみに ふえたいこ

 

緑陰やシャンギリの輪の廻りたる

 

The shade of trees,
a circle of shangiri going around.

りょくいんや しゃんぎりのわの まわりたる

 半纏を羽織った男たちによって神輿が担がれ、シャンギリや猿田彦などの先導に続いて宮出しが行われた。氏子たちは、汗だくになりながら、狭くて急な参道を慎重に下って行った。
「シャンギリ」の団扇(うちわ)形手持小太鼓が珍しい。日蓮宗などで使われる団扇太鼓は、皮張り1枚の小太鼓だが、こちらは薄い胴の両面張り太鼓である。この太鼓のミニチュアの両側に紐で玉をつけたものが子供の玩具として知られる「でんでん太鼓」で、持ち手を左右に回転させることで玉が太鼓の膜に当たり、音を発する。
 

江ノ島の急坂下る旅神輿

 

A portable shrine on a trip,
going down the steep slope of Enoshima.

えのしまの きゅうはんくだる たびみこし

 翌13日の夕刻、ルートヴィヒ II 世は精神科
医のグッデンと散歩に出かけたまま行方不明
になり、捜索の結果、午後11時過ぎ、二人は
シュタルンベルク湖で溺死体で発見された。
 

下山道そろりそろりと神輿舁

 

A mountain path,
slowly and prudently
mikoshi carriers going down.

げざんどう そろりそろりと みこしかき

 毎年7月14日に近い日曜日に行われる八坂神社の天王祭は「かながわの祭り50選」にも選ばれているもので、午前中、島の人々が列をなして天王囃子という里神楽の優雅な調べを奏でるなか、江島神社辺津宮から宮出しされた神輿が参道を練り、弁天橋付近で裸形となった氏子たちに担がれて海に入る。
 氏子たちは、囃子船による天王囃子の調べにあわせ、浮きつ沈みつ揉み合い、勇壮な禊が行われる。その後一旦上陸し、午後から対岸の腰越(こしごえ)・小動神社(こゆるぎじんじゃ)の神輿と龍口寺(りゅうこうじ)から合同渡御に入り、ゆかりの小動神社まで渡る。
 

水褌を締めて神輿の海に入る

 

Wearing swimming fundoshi,
the portable shrine goes into the sea.

すいこんを しめてみこしの うみにいる

 

海坂に向かふ神輿や白ふどし

 

White fundoshi-loincloths,
the portable shrine
going to the sea horizon.

うなさかに むかうみこしや しろふどし

 参道入口で、神輿の胴に保護のための晒布が巻かれ、飾り綱が古いものに取り替えられ、丸太の担ぎ棒が取り付けられたあと、午前11時から白褌(しろふんどし)一丁の男たちに担がれた神輿は、湘南の海に入り、大勢の観客が見守る中で海の渡御が行われた。
 

潮の香や波に揉まるる神輿かな

 

A sea smell, a portable shrine
being tossed about by the waves.

しおのかや なみにもまるる みこしかな

 

海渡る天王祭の褌衆

 

Guys of fundoshi-loincloths,
Tennoh Ritual going in the sea.

うみわたる てんのうさいの ふどししゅう

 

夏の海白ふんどしの蛙跳び

 

Summer sea,
leapfrogs with white fundoshi-loincloths.

なつのうみ しろふんどしの かえるとび

 

江ノ島の白褌神輿海の渡御

 

A portable shrine
of white fundoshi-loincloths,
going in the sea off Enoshima.

えのしまの びゃっこんみこし うみのとぎょ

 

江ノ島のどっこい神輿褌の白

 

The white of the fundoshi-loincloths,
Dokkoi mikoshi of Enoshima island.

えのしまの どっこいみこし こんのしろ

 この作品を発表するに当たり、江ノ島天王祭の裸神輿を白褌神輿(びゃっこんみこし)と呼ぶことにした。全国を見ても白褌一本だけの裸形(らぎょう)で神輿を担ぎ、海中を渡御する裸祭りは見当たらず、白褌神輿と呼ぶにふさわしい伝統ある神聖な行事であると感じ入ったからである。
 

磯の香の神輿を洗ふ恵み雨

 

Mercy rain washing
a portable shrine of sea smell.

いそのかの みこしをあらう めぐみあめ

 歩行者天国の道路で、消火栓から引いた消防用のホースから勢いよく水が吹き出ていた。海水に浸かった神輿を真水で潮抜きするためである。裸の男たちは、恵みの雨とばかり、目を開けられないほどの強いシャワーを頭から浴びていた。
 

潮抜の清水に烟る神輿かな

 

The portable shrine looks dim
in the fresh water
washing seawater away.

