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★★★  ようこそ 写真俳句の世界へ! ★★★

Wa☆Daフォトギャラリー  和田北舟の俳句  

2011年5月7日改訂

今 日

昨 日

♪早春賦・唱歌メドレー

初日の出海に赤褌躍動す  北舟

拡大写真(1600X1280)450KB

The first sunrise of the year,
Energetic guys of red loincloths at sea.

2001年7月16日制作

赤褌海水浴

撮影:市川 清

赤褌海水浴(白子海岸初禊/三重県鈴鹿市)

 

 
 


 

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2008年5月22日(木)

 平成20年(2008)5月2日(金)から5日(月)にかけて東京都中央区湊一丁目に鎮座する鐵砲洲稲荷神社(中川文隆宮司)で例大祭が開かれたので、弥生会の手配で神社近くのホテルに2泊し、密着取材することができた。

拝殿に幟連なる夏祭

A summer ritual,
Flags forming a line in the outer shrine.

はいでんに のぼりつらなる なつまつり

 中央区の地元有志が一丸となり、日本の誇る伝統芸能を現代の子供たちにも伝えてゆきたいとの一心から、昨年、「新富座こども歌舞伎」の会を立ち上げた。約半年の稽古を経て今年2月3日(日)に鐵砲洲稲荷神社の節分祭で初めて奉納。鐵砲洲祭では、5月4日(日)に初めての公演が行われた。

初見せのこども歌舞伎や夏祭

A summer festival,

Children's kabuki for the first time.

はつみせの こどもかぶきや なつまつり

 5月4日(日)午後、子供神輿の連合渡御が行われた。
 午後2時から神社境内で行われる連合渡御出発式にあわせて各町会の子供たちが担ぐ中小神輿が次々と宮入りしてきた。
 

神輿舁茜襷の奉仕隊

 

Portable shrine carriers,
Supporters of red sashes.

みこしかき あかねだすきの ほうしたい

 5月5日(月)、最大のイベントである6年ぶりの御本社神輿渡御の日がやってきた。
 御本社神輿の宮出し・宮入れは、全て弥生会の会員のみで行われる。午前9時、両襟に「弥生会」、背に「鉄砲州稲荷神社」の緑字をあしらった萌黄の半纏に、稲荷紋と巴紋に弥生会の丸文字を染め抜いた水色の鉢巻をキリリと締めた弥生会の会員により御本社神輿が担ぎ上げられ、宮出しが始まった。
 今年で10周年を迎えた弥生会は、平成10年(1998)、御鎮座1160年(2000)の記念事業の推進母体として発足。その後は鐵砲洲稲荷神社の繁栄と氏子地域の活性化、下町文化を次代の若者に継承することを目的に活動している。
 

わっしょいに波打つ神輿鐵砲洲

 

Teppouzu,
The mikoshi waving for 'Wasshoi!'.

わっしょいに なみうつみこし てっぽうず

 鐵砲洲祭は、東京の夏祭りの魁(さきがけ)となるもので、近年、新緑の瑞々しい初夏を飾る風物詩として定着し、多くの参加者や見学者を集めている。御本社神輿渡御では朝から晩まで「ワッショイ!、ワッショイ!」の掛け声と共に御本社神輿が氏子17ヵ町を巡幸する光景は圧巻だった。
 一行が神輿渡御の出発地点に到着すると、御本社神輿は台車から馬(神輿台)に降ろされ、午前10時過ぎから銀座八丁目東の中央区立銀座中学校が見える路上で、お祓いが行われた。
 神事が終わった午前10時20分過ぎ、御本社神輿は最初の担ぎ手である銀座八丁目東の氏子たちに担がれて、銀座中学校前を出発、隣接の銀座六・七丁目東に向かった。
 

御本社の六年ぶりの神輿渡御

Procession of the shrine-owned

 

mikoshi  since six years ago.

ごほんしゃの ろくねんぶりの みこしとぎょ

 銀座六・七丁目町会は旧木挽町(こびきちょう)六丁目・七丁目の昭和通りの東南側に位置する。六丁目は明治期に商工省の官庁があり、その流れで、日産自動車、電源開発といった大会社で占められ、また、七丁目は新橋演舞場や金田中(かねたなか)に代表される粋筋の料亭街が広がっている。
 このため、実際に住んでいる人は非常に少なく、町会員数は70人弱、住居の戸数は20戸を割っている。台輪寸法が2尺の町神輿は、昭和31年(1956)に完成。当時の先人達は、人口が減ることを念頭に、小振りだが豪華さを目指したという。
 

料亭の青竹靡く神輿渡御

 

Procession of the portable shrine,
Green bamboos bending
at the first-class restaurant.

りょうていの あおたけなびく みこしとぎょ

 中央区銀座四丁目にある歌舞伎座は、明治22年(1889)に開業した歌舞伎専用の劇場で、大正3年(1914)から松竹の直営劇場となった。火災や戦災に遭うなど様々な変遷があったが、昭和26年(1951)に座席総数1,866席を有する劇場として再建され、歌舞伎の殿堂と呼ぶにふさわしい風格を備えている。
 12時30分ころ、宮元の大神輿が歌舞伎座に到着した。御本社神輿は歌舞伎座前の道路で神輿差しをしただけで、直ぐに通過してしまい、あっけなかったが、宮元の大神輿は歌舞伎座の玄関まで乗り入れ、神輿を練り上げ、大いに盛り上がった。
 

歌舞伎座の八重の人垣神輿差

 

Huge crowd standing in rows,
 Raising a portable shrine
at Kabukiza theater.

かぶきざの やえのひとがき みこしさし

 明石町の地名は、万治元年(1658)の海手築地埋め立て完成後、播州国明石浜の漁師が幕府の許可を受けて移り住んだところからきたとの説と、明石浦の風景に似ていたとの二説がある。
 午後、カトマンズの町内は相変わらず霧が晴れなかったが、オプショナル・ツアーのエベレスト遊覧飛行のフライトにゴーサインが出た。
 明治元年(1868)東京府支庁があった明石町と船松町、十軒町の土地を分け合わせて上地し、外国人居留地となった。明治6年(1873)に居留地全体が新たに明石町と命名された。
 その後、明治32年(1899)に入舟町、新栄町、新湊町の一部がそれぞれ区画整理によって明石町に併合されて現在の町域となったという。
 

わっしょいの木霊すビルや神輿舁

 

Raising a portable shrine,
 'Wasshoi!' echoing
through the buildings.