しおぬきの しみずにけぶる みこしかな

 午後の神幸祭がユニークなのは、江ノ島電鉄(江ノ電)の路面電車が走る道路(併用軌道)を渡御することである。
 電車がやってくると、雑踏警備の警察官や警備員が赤色信号棒を振り、警笛を吹き鳴らす。これは全員白線の外側に退避せよという合図。江ノ電は、神輿集団の間を徐行しながら走って行く。
 この珍しい光景を見たさにやってくる観光客も多いという。
 

江ノ電を遣り過ごしをり神輿舁

 

Mikoshi carriers letting a Enoden go past.

えのでんを やりすごしおり みこしかき

 江ノ島天王祭は、朝の神事と下山、白褌一丁による海渡御、午後の神幸祭と、神輿1基をフルに活用し、海の民(たみ)の祭りにふさわしい彩り豊かな夏の祭典に仕上がっている。暑いなかを一日中、町内を練り歩く忍耐と熱意に感動した一日でもあった。

「江ノ島白褌神輿」 2008.7.13 撮影:和田義男

郷土芸能「シャンギリ」の奉納  10:05

郷土芸能「シャンギリ」の奉納

拡大写真(2000x1500)594KB

三味線・横笛・大太鼓

三味線・横笛・大太鼓

拡大写真(1600x1250)565KB

狭い石段を下る神輿

狭い石段を下る神輿

拡大写真(1350x1800)449KB

沖に向かう白褌神輿

沖に向かう白褌神輿

拡大写真(2250x1500)614KB
次々と海に飛び込む裸たち

次々と海に飛び込む裸たち

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神輿に水を浴びせる神職たち

神輿に水を浴びせる神職たち

拡大写真(2000x1500)422KB
海から上がる白褌神輿  11:30

海から上がる白褌神輿

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恒例の潮抜きシャワー!

恒例の潮抜きシャワー!

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白線の外側に退避する神輿渡御

白線の外側に退避する神輿渡御

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2008年7月17日(木)

 ドイツ南部のシュヴァーベン高原の裾野に標高855mの円錐状の山があり、その頂上にホーエンツォレルン家発祥の地であるホーエンツォレルン城がある。遠くからでもよく見えるそのシルエットは、場所と天候により、違った表情を見せる。

山城や裾に広がる麦畑

  The mountain castle,

wheat fields lying in the lower slopes.

やましろや すそにひろがる むぎばたけ

 現在の城は、19世紀後半にノイシュヴァンシュタイン城と同時期に建てられた三度目の城で、重厚な存在感は見る者を圧倒する。この場所からおよそ1,000年にわたって栄えた名門ホーエンツォレルン家の歴史が始まった。
 ノイシュヴァンシュタイン城は中世風の城だが、築城は19世紀後半のこと。政治には一切関心がなく、築城オタクといわれるバイエルン国王ルードヴィヒII世(1845-1886)が17年の歳月と巨費をつぎ込んで建てた白亜の美しい城である。見る方角によって姿かたちが変わるロマンあふれる名城として名高い。

山裾の白亜の城や夏夕べ

Summer evening,
a white castle on the foothills.

やますその はくあのしろや なつゆうべ

 ノイシュヴァンシュタイン城のグランドデザインを任されたのは、城郭建築の専門家ではなく、宮廷劇場の舞台装置や舞台美術を専門にしていた画家だったというのも驚きで、この城は中世の騎士道を崇拝するルードヴィヒII世が、こだわりをもって完成させたワーグナーのオペラの舞台に似合う趣味の城に他ならない。
 

新緑の谷間に聳ゆ白亜城

 

A white castle,
rising high over the fresh green valley.

しんりょくの たにまにそびゆ はくあじょう

 1866年に起こったプロイセン王国とオースト
リア帝国との普墺戦争(ふおうせんそう)の結
果、プロイセンに対して損害賠償を抱えてい
たバイエルン政府は、これに危機感を募ら
せ、ルッツ首相らは、ルートヴィヒ II 世を形ば
かりの精神病鑑定にかけ、1886年6月11日
の深夜、統治不能としてノイシュヴァンシュタ
イン城で拘束し、翌12日の朝、シュタルンベ
ルク湖畔のベルク城に軟禁した。
 

ひっそりと十字架の立つ冬の湖

 

A winter lake, the cross stands quietly.