わっしょいの こだますびるや みこしかき

 明石町は、居留地の影響もあり、文明開化の薫り高い史跡や江戸の旧跡があちこちに残されている。指紋研究発祥の地、米国公使館跡、電信創業の地、浅野匠頭屋敷跡、蘭学事始の地、慶應義塾開塾の地、芥川龍之介生誕の地など、都の重要文化財にも指定されている豊かな歴史の宝庫である。
 

宮入を送る提灯夏祭

 

The summer ritual,
Lanterns seeing off
the mikoshi returning.

みやいりを おくるちょうちん なつまつり

 御本社神輿は、鐵砲洲児童公園前で弥生会の会員にバトンタッチされたあと、宮前まで進み、神輿差しを行った後、午後6時55分、宮元町会の大神輿や大勢の観客に見送られながら無事に宮入りを果たした。
 

還御祭白装束の闇を行く  

 

Return-to-the-shrine ritual,
White clothing in the darkness.

かんぎょさい しろしょうぞくの やみをゆく

 5日(月)午後8時から、御本社神輿から神の御霊(みたま)を本殿にお還しする還御祭(御霊返し)が行われた。
 お祓いのあと、神輿庫や境内の全ての照明が消されると、白衣にマスク姿の中川宮司により御本社神輿の御霊が厨子に入れられ、三宝に載せられた。宮司一行は一旦南門から外に出て、改めて正門から境内に入り、拝殿から本殿に上がって御霊が還御された。

「江戸っ子!鐵砲洲大祭」 2008.5.4-5 撮影:和田義男

敬神婦人会・宮附・宮頭・弥生会による正式参拝

敬神婦人会・宮附・宮頭・弥生会による正式参拝

パノラマ写真(2000X900)405KB
新富座こども歌舞伎「

三人吉三巴白浪さんにんきちさ ともえのしらなみ

新富座こども歌舞伎「三人吉三巴白浪

拡大写真(1550x1000)243KB
神社を出発する宮元子供中神輿

神社を出発する宮元子供中神輿

拡大写真(1600X1150)417KB
弥生会による御本社神輿の宮出し

弥生会による御本社神輿の宮出し

拡大写真(1800x1350)617KB
祝詞のりと を奏上する中川宮司/銀座八丁目東

祝詞を奏上する中川宮司/銀座八丁目東

拡大写真(1400X1050)352KB
料亭「金田中」を通過/銀座六・七丁目東 2008.5.5 10:55

料亭「金田中」を通過/銀座六・七丁目東

拡大写真(1400x1050)440KB
宮元の神輿差し

宮元の神輿差し

拡大写真(2000x1500)636KB
聖路加タワーの下を進む御本社神輿

聖路加タワーの下を進む御本社神輿

拡大写真(1050x1400)343KB
宮元神輿に見送られながら宮入する御本社神輿

宮元神輿に見送らて宮入する御本社神輿

拡大写真(2000x1300)576KB
暗闇の中を正門から還御

暗闇の中を正門から還御

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2008年5月2日(金)

 平成20年(2008)4月23日(水)、晴天に恵まれ、東北新幹線とツアーバスを利用して、東北随一の桜の名所として知られる青森県弘前(ひろさき)市の弘前公園に行った。

花篝弘前城の咲き揃ひ

Lanterns at Hirosaki castle,
The cherry blossoms at their best.

はなかがり ひろさきじょうの さきそろい

 弘前公園では、みちのくの名城として知られる史跡・弘前城を中心に、ソメイヨシノなど約2,600本の桜が満開で、午後5時から7時半まで広い園内をゆっくりと散策した。
 夜景は、日没から完全に暗くなるまでの間が絶好の撮影チャンスである。参加したツアーはその点を十分に考慮したもので、徐々に暗くなってゆく城内の様子をじっくりと撮影することができた。

花篝逆さ天守に下乗橋

Lanterns for the cherry blossoms,
Gejo bridge to the inverted donjon.

はなかがり さかさてんしゅに げじょうばし

 角館は、元和6年(1620)この地方を領していた角館城主・芦名義勝(あしな・よしかつ)によって造られた町である。豊かな仙北平野の北部に位置し、玉川と桧木内川(ひのきないがわ)に沿い、三方を山々に囲まれた地形は、城下町を形成するのに最も適した場所だった。
 北側に位置する武家町は広い敷地に深い木立が覆い、南の商人町は家屋がびっしりと埋まって対照をなしており、380年余りたった現在も藩政時代の町割りが大きく変わらずにそのまま残っている。角館はいにしえの歴史が今に息づく町である。

角館桜堤の果て知らず

Kakunodate,
No one knows
the end of the cherry tree dike.

かくのだて さくらづつみの はてしらず

 会津若松市は、福島県西部の会津地方に位置する人口約19万人の中核都市。江戸時代には会津藩の城下町として盛え、現在は歴史上悲劇の舞台となった鶴ヶ城(若松城)や白虎隊などで知られる。
 文久2年(1862)、会津藩主松平容保(まつだいら・かたもり)は京都守護職に任ぜられ、尊王攘夷派の志士の取締りや京都の治安維持を担ったが、長州藩を初めとする倒幕派の恨みを買うことになった。慶応4年(1868)、戊辰(ぼしん)戦争が勃発すると、会津藩は攻撃の対象とされた(会津戦争)。新政府軍は若松城下にまで侵攻し、城が炎上したと見誤った白虎隊が飯盛山(いいもりやま)で自刃するなどの悲劇が起き、城下町の大半が灰燼に帰した。

鶴ヶ城悲劇に散りし花今日も

Tsurugajyo castle,
Today's blossoms once fallen in tragedy.