ひっそりと じゅうじかのたつ ふゆのうみ

 翌13日の夕刻、ルートヴィヒ II 世は精神科
医のグッデンと散歩に出かけたまま行方不明
になり、捜索の結果、午後11時過ぎ、二人は
シュタルンベルク湖で溺死体で発見された。
 ルートヴィヒ II 世の死亡が確認されると、そ
の日の内にノイシュヴァンシュタイン城の工事
は中止され、未完成部分が多く残されたま
ま、城と内部は一般公開されるようになった。
 

キリストの白き涙や青時雨

 

White tears of Christ,
the shower for fresh green leaves.

きりすとの しろきなみだや あおしぐれ

 ヴィースのどかな草原の小高い丘の上に建つヴィース教会(ヴィースの巡礼教会)は、1745年から1754年にかけて建てられた教会で、外観は平凡だが、ロココ様式の内部の装飾がヨーロッパ随一といわれている。

 1738年、ある農家の夫人がシュタインガーデン修道院の修道士が彫った「鞭打たれるキリスト」の木像をもらい受けたところ、6月14日、そのキリスト像が涙を流したという。

 この噂は「ヴィースの涙の奇跡」として広まり、巡礼者が農家に集まるようになった。そのため1740年にこの木像を牧草地の小さな礼拝堂に移したが、巡礼者は増える一方だった。そこでシュタインガーデン修道院が先頭に立ち、一般から浄財を募るなどして建設資金を捻出し、1754年に完成したのがヴィース教会である。
 

ヨーデルに廻る踊り子ビヤホール

 

A beer hall, dancers rotating for yodel.

よーでるに まわるおどりこ びやほーる

 ホーフブロイとは宮廷ビール醸造所という意味で、かつてはバイエルン王室の御用醸造所だった。現在のホーフブロイハウスは、16世紀にあった位置にある。かつて、アドルフ・ヒットラーがこのビアホールで演説を行っている。

 ここは、ミュンヘンの夜に欠かせない最大の観光名所。一階は木の長イスと長テーブルがずらりと並んでいる。天気の良い日は中庭のビアガーデンもオープンする。バンドの演奏もある。二階はレストラン、三階は1200席の大フロアで、陽気なショーを楽しむ団体客で賑わう。

「南ドイツの旅・中」 2008.6.15-6.16 撮影:和田義男

山城とヘッヒンゲンの麦畑

山城とヘッヒンゲンの麦畑

拡大写真(1800x1300)521KB
街道から臨むノイシュヴァンシュタイン城

街道から臨むノイシュヴァンシュタイン城

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谷間に建つノイシュヴァンシュタイン城

谷間に建つノイシュヴァンシュタイン城
パノラマ写真(2350x1100)566KB

ルートヴィヒII世の十字架 / シュタルンベルク湖

ルートヴィヒII世の遺体が発見された場所に立つ十字架 / シュタルンベルク湖

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撮影:松井公代

血まみれのキリスト像に白い涙が・・・

血まみれのキリスト像に白い涙が・・・

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ホーフブロイハウスの陽気なダンス

ホーフブロイハウスの陽気なショー

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2008年7月2日(水)

 平成20年(2008)6月12日(木)から19日(木)までクラブツーリズムが主催する「ドイツハイライト8日間」に参加しツアーディレクター(T.D. 添乗員)武内滝子さんの案内で、実質6日間、初夏の南ドイツの旅を満喫した。

アルプスをあつめて早しライン川

  The Rhine River

is rapid, gathering the Alps.

あるぷすを あつめてはやし らいんがわ

 ライン川は、例年6月から7月にかけてアルプスの雪融け水で増水し、流れが速い。
 我々が乗船した遊覧船は、KDラインKöln-Düsseldorfer Rheinschiffahrt の定期観光船アスバッハ号 MS Asbach (全長68m 最大旅客搭載人員600名)。

夏の川ラインの古城みぎひだり

  Summer river,

Old castles of Rhine on both sides.

なつのかわ らいんのこじょう みぎひだり

 オーバーヴェーゼルの山上には、シェーンブルク城が聳える。この城は12世紀の頃に建築された後、帝国の公使に与えられ、17世紀にフランスのルイXIV(14)世の軍に破壊されるまでその所有が続いた。
 ローレライは、ライン川中流のザンクト・ゴアースハウゼンの上流(南方)右(東)岸にそびえ立つ高さ132mの巨岩の呼名である。このあたりは川幅が狭く湾曲し、かつては浅瀬が多かったことから航海の難所であったが、現在は岸辺まで浚渫されて安全に航行できるようになり、ライン名勝のエピックとなっている。
 この岩山は古来より山彦を起こすことで知られ、古名〈ルーレライ〉は〈待ち岩〉を意味し、こだまを岩(ライ Lei )のそばで待ちうける(ルーレン lauern)という意味の〈ルーレンライ〉に由来する命名という。
 

急流のライン下りや夏木立

Summer trees, Going down

 

the Rhine of strong current.

きゅうりゅうの らいんくだりや なつこだち

 ツアー3日目の午後、クロアチアに入り、イ
ストラ半島の陸と島が繋がった陸繋島(りくけい
とう)
のロヴィニィに入り、宿泊。良く4日目、ロ
ヴィニィを見て回った。ここは古くはルビニウ
ムと呼ばれた歴史ある町で、ベネチア共和国
時代の16世紀から急激に発展した。
 ロヴィニィの町は、岬の部分に造られ、かつ
ては城壁を巡らせて要塞化されていた。旧市
街は丘の上にあり、頂上には聖エウフェミヤ
教会が建っている。
 

夏草やベートーヴェンの生家あり

 

Summer grass,
the house where Beethoven was born.

なつくさや べーとーう゛ぇんの せいかあり

 ボンにはベートーヴェンが生まれた家が残されており、ベートーヴェンの家として一般公開されている。屋内にはベートーヴェンが日常使っていたハンマークラビアなどの楽器や、巨大な角(つの)型の補聴器、ペンや旅行用携帯机、時計やステッキ、直筆の手紙などが展示されている。特に今でいうピアノはどれも音が低く、夜の練習でも苦情が来ないように配慮されていたのには驚いた。
 

夏空に槍の突き立つ大聖堂

 

A huge church, spears sticking out
towards the summer sky.

なつぞらに やりのつきたつ だいせいどう

 ケルンにあるケルン大聖堂は、世界文化遺産に登録されているゴシック様式の大聖堂で、正式名称は、ザンクト・ペーター・ウント・マリア大聖堂 Dom St. Peter und Maria という。ゴシック様式の建築物としては世界最大であり、現在はカトリック教会の管理下にある。
 

万緑の山の廃墟や石の城

 

A stone castle,
the ruins on a fresh green mountain.

まんりょくの やまのはいきょや いしのしろ

 

夏遊山崩れしままの石の城

 

Summer excursion,
a collapsed stone castle left as it is.

なつゆさん くずれしままの いしのしろ

  世界遺産のハイデルベルク城は、プファルツ国を治める選帝侯の居城として使われた。ドイツでは、1386年の金印勅書で7人の選帝侯によってドイツ皇帝が選ばれることになった。中でもプファルツ選帝侯は筆頭の地位にあり、ドイツ皇帝が不在のときは代理を務め、戦争の指図や貨幣を鋳造する権利を持ち、帝国議会の裁判長を務めたという。

「南ドイツの旅・上」 2008.6.12-6.14 撮影:和田義男

急流のライン川/アスマンスハウゼン(右岸)

急流のライン川/アスマンスハウゼン(右岸)
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シェーンブルク城/オーバーヴェーゼル(左岸)

シェーンブルク城とリープフラウエン教会/オーバーヴェーゼル(左岸)
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急流でS字カーブのローレライ付近

急流でS字カーブのローレライ付近

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ベートーベンが住んでいた家

ベートーベンが住んでいた家

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大聖堂の側面

大聖堂の側面

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補修が進むハイデルベルク城(世界文化遺産)

補修が進むハイデルベルク城(世界文化遺産)

拡大写真(1800x1150)596KB

 ハイデルベルク城は建造された年代により、ゴシック、ルネッサンス、バロックなど様々な様式が混じっている。徐々に修復されてはいるが、倒壊したままの巨大な塔を目の当たりにすると、戦争の激しさに思わず身震いしてしまう。
 
 
 
  
 

 
  
 

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2008年6月11日(水)

 平成19年(2007)4月20日(日)から5月1日(木)まで、朝日サンツアーズ主催の「クロアチア・スロヴェニア・モンテネグロの旅12日間」に参加し、かつて欧州の火薬庫といわれたバルカン半島西部の三ヵ国を旅した。

薫風や湖の教会離れ島

Fresh breezes,
A church on a solitary island in a lake.

くんぷうや うみのきょうかい はなれじま

 ブレッドは、スロヴェニアを代表する観光地で、氷河により生まれたブレッド湖が有名。湖畔の岩山にはブレッド城が建つ。また、ドイツのクリームケーキ Cremeschnitte が元となったクレムナ・レジナ kremna rezina と呼ばれるケーキでも知られる。
 ブレッド湖には、周囲約6kmを3時間で一周できる遊歩道が整備されており、絵のように美しい景観をゆっくりと散策しながら楽しむことができる。ブレッド城の背面にはユリアン・アルプスの最高峰、標高2,864mのトリグラフ山がその偉容を誇っている。

夏兆す鍾乳洞の針千本

Early summer,
Thousands of needles in a limestone cave.