つるがじょう ひげきにちりし はなきょうも

 山形県米沢市にある米沢城(よねざわじょう)は、暦仁元年(1238)長井時広の築城と伝えられ、松岬城(まつがさきじょう)と称した。以来、伊達・蒲生・直江・上杉の諸氏の居城となった。
 明治6年(1873)、新政府により城が取り壊され、翌年、公園として市民に開放され、昭和32年(1957)10月に都市公園となった。松岬公園は、周囲を幅20〜36m・延長約800mの水濠に囲まれ、春には200本のソメイヨシノが開花する桜の名所ともなっている。

米沢や知将の愛でし櫻花

Yonezawa,
The cherry blossoms
admired by the resourceful generals.

よねざわや ちしょうのめでし さくらばな

「みちのく観桜の旅」 2008.4 撮影:和田義男・南光優 

下乗橋げじょうばし

から見た天守 18:30

下乗橋から見た天守

パノラマ写真(2150X1000)539KB

下乗橋げじょうばし

と天守 18:50

下乗橋と天守

拡大写真(1800x1350)353KB

桧木内川提ひのきないがわつつみ

の桜並木 1/2

桧木内川提の桜並木 1/2

拡大写真(1600x1200)536KB

撮影:松井公代

鶴ヶ城天守閣

鶴ヶ城天守閣

拡大写真(1600x1067)482KB

撮影:南光 優

松岬公園まつがさきこうえん

の桜

松岬公園の桜

拡大写真(1600x1067)409KB

撮影:南光 優

 


 


 










 

 
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2008年4月26日(土)

 平成20年(2008)4月19日(土)・20日(日)の両日、北海道釧路市在住の友人の車で早春の釧路地方を旅した。4月25日まで通行止めの道路があり、山奥までは行けなかったが、釧路からの定期観光バスは5月から始まるので、丁度端境期の個人旅行となった。
 釧路湿原は、北海道釧路平野に位置する日本最大の湿原で、面積は18,290ha。昭和42年(1967)に天然記念物(天然保護区域)に、昭和55年(1980)にラムサール条約登録地に、昭和62年(1987)に湿原周辺を含む26,861haが釧路湿原国立公園に指定された。

春浅き釧路湿原鶴の声

Early spring,
The song of cranes at Kushiro Moor.

はるあさき くしろしつげん つるのこえ

 面積19.1km2 周囲 19.8km 最大水深 211.5m の摩周湖は、屈斜路湖の東方、北海道川上郡弟子屈町(てしかがちょう)にある湖である。現在の透明度は19.0mと日本で最も透明度の高い湖の一つで、2001年には北海道遺産に選定された。

摩周湖の神のモザイク斑雪嶺

The ridges with remaining snow,
God-made mosaic of Lake Masyu.

ましゅうこの かみのもざいく はだれみね

 釧路市阿寒町にある阿寒国際ツルセンターは、平成8年(1996)に設立された民間施設で、タンチョウの人工給餌発祥の地として知られる。故・山崎定次郎さんが昭和25年(1950)一羽の大きな鳥がトウモロコシ畑に寄ってきて餌をさがしているのを発見し、トウモロコシを畑一面にまいて餌付けしたことに始まる。現在、二代目の山崎定作さんが北海道から給餌人として委託され、給餌活動を続けている。

残る鶴丹頂染めつ羽繕い

The remaining crane,
Preening its feathers
while turning the crown red.

のこるつる たんちょうそめつ はづくろい

 タンチョウの尾は白色で黒く見えているのは両翼端にある風切羽である。タンチョウは見る角度によってやんちゃ坊主のようにも見え、また、優雅な雰囲気を持つ高貴な鳥にも見える。「鶴は千年、亀は万年」といわれるが、タンチョウの寿命は、野生個体で約20年、飼育個体で約40年という。予想外に短命であった。

鶴の里求愛ダンス始まりぬ

Village of Cranes,
A propose dance has begun.

つるのさと きゅうあいだんす はじまりぬ

 釧路湿原国立公園の西部にタンチョウの里・鶴居村がある。鶴居村は、釧路支庁管内の阿寒郡にあり、 釧路支庁では唯一の村である。鶴居村は、昭和12年(1937)に阿寒町から分村した際、特別天然記念物タンチョウの生息地であったことから「鶴が居る村→鶴居村」と名付けられたという。(2005.2.5)

「釧路早春の旅」 2008.4.19-20 撮影:和田義男 

丹頂鶴が生息する釧路湿原

丹頂鶴が生息する釧路湿原

拡大写真(1600x1200)399KB

早春の

摩周湖ましゅうこ

早春の摩周湖

パノラマ写真(2300x1000)603KB

丹頂鶴の羽繕い 2/2

丹頂鶴の羽繕い 2/2

拡大写真(1600x1400)258KB

鶴見台の仲良し鶴

鶴見台の仲良し鶴

拡大写真(1200X900)141KB

 

 


 

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2008年4月20日(日)

 平成20年(2008)2月11日(月)から20日(水)までの11日間、朝日サンツアーズが主催する「哀愁のモロッコ旅情11日間」に参加し、実質8日間、早春のモロッコの旅を満喫した。

マラケシュの春の賑わい二頭馬車

A two-horse carriage,
spring prosperity of Marrakech.

まらけしゅの 春のにぎわい にとうばしゃ

 1956年にフランスから独立したモロッコは、正式にはモロッコ王国という。アフリカ大陸の北西端に位置し、最狭部が14kmしかないジブラルタル海峡を挟んでスペインと向き合っている。海岸のうち約3/4は北大西洋に面し、残りは地中海に沿う。
 標高450m、モロッコのほぼ中央に位置するマラケシュは、66万人が住むモロッコ第二の大都市。フェズに次いで二番目に古い街でもある。その南部には標高3,000〜4,000mのオート・アトラス山脈が走り、北の肥沃な大地と遙か南の広大なサハラ砂漠とを画している。

残雪のカスバ街道砦村

Remaining snow,
a fort village of the route Kasbah.

ざんせつの かすばかいどう とりでむら

 2月14日(木)午前9時頃ツアーバスはマラケシュを出発、オート・アトラスの南にあるワルザザードに向かった。アトラス山脈は、アフリカ北西部、モロッコからチュニジアにかけて東西に伸びる褶曲(しゅうきょく)山脈で、名称はギリシア神話の巨神アトラスにちなむという。
 

早春のクサルの村の山の城

 

Early spring,
a village of ksar the castle of a hill.

そうしゅんの くさるのむらの やまのしろ

 オート・アトラス山中にあるアイト・ベン・ハッドゥ村は日干しレンガ造りの古いクサル ksar (要塞化された村)のひとつ。モロッコで最も美しいといわれるこの村は、1987年にユネスコの世界文化遺産に登録され、現在も修復作業が続けられている。
 マラケシュからオート・アトラスを越えると、その南には荒漠としたサハラ砂漠が広がる。だだっ広い荒れ地の中にいきなりワルザザードと呼ばれる明るい町並みが出現する。
 午前10時前ベン・モーロ・カスバに到着。現在はホテル兼レストランになっている。ここで初めて駱駝と対面、サハラ砂漠に近いことを実感した。この日は快晴に恵まれ、オート・アトラスの真っ白い連山が綺麗だった。
 

春浅きカスバの街の母娘かな

 

Early spring,
mother and daughter at kasbah village.

はるあさき かすばのまちの おやこかな

 ツアー6日目、快晴に恵まれた2月16日(土)午前10時、我々ツアー一行は、4WDのジープ(ランクル)に分乗してエルフード・ホテルを出発し、サハラ砂漠の北端にあるメルズーガ砂丘に向かった。
 メルズーガはサハラ砂漠北端に形成されたシェビ砂丘 L'Erg Chebbi の縁辺部にある小さな村で、エルフードから南方約50kmにあり、約1時間のドライブで着く。メルズーガ砂丘はシェビ砂丘のメルズーガ村一帯を指す。
 

柔肌のサハラ砂漠や春の景

 Brilliant sunshine of winter,

The noble face of Buddha 

 

on the stûpa.

すとぅーばの しゃかのそんがん ふゆひさん 

 本ツアー最大のイベントであるサハラ砂漠のサンセット見学は、午後4時45分に開始。全員16頭の駱駝に分乗してメルズーガ砂丘に乗り入れ、見学スポットに向かった。
 午後6時頃、太陽はあたりを黄金に染めながらサハラ砂漠の西方に連なる山の端に静かに沈んでいった。壮大な大自然の荘厳なドラマだった。
 

サハラ行く駱駝に揺らる春夕日

 

Spring setting sun,
camel riding at the Sahara.

さはらゆく らくだにゆらる はるゆうひ

 エベレストは、ネパールでは サガルマータ Sagarmãthã (サンスクリットに由来する語で〈大空の頭〉〈世界の頂上〉の意)と呼ばれている。
 午後、カトマンズの町内は相変わらず霧が晴れなかったが、オプショナル・ツアーのエベレスト遊覧飛行のフライトにゴーサインが出た。
 この旅行のフィナーレを飾るように、雲ひとつ無いエベレスト(8,848m)が眼前に現れ、感動しながら、愛機オリンパスE-410のシャッターを切った。
 

春風やフェズの街並白象牙

 

Spring setting sun,
camel riding at the Sahara.

はるかぜや ふぇずのまちなみ しろぞうげ

 ツアー7日目の2月17日(日)、一行はサンライズ見学を終えたあとで朝食を取り、午前8時30分、4WDに分乗して元来た道を引き返し、エルフード・ホテルに帰還。ツアーバスに乗り換え、一路北上してフェズを目指した。
午後6時ころ、モロッコ最古の都市で世界文化遺産の街フェズに到着。我々はこゝで2連泊し、タップリとフェズの観光を楽しんだ。
 

城塞や磯舟浮かぶ春の海

 

The stronghold,
beach boats floating on the spring sea.

じょうさいや いそぶねうかぶ はるのうみ

 ツアー9日目・2月19日(火)午後1時頃ラバトに入った。120万人が暮らすラバトは、モロッコ王国の首都で大西洋に面し、ブー・レグレグ川 Oued Bou Regreg の河口にある。川の向こう側にベッドタウンのサレ Sale が広がり両都市合わせて人口160万人の都市圏となる。

「モロッコ感動の旅」 2008.2.11-21 撮影:南光 優 

ジャマ・エル・フナ広場の全景

ジャマ・エル・フナ広場の全景

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赤い山腹の村

赤い山腹の村

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クサルの男

クサルの男

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ベン・モーロ・カスバの母娘

ベン・モーロ・カスバの母娘

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メルズーガ砂丘の景観

メルズーガ砂丘の景観

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夕日のキャラバン

夕日のキャラバン

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世界文化遺産の街フェズ

世界文化遺産の街フェズ

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大西洋に面する首都ラバト

大西洋に面する首都ラバト

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2008年4月7日(月)

 2004年8月中旬、真夏日の連続記録を更新中の暑い東京から脱出し、家内と二人で軽井沢に行った。長野県東部、北佐久郡にある軽井沢は、地元では「かるいさわ」という。浅間山南東麓に位置する標高約1,000mの高原の町で、1万7千余の人々が暮らしている。
 JR軽井沢駅周辺や旧軽井沢、新軽井沢などの目抜き通りを外れると、あとは森そのものであり、ホテルやペンション、民家や別荘などは、鬱蒼と茂った木々の中にある。

揺籃の杜より出ずる草清水

Clear water is springing out
from the forest of the cradle.

ようらんの もりよりいずる くさしみず

 旧軽銀座の西方、旧軽井沢ゴルフクラブのそばにホテル鹿島ノ森があり、その敷地内の小さな渓谷に御膳水と呼ばれる清冽(せいれつ)な泉が湧いている。

軽鴨のまどろむ池の木陰かな

A spot-billed duck dozing off
in the shade of a tree
by the pond.

かるがもの まどろむいけの こかげかな

 旧軽井沢の鬱蒼とした森の中にある雲場池(くもばのいけ)は、かつて冬に白鳥が飛来したことから、軽井沢を開拓した外国人たちによってスワンレイクという愛称がつけられた。
 近くの雑木林から湧き出る清水や御膳水の清らかな水をたたえ、せり出すように繁る木々の緑と空の青さが水面に美しい影を落とし、四季を通じて軽井沢に住む人々のオアシスとなっている。

「軽井沢の夏/後編」 2004.8.14 撮影:和田義男

御膳水

御膳水

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カルガモ

カルガモ

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2008年4月5日(土)

 インドの誇る世界遺産は数多くあれど、5本の指に間違いなく入るのが、アグラにあるタージ・マハル。1983年に、ユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されている建物です。

夏の空タージ・マハルの白真珠

Summer sky,
Taj Mahal the white pearl.