なつきざす しょうにゅうどうの はりせんぼん

 ヨーロッパ最大の大きさを誇るポストイナ鍾乳洞は、中世から付近の住民には知られていたが、1818年に初めて調査隊が入り、その全容が明らかにされると、スロヴェニア有数の観光地となり、現在では、毎年80万人の観光客で賑わっている。
 

夏空や光優しきアドリア海

 

Summer sky,
Gentle sunlight on the Adriatic Sea.

なつぞらや ひかりやさしき あどりあかい

 ツアー3日目の午後、クロアチアに入り、イ
ストラ半島の陸と島が繋がった陸繋島(りくけい
とう)
のロヴィニィに入り、宿泊。良く4日目、ロ
ヴィニィを見て回った。ここは古くはルビニウ
ムと呼ばれた歴史ある町で、ベネチア共和国
時代の16世紀から急激に発展した。
 ロヴィニィの町は、岬の部分に造られ、かつ
ては城壁を巡らせて要塞化されていた。旧市
街は丘の上にあり、頂上には聖エウフェミヤ
教会が建っている。
 

緑玉の湖水に垂れる滝の糸

 

Threads of the falls
onto the emerald waters of the lake.

りょくぎょくの こすいにたれる たきのいと

 ツアー5日目はクロアチアの首都ザグレブ
の南方110kmほどにあるプリトヴィッツェ湖群
国立公園に行った。
 プリトヴィッツェ湖群国立公園は、大小16の
湖と92ヵ所の滝を持つ風光明媚な観光スポッ
トで、1979年にユネスコの世界自然遺産に登
録された。
 エメラルド・グリーンに輝くプリトヴィッツェ川は、森の中を縫うように蛇行しながら静かに流れ、コラナ川との合流地点ではヴェリキ・スラップと名付けられた落差78mの滝となり、二つの川が一つの湖に流れ込む。
 

棚田湖や木道巡る滝詣

 

Shelf-like lakes,
Waterfall pilgrims on a wooden path.

たなだこや もくどうめぐる たきもうで

 ツアー8日目はドブロブニクを見学した。「アドリア海の真珠」と賞賛されるドブロヴニクは、クロアチア観光のハイライトで、オレンジ色で統一された屋根が並ぶ旧市街は高く重厚な城壁に囲まれており、どこから見ても絵になる美しい街である。
 ドブロヴニクは1991年のクロアチア独立とともにクロアチア領となったが、この時起こった内戦でユーゴスラビア連邦軍から攻撃を受け、甚大な被害を被った。そのときの破壊でドブロヴニクは「危機にさらされている世界遺産リスト」に掲載されたが、精力的に修復され、1994年にはリストから除外された。
 

夏の風城壁高き石の町

 

Summer winds,
A stone town of high wall.

くんぷうや ぶるとれはこぶ ゆめろまん

 ツアー9日目は、モンテネグロの世界遺産コトルに行った。 フィヨルドのコトル湾最奥部にある人口19,000人余りの港町コトルは、高度な航海技術を誇り、スラヴ諸国で最初の航海士学校が創立されるなどの歴史がある町である。
 

入江なすコトルの町や夏山路

 

Summer mountain path,
Kotor the town along an inlet.

いりえなす ことるのまちや なつやまじ

 コトル湾の暗礁の上に聖マリア教会がある。地元の漁師が暗礁で聖母マリアの絵を見つけたので、そこに教会を建てて祀ったというエピソードが残されている。漁師が隅田川で観音像を拾って祀ったという浅草寺の観音堂とよく似た話である。

「クロアチア感動の旅」 2007.4.20-5.1 撮影:南光 優

孤島の教会/ブレッド湖

孤島の教会/ブレッド湖

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針のような鍾乳石

針のような鍾乳石

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イストラ半島の陸繋島ロヴィニィ/クロアチア

イストラ半島の陸繋島ロヴィニィ/クロアチア

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クロアチア版白糸の滝!

クロアチア版白糸の滝!