なつのそら たーじまはるの しろしんじゅ

 タージ・マハルは、ムガル帝国5代目皇帝シャー・ジャハーン(1592〜1666)が、亡くなった最愛の妻のムムターズ・マハル(1595〜1631)のために、ムガール帝国の財力を投入し、22年の歳月(1632〜1653)をかけ建設したお墓である。タージ・マハルの語源は、タージ=王冠(Crown of the King)、マハール=宮殿(Palace)だそうです。
 タージ・マハルは、1632年から22年間かけて建設され1653年に完成しています。ラジャスタン州マカラナから切り出して来た白大理石がふんだんに使われています。建設時の出面(でずら)も一日2万人との記録があるそうです。この正面通路も、ムガール帝国が衰退し、イギリスが統治していた時代には、樹が生い茂り、荒れ果てて通るのもやっとだったようです。20世紀始めに赴任したイギリスのカーゾン提督(1898〜1905)が庭園として再整備し、今日見ることの出来るタージ・マハルの形になったようです。(解説:丹下誠司)

「タージ・マハル」 2008.4.4 撮影:丹下誠司

【編集子が選ぶ名作】

タージ・マハルの美女

タージ・マハルの美女

拡大写真(1800x1000)300KB

【編集子が選ぶ名作】

「タージ・マハル」正面の景観

「タージ・マハル」正面の景観

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2008年4月2日(水)

 平成20年(2008)3月29日(土)関東地方は絶好の花見日和となったので、恒例の「東京桜めぐり」に出掛けた。
 まず最初は東京の武蔵野にある井の頭恩賜公園(いのかしら・おんし・こうえん)。JR中央線吉祥寺(きちじょうじ)駅南口から南に歩いて5分。

武蔵野の池を埋ずめし花見舟

The pond of Musashino,

covered with flower viewing boats.

むさしのの いけをうずめし はなみぶね

 公園の中心をなす井の頭池の周囲には、約600本の桜があり、池の上まで枝を広げている。ソメイヨシノの古木の枝が龍のように水面を覆っているさまは見事で、とても風情がある。家族連れや若者にはボートが人気で、水上には多くの遊覧ボートが繰り出し、花見舟として見る桜もまた違った趣きがあるという。
 東京都庁は、JR新宿駅西口から西に歩いて10分ほどのところにある。案内標識に従って動く歩道を利用すれば迷わず行ける。動く歩道は出勤時間帯を過ぎると、都庁からJR新宿駅西口方面への通行に切り替わる。

新宿のビルの谷間の桜かな

Cherry blossoms
between the tall buildings
at Shinjyuku.

しんじゅくの びるのたにまの さくらかな

 池袋で昼食後、鬼子母神(きしぼじん)で知られる法明寺(ほうみょうじ)に行った。JR池袋駅東口(西武百貨店前)から南に歩いて10分ほどの雑司が谷(ぞうしがや)と呼ばれる江戸の風情が残る閑静な場所にある。
 法明寺山門の前で、一人お歳を召したお婆さんが桜の名残を惜しんでいた。付き添いの女性は、親族の方か看護士さんか分からなかったが、懸命に話しかけている姿に惹かれるものがあった。

長老の車椅子にて花惜しむ

Old lady staying a while longer
to see the cherry blossoms
on a wheelchair.

ちょうろうの くるまいすにて はなおしむ

 法明寺山門の前で、一人お歳を召したお婆さんが桜の名残を惜しんでいた。付き添いの女性は、親族の方か看護士さんか分からなかったが、懸命に話しかけている姿に惹かれるものがあった。

「東京桜めぐり'08」 2008.3.29 撮影:和田義男 

満開の桜で埋まる井の頭池

満開の桜で埋まる井の頭池

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都庁の桜

都庁の桜

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車椅子のお婆さん

車椅子のお婆さん

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2008年3月28日(金)

 平成20年(2008年)3月15日(土)愛知県小牧市(こまきし)に鎮座する田懸神社(たがた・じんじゃ)で、男性のシンボルを御神木(ごしんぼく)とする神輿が繰り出す奇祭・豊年祭(ほうねんさい/ほうねんまつり)が開かれた。

陽根の悲鳴も可笑し春祭

A spring ritual,

Delightful screams

for penis-like object.

ようこんの ひめいもおかし はるまつり

 田県神社で毎年3月15日に行われる豊年祭は、奇祭として有名な祭礼で、通称「へのこ祭り」「ちんこ祭り」と呼ばれている。男たちが「大男茎形(おおおわせがた)」と呼ばれる巨大な男根をかたどった御神木を載せた神輿を担いで練り歩き、巫女たちが小ぶりな男根をかたどった御神木を抱えて練り歩く。それに触れると、「子宝が授かる」といわれている。

「田県神社豊年祭」 2008.3.15 撮影:市川 清 

Oh, wonderful!

Oh, wonderful!

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2008年3月25日(火)

 平成19年(2007)12月19日(水)から25日(火)まで阪急旅行の「大自然ネパール感動の旅7日間」に参加した。霧に悩まされたが、世界最高峰のサガルマータ(エベレスト)(8,848m)を初め、ヒマラヤ山脈の眺望をたっぷりと楽しむことが出来た。

ヒマラヤの神の雪座の燃ゆるごと

The snowy seats
of Himalayan Gods
look like burning.

ひまらやの かみのせつざの もゆるごと

 北海道の約2倍の国土に2,700万人が暮らすネパールは南アジアの王国で、首都はカトマンズ。ヒマラヤ山脈の南側のふもとに位置し、北を中華人民共和国に、西と南をインドに、東をインド・シッキム州に接する。インドと交流があり、釈迦はネパールのルンビニで生まれ、ネパールから仏教が広まった。

雪嶺の霊気漂ふ石畳

The stone pavements,

A spiritual atmosphere

from snowy mountains.