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撮影:松井公代

棚田湖の滝

棚田湖の滝

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旧市街最高地点に建つミンチェタ要塞

旧市街最高地点に建つミンチェタ要塞

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湾奥から見たコトル湾

湾奥から見たコトル湾

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2008年5月29日(木)

 平成19年(2007)10月20日(月)から31日(金)までの12日間、Look JTB 「心ゆく旅 豪華列車ブルートレインを楽しむ迫力のビクトリアの滝と南アフリカ12日間」 に参加し、実質9日間、初夏の南アフリカの旅を満喫した。

金鉱のテーマパークや夏初め

Theme park on a gold mine
in early summer.

らいめいの とどろくすいえん にじのはし

 南アフリカ共和国、通称南アフリカ、略称南ア(なんあ)は、アフリカ大陸最南端に位置する国で、ナミビア、ボツワナ、ジンバブエ、モザンビーク、スワジランドと国境を接し、レソトを囲んでいる。首都はプレトリア。イギリス連邦Common Wealth 加盟国。
 ゴールド・リーフ・シティは、ヨハネスブルグの中心部から南に6kmに位置する金の採掘所跡地に建てられたテーマパークである。ジョージ・ハミルトンが1886年に金鉱を発見したことからこの町の歴史が始まった。
 ハミルトンは直ぐに所有権を現在のテーマパークの所有者クラウス・マイン社に譲ってしまったが、それが世界最大の金の埋蔵量を誇る金鉱だとは思いもよらなかった。

雷鳴の轟く水煙虹の橋

A bridge of rainbow,
Thundering cloud of spray.

らいめいの とどろくすいえん にじのはし

 ヨハネスブルグで一泊した後、翌10月22日(水)朝6時20分頃ホテルを出発し、空路ジンバブエのビクトリア・フォールズという名の町に行き、世界三大瀑布のひとつに数えられるビクトリアの滝(ヴィクトリア瀑布)を見学した。
 ジンバブエとザンビアの国境にあるビクトリアの滝は、ザンベジ川の中流にあり、最大幅が1,700m、最も深い滝壷は落差が108mある。北米のナイアガラの滝と南米のイグアスの滝と共に世界三大瀑布の一つに数えられる。
 アフリカの原住民によって「モシ・オ・トゥニャ」(Mosi-oa-Tunya 雷鳴の轟く水煙)と呼ばれていたこの滝に、1855年、イギリスの探検家デイビッド・リビングストン(1813〜1873)がヨーロッパ人として初めて到達し、イギリスのビクトリア女王にちなんで英称がつけられた。
 

瀧口に浸りし人の背中見ゆ

 

I saw the back of a man
bathing in the top of the cataracts.

たきぐちに つかりしひとの せなかみゆ

 人口約160万の小国・ボツワナ共和国(通称ボツワナ)は、南部アフリカの内陸に位置する国。南アフリカ、ナミビア、ジンバブエに囲まれた内陸国で、ツワナ系の人々が多く住む。ボツワナの西部はカラハリ砂漠に覆われており、北は湿地帯が広がる。中央部にはサバンナがあり、南部は殆どが砂漠化している。
 

夏入日野生王国茜色

 

Summer setting sun,
the kingdom of wilderness in red.

なついりひ やせいおうこく あかねいろ

 ボツワナ北東部にあるチョベ国立公園はボツワナで2番目に大きい国立公園で10,566
km2(四国くらい)の広さがある。
 チョベ国立公園は、ビクトリアの滝から近く、また、チョベ川の氾濫原を中心に多くの野生動物を観測することができるので、人気が高く、毎年、多くの観光客が訪れている。ツアー一行は、午後からチョベ川を遊覧するボート・サファリに参加し、沢山の野生動物を観察することができた。
 

チョベ川の金波輝く夏の暮

 

Summer nightfall,
golden waves shinning at Chobe River.

ちょべがわの きんぱかがやく なつのくれ

 10月26日(日)豪華列車ブルートレインの旅に出かけるため、朝6時45分ホテルを出発し、プレトリア駅に行った。南アフリカのブルートレイン(ブルトレ)は、行政首都プレトリアから南ア第2の都市ケープタウンまでの1,600kmを、26〜27時間・1泊2日で結ぶ豪華寝台列車である。ギネスブックにも、「世界一の豪華列車」と記載されている。
 

薫風やブルトレ運ぶ夢ロマン

 

Fresh breezes,
The Blue Train carries dreams
and romantic adventures.

くんぷうや ぶるとれはこぶ ゆめろまん

 ケープ半島 Cape Peninsula の付け根にある約300万人が暮らすケープタウンは、西ケープ州の州都であり、南アフリカ共和国の議会や政府機関が置かれている立法首都である。テーブル湾 Table Bay に面する港や世界的に知られるテーブル・マウンテン Table Mountain 、喜望峰 Cape of Good Hope などの観光資源に恵まれ、南アフリカの旅行者に最も人気のある都市である。
 

純白の雲のクロスや夏の山

 

The summer mountain,
snow-white cloth of clouds.

じゅんぱくの くものくろすや なつのやま

 テーブル・マウンテンを見上げると、丁度、テーブルクロス状の雲がかかっており、素晴らしい眺めだった。

「南アフリカの旅」 2007.10.20-31 撮影:松井 公代

民族衣装を纏った黒人たち

民族衣装を纏った黒人たち

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巨大な虹がかかるビクトリアの滝

巨大な虹がかかるビクトリアの滝

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危険な水遊び!

危険な水遊び!

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野生王国の日没 1/2

野生王国の日没 1/2

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野生王国の日没 2/2

野生王国の日没 2/2

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キャビン・アテンダントと共に

キャビン・アテンダントと共に

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雲が乗り越えるテーブル・マウンテン

雲が乗り越えるテーブル・マウンテン

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★彡 日本初の写真俳句 ★彡

. 俳句「海の風景」文頭

東京 2007年1月2日 2006年12月13日(水)、12年かかって500句目の俳句「広州の瑠璃の館の秋寂びぬ」をアップした。俳句「海の風景」は、50句づつ束ねて10集が完成し、11集目に入った。「フォトギャラリーに俳句は必要か。」「俳句の英訳はなぜ?」「褌の俳句を続けるのはなぜ?」などと自問しながら、「継続は力なり」を信条に、ここまでやってきた。「駄作ばかりで、進歩していないのではないか。」とも思う。それは多分そうかも知れない。

しかし、俳句にはたった17文字で写真では表現できない余韻や深みや浪漫がある。読者の解釈如何で、味わいがいかようにも変化する。俳句のお陰で、簡潔明瞭な文章が書けるようになった。英訳付き俳句や褌句は、裸祭りシリーズのように誰もやっていないジャンルである。どんなテーマでもよいから誰もやっていないことをやること自体に意義があり、手間暇かかるが、自慢となり、歓びとなる。迷ったときは、前向きに進むのが正解だと信じ、これからも1000句を目指して、一歩々々歩いてゆくことにする。そのうち、なにかが見えてくるに違いないことを信じて・・・。


東京 2005年8月15日
 二年前の盆休みに句集のコメントを記載してもう2年経つ。今日、300句を超えたため、一集を50句単位にしているので、第七集を追加した。最近は、毎日100人前後のゲストがあり、俳句も手を抜けなくなった。五年間で5万件を超え、リピーターも増えている。フォトギャラリーに説明文を加え、BGMを設定し、そして俳句を挿入するという作業は、大変だが、馴れてしまうと結構楽しいものだ。

 下手な俳句も、たまには自己満足できるものが増えてきた。何より、英訳を施すことで、俳句の意味がより鮮明になり、深みを増してくるように思う。英訳も最近はコツを覚え、どう訳して良いか分からないようなことはなくなった。英訳できないような句はあり得ないし、あったとすればそれは悪首なのだろう。俳句に写真と英訳をつけ、解説する。このような構成の句集は私以外には存在しない。

 「海の風景」というタイトルも、陸に上がった河童となってしまった今では、ふさわしくないかも知れないが、せめて、カバー写真だけでも海の風景を入れて続けていきたいと思う。どこまで続くか分からないが、「継続は力なり」を信じて、やれるところまでやってみたい。

東京 2003年8月16日
 8月の盆休みで日本列島は里帰りのシーズンだ。今週は会社全体が夏休みなので、私も休みを取っているが、東京は雨続きで、外出ができない。一日中、家の中で過ごしている。お陰で、未編集の作品を数本、一気に仕上げてアップすることができた。また、これまでの作品に手を加えたりして、時間を有効に使っている。

 
俳句「海の風景」は、50句を束ねてアップしており、既に第4集に入っている。今年の4月に神戸から東京に転勤となり、海の句が殆どなくなってしまった。タイトルを修正しようかとも考えたが、既に2年を超えるシリーズとして定着しており、タイトルは従来のままとすることにした。

 世界の旅の写真館としてWa☆Daフォトギャラリーはこれからも歩み続けてゆくが、それとともに、この俳句も続けてゆきたい。そして、英訳と写真とをあわせて添えてゆく。このような試みは私しかやっていないと思う。かなり骨の折れる作業であるが、やる価値はあると思う。