せつれいの れいきただよう いしだたみ

 宗教はヒンドゥー教が86%、ルンビニを釈尊の生誕地とする仏教は少数派で、わずか8%しかない。イスラム教やキリスト教の信者も少数ながら存在する。
 エベレストをはじめとした8,000m級の高峰をかかえ、国土の多くがヒマラヤ山脈に存在する。そのためインドに面した南部の低地を除き、平地が少なく、高山気候となっている。山間部では、見事な棚田や段々畑が広がる。
 カトマンズの東方約35Km、車で1時間半ほどのナガルコットは、小さなバザールがあるほかは森林に包まれた静かな丘陵で、標高2,100mの丘の上からは、東西200kmに渡って連なる白いヒマラヤ山脈を望むことができる。
 

ヒマラヤの雪嶺天を穿つ波

Snowy peaks

  of the Himalayas,

 

Sky-scraping waves.

ひまらやの せつれいてんを うがつなみ

 ポカラは、カトマンズの西方約200kmにあり、ハイウエイだとバスで6〜7時間かかるが、飛行機だと僅か30〜40分で着く。
 フェワ湖とアンナプルナ連峰の展望で知られるポカラは、ヒマラヤに端を発する渓谷が開いた緑豊かな盆地にある。標高は800mほどなので、標高1,300mのカトマンズよりも温暖で、亜熱帯らしい雰囲気がある。
 

雪山を拝むフェワ湖の遍路舟

 

Pilgrim boats of Phewa Lake,
Praying to the snowy mountains.

ゆきやまを おがむふぇわこの へんろぶね

 フェワ湖はポカラの街の西側に広がるネパール第二の大きさを誇る湖である。ツアー一行は、レイクサイドの船着場から手漕ぎボートに乗って、フェワ湖の湖上遊覧に出掛け、途中で、フェワ湖に浮かぶ小島に建てられたバラヒ寺院を見学した。
 カトマンズは標高約1,300mのカトマンズ盆地に位置し、100万人が暮らすネパールの首都。かつては、カンティプール kantipur (栄光の都)と呼ばれていたこの都市は、古くから先住していたネワール族が暮らし、都市文明を築いてきた。
 

卒塔婆の釈迦の尊顔冬日燦

Brilliant sunshine of winter,

The noble face of Buddha

 

on the stûpa.

すとぅーばの しゃかのそんがん ふゆひさん 

 午後、カトマンズの町内は相変わらず霧が晴れなかったが、オプショナル・ツアーのエベレスト遊覧飛行のフライトにゴーサインが出た。
 この旅行のフィナーレを飾るように、雲ひとつ無いエベレスト(8,848m)が眼前に現れ、感動しながら、愛機オリンパスE-410のシャッターを切った。
 

雪嶺やひときわ高き神の山

The snowy peak

of the God,

 

the highest of all.

せつれいや ひときわたかき かみのやま

 エベレストは、ネパールでは サガルマータ Sagarmãthã (サンスクリットに由来する語で〈大空の頭〉〈世界の頂上〉の意)と呼ばれている。

「ネパール感動の旅」 2007.12.19-25 撮影:小池淳二 

ドルチェ・ラクパ(6,966m)のアルペングロー/ナガルコット

ドルチェ・ラクパ(6,966m)のアルペングロー/ナガルコット

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白いライオン・ゲートのあるダルバール広場

白いライオン・ゲートのあるダルバール広場

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サランコットの丘から望むヒマラヤの絶景!/ポカラ

サランコットの丘から望むヒマラヤの絶景!/ポカラ

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フェワ湖の参拝客/ポカラ

フェワ湖の参拝客/ポカラ

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スワヤンブナート寺院の釈迦の尊顔/カトマンズ

スワヤンブナート寺院の釈迦の尊顔/カトマンズ

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サガルマータ/エベレスト(8,848m)の勇姿!

サガルマータ/エベレスト(8,848m)の勇姿!

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2008年3月18日(火)

 平成20年(2008年)元旦(火)早朝に三重県鈴鹿市の白子(しろこ)海岸に行った。近くに江島若宮八幡神社があり、毎年、年越し参りをした人々や、初日の出を参拝する人々が夜明け前から大勢砂浜に集まってくる。

初日の出海の礼拝白褌

The first sunrise of the year,
Worship in the sea
wearing white loincloth.

はつひので うみのらいはい しろふどし

初禊ぎを終えた裸たち

初禊ぎを終えた裸たち

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 江島若宮八幡神社の神職や氏子たちの禊ぎのほか、空手や少年野球チ-ムの団参もあるという。この日も、越中褌と白鉢巻姿の人たちが、初日の出にあわせて海に浸かり、初禊ぎをする光景がみられた。

光彩を背負ふ踊り子初日の出

The first sunrise of the year,
Dancers carrying the brilliance
on their backs.

こうさいを せおうおどりこ はつひので

 初日の出の海岸でパフォーマンスを演じているダンスチームは、大学生など若い女性ばかりの「極津(ごっつ)」と鈴鹿市の若者グループ「風神(ふうじん)」の人たち。
 

褌の透けて見えをり初日の出

 

  The first sunrise of the year,
Their loin
cloths
look transparent.

ふんどしの すけてみえおり はつひので

 また、鈴鹿市にある鈴鹿工業高等専門学校のシンクロナイズド・スイミングクラブは、第2回全国高校ウォーターボーイズ選手権で優勝しており、近隣では有名で、毎年学園祭にはプールの観覧席に入れないほどのファンが押し寄せ、そのコミカルな演技は観客をおおいに沸かせてくれる。
 このようなメンバーが初日の出を背に踊ったり、海に飛び込んだりのパフォ-マンス見せて、観客を楽しませてくれる。伝統の神事や祭事ではないが、毎年元日の朝に行われており、鈴鹿市の新春の風物詩となっている。
 

初日の出海に赤褌躍動す

The first sunrise of the year,

Energetic guys of red loincloths

 

at sea.

はつひので うみにあかふん やくどうす

 平成20年(2008)2月3日(日)節分の日、岐阜県大垣市(おおがきし)・宝光院(ほうこういん)において「節分会(せつぶんえ)はだか祭」が開催された。
 釈迦牟尼如来(しゃかむににょらい)を本尊とする宝光院(鈴木孝敬住職)は天台宗のお寺で、山号は仏道山(ぶつどうざん)。平安時代に伝教大師(でんぎょうだいし)最澄(さいちょう)が東国布教の際、延暦9年(790)に伽藍(がらん)を創建した古刹である。
 宝光院では、毎年2月3日の節分の日に厄除開運(やくよけ・かいうん)の節分会(せつぶんえ)が開かれ、その中で「宝光院はだか祭」、正確には「ひだりめ不動節分会はだか祭」が催行される。祭りの主催は宝光院だが、実際の運営は檀家の役員やボランティアたちが行っており、実行委員会などの運営組織は存在しない。
 

節分の厄を集めて宙に舞ふ

 

The day before sprig,
Dancing in the air
gathering evils.

せつぶんの やくをあつめて ちゅうにまう

 平成20年(2008)2月11日(月)岐阜県海津市(かいづし)平田町今尾(ひらたちょう・いまお)に鎮座する秋葉(あきば)神社において、左義長(さぎちょう)祭り(岐阜県重要無形民俗文化財)が開かれた。
 

左義長の歌舞く若者色襦袢

 

Far-out guys of Sagityo,
Colorful kimonos.

さぎちょうの かぶくわかもの いろじゅばん

 左義長は「どんど」ともいい、正月の門松を焼き、歳神を常世の国(とこよのくに)へ送り返すため神事である。
 左義長は一週間くらい前から三里四方の町村の崇敬者から奉納されるものを集め、祭りの前日早朝から高さ6m、周囲6mほどの鼓形をした青竹御輿が準備される。
 若衆の着る長襦袢や白足袋は毎年町内ごとに新しく揃いのものがつくられる。子供たちが竹を割ってできた綱といわれる引き綱を持って御輿の先導をつとめ、中年の者が化粧をこらして道化役となり、拍子木と笛や鉦を打ち鳴らして掛け声も勇ましく、青竹御輿が境内に引き込まれる。
 

初春や褌衆の儺追笹

 

The beginning of spring,
A purification bamboo
of men of loincloths.

はつはるや ふんどししゅうの なおいざさ

 平成20年(2008)2月19日(火)愛知県稲沢市(いなざわし)に鎮座する國府宮(こうのみや)で儺追神事(なおいしんじ)が行われた。
 平成20年(2008)2月23日(土)愛知県名古屋市中村区岩塚町(いわつかちょう)に鎮座する七所社(ひちしょしゃ)で「きねこさ祭り」が開かれた。
 きねこさ祭は、毎年旧暦1月17日に厄除け、子孫繁栄、天下太平、五穀豊穣などを祈念して行われる祭礼で、特に厄除けに霊験があると伝えられている。 「きねこさ祭」の名前は、午後3時から行われる神前での厄除神事で耕作の所作を演じる合間に役者が「キネ」(たて杵)と「コサ」(杵からこすり落とした餅)と呼ぶ採物*(とりもの)で暴れ回ることに由来する。キネコサで叩かれると厄除けになるという。
 

初春や白褌の竹登り

 

The beginning of spring,
Bamboo climbing
of white loincloth.

はつはるや しろふんどしの たけのぼり

 祭礼の中心は後厄(42歳)の男性10名と厄年の子供2名の12名である。神社の社務所で早朝の冷水での禊など3日間の潔斎(けっさい)を経て当日を迎える。参道の入口には、氏子の手による大注連縄(おおしめなわ)が飾られ当日は12時半から庄内川(しょうないがわ)での川祭り神事、午後2時から古式行列、午後3時から境内での厄除け神事などが行われる。
 

追儺風褌衆の意気軒昂

 

Purification winds,
Men of loincloths
in high spirits.

ついなかぜ ふんどししゅうの いきけんこう

  平成20年(2008)3月2日(日)愛知県豊田市(とよたし)中田町(なかだちょう)に鎮座する中田大国霊(なかだおおくにみたま)神社で儺追神事(なおいしんじ)が行われた。

「中部地方の冬祭り」 2008.1.1-3.2 撮影:市川 清 

白子海岸の初日の出

白子海岸の初日の出

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歓喜! by   極津ごっつ    極津のhomepage

歓喜!

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太陽と若者たち

太陽と若者たち

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赤褌海水浴

赤褌海水浴

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副心男の胴上げ

副心男の胴上げ

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左義長の 歌舞伎かぶき ものたち

左義長の歌舞伎ものたち

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参道に 儺追笹なおいざさ を立てる裸男たち

裸男たち参道に儺追笹を立てる

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竹に取り付く裸男

竹に取り付く裸男

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褌衆の勢揃い

褌衆の勢揃い

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★彡 日本初の写真俳句 ★彡

. 俳句「海の風景」文頭

東京 2007年1月2日 2006年12月13日(水)、12年かかって500句目の俳句「広州の瑠璃の館の秋寂びぬ」をアップした。俳句「海の風景」は、50句づつ束ねて10集が完成し、11集目に入った。「フォトギャラリーに俳句は必要か。」「俳句の英訳はなぜ?」「褌の俳句を続けるのはなぜ?」などと自問しながら、「継続は力なり」を信条に、ここまでやってきた。「駄作ばかりで、進歩していないのではないか。」とも思う。それは多分そうかも知れない。

しかし、俳句にはたった17文字で写真では表現できない余韻や深みや浪漫がある。読者の解釈如何で、味わいがいかようにも変化する。俳句のお陰で、簡潔明瞭な文章が書けるようになった。英訳付き俳句や褌句は、裸祭りシリーズのように誰もやっていないジャンルである。どんなテーマでもよいから誰もやっていないことをやること自体に意義があり、手間暇かかるが、自慢となり、歓びとなる。迷ったときは、前向きに進むのが正解だと信じ、これからも1000句を目指して、一歩々々歩いてゆくことにする。そのうち、なにかが見えてくるに違いないことを信じて・・・。


東京 2005年8月15日
 二年前の盆休みに句集のコメントを記載してもう2年経つ。今日、300句を超えたため、一集を50句単位にしているので、第七集を追加した。最近は、毎日100人前後のゲストがあり、俳句も手を抜けなくなった。五年間で5万件を超え、リピーターも増えている。フォトギャラリーに説明文を加え、BGMを設定し、そして俳句を挿入するという作業は、大変だが、馴れてしまうと結構楽しいものだ。