神戸 2002年8月11日
 暑い夏が続いている。昨日は夏休みの帰省ラッシュのピークを迎えた。おかげさまで、Wa☆Daフォトギャラリーも無事に二周年を迎え、毎月一万件のアクセスをいただけるサイトに成長した。一周年記念として始めた俳句「海の風景」も未だに続いており、継続は力なりで遂に百句を超えてしまった。読み返してみると、駄作もあるが、なかなか良い句だと自慢したくなるような作品もある。

 徒然日記を書くごとに折々の俳句を挿入し、それを俳句「海の風景」に写し、英訳と解説文を加えてきた。この作業もかなり大変だが、何とか続けてきた。俳句は本来のフォトギャラリーとは必然性のないコンテンツではある。しかし、映像と17文字の言葉の違いこそあれ、情景を写し取ることには違いがない。むしろ情報過多の映像より、シンプルな文字の方が味わい深いこともあるのではないだろうか。私の拙句をそれなりに楽しみにして下さる読者もおられるようで、励ましのmailをいただくと、止められなくなる。写真の方も風景写真から始まって祭りや花の写真まで手を広げてビッグサイトになってしまったが、今更引き返すこともできない。これからも情熱と体力の続く限り、現在のコンセプトで進んでいきたい。

神戸 2001年7月29日 平成13年4月1日、広島から神戸に赴任。俳句は、相変わらず月に一回うつみ会に7句を投句し、高橋三洋子先生の添削と講評を受けている。いわば通信教育という形で続いており、先生のご厚意に感謝申し上げる。

 昨年7月から個人のホームページ・Wa☆Daフォトギャラリーを始めて1年余りになる。アクセス13,000件を突破し、すっかり軌道に乗ってきた。そこで一周年記念として、これまで徒然日記の冒頭に折々の俳句を載せてきたので、それを集めて、俳句「海の風景」というタイトルにまとめ、それに写真とコメントを付けてみた。また俳句の英訳もつけた。英訳にも意訳が入り、イメージの広がりが期待できる。

 まだまだ素人の域を出ていないが、当ホームページのビジターに海の素晴らしさや季節感などを画像と同様に感じとっていただければ有り難い。わずか17文字でイメージ(画像)を表現できれば幸いだ。これまで海で仕事をしてきた経験を生かし、海の風景を一幅の絵のように切り取ってみたい。これが作者のテーマでありコンセプトである。ただ、海の句に限定したわけではないので、折々の身近な風景を適宜織り込んでいきたい。

パノラマの神戸の港春霞

風光る館の空に風見鶏

Panoramic view
of Port Kobe
in the spring haze.

A weathercock on the roof
under sky
with a glistening wind.

広島 2000年4月23日 平成12年4月1日、函館から広島に赴任した。友人から勧められ、俳句同好会「うつみ」に入会、月一の例会に出ることになった。仕事の合間を見て俳句づくりに専念する毎日が始まった。稚内在任中から俳句を創作していたので、ある程度の自信があるが、句会に出席し、先生に講評を仰いだり、添削を受けるのは初めてである。少し緊張するが、楽しみながら自然流で俳句をつくりたい。先生の俳号は高橋三洋子で、正岡子規の弟子である高浜虚子の流れを汲むという。種田山頭火のような自由律の俳句ではなく、古典派ともいうべき俳句で、キチッとした季語が必要であり、自然で平易なものでなければならないと教わった。

白藤や水面に鯉の浮き沈み

草鞋揺る仁王門より遍路発つ

Carp sink and float
to the surface
under white wisteria.

Pilgrims started
 thorough Deva gate
on which straw sandals swinging. 

稚内 1994年3月26日 平成6年は吹雪で明けた。日本最北端の地・稚内市に来て一年足らずであるが、現在貴重な冬の体験を積みつつある。窓の木枯らしを聞きながらテレビで正岡子規のドキュメント・ドラマを見ていたら、ふと、この稚内市を中心とした宗谷の出来事を点描してみたら面白いのではないかと思った。今まで俳句などというのは創ったことがないが、挑戦するのも楽しいのではないか。稚拙ではあるが、北国の思い出をファイルする趣旨で詠んでみたところ、アッという間に百首を越えてしまった。思ったより簡単である。粗製濫造気味ではあるがこれからも続けたい。俳号は日本最北端の地にちなんで北舟とした。

正月や昆布拾いの海人ふたり

流氷の接岸告げる尾白鷲

Two fishermen
pick up kelp
on New Year's Day.

A white-tail eagle signals
the arrival of drift ice
to the coast.

日本伝統俳句会 現代俳句協会 インターネット俳句会 俳句センター 帆船 俳句庵 see haiku here

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