 下手な俳句も、たまには自己満足できるものが増えてきた。何より、英訳を施すことで、俳句の意味がより鮮明になり、深みを増してくるように思う。英訳も最近はコツを覚え、どう訳して良いか分からないようなことはなくなった。英訳できないような句はあり得ないし、あったとすればそれは悪首なのだろう。俳句に写真と英訳をつけ、解説する。このような構成の句集は私以外には存在しない。

 「海の風景」というタイトルも、陸に上がった河童となってしまった今では、ふさわしくないかも知れないが、せめて、カバー写真だけでも海の風景を入れて続けていきたいと思う。どこまで続くか分からないが、「継続は力なり」を信じて、やれるところまでやってみたい。

東京 2003年8月16日
 8月の盆休みで日本列島は里帰りのシーズンだ。今週は会社全体が夏休みなので、私も休みを取っているが、東京は雨続きで、外出ができない。一日中、家の中で過ごしている。お陰で、未編集の作品を数本、一気に仕上げてアップすることができた。また、これまでの作品に手を加えたりして、時間を有効に使っている。

 
俳句「海の風景」は、50句を束ねてアップしており、既に第4集に入っている。今年の4月に神戸から東京に転勤となり、海の句が殆どなくなってしまった。タイトルを修正しようかとも考えたが、既に2年を超えるシリーズとして定着しており、タイトルは従来のままとすることにした。

 世界の旅の写真館としてWa☆Daフォトギャラリーはこれからも歩み続けてゆくが、それとともに、この俳句も続けてゆきたい。そして、英訳と写真とをあわせて添えてゆく。このような試みは私しかやっていないと思う。かなり骨の折れる作業であるが、やる価値はあると思う。

神戸 2002年8月11日
 暑い夏が続いている。昨日は夏休みの帰省ラッシュのピークを迎えた。おかげさまで、Wa☆Daフォトギャラリーも無事に二周年を迎え、毎月一万件のアクセスをいただけるサイトに成長した。一周年記念として始めた俳句「海の風景」も未だに続いており、継続は力なりで遂に百句を超えてしまった。読み返してみると、駄作もあるが、なかなか良い句だと自慢したくなるような作品もある。

 徒然日記を書くごとに折々の俳句を挿入し、それを俳句「海の風景」に写し、英訳と解説文を加えてきた。この作業もかなり大変だが、何とか続けてきた。俳句は本来のフォトギャラリーとは必然性のないコンテンツではある。しかし、映像と17文字の言葉の違いこそあれ、情景を写し取ることには違いがない。むしろ情報過多の映像より、シンプルな文字の方が味わい深いこともあるのではないだろうか。私の拙句をそれなりに楽しみにして下さる読者もおられるようで、励ましのmailをいただくと、止められなくなる。写真の方も風景写真から始まって祭りや花の写真まで手を広げてビッグサイトになってしまったが、今更引き返すこともできない。これからも情熱と体力の続く限り、現在のコンセプトで進んでいきたい。

神戸 2001年7月29日 平成13年4月1日、広島から神戸に赴任。俳句は、相変わらず月に一回うつみ会に7句を投句し、高橋三洋子先生の添削と講評を受けている。いわば通信教育という形で続いており、先生のご厚意に感謝申し上げる。

 昨年7月から個人のホームページ・Wa☆Daフォトギャラリーを始めて1年余りになる。アクセス13,000件を突破し、すっかり軌道に乗ってきた。そこで一周年記念として、これまで徒然日記の冒頭に折々の俳句を載せてきたので、それを集めて、俳句「海の風景」というタイトルにまとめ、それに写真とコメントを付けてみた。また俳句の英訳もつけた。英訳にも意訳が入り、イメージの広がりが期待できる。

 まだまだ素人の域を出ていないが、当ホームページのビジターに海の素晴らしさや季節感などを画像と同様に感じとっていただければ有り難い。わずか17文字でイメージ(画像)を表現できれば幸いだ。これまで海で仕事をしてきた経験を生かし、海の風景を一幅の絵のように切り取ってみたい。これが作者のテーマでありコンセプトである。ただ、海の句に限定したわけではないので、折々の身近な風景を適宜織り込んでいきたい。

パノラマの神戸の港春霞

風光る館の空に風見鶏

Panoramic view
of Port Kobe
in the spring haze.

A weathercock on the roof
under sky
with a glistening wind.

広島 2000年4月23日 平成12年4月1日、函館から広島に赴任した。友人から勧められ、俳句同好会「うつみ」に入会、月一の例会に出ることになった。仕事の合間を見て俳句づくりに専念する毎日が始まった。稚内在任中から俳句を創作していたので、ある程度の自信があるが、句会に出席し、先生に講評を仰いだり、添削を受けるのは初めてである。少し緊張するが、楽しみながら自然流で俳句をつくりたい。先生の俳号は高橋三洋子で、正岡子規の弟子である高浜虚子の流れを汲むという。種田山頭火のような自由律の俳句ではなく、古典派ともいうべき俳句で、キチッとした季語が必要であり、自然で平易なものでなければならないと教わった。

白藤や水面に鯉の浮き沈み

草鞋揺る仁王門より遍路発つ

Carp sink and float
to the surface
under white wisteria.

Pilgrims started
 thorough Deva gate
on which straw sandals swinging. 

稚内 1994年3月26日 平成6年は吹雪で明けた。日本最北端の地・稚内市に来て一年足らずであるが、現在貴重な冬の体験を積みつつある。窓の木枯らしを聞きながらテレビで正岡子規のドキュメント・ドラマを見ていたら、ふと、この稚内市を中心とした宗谷の出来事を点描してみたら面白いのではないかと思った。今まで俳句などというのは創ったことがないが、挑戦するのも楽しいのではないか。稚拙ではあるが、北国の思い出をファイルする趣旨で詠んでみたところ、アッという間に百首を越えてしまった。思ったより簡単である。粗製濫造気味ではあるがこれからも続けたい。俳号は日本最北端の地にちなんで北舟とした。

正月や昆布拾いの海人ふたり

流氷の接岸告げる尾白鷲

Two fishermen
pick up kelp
on New Year's Day.

A white-tail eagle signals
the arrival of drift ice
to the coast.

日本伝統俳句会 現代俳句協会 インターネット俳句会 俳句センター 帆船 俳句庵 see haiku here

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